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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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馬の親子は斑も同じ(蛙の子は蛙)4

 アスラン軍の階級を大雑把に言えば、兵士、十人長、百人長、千人長、万人長で、その万人長からさらに選出されるのが十二狗将だ。

 選考基準は、本人の強さや統率力、そして、アスラン王国に対する忠誠心。


 まあ、裏を返せば、それ以外はあまり注視されない。

 横領したり、権力を振りかざしてやりたい放題するのは、国への裏切りとみなされるから、そういう人はいないけれども。


 ただ、人格的にアレな人は当然いるわけで、現在俺の目の前にいるこの人、ジャスワン将軍はまさにその代表格ともいえる。


 「おにーさんさ、この世でどーしても我慢できないヤツが二種類いてさw」


 踏み潰した偽兵士の首をさらに踏み躙りながら、後ろ姿しか見えないけれど、たぶんニコニコと笑っている。

 人間の体重で大人の頭が踏み潰せるかと言えば、普通に考えて否。甲冑を纏い、鉄靴を履いていれば、まあ…と言うところだろうけれど、それをやすやすとやってのけるのは、この人が魔導士だからだ。


 ジャスワン将軍は大地の精霊と親しく、大地から発せられている『引き寄せる力』を瞬間的に強くすることができる。

 効果は息を止めていられる間だけだそうだけれど、自分に使えば「振り下ろす」一撃を恐ろしく強化し、敵に使えば動きを止められる。

 もっとも、相手に使う時には、抵抗レジストされることは当然あるわけで、兄貴みたいな相手には使うだけ無駄~wと言っていたけれど。


 相手が混乱していたとはいえ、一撃で首を刎ねた腕前からもわかる通り、戦士としても十分強い。しかも、これで本来の得物は大斧なんだよね。俺なら、あまり得意じゃないらしい剣はおろか、その辺の木の枝で戦ってもらっても負けると思う。


 「ひとつは、女買いに行って、その女に説教するヤツ。もうひとつは、更に値切ろうとするやつ」


 …将軍、嫌いな奴の種類、終わっちゃっているけど…。


 「で、もうひとつが、お前らみたいに他人の強さで威張り腐るヤツだよw」

 「…三つ言ってっけど」

 「あれwま、いいじゃんw嫌いなもんは嫌いなんだからさw」


 クロムの突っ込みに、将軍は悪気れた様子もなく手を振った。その横で、ユーシンが一つ二つと指を折って、「む、確かに!」と頷いている。


 「ま、そーゆーわけでwお前ら、全員拷問からの牛裂きねw」

 「…ま、待て!あんただって、十二狗将なんて騙ってんじゃねえか!なあ、お互い様だろ?ここは、お互い、なかったことにしようぜ!」


 ウィルたちを人質にしようとした奴はクロムに盾強打されて倒れこみ、時折小さな呻き声を漏らしながら蠢いている。

 ヤクモにひどいことをした奴は、ユーシンに腕をへし折られ、痛い、という意味の嗚咽をあげながら藻掻いている。

 そして、一番体格が良くて強そうだった奴は、将軍に首を刎ねられて死んでいる。


 この状態で恐慌に陥り、逃げようとしないだけ、少しは肝が据わっていると褒めてやるべきだろうか。


 引き攣った笑いを浮かべて、リーダー格っぽい奴…十人隊長のそれを模した服を着ているから、多分そうなんだろう…は、必死に交渉を始めた。

 まあ、普通はね。十二狗将ってアスラン全土で十二人しかいないわけだし、こんな路地裏の倉庫街をぶらついてないから、信じられないよな。

 

 王族の身分詐称は問答無用で死罪だけれど、当然ながら兵ではないのにアスラン兵と騙るのも罪だ。

 言って威張っただけなら、じゃあちょっと入隊してみようかあ~って鬼教官に可愛がられて放免されるが、身分詐称の上に金や物を強請ったり、脅せば棒打ち百打の上に強制労働。もっと上の千人長以上を詐称すればさらに重い罪になる。

 

 まして、十二狗将ともなれば、王族と同じく死罪もあり得る大罪だ。

 なにせ、他の万人長とは違い、十二狗将は軍事、行政、人事の決定権を持つ。そこに王の承諾もいらない。

 糧食の購入をこっちの商会に変えようとか、見込みがありそうだからこの人を千人長に抜擢しようとか、そんなことも当然できるわけで、「お近付き」になりたいと思う人はそりゃあもう、たくさんいる。


 ただ「武勇をみてください!」ってだけなら良いけれど、「お近付き」になるために接待したり、金品を贈ったりする連中がでてくるのは必須なわけで、そういう連中が騙されるのは自業自得とは言え、詐欺なのは間違いない。

 最悪、それで勝手に恨まれて、いざという時に意趣返しだと利敵行為をされたら、たまったもんじゃないしね。


 それだけ重い罪になっても、騙る人間は騙る。

 連中、将軍もそうした騙りだと思ったらしい。ことが露見すれば、十二狗将を騙った方が罪は重くなる。だから交渉できると踏んだんだろう。

 残念ながら本物だから、交渉の余地はないんだけど。


 「えーwおにーさん、聞いちゃったし、それに」


 眼球すれすれに剣先を突き付けられ、リーダー格は口を開けたまま動きを止めた。いや、細かく震えているから動いてはいるんだけれど。


 「たとえ俺ちゃんが騙りだろうと、ムカつくやつを見過ごす理由になる?」

 

 『赤狼』ジャスワン。講和をするなら、戦になる前しかない。一度ことを構えれば、決して講和も降伏も許さない…と言われるのは、この性格ゆえだ。

 まあ、彼が見逃すと言っても、俺が許さないけれどね。


 「ってわけでーwお前ら、あとよろしくーw」


 ジャスワン将軍が言い放つと同時に、通路の両側から兵が湧き出る。現れた「本物」のアスラン軍に、偽兵士たちは逃げ出そうとしたけれど…当然ながら、即座に鎮圧された。

 

 「んー、こいつ、どうやって殺されたのかなあw」


 もう連中に興味は失ったらしいジャスワン将軍は、最初からあった死体に視線を移した。

 その隣に座り込み、しげしげと傷口を眺める。


 「錘かなんかで打ち抜かれた感じ?それにしちゃ、上半分がその辺に飛び散ってねーなあ」

 「ああ、確かに」


 錘は、鎖の先に重りを付けた武器で、振り回したり投げつけて使う。達人が使えば、人の頭に穴くらいはあけられるけれど、こんなふうに半分消失するわけはない。

 …うん。確かに、見渡しても顔の半分は、何処にもない。


 「ヤクモ。何か、見えたか?」

 「んっとね、人がいた…と思う。けど、ほんのちょっとだけしか見えなくて、どんな事したかはわかんないや…でもね」


 ぐしぐしと涙を拭いてから、ヤクモは手に握っていた剣を俺に示す。

 サライで購入した剣は、刃毀れひとつない新品だ。だけれど、その中ほど…刃の半分ほどが、ぱっくりと半月形に、ない。


 「すんごいばっしーんって来たよ」

 「良く防いだな!」


 寄ってきたユーシンが剣を一瞥した後、くしゃりと笑ってヤクモの肩を叩いた。

 本当に、よく防いだ。もし、防げていなかったら…ヤクモが、ああなっていたかも知れない。

 そう思うと、背筋が冷えた。


 「気付いたらね、剣を抜いてたんだ。ぼく、できたんだよ」

 「ふーん。お前にしちゃ良くやったじゃねぇか」


 クロムも、そのことに思い当たったんだろう。素っ気ない口調の声が、わずかに震えている。

 

 「えへ。もっと格好よく、その人も助けられたら、よかったし…やったやつ、捕まえられたらよかったんだけど」

 「こんなやつ、助ける意味がねぇよ。ほんと、死なないで良かったな。無駄死にも良いところだった」

 「だって、悪い人だってその時は分かんなかったんだもん」


 ヤクモの話を聞くと、変な臭いがして、悲鳴が聞こえたから助けに行き、襲撃された…という流れのようだ。

 襲撃者は、即座に逃げたか…。二人とも殺せたと油断したのか、一撃で殺せなかったから逃げたか。

 前者ならともかく、後者なら用心深い。その影を追うのは骨が折れそうだ。


 「ユーシンも、へんな臭い、したんでしょ?」

 「ああ!なんか、あれだ!一番近いのは…そうだ!ゲロ臭い!」

 「そういえば…そんな臭いが微かにするな」


 ぶち抜かれたのが腹なら、わかるんだけれど。

 吐瀉物の臭い…胸が悪くなるような、酸っぱい臭い。


 「…ヤクモ、剣をちょっと貸してくれ」

 「うん」


 ぱっくりと欠けた断面を、よく観察する。

 僅かに凹凸がある。切り取られたのではなく、抉り取られた感じだ。

 そして、そこから微かに臭う…これは。


 「酸…か?」

 「む!ヤクモ!顔に怪我をしているぞ!」

 「え?」


 ユーシンの指摘にヤクモの顔を見ると、肌にぽつぽつと数点、赤く爛れた個所がある。

 

 「ヤクモ!御業を願うから、こちらに…!」

 「わ、全然気づかなかった!言われたら痛い!」


 よてよてとヤクモはウィルに歩み寄り、すぐさまウィルは女神へ御業を請う。朝日のような白金の光がヤクモの顔に当たると、そのぽつぽつは色を薄めていき、いくつかは完全に消え去った。


 ヤクモの顔の爛れは…おそらく、酸による熱傷だ。

 一撃を防いだ時に、飛沫がかかったんだろう。目に入らなくて、よかった…!


 とりあえず、相手の武器は酸を纏うなりしているっぽい。というか、剣の断面やなんかからすると…酸を多分に含んだ、つまりは消化液を含んだ唾液を分泌する口で嚙みついた、と見るべきか。


 …うん。それは間違いなく、人間業じゃあない。


 「将軍。相手は魔獣か、魔獣使いの可能性も考えた方が良いかも」

 「あー。頭半分は、飲み込まれちゃった、と」

 「あくまで、可能性だけれどね」


 どっちにしろ、人ひとりの頭を半分消滅させ、動くものを見る事に関しては相当な才能があるヤクモですら、何があったのか見ることができなかった。

 十分すぎるほどに物騒で、脅威だ。


 「めーんどくさいけど、こりゃあ、本腰入れて犯人探さないとだわあ」

 「年末に向けて忙しい時期だけど、よろしく頼む」

 「はいはいwま、こいつらがなんか吹っ掛けて返り討ちにされただけ、ならもう何も起きないでしょ」


 その可能性もある。相手は、とんでもない奴だ。けれど、それを言ったらいきなり首刎ねて頭を踏み潰すこの人だって、ものすごいヤバいわけで。

 ただなんとなく、それじゃすまない予感がしているのは…この、漂う悪臭のせいだろうか。


 顔半分がなくなった死体を見ていると、何かが引っ掛かる。

 もっと、俺はこの件について、考察できる材料を持っているような…


 「将軍!」

 「ほいほーいw」

 

 そのもやもやとした考察の材料に手が届く前に、背中に声がかかった。

 指先も掠っていなかったせいか、もやもやは完全に散ってしまい、なんだか曖昧な不安感だけが残ってしまったが…まあ、しょうがない。


 振り向くと、生真面目そうな顔をした人がつかつかとこちらに向かってきていた。

 とりあえず、俺を避けてくれそうな歩き方じゃないから、こっちが壁際に寄っておこう。

 クロムがそれを見て眉を跳ね上げた。手をあげて静止しておく。無礼っちゃ無礼だけれど、俺は名乗ってないからね。二太子に対する礼を求めるのは酷だ。


 真面目そうな人は騎士服をきっちりと着込み、髪も七三にきっちりと分け、規定通りの場所に、銀色の徽章を輝かせている。

 船の外輪を象った徽章は、このラスヤントの軍に所属していることを現し、銀だから千人長だな。


 「また、民間人を殺害したのですか」

 「え~w民間人っていうか、罪人よ、罪人。あ、こいつら拷問にかけて他にも群れがいないか確認して、牛裂きにすっから。場所、開けといて~w」

 「…将軍」


 溜息と共に吐き出された言葉のキツさが、この二人が上手くいっていないことを示していた。

 ラスヤントにはジャスワン将軍を頂点として、あと二人の万人長と、このまじめな人を含んだ二十人の千人長がいる。

 万人長をすっとばして、千人長が不仲になるほど関わることはあんまりないと思うんだけれど、もしかしたら押し付けられてるのかもしれない。


 もともと、ジャスワン将軍は地方軍の兵卒から抜擢されて、とんとんと十二狗将まで上り詰めた人だから、士官学校を出て騎士になり、百人長になり…と正統派の出世をした人にはあまり受けがよろしくない。

 兄貴なんかは「性格はアレだが、彼がアスランに生まれたことを感謝せんとな」と言うくらい、将才を高く評価しているけれど。


 「こやつらがアスラン軍を騙ったこと、確かに許されることではありません。兵服まで模倣していますし、訴えも出ております。ですが」

 

 真面目千人長は、俺の前を通過した。こっちをちらりと見たけれど、それ以上の反応はない。

 それを見て、ジャスワン将軍がニチャアっと笑う。あーあ…。


 「拷問に牛裂きなど、過剰です!!あなたの気分を損ねたことが、それほどの重罪とでもいうのですか!」


 肩で息をつきながら、千人長は背中から「言ってやった!」と無言の雄叫びを上げている。

 確かに、諫言は大事だ。でも、諫言するなら、状況を全て確認してからの方が良いと思うよ。

 まして、相手が『赤狼』なんて、狡猾と評される獣の名で呼ばれるような人ならね。


 「あれあれ~w君さあ、もしかして、アスラン王家とかどうでもいい人?いやだあ、おにーさん、吃驚だなあ」

 「は!?何を申されますか!我が身、我が魂、我が生涯!すべて、アスラン王国とアスラン王家に忠誠を誓っております!」

 「あーw言うだけなら、何とでも言えちゃうからね~w」

 「将軍!それ以上の侮蔑は、十二狗将と言えど!!」

 

 これはもう、止めた方が良いだろーか。

 彼は、多分、本当に真面目なんだろうな。性格がアレな十二狗将の面倒を押し付けられて断れないほどに。

 さらに言えば、ジャスワン将軍がさっさと彼を罷免なり左遷なりしないくらい、有能であるらしい。

 もう少し融通が利く性格なら、千人長が噛みつくのを許している時点で、結構ジャスワン将軍は寛大なことに気付くのだろうけれど、それは難しいか。


 「将軍。そのくらいで」

 「いやいや~wちゃあんと間違いは正しませんと~w」


 そこで生真面目千人長は、初めて俺の存在に気が付いた、というような顔でこちらをしっかりと見た。

 その顔いっぱいに「なんだこの民間人」という疑問符が浮かんでいる。陰になっているから、俺の髪と目の色まで良く見えないだろうしね。


 「…其方は」

 「おい、良いんだよな」


 クロムがこちらを見て、うずうずしている。うん。これで名乗らなかったら、後でジャスワン将軍に何されるかわからないしな。

 こくりと頷いて見せると、クロムは口の端を持ち上げて生真面目千人長に向き直った。

 俺からすると苦労しているね、アナタ…と同乗してしまう人だが、クロムはムカついているようだ。もっとも、クロムは初対面の人の八割くらいムカつく男だけれど。

 ついでに言えば、偉そう度とか上から目線度でいえば、クロムの方が点数高いからな?


 「質問に応えよ。其方らは関係者か?」

 「膝を付いて頭を下げろ。無礼者」


 無表情に近いけど、口の端が上がってるぞー。治療を終えたヤクモも「あーあ」という呆れた顔で見ているし、ユーシンに至っては吹き出している。


 「何をいっているのだ。そな…」

 「ファン・ナランハル・アスランの御前だ。アスランの騎士であるのなら、膝をつけ。さもなくば、叛意ありとみなして、斬る」


 クロムの口から出た名に、生真面目千人長は弾かれたように俺を見て、そしてジャスワン将軍を見た。


 「ナランハル。部下の不始末、伏してお詫びいたします」


 そのジャスワン将軍は先ほどまでの態度から打って変わって、お手本のような動作で片膝を石畳に着け、左拳を胸に当てて頭を下げる。


 俺が本物かどうかは、生真面目千人長にはわからない。

 彼が分かっているのは、ジャスワン将軍が本物であるという事と、この人が例えおふざけであっても、王族以外に膝を付くはずがない、という事。


 それが導き出す答えは、稲妻のように彼の脳裏と身体を駆け抜けたらしい。

 飛び跳ねるように、跪礼ではなく伏礼をして声を張り上げる。


 「ナランハル!!無礼、万死に値します!!」

 「やだあwどーするぅ?おにーさん、優しいから、ナランハルに謝ってあげよっか?」

 「将軍。いじめるのはそれくらいにしてあげてください。名乗ってない俺が悪い。他の皆も礼は良い。そのまま任務を遂行してくれ。迅速な捕縛、ありがとう。さすがは要衝ラスヤントを守る兵だ。見事な動きだったな」


 千人長に続き伏そうとする兵を慌てて止める。逃げちゃうからね。賊。

 何せ、「二太子ナランハル」に武器を向けて、「拷問にかけてやる!」とまで言っちゃったんだから。


 王族へ武器を向ければ、問答無用で死刑だ。基本は、牛裂き、馬裂き、車裂きの最大限の苦痛を与える刑になるけれど、さすがにそれは酷すぎる。

 ヤクモに何かあったら、それでも生ぬるいと思っただろうし、権力乱用を自制できたかはわからないけれど。


 「今、ここに『二太子』はいない。そういうことにしてくれ。だから彼らも、相応の処罰とする」

 「え~w」

 「かなり無体なことを繰り返していたんだろ?その訴えを改めて集めて、その結果で刑を決めるべきでしょ」

 「ん~。まあ、いっかあw俺ちゃんが聞いているだけで、間違いなく汚泥掬い奴隷だからねw」


 ラスヤントは巨大な都市だけあって、一日に出るゴミや糞尿はとんでもない量になる。

 大半は処理場に集められて燃やされるんだけれど、船で発生したそれらが湖に捨てられると、流れの関係で集まってくる場所が数ヶ所ある。

 そこで腰まで汚れた水に浸かり、腐ったゴミや汚泥を掬い上げて処理場まで運ぶ仕事が、汚泥掬いだ。

 当然なりたがる者はいないので、借金でどうにもできなくなって債権者に売られた人や、罪人が奴隷としてこの仕事に従事する。

 自分を買い戻せるほど金が溜まるか、刑期があければ解放されるけれど、健康な若い男でも半年持った者はいない。

 

 ラスヤントの住人であるからには、当然そのことは知っているんだろう。

 俺や将軍に向かって慈悲を請うもの、泣きわめくもの、万が一にかけて暴れ…そして殴打されて鎮圧されるもの…とにかく、往生際が悪い。

 死罪よりもつらいと言われる汚泥掬いが妥当というなら、金品の強請り集りや無銭飲食だけじゃなく、暴行や殺人もやっているんだろう。自業自得だ。


 「ナランハル!どうか、どうか、臣にも、相当の処罰を!!」

 「え、いやあ…あの人の面倒押し付けられているだけで充分罰を受けている気がするし、どうしても、というのなら、これからもラスヤントを守ってくれ」

 「…なんと…慈悲深い…!御意!!不肖不才ではございますが、死が訪れるまで…いえ!死してもアスランを護る所存にございます!!」


 返答と共に、ゴン、と音がしたのは、額を石畳に打ち付けたからだろう。

 …とりあえず、ウィルがまだ御業使えそうなら、この人のおでこも治してもらうかなあ。


***

 

 突然の修羅場はあったものの、気を取り直して俺たちは本来の目的地に向かうことにした。

 ジャスワン将軍おすすめの食堂である。


 もともと、将軍とラスヤント領事官に会う為に、いったん港の騎士隊詰所に向かったら、すでに其処に将軍が待ち構えていた。

 それで、ラスヤント府には向かわずに済んだわけだけれど。


 先触れに向かった騎士も、「港に着いたらすでに将軍がいたっす」って言ってたし、どうやらウースノールに入った時点で、将軍の情報網に捉えられていたらしい。


 この軍船に俺が乗っているって事は当然、何処にも報告していない。そもそも、民間船に偽装した軍船なわけだから、船の詳しい外見なんかは伏せられている。定期的に塗装の色なんかも変えたりするしね。


 それなのに俺の来訪を予測したとすれば、この船の現在の形容をしっかり把握したうえで、普段はウースノールまで来ない船が入ってきていること、フフホトに俺が数日前に到達したことから導き出したんだと思う。


 まあ、そういうことができるからこそ、三十代のうちに十二狗将まで上り詰められたわけだな。

 ちなみに、若く見えるし「おにーさん」と自称しているけれど、来年四十だ。


 挨拶と最近の状況を報告しあい、特にラスヤント領事官についての近況を聞いたあと、ユーシンの「腹が減った!」と言う一声で、飯でも食いにいこーかーという事になった。


 ヤクモたちがお使いから戻ってきていないのは気になったけど、ジャスワン将軍に「気に入られて」いじられたら可哀そうだし、アスランの悪評を高めそうなんで、俺たちだけで向かい…そして、あの現場だ。

 つくづく、ユーシンの嗅覚に助けられた。気付かなかったら、ヤクモ達は拉致されて、もっと酷い目にあっていたかもしれない。


 一応ね~wと護衛兵も連れていたから、すぐに護衛兵が詰所に向かって援軍を連れてこれたのも大きかった。

 俺たちだけじゃ、偽兵士は全滅していただろうからね。

 あいつらだけじゃなないみたいなんで、ほとぼりが冷めたころ、また偽兵士が悪さをして、誰かが苦しめられてしまうんじゃ、後味が悪い。


 またジャスワン将軍が仕事おっぽり出して勝手なことをしている…と怒ってわざわざ詰所まで出向き、飯食いに行きましたよーと言われて追いかけ、その途中で騒ぎに巻き込まれた生真面目千人長には悪いが、色々と助かった。


 その生真面目千人長は、通された食堂の部屋の端っこで、彫像のように背筋を伸ばして座っている。

 本人は固辞したんだけど、上司に「いーじゃんw」と引っ張ってこられた姿に、同情を禁じ得ない。


 おすすめの食堂は、一階が衝立で仕切られた広間、二階には大中小の三つの部屋、という造りで、青い顔をしていたウィルとロットさんは、そのうちの「小」の部屋で休ませてもらっていた。

 さすがに、あんな死体を見て食欲もわかないみたいだしなあ。


 なお、ヤクモはと言えば、この食堂の名物だという揚げた豚肉に甘辛いソースをかけて米に乗せたものを掻っ込んでいる。

 

 「おいしい!美味しいからずっと食べていたいのに、どんどんなくなるぅ!」

 「おかわりしなさい」

 

 この、とにかく肉と米と脂というシンプルに美味いもので構成された料理は、クロムとユーシンも大変にお気に召したようで、すでにおかわり済みだ。

 結局、ユーシン3回、クロム2回、ヤクモ1回おかわりして、食後のお茶の時間になった。


 「シド達もいたらよかったのにねぃ」

 「そうだなあ…」

 「…おモテになりよって…」


 いや、きっと、あれだ。モテたわけではなく、揶揄われたとか、いじられたってやつだと思うですが…。

 思い返すと平常心でいられないので、お茶に集中することにした。香ばしい味わいは、茶葉が炒ってあるからだろう。


 「なになにwナランハル、モテたの?コイバナw」

 「将軍!無礼が過ぎます!」


 肉丼は食べず、焼いた木の実類だけ食べた千人長が声を張り上げる。

 ウィルがしんどそうだったんで、彼のおでこは赤いままだ。たぶん、もう少しすると痣になると思う。


 「こわ~wま、いっかwさて、ナランハル。今頃、船長君にも情報が言っていると思うんだけどねw今、大都に船で行くのはあんまりおすすめしないぜ~」

 「え?」

 「大都の東海に入る直前でね、船同士衝突させて沈めた馬鹿がいてさ~w」


 東海は、大運河の始点であり、終着点だ。

 その名の通り大都の東側にある湖で、大都を東から攻めようとすれば、この湖を渡らなくてはならず、大運河以外に船の侵入経路もない大都周辺では、どれだけ高い城壁よりも鉄壁の守りとなる。

 もとは大きめの池だったんだけれど、大都の城壁を作るために土を掘ってできた無数の穴とつなげ、ウースノールに負けず劣らずの巨大な湖になった…という歴史を持つ。

 

 船が行きかう交易の舞台でもあり、いつの間にか住み着いた魚や貝に淡水生の蝦、蟹、虫…そしてそれらを食べる様々な哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類が暮らす場であり、付近の遊牧民が家畜に水を飲ませに来る場所でもある。


 けれど、将軍の話だと、その東海に入る前に…ってことだよな。

 当然、湖と比べたら運河は狭い。上り下りともに大型船が二隻ずつ通れるだけの幅はあるけれど、基本的にいつも渋滞している。

 まして今の時期、客船の数がいつもの倍以上になるわけで、急がなきゃなーっと思っていたのもそれが原因だ。


 「前の船が遅いって、無理矢理抜かして進もうとしたら、失敗してケツ掘っちゃったみたいでさw前の船がまた、石材の運搬船だったからもう、大参事よw」

 「うわ…」

 「それで、沈没した場所を避けて通るのに、いつもなら二隻通れる所が一隻だけになっちゃうわけで、どうなるかわかるっしょw」

 「マジかよ…その馬鹿、縛り首にしようぜ」

 「もうなってるんじゃない?w商人連中が黙ってないしw」


 クロムの嫌そうな声は、もっともだ。下手をすると、そこを越えるのに数日かかる。

 

 「ラスヤントもそれで大騒ぎよw新年の祝いで売るための品持ってきた商人が、真っ青になっちゃってるw」

 「いつごろ、船の引き上げはできそうなんだろうか?」

 「何せ今、冬だからねえw潜って縄掛ける前に死ぬしw大都の魔導士が集結して、『水中歩行』かけて浮かばせるって案が出てるけど、そのためにはまず、一回完全に船の運航を止めなきゃだかんねw」

 「なら、その告知からか…年明けるまでにどうにかなるといいけれど…」

 「おにーさんとしては、船が詰まりだすまで船で進んで、途中で降りて歩いていくのが良いと思うよw道も混雑しているけれど、前には進めるからねw」

 

 将軍の提案に、茶を飲みほしたユーシンが腿を叩いて賛成した。


 「そうしよう!ファン!船に乗っているのも、飽きてきた!」

 「水の上で何もせずに待っているより、まだマシか」

 「クロムが船酔いしているのも、哀れになってきたからな!」

 「あ゛!?」


 威嚇するクロムとわはわは笑うユーシンはどうでも良いとして、実際、そうするしかないよな。

 幸い、馬も馬車も積んできている。ナナイたちを寒さから守ることもできるだろうし。


 「途中で降りるとすれば、どのあたりに?」

 「はい、ナランハルのご要望ぞw教えてさしあげれw」

 「ナランハル!僭越なれどご説明させていただきます!」


 伸びきった背をさらに伸ばし、千人長が食い気味に反応した。


 「船の事故が発生したのは三日前となります!その影響はラスヤントを通過し、大都へ向かった船の総数から察するに、アバヤまで及んでいるかと!」

 

 アバヤは東海に入る直前の港町だ。そこから船で半日も掛からず、東海に到達する。朝食を食べた後に出航して、昼飯前にはってとこだな。

 だが、そこまで船が並んでいるとすれば厄介だ。アバヤ自体はそれほど大きな町じゃないし、じゃあこっから陸路でも、となってもまず上陸が難しい。


 「これから日がたつにつれ、影響は大きくなります!これからご出立なさるのであれば、モウスルにて下船されることを献策いたします!」

 「モウスル…ってどの辺だ…でございますか?ナランハル」

 

 一応、千人長に気を使ったというか、あまりの狼狽えっぷりに少し気の毒になったらしいクロムが、謎の敬語で問いかける。

 

 「長城の外だな。大都まで、行程三日ってとこ。まあ、この分じゃ道も詰まっているだろうけど、船よりかは進めるだろ。一番時間のかかる大都入城は権力を乱用すればいいわけだし」

 「長城ってなんなのぅ…でございます?」

 「ヤクモまで変な言葉遣いしなくても…大都は城壁に囲まれているけれど、更にその外側をぐるっと取り囲む壁の事だよ。二重になっていて、冬の嵐がひどいときは、そこに家畜を入れて守ることもできるんだ」


 もちろん、有事の際には大都防衛戦の最前線となる。二重になっているのは、その間を伝令が駆け抜けられるようにする為だし。


 「そこまで船でどれくらいだ、であります?」

 「ユーシン、できないならやめなさいよまったくもう…詰まっているみたいだからなあ。普通なら、あと二日ってところだけど」

 「モウスルまでは、ほぼ影響を受けないと愚考いたします!」

 「でも、出発すんなら今日中がいいよwどんどん詰まって行っちまうし。本当なら、今晩は飯でも食いながら、今日の領事官殿の話をしまくりたかったんだけどw」


 何か思い出したようで、きししししっとジャスワン将軍は笑った。あの人はなあ。笑ったらいけないんだけど。

 

 なんというか、ものすごく本人にとっては笑い事じゃないんだけれど、彼はとても「不運」な人だ。

 俺が初めて会ったのは、彼がラスヤントの領事官に任命された式典だったんだけれど、伏礼した彼の体勢は何というか…段々、大変なことになっていった。

 どう大変かって言うと、頭を床に押し付けることに熱心になりすぎ、徐々に尻が持ち上がっていく…という状況で。

 

 当然ながら、式典は厳粛なものであるからして、笑ってはいけない。

 俺は必死に焦点をぼかしつつ、腿を握りしめて耐えた。兄貴は隣で唇を引き締めすぎて白目になっており、それがまた、ただでさえ決壊寸前の笑いのツボをフルスイングで振りぬいて、本当に死ぬかと思った。


 それにとどめを刺したのが、上がりすぎた尻と下がりすぎた頭が不自然な体勢に耐え切れず、すってんころりんと前転した挙句、親父に大股開きになった股間を見せつけ、さらにその縫い目が破けた瞬間だった。


 ただ、俺よりも先に親父が耐え切れずに爆笑したので、怒られずに済んだけれど。

 その後自決しようとして止められ、ズボンが脱げて尻を出すという追撃までしてくれた御仁である。


 もちろん、ラスヤントを任されるくらいだから、その手腕は素晴らしい。性格も真面目かつ清廉なので、買収されることも私腹を肥やすこともない。

 なのに、何故か、そういうベタな不運に見舞われる星のもとに生まれてしまったというか…。

 

 今回も、将軍がナランハルに挨拶しに行くけど来る~?っと誘ったら二つ返事で了承したけれど、張り切りすぎて箪笥の角に足の小指をぶつけ、折ってしまったため断念したそうな。

 お見舞いの手紙でも書いておこう。これで俺が顔を出したら、何か起こりそうだしね。


 でも、不運なだけじゃなくて、「死ぬまで私を笑わせてくれそう」と、大都で最も人気のあった女優が彼に惚れて妻になっているし、「関わると同じ不運に襲われる」と噂され、政敵も少ない…らしい。呪いじゃないんだから伝染はしないだろうけど、敵は少ない方が良いしね。うん。


 「あまり聞くと、変な時に思い出し笑いして死にそうだから、いいです」

 「あははwあるよね~。おにーさんも、道歩いてて思い出しちゃってさあ~。いきなり震えだしたおかしな人になっちゃったよ~w」

 

 どうやら将軍は、だいぶん彼のことが気に入っているようだ。あと数年はラスヤントの守将になるだろうし、仲良くしててくださいね。


 「貴重な情報をありがとう、二人とも。船長に相談して、夕方には出航するか。しばらく、船室で寝泊まりだな。食料も買い込まなきゃ…」 

 「…仕方ねーな…でございます」

 「コイツがナランハルのスレンちゃん?オドンナルガの弟子っつうw」


 ジャスワン将軍に、クロムが胡乱な目を向ける。こういう絡んでくる年上は嫌いだからなあ。クロム。


 「だったら何か?」

 「べぇっつにぃ~wナランハルをヨロピコねってw」

 「あんたに言われなくても、俺は紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)だ。絶対に守り抜く」


 しばし、二人の視線が空中でぶつかり合う。

 片方は面白そうにニヤニヤと、もう片方は硬質の無表情を纏って。


 「ナランハルには借りがあっからさwそれに、俺ちゃん、九代の御代も支える気満々だからね。その一翼を担うナランハルには、元気いーっぱいでいて欲しいのw」

 「借り…なんかしたっけ?」

 「やーねーwイフンで汚名ひっかぶってくれたじゃないw」

 「汚名ってほどのことは…」

 「え、すっごい演技だったって聞いてっけどw」

 「それ以上言及されると死にたくなるからヤメテクダサイ」


 ううう、うちの連中とアグンさん達くらいしか知られてないと思ったのに!

 って思ったけど、うちの連中ならベラベラ喋るな…。


 「まあさ、とにかく、おにーさんは恩に感じているし、即座に動いてくれたナランハルはさ、やっぱり黄金の血筋(アルタン・ウルク)だなあって感動したわけでwおとなしく、忠誠誓われてなよぅw」

 「え、ま、まあ、ありがたく?」

 「ほんっと、陛下もオドンナルガもナランハルも、生涯捧げられちゃう方でおにーさん、幸せwね、クロムくぅん?w」

 「言い方はムカつくが、異議はありません」


 ニコーっと笑った将軍の双眸が、不意に細められた。


 「だからね、ナランハル。忠告しとくけど、サルンバル、ヤバいぜ」


 サルンバル。そう呼ばれるの人間は、この世でただ一人。

 俺の弟。三太子、ダヤン・サルンバル・アスランだけだ。


 「…弟が、どうして?」

 「本人はまだ、十歳くらいだっけ?たださ、よろしくない取り巻きがいるみたいだねえ。ラスヤントまで悪評が届いてるよん」


 ダヤンはまだ子供だ。第二夫人である義母上と、月虎宮で暮らしている。

 そこでどれだけ我儘を言っても、横暴にふるまっていても、ラスヤントまで悪評が届くほどにはならないだろう。


 そこまで噂になるとすれば…取り巻きを引き連れて、街でなにか、悪さをしているとしか思えない。

 けど、十歳の子供が何を…クロムも有名なクソガキだったけれど、せいぜい気に入らない大人の顔に馬糞投げつけるくらいだったし、当然ラスヤントに悪評なんて届かない。しかもそれ、クロム十二歳くらいの話だからな。

 十歳の子がしでかす悪事なんて、馬糞投げるとか、馬糞をためた落とし穴を掘るとか、フードの中に馬糞を入れるとか、その程度じゃないか?


 「本人がおこちゃまでも、取り巻きがおこちゃまとは限らないからさw」

 「…なるほど。親父や兄貴はそれを?」

 「今、お二人とも文字通り死ぬほどお忙しいからねえ。特にオドンナルガは、ヨアジ氏族ヒチアジ家を潰したりと暗躍してらっしゃるしw」

 「わかった。その情報もありがとう。将軍。戻ったら、弟の行為を確かめるよ」

 

 生真面目千人長も、何か言いたそうに口許をもごもごと動かしている。けれど、彼はジャスワン将軍のように三太子を「批判」することが出来ないんだろう。

 十二狗将の面々と、他の将軍たちとの差はここにある。


 十二狗将は、開祖と共にアスランを開いた将が十二人いたことに由来する。


 「狗」は、狼の血が混ざった番犬だ。純血の狼よりも体躯は大きく、家畜と含む家族が脅かされれば、敵が狼だろうと魔獣だろうと人間だろうと、勇猛果敢に牙を剥き、決して退くことはない。


 狗たちは、自分たちが本気になれば、主人を噛み殺せることをわかっている。同じ姿の「ニンゲン」を殺せることを知っているのだから。

 だから、主を恐れて従っているわけじゃない。狗たちは、主人のことが大好きで、主人もその愛情に応えているから、守り、従うんだ。


 十二狗将も同じだ。

 彼ら彼女は、王を恐れない。その怒りや処罰を恐れて従うのではなく、忠誠を誓うに足るものだと判断したからこそ、アスラン王国にその生涯を捧げてくれている。

 道を誤れば諫言し、場合によっては軍を連れて離れる。


 それができることが、十二狗将に選ばれる最低条件だ。


 王に罰せられること、身分を奪われることを恐れるような軟弱者では、十二狗将に相応しくない…と言うのは簡単だけれど。

 普通はできないよな。

 

 王に対する忠誠すら凌ぐ、アスラン王国そのものに対する忠誠心を持つからこそ、十二狗将に選ばれる。

 そんな人達の忠誠を、王族に対する信頼を、裏切っちゃいけない。


 「大都…早く、戻らなきゃね」

 「まwナランハル一人で頑張らなくていいと思うけどさあwナランハルが一番、その辺上手くやれるしwオドンナルガなら取り巻き連中全員切り捨てて、サルンバルに蟄居命じて、第二夫人が噛みついてきたら『不敬罪』で族滅コース入りました~wで終わりだろしねw」

 「いや、いくら兄貴でもそこまで…やるな」


 義母上とその生家が思っているほど、その力は大きくない。

 ただ、有力氏族や貴族優遇を維持したい勢力に担ぎ上げられているだけで、本気で兄貴の怒りを向けられれば、すぐに放り投げて違う神輿を担ぐだけだ。

 何せ、弱腰とみなされている俺もいるし、本当にまだチビだけれど、四太子ウルバーウガイもいる。

 

 兄貴は淡々と処理していくだけだろう。四大氏族すら粛清したんだから、嫌がっていた次期アスラン王になる決意は、固まっている。

 あの人は、それがどれほど辛いことでも、苦しいことでも…やらなきゃいけないと決めれば、やる人だ。


 俺は兄貴にそんな思いをしてほしくないし、弟たちが悲惨な目に合うのも嫌だ。


 「とりま、おにーさんから助言。一人で抱え込んじゃダメぞ~wほら、おにーさんだって、幾らでも一緒に悩んであげるしねwナランハルの味方はいっぱいおるからw思い切って相談してみなねw」

 「ありがとう。ジャスワン将軍。そうだね。仲間もいるんだし」

 「煮詰まっちゃったらさw遠乗り行くとか、おもっくそ食べて飲んでふて寝するとかしてw人間、腹減って寝不足だと、どんどん追い詰められちゃうかんね」

 「祖母ちゃんも言ってたなあ。苦戦した時ほど、まず腹いっぱい食べて寝なさいって」


 それは真理だ。食べることも寝ることも、生きることだ。

 それをおろそかにして、良いわけがない。


 「そそwクロム君も、ナランハルがにえにえしちゃったら、食わせて寝かすんだぜw」

 「そうっすね。本も取り上げておきます」

 「い、いや、クロム…それは、むしろ俺から生きる力を奪う事だから…」


 弱々しい俺の抗議に、クロムは眉根を寄せて心底呆れた、という目で俺を見る。


 「一日飲まず食わずで一睡もせず本読む奴に発言権はねぇよ」


***


 そんなこんなで、俺たちは再び船上にいる。


 慌ただしく食料や寝具を詰め込み、停泊をせずに運航することに決めて、夕暮れに赤く染まるウースノールから大運河へと入った。

 かなりの割り込みになるわけで、それは申し訳ないけれど。


 「どっかの馬鹿のせいで、めんどくせえ事になったぜ」

 「さすがに擁護できないなあ。追い越しは厳禁だ」


 ラスヤントの街並みの沈んでいく太陽を眺めつつ、クロムが悪態をついた。俺たちの居場所は、相変わらず馬たちと一緒の荷船だ。

 馬たちは、出航するまでラスヤントの馬場で走らせたから、今朝までの不機嫌は少し解消されている。

 

 「今頃、あちこちの商会主が死にそうな顔してんだろな」


 客船の客は、まだいいだろう。今から大都へ向かうなら、年末年始は大都で過ごす人がほとんどだ。多少遅れても間に合う。逆に大都から出発するにしても、時間の余裕はある。

 

 問題は、商船だ。


 年末年始と言えば御馳走が並ぶ期間なわけで、その買い出しに備えた各地の名物が大都へと運ばれる。

 さらに、古くなった家具や食器に服を買い替える時でもあるので、そのものや材料、職人を乗せた船も大都を目指す。


 それを止められたら…損害はどれくらいになるのか、とんでもない。


 大都に既にある物資や、陸路で運ばれてくるものでも、余裕で年は越せるんだ。それに、陸路を使う商人たちは、ここぞとばかりに品を売り切ろうと攻勢を仕掛ける。


 目当ての品が買えれば、後から届いたものを無理に買う必要はない。商船の積み荷は買い叩かれ、商会は大損する。破産するところも出てくるだろう。


 その対策も何とかしなきゃいけない。当然、大都では現在てんやわんやになっているな。


 「祖母ちゃんとこと、大伯母さんの店が影響受けないといいなあ。とりあえず」

 「なんかあるのか?」

 「トンクーから、蜜柑積んだ船がくる。店で一隻分買っているからな。到着する日が伸びれば、その分痛んで使い物にならないヤツが増える」

 「あー…あの蜜柑か。あれ使った餅菓子、うめぇよな」


 クロムの目が細くなったのは、夕陽がまぶしかったんじゃなく、蜜柑を煮詰めて作った蜜を、米粉に練りこんで作る蜜柑餅の味を思い出しているからだな。うん。あれは美味い。いくつでも食える。


 「それくらいで祖母ちゃんの宿も、大伯母さんの食堂も潰れないけれどさ。客に出す分で蜜柑餅が売り切れて、俺らの口に入らないのは大問題だろ?」

 「ああ。由々しき問題だな」


 重々しくクロムが頷いて、しばらく沈黙が満ちた。

 波の音と馬の鼻息、空を飛んでウースノールを目指す雁の声が心地いい。


 「なあ」

 「ん?」

 「ガラテアと、マジで何があった?」


 クロム君。しみじみと落ち着いた心持を、いきなり破壊するのはやめてください。


 「た、大したことは…いや、うん!何もない!」

 「押し倒されて、種でも絞られたか?」

 「ンなわけあるか!!ちょっと、その、口付けされたくらいだ!」


 俺の反論に、クロムはきょとん、とした顔をして、それから大きく息を吐いた。


 「んだよ…その程度かよ。それであんな取り乱すなよ。クソ童貞じゃあるまいし」

 「いや、吃驚するって!」

 「なんだ?そこまで取り乱すってのは、それなりにガラテアの事気に入ってんのか?」

 「いや、普通吃驚するだろ?あんな美人に、あんなこと…」

 「お前なあ…」


 再び、クロムは大きく息を吐いた。


 「お前の身分を知れば、大抵の女は股開くぞ?」

 「そーゆー女性を貶めるようなことを言うのはやめろ。ガラテアさんにも失礼だ」


 否定は、できないけれど。

 自分の血にどれだけの価値があるかは、わかっているつもりだ。


 「その『二太子ナランハル』にすり寄ってきた女の事、お前、ゴミみたいに見るじゃねぇか」

 「え…」

 「やっぱり自覚なかったか」

 「…そんな失礼なこと、してたか?」

 「別にいいんじゃねぇか?先に無礼を働いてきたのは女の方なんだ。価値があるのは王家の血(ナランハル)だけで、お前(ファン)には欠片も意味がねぇって言ってんだからな」


 相当な変人らしいけれど、少し我慢すればいい。

 子供さえ孕めれば。

 

 そう囁きあう声は、決して俺の被害妄想じゃなく、実際に聞いた言葉だ。


 ナランハル、お会いできて嬉しゅうございます。常日頃から、あなた様をお慕い申し上げておりました…そう、彼女たちは申し合わせたように囁く。

 ついさっき、初めて顔を合わせた男に。

 

 一目惚れなんてありえない、とは言わない。親父は母さんを一目見て恋に落ちたそうだし。

 けれど、彼女たちの顔には、愛しいものに出会えた喜びではなく、野望とか義務という刃が宿っていて。


 お慕い申し上げておりました、と語る裏で、虫だの草だのを集めている変人だと罵る。

 そんな彼女たちに対して、少々うんざりしていたのも事実だ。

 

 けど、ゴミ見るような目かあ…そんな目、してたのかあ…。

 うーん、ちょっと悪いことをしてしまったな。


 「反省すんなよ」

 「いや、彼女たちだって、好きでやってたたわけじゃないからな。っていうか、お前、どっから見てたんだ?」

 「トールにしごかれてる時の休憩時間とか。弟が襲われているやもしれん!ってあの兄馬鹿が見て来いってな」

 「兄貴…」

 「しかし、ガラテアか…アイツ、今更お前の身分に目が眩むようなタマじゃねぇだろうし。どういうつもりだ…」


 あの時の会話を思い出す。

 どうだろう、結構、ナランハルとして、俺は考えを語っていた、と思う。

 けど、だからと言って彼女が、「あ、そういえばコイツ、王族だったな」なんて思い出した…ってわけはない。

 

 彼女は、アスランの王族として、アスランが滅んだときはどうするか、と聞いていた。もとから織り込み済みだ。


 「だから、揶揄われたんじゃないか?」

 「西の女が、揶揄いで男に触るか?アイツなら拳か蹴りは容赦なく振舞うが」

 「ん…まあ、確かに」


 けど、弟であるシドに、「お姉さんに急にキスされたんだけど、セスじゃこれってどれくらいの意味?」って聞くのはさすがに気まずい。

 俺だって兄貴の、そういうの聞かれたくないしな。


 兄貴が自分から女性に口付けたら、間違いなく本気だとは思うけれども。

 いや、兄貴が、それだけで済ますとも思えないけれども。


 「揶揄いじゃなかったら、どうすんだ?」

 「え…」


 あの時、ガラテアさん、どんな顔してたかな。

 「おやすみ」と言って振り返ったときも、良く見えなかった。


 けど…野望も義務も、あの氷青の瞳には、なかったような、気がする。


 「どうしたら…良いんだろうな?」

 「良いんじゃないか?抱きたいならだきゃいいし、それで娶りたくなったら娶れば」

 「…簡単に言うけどな」

 「あのな、ファン」


 夕陽の沈んでいく先から視線をそらさず、クロムは俺の言葉を遮った。

 

 「お前はさ。ときどき、怖い」

 「…俺が?」

 「ああ。ユーシンは『恐れを知れぬもの(ナラシンハ)』なんて大層な綽名つけられているが、俺からすると、お前こそ『恐れしらず』だ」

 「そうか?怪我も痛いのも嫌だぞ」

 「だが、それと引き換えに勝てると思えば、お前は躊躇わず自分の命も身体も、賭け金にしちまうだろ」


 それが怖い、とクロムは小さな声で続けた。

 

 「自分から死にに行くやつを、守り続けるのは無理だ。俺も一緒に死んでやれるけれど、それじゃ負けなんだよ。俺にとっちゃ、お前が死んだら、それで世界が救われたところで、負けだ。完敗だ。けったくそ悪い」


 クロムの鋼青の双眸が、俺に向き直る。硬質の無表情。怒っているときの顔。


 「だからな。お前がこの世に生き残りたい、他のもん諦めても、生きるって思えるようなもんがな、ひとつでも多ければいいと、俺は思う。

 それは惚れた女でも良いし、その女が産んだお前の子でもいい。多ければ多いほど良いんだ」

 「クロム…」

 「お前は、俺の事は一緒に賭け金に乗せてるだろ?それは良いんだ。俺はお前の守護者だからな。むしろ乗せろ。俺を残す側に数えるんじゃない」


 夕陽が赤く影を落とす。

 その陰に隠れ、クロムの表情が見にくくなった。


 けど、きっと、クロムも見られたくはないだろう。たぶん。


 「陛下や后妃でも、トールでも、あの馬鹿でも、ヤクモでも、シドでも、ナナイでもいい。お前をこっち側に引き留めるものを、とにかく作りまくれ。生きて帰らなきゃいけない理由を、ひとつでも増やせ」

 「うん。ありがとう、クロム」


 お前も十分、その理由の一つなんだけれど。

 だが、クロムを助けるために俺が死んだら、それは…クロムに対する、最大の裏切りだ。


 それでも、俺はクロムに俺を護って死んでなんて欲しくはない。

 それなら…そうしなくても勝てるようにするしかないよな。


 「気を付けるし、たくさん作るよ。そもそも、この世界には俺の知らないことが多すぎる。それをひとつでも知りたいから、死ぬ気は全然ないけどな!」


 ま、黒歴史を思い出して死にたくなるのは人類共通の宿痾だと思って。


 「言っておくが、相手が本気だったら『揶揄われた、あれは悪戯だ』なんつったら、顔に糞投げつけるようなもんだからな?本気という事にしとけよ。そうじゃなきゃ、ナランハルを揶揄うような女ってアイツが言われるだけだし、シドの胃が溶けるだけだ」

 「俺が恥かくのは良いけど、シド可哀そうだな…」


 ガラテアさんの気の迷いか、揶揄いか。

 それとも、本気…なのか。

 それは分からないけれど。


 生き残る理由か。


 少なくとも、なんであんなことをしたのか、それを知るまでは、死にたくない気がする。

 ただの悪戯だったとしても、綺麗な女性に口付けられるのは、そりゃあ…俺だって、男ですからね?嬉しかったし。

 

 うーん…本当に、彼女、どう思っていたのかなあ…。


 あんまり俺らしくない悩みは、顔を半分もがれた無残な死体も、運河をふさがれた商人たちの悲嘆も、弟の悪評も押し出して、頭を何というか、ぽわんぽわんと占めている。


 それはあまり嫌じゃないことに少し驚いた。

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