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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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馬の親子は斑も同じ(蛙の子は蛙)2

 天は高く青く、まさに絶好の出航日和。


 俺たちが乗り込む予定の船は、今、まさにその出港準備の為、船員たちが忙しく作業をしている。

 荷物を運ぶ人、馬と馬車を乗せた荷船を連結する人、帆を点検する人、そしてそんな船乗りたちを見ながら指示を出す船長。

 

 大都に向かうこの船は、フフホトが所有する軍船だ。

 とはいえ、見た目はごく普通の客船にしか見えない。


 大運河へ合流するための川沿い、そのほとんどは人気のない原野で、そうした場所で「仕事」をする賊がいる。

 多くは小舟の集団で船を囲み、乗り込んでいって制圧するというやり方で、凶悪な奴だと乗組員や客は皆殺し、船も積み荷も奪われる…そんな最悪の事態も起こっていた。

 当然、アスラン軍も警戒はしているけれど、何せ警戒しなきゃいけない区域は広く、賊の隠れ家は無数に散らばっている。手が回り切っていないのが現状だ。


 この軍船は、そういった連中を釣るために餌であり、誘い出されてきた賊を殲滅する、水上を行く罠なわけだ。


 砲こそ前方に二門しかないけれど、床子弩は片側七台の十四台が備えられ、そのうち二台は矢ではなく油の詰まった特殊な筒を打ち出すことができる。

 この筒は何かに当たると先端が引っ込み、中の油を後ろから噴き出すことでまき散らす。さらに実際に使う時は、後ろに伸ばした導火線に火をつけてから使うから、広範囲に火がつくという兵器だ。

 …まあ、不発率が高いんで、あんまり実用的じゃないけどね。


 乗り込む船長及び船員は、全員フフホト水軍の騎士。

 さらに紅鴉親衛隊から選抜された十人と、俺もよく知る女官が三名。この三人は、ナナイたちの身の回りのお世話をする。


 ナナイ様達をむさくるしい男どもが詰まった船に乗せるのであれば、我らもお供します!!とすごまれて、「ハイ…」としか言えませんでした。


 実際、客船に見せかけた軍船なので、部屋は狭く、居心地はあまりよくない。

 詰め込まれた棚のような寝台が備えられた部屋か、外輪が回る音もうるさく狭い休憩室か、寒さの厳しい甲板にいるかしかないわけで…まあ、しんどい。


 なので、基本的に夜は町に停泊して、宿に泊まる。それを見越して大都まで十日だからな。補給以外に立ち寄らなければその半分で済むけれど。

 とにかく早く安く!って格安の船旅をしたいわけでもなし。陸路を行くよりもずっと早いんだから問題はない。


 馬たちや馬車は、荷船に乗せて軍船で曳航していく。これは別に珍しいことじゃなく、多くの客船で見られるやり方だ。

 荷船は箱舟で、屋根と壁があり、中には馬房が作られているし、馬たちを見るために、絨毯が敷かれた人間用のスペースもある。

 俺たちの日中の居場所は、基本この荷船になるだろうなあ。甲板よりも馬の体温で暖かいしね。


 もちろん、『二太子ナランハル』が乗ってきた船ならもっと大きいし、居住空間も広い。乗り心地もよさそうだ。

 けど、念の為あれは使わず、俺たちが出発した三日後に、『二太子』はフフホトを出ることになっている。


 なんか兄貴がいろいろとやってくれたおかげで、大都では大きく勢力図が動いたようだ。


 なんで、俺を狙う暗殺者もしばらくはおとなしくしているだろう…と予想はされている。

 けど、今度は怨恨とか敵討ちとかでやってくる可能性もあるねってことで、それなら厄介ごとを避けられるなら避けよう…と、もうしばらく俺以外の『二太子』に頑張ってもらう事になった。

 影武者とかを仕立てているわけじゃないから、本当に名前だけだけどね。


 「ナ・ランハァール!!」

 「うん」


 ジャワルの声に振り向くと、片足で立って右手を大きく天に掲げていた。

 …うん。意味を問うのはやめよう。聞きたくもないし。


 「こ・れ・を!どうぞ!」

 「…箱?」


 くるりと一回転したジャワルは、さっきまで持っていなかった箱を持っていた。たぶん、後ろに控えて死んだ目をしている文官が渡したんだろう。


 渡される…と言うより押し付けられた箱は、縦5スン、横1シヤクに高さ6スンくらい。装飾も何もない、木の箱だ。見た目より重たい。


 「乗船されましたら、ア!お開けください!」

 「うん」


 なんだろう。食べ物かな?気を利かせてくれたんだったらうれしい。ジャワルは変態だし、動きがいちいちうざったいけど、善人ではあるからな。

 

 「ありがとう。貰っていくよ」

 「ええ!」


 にかり、と浅黒い肌に浮かび上がるような白い歯をむき出し、ジャワルは一礼した。

 

 「そして、お早いご帰還を!つ・ぎ・は!ぜひ、夏に!」

 「そうだなあ。夏のフフホトの賑わいも見てもらいたいし」


 視線を向けたのは、船を見てはしゃぐうちのパーティと、神殿組のみんな。

 

 昨日の出来事…オキナとの出会いは、さすがに衝撃的だったらしく、ユーシンでさえ興奮してなかなか寝付けず、朝飯まで眠っていた。

 まあ、今は元気いっぱいだけど。これが十代の若さかね。俺もあと数年したら、徹夜ができなくなるんだろうなあ。兄貴は既に無理って言っているし。


 「ええ!是非是非是非!薄絹を纏い、いえ、一糸まとわず青の湖に戯れるユーシン様を拝見できましたら、吾輩、この世に生を受けた意味があったというもの!!」

 「そんなんで意味を見出されてもなあって思うし、不敬罪」


 とりあえず取り押さえようとする騎士の手を華麗なステップで避けたジャワルは放っておいて、そろそろ乗船に取り掛かろう。


 「ナランハル。お荷物は全て運び込みました。出航の準備、滞りなく」

 「ありがとう。おーい、みんな、忘れ物はないか~?」

 「はい。大丈夫ですよ」


 にこにことロットさんが頷き、女の子たちも続く。それを見たウィルが、慌ててぶんぶんと肯いた。


 「もともと荷物はあまりありませんからね」

 「大都から帰るときには倍くらいになっているかもしれないので、その時は気を付けてくださいね」


 ロットさんはちらりと妹弟子たちを見て、やれやれ、と言う苦笑を浮かべて肯いた。そんな兄弟子の態度に、彼女たちは「だって~!」と可愛い声で抗議をする。


 「え、ええっと、先生も、本を十冊くらい、増やしてしまいましたし…」

 「こ、こら、ウィル!そこは黙っているのが、男の情けと言うものだよ!」


 気持ちはよくわかる。アステリアに比べて、アスランは本の値段が格段に安い。

 アステリアだと、写本でしか本が増えないからどうしても高価になるし、大衆向けの小説なんてものはないからなあ。


 「お前たちも忘れものとかないか?」

 「たぶんないよ~」

 「お前こそ、その箱なんだよ?」

 「ジャワルからもらった。乗船してから開けろってさ」

 「食い物か!」

 「どうかな」


 そうじゃないかなって言ったら、今ここで開けろってうるさそうだし、誤魔化しておこう。


 「よし、じゃあ、乗り込むか」


 騎士と女官がおっかなびっくりのナナイたちの乗船を助け、その後ろからガラテアさんが軽やかな足取りで乗り込んでいく。ライデン姉弟の故郷は海の国だもんな。船に乗るのは馴れているか。


 それに俺たちも続く。川船だし、運河に波はない。だから、酔いやすいクロムも大丈夫だろう。たぶん。


 「ナランハル、千歳申し上げる」


 船長が、甲板に片膝を付いて出迎えてくれた。まだ四十路に入ったばかりの彼は、水賊狩りで名を馳せた元傭兵で、船員たちもその頃からの部下だ。


 「すまないな。忙しい時期に」

 「なんの。やっていることはいつもと変わりありませぬし、ほら、ご覧ください。野郎どもの締まりのない顔を。この時期は招集をかけても尻を蹴飛ばさなければ船に乗り込もうとしないのに、今回は俺も俺もと全員集合しやがった」

 

 船長が親しみを込めて「野郎ども」と罵る船員たちは、初めての本格的な船に…なにせこの間乗ったのは、『ピヨちゃん』号だからね…はしゃぐ女の子たちを、でれれ~っと見ている。


 「まったく。しかも全員、髭剃って髪まで結いなおしていやがる。服も今朝がた、洗濯屋から引き取ってきたのでしょうな」

 「はは。床屋も洗濯屋も、いきなり客が押しかけてびっくりしただろうなあ」

 「いつも、この半分もテキパキしてくれりゃあいいんですがね。ま、気持ちはわかりますが。あんな佳人イイオンナがいらっしゃると聞いてれば、俺も床屋に駆け込んでいました」

 

 船長の視線は、熱量を込めてガラテアさんに向けられていた。船員たちの視線も最終的には彼女に吸い寄せられていく。

 本人、気にしていないようだけれど…嫌なら叱らないと。後でそれとなく…俺にできるかはわからないが、聞いてみよう。


 人も馬も乗り込み、積み荷は既に船室の中。

 それを確認し、船長が声を張り上げる。


 「綱外せ!」

 「はいさー!」


 さっきまでデレデレしていた船員たちは、ぱしゃりと切り替えて出航に取り掛かった。

 桟橋につながれていた舫い綱を外し、木製の舷梯タラップを引き上げる。

 ここからでは見えないけれど、船室では外輪船を回すための魔導具も起動させているのだろう。

 その証拠に、客船にしては無骨で巨大な外輪がゆっくりと回りだす。


 「ナランハル!よき旅路を!そして、ぜひ夏に又!」

 「ああ!後は任せたぞ!ジャワル!」

 

 恭しく一礼するジャワルの後ろに、膝を付いて拳を胸に当てる文武官たちが見えた。ごめんな。放置しまくりの領主で。

 それでも見捨てないでいてくれる彼ら彼女らに、感謝だ。

 とりあえず、フフホトの税収のうち、俺の懐に入る分のうち、百分の一以外は新年の宴会の資金にするよう、振り分けておいた。

 本当は特別褒賞にしたかったんだけど、それ言ったら「今からその計算をする書記官を殺す気ですか?」と真顔で返されて深く反省したよ。


 「帆を張れ!」

 「はいさー!」


 船長の号令が再び響き、帆柱の両端から畳まれていた白帆が放たれる。

 緩やかな風にふわりと緩んだ帆は、しっかりと固定された途端に、バン!と音を立てて風をはらんだ。

 白帆に描かれた陣が、ほのかに発光している。「増幅・維持」の陣だ。

 基本的には外輪が推進力ではあるけれど、出航の時や速度を上げるときには、『風呼び』が使える魔導士がこうして陣を使って、補助をする。


 なんで、アスランでは『風呼び』系の魔導が使える魔導士は就職に困らない。船酔いしなきゃ、だけれど。

 この船にも二人いて、一人は西方人で元冒険者だったらしい。「風属性の魔導しか使えないし、威力がしょぼい」ってパーティをクビになり、生活に困窮して兄弟子に金を借りに行ったらこの仕事を紹介されたんだとか。

 

 「出航!」

 

 船は白い軌跡を水面に描きながら、桟橋を離れて湖に繰り出していく。

 見送るジャワルたちの姿がみるみる小さくなり、フフホトの街そのものも遠くなり、人々の暮らしが生み出す喧噪も、やがて風と波、外輪の回転音に飲まれて消えた。


 その代わりに耳に届いたのは、笛のような音。

 お、と思って指を咥え、指笛で応える。


 「わ!なんか跳ねた」


 ヤクモが弾んだ声をあげながら水面を指さし、神殿組からも歓声があがった。

 指さされた先にいるのは、青い水面を割るように泳ぐ、白い背。


 「あれが歌鯨だよ」


 十頭ほどの群れは船に並んで泳ぎ、時折跳び出してその全身を見せてくれた。

 馬ほどの大きさの身体には背びれはなく、ずんぐりと丸い。口吻は長く前に突き出し、そこから笛の音色のような声を出して歌い、会話する。


 「やっと見れた!あれがファンが飼っている群れか?」

 「ああ。呼んでも来なかったんだけどな。オキナに顔見せてやれっていわれたのかも」


 群れを率いる頭領は、人間でいえばずいぶんなお婆ちゃんだ。胸鰭や尾鰭は端が欠け、ともすれば群れから遅れそうになる。

 それを彼女の娘や孫たちが支え、寄り添って泳いでいた。


 …もしかしたら、そういう姿を見せたくなかったのかもしれないな。

 彼女はとても誇り高い。

 ほかの子たちは手から魚や蟹を与えると喜んで食べるけれど、彼女は決してそうせず、生け簀に飛び込んで魚を捕っていた。


 けれど、俺が服のまま湖に飛び込んで泳いで逃げた時、すぐに寄ってきて楽しそうに一緒に泳いでくれた。

 そういう女性だった。


 再び指を咥えて、音を鳴らす。

 「会えて嬉しい。大好きだよ」と、そう伝えるために。


 歌鯨は基本的に雌だけの群れ、雄だけの群れを作り、繁殖期になるとフフノールの中心部に集まって子を作る。

 その時、自分の母や姉妹と番わないよう、群れごとの「再会の歌」を歌鯨たちは持っている。

 この歌を知っている相手は、自分の家族だ。そして、恋の相手を見つけるより先に、この歌を歌いあって別れた家族を捜す。


 俺が吹く「再会の歌」は、彼女たちの群れの「再会の歌」だ。

 

 もう、次は彼女の娘の誰かが、この群れを率いているかもしれない。

 それは、仕方がない。哀しいが、恨むことでも怒ることでもない。


 産まれて、生きて、そして死ぬのは、生き物の理だ。


 水底に横たわる彼女の肉は、魚や蟹、蝦の生命となり、そしてそれは、彼女の子孫たちの糧となる。

 そうして、生命は巡り、世界は続くのだから。


 歌鯨たちは徐々に速度を落とし、船は彼女たちを置き去りに先に進んでいく。

 もう一度「再会の歌」を響かせ、偉大なる母に敬意と愛情を示した。


「イルカやシャチとは違う生き物なんだな」


 小さくなる歌鯨たちを見ながら、シドがポツリと口を開いた。

 ガラテアさんの持つ杖の先には鯱が象られているし、シドも見たことがあるんだろう。


 「いや、近い生き物だよ。骨格なんかは同じようなものだし。驢馬と馬くらいの差かな」

 「可愛かったねぃ。あ、でも、実は船から落ちたら集団で襲ってくるとか、ない?」

 「歌鯨に人間が襲われたってのはないなあ。襲った人間が返り討ちにあったって記録はあるけれど」

 「そっかあ~。やっとアスランで見た目通りに可愛い生き物がいて、ぼくはホッとしたよぅ」


 …どういう意味、だろーか。

 アスラン馬だって、見た目通り可愛いと思うんだけどなあ。


 「で、その箱の中身はなんなんだ?」

 

 クロムはすでに歌鯨に興味がないらしく、俺の手に持つ箱をコンコンと叩いている。

 まあ、傷みやすいものだったら悪いし、開けてみるか。

 結構重みはあるけれど、硬いものが入っている重みじゃない。なんだろうな。


 甲板に箱を降ろし、皆のワクワクする視線を受けつつ、蓋を持ち上げる。


 「…ええっと…」


 箱の中に、ぎっしりと詰まっていたものは、紙。

 一番上の紙には、ジャワルの筆跡で黒く文字が走っていた。


 『ナランハル!大都につくまでにすべて完了させてください!』


 震える手で、その紙をめくると…違う筆跡の文字がびっしりと見えた。

 反射的にその文字を読み取り、意味を理解し…俺は遠い目を天へと向ける。


 うん。歌鯨が魚をとらえて生きるように、人は仕事をして糧を得る。

 それはね。わかっているんだ。うん。


 仕事終わった~!大都まではのんびり過ごすぞ~!持ってきた本読みまくるぞ~!と浮かれていた人には、ひどい仕打ちだと思うのですよ。


***


 船旅は、滞りなく進んだ。


 青の湖(フフノール)を出た船は、大運河との合流を目指してイデイル河を下っていく。

 大運河はソリル内海から大都までを結んでいる、アスランの大動脈だ。様々な物資が船に乗って運ばれ、そして乾燥した雨の少ない地域では、生活用水としても使われる。


 その水量を保つためにも、そして大運河からも離れた地からも利用できるように、いくつもの河川が大運河と繋がれていた。イデイル河もその一つだ。


 とはいえ、イデイル川はフフノールを源流とし、豊富なアーナプルナの雪止め水を飲み込んでかなりの水量と川幅を持つ。

 特に夏の初めは増水し、川の流れも速い。そんなのがいきなり合流すれば、周辺に水害が起こる。

 

 他にも大運河へ合流させたい河川もあるわけで、それらは本来の流れはそのままに、ウースノール…大鉢湖と言う湖に、水路で繋げようということになり、数十年の歳月をかけて、現在のような水運路が完成されたってわけだ。

 

 大運河はこのウースノールに流れ込み、そして大都へと向かう。

 ソリル内海から運ばれてきた異国の品々はそのまま大都へと向かうものもあれば、ウースノールの畔に広がる街、ラスヤントで降ろされ、フフホトを始めとする各地に向かうものもある。


 ラスヤントはソリル内海の街、ウハイフンゲルに次ぐ貿易港で、アスランでも屈指の大都市だ。

 その賑わいをゆっくり見てほしいけれど、あんまりゆっくりしていると大運河が渋滞して年が明けても大都につけない…なんてことになったら困るからな。


 ともあれ、ウースノールに合流するまでは静かなものだ。

 周辺には原野が広がり、イデイル河を行く船が視界から途切れたことはないけれど、町はおろか集落や遊牧民の幕家ユルクも見当たらない。

 川沿いは寒いから、そんなところに幕家を建てないからな。


 ただ、ちょうどいい具合に交易船が立ち寄り、夜を過ごす港町は拓かれている。そうした町に日が暮れるまでに滑り込み、予約しておいてくれた宿屋で眠る船旅は、箱いっぱいの仕事さえなければ快適だ。


 やっぱり船室は狭いので、仕事の入っていた箱を机に、馬たちがいる荷船の方で過ごしていると、甲板からは楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 クロムは大体俺といて、居眠りしたり本を読んだり、少し気持ち悪そうに濁った眼で遠くを見ていたりしているけれど、ユーシン達は自由に船内あちこちに出没していた。


 それでも一番長く時間を過ごしているのは、やっぱり甲板だろう。

 

 船乗りは陽気な法螺吹きが多いと相場が決まっているが、この船も多分に漏れない。

 全員が常に何かしら作業をしているわけではなく、常に三、四人は暇な船員がいるわけで、その彼らが語る「お話」を、神殿組もユーシン達も喜んで聞いていた。

 さらにはうちの親衛隊騎士も加わって、「どれだけウケるか」を競い合っている。


 世間知らずって点では、キリクの王子であるユーシンと、十五歳まで幽閉されていたも同然のヤクモ、そして大神殿左方でこき使われていたウィルや女の子たちは大差がない。

 世間をよーく知っているシドも、法螺は法螺と割り切って楽しんでいるようだ。

 昔、子供のころ、よくこうして船乗りの法螺話を聞いていたんだと笑って。

 

 目を輝かせて「知らない話」を聞く姿に、船乗りたちも大いに張り切って、どこまで法螺かわからない話を繰り出している。

 一応それ以外にも、ロットさんが先生になってタタル語やアスランの歴史を教えているんだけれど、比率でいえば六対四…いや、七対三くらいか。どっちの比率が高いかは、あえて目をつぶっておこう。


 そんなわけで甲板は常時分厚い絨毯が敷かれ、簡易的な風よけの幕が張られ、ずいぶん狭くなっていた。

 いいのかなとは思ったけれど、船長も率先して法螺を吹いているので、問題はないだろう。

 さすがに百人を超す水賊と大乱闘したら、俺も記録を読んでいると思うんだけれどね。

 

 そんなわけで、今日も甲板から何か話している声が聞こえてきていて、時折「ワッ」と盛り上がる。

 そのたびにクロムが眉を顰めるが、悪態を吐く程ではないらしい。もしかしたら吐く余裕がないか、違うものを吐きそうだからかも知れないが。


 「船酔いを癒す御業も授かってはいるが、お前は船酔いではないのだったな」

 「…あー、そうだよ。だから馬鹿どもが船酔いした時にとっておけ」


 クロムの返答に、ガラテアさんがクスクスと笑った。

 やっぱり船員たちの多分に下心や妄想を含んだ視線は鬱陶しいらしく、それならこっちにいればと誘ってから、彼女の定位置は荷船の一角になりつつある。

 さすがに俺が一緒にいるのに、そんな目を向けない程度の分別は、皆あるしね。


 彼女の笑みはクロムを莫迦にしているのではなく、子供の背伸びを微笑ましく思う方のクスクスだ。

 そうだなあ。素直に認めて、御業掛けてもらった方が楽になると思うんだけど。

 この程度の船酔いで御業に頼るのはどうかと言う一点は置いておいて。


 「ふふ。だが、瘦せ我慢もできん男よりはいいな」

 「女性の視点から見ると、そういうもの?」

 「さあ。私はそう思うだけ。甘え頼る男が好きな女もいるだろう…」


 ふと、ガラテアさんの視線が上がった。

 同時に、クロムの双眸に力が戻る。

 馬房の馬たちも、じっと進む先を見つめて微動だにしない。


 この匂い…まさか。


 誰からともなく立ち上がり、荷船と船をつなぐ二本の太い綱、その間に渡された縄梯子を駆ける。幸い風はほとんどなく、横風に肝を冷やすこともないうちに、船に続く梯子に手をかけることができた。


 「ナランハル」


 船長の声が緊張をはらんでいる。その向こう、俺たちの乗る船の舳先の向こうに、予想した光景が見えた。


 中型船が悠々とすれ違えるほどの川幅、その両脇に広がる原野。

 そして、俺たちの前を行く船に群がる…複数の小舟。


 「水賊か」

 「前の船から救援信号があがりました。救援に向かう御許可を!」

 「全速で頼む」


 だん、と船長は左胸を叩き、いつの間にやら配置についている船員たちを見回した。


 「野郎ども!仕事の時間だ!」

 「はいさー!!」


 クロムに怒られるからあまり見ないようにしないとな、と思いつつ、前方を凝視すると、すでに攻撃されてぐったりと倒れ伏す人が数人、見えた。

 交渉が決裂したのか、それとも問答無用で奪い尽くす凶賊に当たってしまったのか。


 見たところ、前の船は客船だ。船員と護衛に雇われているのであろう傭兵が、必死になって客室へと続く扉を守って戦っている。

 けれど、賊の数が多い。長くは持たないな…!


 「クロム、ユーシン!」

 「おうよ」

 「なんだ!泳いでいくか!」

 「いや、泳がなくていいけど、乗り込んで暴れてこい。いいかな?船長」


 この船の長は、あくまで彼だ。蔑ろにするのは横暴だろう。


 「ありがたく。我らはまだ水面を跳ねている賊どもを殲滅いたします」

 「うん。ヤクモ、シド。クロムとユーシンが道を開いたら、負傷者をこの船まで運んでくれ。紅鴉親衛隊うちのれんちゅうは、その援護を」

 「まっかせて!!」

 「わかった」


 騎士たちも左胸に拳をつけ、「是!」と声をそろえる。

 普段はウェイウェイしていても、親衛隊に選抜されるほどの騎士だ。こういう時は実に頼もしい。

 …なんでうちにくる騎士って、最初はまじめなのに段々ウェイウェイしてくるんだろう?先輩の教育が悪いのかなあ?やっぱり。


 「あ、あの!ファン殿!私も…!」

 

 耳まで赤くしながら主張するエルディーンさんと、彼女が後ろにかばっている…ように見える、ナナイと少女たち。

 さらにその後ろでそっと武器を構える女官三人。その目は殺気に満ち、命令あらばすぐにでも…と言う顔をしている。彼女らは下手したら騎士より強いが、やってほしいことは他にある。


 「エルディーンさんたちは、運ばれてきた負傷者の救護を。ナナイ、薬あるな?」

 「うん!」


 少し唇を青褪めさせながら、ナナイは気丈に頷いた。その手は、しっかりとエルディーンさんと握り合い、さらに少女たちが引っ付いている。

 皆、怯えている。けれど、負けていない。

 うん。大丈夫そうだ。


 「ロットさん、ウィル。それに、他のみんなも、癒しの御業をお願い。薬だけじゃ間に合わないかもしれないし」

 「はい。この場に居合わせたのも、アスター様のお導きでしょう。援けよと」

 「ぼ、僕も、精いっぱいやります!」


 師弟の力強い返答に、妹弟子たちも続いた。


 「頑張ります!」

 「私、荷物から包帯とか布とか、持ってきます!」

 「あたしも行くよ!」

 「そしたら、私たちはお水とか、お湯、いるよね!」

 「持ってこよう!」


 五人の少女たちはたちまち役割分担を決めると、コクン、と頷きあって客室へと駆けだした。その後ろをナナイが追い、エルディーンさんも続く。荷物運びなら、手はいくつもあった方が良い。


 「ナランハル、お嬢さんたちは船室にいてくださった方が…」

 「この船に賊を近付けさせるような真似はしないだろ?何より、彼女らは癒しの御業を授かった神官なんだ。手を貸してもらえれば、助かる命が増えるかもしれない」


 たとえ、助からなかったとしても。

 ただ船室で震えているより、ずっと立ち直りは早いはずだ。


 精いっぱいやって力及ばなかった悔しさよりも、「もし、あの時、ああしていれば」と一度でも思ってしまえば、それは罪の意識となり、精神を苛む。

 

 「あの」


 声をかけてきたのは、レイブラッド卿だった。

 一時期は頬骨が突き出ていたような輪郭も、だいぶん元に戻りつつある。

 

 「私も負傷者の救助を助けたいと思います。よろしいでしょうか?」

 「もちろん。これから増えはしても、減らないから」


 微かな目の痛みと、クロムの咎める視線を無視して前方に目を凝らすと、客室への扉を守るのはあとわずか五人。賊はその三倍はいる。


 「では、私はお前たちとともに突入か?」

 「ああ。ガラテアさん。こいつらが道を拓くし、俺も弓で援護するから、客室へ。君の体術なら、狭い客室でも戦えるし、やっぱり女性の方が安心すると思うからさ」

 「任されよう」


 ふんわりとガラテアさんはその唇に微笑みを乗せた。

 思わず、全員息を止めて見惚れてしまうような笑みを。


 「姉さん、やりすぎるなよ」

 「どういう意味か?私の役割は、敵の殲滅ではなく、民の救出だぞ?」


 全員じゃなかったな。シドは大きく溜息をついて天を仰いだ。いつもなら、「その溜息はどういう意味だ?」と追撃が入るけれど、弟をいじめるよりも鷹の目を使わなくても見えるようになってきた惨状をどうにかしなくては、と思ってくれたらしい。


 「旗を掲げろお!」

 「はいさー!」


 帆柱に上っていた船員が、高らかに旗を掲げる。

 四柱の神獣に囲まれ走る、馬と狼が描かれたアスラン国旗。

 

 次の獲物かとばかりにこちらを見ていた水賊が、慌てふためくのが見えた。

 そりゃあ、アスラン国旗を掲げ、略奪中の賊に速度を上げて突っ込んでくる船なんて、軍船以外にないからな。


 「船長!衝突するのか!」

 「いいえ。そんな無粋な真似はいたしません。奴らの小舟は踏み潰しますが、あの船はアスランの民のですからね。女を布団に連れ込むように、優しく寄り添いますよ」


 連中も、小舟から鉤縄をひっかけて船に上っているけれど、船そのものは傷付けていない。船ごと略奪するつもりなんだろうな。


 「お嬢さんがた!船が止まるまでそっから出ずに、しゃがんでしっかり掴まってるんですよ!」

 

 騎士が駆けだしてきた後、船室に続く扉を閉めて船乗りが叫ぶ。微かに、エルディーンさんの「わかりました!」と言う声が聞こえた。


 「ナランハル。弓を」

 「ありがとう」


 俺以外は、防具はなくとも武器はしっかりと身に着けている。少々後ろめたく思いつつ、弦を張って矢筒も受け取った。


 「さあて!少々揺れますぜ!」

 

 軍船は船足を緩めつつ、客船の隣に割り込んでいく。賊どもは大慌てで小舟をこぐが、足元から響いた衝撃からして、一艘以上は巻き込んだらしい。

 

 「一番槍、もらい受ける!」

 「おいこら、馬鹿!でしゃばるんじゃねえ!」


 その揺れが収まらないまま、ユーシンが飛び出し、クロムが舌打ちしつつそれに続いた。

 騎士たちですら数歩たたらを踏むような揺れの中、二人の勢いに遅滞はない。

 

 賊は慌てたものの、こちらの方が数が少ないと見て取ったのか、すぐに武器を構えて応戦体勢に入った。まず切り込んだ二人が若くそれほど「強そう」に見えなかったのも、その自信の根拠だろう。


 ただ、二人があちらの船に飛び移ると同時に、剣と槍が白い軌跡とそれを追いかける赤い模様を宙に描くと、明らかに動揺した。

 さらに親衛隊の騎士たちが雄たけびを上げながら切り込めば、すぐに浮足立つ。


 「行くぞ、ヤクモ。それに、あんたも」

 「うん!」

 「…わかりました!」


 その動揺を突くように、ヤクモとシド、そしてレイブラッド卿が動いた。

 一番近くにいた、半ば川へと落ちかけていた船員を一人、シドが担ぎ上げレイブラッド卿へと渡す。それを阻止しようとする賊をヤクモが蹴飛ばし、川面へと叩き落した。


 「客室には、もう入りこまれたか。急ごう」

 「気を付けてね」


 シドに向かった賊の一人に矢を射こみながら声をかけると、ガラテアさんはさっきの笑みを口元に佩き、舞うように甲板を蹴って客船へと飛び移る。


 「道は拓いたぞ!往け!」

 「ああ。遠慮なく」


 ユーシンがまとめて二人薙ぎ払い、クロムが負けじと二人斬り倒す。船員も賊も倒れる甲板を、ガラテアさんは優雅に駆け抜けた。

 

 「女神アスターよ…その慈悲を、夜明けの光を…!」


 運び込まれてきた人は、重傷だが生きている。後ろから斬られたらしく、背中一面が真っ赤だ。

 その赤さに怯むことなく紡がれたウィルの祈りの言葉と共に、柔らかな光がその掌から注がれていく。


 「服を破きます。エルディーン様、布を押し当て止血を。ナナイ様は、その布に止血剤を」

 「は、はい!」


 女官が指示し、応急手当が始まった。ウィルが疲労の滲んだ顔で手を降ろすと同時に、シドとレイブラッド卿が次の負傷者を運び込み、ヤクモが何とか自力で歩ける人に肩を貸して戻ってくる。


 「!」

 

 それを狙い、賊が弓を構え、矢を放つ。

 だけれど、矢は空中で何かに弾かれ、甲板に落下した。


 「弟子と妹弟子だけ、働かせるわけにはいきませんからね」


 『聖壁』の御業を発動させたロットさんが頷き、その雄姿に妹弟子たちが「かっこいい!」と歓声をあげる。けれど、それも一瞬。すぐに彼女たちも負傷者に向かい、『癒し』の御業を女神に願う。


 よし、こっちは順調だ。

 冷静なシドは既にこと切れている人と、負傷者をちゃんと見極めてこっちに運んできている。

 残念ながら治療に使える御業も、薬も、時間さえも…有限だ。けれど、彼女たちは落ち着いているように見えて、実はかなりの極限状態だろう。運ばれてくれば、遺体に御業を行使しかねない。


 そうして、助けられる人を助け、その分賊を冥官に引き渡しながら、水上の戦いが続き。


 「おい、こっち終わったぞ」


 終わりは、そう長くかかったわけではなかった。もともと、親衛隊でなくとも水賊とアスラン軍の正規兵じゃ実力が違いすぎる。たまにとんでもなく強いのもいるけれど、こっちはいま、その「とんでもなく強いの」を複数抱えているからな。


 「ご苦労様。負傷した者は?」


 全員立って歩いているから、死者はなし。四名ほど手傷を負ったようだ。念のため、解毒剤を飲ませておこう。ろくに手入れもしていないような刃物で切られた傷は、野生の獣に噛まれたのと同じくらい危険だ。


 「こっちも終わった」


 ガラテアさんの声とともに、ガタイのいい男が一人、甲板にすっ飛んできた。どうやら彼女が放り投げたらしい。

 男の顎は砕かれ、鼻は潰れ、白目をむいている。何故か縛られたように両手が股間を抑えているのは…まあ、容赦はしないよね。


 「あと、六人だったか七人だったか。全員捕縛されている」


 息を切らした様子もなく、服装に乱れもなく、トコトコと扉から出てくる彼女の後ろを、おそらく乗客だろう男たちが、何かを引き摺りながら追いかけていた。

 その何かは、言うまでもなく賊どもだ。全員、気を喪っているか呻いているか、泣きながら情けを乞うているかで、戦意は微塵もない。


 「おうい、そっちの船は動かせる奴はまだいるか?」

 

 船長の呼びかけに、四人ほど手を挙げた。斬られたり槍で突かれたりと負傷してはいるが、意識はある。


 「船長は?」

 「…最初に、殺されて河に投げ落とされました…」

 「そうか…」


 船自体は無事でも、動かせる船員がいないんじゃどうしようもない。おそらく、今は意識がない負傷者のうち半分くらいは乗員だけれど、御業で傷をふさぎ、魔法薬で最低限の治療をしただけだ。船の運航に関わるのは無理だよな。


 「船長。ラスヤントまであとどれくらい?」

 「このまま進めば、明日の朝にはウースノールに入ります。その手前に宿場町はありますが、医者に診せるならラスヤントまで進んだ方が良いでしょう。緊急事態の旗をあげて優先してもらって…昼前ですな」

 「わかった。こっちからあっちの船を動かすのに割くことは?」

 「何せ、いつもより多く乗っておりますからね」


 今日は船で夜を明かすことになるな。でも、事態は一刻を争うし。

 御業も魔法薬も、重傷者を治せるのはほんの一部だけ。そんな事ができる人も薬も、滅多にない。

 けれど、ナナイたちの奮闘がなければ、今何とか生きている数名は確実に命を落としていた。


 「みんな、頑張ったね」

 「ええ。アスター様もお褒めくださいますよ」


 俺とロットさんの労いに、緊張の糸が切れたんだろう。へなへなと甲板に座り込む。特に御業は精神も体力も削るそうだから、神官たちは本当にお疲れさまだ。


 「よ、よかたあ…」

 「私たち、お役に、たて、ました?」

 「ああ。大都についたら美味い飯おごるよ!甘味でも何でも、リクエストしてくれ!」

 「おう。銀貨百枚の肉、忘れるんじゃねぇぞ」

 「俺も腹が減った!」


  忘れてないけどさあ。

  お前らに言ってるんじゃ、ないからね?


 ***


 船長と俺と、向こうの船員で一番の年長者との話し合いで、ラスヤントに急ぐことになった。

 途中、本来宿泊する予定だった町で食料品や医薬品を補充し、夜通し船を動かす。

 下船を希望する人はここで降りてもらった。俺たちが宿泊する予定だった宿が開くしね。

 

 ただ、途中の港に降りても、その後大都へ向かうのも、フフホトへ戻るのも難しいから、下船希望者はほんの数名だった。

 怖くてどうしようもない、もう船に乗りたくない、と怯えきった奥さんと、どうにか馬車でフフホトまで戻ります、と疲れきった顔の旦那さん。泣き止まない小さな子と、その家族。

 乗船した時には、大都で過ごす年末年始に心を躍らせていたかもしれない。


 もう少し早く俺たちが駆けつけていれば…とは言わないが、ほんのわずかな差で、運命は大きく変わってしまう。

 それをどう納得するか、諦めるか。

 きっと、一生答えが出ない問題だな。


 その人たち以外は、とりあえずラスヤントまで同行し、その後、船を所有する商会と話し合って、どうするか決めるとする、で決まった。問題の先送りとも言うけれど、ずっと俺たちが同行するわけにもいかないしね。


 幸い、商会はかなり規模のでかいところで、ラスヤントにも支部がある。

 船自体は無事だから、血の痕をどうにかして船員を補充すれば、大都まで数日遅れでたどり着けるだろう。


 血の痕も生々しく、ご遺体も甲板に布で巻いて寝かせてあるとはいえ、あちらの船はけっこう良い(おたかい)客船だけあって、船室の設備が充実している。

 重傷者はその中の特等船室、負傷者は一等船室を明け渡してもらい、ロットさんらが交代で付き添うことになった。


 まあ、本来、その客室を使っていた人とはちょっと揉めたけれど、きちんと『お話合い』をした結果、わかってくれた。ヨカッタネ。


 そんなこんな、すったもんだを済ませて、月明かりのもと、船は突き進んでいく。

 俺の居場所は相変わらず荷船の方で、さすがに少し肌寒さを感じたから、塩奶茶スーティを保温瓶に入れてもらって啜っている。

 クロムも付き添う!と言っていたけれど、少しだけ怪我をしていたから、船室で寝ろ!と追い出しておいた。

 騎士たちが見守っていてくれているし、問題はない。馬たちもいるしね。


 戦の後、どうにも落ち着かないときと言うものはあるものだ。このもやもやを、食や酒で発散する人もいれば、人肌が欲しくなる人もいる。

 それこそ人それぞれだけれど、俺はこうして一人でいたい。

 できれば、外の空気を吸えて、馬か飛竜がすぐ傍にいれば言うことはない。


 だから、馬たちの息遣いや鼻を鳴らす音を聞きながら、スーティを啜る時間は、胸の奥でもやもやしていたもの…後悔とか、悔恨とか、不甲斐なさとか…そういったモノを捨てていくのに、大いに役にたった。


 どれくらい、そうしたいただろうか。

 最近、時計持たないから時間の感覚は月の動きや闇の濃さで図るだけだけれど、夜から夜更けになるくらいの時間はたっていたと思う。 


 ふと、馬たちの鼻息でも波の音でもないものを、耳が拾った。

 主船と荷船を結ぶ縄梯子のきしむ音。

 だれか、こっちにくるみたいだ。


 視線を出入口の戸に向けていると、それはゆっくりと開き、細い輪郭が月明かりに照らされて見えた。


 「少し邪魔をしていいか」

 「あれ、ガラテアさん。もちろんいいけど、大丈夫?結構寒いよ?」

 「外套を着ている」


 ストン、と彼女は俺の向かい側に腰を下ろす。

 サライで新調した外套を着ているけれど、やっぱり寒そうだ。彼女の生まれ故郷は、雪が降らない年があるくらいに温暖なところだしね。アスランの…まして川の上の寒さは身に染みるだろう。

 とは言え、俺の汗やら体臭が染みた外套を渡すのも気が引ける。なら、体内からあったまってもらおう。


 そう思って、荷船の備品であるカップにスーティを注ぎ、差し出す。

 両手で受け取って、ほんわりと彼女は口許を緩めた。


 「ありがとう」

 「どういたしまして。疲れてない?結構、御業使ったでしょう?」

 「今までの経験だと、あと二回ほど御業を請えば、気を喪う。だが、今は大丈夫だ」

 「そう?無理はしないでね」


 本当は、すぐに寝台に潜り込んで寝たいくらいだと思うんだけれど。

 それでもここに来たってことは、俺に話があるのかな。


 「…昔、同じようなことがあった」

 「セスにいたころ?」

 「そうだ。海賊に襲われている船を見た」


 カップを口に運び、微かに傾ける。湯気が一瞬、彼女の顔を隠した。

 だから、その一瞬、彼女がどんな表情を浮かべていたのか、わからない。


 なんとなく、泣く代わりに笑っている…そんな気がした。


 「助けないのかと、私は船長に問うた。船長は返答することなく、私は侍女に抱えられて船室に戻され…そのまま、セスの港に着くまで、出してもらえなかった」

 「うん」

 「何故、助けなかったかと、私は私の無事を喜ぶ父母に問うた。父は、私の命を守ることが船長たちの役割であり、彼らはそれを全うしたからだ、と答えた」


 湯気が夜風に追い散らされ、月夜の薄い闇の中、ガラテアさんの氷青の双眸が、やけに鮮やかに浮かび上がって見える。

 それを同じ瞳で、彼女は民が見捨てられる様も、故国が滅ぶ様も見た…見てしまったんだよな。


 「ファンは、救出を命じた。己も弓を持って戦った。ファンから見て、民を見捨てて王女一人を優先させた船長の行いは、どう思う?」


 私がどこの誰か、弟から聞いているんだろう、と付け加え、ガラテアさんは口許だけ微笑みの形を作る。

 心も、目も、笑っていない。


 それは酷いね、船長はもっと頑張るべきだった、と答えるのは容易い。

 けど、きっとそれは…その先、国を捨て、民を捨て、逃げたガラテアさんとシドを、糾弾することになる。

 か弱い子供だったから、仕方ないよ、なんて答えも、彼女は求めていないだろう。


 なら…思ったことを、そのまま言おう。


 「…兄貴が、よく聞かれることなんだけどね」

 「トールが?」


 突然の兄貴の登場に、さすがに戸惑っていらっしゃる。

 今頃、遠い大都で兄貴がくしゃみしているかもな。


 「どうやったら、常勝無敗なんてことができるのかって」

 

 ガラテアさんは小首を傾げ、俺の話の続きを待っている。待ちながら、カップを持つ細い指先に力が入っているのは、誤魔化すなら捻りつぶすぞと言う意思の表れだろうか。


 「そのたびに兄貴はこう言うんだ。勝てる戦しかせぬことだって」


 実際にはどう考えても絶体絶命だろこれ…って状況でもひっくり返すからこそ、アスランの雷神なんだけれど。

 そんなときも、兄貴にはくっきりと勝ち筋が見えているらしい。


 「その時の、ガラテアさんが乗っていた船、軍船だったか覚えている?」

 「…どうだろう」

 「侍女も乗り込んでいたくらいだし、護衛の騎士や水兵はいたとしても、どっちかって言うと客船寄りだったんじゃないかって思うんだよね」


 海賊が出没するような海域なら、軍船に護衛艦も連れていたかもしれない。

 けれど、それはもう、わからないわけで。

 そもそも、海賊が出現する危険なところに、幼い王女一人で行かせるとは思えないし、やっぱり、護衛艦なんていらないはずの海域だったんじゃないかな。


 「それなら、海賊の方がそこそこの規模なら、返り討ちに会う可能性は高くなる。船長さんも苦しかったんだと思うよ。けれど、彼の任務は、間違いなくガラテアさんを守り切ることだから。そちらを優先したのなら、咎められない」

 「ファンなら、どうしていた?」

 「どうしていたかなあ。やっぱりその時の状況によるかな。今日は、こっちはバリバリの軍船で、乗っているのも戦闘員が圧倒的に多かったからね。もしも賊の戦力が明らかに上回っているとしたら、こっちの船長も俺が何と言おうと、全速力で逃げたと思う」


 まあ…ユーシン辺りが泳いででも助けに行く!と叫びながら実行して、なし崩し的に戦闘になった気もするし、そもそもこの船の戦力で太刀打ちできない賊なら、それはもう、水賊ではなく水軍だけども。


 「それでもお前は、戻れと命じないか?」

 「命じただろうね。ただ、アスランは常に、『勝てる戦』を戦うってことが大きな差じゃないかな」

 

 ガラテアさんの首が再び傾く。さらりと赤い髪が動いて、少し甘い香りが漂った。棗、かな?


 「この河には確かに水賊が出るけれど、規模はそんなに大きくない。ここまで戦力を揃えるのは、はっきり言って過剰だし、無駄遣いだ」

 「ファンがいる。だからか」

 「そう。黄金の血脈(アルタン・ウルク)の前に敗北なし。だから、このあたりの賊が束になって掛かってきても渡り合える船と、戦力を最初から用意している」


 二太子が賊ごときに民を見捨てて逃げた…なんて言う醜態をさらさなくて済むように。


 「セスとアスランの差は、たぶん、アスランは常に最悪の事態を想定するって差だと思うよ。つまり、アスランの方がより臆病とも言えるね。もし、同じ場所にうちの兄弟の末の弟…今、六歳なんだけど、あの子が行くとしたら、船団を仕立てるし、陸路を騎兵隊がついていく」

 「ファンは自分で戦えるから、この程度だと?」

 「そう。兄貴なら、自分で筏でも漕いでくださいね、になるかも」


 小さく漏れた声は、確かに笑い声で。

 俺を見つめる氷青の双眸には、くすぐったい様な笑みが浮かんでいる。


 「…なら、ファン。もし、アスランが滅び、お前は生きているとしたら」


 そんな笑みを双眸に宿したまま、ガラテアさんはさらりと、きっと彼女がセスが滅んだ日からずっと抱えてきた問いを、言葉にしようとしていた。


 「ファンは、国を取り戻すため、戦うか? 」

 「そうだね、と言いたいところだけれど、多分、答えは否、だ」


 ガラテアさんの表情が変わる前に、さっと手を振る。うん。君に気を使った返答ってわけじゃないんだ。


 「だって、その時、間違いなく俺は死んでいるから。死んでいなくても、敵につかまって虜囚になっているなり、とにかく動ける状態にない」

 「何故、言い切れる?」

 「うちは五人兄弟だけれど、成人していて騎士になっているのは俺と兄貴だけでしょ?で、俺と兄貴と親父と、誰から死ぬべきかって言ったら、俺だよ。親父と兄貴二人か、どっちかが生き残っていれば、アスランが滅ぶなんてことはあり得ない」


 戦っていうのは、武勇が突出した兵を多くそろえれば勝てるかと言えば、そんなわけはない。

 その強い兵を最適に展開する将が絶対に必要になる。


 そして、アスラン八代大王モウキと、一太子トールは、世界の名将十人を集めたら、その頂点を競い合うような人たちだ。


 「百万を超えるような大軍が攻めてきて、アスランがなんかの事情でどうしても十万以下の兵力しか揃えられない、とか、なんかそういう事が起きたら、俺は自分の命も存在も全部かけて、時間を稼ぐ。親父と兄貴が勝利の道筋を見つけるまで」


 あの二人ですらすぐには見えない道筋なら、きっと蜘蛛の糸並みに細い。

 それを見つける時間を稼ごうっていうんだ。俺の命程度の済むなら、むしろ安いほうだろう。

 なんで、うちの家族で最初に死ぬのは俺だ。アスランが滅びるまで生きていることはまず、ない。 

 

 「…それでも、敗北したら?」

 「弟たちには逃げてほしいな。逃げて生き延びて、どこかで諦めて納得して、自分たちの人生を送ってほしい。そして、黄金の血脈(アルタン・ウルク)を残してほしい。そう思う」


 そう。ガラテアさんたち姉弟と俺は、立場が違う。

 俺は、彼女たちを逃がし、死んだ両親やお兄さんの立場だ。


 だから…君たちには、罪の意識なんて持っていてほしくない。

 それは国や、民に対する裏切りかも知れないけれど。

 

 もし、アスランが滅びて、弟たちが逃げ延びることができて。

 それを卑怯と罵るやつがいたら、俺は頑張って化けて出る。

 だってさ、やっぱり弟たちは死んでほしくない。幸せに生きて行ってほしいと、兄として願うし。

 たとえ一年に二度しか会わない弟だったとしても、弟たちだってアスランの民で、小さな子供なんだから。


 大人として、子供に生きて幸せになってほしいと願うのは、悪いことじゃないだろう。

 国が亡ぶその責任を、血を持って贖えと言うなら、俺らのだけで十分じゃないか。

  

 「血を残すことは…民を救うよりも、大切と?」

 「大切っていうか、生き物としての本能だなあ。それと、生きる理由が必要なら、その理由にすればいい。

 それに、やっぱりどうしても諦められない、納得できないとなったら、戦う理由にも御旗にもなる便利なものだよ」

 

 己に流れる血が、そうしろと叫ぶから戦う。

 

 それは、真っ暗な闇を照らす、ヤケクソ気味に掲げる灯りだ。

 その血のおかげでなんかすごいことができるわけでも、強くなれるわけでもない。

 けれど、諦めない、納得しないと顔をあげる理由にはなる。


 そしてその灯りに集ってくれる人もまた、いるだろう。

 振りかざすだけじゃなく、しっかりと掲げて、立つのならば。


 「ともあれ、俺はその辺楽観的なんだけれどね。アスランを滅ぼせるような相手なら、それこそ魔王とかじゃない限り、征服した後に民を皆殺しにするとか、奴隷にするとか、そんなことはしないだろって。だから、無理矢理アスランを復興させなくても、民も今まで通りの暮らしを送れるんじゃないなって思う」

 「どうしてそう思う?」

 「征服地の民を欲望を満たすための収穫物にしか思えないような奴が、アスランを倒すほどの勢力にはなれないと思うからだよ」


 今現在、アスランを滅ぼしえる国は、ない。

 あるとすれば、カーランが統一されるか、メルハが統一されるか、西方諸国が統一されるか…ともかく、どっかしらが統一されて、大勢力になることが第一条件だ。

 それなのに、征服した国の民を手ひどく扱えば、アスランと戦う前に反乱で足元に火がつく。

 そんな奴に、親父が、兄貴が、大アスランが負けるはずがない。

 

 「ならば…それこそ、魔王なら?」


 問いかける声は、少しむきになっているようにも、呆れているようにも聞こえた。

 魔王だったら、か。


 思い出すのは、穢金の眼。俺の右掌に刻まれた、俺の運命。


 「魔王なら…」


 万魔の王。黄昏の君。

 世界の再創生を欲する原始の創造神を信奉し、その願いをかなえる為に、世界を滅ぼそうとするもの。


 「魔王なら、やっつけるよ」


 俺は時に雄鶏にも負けるけれど、魔王にだけは負けないんだ。

 魔王に負けたら、アスランだけじゃなくて世界がなくなってしまう。

 この世界には、まだまだたくさん、俺の知らないことがあると言うのに。

 

 「やっつけるのか」

 「やっつけるよ。負けないよ、俺は」

 「そうか」


 ガラテアさんは呟いて頷き、しばし、会話は途切れた。

 船の舳先が水を割る音。外輪のまわる音。馬たちの息遣い。風が壁を揺らす音。


 それは静かではなかったけれど、心地のいい沈黙だった。

  

 「ファン。もし、私がセスに戻ると言ったら、お前は止めるか」

 「いや、ついて行っていいか聞くかな」

 「何故?」

 「湾の北と南で、本当に蟹の鋏の大きい方が逆なのか、見てみたい」


 素直に答えた後、あ、これはだって心配だからね、とか言った方が良かったかと思ったけれど、出した言葉とこぼした水は戻せないってやつだ。


 「あー、その、ほら、ええっと、川を遡上するボラの大群も見てみたい…じゃ、なくて…」

 「ああ、あれは圧巻だぞ。そのボラを狙って、天は鳥の群れに覆われ、普段はもっと上流にいる鰐も河口に集まる」

 「ええ!そうなの!!それは見たいなあ!やっぱり、魚食性の鰐が集まるのかなっ!?」


 ガラテアさんは「にっこり」と音がしそうな笑顔で、俺を見ている。

 うん。水をこぼした上に、持っていた壺まで落として割ったって感じだな。


 「ファン」

 「ハイ…」

 「ファンは、芋虫を食ったのだったな」

 「え?うん。美味しかったよ」


 ガラテアさんはふわりと立ち上がる。外套の裾を払い、零れた髪をかき上げて、さらに笑みを深くした。


 ふと、甘い香りが強くなる。

 視界いっぱいに彼女の顔が広がって。


 そして、唇に、柔らかくて、暖かい感触が、一瞬。


 「…ふむ。私は、お前が芋虫を食べようと、百足を噛み砕こうと、問題ないようだ」


 そう言って、後はくるりと踵を返して、歩み去る。

 戸を開けて、出ていく寸前、振り返って。


 「おやすみ、ファン」

 「あー…ええっと…おやすみ、なさい」


 その時、彼女がどんな顔をしていたのか、俺は見ることができなかった。

 彼女はどんな顔かわからないが、自分の顔は、推測できる。


 一言でいえば、間抜け面、だな。うん。

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