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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)2

 天は高く晴れ渡り、吹き抜ける風は暴力的に冷たく、痛い。

 疑いようもなく短い秋は過ぎ去さって、長々と居座る冬がアスランにやってきたのだなあと思い、頷く。

 けど、冬がなかなか来ない年は、とんでもない寒波ゾドが襲ってきたり、魔獣が冬眠せずに暴れたりするから、ちゃんと季節が巡るのは良いことだ。

 

 まあそんなわけで、冬の朝…それも、遮るもののない建物の屋上は、生粋のアスラン人である俺ですら「寒いなあ…」と両腕をこするような気温になっている。

 けれど、寄れるだけ端…瀟洒な彫刻の施された胸壁に寄りかかって歓声を上げるヤクモと神官組…そしてエルディーンさんは、冬将軍の吐息も何のその、らしい。


 皆の視線の先にあるのは、朝日に照らされた大都の威容。

 難攻不落の城壁はもちろん、南門に聳える要塞、十三将、十四将の形もうっすらと判別できる。

 近付けば、朝日が昇ると同時に掲揚される大旗が翻っているのも見えるだろう。

ここからじゃ、なんか出っ張ってんのがあるなあ…程度だけどね。


 なんでまた、朝も早くからこうしているのかと言えば。


 昨日の夜、夕飯を食べているとき、何気なくヤクモが「どのくらい進めば、大都見えるぅ?」と聞いたのが始まりだ。


 大都の城壁はそこまで高くないし、歩いていく道の両脇にはぎっちりと建物が並んでいるんで、「道の先にちらっと見える黒いの」が最初に見る大都、という事になる。

 と言うか、それで良いなら既に見えている。


 そう説明しようかと思ったら、お茶のおかわりを継いでくれたり、空になった皿に肉や米をせっせと追加してくれていた給仕係の人が、にっこりと笑いながら教えてくれた。


 当館の屋上から、見えますよ、と。


 ぜひそれは見てみたい!とヤクモがはしゃぎ、女の子たちが賛成し、クロムが「クソ面倒くせぇ…明日の昼には中に入るんだぞ?」と嫌がったけれど、俺たちは夜明けとともに屋上に出ていた。


 まあ、文句を言ったクロムも、一年ぶりに見る大都の姿に、黙って目を細めている。

 がっつり着込んだ外套の下が実は寝巻のままなのは、我が守護者スレンの名誉の為に言わないでおこう。


 「すぅごい!!おっきいねえ!」

 「こんなに離れているのに…全容が見えないんですね!」

 「あのキラキラしているの、何かなあ?」


 俺が見て答えを言うのは簡単だけれど、ここは黙って想像や予想を働かせてもらおう。

 クロムの言った通り、昼には大都につくのだから、答えはその時見つかるかもしれないし、わからないかもしれない。

 あれかなこれかな、と言いあう楽しみは、仲間で旅をするからこそだ。もうすぐ訪れる旅の終わりに向けて、たくさん堪能してほしいからね。

 

 いつも元気いっぱいなコニーさんや、体調が回復してさらに好奇心マシマシなマリーさんはもとより、物静かなモリーさんにミミさんも、寒さを忘れるほどはしゃいで歓声を上げ、指さし、手を振る。


 いい光景だなあ。さらに、大都自体を好きになってくれたら嬉しい。


 「おい、またおじいちゃんの顔になってるぞ」

 「だから、それなんだよ…」

 「ったく。クソ寒いってのに元気なもんだ。大都が見えただけでそんなにはしゃぐかっつーの…」


 文句を垂れながらも、クロムの視線は大都から離れない。

 一年ぶりだもんなあ。


 あの中に、クロムの家族が住んでいて、クロムの帰りを待っている。

 両親も兄貴も何も言っていなかったから、クロムのご両親に変わりはないんだろう。けど、それは会いたいって気持ちを薄めるわけじゃない。

 

 「いいじゃないか。はしゃいだって。お前だって生まれて初めて大都を見た時、はしゃいだろ?」

 「もう忘れた」


 ぶっきらぼうに言い捨ててはいるが、きっとクロムはその日の事を忘れていない。

 まあ、追求しておくのはやめておこう。それよりも、やるべきことはある。


 「おーい、皆。冷え切るから、そろそろ屋内に戻ろう」


 はしゃいでいようがなんだろうが、寒いものは寒いからね。

 まだ朝食も取ってないから体の熱もそんなに上がっていないのに、容赦のない寒風に吹き晒されるのは身の毒だ。


 ナナイなんか、一言もしゃべらずタバサさんにくっついてるし。


 「そうですね。それにみんな、朝の祈りがまだですよ。お祈りを済ませ、戻りましょう。ファンさんたちはお先に戻っていてください」

 「そうですね。お祈りの邪魔しちゃ悪いし」


 タバサさんからナナイを受け取り、クロムに渡す。

 なお、ユーシンとライデン姉弟は、庭で朝の鍛錬中だ。時折聞こえる気合いの声から察するに、走り込みや素振りじゃなく、組打ちしてるみたいだな。

 レイブラッド卿もその声が聞こえるたびにそわそわしている。混ざりたかったのかな。


 「では、また後で」

 「ええ。さあ、皆。並んで」

 「はーい!」


 ウィルさんと少女たちは良いお返事をして、東に…朝日に向かって整列した。その後ろに、エルディーンさん主従が続く。

 彼女たちも敬虔なアスター女神の信徒だもんな。


 「う~…やっぱり、アスランって寒いね」

 「大丈夫か?熱が出たりは…」

 「してないよ、寒いだけ。過保護だなあ。クロムは」

 「ついこないだまで寝込んでたのは、どこのどなたさんだったか?」

 「だからって、いつでも熱出るわけじゃないからね!」


 膨れてクロムの腕を叩くナナイと、笑いながらやられっぱなしになっているクロムを見ながら、さっきまでのはしゃぎっぷりはどこへやら、ヤクモが顔中を皺にしていた。


 「ぐぎぎ…イチャコラしおって…」

 「あはは…まあまあ」

 

 屋上から降りるための階段に続く扉を開けると、親衛隊騎士が二人立っていた。

 おもいっきり一人はあくびをしていたけど、言いつけてない警護をしてくれていたようだ。


 「おはよーございます。ナランハル」

 「おはようさん。ああ、そうだ。大都着いたら、お前らに頼みたい任務があるんだ。断ってくれて構わないやつな。朝食の時にでも話す」

 「御意っす。他の連中にも伝えておきます」

 「よろしく」


 親衛隊は俺に帰属する騎士なんで、私的な任務を頼むこともできる。

 けど、それが自分たちに相応しくない任務だと判断したら、拒否する権利は当然にある。

 さすがに昆虫採集に駆り出したら、全員に拒否されそうだしな。頼まないけど。


 今回頼みたいのは、俺の本業に関わることではなく神官組の護衛だ。

 サライで暴露されているし、モウスルでも暴れちゃったし、嗅ぎ付けた奴がいないとも限らない。


 そういや、大都での最終目的地の場所聞いてないや。ロットさんも大都は初めてだから、どこの地区のどこだって住所は分かっていても、行き方はわからないよな。

 

 まあ、そのへん含めて朝食後に話そう。

 何せ、朝食が血肉になり、空腹を覚える頃には…もう大都だ。


***


 朝食は、昼食夕食に比べればささやかだった。

 あくまで、昼食夕食に比べれば、だけれど。


 まず、メインとなるのはカーラン風の粥。

 そこに好きに載せられる具材は、油条(あげパン)に青菜、漬物は勿論、あの蕩けるような豚肉の煮込みに、肉そぼろ、蒸し鶏などなど。

 おかずとしては、銀の大皿に腸詰が整列し、その横にはゆで卵が、同じくつややかに並んでいる。

 

 さらに、西方式の…と言われているけれど、アステリアで売っているのを見たことがなかった…、ふわふわと分厚いパンケーキ。

 

 銀の椀にたっぷりとウルム…牛乳を沸かすと表面に張る膜を掬い上げては落とし、一晩寝かせて作る…が盛られ、パンケーキに塗ってもよし、別皿にある実芭蕉や林檎につけてもよし、全盛にして食っても良し、という大盤振る舞い。

 ウルム自体は、遊牧民の食事としてはごくありふれたものだけれど、冬の間は作らないからな。嬉しい。


 さらに大籠に山盛りの揚げ菓子が置かれ、「お好きにどうぞ」状態になっている。

 残ったら、旅のお供にお持ちくださいと支配人さんは言ってくれたけれど、残るだろうか。残らないよなあ。


 質量ともに文句のつけようのない朝食が終わり…旅のお供は、新たに作ってくれるそうだ…穏やかなお茶の時間になった。

 少しこの先の事を話して、それから出発しよう。


 「ロットさん、最終目的地はどの辺にあるんですか?」

 「クードのアスター神殿だと言えば、ファンさんにはわかると大司祭はお仰っていましたが…一応、どこの通りにあるかなども控えてきています」

 「あー!あそこかあ!」

 

 俺の反応に、ロットさんはホッとしたようだった。

 まあ、見ず知らずの場所に行かなきゃいけないんだから、知ってると言われれば安心するよな。

 外観を見て、大都がどれだけ広いかも実感したばっかりだし。


 「あ、そうだ。会いに行く司祭さんって、マックロランさんって言いましたっけ?」

 「ええ。バレルノ大司祭の直弟子で、アステリアとアスラン王国との何がしかの会談が開かれる時には、必ず同席するのだとか…」

 「それをロットさんに引き継いでもらいたいんですねえ」

 「大変に困ります。私は政治にかかわるより、神学を学びたいのですが」

 「その気持ちはよおっく分かりますよ。そっかあ…マーさんって、カーラン人じゃなかったんだなあ」

 

 俺の呟きに、ロットさんだけでなく、ウィルも目を瞬かせた。


 「お知り合い…なのですか?」

 「鈴屋ばあちゃんちの常連なんで。小柄だし、ちょっとカーラン訛りのタタル語だから、カーラン系の人かと思ってました」

 「実は、お会いしたことがないのですよ。その、マックロラン先生は、ファンさんの事を…ご存じなのでしょうか?」

 「知らないと思いますよ」


 たぶん、マーさんは俺の事を「たまに手伝いに来る鈴屋の孫」と認識している。その通りだしな。


 「俺も、常連だってくらいの認識しかないですしね。俺が手伝いしている時に来てくれたら、ちょっと世間話するくらいの仲です」

 「なるほど…」


 なるほど、と言いながらも、ロットさんの顔は「なるほど!」と納得した顔をしていない。

 旅の間ロットさんに聞いた話からすると、マーさんはアスランの高官とつながりを作り、アスランとアステリアが「良い関係」を続けられるように頑張っているみたいだからなあ。

 実は二太子と結構前から世間話する仲でした、なんて言われたら、こんな顔になるのかも。


 むしろ、マーさんには真実を話さない方が良いんじゃなかろうか。

 

 「そりゃ、普通は王子が飯屋で手伝いしねぇからな。世間話する仲ですって言われても、言われた方がどういう顔していいか困るわ」

 「え、そっち?」

 「鈴屋の手伝いは、トールもしているぞ!陛下や后妃もなさっているとも聞いた!」

 「母さんにとっては実家だからなあ」

 「…ますます、どういう顔をしていいか困りますね」


 うーん…そんなもんなんだろうか。

 しかし、俺も知っている王子と言えばユーシンとユーナンくらいだけれど、こいつらが店の手伝いするかと言えばしないな。確かに。

 

 ヤクモやシドが、そのまま王子として成長していたらどうだろうか…そう思いつつ顔を見ると、揃って首を振られた。


 「たぶんやんないよ」

 「俺もそう思う」

 「諦めとけ。そんな王子はお前らくらいだ」

 「別に同意とか、王子あるあるがしたいわけじゃないんだけどな…まあ、いいか。とにかく、神殿の場所は知ってます。安心してください」

 「心強いです。正直に言いますと、大都の規模を見て少し途方に暮れていました。城門からは遠いのですか?」

 「昼前に中へ入って、昼過ぎに着くくらいですね。道の混み具合にもよるけれど」


 大都の端から端まで、歩きなら日の出から日の入りまで足を動かしても、辿り着かない。

 けれど、こっちも徒歩じゃない。一番早い手段は逆に使えないけれど、鈴屋の店じまいには間に合うだろう。うん。


 「ファン。馬を任せてしまっていいなら、先に行って席と料理の準備を頼んでおこうか?」

 「あ、それは良いかも。ありがとう、シド」

 

 鈴屋は人気の食堂だ。昼過ぎでも客は途切れずやってくる。

 大人数だし、先に声をかけておくのは正解だよな。


 「その礼に、と言うわけじゃないんだが、お前とちょっと話がしたい。後で時間を作ってもらえるか?」

 「へ?もちろん構わないけど…」


 なんだろ?


 「あ、そうだ若様。うちらへの任務ってなんスか?」

 

 首を傾げていると、親衛隊騎士から声がかかった。

 ああ、そうだ。こっちも頼まなきゃ。言っといて俺が忘れてどうすんだって話だな。


 「いやさ、ロットさんたちが滞在している間、神殿の警護を頼みたい。ネシェラたちにもなんだけど」


 女官たちを見て声をかけると、三人は揃えたように口許に笑みを浮かべた。


 「むしろ、こちらからお願いしとうございました。大都の三歳馬シュドレン共が首を伸ばしてくるでしょうからね」

 「お手柔らかに、徹底排除で」

 「御意」


 トン、左胸を拳で叩く。

 

 「お馬が見に来るの?アスランって野良馬とかいるの?」

 「野良馬も野良牛も野良駱駝もいるけれど、彼女が言っているのは、二本足で歩きまわる三歳馬だな」

 「う???」

 「アスランじゃ馬は四歳で去勢するか種馬にするか決めるんだよ。そこから、三歳馬って言うのは、親に養われながらフラフラしている男の事」

 「要はろくでなしのクソ虫どもってこった」


 そしてアスランには西方のような、奥ゆかしい男女の距離は一切ない。

 女性もぐいぐい来るけれど、男も「これは!」と思ったら、虻のごとくブンブンとつきまとう。

 生まれも育ちも大都って女性なら、バチンとひっ潰して終わりだ。でも彼女達にそれをやれってのは酷だろう。


 「あそこの神殿なら全員泊まれるとは思うけれど、十人はさすがに迷惑だから、お前らは鈴屋に部屋とるからそこから通えな?当直は三人交替で」

 「是!」


 そういう虻どももだけれど、俺との関係を嗅ぎ付けた奴に襲撃されないとも限らない。

 紅鴉親衛隊の騎士なら、四大氏族だろうが大商家だろうが、遠慮なくぶっ飛ばせるからな。何かあれば俺が出ればいいわけだし。


 「ガラテア様も、煩わしい思いをされいらっしゃったのでしょう。おいたわしい…」

 「本当に。やはり美しい牝馬バイダスには、逞しい牡馬(アルスラン・アザルガ)が寄り添いませんと」

 「ええ、まったく。そうでなければ、身の程をわきまえぬ三歳馬どもが寄ってきてしまいますもの」


 ちらちらと俺を見ながら、そんなことを言い始める。

 

 恐る恐るガラテアさんを見ると、何やら考え込んでいる様子。

 少し首を傾げた後、何か腑に落ちた様子で、うん、と頷く。


 「そうだなー。求婚やらなにやら、実に鬱陶しいなー。どうにかならないものだろうかー」

 「…姉さん、棒読みにもほどが…うッ」


 シドの頭が後ろにのけぞり、戻ってきたと思ったら、痛そうに額を擦ってる。


 「ほう!木の実を指弾で飛ばしたか!やるな!」


 お茶のお供に…と供されていた木の実の一つが、シドをのけぞらせた凶器だったらしい。

 

 「食べ物を粗末にするのはいけない。きちんと食べねば、な」


 優雅な動作で椅子から立ち上がり…食堂は西方式にテーブルと椅子が並んでいる…、シドに歩み寄る。


 「なあ、シド…?」

 「そ、そうだな、姉さん…」

 「ところで、ファンに話、と言うのは何だ?」

 「いやその…ちょっと、今後の事でだ。冒険者になるのに、アステリアの国民にならなくては駄目なのか、とか、アスランの国籍はどうなるか、とか…」

 「ふうん?」


 伏し目がちな目をさらに下に向け、ガラテアさんは白いテーブルクロスに影を落とす、小さな木の実を摘まみあげる。扁桃アーモンドだ。

 それを口に放り込み、カリリと小さな音を立てて咀嚼し、飲み込む。

 

 「まあいい。信じてやろう。だが、そういったことなら、ファンだけではなくクロムたちにも話を聞いたらどうだ?」

 「俺に聞かれてもさっぱりわからんが、聞くだけならば聞くぞ!」

 「…めんどくせぇが、ファンに説明させると長いからな。馬鹿を混ぜるなんざ論外だ。何の役にも立たん」

 「ぼくもちょっとその辺はわかんないなあ?そいや、ぼく、どこの人になってんの?」


 ヤクモは現在、アステリア人(仮)だな。

 アステリアに税を納めているし、作ってもらった通行証パイサにも、「アステリア人」と記載されている。

 

 「そうだなあ。この際だから、アスランの国籍作るか」

 「そんな簡単にできるの!?」

 「一応俺、王子だよ?この国の」


 アスランの国籍取得にかかる一年って言うのは、真っ当に働いてアスラン人として生きていく覚悟があるか、という事を見るためのものだ。

 ヤクモと知り合って一年近くになるし、その人物に間違いはないことは俺が良く分かっている。

 

 「キリク人になってもいいぞ!ヤクモ!」

 「はは、まあ、とりあえずアスランの国籍持っておけば?住んでなければ税金もかからないしさ。アスランの国籍持ちつつ、キリク人かつアステリア人かつ、シラミネ人だって良いわけだし」

 「う。考えておく」

 「という事は、アスランの国籍は持ったままでアステリアに暮らすことは可能なんだな」

 「現に今、俺たちがそうしているしね。アステリアがどこまで厳密にしているかはちょっとわかんないけれど、今のところ、問題はないよ」


 何か問題があれば、アンナさんあたりがズバッと言ってきそうだし。

 

 「ま、他にも多少頭が動くなら気になることもあるだろうよ。お前ら、先に部屋戻って片付けしとけ」

 「クロムに言われるとムカつくけど、結構部屋散らかしちゃったしねぃ…」

 「そうなの?ヤクモが散らかすの珍しいね。ユーシンじゃなくて?」


 食後の甘味…パンケーキがすでに甘いけども…を食べ終わったナナイが、口をはさんできた。

 いやー、結構ヤクモもワーッと散らかす方だけどな。その後、きちんと片付けて収納できるのが、ユーシンとの相違点だが。


 「ほら、今日大都に入るじゃん?だからさあ、どんな服着ようかなーって、手持ちの服ぜーんぶ出して並べたら、なんかしっちゃかめっちゃかになっちゃって…」

 「何着たって代わり映えしねぇのにな」

 「もー!クロムがそれはダサいとか、挑戦しすぎだろとか、ごちゃごちゃ言うからでしょー!!」


 外套着ちゃうし、マントも羽織るからどうせ見えないぞ~って思ったけれども、楽しそうだから放っておいた。

 俺がオシャレやら流行に疎いのは、ヤクモもよーく知っている。

 そもそも、五つも年が違えば、何がカッコいいとかそういう感覚はズレているもんだ。


 なので、口出しはしないことにして、部屋に備え付けの本棚からなるべく軽く読めそうな本を選んで頁を捲っていたら、いつの間にか静かになっていた。


 絨毯に敷いた布団の上には服が放り投げられ、さらにクロムとユーシンとヤクモが散らかっていた。

 そっと服を端に寄せ掛布で三人を覆い、俺とシドはありがたく寝台を使わせてもらった。と言うか、シドはいつの間にか寝台に潜り込んで寝てたし。


 そんなわけで、現在も部屋は散らかり放題な状態だ。

 確かにあれを片付けるのは一仕事だな。


 「じゃあ、そうしよう。皆も食べ終わったら、出発の準備をよろしく!準備が出来たら、ロビーに集合だ」

 「はーい!」

 

 入ってすぐの広間は、西方式にまとめられていた。床は絨毯ではなく、磨き上げられて顔が映りそうな石床で、ゆったりと座れるソファと黒檀でできた丸い瀟洒なテーブルが置かれている。

 用意が遅くなった誰かを待つにせよ、居心地が悪いという事はない。


 「俺たちは先に荷物持って降りて、シドの相談に乗ってるよ」

 「無防備すぎる。談話室なんてもんがあるんだろ?そっち行くぞ」

 「そっか?別に危ない事なんて…」

 「高い金払ってんだ。使えるもんは全部使わなきゃ損だろうが」


 そーゆーもの?

 でもまあ、一理あるようなないような…


 「ええ、是非ご利用くださいませ。アスラン式、カーラン式、西方式と三通りご用意いたしてございます」


 給仕係さんが、にこにこと笑いながら勧めてくる。


 「当館にご宿泊されなくとも、談話室のみのご利用も承らせていただいております。この近辺には、落ち着いてお話をいただくような施設はあまりございませんので、思い出された時にお立ち寄りいただければ…」

 「それじゃあ、ちょっと、使わせてもらいますね」

 

 シドも馴染みがあるだろうから、西方式のところを借りるか。

 そう伝えると、「かしこまりました」と頷いて、給仕係さんは他の人を呼び、その人も恭しく一礼して、失礼にならない程度の速足で歩み去る。


 「それじゃあ、俺たちも荷物持ってこよう」


 荷物は着替えを取り出したくらいで、ほとんど解いていない。鞄の口をしっかり締めて担げば、もうそれで出立準備は完了だ。

 でも、説明するのにメモとかあった方が良いかなあ?まあ、すぐ取りだせるし。


 そんなことを考えていたら、何故かクロムが溜息を吐いた。

 

***


 談話室はこじんまりとした部屋で、置かれている椅子の数からして定員五人、といったところだ。

 靴を履いたまま入るのが前提のようで、床に絨毯はないけれど、石ではなく木床になっていた。

 

 クロムが真っ先に部屋に入り、二人掛けもできる椅子にどっかりと腰を下ろす。手にはロビーに置いてあった、ご自由にお読みくださいな雑誌が握られていた。


 「どうせガラテアのことだろ?こいつがアホ抜かしたらツッコむが、俺はいないものとして話せ」

 「わかった」


 へ?ガラテアさん?

 ガラテアさんがどうかしたのか?


 目を瞬かせていると、「とりあえず座れ」とクロムに視線で椅子を示された。

 立ったままってのもなんだしな…と、ふかふかな座面に尻を落ち着ける。クロムのように足を組んだりはしないけれど。


 「えっと、ガラテアさんの事って…」

 「…本気で察してなかったのか…」

 「そんなこと、こいつが出来るわけないだろ」


 頁を捲りつつ、クロムが早速口をはさむ。見ているのは、最近大都でどんな服装が流行っているのかとか、どんなイベントがあるかとかを纏めたものだ。


 シドも俺の正面に座り、しばし、視線を彷徨わせた。けど、それは本当に僅かな時間のことで。

 まっすぐに俺を見据え、口を開く。


 「単刀直入に言う。姉さんの事、どう思う?」

 「え!?ええと、強い、綺麗な人だなーって…」

 「それだけか?」

 「あの、その…揶揄われたのか、本気なのか、悩んでます…」


 ものすごい率直に述べると、シドは眉間に皺を寄せた。


 「なんで、揶揄っていると…?」

 「いやだって、自分でいうのもなんだけど、俺だよ?女性に好意を向けられること自体、可笑しいって言うか…」


 二太子ナランハルに擦り寄るならともかく。

 ガラテアさんはそんな人じゃないし。


 「なんでそんなに自己評価が低いんだ…」

 「世の女性の大半は、博物学者に厳しいぞ?」

 「なら安心しろ。姉さんは少数派の方だ。何せ、叔父が学者だしな」


 ライデン博士か。

 ああ、本当に第二集を読みたかったし、標本を引き取って保管したかった。

 いやできれば、大学に招聘して話を聞きたかった。


 「その、ファンは好きな女とか…囲っている女はいないのか?婚約者はいないと聞いたが」

 「いないよ!いるように見えるか!?」

 「…率直に言って、全く見えない」

 

 じゃあ、聞くなよう。

 

 「その、姉さんは…第三夫人くらいにしてほしい、と言っているが…」

 「第一夫人もいないのに!?」

 「身分的には、そのくらいが妥当だろうと…」

 「あとから身分的に妥当な第一夫人を迎えるほうが、色々と問題な気がする…」


 それは余程に妻同士が仲良くなければ、なんかすごく大変なことになる嫌な予感しかしない。

 古今東西、後宮の争いが国の乱を招いた例は、たくさんあるわけなのだし。


 「なら、姉さんを娶る気は、まったくないのか?」

 「ええと、ないというか、何というか、そのお…」


 シドの眉間の皺がますます深くなる。


 「煮え切らないな…」


 溜息のように吐き出された言葉に、クロムが紙面から目をあげて、口の端を持ち上げた。


 「しょうがねぇだろ。今までそういう女がいた事ねぇんだから」

 「好ましい、とか、そう思ったことも?」

 「俺の知る限りじゃないな」

 

 何故、俺を置いてクロムと話しを進めて…?

 い、いや、俺だってなあ。仲良くなってみたいと思った女性はいるぞ!会ったことはないけれど!


 その存在を久しぶりに思い出し、あ、と思わず小さく声が出た。

 声は本当に微かで、ほとんど吐息のようだったにも関わらず、卓抜した戦士である二人は聞き逃してくれなかった。

 視線が一斉に注がれて、椅子の背凭れに減り込むくらい後退する。

 

 「ほう…心当たりがあるのか」


 ニヤッと笑いながらクロムが身を乗り出す。お前、自分はいないものとして扱えみたいなこと言ってたのに!

  

 「その人と比べてどうなんだ…と聞きたいし、純粋にファンが惚れた相手がどんなのだか気になる」

 「ほ、惚れたってわけじゃない!ちょっと、会ってみたかったってくらいで!」

 「で、どこの誰なんだ?」


 ニヤニヤ笑いつつ、クロムは追及を止めてくれない。

 うー…けど、もしかしたら、『彼女』がどこの誰なのか、わかるかも知れない。

 クロムの顔はムカつくけれど、沸き上がってきた「知りたい!」と言う欲求は、いつだって耐え難いもので。


 「…本当に、どこの誰だかは知らないんだ。会ったこともない」

 「役者や歌い手ってわけじゃないよな。お前なら誰であろうと会える」

 

 そもそも、人気の歌謡団の見分けがいまいちつかず、お前らに馬鹿にされているような俺が、そっち方面に興味を持つわけがないだろう。

 言ったら自分が掘った墓穴に馬糞を入れるようなもんだから、曖昧にうなずくだけにしておいたけれども。


 「そのさ、シド…俺が手に入れた『西海博物誌』は、原本版だったんだ」

 「それはそうだろう。叔父の本を写本するような物好きはいなかったと思う」

 「ええ!?じゃあ、博士の手元にも本は残ってなかったのか!?」

 「俺も子供だったからよく覚えていないが、そもそも売れると思っていなかったようだ。売れたと俺にまで小躍りしながら教えてくれたからな」

 「そっか。じゃあ、その貴重な一冊は保護できたんだな…」


 祖父ちゃんが俺の十歳の誕生祝に、大陸中から集めてくれた本の一冊が、『西海博物誌』だ。


 西方の遥か西、大陸西端付近の事は、アスランでも商人から聞くしかないし、その商人もさらに西海から来た商人から聞くくらいで、どうにもあやふやとしている。

 その西海地方の貴重な文献として、『西海博物誌』は多くの学者が目を通す一冊になっていた。


 「おい、話逸らすな。しっかり吐け」

 「逸らしてない!こっからだ!」


 雑誌、借り物なんだから丸めてテーブルをバンバンするのやめなさい!


 「その、原本版って、筆者のメモや感想、手紙なんかが挟まっていることが良くあるんだけど…」

 「叔父はけっこういい加減だったしな…」

 「いや、それも貴重な資料だったりするから!」


 地元の人からの聞き取りメモなんかが見つかると、採取時の状況を想像しやすくなる。採取した数なんかも書いてあると、さらに。


 「はじめて『彼女』を見つけたのは、そういうメモの一枚だったんだ」


 俺が『西海博物誌』を読んだのは、吹雪荒れ狂う尽きぬ山(ヘルムジ)の麓。

 マナンが入った卵を抱きかかえ、誕生を待つ日々の中だった。


 『西海博物誌』に書かれる情景は、暖かい陽光降りそそぐ、穏やかに澄んだ海とそこに住む様々な生き物のこと。

 それは俺が見たことのない風景だ。

 

 飛竜が孵ったら、乗っていけたら。

 一緒に地の果てまで、旅していけたら。


 地尽きる場所に広がる、鮮やかな碧い海。花のような色合いの魚。砂を掘れば無数に捕まえられる、どれだけ種類がいるかすらわかっていない砂蚯蚓ゴカイ

 

 行ってみたい。見てみたい。触って嗅いで、命の音を聞いて、食べてみたい。


 もちろんそれが、かなわない願いだって事はちゃんとわかってはいたけれど。

 でも、一年留守にしてなんとかなったんだから、行こうと思えば行けそうな気がする。行こうと思うこと自体ダメなのは置いておくとして。

 問題は、かの地が戦争状態だって事だよなあ。


 「で、その『彼女』ってのは?」


 クロムの声に、思考の沼から引っ張り上げられる。

 行きたい!って言ったら、一番反対するのはクロムだよな。

 コイツを説得できれば…いや、クロムなら、俺がどうしてもって言ったら、文句を山ほど言いつつ付いてくるだろ。うん。


 「…メモにさ、いろいろ書いてあったんだ。『私の小さな助手に手伝ってもらった』って。盥いっぱいに集めた砂蚯蚓を選別したり、仕掛けた罠に入っていたフナムシを標本にしたりするのにさ」

 「うげ…絶対、不愉快な虫けらだろ。それ」

 「砂蚯蚓は、虫じゃないぞ。と言うか、蚯蚓は虫じゃない」

 「すげーどーでもいい」

 「大事なことだからな!!」


 クロムは舌を出して嫌悪感をあらわにしている。これ以上、蚯蚓が虫ではないことを話し続けると、怒り出すな。仕方がない。置いておこう。


 「俺はそのメモを読みながら、いいなあーっと思っていた」

 「どっちかって言うと拷問に近いと思うが…」

 「俺的には羨ましいの!それで、一回読み終えた後、今度はメモを中心にじっくり読んでいったんだ」


 メモも本文も当然ながら、西海地方の言語で書かれている。

 横に辞書を置いて読み進めていたわけだけれど、最初の一回目は早く頁を捲りたかったから、メモはざっくりだったんだよな。

 

 ちょっと読みにくい字はどうしてもあったから、そこは前後の文で補完したわけだけれど、決して大きく間違ってはいない、と思う。

 と言うか、博士の字で読めるようになったんで、彼の字が一般的に言って悪筆だった場合、きちんと書かれた文字を読めるかどうかは自信がない。


 「それで、その『小さな助手』が俺と年の近い女の子だってわかった。まあ、それで…そういう子なら、一緒に採取してくれたり、俺の話を気味悪がらずに聞いてくれたりするかなあと」


 当時は大学にも行ってなかったからな。

 博物学について語り合える人と言うのは、年上の学者ばかりで、同じ年ごろの、同等の立場で付き合える相手、と言うのはいなかった。

 今は、大学に行けば同輩はそれなりにいるんで、話し相手に事欠かないけども。


 ただ、当時の俺にはいなかった。

 珍しい動植物や鉱石が採取できた時、一緒にその珍しさに興奮してくれる人も、特に目新しくはなくても、分類できた達成感を分かち合える人もいなかった。


 そして俺にも「思春期」と言うものは一応あり、異性と仲良くしたいという欲求も、当時は今より多少は強かった。


 「それで、会ってみたいな、話してみたいなって、思ってた。まあ、それだけなんだけどさ」


 一緒に砂蚯蚓を掘って集めて、分類して。

 蟹を捕まえ、貝を探し、海藻を乾かして張り付けて標本を造って。


 それを一緒に、できたら、いいなと。


 会ったこともない彼女の顔を、俺はどうしても想像することはできなかったけれど。

 「大人の腕よりも長い砂蚯蚓」を千切らずに掘り出せたら、きっと、すごく良い顔で笑ってくれるだろうと。

 

 博士が「波妖精セレーナ」と呼ぶ彼女の笑みを、頑張って妄想してみたりしていた。


 「そいつもカマキリやフンコロガシは嫌がるかもしれねぇぞ?」

 「大丈夫じゃないかな。そういう生き物の採取も手伝っていたみたいだし。まあ、それでさ、シド。もしかしたら、お前さん、彼女の事知らないかなあ?」 


 そうもごもごと呟きながらシドを見ると、眉間に皺をさらに深くしていた。

 

 あ、そっか。

 『彼女』はもう、この世にいないかも…しれないんだよな。

 

 セスは亡国だ。王女と王子が、遠く離れた異国まで逃げなければいけないほど、徹底的に蹂躙された。

 俺が『彼女』を見つけた時…もうすでに、その骨は砂浜の一部になっていたのかもしれない。


 そのことに今更思い至って、心臓がきゅっとなった。


 「シド、すまん。辛いことを思い起こさせたなら…」

 「いや、そうじゃない」


 シドの眉間の皺は、相変わらず深く。

 まだ手袋をはめていない手が、口許を覆っている。


 そのまま、膝の間に突っ伏すように俯き…シドは、肩を、背を、震わせた。


 「シド…」


 もしかして、シドの親しい人だった、とか。

 それなら、その死は、シドの心の深い傷になっているのかもしれない。


 俺でさえ今、胸が痛いくらいなんだから。


 「く…くく…」

 「シド?」

 「いや…くっ…くふふ…」

 「くふ?」

 「くふふ…あーっはっはっ!」


 ガバリ、と身を起こすなり、爆笑が口から弾ける。

 えーと、シド君?きみ、そんなに笑う人だったっけ?


 「い、いや、すまん!くく…!こんな、こんなことって、あるんだな!」

 「ええっと、今、どの辺が可笑しいの?どこがシドのツボを押したの?」

 「お前があったこともない女に懸想してんのがキモかった、とか?」

 「それを言われたら反論のしようがないな…あ、でも、あくまで当時だからな!?小さい女の子が好きとか、そういうわけじゃないぞ!」


 そこは俺の名誉のためにしっかりと言っておく!


 「ふふふ…いや、違うんだ。ファンがって言うんじゃ、ないんだ」


 息も絶え絶えに、涙さえ浮かべてシドは首を振った。

 どうやら、俺がキモいとかそういう話ではないらしい。


 「こんな…物語みたいな事って、あるのかよって思って…」

 「ものがたり?」


 首を傾げる俺の横で、クロムが何か閃いた顔をした。

 

 「って、ことは、まさか?」

 「クロムは、わかったか」

 「わからんの、コイツだけだと思うぞ」


 え、なになに?なんで二人で頷きあってるの?


 「ふふ、ファン。お前は、もうその『彼女』に会っているぞ」

 「え?」

 「叔父が『小さな助手』と呼んでいた少女だろう?大丈夫。彼女は無事だ。ぴんぴんしているというか、気力体力腕力が有り余っているというか…」


 ようやく笑いを抑えたシドが、目じりを拭いながらヒントをくれた。


 もう、俺が会っていて。

 俺を同い年くらいで、元気いっぱいな、女性…


 ええっと…心当たり、一人しか、いないんだけど。


 「さらに、『セレーナ』と呼ばれていたんだろ?」

 「う、うん。波の妖精って意味だよな?大海の主の娘たちって言う…」

 「セレーナ・セス・アンドゥス。姉さんの本名だ。ガラテアって言うのは、姉さんの小さい頃の呼び名だった。ひいばあ様の名前でもあるらしい。うちの方には、女の子は五、六歳まで最近死んだ人の名で呼ぶって言う習慣がある」

 「それは、セス王家だけじゃなく?」

 「ああ。セスの他もそういう風習があるのかは知らないが。海で死んだ者が攫いに来ないようにするためらしい」


 それはきっと、掘り下げていけば、もっとしっかりした謂れや理由がありそう。

 気にはなるけれど、今、追求しないくらいの分別はあるぞ。俺にだって。

 

 俺は『セレーナ』と書いてあるのを、可愛い助手を美人揃いと言う波妖精に例えていたんだと思っていた。けど、ただ、名前を書いてたって事か。


 知りたかった彼女の名、俺は、もう知ってたんだなあ…い、いや、と言うか!


 「ガラテアさん…?」

 「俺にとっては苦い思い出も多いが。砂蚯蚓がみっしり入った盥に、嫌がる俺の手を無理矢理突っ込んだり、海鼠を顔に張り付けられたり…」

 

 ふるふると首を振った後、シドはさっきまでの爆笑とは違う質の笑みを、口元に浮かべた。


 それは、大人にしかできない笑み。

 過ぎ去った日を、決して二度と戻せない日を、懐かしむ笑み。


 「姉さんは、あの頃から変わっていない。弟は何しても良い生き物だと思っている。だが、そんな俺も姉の後ばかり追い掛けていた子供だった」

 「仲のいい姉弟だもんな」

 「そう見えるか?そうだな…ああ、あんな姉でも、俺にとってはただ一人の、大事な姉なんだ」


 シドの氷青の双眸が、俺を見据える。

 もう、そこに笑みはない。色と同じような硬さだけが宿る。


 「お前の立場的に、軽々しく娶るとか言えないのは理解している。けれど、せめて、お前が何を考えているのか、可能性があるのかないのかは、はっきりしてやって欲しい」

 「…」

 「揶揄われているなんて逃げて、いたずらに引き伸ばさないでくれ。姉さんにとって、口付けはお前が思っているより遥かに重い行為なんだ」


 やっぱり、アスランとそれ以外の国じゃ、意味が全然違うよ、な。


 「姉さんを護っていた、大海の主(ダロス)の加護は…姉さんからお前に口付けたことで喪われた。今まで、男が無理矢理姉さんを奪おうとしても、加護によって阻まれていたが…それはもう、ない」

 「え…」

 「姉さんがいくら強くても、男複数に襲われれば、最悪の事態は起こりえる。もちろん、お前が姉さんを拒んでも、それはお前の責任じゃない…とは理解しちゃいるが…」

 「あっちが勝手に仕掛けたことだからな。コイツのせいにされちゃかなわん」

 「ああ。それは…わかっている。わかっているが…姉さんの覚悟は、それほど重かったって事は、知っていてくれ」


 その覚悟の重さより、俺の思考を占めたのは、シドって本当に姉想いの弟だなあと言う感心だった。

 シドの言う「最悪の事態」は女性なら誰もが負う危険であるし、ガラテアさんはむしろ、いざその危機に直面した時も、ナナイたちよりどうにかできるだろう。


 それに、まあ…そうならないよう、俺も、頑張るし。


 だから、覚悟の重さをお前のせいだからと、背に載せられたような衝撃はない。

 どうせ生まれた時からアスランの二太子と言う覚悟の重さを背負いなれているし、灯の刻印を授かったとき、血の河を遡り、屍の山を登っていく覚悟も決めた。


 むしろ、女性一人守れない男が、アスランの民を、世界そのものを、守れるわけがない。


 とは、言っても。


 ガラテアさんが『セレーナ』だったことを知ったからと言って、これはもう運命だ!結婚だ!と燃え上がるような感情は…特にない。

 親父の話を聞いている限りでは、恋って言うのは火薬庫に火種を投げ込んだような激しさのものであるらしいから。


 今、俺の胸に満ちている、陽だまりのような温度の感情を、恋と言うのか…わからない。

 

 わかっているのは、今、彼女の顔が見たいなあと、思っているって事だけで。


 「お前にその気がなければ、きっぱり振ってくれ。それで恨むような人じゃない」

 「腹いせにお前がぶちのめされるかもしれんがな」

 「…覚悟の上だ」


 悲壮な覚悟を完了し、頷く。

 その顔が面白くて、申し訳ないが笑ってしまう。

 

 「人の不幸を笑うのは、良くないぞ」

 「いや、たぶん、その覚悟いらないから」


 シドは目を見開き、クロムも面白そうに口笛を吹く。

 

 「なら…」

 「第三夫人には、できないけどな」


 なんせ、まだ第一夫人の座があいてるわけだし。

 俺に二人も三人も、奥さん抱えられるような甲斐性はないし。


 どうしても政治的に、政略結婚が必要な相手は、今のところいない。

 なら、この胸の温度を共有したっていいんじゃないだろうか。


 「…意味は、今はあえて聞かない。けど、俺はお前を信じる」

 「安心しろよ。女を弄べるような性根も技も、我が主には備わってねぇから」


 その通りだけどさあ。技うんぬんっている?


 まあ、それ聞いて、ものすごい安堵した顔で嬉しそうにシドが頷いているから、何も言わんけども。

 いや、本当に姉想いだなあ。

 殴られずに済んでホッとしているのもあると思うけどさ。

 

 …と言うか。兄貴曰く、ガラテアさんがシドに厳しいのは、いざと言う時に自分を見捨てられるように、ってことなんだよな。

 けど、シドは見ての通り、ものすごい姉想いの弟だ。絶対にそんなことはできないだろう。


 って、ことはさ。

 シド、殴られ損なんじゃあ、ないか?


 「…」


 うん。このことは、死ぬまで黙っておこう。シドの為に。


***


 そんなやり取りをして、どっさりとお土産を貰い、本当にこれだけでいいのかと念を押すような宿泊費を払って、俺たちは宿を後にした。

 

 …ガラテアさんの顔を見て、少し笑ってくれたのを見て、なんか、何も言えずにいつも通りにしちゃった俺を、クロムとシドが何か言いたげな顔で見ていたけれど、気にしないこととする。


 自分の感情の温度を自覚したからと言って、俺が女性相手に積極的に打って出れるかと言えば、それは全くの別問題だ!


 それに何より、まずは依頼の完遂が第一!


 詰まりだし、密度が上がった道の先に、いよいよ大都の城壁と南東門が見えている。

 ヤクモ達からは改めて歓声があがり、その声を聴きながら馬を降りた。入門するときには、原則騎乗禁止だからな。


 長城とは違い、門の両脇には座って居眠りもおしゃべりもしていない兵士が立ち並び、門を潜る人々を見据えていた。


 門の前、1イリほどはさすがに宿や商店はなく、再びむき出しの草原になっている。風は遮るものなく吹きすさび、順番を待ちながら進む人々は首を竦めて、その猛威に耐えていた。


 その風をより冷たくしているのは、右手側に姿を現した大運河の存在だろう。

 水面を通ってきた風はより冷たく、僅かに重く湿っている。

 それでも、大運河を左手に見るよりはまだマシなんだけどね。大抵、この季節は北西の風が吹くから。


 目を細めてみれば、船は思ったより動いている。というか、すごいいっぱいいる。

 もしかして、大運河の運航が完全に再開されたんだろうか。


 「昨日、沈んだ船が引き上げられて、今日の朝から大運河が仕えるようになったようですよ」


 俺の視線に気付いたらしい近くにいた商人さんが、親切に声をかけてくれる。

 彼の連れている牛が牽く車には、たんまりと荷物が載っていた。


 「お~!それは良かった。俺らも、船から降りて歩いてきた口なんです」

 「それは大変でしたねえ…私は一昨日大都を出て、ヤムゲンに荷を取りに行っていたんですが、軍が護衛して大都に向かう集団をたくさん見ましたよ」


 ヤムゲンはモウスルと同じ、大運河沿いの町の一つだ。

 織物の工場がたくさんあって、そこで作られた布が大都へ運ばれ、服や何かに姿を変えて売られていく。

 なら、牛車に載せられている荷物は布か。荷物の量の割に軽いから、牛も悠々としている。少し寒そうだけれど。


 「もう少し長くかかるかと思ったけれど、ずいぶん早く引き上げられたんですね」


 引き上げるためには、まずは沈んだ船に接近しなきゃいけない。

 大運河の水は、ひっきりなしに船が運航しているから凍ることはないとは言え、文字通り死ぬほど冷たい。

 加えて、基本的に大都の民は泳げない。泳ぐ必要がないからね。


 俺はフフホトで泳ぎを覚えたけれどさ。フフノールの中がどうなっているのか、自分の目で見たかったしな。


 「それがねえ!」


 商人さんの目が、きらーんと光った…ように見えた。


 「オドンナルガが、素晴らしいご活躍だったのですよ!」

 「あ…オドンナルガが?」

 「ええ!私も聞いただけで、ご活躍をこの目で見ることは叶わなかったのですが…いや、惜しい。もう一日早く戻れれば、遠目からでも拝見させていただけたのに…」

 「いやーそれは残念ですねー」


 かなり棒読みになった気がするけれど、商人さんは「いやまったく!」と力強く頷き、気にも留めていなかった。


 兄貴の名前が出たんで、クロムやユーシンも興味を示したようだ。口をはさみはしないけれど、注意をこちらに向けている。


 「なんでも、長い棒を四本、沈没船を囲むように突き刺して、その棒が囲んだ中を『召喚』されたのだとか!沈没船と一緒に、泥や水が雨のように降ったらしいですよ!」

 「そりゃまた、すごい大技だ…」

 「いやあ、さすがオドンナルガ!次の御代もアスランは安泰だ!大アスランの栄光に翳りなし!」


 商人さんは実にご機嫌である。

 なるほど、そういう手を使ったのか。


 『召喚』は『転移』とはちょっと違う。

 『転移陣』は、此方と彼方と結ぶものだ。ただし、結ぶだけ、である。


 分かり易く言えば、動かないものを彼方から此方へと、引き寄せることはできない。彼方から動かすか、押し出すか…とにかく、此方へ来てもらわなくてはいけない。


 だから、沈没船を転移陣を使って引き上げることはできない。動かないからな。


 対して『召喚』は、対象を彼方から此方へと移す。

 対象が動く必要ない。必要はないけれど、対象の事を細かく指定しておく必要がある。


 例えば、俺を召喚しようとしたとき、あやふやなイメージだと、俺の一部だけ『召喚』されちゃったりする。

 絵姿や見た記憶だけをもとにしたら、内臓は元の地点に残っちゃったり、表側半分だけ召喚になっちゃったり…。


 俺が水を鍋の底に『召喚』するときには、「この水と同じもの」と指定して召喚しているけれど、これをただ「水」とだけにすると、どんなのが出てくるかはわからない。

 俺の魔力じゃ、失敗する可能性が高そうだけれどね。


 なんで、沈没船を『召喚』する為には、船の子細な情報が必要だ。積み荷の石材も撤去するためには、石材一つ一つがどんななのかって事も把握しなきゃならない。


 それはかなり不可能だ。

 けれど、その不可能を兄貴は「棒で囲った範囲を召喚する」という、とんでもない荒業で解決したらしい。


 棒は勿論、ただの棒じゃなく、何がしかの魔導的な加工がしてあって、囲んだ範囲を指定できるようになっているんだろう。

 とは言え、船一隻…しかも、周りにある水や、水底の土や砂、さらに石材まで一緒に『召喚』するなんて、理屈じゃできるだろうけれど、実際にはできないことの見本みたいな話だ。

 

 それを、やり遂げちゃったみたいだけど。


 「ご親切に教えてくださって、ありがとうございます。新年を迎える前に解決して、本当に良かった」

 「全くですな!」


 商人さんは笑って前に向き直り、俺もそそっと仲間たちの間に戻る。

 

 「あれだ。お前に会えたから、アイツ、無駄にブーストされちまったんじゃね?」

 「…ものすごい、あり得る」


 少なくとも「俺の様なモノ」を造らない分、魔力が減ってないだろうし。


 「まあ、でも、大運河が再開したせいか、進みが早い。権力を濫用しなくても、普通には入れるな」


 俺の言葉に、親衛隊の連中がなんだか少し、すん、とした。


 「せっかく、外套の下、騎士服着てきたのにぃ」

 「三十路の男が頬膨らませてもムカつくだけだぞ?」


 門は、必ず一般用と軍用で別れている。

 あまりにも入るための行列が長い場合は、「アスター大神殿からの使者を護衛する紅鴉親衛隊騎士御一行様」になって、軍用の門から入ろうかなーっとずるいことは考えて、準備はしてきた。


 なので、俺とクロムの外套の下も、騎士服だ。借り物なんで、サイズがあっていないけど。


 するすると大都へ入るための行列は進んでいく。そろそろ、馬車から降りてもらうか。

 大都へ入るための検問はほとんどないに等しい。

 けど、自分の足で歩いて入ることが義務付けられている。


 歩けない子供やお年寄り、病人怪我人は誰かに背負われても良いけれどね。

 これは心構えの為とかじゃなく、馬に乗ったまま突っ込まれれば、鎮圧はできるけれど犠牲者も出る。通行証を持たないものが、馬車に潜んでいるかもしれない。

 それらを防ぐためのものだから、例外はない。

 あるとすれば、軍の早馬が駆け込む時だけだ。

 

 「ちょっと寒いけど、中はいるまでは馬車から降りてね~」

 「あ、はい!」


 馭者も例外じゃないから、ロットさんたちにも降りてもらう。

 馬車の客車からは、女の子たちがキャアキャアとはしゃぎながら出てきた。うちの馬車の中にいたナナイたちと合流して、門を指さし歓声を上げる。


 最後に降りてきたガラテアさんと目があった。

 次の瞬間、思わず目を逸らしちゃったんで、その顔をまじまじ見ることはできなかったけれど。


 「ファン…」

 「な、なんだ?!ヤクモ!」

 「この裏切り者めぃ…」

 「ファン!何かヤクモを裏切ったのか!それは良くないぞ!」

 「裏切ってない裏切ってない」


 ヤクモは良い子だけど、こういう時は…面倒くさいからな。そっとしておこう。

 そんな事より、気にしなきゃいけないことがある。


 急に女の子たちが姿を現したことで、周囲の野郎どもの注目が一気に集まった。

 全員が三歳馬どもってわけじゃあないだろうが、四歳以上になってようが、基本的にアスランの男は、西方でいうところの紳士とはかけ離れた生き物だ。平たく言えば、助平だ。いや、男はみんなそうだと言われたら、反論はできないが。

 

 あわよくばと、と狙うのは勿論、偶然に見せかけて胸やら尻やらを触りたい…と狙う不埒者もいる。

 俺の目配せに応じて、騎士たちが女性陣の周囲を取り囲んだ。


 可愛い女の子に近付いていたら、いきなりごつい大男が割って入ったわけで、露骨な舌打ちをする輩もいる。


 「いやーん!若様あ!このヒト、俺のおちり触りましたあ!」

 「さ、触ってねえよ!」

 「やっだあ!揉みしだいたくせにぃ!」

 「く、可愛い後輩を痴漢するなど!致し方ない!変わってこの俺を揉めぃ!」

 「もまねええええ!!」


 痴漢が一人、見せしめのための犠牲になったようだ。「やっだあ!」と言いながら痴漢の首根っこを掴んで、顔を踏ん張る同輩の尻に押し付けている。

 そろそろ止めてやるか。確かアイツ、任意で放屁するって言う特技の持ち主だし。


 「おい、そんな事より…」

 「ああ」


 クロムが、俺の肩を叩いて注意を向ける。

 もう、すぐそこまで、南東門は迫ってきていた。


 鼓動が、跳ねる。

 通行証を取り出す手ももどかしく、けれどしっかりとかざし、進む。


 大都アスク


 アスランの王都にして、世界最大の都市。

 俺の…クロムの、家があり、家族がいる場所。


 「行こう」


 兵士の視線が、通行証を撫でる。それだけだ。もちろん、止められることもない。

 二太子として南大門を潜ったなら、帰還を祝う万声に包まれたのだろうけれど。


 言祝ぎがなくても。歓声が起こらなくても。

 そんなの、関係ない。


 俺は…この場所へ、帰ってきた。それで、良いんだ。

 

 門の中へ、一歩、踏み込む。

 隧道のようなその先に、大都は何事もなく、在った。


 …。


 なんか後ろで不快な音と断末魔の叫びが聞こえたような気がするけど、ほっとこう。うん。

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