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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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塩を入れたら溶けるまで(乗り掛かった舟)5

 「さて。若君…もう一つ、星竜君わがきみよりお預かりいたしておりましたものを、お渡しいたしまする」

 「手紙以外になんかあるんだ?」


 まあ、兄貴が俺に会いに行く人に渡す物って言ったら…

 援助物資とか?

 飴はもう数個しかないから、それなら嬉しいんだけど…

 食べるものが、この人の懐から出てきたら嫌だな。


 「クロム、そこに末将それがしの荷があろう。それを取ってくれい」

 「は?なんで俺がおっさんの臭いが染みついた汚物を触らなきゃならないんだ?」

 「…すいません、さすがに怒っておきます。えっと、これかな?」


 寝台の横に置かれたサイドテーブル。

 その下段には荷物を置ける棚が設えられていた。大して広い置き場所じゃないけれど、小さな行李は少々はみ出しながらも収まっている。

 引っ張り出すと、見た目よりずっと重い。


 「若君は一度、クロムが泣くまで怒った方が良いと思いますがなあ…」

 「ぼくもそー思う!」

 「あ?」


 因縁つける一瞬前みたいな顔をしたクロムの頭をひっぱたき、行李をウー老師の寝台に降ろした。下手に手渡しすると、腰をさらにいわしそうだったし。


 「守護者は主を映す鏡ですぞ?」

 「あー、それは兄貴には言わないであげてね?」


 本気で悩んじゃうから。


 「…どういう意味かは、今は聞かないでおきましょうぞ。さて、これにござる」


 行李の留め具を外し、ぱかりと蓋を開けて、ウー老師はその中に手を突っ込んだ。

 それほど探った様子もなく、掌より少し大きいくらいの箱を取り出す。行李の中は、きちんと整理されているらしい。


 「うん」


 受け取ったの箱は、特になんの飾り気もない、黒く艶やかな木で作られていて、ひらべったい。中身もたぶん、そう厚みがないものなんだろう。


 ただ、それがただの箱ではないことは、すぐにわかった。


 材質は、たぶん黒檀。表面を磨いて磨いて艶を出し、木目を波紋のように現わしている。箱であるのは間違いないけれど、蓋と本体の境目はほとんどない。留め金がなければ、ただの分厚い木板だと思ったかもしれない。

 留め金は、金と紅珊瑚で出来ていた。金で作られた雲が珊瑚玉の太陽を囲んでいる意匠だ。

 

 うん、これ、間違いなく、なんかすごいもの入ってるよね?飴とかじゃなく。


 「…これでお前の腹巻が入ってたら、トール見た瞬間、助走つけて殴れ。俺が許す」

 「若君に殴られたら、間違いなくお亡くなりになられますな。

 …死因は、驚きと悲しみのあまりに心の臓が止まったあたりで」

 「さすがに死なないと思う…死なないよね?」


 いくらなんでも…なあ。

 けど、俺が寝込んだだけで目を開けたまま気絶するような人だしな…

 アスランの雷神を討ち取ったなんて言う武名はいらないし、お互い向き合って正座して、こんこんと何故こんなことをしたのか問い詰めるだけにしよう。

 

 さて、この箱、どうやって開けるんだ?留め金はあるけれど、そこを支点に開けようとしてもびくともしない。

 鍵穴とかはないけれど…間違いなく、なんかで封がされている。

 とりあえず、珊瑚玉を押してみた。これが引っ込むなら、同時に留め具が外れてパカっと開くのかもしれないし。


 「お、開きそう…ああ、魔力認証しているのか」


 ぐ、と珊瑚玉が引っ込む。その時に、微かに指先に刺激があった。

 魔力は、人によって違う。その差異を感知して、指定された魔力の持ち主以外には開かないようになっている封印だ。

 俺宛ってことは、俺の魔力で封が解けるよう指定してあるんだろう。

 再び蓋に指をかけて引っ張ると、今度は難なく開いた。

 

 まず目についた中身は、黒絹。


 一瞬、腹巻とか下着だったらどうしようと思ったけれど、触ると何か硬いものをくるんでいるみたいだ。

 指先を滑る絹の感触が心地いい。丁寧に梱包を解いていく。


 「これ…」

 「だいじょぶ?ぱんつとかじゃない?」

 「違うようだぞ!これは、軍牌ヤルリクか!」

 「なぁに?それ」


 黒絹に包まれていたのは、正方形の墨玉で作られた石板。

 中央に、翼を広げる鴉が金で象嵌されている。


 「アスラン軍は、全て大王ハーンに帰属する。その大王から、この部隊を預かったっていう証明みたいなものかな」

 これがなければ、行軍中にどこかの町に入ることもできない。部隊同士がすれ違う場合は、必ずそれを見せ合うのも決まりだ。

 「これは、紅鴉親衛隊ナランハル・ケシクを統率する権利を示す伝令軍牌ケタイ・ヤルリクだ」

 「すごいの?」

 「紅鴉親衛隊は数五千。五名の千人長が所属し、騎兵四千歩兵五百、工作兵三百、諜報兵百、文官医官厨官、鍛冶師に箭筒士、その他で百。

 その軍を思うまま動かすことのできる証明にござる。すごいかすごくないかで言えば、すごい方であるな」


 そう、すごいんだよなあ。俺がそれを生かせるかとか、手足のように動かせるかと言えば、全くそんなことはないのが問題なんだけど。


 「正直言って、俺がその長って言うのは宝の持ち腐れもいいところだけれどな。

 灰色の丘陵に来ているのは、ミクだけ?」

 「是。最精鋭千人でござりまする」

 「大袈裟なって言いたいけど、今は助かった」

 

 軍牌の中央、金の鴉に指を置く。

 再び指先に刺激が走り、魔力認証されたことを知らせる。

 うっすらと軍牌に陣が浮かび上がった。


 ここで、やっちゃっていいものか。

 けど、事態は一刻を争うし、ジョーンズ司祭は俺が誰かを知っている。走り通してきた神官さんは寝ているし…問題はないか。

 ちらりと見ると、彼女はめっちゃこっちをガン見していた。

 こっちというか、俺をと言うか…目が合うと、にこりと笑われたけれど。

 それでも迷っていると、クロムが無言で俺の横からドアの前に移動した。扉に凭れ掛かって、一つ頷く。

 

 「ねーねー、ファン。そのミクさんって人と、知り合い?」


 興味深そうに軍牌を見ていたヤクモが、視線を動かさずに聞いてくる。


 「そりゃあよく知ってるよ。ミクの祖父のヤルトネリも、父のヤルトリツも、七人いる伯父伯母も、何なら母方の親戚含めてよく知ってる。

 伯母のうち二人が俺の乳母だったしな」


 親戚一同が集まると百人近くになるヤルト家は、開祖クロウハ・カガンのころからの忠臣だ。

 アスランでは血統をそれほど重視しないので、功臣名将の子だとしても能力や忠誠心がなければ、高い地位や領地は与えられない。

 そんな中で、「王族に次ぐ血(ムルグ・ウルク)」と言われ、敬われるヤルト家は、代々万人将や高官を輩出してきた文武両道の家系だ。

 他にもそう言われる家系はあるけれど、最も信頼できる一族は?と問われれば、俺も親父も兄貴も、ヤルト家と答える。


 「ミクさんって、可愛い名前だねぃ。やっぱさ、顔も可愛い?それとも意外と綺麗系?」

 「…えっと、ミクのこと?」


 意外な質問に思わず真顔でヤクモを見ると、にまっと顔を緩めて頷かれた。


 「うん!なんか、歌とかうまそう!」

 「うまい…かなあ?どうだったっけ?」

 「ああ。上手いぞ。聞いた奴が泣きながら地に額をこすりつけたって話だ」


 ドアの前から、クロムが声をかけてきた。笑いを堪えきれていないけれど、ヤクモは気付かない。「そっかー!」と鼻を膨らませている。遊ぼうか、と声をかけた犬みたいな顔になっちゃってるぞ…。


 「ヤルトミク…ああ、俺も聞いたことがある!オラーン・バーウガイ殿だな!」


 嬉しそうにユーシンも話に加わってくる。こっちは、別の意味でだけれど。


 「ユーシンもしってるの?」

 「名前だけは!双鉄鞭を馬上より振い、戦のあとには総身が赤く染まっている為、赤熊オラーン・バーウガイと呼ばれるのだと聞いた!」

 「…あれぇ?」

 「若人の夢は壊したくはないのですがなあ」


 ご愁傷さまです、と告げるような顔をして、ウー老師は首を振った。


 「若君よりも二回りほど縦にも横にも…とにかく巨大な御仁でござるよ。御年三十二歳。この若さで千人長というのは、それだけの武功を立ててきた、という証にござるなあ。

 無論、立派な大丈夫ますらおにござる」

 「なんとなくそんな気はしたよ!クロムのばかっ!」

 「なんで俺だよ」


 悪乗りしたからじゃないかなあ。

 まあ、ヤクモの嘆きはともかくとして…そうか。ミクって可愛い名前だったのか…再び金の鴉に指を置いた。

 

 『誰か在るか』

 

 呼びかけるの、少し恥ずかしいな。なんか独り言みたいで。

 アスランにいた時はそんなこと思わなかったけど…一年も違う場所にいると、なんというか、照れるというか、こっぱずかしいと言うか。

 ショックから立ち直ったらしいヤクモが「ファン、だいじょうぶ?」って顔して見てるし。

 その顔を見て、ウー老師がポン、と手を打った。


 「おお、そうであった。そなた…」

 「ぼく?ぼく、ヤクモだよ」

 「うむ。ヤクモよ。これを其方にと星竜君(わがきみ)よりお預かりしておる」


 ウー老師が行李から取り出したのは、小さな皮袋だ。


 「ぼくに?」

 「うむ。これからアスランへ参るのであれば不便であろうとな」

 「開けていい?」


 皮袋をヤクモはわくわくした様子で受け取り、ウー老師の頷きと同時に中身を掌に落とした。


 「ブレスレット…かなあ?」


 その掌にぽてん、と鎮座しているのは、大小二つの灰水晶の玉を鮮やかな黄色い組紐に通した輪。大きさ的にも、手首にはめるものだろう。


 「それには『言語理解』の魔導が込められておる。話すことはできんが、着けておればタタル語で何を言っておるのかわかるようになるぞよ」

 「えー!すっごい!」


 さっそくヤクモは左手首に腕輪を通した。するんと肘まで通った腕輪は、当然ヤクモの手首には緩い。


 「ここを引っ張るとよいのだ!」

 「こお?」


 ユーシンに教えられて、水晶玉から伸びた紐を引く。輪は縮まり、ヤクモの手首にひたりとくっつく。腕を上げ下げしても飛んでいく様子はなく、ちょうどいい感じだ。


 「あとは、小さい方の水晶玉を大きい方につくように引っ張ればよい!」

 「あー、そうやって止めるんだ。なるほどねえ~」

 「なくすなよ。お前ひとりより高いからな」

 「なくさないよう!って、あれ…?クロム今、どっちで喋った?」


 いつもどおりに食って掛かってから、ヤクモは首をひねった。

 その顔に、クロムが意地の悪い笑みを向ける。


 「さぁな」

 「意地悪してどうする…ヤクモ、俺がなんて言ってるかわかるか?」

 「うん…でも、タタル語、だよね?うわぁ変な感じ!わかんないのにわかる!」


 『言語理解』って、慣れるまで気持ち悪いんだよなあ。勝手に頭の中で訳されているみたいで。

 ただ、この先ヤクモに毎回通訳していたら、本人も気を使うだろうし、言葉がわからないせいで伝達が遅れて、取り返しがつかないことのなったら目も当てられない。

 そこまで見越してウー老師に持たせてくれたなら、やっぱり兄貴にはかなわないなあ。

 ただ単に、不便だろうからって持たせた可能性も否定はできないけど。助かったのは事実だ。ありがとう、兄貴。


 「老師、いろいろ運んでくれてありがとう」

 「ぬふふ…褒美は今の感謝を星竜君に伝えていただくだけでよろしゅうござる。千人長候補の賄賂など塵芥と思えるほどの褒美が我が懐にっ…!」


 ウー老師へのお礼は金品よりも兄貴の手作り菓子の方がいいみたいだよって言っておこう。うん。

 

 「んでさ、ファン。なんで急にぼそぼそってその板に声かけたの?」

 「あ、そうだった。んー、誰もいないのかなあ?」


 『御前に控えておりまする』


 「うわったっった!あっぶねえ!!!」


 突然帰ってきた声に驚いて、思わず取り落としそうになった軍牌を慌てて掴んで一安心。

 俺が立って手に持っている高さから落としたら普通に割れる…よな。危ない危ない…。


 『ナランハル!如何され申した!』


 軍牌からは再び声がする。


 「だ、大丈夫だ。ミク。ちょっと、驚いただけ」

 『…如何なる不心得者がナランハルの心胆を騒がせたのですか…?』

 「お前だよって言ったら面倒くせぇんだろうな…」


 ぽそりとクロムが呟く。

 うん。自決するとかそういう騒ぎになるからやめとこうぜ。


 「ええっと、その板から声してる?」

 「うん。あっちにも同じ軍牌があってな。今、向こうの空間とこっちの空間は繋がっているんだ。声くらいなら互いに届く」


 五代の御代から実用化された魔導具で、全軍が持っているわけじゃなく、王家の親衛隊と十二狗将にだけ下賜される貴重品だ。

 

 「ミク。久しぶりだ。変わりはないか?」

 『はい。ナランハルこそ、御身体にご不調はございませぬか?』


 太く低い声は、微かに震えている。

 時々、息を吸い込むというか、洟をすする音がしているんで、もしかして風邪とか引いてるんじゃ?


 「ミク、ほんとに大丈夫か?無理してない?」

 『無理など…!今すぐにでも単騎にて敵軍を蹴散らせるほどに!総身に力が満ちております!!』

 『だいじょーぶでーすよー、若~。ちょっと義兄上、感激してぇ、泣いちゃってるだーけでーすよー』

 「あ、シギクトか!」

 『あーい。シギクトでーす。書記官ビチグチとして従軍してまーす』


 明るい声に反論はない。ああ、ほんとに泣いてるんだなあ。

 ヤルト家の皆さんって、感情表現がものすっごくストレートだからな。涙もろいし、笑いのツボが決まるとしばらく立ち上がれないくらいだし。

 

 「ファン、どういう人?」

 「シギクトはミクの奥さんの弟で、書記官だよ。ウー老師みたいに参謀としてというより、軍の経営や交渉を担う人」


 軍は将軍だけですべて動かせるわけじゃない。千人長が率いるような大規模な軍隊なら、必ず書記官が同行する。

 千人規模なら、シギクトに同行する文官や医官は全部で十人くらいかな。

 

 『それでですねえ。若。ちょっとー、お耳に入れたいことがー』

 「…すまない、シギクト。先にこっちから出陣の命を出したいんだけど…いいかな」

 『無論にござります』


 シギクトの返答より先に、ミクの太く震えていない声が突き出される。


 『いざ、出陣の一声を!』

 『あー、もーしかしてー、なーんですけどぉ。聖王国のこまったチャン討伐でーすかぁー?』

 「左様左様。こちらは無事、若君にお会いできたのでな」

 『あー、すけ…失礼、ウー老師だー』

 「ちょっと待たれ?おぬし、いま、なんと言い掛けた?」


 間違いなく、助平…だろうなあ。けど、ここで引っ張っている場合じゃない。

 

 ごくり、と唾を飲み込む。

 助けろ、と命じることは、同時に命を懸けろと命じることだ。

 敵がどれほど弱くても、ほんの一瞬の不幸が戦では死を呼び込む。

 俺が命じたことで、ミクが…その兵たちが死ぬことは、当然にある。

 

 それでも。


 「そうだ。合流して、男爵軍を叩く」


 俺はやっぱり、自国の村に火を放ったなんて奴を、許せない。


 「大将は俺が務める。灰色の丘陵はアスランの地でもある。その民を害するものに相応しき処罰は何か。

 一戦し、叩きのめす以外ないだろう」


 正確には、クローヴィン地方は完全にアステリア聖王国領だけど。

 完全に内政干渉にあたることも理解している。

 けどさ。

 助ける手段も力もあって、それでも助けないよりは、助けてからその辺を悩んだ方が良いって思うんだ。

 俺が頭下げて済むなら土下座でもするし、賠償金払えって言うなら払う。

 

 『御意!』


 ミクの声が、空気を震わせた。

 それに続いてシギクトの、のほほんした声が伝わる。


 『まー、大丈夫でーすよー。そこのすけ…失礼、ウー老師が、あちらから救援をー、もとめてきたってぇ、体裁つくってまーすからー』

 「だから、そのすけっちゅうのは…」

 『こっちはあ、同盟国に頼まれたから兵だしてやったんですーけーどー?ってぇ、言っとけば良い案件でーす。

 だいたいー、義兄上ったら~、もう出陣する気でしたしぃ』

 「ああ、救援を求められて動く気だったのか。さすがだな。ミク」

 『あー、義兄上、涙が噴き出てるぅ~。鼻水はさすがにたらさないでぇくださーいよー?

 それでぇ、若ー。合流地点はーどーこに?』

 「クローヴィン神殿の近くはさすがに避けたいな」


 あまりにもアステリア領すぎるし、敵本陣もその辺だろう。かと言って、一旦アスランに入ってクリエンを目指すんじゃ時間がかかりすぎる。


 『じゃあー、今、救援要請が来ているー、村の側でどーでしょー?

 クローヴィン神殿から見てぇ、北東になりまーす。

 先に先遣隊アルギン送っとくんでえ、常時狼煙あげときますねえー』

 「敵に発見される危険は?」 

 『先遣隊はー、もう即出立させますー。今夜には布陣しますねー。それーに、斥候隊五十騎をー、だしてまーす。そっちはー、もぅ到着ーしてるーかな?』


 なら逆に、発見させてやってきた部隊を叩いておけば、神殿を包囲する兵が減るな。


 「了解。こっちは…クローヴィン神殿から見て北東なら、王都から見ると東か…やや東南くらいか?」

 「我々があの御仁を保護した後、傭兵姉弟には東を目指せと言いつけましたので、やや東南でございますな」

 「その地点から東へ向かえばいいのかな?」

 「馬車が揺れるのでできれば道を進んでいただきとう御座いまするが」

 『あー。若ー。めんどくさいんでえー、やっぱりぃ、こっちから迎えに行きますねえ』


 そんな俺たちの会話が聞こえたのか、シギクトが突然方針を変えた。

 めんどくさいと言い切るのはどうかと思うけれど…

 東へ道をそれる地点は、王都からそこまで離れているわけじゃないみたいだ。さすがに騎馬兵を進めるのは問題がある。どうするつもりだろう…。

 べーつにぃ、気にしないでいーんじゃないでーすかー?と言い出したら、さすがに断ろう。ウルガさんにこれ以上心労を重ねさせるわけにはいかない。

 そう思ったんだけど、クロムが軽く挙手して口を開いた。


 「迎えを呼ぶのは俺も賛成だ。万が一、クソ共とかち合ったときに厄介だからな」


 まあ、確かに。

 もし、進軍中の男爵軍と遭遇したら。

 完全に先手を取れたとしても、向こうがそれなりの数を揃えていれば斃しきるのは難しい。斥候の小隊くらいならなんとかなるけど。


 最大で二百とウルガさんは読んでいた。

 二百かあ。そのうちの半分でも厳しいな。

 向こうが歩兵だけなら逃げ切れるけれど、怒り狂って俺たちを探した挙句、通りすがりの旅人や、周辺の村を襲う可能性もある。


 戦闘になるなら、きっちりと仕留めるべきだ。

 もうすでに、敵は村を一つ焼いている。

 そうした行為に抵抗のない匪軍であれば、此方が勝ったとしても逃亡兵も出すのは駄目だ。

 逃がせばただの賊に変わる。


 俺が甘かったせいで、無関係の人が命を奪われるような失敗は…もう、許されない。

 

 『若ー、道をそれるまで進むのは、いつくらいでーすかねー?』

 「ええっと、明日開門と同時に出立するとして…どのくらいになりそう?」

 「あの御仁を拾ったのは夕暮れに近い時間にございます。それから近くの町で手当てをしつつ宿泊し、夜明けとともに馬車を走らせ申した。傭兵姉弟は拾ってすぐに向かわせましたがな」

 「それなら…明後日の昼前には着くかな」

 『結構時間かかーりますねえー。そしたらー、若ー。

 明日ー、中天になったらあー適当にぃ、人がいないとこでー、狼煙あげてくーださーい。あげたーらー東へ移動してー、また狼煙をー』


 ああ、なるほど。迎えに来るってそういう事か。

 ウー老師もおそらく手段を察したんだろう。顔がものすごくクシャっとなっている。


 「シギクト。防寒具と、救助用の命綱は必ず用意してくれ」

 『御意御意ー』

 「ミクにもよろしく伝えてくれ。じゃあ、通信を切るな。何かあったら、そっちからも送ってくれて良い」

 『かしこまりー』


 金鴉に指を置くと、陣が停止した。

 クロムがドアから身を起こし、やるせない顔でこちらを見ている。夕飯が怒っても喚いても肉がないときみたいな顔だ。


 「…仕方がない…まあ、それが一番、速いからな」

 「問題は、馬と馬車をどうすっかだなあ…」

 「末将に同行しておる馭者に任せればよろしいかと」


 ウー老師の顔も暗い。髭もなんだかしおしおしている。


 「え…なんなの?怖いんだけど…」


 二人の様子に、ヤクモが顔をひきつらせる。

 その顔を、じっとクロムが無表情で見据えた。


 「ええ…なんなの…なんでぼくのことじっと見るの?」

 「お前、明日の朝飯はあまり食うなよ」

 「な、なんで?」


 無表情のまま、クロムは首を振った。


 「俺も、食わんから」

 

*** 


 「じゃあ、とりあえず宿に戻って荷物をまとめよう。無駄だと思うけど、一応、返金交渉をしてみるか…」

 「無駄だと思うならやめとけ。あのおっさんが素直に返すとは思えん」

 「そーだねぃ。最後には返してくれそうだけど、それまでにいやーな絵面を見そうだよねぃ」


 うん。俺もおっさんに上目遣いで涙ぐまれながら、「そんなの…気にしてなんてないからっ」とか言われたくない。

 けれど小銀貨25枚六日分は勿体ない…言うだけ言ってみよう。


 「そんなことより、腹が減った!飯を食いたい!」

 「ああ、もう昼過ぎだもんなあ」


 ユーシンのご不満もごもっとも。ギルドまで戻って食べるんじゃもっと遅くなるし、大通りで適当な店に入るか。

 

 「まあ、それでしたら、是非大神殿でお食べになってください!」


 いつの間にか真横にいたジョーンズ司祭が、ぱん、と手を打つ。


 「…五十路、近い」

 「ね?もちろん、お布施はいただきませんわ!」


 お言葉に甘えちゃっていいんだろうか。


 「タバサとマリーアンにはお会いいたしました?他の子たちも会いたがっておりますし、少々時間をいただけたらって、思うのですけれど…」

 「ファン、ごちそうになろうよ」


 ヤクモ…お前がモテないの、たぶんそういうところだぞ?

 けれどまあ、そこまで言われて断るのは角が立つ。急いで帰ったって、明日の朝までは何もできないし。

 それに、ちょっと時間をかけてからギルドへ行けば、もう俺たち宛の依頼が来ているかもしれない。それなら、また夕方に依頼を受けに行かなくてもいいだろう。


 「では、すいません。ご馳走になります」

 「はい!」


 ジョーンズ司祭はとても嬉しそうに笑った。ついでに俺の手をぎゅっと握る。


 「おい!握るな!さするな!」

 「さすってなどおりませんよ?」


 うーんと、親指が高速で動いているのは、ギリギリ擦っているになりそうだけど…


 「…え、えっと、ウー老師。待ち合わせは明日の夜明け前に大神殿の厩舎でいいかな?」

 「ようござるが、東門まで馬を曳いてゆきまするぞ?馭者が」

 「俺が馴らしちゃったからなあ」

 「何、馭者もアスランの民。問題はのう御座る」


 それなら、そっちも甘えちゃうかな。神殿に寄るならかなり早起きしなきゃならないから、東門に直接集合ならありがたい。


 「じゃあ、馭者さんによろしくお願いしますと伝えて」

 「御意に。末将は食い気より眠気が勝りますので、休んでおりまするな」

 「うん。腰、養生してな」

 恭しくウー老師はお辞儀をし、「ぴきゃッ」と悲鳴を上げた。ああ、言ってるそばから腰に来たか。

 

 「では、こちらへ」


 にこにこしながらジョーンズ司祭がドアを開けて先導してくれる。一応手を離してもらえたけれど、クロムが俺と司祭の間に入って警戒態勢だ。

 悪気とか、クロムが言うような邪な感情はないと思うけどなあ。

 

 ジョーンズ司祭に先導されるまま向かったのは、どうやら応接室のようだ。

 さっき通された、庭の談話室のようなところではなく、ごく普通のテーブルと椅子が置かれ、調度品の類もない。

 それでも殺風景だとか、そういう印象がないのは、さっきの部屋と同じように大きな窓から秋の陽光が差し込んでいるからだろう。

 少々曇った硝子越しに、秋薔薇が咲いているのが見える。

 

 「おかけになって」


 テーブルは大きく、俺たち四人がそれぞれ椅子に座ってもまだ余裕がある。壁際にはもう六脚、椅子が重ねられていた。


 「椅子、出しときましょうか?」

 「もう、お客様なのですから…」

 「ご飯いただくんですから、それくらいさせてください。女性に目の前で力仕事される男の尻座りの悪さって、けっこうなもんなんですよ?」


 少し怒ったように言うと、ジョーンズ司祭は「まあ怖い」と笑ってくれた。


 「…ふふ、そうですわね。では、お願いします」

 「じゃあ、空いたとこに入れてきますねぃ」


 率先してヤクモが椅子を運び出し、ユーシンもそろそろとそれに倣う。ぶっ壊さないように慎重になっているのは良いことだ。

 で、クロムは何で、腕組してそれ見てる係なの?


 「もし、不審者がお前に襲い掛かってもすぐに斬れるようにだが?」

 「いねーっての…」


 まあ、クロムを怒って椅子運びをやらせるより、さっさと俺が運んだ方が早い。

 こういうの、本当はちゃんと怒らなきゃなんだろうけどなあ。


 「では、私は厨房に声をかけてきますね。おかけになってお待ちくださいませ」

 「はい」


 椅子を並べ終わったテーブルに、左右別れて着席する。横一列にずらりと並ぶのもおかしいしね。

 

 「なあ、ファン。この流れ、何か関係あると思うか?」


 俺の正面に座るクロムが、ぽつりと呟く。


 「…難しいな」


 クロムが言っている事、たぶん、俺が考えていることで間違いないと思うんだけど。


 「奴が、干渉するには二つの対象があると思うんだ」

 「え?何の話?」

 「寝ててよいか!」

 「一応起きといてくれ…抵抗虚しく寝たらそりゃ仕方ないとあきらめるから。

 …ギメル男爵だっけ。そいつが黄昏の君に見込まれてないかって話だよ」


 ヤクモと、さすがにユーシンにも、さっと緊張が走る。


 黄昏の君。万魔王。世界を憎み、月の向こうから覗くもの。

 哀れな少年少女を誑かし連続殺人犯に仕立て上げ、敬虔な女神の使徒を魔獣じみたモノに変容させた神。


 「奴が今まで仕掛けたことを考えると、おそらくだけど…用途が二つある。

 ひとつは、ただの戯れ。暇つぶし。反吐が出るような話だけどな。

 もうひとつは、そうすることによって世界が滅ぶ可能性が生まれる仕掛けだ」


 事例は…確実なのは二件。そうではないか、と思われるものが一件。

 正直にいえば、十分な資料とは言えない。

 けれど、資料が少ないからって考えることも放棄していたら学者失格だ。

 だいたい、百件も二百件もあったらそれはそれで大問題だし。


 「今回、この凶行の果てに何が起こるかって言ったら…特に何も起こらない。

 暇つぶしにしちゃ、短絡的すぎる」

 「お前が巻き込まれることで、アスランが報復に乗り出す可能性はあるぞ」

 「黄昏の君のやり口は…たぶん、そんな偶然を好まないと思う」


 たまたま、アスランの王子がこの一件にかかわって命を落とし、それによってアスランの西方侵攻が始まる…なんていう「偶然」に頼るのは、奴のやり方じゃない。


 「言うなら、盤上遊戯をしてるとしてさ。相手の拙手頼りにするようなもんだ。

 素人相手に搦め手尽くして追い込むような真似を好む輩が、相手がまともに打てれば負けるような勝負をするとは思えない」


 俺が関わらず、アスラン軍を動かせなかったとしても。聖王軍が思うように出陣できず、時間を与えてしまったとしても。

 近隣領主が討伐兵を出せば終わる話だ。

 敵は寡兵で精兵でもない。誰が見ても悪であり、正義の戦いを圧倒的に有利な立場で仕掛けられる。

 そんな状況なら救援を求められなくても、出兵する貴族は多いしな。

 下種な考えをするなら、聖王家の姫君たちはまだ許嫁もいない。

 武勲を立て、民衆から喝采を浴び、神殿に貸しを作るのは…花婿選びに大いに有利になる。


 人が動くのは義と利だ。

 それを責める気はない。それで何が為されるか、が大事なんだし。

 

 もし、ギメル男爵が本当に「クローヴィン神殿は薬物に汚染され、罪のない人々が犠牲になっている!」と思い込んで攻めてきたのであれば、それは彼にとって正義だろう。

 そして、そのギメル男爵を討つことで名声を上げて花婿に選ばれる確率を上げたい!と舌なめずりする輩がいたとして、そいつが男爵を討伐し、神殿や村を救えば、それはそれで正義の行いだ。

 

 まあ、聖王国の姫君たちはナナイの妹で、会ったことはないけれど妹分って思ってしまうから…できればそういう打算的な奴じゃなくて、もっと良い人と結婚してほしいけれど。

 王族の婚姻は政治だ。だけどさ、幸せになれるならそれが何よりなんだし。 

 あんまりアレな奴なら、バルト陛下が認めないとは思うけどな。

 

 そう考えると、こっちでこの件、完全に解決しちゃうのが一番いいのかなあ?

 とか言って、俺たちが失敗したら目も当てられない。その可能性は低いとは言え、思慮の外に放り出すのは完全に勝利を収めてからだ。


 「もちろん、完全に否定して油断するってことはないようにしよう」

 「当然だ」


 偉そうに頷くクロム。その顔を見ながら、ヤクモが眉間に皺を寄せた。


 「っていうかさ、ファン。あいて、いっぱいいるんでしょ?普通に…大変だよねぃ」

 「多く見て二百ってのは当たってると思うけど…」

 「二百人も、敵がいるんでしょ?あのさ…ぼくたち、何したらいいのかな。どやったら、神殿の人や、村の人、助けられるかな」


 問うと言うより独り言を呟いて下を向いたヤクモを、たぶん俺たちは不思議そうな顔で見ていたと思う。

 視線を上げたヤクモが、同じ顔をした。


 「え?なに?ぼく、なんか変なこと言った?」

 「お前なあ…」


 大袈裟に溜息を吐きつつ、クロムが肩を竦める。その思いっきり馬鹿にした動作に、ヤクモの眉間の皺が顎の下に移動する。

 そんなに口を尖らせてると、くちばしが生えてくるぞ、と言われそうな顔だ。


 「たかだが二百だろ?紅鴉親衛隊と合流すりゃ何の問題もねぇよ」

 「たかだかって…」

 「さっきも言ったろ。雑魚が頭の、寄せ集め二百と親衛隊ケシクじゃ、戦にもならん。踏み潰して終わりだ」

 「親衛隊は、アスラン軍の中でも精鋭を集めて作られるからな!」


 クロムとユーシンの説明にも、ヤクモの不安は晴れないようだ。


 「そりゃ、数が多い方が有利だろうし、アスランのひとなんだからつよそーだけどさ。

 実際、何人これるかわかんないんでしょ?」

 「ん?」


 再び三人そろって「?」と顔全体に浮かべる。


 「だって、お留守にするわけにはいかないんじゃないの?アステリアだって、たまーに軍隊が出動するけど、ちょっとだけじゃん」

 「ああ、そっか。ヤクモにとって、軍ってそう運用するものってことか」


 軍備に乏しいアステリアはもちろん、ヤクモの生まれ故郷であるシラミネ王国にも、話を聞く限り大規模な常備軍は存在しない。


 常備軍は、職業軍人によって構成される主力部隊だ。

 当然、常備軍を全軍出撃させて、傭兵や徴兵した兵のみで本拠地を守るなんて言うことはしない。

 傭兵でも、クトラ傭兵団のように、決して雇い主を裏切らず、敗北したときは最後まで運命を共にする、という人たちもいる。

 けど、大多数の傭兵は金で動き、金よりも自分の命を優先する。それは当たり前のことだ。

 だから、劣勢に弱い。これはもうダメかも知れんね、と思えばさっさと逃げ出すし、降伏もする。

 常備軍は程度の差はあれ、傭兵よりかは持ちこたえるだろう。降伏しても許されない可能性も高いわけだし。

 そうなると必然的に、常備軍は出撃部隊と防衛部隊に分かれることになる。

 基本は、防衛の方に常備軍を多く割く。

 いくら出撃して敵を追い散らしました!と言っても、本拠地の塞や街を落とされていたら負けなのだから、当然だ。


 けれど、クリエンは塞とか街とか、「その土地を守る」もんじゃない。

 どこにでも行けるし、どこにでも設営できる。

 言うなら、本拠地が攻撃部隊にくっついていくのだから、わざわざ部隊を分ける必要はない。


 「先に斥候を送って、そのあと先遣隊を送るけれど、最終的に出撃するのは千人だよ」

 「え?」

 「クリエンって言うのは、そういうもんなんだ。遊牧しているんだから、そのまま移動するんだよ。後に残るのは、馬糞くらいだな」


 馬糞は燃料にならないからな。


 「えええ?だって、遊牧って言うんだし、羊とかいるんでしょ?」

 「うん。だから家畜も全部。さすがに砂漠とかには連れていけないけれど、クローヴィン地方なら余裕でいけるよ」


 規模の大きいクリエンになると兵の家族も一緒に住むし、途中で結婚して家族になっちゃう人もいるし、郷里の両親兄弟を呼びよせるものもいる。

 遠征するなら、そのまま家族と家畜ごと移動する。

 実際、俺が生まれ育ったのは、そうした大規模なクリエンの一つだ。

 当時は一太子オドンナルガだった親父のクリエンは、一万人以上の規模で行宮オルドを有する大遊牧陣地だった。

 親父はクリエンを設けた後は遠征したことはないけれど、20年前のアステリア内乱の時には、サライ周辺から渡河しやすい位置に移動たらしい。

 ああ、ちょうどクローヴィン地方のやや南だな。


 「なんで、相手の戦力、兵数ははっきり言えないけれど、こっちの兵数は千、と断言できる。

 まあ、シギクトみたいな文官たちは戦わないから、九百七十くらいかな?実際には」


 それでも、数の優位はひっくり返らない。


 「ウー老師が気に掛けるくらいには、ギメル男爵っていう輩は目を引く相手なんだろうけど、あの口振りからだと…有能だから注意しておくって感じじゃなかった。

 戦力差をひっくり返すような相手なら、ウー老師がもっと真剣になる」

 「えっと…じゃあ、村の人とか、神殿の人は、だいじょうぶなの?助かる?」

 「絶対とは…言えないけどな。こっちが駆け付ける前に神殿が落ちないとは限らない」

 

 籠城戦は、どれだけ心が折れないか、の戦いだ。

 相手が最悪な手段…村人を門の前で開けなければ殺すと脅せば。

 軍人でもなんでもない、むしろ慈悲と愛を説く女神の使徒が耐えきれる可能性は…低い。

 相手がさすがにそこまで腐ってはいないと信じたいけれど。

 もしやるならとっくに実行しているだろうし、それならすでに、神殿が落ちていてもおかしくはない。

 

 「合流したら、神殿の状態を確認したい。なんで、ちょっと行ってみようかなって思うんだけどさ」


 クロムを見ると、目を閉じて腕を組み、何かに耐えているような顔をしている。

 うん…別に、無理しなくていいんだけど。

 俺だけで行ってくるって言ったら、怒るだろうしなあ。


 「…お前の言うことは、もっともだ。そうするべき、だろうな」

 「その…無理はしなくても…」

 「俺はお前の守護者スレンだぞ」


 目を半分開け、じろりとクロムが睨む。


 「うーん…じゃあ、クロム、前と後ろどっちにする?」

 「…前で。お前に反吐ぶちまけるわけにはいかん」

 「ねぇ…さっきからさ…なんなの?なにをしようとしてるの?」


 怯えた声と顔で、ヤクモが問う。

 先に言っといた方がいいかなあ。多少は心構えもできるし。


 「言わん。その時が来るまで怯えてろ」


 けれどクロムが、きっぱりと断る。そんな意地悪しなくても…


 「お待たせいたしました!」


 説明するかと口を開きかけた時、明るい声に先手を取られた。

 その声と共になだれ込んできたのは、満面の笑みを浮かべたアニスさん。


 「あらー、相変わらず素敵ね!」


 その後ろから登場したのは、アニスさんと同じく大神官のシャーリーさんだ。


 「お久しぶりです」


 立ち上がって挨拶すると、二人からきゃあと華やいだ声が上がる。

 でも、アニスさん、今朝会ったばかりですよね?そこまで盛り上がる事?


 「もうあれから一月もたっちゃったのねえ!アニスが少し痩せるはずだわ!」

 「え?わたくし痩せました?まあまあ、嬉しい!」

 「…先生、先に進んでください。つかえてますから」


 その声に、二人はぴょんと前に進んだ。

 二人がどいたことで見えたドアの先に、ロットさんがこれ以上ないくらい苦笑している。


 「さあ、皆、入って」

 「はい!」


 続いて聞こえた女の子の声に、ヤクモの背筋がピンと伸びた。


 「失礼しますっ!」


 とことこと入ってくるのは、バスケットを持った五人の少女。

 朝、アニスさんと『賄賂』を持ってきてくれたタバサさんとマリーアンさんの他に、もう三人。

 全員、聖女候補だった少女たちだ。


 「タバサとマリーアンは自己紹介してましてよ」

 「村じゃ、できなかったもんねえ。ほら、みんなもしましょ!」


 少女たちは顔を見合わせ、ちょっとはにかんで笑いながらもじもじしている。誰が最初にするのか、譲り合っているみたいだ。

 なかなか微笑ましい光景だ。思わずこっちまで口許が緩みそう。

 なかなか踏ん切りがつかない様子にクロムが苛々しだしたのを感じる。本当に短気だなあ。

 とりあえずこっちから自己紹介しちゃうか。


 「それじゃ、こっちから名乗ろうか。

 俺は、ファン。このパーティのリーダーです。

 で、こっちがクロム。不愛想だけど、怒ってるとかそういうんじゃないから安心してね」


 クロムの不愛想は、マルダレス山で経験済みだから大丈夫だとは思うけれど。

 絶対名乗らないだろうから、ついでに紹介した事はあまりお気に召さなかったようで、イライラ続行中だ。


 「俺はユーシンだ!」


 続いてユーシンが、これ以上なく簡潔に名乗る。目線は彼女たちが持っているバスケット。すでにいい匂いが漂ってきている。


 「ぼくは、ヤクモです!えっと、うんと…カノジョいません!」

 「誰が見たってわかる事大声で宣伝してんじゃねぇよ…が」


 さすがに小声で呟かれた言葉…特に後半は、彼女たちに届かなかったと信じたい。

 いつもなら食って掛かるヤクモだが、おとなしくクロムに向かって「べっ!」と舌を出すだけで終わらせた。その様子に、少女たちがくすくすと笑う。


 つんつん、とタバサさんが隣に立つ少女をつついて、促した。場が緩んだせいか、こくりと少女は頷き、一歩前に出る。


 「あたし、コニーって言います!シャーリーせんせの弟子になりました!」


 頬を真っ赤に染めて一気に言い切り、コニーさんは隣の少女の肩を叩く。きゅっともう一人の少女の手を握り、真ん中の子が口を開いた。


 「わ、私、モリーって言います!シャーリー先生の、弟子になりました!」

 「ミミです!私もです!」


 全員の自己紹介が終わると、少女たちは一塊になってきゃわきゃわと声を上げている。ほんと、微笑ましいなあ。


 「おい、孫見ている祖父さんみたいな顔になってるぞ。いくらなんでもまだ早いだろ…」

 「え?そんな顔してたか?」

 「うん…洗濯屋さんのさ、赤ちゃん見てる時のお爺ちゃんと同じ顔だったよ」


 いやだって、可愛いし…。


 「時々お前の今後を考えると不安になる。本番なしの店にでも連れてって、使わせた方が良いのかもしれんな…」

 「…だから、夜の話題を昼にするなっ!」

 「その話、詳しく」

 「乗り込んでくるな五十路!」


 いつの間にかテーブルの端に手を置いたジョーンズ司祭が真顔で加わっていた。

 ものすごく、ほっといてください…。


 「まあ、何のお話?」

 「さっきからいい匂いしてますね!お昼ご飯ですかあ!?」


 ちょっと強引だけれど、誤魔化せたと信じよう。

 実際アニスさんはにっこにこ顔で頷いた。


 「ええ!お口に合うと良いのだけれど!さあ、みんな!」

 「はい!」


 頬を赤くしたまま、少女たちはバスケットをテーブルに置き、中からいろいろなものを取り出した。

 皿に小さなリンゴ、マグカップ。それからいい匂いを発散しているパイ。匂いからして、ミートパイだ。


 「お酒じゃなくて申し訳ないんですが」


 マグカップに、ロットさんが瓶からお茶を注いでくれる。色合いからして、ミルクティーだろう。たぶんこれは、塩味が付いていないほうだな。


 「すいません、お待たせしました!」

 「あ、ウィルだー!」


 ヤクモが立ち上がり、手を振った。

 ポテトフライがこんもりと盛られたお皿を両手に持ったウィルさんが、手を振る代わりに笑顔で瞬きを繰り返して応える。


 「あ、椅子足りないかな?」

 「ごめんなさいねぇ、私たちはここでご一緒できないのよ」

 「え…そなの…?」


 あきらかにヤクモがトーンダウンする。うん、そういうのがきっと、お前のモテ期を延期してるんじゃないかな?


 「私も、可愛い弟子たちに素敵な殿方との時間を作ってあげたいんだけどねぇ。この子たちだけ、昼食前の御祈りやなんかを免除するわけにはいかなくて」

 「せんせいっ!」


 さらに顔を赤くする弟子たちに、シャーリーさんは揶揄うような、けれどとても優しい顔を向けた。


 「そんなわけで、ロットと打ち合わせしながら食べててもらえますかしら?」

 「ウィルは~?」

 「ウィルは私の弟子として、打ち合わせに加わってもらいます。今回の旅、けっこう彼に仕事を割り振っているんですよ。頑張ってくれてます」


 ロットさんの弟子自慢に、ウィルさんは少女たちに負けず劣らず顔を赤くした。


 「では、ごゆっくり!」


 アニスさんとシャーリーさんが笑顔で手を振ってドアに向かい、少女たちは慌ててその後を追う。

 出ていく前にこっちを見て、タバサさんがぺこりと一礼すると、残る四人も糸で引っ張られたように頭を下げ、顔を見合わせ、きゃーっと笑った。


 「おい、祖父ちゃん。その顔やめろって」

 「いいじゃないか。和むもんは和む」

 「で、さきほどのお話ですけれど…」

 「お前は出ていかんのか、五十路」

 「ジョーンズ司祭は、この一件を大司祭から任させれてますから…」


 ふう、とロットさんが溜息を吐きながら、椅子に腰を下ろした。その隣にウィルさんも着席する。

 彼が持っていたポテトフライの山は、中央にどんと置かれた。


 「食っていいか!」


 ミートパイは、俺の掌ほどのものが一人二つずつ。ぷっくりと膨れ上がり、中がみっしり詰まっていそうな重みがある。


 「とりあえず、ユーシンが野生に戻る前に食おう」

 「イダムよ、ターラよ!照覧あれ!」


 言うが早いか、ユーシンはミートパイにかぶりついた。


 「俺たちもいただこうか」

 「うん!いっただきまーす!」

 

 手に持てないほど熱くはなく、かといって冷め切ってもいない。

 外の冷たい空気の中で食べるなら、もうちょっとあったかい方が嬉しいだろう。でも、隙間風もない日の差し込む室内なら十分だ。

 朝に貰ったパンのパイ版だけれど、パイ生地に大量のバターが使われているせいか、こっちの方が腹にずしんと来る。もちろん、とても美味い。

 ジャガイモを乱切りにして油で揚げただけのフライも、塩とハーブの配分が絶妙だ。ジャガイモ自体があっさりした味なんで、重めのミートパイによく合う。

 瞬く間に一つ平らげ、さすがにがっつきすぎたかと反省して、お茶を口に運んだ。

 

 「すみません、質素な食事で」

 「いえ、十分ですよ。美味いし」


 そう言いながら視線を、うちの連中に向ける。

 まさに貪る、という様子でパイを消滅させている三人を見れば、言いたいことはわかってくれるだろう。


 「それで、さっそくで申し訳ないんですが…クローヴィン神殿に、向かわれるのですよね?」


 ロットさんの声に、やや硬いものが混じる。襲撃されたことを知ってるみたいだ。

 でも、その弟子のウィルさんは少し驚いた顔で、新しい師を見つめていた。何も聞いてないのかな。


 「え…ファンさんたちは、一緒に行くんじゃないんですか?」

 「ウィル。現在、クローヴィン神殿は賊軍に包囲されている。大司祭が救援を求めに王宮へ向かった」


 ひゅ、と息をのんで、ウィルさんは俺とロットさんを交互に見つめる。みるみる顔色が青褪めていくのが分かった。


 「そんな…そんなの、危ないですよね!?」

 「俺たちは冒険者ですから。危ないことをするのが仕事だし」

 「でも…でも、もし、ファンさんに何かあったら…」

 「俺がいるんだ。何かあるわけないだろ」


 パイを食い終わったクロムが言い放つ。イライラは収まったらしい。お腹空いてて余計苛ついてたのか。


 「救援が来ることを知らせに行くだけですから。大丈夫ですよ」


 俺がとろうとしている手段なら、向こうによっぽどの弓の名手か、魔導士がいなければ、文字通り手も足も出ないはず。

 まだウィルさんは青褪めていたけれど、とりあえず頷いてくれた。


 「こちらは明日の朝出立します。どうしましょう?ラバーナで待ち合わせしますか?」


 だから、確認すべきはこちらだ。俺たちの元々引き受けた依頼は、アスランまでの護衛だからな。

 アステリア側の国境の街の名を上げると、ロットさんは少し考えこんだ。


 「ラバーナでもいいんですが、ちょっとあそこは人が多すぎますからね…」

 「そうでしたっけ?すいません、子供のころに行ったきりで、こっちに来るときはアーナプルナ山脈沿いに移動してきましたから…」


 途中でユーシン拾ったりしつつやってきた行程を思い出す。

 あれからもう、一年以上過ぎてるんだよなあ。


 「ラバーナの手前に、ウルズベリという町があります。小さな町ですが、アスター神殿もあり、冒険者ギルドの支部もある町です。そこにしませんか?

 クローヴィン神殿から南へ、街道沿いに向かうと到達しますし」

 「ああ、それならいいですね」


 街道沿いなら迷うことはないし、冒険者ギルドがあるならどっちが先についても、そこに言伝を残しておけばいいし。


 「では、そうしましょう」


 とんとん拍子に話は進んで、あとは食事の続き。とはいっても、クロムたちのミートパイはすでに消滅し、リンゴをシャリシャリと齧っている。

 さすがに俺も腹が減ったし、いただいたご馳走を分けちゃうのは失礼だ。


 そんなわけで、そんなにじっとり見られてもやらんから!

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