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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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馬の親子は斑も同じ(蛙の子は蛙)6

 「おかえり~!」


 諸々を終えて貸家へ戻ると、親父が満面の笑みで門の前に立っていた。

 その後ろで、親父の守護者であるホレイのおっちゃんが手を振っている。


 「何も外で待ってなくても…」

 「あはは、さっきまで馬たちの汗を掻いてやってたからね!ユーシン君たちも手伝ってくれてたんだけど、お腹すきすぎて目が虚ろになっちゃったから、ソウジュちゃんに頼んで、先に軽くご飯にしてるよ!」


 さっきの作戦中は親父が乗っていた馬を借りた。

 馬の特徴を覚えられて、「ここにナランハルが!」となられても困る、と言う用心だったわけだけれど。

 さらに町から出てからコッソリと馬を降り、外套も着替えて徒歩で戻る…と言う隠蔽工作のおかげか、まさか二太子が徒歩でうろついていると思わない先入観のおかげか、盛り上がる人々には気付かれず、ここまでこれた。

 作戦大成功、と言って良いだろう。 


 流星栗毛たちは、ユーシン達に汗掻き等々をお願いして預けたんだが、親父も一緒にやってくれたみたいだ。

 その感謝より早く、クロムが口をへの字に曲げる。もっとも、口許は隠されているから見えないけれど。気配がものすごく「不機嫌!」と宣言している。

 そんなにユーシンが先に飯食ったことに苛立たなくても…。


 「あのヤロウ…」

 「ほらほら、そんな顔しちゃあダメだよ~!大丈夫!ファン君とクロム君の分、ちゃんとあるさ!さあ、おうち入ろ~!」


 親父の声に頷いて進もうとすると、背後でなんか整列と言うか、びしっと姿勢をただした音と気配がした。

 

 振り向くと、親衛隊騎士うちのれんちゅうが敬礼している。どうしたお前ら。なんか変なものでも食べたの?


 「ナランハル。我らは厩の二階にて、警備に当たります」

 「え?母屋に来ればいいんじゃない?」

 「いえ、馬泥棒が忍んで来るやもしれませんので」


 口調すらいつもと違う…。なんか、気味悪いぞ。

 ドン引きする俺と対照的に、さっきの不機嫌はどこへやら。にやにやとクロムが口を開いた。


 「センパイ、いつもみたいにはしゃがないんスか~?」

 「クロム君。私たちがいつ、大王ハーンとナランハルの御前でそのような振る舞いをしたと?」


 割とついさっきと言うか…無爪紅鴉旗取りに来た時、「あ、ナランハルだ~」とか言いながら、ウェイウェイしつつ雪玉投げてきたよな…?

 まあ、さすがにこいつ等も大王おやじの前では緊張するらしい。クロムがさらになんか言おうとしているけれど、ここは助けておこう。

 

 「じゃあ、飯出来たら届けるから」

 「いえ、そのようなお手数をおかけするわけには。頃合いを見て、受け取りに参ります」

 「そう?まあ、いいけど…」


 騎士のお手本のような礼をして、連中は厩へと向かう。

 本来騎士の仕事じゃない雑用なんかも嫌な顔一つせずにこなしてくれて、俺の突然の指示にも即座に従ってくれたわけだし。食事と酒はたんまり持たせよう。

 さすがにアスラン軍が目を光らせている中で、馬泥棒馬車泥棒に及ぶような馬鹿はいないだろう。こいつらが酔いつぶれても問題はないはず…たぶん。


 重たく分厚い両開きの扉を開けて家の中へ入ると、風がないだけで暖かく感じた。外套を脱いでいると、奥からパタパタと足音が響く。


 貸家の造りは、まず入ってすぐに荷物を置き、外套をかけておける部屋がある。

 本来は隊商相手に貸す家だからね。倉庫兼玄関といったところだ。

 その先に厨房、居間があり、居間を囲んで寝室が全部で七部屋…となっている。

 なお、トイレと風呂は外だ。

 

 「おかえり~、ファン。クロム君」

 「ただいま、母さん」

 

 冷気の侵入と暖気の放出を防いでいるのは、気の扉じゃなく分厚い布。それをまくって顔を出したのは、予想はしていたけれど母さんだった。

 袖をまくり、頭には三角巾を巻いて、今まさに料理中だったご様子である。


 その後ろから、女官たちが少し困った顔でこちらを見ていた。

 そりゃあ、いきなり后妃と一緒に料理することになるとは思ってもいなかったよなあ。暗殺者の群れに襲われる程度の事は想定できても、これはない。


 これが紅鴉宮か星龍宮の女官なら、配属初年の人以外は驚きもしないんだけどね。

 どっちが正しいってことはないけれど、どっちが普通の反応かって言ったら、今、ちょっと目が遠くなっている彼女たちだろう、


 「お腹すいた?お粥さん作ったからね。食べて待っていなさい」

 「ありがとう」

 

 待っていなさい、の「さい」あたりで、母さんは踵を返して厨房に戻っていく。

 …っていうか、親父も母さんも、いつまでいるんだろう。

 二人が来ているのを兄貴が知ったら、血の涙を流して倒れるんじゃないだろーか。


 そう思いながら親父を見ると、にっこりと笑って厨房へと続く布を捲り上げた。

 どうやら、その辺について説明する様子はない。なし崩し的に泊っていく気かなあ?布団、足りる…?


 「さ、いこ!」


 まあ、居間に行って、落ち着いたら聞こうか。

 母さんに続いて厨房に入ると、実に胃袋を刺激する匂いに満ちていた。

 

 竈は全部で三つ。そのすべてに火が入っていて、思わずため息を吐くほど暖かい。

 一番右の湯気を立てている鍋では、粥が煮えている。白い粥の合間に、棗や栗が見えるから、八宝粥だな。

 その隣の鍋では羊肉が芳香をはなっている。断面の色からして、まだ、完全に煮えていないみたいだけれど、味を想像して喉の奥が鳴る。

 最後の鍋は蓋が閉じているから中身が見えないけれど、匂い的にお米様に違いない。

 炊き立てのご飯に羊肉の塩煮(チャンサン・マフ)。文句ないご馳走だ!


 「はい、これ」


 俺とクロム、そして親父とおっちゃんに椀が渡され、母さんがそこにお玉で八宝粥を注いでいく。

 米一粒、汁一滴も跳ねることなく、粥はとろりと椀に収まった。


 「ナナイちゃんたちには先に食べさせたから。ダメじゃない。女の子に無理させたら」

 「反省してるよ」

 「で、ファン」

 「ん?」

 「あの子たちの中の誰かが、うちのお嫁ちゃんになってくれたりは…」

 「しません」


 そんな顔しても、ないもんはないです。

 つか、なんで親父もおっちゃんも、同じ「え~…」って顔してんだよ!

 

 「坊ちゃんらは、そういうところ主に似ませんでしたなあ」

 「そうだねえ」


 いや、親父も母さんと出会わなかったら、俺ら兄弟と同じコースだったと思うよ。

 そして、脳裏にちらっとガラテアさんの顔が過ったけれど…言わないでおこう。絶対に全力で推して参るされるからな。いくら彼女でも、アスラン王と后妃に「うちのお嫁ちゃんに」って言われたら、「冗談でした」とは言えない。

 

 …冗談じゃなかった場合、俺は次の春くらいに妻帯者になっていそうだし…。まだ、早いよ。うん。ガラテアさんの気の迷いってことは十二分に考えられるむしろその可能性の方が遥かに高いなぜなら俺は客観的に見て女性にもてる男ではないし彼女がナランハルと言う地位に惹かれているとは考えにくいからだ。


 頭の中をぐるぐると渦巻いた仮説を振り切り、手に持つ椀の温かさに集中することにした。手袋越しにも感じるぬくもりは、肌だけじゃなく、指先の血管まで温めてくれる。

 僅かにムズムズと刺激してくる痒みが、指先がまだ凍り付いていないことを教えていた。


 親父に続いて布を潜ると、円形のストーブを囲んでいたユーシン達が、一斉に視線を向けてきた。

 神殿組とエルディーンさん、レイブラッド卿はいない。すでに食事も終えて、寝室で休んでいるみたいだ。

 エルディーンさん、元気にふるまっていたけれど、消耗していただろうし。ゆっくり休んでね。


 視線の中にガラテアさんのそれもあって、ちょっと困る。

 それを察してくれたわけじゃないだろうけれど…察してたら、「おモテになりよって…」でグギギするだろうし…ヤクモが手を挙げて帰還を労ってくれた。


 「ファン、おかえりぃ。おつかれさまー!」

 「クロムがへまをしなかったか!」

 「しねぇよ。お前じゃあるまいし」


 ユーシンの隣に置いてあるのは、椀と言うか丼と言うか、盥だ。母さん、どれだけつくったんだろう。


 「もうすぐご飯にしますからね。暖まって待っていなさい」

 「手伝うよ」

 「あんな狭いところにファンが入ったらきゅうきゅうになっちゃうでしょ」


 まあ、一理ある。

 手袋を外しながら大人しく座ると、女官が匙を手渡してくれた。大人しく受け取り、粥をかき混ぜる。

 ほんわりと立ち上る湯気は甘い香りがして、思わず口許がほころぶ。


 さあ、いただきまーすと息を吹きかけながら匙を綻んだ口許に持っていこうとすると、母さんの声が頭上で響いた。


 「モウキさんとホレイさんは食べたら先に帰っててくださいね」

 「え、えええ!?」

 「だって明日、朝議ある日でしょう?家畜の世話もあるし」

 「ソ、ソウジュちゃんは…?」


 恐る恐る尋ねる親父に、母さんはためらいもなく首を振る。


 「熱だして寝込んでいるナナイちゃんを放っておけません。明後日あたり、トールを迎えに寄越してください」

 「今晩一人で寝るの寂しいよお」

 「マンマルと寝ていいですよ」

 「マンマルちゃん、ソウジュちゃんいないとトール君と寝たがるからあ」

 「なら、三人で寝てください。もしくは、他の奥さんと寝ればいいじゃないですか」


 マンマルは母さんが飼っている生き物で、他の大陸で捕獲されて売られてきた。弱り切っている状態で『献上』されたのを、母さんが看病して生き残った一頭だ。

 どの文献にも資料がないんで、俺が名付けて分類することにしたんだけれど、はりきって考えているうちに『堅尻穴熊』と母さんが命名してしまい…正式に決まってしまった、という経歴を持つ。

 学者として、初めての新種発見による命名権の獲得だったのになあ…。


 「他の奥さんところ行くのは、三日前から通達しないとだし…」

 「大丈夫ですよ。さすがに追い返されません」

 「うう…トール君とマンマルちゃんと寝ます…」

 「トールにご飯食べさせてくださいね。コツは、おとうと~の『と』で口に突っ込むことです」

 「うん…頑張る…」


 ちょっと待って。兄貴、今、どういう状態なの…?

 母さんを見上げると、特に心配している様子もなく、うんうんと頷いている。いや、もっと、気に掛けようよ…?


 「まあ、明後日ファンに会えると言えば回復するでしょう。明日中に、明後日の分も仕事終わらせれば一日一緒にいられますよ、と言っておけばいいです」

 「私も明日の仕事頑張って終わらせて、明後日一緒に来るね!」

 「良いですよ。頑張らなくて。ただでさえ量がいつもより多いのに」

 「頑張るよ。ソウジュちゃんと一緒にいたいからね」


 ほんのり甘い八宝粥が、ものすごい糖度を増したように思えた。

 クロムも同じ心持ちだったようで、匙が止まっている。


 「好きにしてください」

 

 厨房に戻っていく母さんの対応は、相変わらず素っ気ない。けれど、口角が仄かに上がっている。

 見慣れた光景だけれど…親のイチャイチャを見せられるのは、何というか、恥ずかしいよな…。

 

 「あのぅ、もう夜なのに、帰るの、危なくないです?」

 

 おずおずとヤクモが口を開く。その問いかけに、親父は顔全体で笑って首を振った。


 「ありがとう!ヤクモ君は優しい子だなあ!でも大丈夫だよ!私、強いし、頼れる守護者もいるから!と言いたいところだけれど、さすがに馬で帰るのは遠いからね」


 親父が腰のベルトに括りつけられたポーチから取り出したのは、折りたたまれた紙。折りたたまれた状態でも掌に余るくらいの大きさがある。


 「じゃーん。簡易式転移陣です。私も陣を描けるし発動できるけれど、時間かかるからね!これはトール君に作ってもらったものさ!」


 ちなみに、親父が陣の作成から発動まで一人で行うと、だいたい半日かかる。一年かかっても、人が通れる陣を生成できない俺よりははるかにマシだけれども。

 

 「これで帰るから大丈夫!」

 「ファン坊ちゃんも共に帰参していただきたいのですがな」

 「悪いけど、もう少し我儘にさせてくれ」


 ここまで来たら、自分の足で大都の門を潜りたい。

 ごった返しているだろうし、警護に当たる兵は大忙しだ。そこに俺と言う火種を投げ込むのは迷惑以外何物でもないけれど。

 延焼しなきゃ、ただの熱源だ。


 おっちゃんは「やれやれ」と言いたげに笑って頷いてくれた。まあ、もとから本気で連れ帰る気はなかったんだろう。その気なら、問答無用で発動した陣に投げ込まれている。


 そうしてしばし、無言で匙を動かす。

 粥は一匙ごとに減り、そしてついに、椀の底が完全に露出した。


 溜息をついて椀を置き、それから、親父は思い切るように立ち上がる。

 

 「じゃあ、ファン君。明後日ね!」

 「兄貴によろしく。ごはん、食べさせてやって…」

 「お父さん、頑張るよー!」


 ばさりと床に簡易式転移陣が描かれた紙を広げると、青黒い墨で描かれた陣が燐光を放つ。どうやら広げることが発動になっている、緊急脱出用のものらしい。


 「あ、トール君に探知されたかも」

 

 いや、違うみたいだな。繋がる先から発動させられたようだ。

 兄貴が作ったものなら、兄貴は陣に干渉できる…わけじゃないんだけどなあ。普通なら。でもまあ、兄貴だしな…。


 「こっち来ちゃう前に、帰るね!じゃあね~!」


 燐光が強くなる陣に、親父とおっちゃんは足を踏み入れる。

 そしてその姿は、扉を潜ったかのように、消えた。


 しばし、沈黙。親父一人で三人分くらいはにぎやかだから、いなくなった後の静けさが、すこし寒くて、寂しい。

 ただまあそれも、一時のもの。

 最初に口を開いたのは、ガラテアさんだった。


 「初めてお会いしたが…ファンの両親だと、納得の方々だな」

 「親父と俺、顔そっくりだしね」

 「そうではない。ファンがどうしてそう育ったのか、わかる、と言う意味だ」


 ヤクモがうんうんと肯いて同意する。


 「わかる!っていうかさ、ファン。愛されてるねぃ」

 「まあ、両親と兄貴からの愛情を疑ったことはないな」

 「そんでさあ!お母さん、若すぎない?お母さん…なんだよねぃ?」

 「血のつながった実母だよ」


 母さんの見た目の年齢は、息子でいう俺が言うのもなんだが、どう頑張って年上に見ても、三十代だ。それも、前半だ。

 角度とか、服装とかによっては二十代に見える。特に化粧をしていないと、兄貴と姉弟にしか見えないし、俺とだと下手すると俺の方が兄と思われる時さえある。

 …俺が、年の割に老けているってわけじゃあないと思いたい。


 「兄貴はいろいろ母さん似でさ」

 「妖精症か」

 「そういう事」


 魔力が高すぎると、老化が阻害される。母さんは魔導士じゃないけれど、その身に宿している魔力は量質ともに強大だ。

 兄貴が、母上は魔導士として学んでいれば「大魔導士」と言われる立場になっても不思議じゃない…と言うくらいで。

 母さんは「そんな面倒くさいことするなら、お料理の種類を増やすか編み物するか、お台所を掃除します」って言うけれどね。

 ちなみに、親父の肌着は全て母さんの手作りだ。


 「わかりきったことは置いといて、どうすんだ?南大門から入るのか?」


 食べ終わった匙を椀に戻し、クロムが話題を変える。

 確かに、母さんの話題よりこれからの事を話した方が建設的だ。

 あんまり母さんの見た目について語り合うのは、息子としてはなんか気まずいし。

 なので、クロムの質問にほんの少しだけ考え、この町に入ったときから考えている行程を提案する。


 「見世物になるのは年始だけで充分なんで、普通に南東第二か第三から入ろう」 

 「南大門?ってとこと、なんか違うの?」

 「南大門は王族か、十二狗将が率いる軍か、急使以外は出入りできない。毎日開門はしているんだけどな」

 

 図で書いた方が分かり易いか。

 親父が使った簡易転移陣は、陣が消えてただのでかい紙になっている。これに書いていこう。

 常に持ち歩いている鉛筆を腰のポーチから取り出し、まず、大きな長方形を紙に描いた。絨毯の上だから書きにくいけれど、まあ、なんとなくわかればいい。


 「大都は、最初こういう縦に長い四角を基本として造られた街だ」

 「うん」


 ヤクモが興味津々、といった様子で覗き込む。何故かユーシンもワクワクした顔で覗き込んでいるけど、お前さんは知っているよなあ?

 知らん!と楽しそうに言われるとなんか困るので、そっちには突っ込まず、図を書き足していく。


 次に書き加えたのは、上…つまり北と東に広がる楕円形。


 「で、東には東海、北には北海と言う名の人造の湖がある。東海には大運河が繋がっていて、俺たちは最初、ここを通って大都に入る予定だった」


 東海に張り出す、円形。大都の四角い城壁の四分の一くらいになっちゃったけど、実際にはもっと小さい。


 「ここが、東門。正確には、東大門と第一から第四の小門がある。東大門は基本的に軍船専用で、客船は第一と第三、商船は第二と第四を使うことと定められていて、第一第二は大都から出る船、第三第四は入る船が通る」

 「う?水の上に門があるのう?」

 「あるよ。城壁もある。朝日を浴びる東門は大都絶景の一つだな」


 朝日が昇ると湖面が白く輝き、門はその輝きを受けながら開門していく。

 わざわざそれを見るために、湖面で夜を明かすツアーがあるほどだ。

 冬は死者が出るほどの寒さだけれど、その冬が一番美しいとされているんで、やる人は絶えない。やるなら、ちゃんと防寒設備が整っている船を使う、そこそこ値の張るツアーをお勧めする。


 「それから、東海と繋がって、北海。けれど、こちらは基本的に立ち入り禁止。何故なら、北海にある島全体が王家の墓地だし、王宮に面しているからな」


 遊牧民や旅人が水を家畜に飲ませたり、自分で飲む分には何も言わないし、こっそり釣りしているくらいなら許されるけれどね。

 ただ、それ以上は絶対に禁止だ。

 船を出そうものなら上空から竜騎士に問答無用で攻撃されるし、泳いでいるのを見つかっても同罪。

 

 それでも、王家の墓から今までの王たち(ごせんぞさま)の遺骨や副葬品を盗もうとした輩はいた。だけど、成功した者はいない。

 四代の御代、大都が荒廃しきった時でさえ、当時の十二狗将の一人が軍船を展開させて強固な陣を構築し、守り切ってくれた。


 なお、盗人が人だとわからないほど切り刻まれて「落ちていた」とか、皮が全てはがされた状態で「蠢いている」のが発見されたとか、そういう話もいろいろある。

 特に、大祖廟を荒そうとすると、開祖ご本人が直々に成敗するそうだ。

 俺なら、一歩間違えれば…いや、間違えなくても性格が破綻している開祖の怒りを買いたいとは思えないけどね。

 でも、中を改めたら貴重な文献とかも発見できそうなんだよなあ…。


 まあ、それはいいか。説明を続けよう。


 「で、西に西門。こっちも大門と小門第一から第四まで。で、西大門は出る人専用。それ以外が入る人専用。第一から第三までが外国人用、残りがアスラン人用になっている」


 左側真ん中あたりに、丸。その丸に重ねるように、小さな三つの丸を並べる。

 ただのまっすぐな城壁より、こうした複雑な形の方が建築は大変だけれど、守りやすい。真下っていうのは、矢を打ちかけるのも大変だしね。

 張り出した部分がある方が死角をなくすこともできるし、取り掛かるにしてもやりにくい。


 大都の城壁は百年前、四代軍に対し圧倒的に士気が高く、数も多かった五代の攻撃を耐え抜いた。

 最終的には長い圧政暴政に不満を爆発させた住民たちが中から門を開き、大都の戦いは終結する。

 逆に言えば、閉じたままならもっと粘れたという事だ。


 それから大都が攻められるような事態にはなっていないけれど、城壁の整備、補修は欠かさない。常にどこかしらで補修工事を行っている。

 防御力もそうだけれど、遠くから大都を目指してやってきた人が、ひび割れ欠け落ち草ボーボーな城壁見たら…がっかりするしね。見栄えと言うものも、それなりに大切だ。


 「で、南門。こっちは大きな円に、小さな円が二つくっついたような形をしている。けれど、門は一つだけ。南大門だけだ。この二つの丸は砲台を備えた要塞になっていて、十三将、十四将って呼ばれている。十二狗将に匹敵する、大都の守将ってことだな」

 「城壁って、サライみたいに高いのう?でもさ、フフホトとか、低かったよねぃ」

 「サライほど高くはない。大都で一番高い建物は八階建てだけれど、それよりぐっと低いからな。五階建て相当くらいかな。ただ、厚みはすごいよ。中に兵が籠れるようになっているし。一番薄いところでも、この家の敷地の倍くらいある」


 当然、壁自体も分厚い。攻城兵器をぶっ放しても、一撃程度じゃびくともしない。いや、びくともはするか。何度もやられたら壊れるし。

 新型の攻城兵器が開発されると必ず、大都の城壁を模した試験用城壁で試してみるから、決して過大評価じゃない。


 「で、南側両端にも門がある。ここが、南西門と南東門」


 長方形の底辺両脇に書き加える、丸二つ。

 そのうち一つが、目指す南東門だ。


 「どっちもやっぱり、第一から第四までの小門がある。南東門は第一から第三までが入る人用で、出る人用が一つしかないから、少し進みが早いんだ」

 「そなの?どうして?」

 「南東門自体、比較的他の門より人が少ないし、出る人はもっと少ない。船が使える東門に行っちゃうからな。公路があるとはいえ」


 フフノール路は、大運河に並行するように続く道だ。急ぎや大荷物は運河を往くから、こっちを通る人は個人で旅する人や、隊商と言っても小規模な場合が多い。

 とは言え、大運河が混雑していれば、当然こっちも込み合うだろうけれど…。


 「へぇえ~。入るのは、ふつーに入れるのう?やっぱり、通行証見せたりするの?」

 「見せるよ。ただ、他の町よりじっくり見られない。手に持って、改め役の人に見えるようにして通り過ぎるって感じだ」

 「そっかあ。あとさ、大都に入ったら、まず何するの?ファンのおうち行くの?」

 「時間にもよるかなあ」


 午前中についちゃったら、午後まで時間を潰してから帰りたいところだ。

 何せ、午前中は文官武官、兵士に書記官、出入りの商人に何らかの用事があってやってきた人と、様々な人で王城がごった返している。

 

 俺のことをよく知る人なら、こっそりしている俺を見ればそっとしておいてくれると思うけれど、良く知らない人が騒ぐと後々面倒だ。

 平伏しまくられるくらいならいい。ちょっと困る程度で済む。

 問題は、「すわ不審者!」と取り押さえようとされた場合、非常に後味の悪い事になるかも知れない。

 当然、そうなる前に身分は明かすけど、「詰問した」程度でも、周りから責められちゃうからな。さすがに申し訳ない。


 なら、最初から身分を明かしていきなさいよって話だが、それはそれで忙しい時間に余計な仕事をさせてしまう。

 午後になれば政務も落ち着くし、訓練も終わってそれぞれ自分の割り当てられた部屋や場所で仕事をしているから、見つかった時の影響も少ない…はず。

 

 「どーしても、ウチに帰るには王城を通り過ぎなきゃいけないからなあ。手薄になった午後にささっと通り抜けたい」

 「王城とおうちは違うの?」

 「えーっとだな。この、北側にある小さな四角が王城だと思ってくれ」


 紙上の大都図に、四角を書き加える。上辺にくっつく四角。これが、アスラン王城だ。


 「この四角の半分が、王城。ここにアスランの行政府すべてがそろっている。向かって右側は軍、左側は内政に関わる…んー、分かり易く言うと、右側が武官、左側が文官の働く場所ってところ。親父の職場でもあるな」

 

 ヤクモの目が聞き流しモードになったのを見て、言い方を変えてみた。

 そりゃ、ヤクモに六史台の説明なんて一生不要だろうし。クロムだってしっかり把握しているか怪しいからな。ユーシンは絶対覚えていない。


 ただ、それはクロムが不勉強と言うわけじゃない。

 大多数のアスラン人の中で、六史台…司農史台、御史台、鴻史台、太府史台、太常史台、都水史台について、名前と役割を全部すらすらと言える人はそういないからな。

 役人だって、自分に関わる史台以外はあやふやだしね。

 すらすらと全部言えるのは、いずれかの台で席を持つことを目指す、士大夫志望者くらいだ。なにせ試験に出る。


 それぞれ、土地と戸籍の管理、司法、外交、商業の管理と造幣、国が執り行う儀礼と神殿の管理、治水や土木事業を担う。

 この六史台に勤められるのは、何度もの難関試験を突破し、推薦状を携えて面接に臨み、見事合格した人だけと言う狭き門だ。

 それぞれの庁の長が、他の国でいうところの大臣にあたり、さらにその上に立つのが、王を補佐し内政を仕切る中書令…つまり、宰相になる。


 今の宰相は親父の従弟で、俺たち兄弟以外、唯一の王位継承権を持つ人だけれど、その人…スバタイ叔父さんが王位を狙うことは、太陽が西から登るくらいない。と断言できる。

 っていうか、叔父さんが九代になってくれるなら、俺も兄貴も諸手を挙げて賛成しちゃうんだけどなあ。

 本人曰く「やだよ。あの馬鹿より早く引退して、老後悠々と過ごすのが夢なんだから」との事で…うん。やっぱり、頑張って。兄貴。

 

 「で、その後ろが実家。いわゆる後宮。一番奥に金狼宮っていう親父と母さんが済む本宅があって、その前に四つ、宮がある。そのうちの一つ、紅鴉宮が、俺のうち」

 「次のナランハルさんが泣くレベルで虫の標本とか本が詰め込まれてそう」

 「まったくだ。引っ越しは大変だな」

 「そ、そのうち整理しようと思ってるから…!」


 当然、ナランハルじゃなくなった俺が住み続けることはできない。その時はフフホトに引っ込みたいと思ってるんだけどね。で、フフノールやアーナプルナの博物誌を書き上げたいなあ…。

 

 「ファン、大都についたらなんだが…俺たちは一度、自宅に戻っていいか?」


 そんな未来を思い描いていると、ちょっとためらいがちにシドが問いかけてきた。

 別に反対するような内容でもない。頷いて見せると、ホッとされた。

 あ、そっか。シドとガラテアさんは、俺の護衛を兄貴から引き受けているんだっけ。それなら、大都に入るまででっていうのは、軽めに契約違反になるのかな?

 大都に入ったら、もう依頼完了でいいと思うんだけど。長く離れた自宅へ戻りたいのは、シド達も同じだろうし。

 まあ、俺が良いならいいよな。兄貴には俺が許可したって言っておこう。


 「ああ、もちろん。そいや、シド達はどこら辺に住んでいるんだ?」

 「鈴屋に下宿させてもらっている」

 「む!俺も行きたいぞ!」

 

 盛り上がるユーシンに、ヤクモが口を尖らせた。この中じゃ、ヤクモだけ大都に行ったことないもんな。鈴屋って言われても困るか。


 「鈴屋ってのは、俺の母方の実家と言うか、大叔母さんと祖母ちゃんがやってる飯屋と宿屋と雑貨屋のことだよ」

 「宿の、今は客室として使っていない部屋を安く貸してくれていてな。傭兵としての業務を全うするなら、王宮まで護衛するべきなんだろうが、やはり敷居が高い」

 「いんじゃね?俺達も食べて行こうぜ」

 「そうだなあ。祖母ちゃん達にも顔見せたいし」


 鈴屋はヒタカミ料理、トンクー料理、アスラン料理に加えて、いろんな創作家庭料理が楽しめる店だ。親戚だから贔屓目…贔屓舌?…もあるだろうけれど、大都でも屈指の名店である、と断言できる。

 特にこの寒い季節、具だくさんの汁ものが最高に美味い。

 思い出したら、あら汁が猛烈に食べたくなった。海の魚、一年食べてないしなあ。


 「決まりだな!楽しみだ!」

 「おいしいもの食べれるならいいねぇ。ぼくも楽しみ!ココ君も言ってたお店だよね!」

 「お前はお子様弁当でも食ってりゃいいんじゃねぇか?」


 クロムの口調と声に、盛り上がっていたヤクモは目を細めて口を尖らせる。


 「それが何かは分からないけれど、馬鹿にされていることは分かる!」

 「いや、わりと本気でお勧めだよ。あまり癖のない料理をいろいろ詰め合わせたお重…えっと、食器としての箱に詰めたものでさ。お子様弁当は量が少ないから、大人様弁当にしてもらうの、かなりアリだ」

 「ファンが言うなら、それにしてみる!」

 

 機嫌をけろりと直し、ヤクモは大きく頷いた。

 ヒタカミ料理もトンクー料理も、ヤクモの食べたことないもんばかりだろうしなあ。入門として、色々入っている弁当はむしろ最適だろう。


 「俺はユーシン丼を食う!」

 「何それ…ユーシン専用料理?」

 「俺がたまに作る、肉の包み揚げ(マハ・ホルショグ)あるだろ?あれを一枚肉で作って、ご飯の上に十枚くらい重ねたもの。そこに甘みの強いタレを掛けつつ食う」

 「おいしそーだけど、すんごいお腹いっぱいになりそう」

 「ユーシンはそれを、最低三杯は食うな。ヤクモも一杯くらいは食べられると思うよ?」

 「量を半分にとかできる?どっちも食べてみたいよ!」

 「できるできる」


 と言うか、本来はその三分の一で出す料理だからな。ユーシン丼っていうのは、あくまでユーシン仕様の量にした時の通称なわけで。


 「飯の話をしていたら、とてつもなく腹が減った!」

 「お前…それ食ったんじゃねぇのかよ」

 「粥は飲み物だ!」

 「違うと思うけどねぃ!?」

 

 まあしかし、空腹がそろそろしんどくなってきたのもまた事実。

 粥はお腹を温めてくれたけれど、同時に胃の働きも活性化させたらしく、先から切ない唸り声が上がっている。


 やっぱり母さんの手伝い行こうかなと腰を浮かしかけた時、布がひらめいて部屋中にたまらない匂いがなだれ込んできた。


 「ごはんだよ~」

 

 母さんが両手で持っているのは、当然ながら羊肉の塩煮。後ろから女官たちが、米の炊かれた鍋と皿、そして茶が入っているだろう薬缶を持って続く。


 せっせと取り分けてくれた塩煮にたまらず齧り付くと、待ち望んでいた幸せが口いっぱいに広がる。

 もちろん、羊肉は美味い。美味いに決まっている。


 けど、それ以上に、美味いと感じているのは。

 この味付けが…母さんの味付けだからだなあ。


 繕っていても我が家。年をとっても母。

 うちは繕っていないし、母さんは若く見えるけれど、知恵の言葉(オユン・ウグ)は正しい。

 

 自宅ほど寛げる場所はないし、母の料理ほど美味いと感じるものもない。

 それがいつか、妻の料理ほど美味いと感じるものはない、に変わるのが、男として正しい在り方、なわけだけれど。


 再び頭の中がぐるぐるしてきそうで、慌てて口の中に広がる味に、全神経を集中させた。


***

 

 その次の日。

 

 モウスルの港は相変わらず大混雑していたけれど、この町を含め周辺の町には、大都とラスヤントから軍が派遣され、混乱は収まっていた。

 乗客を捨てて逃げるような真似をする船がなくなっただけでも、だいぶん違う。


 置き去りにされた乗客や、急いで大都に向かいたいと希望する人々は、軍が馬車を使って長城まで送ることになったし、積み荷をどうするかで右往左往する商人たちも、近隣の遊牧民が馬車や駱駝車を仕立てて客引きに集まりだしたことで、どうにか目途が立ったようだ。


 そんな中、俺らが何をしていたかと言えば、基本的には何もしなかった。

 馬を走らせ、馬車の整備をし、荷物の整理をする程度。

 夜は、親衛隊騎士と酒盛りをするくらい、のんびりと過ごした。

 

 そんな特筆すべきでもないけれど、なんだか充実した一日を過ごし、幸せな気分で床に就く。

 外は相変わらずの雪だけれど、毛布の中は暖かい。むくむくの寝間着を着込み、首には手ぬぐい、手足には毛糸の手袋、靴下という完全防備だから、凍えて眠れないという事もない。


 それに何より、ちょっと飲みすぎた。


 酒商人が馬車に積み込めない酒をヤケクソ価格で売っていたから!と、親衛隊がほくほく顔で酒を買い込んできて、当然のように酒盛りになったのは、昨日の日暮れ直後くらい。


 参加者は、親衛隊騎士と俺とクロム。


 船の方に半分別けたけれど、それでも小さめの樽に三つもあった葡萄酒は、ほのかに甘く、口当たりが良い。

 血腸詰ザイダスをつまみに飲めば、気が付けばいつもより随分と杯を重ねてしまった。


 最初はつまらなさそうにしていたクロムも、酒が回り、各地からやってきた騎士たちの「あの将軍ってじつは…』話や、経験した戦いの話になると興味を掻きたてられたようで、最後はケラケラ笑っていた。

 まあ、これは、単に酔っ払っただけ、ともいうが。


 クロムと二人、お互いの肩を貸しつつ母屋に戻り、母さんに「酒臭い!」と怒られながら身体を湯で濡らした手ぬぐいで拭き清めたのは、とっぷり夜も更けた後。

 寝巻に着替えて寝床に潜り込んで…あー、いい一日だったと思って目を閉じれば、即座に意識は眠りに沈んだ。


 自分ではついさっき目を閉じたつもりだったけれど、真っ暗だった寝室は、窓の隙間から差し込む朝日に照らされている。

 上半身を起こして、靄のかかる頭のまま辺りを見回せば、端っこの二つの布団に膨らみがない。

 どうやら、ユーシンとシドは既に起床済みのようだ。


 すぐ隣の布団では、まだヤクモがすやすやと眠っている。部屋を照らす光の強さから見ても、夜明けから早朝にかけてって頃合いだな。

 酒が入っているとはいえ、ぐっすり寝たから怠さはない。ちょっとばかり、頭の芯に鈍痛が走るけれど、まあ、このくらいなら朝飯を食べれば治るだろう。


 肌寒いけれど、寝巻を脱いで着替えよう。それから顔を洗って、茶を一杯飲んで、厩の掃除して、馬たちを水と草があるところまで連れて行って。


 今日の予定を考えながら、けれど暖かい布団の誘惑に耐え切れず、もう一度布団の上に転がる。

 二度寝はしない。けど、もう、ほんのちょっとだけ…と幸せな気怠さに身を任せ、差し込む灯りから目を逸らすように寝返りを打つ。


 その瞬間。


 目が、あった。


 「おはよう。弟よ」

 「うっわあああ!?」


 口から叫び声が迸るのと、ヤクモが「なになになにっ!?」と飛び起きるのと、首に腕を絡めて引き寄せられるのが、ほぼ同時。


 次の瞬間俺が見たのは、『砦』の御業に吹っ飛ばされる、兄貴の姿。

 

 「なに!?なんなのぅ!?何が起こったの!?」

 「く、クロム、落ち着け。喉、苦しい!」


 首に食い込むクロムの腕を叩くと、力が緩んだ。

 何とか脱出してクロムを見ると、額に騎士神の刻印が浮き出て、血が幾筋も顔を伝っている。

 その双眸は虚ろで、表情はない。いつもの硬質の無表情ってわけでもなく、本気でぼーっとしている方の無表情だ。


 とりあえず、首に巻いていた手拭いでクロムの額を抑える。刻印が発現した後の傷は、消えればすぐに治る。傷跡も残らない。

 けど、流れ出た血は消えないし、服や布団につけばなかなか落ちないからな。


 「ファン、何があったの!?」

 「えーっと、俺が説明してほしいくらいなんだけど…なんで俺の横で寝てるの?兄貴…」


 吹っ飛ばされたと言っても、飛んだ先は主が抜け出た布団の上。まったくノーダメージに見える兄貴は、きょとんと不思議そうに首を傾げた。


 「弟が気持ちよさそうに寝ていれば、添い寝して寝顔を見るのは当然であろう?」

 「当然じゃねぇよッ!!気持ち悪ィな!!」


 ようやくはっきり目覚めたらしいクロムが、全力で悪態をつく。

 

 「クロム…師に向かってその口の利き方はなんだ?」

 「そういうの以前に気持ち悪いんだよ!!」

 「まったく。弟よ。守護者を甘やかすのは、ほどほどにな?」

 「いや、兄貴。悪いけど、気持ち悪いから…」


 『砦』の御業は、クロムが敵とみなしたもの、そして俺に害をなすものを排除するらしい。

 兄貴は吹っ飛ばされ、『砦』の範囲にいたヤクモは何ともないってことは、害をなしたって見なされたってことだからなあ…。

 普通、二十八歳の兄は、二十三歳の弟に添い寝しないからね?雑魚寝ならともかく…。


 「お、弟…弟が…父上!母上!!」


 ガバリと起き上がり、兄貴は目にもとまらぬ、と言いたくなるような速さで居間へと突っ込んでいった。出入り口を塞ぐ布が「今の何…?」と戸惑うように揺れている。


 「…とりあえず、起きよっか?」

 「なあ、なんでアイツいんの?」

 「ええっと…」

 「おかーさん、明後日になったらトールさん来てって言ってなかったっけ?」

 「あ、そういえば初日から見て、今日が明後日か…」


 確かに母さんはそういった。

 けど、夜明けくらいから来いとは、絶対に言っていないし、想定していないと思うよ?


 「母上!お、弟が!弟が反抗期なのです!!」

 「違いますよ。だから添い寝はやめておきなさいと言ったのに」


 居間から、母さんに訴えている兄貴の声と、塩な対応をしている母さんの声がする。

 …まだ、神殿組の皆が起きてきていないことを祈ろう。


 けど、こういう時、俺の祈りは届かないと、相場が決まっているんだよなあ…。

 嫌な予感に頬を引きつらせつつ、着替えて居間へと向かう。


 そこには、茫然自失と佇む兄貴の姿と、忙しく朝食の支度を整える母さん、そして、母さんを手伝うタバサさんらの姿があった。


 「えーっと、みんな、おはよう…」

 「あ、おはようございます」


 笑顔であいさつは返してくれるけれど、その視線は兄貴と俺とを往復し、気まずそうに逸らされる。

 まあ、なんて言ったらいいかわかんないよね。うん…。


 「みんな、おっはよう!今日は雪が止んだよ!いい天気だ!」

 「おはようだ!」


 そんな気まずい空気をぶち破ってくれたのは、親父とユーシンの声。

 二人とも薄着で、汗を滴らせている。その後ろから、似たような有様のシドも続いていた。

 

 「あれれ?トール君。なんで落ち込んでいるの?」

 「ファンに添い寝してドン引きされただけですよ。ほら、三人とも、汗を拭いて着替えてきなさい」


 首を傾げる親父に、母さんが大判の手ぬぐいを押し付ける。ああ、当たり前のように親父もいるね。


 「ファン!陛下に稽古をつけてもらった!」


 嬉しそうに報告するユーシンは頭の先から膝まで泥と雪に塗れている。あちこちに擦り傷も多数だ。この有様からして、ずいぶん地面と仲良くさせられたらしい。

 たぶん、膝から下が無事なのは、ブーツと脚絆のおかげだな。

 ユーシンほどじゃないけれど、シドもあちこち茶色く染まっている。それでも顔は満足げで、充実した時間を過ごせたようだ。


 「ああもう、泥んこになって…お風呂場で泥を落としてきてくださいね。温めてありますから」

 「はーい!」


 この貸家の風呂は、蒸し風呂だ。

 もともと湯船につかる入浴習慣は、母さんが結婚の条件にしたって話が国中に広がって大流行した形式だから、実家や離宮、でかい湯舟を謳い文句にしている浴場以外は基本あっても蒸し風呂になる。

 俺は湯船に使う方が好きだけれど、蒸し風呂は蒸し風呂でいいよね。


 温めてあるってことは、すでに竈には火が入っているんだな。俺も入ってこようかなあ。けど、入るって言ったら、絶対兄貴も来るしな。うん。やめておこう。


 「ファン、お茶が薬缶に入っていますから、飲んでなさい」

 「了解」


 ストーブの上に置かれた薬缶を降ろし、箱の中におさめられたカップを取り出す。とりあえず、三つ。


 「兄貴、お茶飲む?」

 「…!うむ!飲むぞ弟よ!」


 あ、再起動した。

 兄貴にお茶を入れていると、ロットさんとウィルも居間に入ってくる。二人ともすでに着替えているし顔が赤いから、外に行っていたらしい。

 寝込んでいるナナイとマリーさんを除くと、俺らが一番寝坊したっぽいなあ。


 「夜明けのお祈りをして、ちょっと家の周りを散歩してきました」

 「寒かったでしょう」


 湯気を立てるカップを差し出す。二人とも塩味のスーティにだいぶ慣れてくれて、最近は何の躊躇いもなく口をつけるようになっている。

 ただ、匂い的に薬缶に入っているのはスーティじゃなく、メルハ式の飲み方…チャイだな。


 「みんなも、もうお手伝いは良いから。お茶を飲んでいなさいね」

 「はーい!」

 

 女の子たちは良いお返事をして、ちょこちょこと座った。おや、エルディーンさんいないな?レイブラッド卿もだけれど。

 そして、ガラテアさんもいない。まだ寝ているのかな?

 きょろきょろしていると察したらしく、母さんが呆れた声をだした。


 「ガラテアちゃんたちはお買い物に行ってくれていますよ」

 「買い物ができる時間ってことは、今、それほど早い時間じゃないのか…」

 「何、まだ前七刻過ぎだ弟よ!それほど遅くもない!」


 今の夜明けが前六刻ちょい前くらいだから…思ったより普通に早朝じゃなくて朝だな。

 でもまあ、何刻までに起きなきゃいけない予定があったわけでもない。

 やや沸き上がる後ろめたさというか、皆働いているのにぐーすか寝ててすいませんというか、そんな気持ちを誤魔化すためにも、せっせとお茶汲みしよう。


 タバサさん達にもお茶を配ると、匂いに気付いたんだろう。不思議そうな顔をしている。


 「牛乳で煮出した茶葉に、たっぷりの砂糖とちょっぴりの香辛料を入れたものだよ」

 「…美味しい!」


 香辛料は仄かに香るくらいだけれど、身体を内側から温めてくれる。

 特に外から戻ったロットさんとウィルには、てきめんに効くだろう。


 そして何より、兄貴が気持ち悪い問題から皆の意識を逸らすことが出来たな。


 「美味い!美味いな!弟が淹れてくれた茶は最高だ!」


 …前言撤回。兄貴、人見知りなのに、よくこんなに知らない人がいる中で、堂々とアレな言動できるなあ。

 いや、そうだ!ロットさん以外はまだまりタタル語わからないから、なんかご機嫌だな、この人!くらいにしか思わないな!

 うん。ロットさんにはばっちりわかるんだけどね…。


 「こちらの方はファンさんのお兄さまですか?」

 「はい。そうです。兄のトールです」


 そのロットさんは、兄貴の奇行を気にしたふうもなく、おっとりと微笑んでいる。

 …笑顔が不自然に固まっているように見えるのは、俺の被害妄想だろう。多分。きっと。そういうことにしておく。


 「お母さまとよく似ていらっしゃいますね。はじめまして。私は、アスター大神殿にお仕えしています、ロードリットと申します」

 

 ロットって、愛称だったのか。

 俺がそんな感想を抱いている横で、兄貴がぎこちなく視線をロットさんに向ける。


 あ、知らない人がいるの、気付いたな。


 「…ファンの兄、トール、と申す」

 「ファンさんには、とてもとても助けていただきました。大神殿を代表するのは不遜ではございますが、バレルノ大司祭を始めといたします我らは、ファンさんにどれほど感謝しても、大海に小石をひとつ投げ込むようなもの。まるで追いつきません」

 「そ、そうか!」


 兄貴の顔が、ぱあーっと輝く。さっきから輝いたりスンとしたり、忙しいなあ。


 「弟よ!よき友を得たな!!ロット殿!弟は自慢の弟でな!あれは春先、ひときわ良き風の吹く日…」

 「兄貴、そこまで」


 放っておいたら、俺が生まれてから今までが、とんでもなく美化されつつ語り尽くされてしまう。

 そんな拷問はまっぴらなので、強引に兄貴の口をふさいで止めておいた。


 「コイツに、あまり餌をやらんでくれ。ファンの事なら、本気で七日七晩語り尽くすぞ」

 「弟想いなんですね」

 「それですましていーのかな…」


 付き合いの浅いヤクモにまで言われてるぞ。兄貴。

 実際、兄貴を弟想いで済ますのは、龍を「大きめのトカゲ」と言うようなものだろう。あれはもっと、なんて言うか、手に負えないモノ、だ。 


 「それより兄貴。いつからこっちに?」

 「夜明けとともにだ。本日参れと、母上もおっしゃっていたのだろう?」

 「夜明けは『今日来る』の時間の候補にもならねぇよ!」

 「何故だ!ちゃんと日が変わるのを待ったというのに!」

 「一応…普段はもっと、ちゃんとしてますので…」


 まあ、確かに「今日」は夜明けとともに始まるけどさあ。

 夜明け前でも時刻的には「今日」だから!とか言ってやってこなかっただけでも、まだマシとすべきなんだろうか。


 「弟よ、いつモウスルを発つのだ?今日中なら、兄も一緒に…」

 「今日は無理です。やっとナナイちゃんたちが普通のご飯食べられるようになったんだから。明後日まで待ちなさい」


 母さんのぴしゃりとした声が飛び、兄貴はまたスンとした。本当に表情忙しいな。


 居間に入ってきた母さんの手には、特大の鍋。それをストーブの上にドスンとおく。

 ちらりと見えた中身は、饂飩ツォイショルだ。

 羊肉の塩煮を作った翌日、その湯で汁で饂飩を作るのは、アスランでは当たり前のこと。それが王家の食卓だからと言って、変わるものじゃない。

 さらに半月形の肉餅ホーショールが重なる皿を女官たちが持ってきて、車座になって座る俺たちの真ん中に置く。

 ひき肉を挟んで揚げた肉餅からは、香ばしい匂いが湯気と共に立ち上っていた。

 

 「モウキさんたちの分と、ガラテアちゃんたちの分はとってあるから。食べて場所を開けておきなさい。トール、ファン、よそって配ってね」

 「承知いたしました。母上」

 「はいよ~」


 女官が何か言いたげな顔をしたけれど、后妃からの命令じゃ太子は従うしかないからね。さっさと立ち上がり、兄貴が椀によそった饂飩を皆の前に置いていく。

 居間はそれなりに広いけれど、ここに親父たちとガラテアさんたちが帰ってきたら、さすがに狭い。確かにさっさと食べて部屋を出て、場所を開けるべきだ。


 「…いいのでしょうか?」

 

 それでも、ウィルたちはちょっと躊躇うようだ。母さんがなんて言っているかわかってないしな。


 「もともと、アスランに朝ごはんを家族そろってから食べる、って習慣はないから」

 「う?そなの?」

 「遊牧していると、朝ごはんを食べる時間がまちまちだからな。朝、乳しぼりが終わったらまずは女性陣と子供が食べる。それで足りなさそうなら作り足して、次の仕事をはじめる。で、遊牧に出ていた男衆が戻ってきた順に食べて、最後の人が片付けて…ってのが、遊牧民おれたちの習慣。その代わり、夕飯は絶対に家族そろって食べるよ」


 実家だと、朝の一仕事終えたのち、戻ってくる時間が同じだから一緒に食べることが多いけれど。

 朝議が長引いたりなんだりしていれば、躊躇なく母さんと俺でさっさと食べる。

 

 「だから、冷めないうちに食べちゃって。逆に待っていたら、親父がきっとオドオドするから」

 「うむ。弟の言う通りだ。気にせず食せ」


 お、兄貴、西方語に切り替えた。

 知らない人だけれど「良い人」認定をしたらしい。二人きりにしたら、ひたすら曖昧な笑みを浮かべつつ背中に冷たい汗をかいてそうだけれど。

 

 「はい、これで今日の朝ご飯はぜんぶですよ」


 そう言いつつ母さんが持ってきたのは、籠に持った蜜柑だ。

 小ぶりだけど艶々としていて、いかにも甘そうな橙色をしている。


 「母さんからのおすそわけ。トールが持ってきてくれたの」

 「あ、蜜柑無事届いたんだ」

 「危ないところだったみたい。もう少し東海に入るのが遅かったら、巻き込まれていたって」


 肉餅に齧り付いているクロムの目が輝く。蜜柑好きだもんな。でも、数的に一個だけにしろよ?

 ヤクモはクロムの目の輝きを察して、じりじりとクロムから距離を取る。そうだな。俺と兄貴を挟むくらいの距離を取った方が良いと思うぞ。


 うんうんと頷きつつ、饂飩をすすろうとすると、女官の声が上がった。

 何かに驚いたような、そして、案じる声。


 腰を浮かしかけると、母さんが目で制した。女官の声は続いている。


 「まあ、なんてこと!」

 「エルディーン様、お怪我は!」

 「ガラテア様、その血は…!」

 「大丈夫。返り血だ」


 なんか、物騒な言葉が聞こえてきたけれど…。


 厨房と居間を隔てる布がめくられ、そこから入ってきたのは、まずガラテアさん。

 特に怪我をした様子はない。返り血は外套についてた…んだろうか。


 ただ、その綺麗な顔には、あきらかに「激怒」と書かれた微笑みがあった。

 シドが今頃、風呂で背筋を粟立ててなきゃいいけれど。

 

 その後ろから、女官に肩を抱かれてしゃくりあげるエルディーンさん。


 「エリー!」

 「…みんな!」


 女の子たちが駆け寄る。エルディーンさんの髪は乱れ、涙が頬を濡らしていた。

 続いて入ってきたレイブラッド卿は唇を噛み締め、戦慄いている。

 

 「何が、ありました?」


 母さんの声は、塩の塊を凍らせたよう。別に俺たちがその怒りを受けているわけじゃないけれど、俺と兄貴と、ついでにクロムの背がビシっと伸びる。


 「馬鹿者が、エルディーンに狼藉を働きました。馬車に連れ込んで攫おうとしたので、馬車を足止めしてエルディーンを救出したのち、乗っていた男は全員ぶちのめしました」

 「文句ない対応だね。ガラテアちゃん」


 それで返り血がついたのかあ。納得。

 ガラテアさんの「ぶちのめす」は、つまり半殺しかそれ以上だと思うけれど、自業自得だ。

 

 「馬鹿どもは兵に引き渡してきました」

 「さすがお姉さま!」

 「エリー、怖かったね!もう大丈夫だよ!」

 「…だい、だいじょうぶ!ちょっと、吃驚しただけ、だから!きっと、レイもお姉さまも、助けてくれるって、思ったし!」


 涙をごしごしと拭いて、エルディーンさんは気丈に言い放つ。

 

 「そ、それより、あの下郎ども、他にも女子を攫っているかもしれません!」

 「…それはまことか?」


 声を掛けられて、エルディーンさんは兄貴に気付いたようだ。兄貴と会うのは二回目だし、誰かすぐに分かったんだろう。


 「はい!タタル語はまだ不自由なので、すべては分かりませんでしたが、『三人』『集めた』と言っていた…と思います!」

 「トール。ファン」


 静かに、母さんの声が響く。


 「是!」

 「朝ごはん、取っておいてあげるから、すぐに助けに行きなさい」

 「是!!」


 確かに、のんびりしている場合じゃない。

 手口からして、素人のやり方だ。となると、暇を持て余して女の子を攫うような馬鹿がいるってことだ。

 

 「わあ、お父さんも混ぜて~」


 そこに加わる、我らが大王ハーンの声。

 ほこほこと温まった親父が、いい笑顔で布を捲っている。


 「でも、朝ごはん抜きはつらいからね。さ、二人とも、すぐに饂飩食べて、ホーショルは齧りながら行こう!」

 「御意に。まずは、捕らえた連中とおしゃべりいたしますか」

 「闇雲に探すより、それが手っ取り早いね」


 急いで饂飩をすすり始めると、今度は外から、怒鳴り声が聞こえてきた。

 微かに聞き取れた意味のある言葉によると、「うちの息子を怪我させた奴を出せ」と言っているようだ。


 「どうやら、獲物がわざわざ巣穴から這い出てきたみたいだね!」

 「そうですな。父上」


 親父と兄貴の、狼の舌なめずりのような声。

 そしてそれに続くのは、当然ながら。


 「モウキさん。トール。ファン。おそらく、その連中は同じようなことをすでに何度も行っているでしょう。そうして涙を流した子の分、仕返しして差し上げなさい」


 食べ終えた椀を横に置き、左胸に拳をつける。多分、親父も。


 「「「是!」」」


 父子三人の声が揃い。

 

 「よろしい」


 我が家最強…つまり、アスラン王国最高権力者、后妃ハトゥンソウジュは、不敵に笑った。

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