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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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幕間・幸運は意外と気が付けないものである

幕間のお話しです。前回の補足ではありますが、読まなくても次からの展開に支障はありません。

 モウスルの町は、この季節の雪のようにふわふわと浮ついている。


 ほんの数日間には軍が出て、事態の鎮静を図ったとは思えない。

 途中行き会った、他の町から大都を目指した人の話を聞けば、なるほどそれは軍も出動する、と頷くような空気だったらしいのだが。


 だが、それを訝しく思うより、当然だと納得する気持ちの方が強い。

 なにしろ、この町に軍を率いて現れたのは、あの二太子ナランハルだったのだから。


 肩に掛けた鞄から、鉛筆と筆記帳を取り出す。まずは、門から入ってすぐの茶店でお喋りに興じているご婦人たちだ。


 「突然すみません。私、『大都順風耳』の記者ですが…」


 『大都順風耳』は、大都で発行される三十種ほどの読売のうちの、ひとつである。

 大都やその周辺であった様々なことを文字に変え、紙面を埋め、提供する。


 「え~!そうなのぉ!わたし、何度も買っているわあ!」

 「あたしも!読みやすくて、面白いわよね!」

 「うんうん!うちの旦那なんかは、『大都新報』読んでうんうん頷いているけど、絶対わかってないわね。あれは」

 「やあだあ!どこの旦那も同じねえ!」


 きゃっきゃとご婦人方は笑い、私を興味深々、と言う目で見つめてきた。とりあえず、いい掴みだ。

 やってきた店主に茶を所望し…ちょっと高めのものにする。経費で落ちるし…彼女らが陣取る座敷の上がり框に腰かけると、「こっち座ってくださいな!」と座敷をバンバン叩かれたので、ありがたく靴を脱いでお邪魔する。

 取材する相手と距離が近くなれば「ここだけの話」も出てきやすくなるというもの。


 「それでそれで記者さん!やっぱり、朝の話を取材しに来たの!?耳が早いわねえ!」

 「…朝の話?」


 今朝、この町で何かがあったのだろうか。

 私がこの町を訪れたのは、約一年間にわたって沈黙を保ち続けた二太子が、ついにその御姿を衆目に現したからだ。


 二太子はもともと、それほど表舞台に出られることはない。

 けれど新年祭や夏の大祭…その他さまざまな行事には、今まで欠かさず列席なさっておられた。

 一太子ほどではないけれど、軍を率いて遠征に旅立たれたこともある。


 それが、この一年…まったく御姿をお見せくださらない。

 

 原因は、説明されている。

 昨年の秋、南フェリニスを訪れていた二太子を、凶賊が襲撃したのだ。

 護衛の親衛隊騎士十名が命を落とし、二太子御本人も酷いお怪我をなされた。その療養のためだ…と言うのが、公表されている理由だ。


 季節が廻り、夏の大祭にすらその気配もなかったことで、もしやもう、お亡くなりに…などと言う不逞の輩すら現れ、ひっそりと歯噛みしていたところ…軍関係を担当している同僚から、耳寄りな情報を仕入れることが出来た。


 隣国アステリアとの国境付近に、紅鴉親衛隊ナランハル・ケシクが移動しているというのだ。


 つまり、怪我を口実に表舞台からひっそりと姿を隠し、アステリア攻略の準備をしていたのではないか…と、同僚は声を潜め、しかし、特ダネを掴んだ記者らしいぎらついた眼で語った。


 それについては、絶対にないと思う。

 私自身、祖父がクトラ人なので、あの国に対して複雑な感情はあるが…アスランのたった二つの同盟国のうちの一つなのだ。

 突然、侵略戦争を仕掛けるようなことはしない。そもそも、それをして、アスランに何の利益があるというのか。


 だが、親衛隊が動き、遊牧陣地クリエンを構えたという事は、そこに二太子がおられる可能性は高い。

 お怪我が治り、寝込んでいらした間に鈍られた、様々なものを研ぎ澄ますため…訓練として、辺境に赴かれたのではないだろうか。


 二太子はご無事だ。きっとそうだ。

 胡乱な噂を耳にするたびに頭に広がっていた暗雲は、その一報で切り裂けた。


 おそらく、もう間もなく、二太子は我らの前にその御姿を現してくださる。

 そう思って、今まで以上にあちこちに聞き耳の糸を張り巡らせていると、領地であるフフホトに赴かれたという情報が入り、そして。


 この町の混乱を治めるため、二太子自ら軍を率いて慰撫されたと。


 その話を聞いた瞬間、上司に取材に行く許可を取り付けた。

 上司は「え~…そんなことより、大運河の事故起こした船、あれの船主の言葉でもとってきてよ」なんてことをほざいたが、最終的には諾と言わせた。

 …上司の不毛の地となりつつある頭頂部。そこに手を伸ばす動作を繰り返したことは、おそらく関係ない。


 そして馬を駆り、急ぎに急いでやってきたモウスルの町では、二太子が訪れたことよりも人々を興奮させる事件が起きていたようだ。

 だが、そんなものより、私が知りたいのは二太子についてである。できれば、その御姿を直に拝見するという幸運に恵まれた人に辿り着きたい。

 

 「いえ、私は二太子の…」

 「なんだあ!やっぱりそうなのね!」 

 「そりゃあそうよう!こんな田舎町じゃ、百年に一度もないことだもんよ!」


 前言撤回。どうやら、二太子に関わることであるらしい。


 「そのお話し、詳しくお聞かせいただけますか?ご店主!茶と菓子をこちらの方々に!」


 ご婦人方の話は…いつの間にやら、茶店にいた他の客のみならず、通行人まで加わって、ずいぶんな大所帯での話となったが…途轍もなく価値のあるものだった。


 話の発端は、本日早朝、一人の少女が攫われかけたことである。

 大都のすぐそばにある町、しかも日の出ている時間にそんなことが起こりかけたとは、俄かには信じがたい。

 しかし、大運河の終わりであり始まりの街、ウハイフンゲルからやってきたという狼藉者は、その信じがたいことをやろうとし、失敗した。


 それも狼藉者どもを叩きのめしたのは、たいへん見眼麗しい佳人だった。それだけで、『大都順風耳』の紙面に載せられる事件だ。

 だが、それだけで終わらない。


 その狼藉者の親玉を、遊牧民の一家が懲らしめに行ったのだと、御婦人方は興奮して語った。


 狼藉者はこの町でも老舗の宿を乗っ取り、好き放題をしていた。なんと、すでに二人の少女が攫われてきていたのだ。

そして、その身にまさに毒牙が迫ろうとしていた時。

 ばったばったと狼藉者をなぎ倒し、二人の少女と殴られ蹴られ、死を待つばかりだった宿の主人を救い出した遊牧民一家。その方々が何と。


 「大王様と、太子様方だったのよおう!!」


 ふんがと鼻息を吹き出すご婦人の声に、私の鼻息も荒くなる。

 これは…これは、とんでもないネタだ。

 

 地方からやってきた狼藉者を、大王陛下と太子殿下が成敗し、颯爽と立ち去られる…これはもう、号外を出すしかない。印刷屋が過労死するかもしれないが、それだけの価値がある。


 しかし、しかしだ。


 ふすふすと荒い鼻呼吸を繰り返していると、頭の中で冷静な私が「待った」を掛けた。

 そもそも、その方々は、本当に王家の方々のだったのか?という当然すぎる疑問を、冷静な私が浮かべている。

 

 それがご婦人方並び、いつの間にか加わってきた語り手たちに伝わったのだろう。というか、誰かに話すたび、同じような疑問が生じていたのかもしれない。


 「本当に大王様か?そう思ってんだろ?記者の姉ちゃん」


 口をはさんできたのは、茶を運んできた店主だ。薬缶を持ったまま座敷へ上がり込み、私の前に商品を置くと、うんうん、と頷いて見せる。


 「そのみっともねえ田舎者のブツ寸前に刺さっていた短剣を兵士が抜いたらな。なんとそこには…!」


 何度もそうやって溜を作って話しているのだろう。めっちゃくちゃ、手慣れた間だ。

 しかし、冷静じゃない私は鼻息とともに頷き、店主の話の先を強請る。


 「サリンド紋が刻まれてたってわけさあ!」

 「おおお…!!」


 サリンド紋は、王家…しかも、王位継承権をもつ御方しか使用を許されない紋だ。それが刻印された短剣をもっていらしたならば。

 まして、成人されたご子息がいらっしゃる御方は、まさにただ一人…!


 「で、では、間違いなく大王陛下が…!」

 「そうよお!しかもね、攫われた女の子のおっかさんとお爺ちゃん、慌てて探してたんでしょうねえ。帽子も首巻もしてなくて」

 「そしたらよ、太子様方がご自身の首巻を、寒いだろうからとくだすったんだぜ!」

 「うんうん!でねえ、宿の中でどんな風に成敗したか、なんとなんと、陛下御自らお語りくださったの!素敵なお声だったわ!」


 う、う、う、う、うらやましいいいいいい!!!

 私も、二太子の体温が残った首巻に顔をウズメタイ!!!


 …は!

 こほん。


 つい、とんでもない特ダネに我を忘れてしまった。しかし、本当にうらやましい話だ。


 陛下のお声など、めったに聞けるものではない。まして、御尊顔が拝謁できるような至近距離でなど、余程の功を立てるかなにかしなければ、不可能だ。

 それを、「ただ居合わせた」だけの人々が、など…

 

 陛下にご挨拶ができたことを百語に一度は挟んでくる、『百見千聞』のあの御仁が聞いたら、憤死するかもしれないな。面白そうだから、今度試してみよう。

 いや、私の書いた記事を見て、穴と言う穴から血を噴き出すかもしれないな。ゲヘヘ…


 とにかく、素晴らしい話を聞けた。皆さんが言うには、モウスルの町はこの話題で持ちきりらしい。

 そしてさらに、素晴らしい情報を入手した。


 もしかしたら、陛下と一太子二太子の両殿下が、まだこの町にいらっしゃるかもしれないという、とんでもなく貴重な情報である。


 一連の出来事は、今朝起こったことだ。

 そして、現在の時刻は…懐中時計を出してみれば、まだ後三刻。大都に戻られたのだとすれば、途中の公路ですれ違っていたかも知れないが、それらしい一行は見受けられなかった。


 となれば。


 もしいらっしゃるとすれば。

 町の中はないだろうと、茶屋の人々は口々に言っていた。

 モウスルはそれほど大きな町ではないし、町で一番良い宿が、今回の舞台となった『双子山羊』亭。他に、王族が滞在できるような宿はないらしい。


 今のところ可能性が高いのは、町の外にある百人隊の駐屯所である。

 大都から派遣された百人隊は、宿にあぶれた人々のために幕屋ユルクを建設し、治安維持のためにそのまま留まっている。

  

 たかが幕屋と侮るなかれ。

 上級士官が滞在する幕屋はそれはもう豪華な仕様である。毛足の長い、専門店でしか取り扱っていないような絨毯に、絹の寝具。

 一度取材で訪れたことがあるが、私の家の千倍くらい金がかかっていた。


 幕屋なら、見た目はそれ程差はない。しかし、入り口を潜れば別世界になっている。陛下たちが滞在されるのならば、当然専用の幕屋が建てられているに相違ない。

 

 もっとも、何故、この町に陛下と両殿下などというとんでもなくやんどころない方々がおわしているのか、それは分からないが…。

 可能性としては、二太子が久しぶりに公務をなされたということで、御心配になっていらしたのかもしれない。


 これはもう、取材にいかねば。

 できれば、短剣を返しに来いと言われている百人長に話を聞きたい。

 最高にあわよくば、二太子に謁見を賜りたい!!


 「…行く、か!」


 目指すは町の外。

 むろん、容易ではないだろう。だが…!!


***


 「いや、ダメに決まってるだろ」

 「そ、そこをなんとか」

 「隊長は今お忙しい。帰れ帰れ!」


 ぺいっと放り出されるように、駐屯地を追い出された。

 おのれあの兵士…繋がりそうだった眉毛ががっしりと合流する呪いをかけてやる…!!


 駐屯地には簡易的な柵が張り巡らされ、常に兵士が巡回していた。

 百人隊の駐屯地…それも、町の側で襲撃の危険もないにしては、いやに警戒が固い。これは、やはり…中に、いらっしゃると可能性はたかい。


 放り出された際に打った尻が痛むが、ここで退いたら記者の名折れ。いざ、いざ往かん!


 「ダメだって言ってるだろ」

 

 ぺいっ


 「だからなあ…!!」


 ぺいっ


 「いい加減にしろ!!とっ捕まえて、あの田舎者どもと同じ檻に放り込むぞ!」


 兵士の繋がりそうな眉毛の間に、深い谷間が出来ている。

 怒号に、他の兵も集まってきた。これは、さすがに拙い。


 「眉毛が繋がってしまえ!!」

 「なんだとぅ!!」


 私の捨て台詞に、兵は大股に歩きだす。く、ここは一時、戦略的撤退である!!


 「あ、こら、クソ!逃げ足はええええ!!」


 逃げ足は記者に必要な技術だ。とりあえず、町に逃げて巡回中の兵に咎められるのは得策ではない。まずはこのまま、草原に向かって逃げて、こそりと町に戻ろう。

 宿に預けてきた馬がいれば良かったか。いや、計画的犯行と見做されて、本気で追ってくる可能性がある。


 しばらく走ってみると、兵は追い掛けてこなかった。さすがにそこまで暇ではなかったらしい。


 しかし、全力疾走のせいでかなり疲れた…。昼食もさきほどの茶屋で菓子を少々摘まんだだけだ。

 だが、今すぐ町に戻るのは、またあの駐屯地の前を通らねばならない。さすがにそれは、虎の尾の周りで踊るようなもの…


 「む?」


 そう思いながら歩いていると、視線の先に丸いものが見えた。

 あれは…幕屋。遊牧民の集落か!


 ありがたい。少々、水分と食料を売ってもらおう。


 ヨチヨチ歩いていくと、ちょうど別の方角からやってくる人影があった。

 父娘だろうか。背の高い男性と、小柄な女性だ。


 ふと、その男性の視線が私を捉える。すでに距離は、互いの顔が見えるほどになっていた。


 「ちょっと、君、だいじょーぶ?なんか、すごいことになっているよ?」

 「あらまあ、本当。ちょっと、お水貰いましょうね。それで少し落ち着いたら、お顔拭くと良いと思いますよ?」

 「じゃあ、私、貰ってくるよ!」


 どうやら、久しぶりの全力疾走は、身の安全と引き換えに、私の顔面を崩壊させているらしい。

 まあなんか、鼻水とか出ている感覚があるのは否めない。


 「息を止めると余計に苦しいから、ちょっとずつ整えていくと良いですよ?」

 「あ…ぐは、り、が、どォ…」

 「喋らなくていいからね?」


 さすさすと背中をさすってくれる手が優しい。

 顔は首巻と帽子で良く見えないが、覗く双眸はとても綺麗な形をしている。顔全体を見たら、びっくりするような美人かも知れない。


 「お水貰って来たよ~!」

 「はい、ご苦労様です。さあ、どうぞ。ゆーっくりね?」


 湯飲みに入った水は、少しぬるい。湯冷ましのようだ。ありがたい。

 吐き出す息に負けて吹き出しそうになるのをこらえつつ、ちびりちびり、水をカラカラになった口と咽喉へ滑らせていく。

 

 やや咳込みながらも飲み終え、なんとか手巾を鞄から取り出し、顔を拭った。思った以上に水分…と言うか粘液…を拭い取った感触がある。

 うん。この親切なお二人に会えなければ、不審者として兵を呼ばれていたかも知れない。


 「たいへん、御親切にしていただき、ありがとうござい、まし、た」


 まだ息が切れているので変な間が出来たが、先ほどよりはうまく話せただろう。


 「気にしないで~!ふふ、私の奥さん、優しいでしょ~!」

 「倒れそうな人を介抱するくらい、誰だってやりますよ。まったく…」


 お、くさん?

 思わずマジマジとお二人を見る。男性の方は、四十代おわりから五十代と言ったところで、女性は二十代半ばほどだろう。いや、まあ、それくらいの年の差夫婦は珍しくもない。

 それによく見れば、この二人の間に漂う空気は、まさしく夫婦のものである。と言うか、長年連れ添った熟年夫婦のようにすら見受けられる。


 「すてき、な、ご夫婦ですね。仲がよろしい様で」

 「あ、わかるう!?うんうん!私たち、いつまでも仲良しだもんねえ!」

 「この年で夫婦喧嘩は面倒くさいだけですよ。それよりあなた、ここのご家族になにかご用事ですか?」

 

 二人の後ろにある幕屋からは、何事かと問うように人が出てきていた。

 この時期、町の近くにある集落には、基本的に女性と子供、そしてお年寄りしかいないはずだが、男性の姿も見える。

 

 「ちょっと、飲み物と食べ物を売ってもらえないかと…」

 「町、すぐそこだよ?」

 「町まで待てないほど…お腹がすいてしまいまして…」


 私の返答に、旦那さんは「そっかあ!」と破顔した。奥様と同じく目しか覗いていないが、すごくいい笑顔を浮かべているのがわかる。


 「お腹がすいちゃったら仕方がないものねえ!」

 「でも、お水をいただけて少し落ち着きました。町までどうにかできそうです」

 「そうですか?でも、少し甘いものでも取った方が良いですよ」


 そう言いながら、奥様はごそりと私と同じような肩掛け鞄をさぐり、中から何かを取り出した。

 奥様の手に握られているのは、淡い紅色の飴が入った瓶である。


 「おひとつ、どうぞ。それでもう少し落ち着いたら、お水のお礼を皆さんに行ってくださいね?」

 「それは無論!砂漠の水は、王宮の美酒に勝ると言いますから!」

 「よろしい」


 にこりと笑いながら、私の掌に飴を一粒、転がしてくれる。

 瓶の形からして、『トール・ティム・タム』の飴だ。普通に嬉しい。あそこの飴はたいへんに美味しいけれど、薄給で生きる身としては、本当に疲れた時の贅沢品だ。


 「私たちもね~、ここの人たちのお礼を言いに来たんだよ」

 「昨日、息子たちと作った焼き菓子、気に入ってもらえると良いんですけどねえ」

 「大丈夫!さっき一つ貰ったら、すっごい美味しかったし!」

 「あなたはなんでも美味しくたべますからねえ」

 「そんなことないよ!すっごく美味しいと普通においしいの間には、こーんな壁が在るよ!」

 「はいはい」


 こーんな、と大きく手を広げる夫に、くすりと奥様は笑って、「それじゃあ」と私に手を振った。

 そのまま、まだ力説する夫とともに集落へと進んでいく。


 なんか、集落の人々が緊張している。ここの集落の人たちの氏族長に近しい方なのかもしれない。


 「おい、姉ちゃん」

 「あ、お水ありがとうございました!」


 その背を私の視線から塞ぐように前に立ったのは、遊牧民の男性だ。脂と乳の混じった臭いが、彼が生粋の遊牧民であることを示している。


 「何の用があって、この辺りをうろついてんだ?」


 そして困ったことに、間違いなく私を警戒していた。

 今までの経験から、下手に誤魔化すのはあまりよくない。

 遊牧民はホラは好きだが嘘は嫌いだ。それに別に悪い事をしているわけではないのだから、堂々とするべきだ。


 「私は、『大都順風耳』の記者です。この町に、二太子がお出でになられたと聞き、取材に来ました」

 「ほう」


 あまり背は高くないが、がっしりとして如何にも強そうな遊牧民の男性は、私から視線を逸らさない。


 「そうしたら、今朝がた、陛下と太子殿下が大活躍をなされたと町の人から聞き、何かお話が聞けないものかと駐屯地を尋ねたら、誤解されてしまいまして」

 「そりゃあ、そうだろ。記者って名乗ろうと、中に知らん人間を入れるかい」


 ぷ、と吹き出しながら、男性は首を振る。けれど、警戒は解けたように…思う。


 「けど、『大都順風耳』か。俺も読んだことがあるぜ。字が大きくて、難しい言葉を使っていないから、読みやすい。学校は行ったが、どうもやっぱり、読み書きは苦手でなア」

 「はは、字を読むより、兎の尻の穴を見つけるほうが得意だもんな」

 「おおよ。半イリなら見つけて射貫いたるぜ」


 集まってきた人たちが、豪快に笑った。良かった。品性がない下世話な新聞だなんて言われたりするし、給料は安いけれど、『大都順風耳』の記者で、良かった…。


 何故なら、彼らは腰に手斧を吊るし、何人かは弓を持っていた。

 アスランは法によって治められている国ではあるけれど、遊牧民には遊牧民の法がある。町から少し離れた草原まで連れていかれれば、人の死体も鹿の死体も同じく禿鷹の食事になるだけだ。


 しかし、彼らがここまで殺気立つという事は、やはり陛下は、そして太子殿下は、この町の近くにいらっしゃるに違いない。

 ああ、せめて、二太子の吐いた息の一片でも吸えないものだろうか…。


 「なア、姉ちゃん」

 「はい?」


 内なる願望に悶えていると、兎の尻穴を見つけるのが得意な男性が、ニヤリと笑いながら、声を小さくして呼びかける。


 「ちょーっとばかり頼みがあるのと、後で出来上がった『大都順風耳』くれんなら、陛下たちがいずこにおわすか、教えてやってもいいぜ?」

 「是非に!!百部でもお持ちします!」


 食いつき気味の返答に、男性たちは顔を見合わせて笑いあった。む、これはガセネタを掴まされる予感…。


 「あのサ、兵隊さんら、えらいこと殺気だってたろ?」

 「ええ、まあ」


 決して私がしつこかったからとかじゃないと思いたい。


 「実はさ、町から苦情もでてんのよ」

 「苦情?」

 「そ。他所から来た連中、陛下がまだおわすやもってな?あっちゃこっちゃの空き家から人んちまで、探しまくってるらしいのさ」

 

 なるほど。町の人はともかく、たまたまモウスルにいた人々からすれば、陛下にお会いできるならばと、多少強引な手段に出ているのかもしれない。


 「だからサ、町ん中にゃ陛下はもういらっしゃらないっつう話を、広めてもらいてぇのよ。俺らも、町の衆とは仲良くやってるしな」

 「ああ、まったくだ。それに連中、うちまで覗きに来やがる」

 「俺らが帰ってきたから良かったけどな。かかあと娘たちに、陛下はどこだって怒鳴りやがって」


 つまり、陛下の所在が明らかになれば、彼らも町の人も平穏を取り戻す、という事か。


 「わかりました!こちらとしても、願ったりです!」

 「よしきた!そうこなくちゃあな!じゃあ、教えてやるよ、陛下はな…」


 ごくり、と咽喉が鳴る。潤したはずなのに、もう渇いていたようで、飲み込んだ唾が熱く感じた。


 「今は、駐屯地においでだ。ま、もうすぐ金狼宮にお戻りになるだろうけどな」

 「もうすぐお戻りに?なら、その出立を隠すべく、兵が?」

 「おいおい姉ちゃん!陛下とご一緒にいらっしゃるのは、どなただと思ってるんだよ!一太子の転移の陣でひとっとびだわな!」


 あ。

 あまりにも二太子のみに焦点を合わせすぎて、忘れていた。


 一太子殿下は、魔導研究が盛んなアスランでさえ、「不世出」とさえ言わる魔導士だ。

 しかも、得意とされるのはアスラン王家が伝える、転移の魔導。

 各地にある転移陣は大掛かりな魔導装置を使って陣を維持し、最低十人の魔導士が常に整備に当たらなければいけないが、それをおひとりで、しかも瞬時に発動させるという御方だ。


 そんな御方からすれば、ここから大都まで…そして王宮までなんて、自宅の玄関から寝室に行くようなものだろう。


 「そうですか…」

 「おう。つか、もうお戻りになられてんじゃねぇかな?」

 「そう…ですか…」

 「そんなに陛下にお会いしたかったのかい?まあ、気持ちは十分わかっけど」


 そう言いながら、何故笑いをこらえて?

 だが、誤解されたままでは不本意である。ここは間違いを正さねば!


 「いえ私は、二太子にお会いしたかったのです!」

 「二太子に?」


 私の反論(?)に、男性はキョトンと目を丸くした。


 「私、二太子推しですので…」

 「へえ、珍しいやね。若いお嬢さんは、一太子じゃないのかい?」

 「二太子には、拝謁の栄誉を賜ったことがあるので」

 「へえ!」


 そう。あれはまだ私が、本当に駆け出しで、しかも、『大都順風耳』ではない、もっとお堅い新聞社に勤めていたころだ。


 「士官学校に取材に行ったことがありまして。そのころは『大都順風耳』ではなく、違う新聞社…平たく言うと、お高くとまった連中御用達の読み物を作るところにおりました」

 「ほうほう」


 頷きながら、何故か揚げ菓子(ボールツォグ)をくれた。他の人が、スーティもくれた。有難く咽喉を潤し、嚙み砕く。美味しい。


 「もちろん、単独でではありません。先輩の助手としてです。取材対象は、主に他国からやってきた王族の方々や、アスラン国内の四大氏族、貴族ノヤンの子弟でした」

 「そりゃあ、お高くとまってたろ?」

 「それどころか、私は彼ら彼女らの玩具にされるために連れていかれたようなのです」


 緊張しまくる十代の小娘に、彼ら彼女らは矢継ぎ早に質問を浴びせた。内容は今ならスラスラと答えられる。いや、当時でも冷静になれば答えられたと思う。

 質問されたのは、「知っていれば格好よさげな教養」に関することだ。文学や歌曲、時事などなど。

 思い出しても腸が波打つ。今ならさらに突っ込んだネタを浴びせて、答えに窮する様を見て、あの時私がやられたように「こぉんなこともわからないなんて、ねえ?」とやってやりたい。


 「散々嘲笑われ、それに先輩記者が追従し、取材を進めていきました。後半、私はただ俯いて涙をこらえるのがやっとでした」


 それで鼻水を垂らしたのを見て、「ああ汚い!」と罵られたっけ。ああ、口惜しや!今ならその鼻水を、お高そうな服に擦り付けるのに!


 「ですが、その時、声をかけてくださった方がいらっしゃったのです」


 取材なんだって?俺で良かったら、お相手するよ?

 そう声をかけてきてくださったのが、他でもない、二太子ナランハルだった。


 「どうやら、私が苛められているのを見たどなたかが、二太子に伝えてくださったようで」

 「それで、わざわざいらっしゃったってわけかい!」

 「そうなんです!!それも、慌てふためく連中と先輩を『気にせず取材を続けてくれ』って残して、私だけを連れて少し離れた場所に移動してくれて!」

 

 そこには、他にも数人の男女がいた。皆、士官学校の生徒だったけれど、出自は様々。一人はなんと南フェリニスの王太子殿下でいらっしゃったし、傭兵の息子だという人も、遊牧民だという人もいた。

 

 大丈夫だった?ごめんね、でも、士官学校にいるのは、あんな嫌な奴ばっかりじゃないって、知ってほしくてさ。


 そうおっしゃって、笑ってくださった顔を、私は今でも鮮明に思い出せる。同僚に言わせると「美化しすぎで似てないと思う」とのことだが、そんなことはない。


 「まあ、その時になんとか書きまとめた文章は、先輩が書いたことになりまして、私は馘になったわけですが」

 「ひでぇなあ」

 「いえ、ですが、その時取材に応じてくださった生徒さんの一人が、うちの社の古参記者の叔母さんのお隣さんのご友人の息子さんだったのです」


 どうなったか心配した~と生徒さんが私を訪ねてきてくれて、ちょうど馘になってフラフラと社を出た私に行き会い、その蜘蛛の糸よりも細い伝手で、現在の我が社に勤めるようになったのである。


 「はじめて『大都順風耳』で私の署名いりの記事が出た時、二太子から感想の手紙を頂けました。印章はありませんでしたが、記名をしていただけていて…その手紙は、今でも私の一番の宝物です」

 

 少ない給料の五分の一を使って、銀行の貸金庫に預け、月に一度読むことにしている。

 私の記事は、大都の街路樹に発生した毛虫に関する注意喚起とどんな毛虫なのか、という説明だったのだけれど、わずか千語の記事に対し、一万文字くらいの感想をいただいてしまった。


 そのうち九千五百文字ほどが毛虫に関する記述であったけれど、「きちんと調べて正確に特性や刺された場合の対処法などが記載されているのは、とてもいいと思いました。これからも、良い記事を書いてくださいね」という締めの文だけで、私はあと十年は戦えると思う。


 「なるほどなあ…そりゃあ、二太子贔屓にもなるわな」

 「ええ」

 「お、じゃあ、ここで再会して、見初められたらなんて…」

 「それはありません」


 なんということを言い出すのだ。二太子を愚弄する気か喧嘩なら買うぞ。


 「…違うのかい?」

 「はい。二太子は、尊い存在であり、私などがその存在に干渉するなど、あってはならないことなのです」


 私がしたいのは、その存在を見守り、一挙一動に感謝したい…それだけなのだ。


 「お、おう…」

 

 若干引かれている気がするが、きっと気のせいだ。


 「ま、まあ、ともかく。二太子は本当にお優しい方でな。そんな方が、町の衆がご自身のせいで迷惑をこうむっていると聞いたら、お心を痛めるだろ?」

 「それは…十分に考えられますね」

 「だからよ。他所者にしっかり『ここだけの話』を流してきてくれよ」

 「承知いしました!お任せあれ!」

 「おう、頼んだぜ」

 

 ドンと胸を叩くと、遊牧民たちは笑って頷いた。

 空を見上げれば、もうずいぶんと夕暮れに近付いている。となれば、酒場などで「今朝起きたこと」を聞きつつ、「ここだけの話」を流しまくるか。


 最後にいただいた飴を口に放り込み、私は彼らに手を振って、町の入り口に向け、歩き出した。


***


 「ん?どうした弟よ」

 「いや、あの人さ」


 ファンが指さす方向には、小さな人影があった。

 モウスルの町ですら遠くに見えているこの場所では、まだゴマ粒のようにしか見えない。


 「懐かしいなあ。『大都順風耳』の記者さんだ」

 「そうなのか?」

 「うん。士官学校にいた頃、取材を受けたことがあってね。その後、チャバネヒトリが大都に大発生した時、なかなかいい記事を書いてくれたんだ」

 「ああ…あの、毛虫か…」


  兄の嫌そうな声に、ファンは苦笑した。毛虫が大好き!と言う人間は、さすがにあまりいない。特にあの時は、街路樹の葉と言う葉についた毛虫は結局軍が出て葉を落とし、燃やして事態の収拾を図った。

 その時の指揮は、トールがとっていたのだから、うんざりする思い出なのだろう。


 「だからあの時、天敵のシロアシクモかルリバネハチを大量に放つのはどうかって提案したのに」

 「弟よ…それは毛虫が、蜘蛛と蜂にとってかわられるだけゆえ…」

 「蜘蛛は刺さないし、ルリバネハチに毒針はないよ?」

 「いや、見た目とかな…?」

 「そうかなあ…とにかくさ、まだ元気にやっているみたいで、良かったな」

 

 その後も何度も、彼女の署名記事は目にしている。

 『大都順風耳』はどちらかと言えば面白おかしさ優先で、「大物女優、熱愛発覚…か?」の「…?」の部分を綺麗に折りたたんで売ったりするような新聞ではあるが、彼女の書く記事は地道な取材や調査をもとに書かれている、なかなか読み応えのあるものだ。


 「思わぬ知己に再会するのは嬉しいものだ。良かったな。弟よ」

 「そうだね、兄貴。でも、顔合わせちゃうと恐縮されそうだし、少しゆっくり行こうか」

 「うむ!そうだな弟よ!」


 西日に照らされ、影を先に進ませながら、兄弟はゆっくりと家路を辿る。

 もちろん、彼女は自分の後ろでそんな会話がなされているとは夢にも思わず、考えているのは文章の構成だった。

 

***


 さて、それから。


 大都のあちこちで『大都順風耳』号外が山と積まれ、積まれたそばから売れていき、印刷屋が血尿を出すことになるのだが、それはもう少し先の話である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ニヤニヤが止まらない。 この記者さん、面白すぎます! [一言] 記者さんの再登場がありますように。
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