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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
38/89

山は登れば越える。仕事は始めれば終わる。(千里の道も一歩から)9

 声…鴉の鳴き声だ。

 もう朝か、と目を開けようとして…違和感を覚えた。


 鴉…?天卓山地には、ハルはいないぞ?


 カラス科だろうと見做されている、バウーという鳥はいるんだけれど、鳴き声は「ケェッェーウ」って感じで、鴉の「キョプン!キョプン!」という声とは違う。


 って事は、鴉のように鳴く鳥がいる、もしくは、この辺りに鴉が生息しているってことか!


 興奮しながらガバリと身を起こし、目を見開いて、気付いた。


 「あ、夢か」


 夢と気付いているのに目が覚めない夢は珍しい。明晰夢っていうんだっけ。

 そんなことを思いながらあたりを見回すと、この俺の夢、夢とは思えないほどの生々しさだ。


 立っているのは、森の中。

 足の裏は、床ではなく露にまみれた草を踏んでいた。わずかに冷たさを感じるけれど、ふんわりとした感触は悪くない。

 夢だから、ダニに取りつかれることもないだろう。フトアゴクロヒアリの活動時間にはまだ早いしな。いや、夢だからこっちも大丈夫か。


 うん。俺は間違いなく、家の中の吊床ハンモックで寝ていた。

 もしも夢遊病やら、新種の鳥の声に反応して寝ぼけて脱出したのだとしても、俺の寝所も家の周囲も、兵ががっちりと見張っている。さすがに誰かしら、止めてくれるだろう。


 なんで、こんな単身で森の中で立っているはずがない。

 

 自分を見下ろせば、着ているのは寝た時と同じ服だ。

 靴も靴下も履いておらず、念のためにと枕の下に入れておいた短剣も身に着けていない。ダニ除けの布も手足に巻いていない。

 こんな軽装で外に出るはずはないんだよなあ。やっぱり夢なんだなあ。こういうところの詰めが甘い。


 ずいぶんとはっきりした夢だが、夢は夢だ。しかも、夢だと気づいているのに中々目は醒めない。

 それなら今のうちに、樹液が染み出している木でも探して、集まっている虫でも観察するか。夢だけど。


  夜明けが近い。闇は刻一刻とその濃度を薄めている。朝日と呼ぶには弱々しい光量ではあるけれど、確かに夜は東から西へと追いやられ始めていた。

 多量の湿気を纏った大気は、けれど清々しい香りを含む。竹の匂い、森の匂い。どこかで開きだした、花の匂い…それらは僅かな風に揺られ、漂い、俺の嗅覚に触れては消えていく。


 そういや、鴉の声はどうなったのかなと耳を澄ますと、鴉の声は止んでいた。

 いや…声は、している。

 ただ、聞こえているのは鴉の声じゃない。


 人の、歌声だ。


 ちょっと…いや、かなり調子の外れた歌声は、どこかで聞き覚えがあった。

 歌自体は良く知っている。俺たちヤルクト氏族に伝わる子守唄だ。


 おちびよ泣くな、泣かずに眠れ、泣けば攫われて食われるぞ、という内容の歌で、具体的にどう食われるかという描写が続く。

 たいていの赤ん坊は、三番めの「潰され絞られ面包パンに塗られる」あたりで寝てしまうけれど、実際は十五番まである。


 とりあえず、樹液を捜しに行くかどうするか迷ったけれど、歌声のする方に行ってみることにした。

 すごい捜したのに見つけられず、標本を作ることができなかった甲虫の一種とかを見つけたら悔しいしな。俺の夢なんだから、それこそ「夢にまで見た」ものが出てくる可能性は高いだろう。

 それなら、未発見の生物ではない方へ行ってみたほうが、目覚めがよさそうだ。


 濡れた草や土の感触を楽しみながら、声のする方へと歩く。

 夢の中って走ったり歩いたりしようとすると、もがくだけで進めないってことが良くあるけれど、ごく普通に歩けた。


 百歩もいかないうちに、森が終わる。


 卓の縁は土が少ないから、竹ですら根を伸ばすことができない。僅かにイトヨリマツの一種だけが、岩を穿ち張り付くように成長することができるけれど、基本的には地衣類の領域だ。


 常に大気を潤す湿気と、少ない日照時間によって育まれる地衣類は、竹と並んで天卓山地の勝者だ。

 大きなものでは俺の踝あたりまで伸び、夜露と朝露を蓄えて、まるで浅い水の中を歩いているような感触を肌に伝える。


 その地衣類が覆う卓の縁。

 さらにその端、断崖絶壁に…人が腰かけていた。

 菅笠を被る後ろ姿しか見えないけれど、男性だ。たぶん。


 おそらく、両足はぷらぷらと空に向かって放り出され、ほんの少し強い風が吹けば、滑る地衣類に爪を立てることもできずに崖下に転落する。

 そんな場所にいるっていうのに、子守唄は止まない。


 でも、まあ。夢だしな。俺も行ってみよう。


 笠から覗く髪は黒く、纏う服も黒い。声からして、若いんだろうと思う。いや、振り向いたら結構おっさんだったりするかもだけれど。

 

 『彼』は俺の接近に気づいたのか、するりと手を動かした。

 示すのは、崖下だ。


 示されたとおりに除きこむと…岩棚に、何かがたくさんいた。


 何かがたくさんいて、うごうごと動いている。なんだろうと目を凝らし…微かな痛みとともに、その輪郭がくっきりと見える。

 鷹の目を使うと怒られるけれど、夢だしな。問題ない問題ない。


 それは、猿だった。

 いや、より正確に言えば、猿の群れだ。


 この辺りではよく見かける、赤鬣猴チャイキヤという猿の…大群。

 長い尾と、頭、両手両足は鮮やかな真紅色で、胴体は良く熟れた蜜柑のような色。顔だけはもう少し黄色みが強い。

 人にも馴れるので、子猿のころに親からはぐれたのを村で飼っていたりする。果物の収穫なんかを一緒にやってくれるし、魔獣や豹などの肉食獣が近付けば警戒してくれる。

 そして何より、キヤサムムはこの猿の骨と毛皮で作る。

 イフンの…特に天卓山地に住む人々にとっては、非常に親しい生き物だし、確かに十数頭の群れを作る猿だ。


 けれど…見た感じ、岩棚に集う猿の群れは十数頭なんて規模じゃない。

 百頭近い猿が大きめの岩棚と、その周辺の岩棚や崖に集っている。


 「あれを見てみな」


 やっぱり、この声聞き覚えがある。あるけど、思い出せない。夢だから?

 そのことに引っ掛かりを覚えつつ、俺の目は『あれ』を捜していた。

 

 「!!」


 猿の群れの中心。

 そこに倒れているのは…人間!

 鷹の目がさらに焦点を合わせ、痛みと共に倒れる人間が拡大される。

 

 手足はあり得ない方向に曲がり、特に右手は皮と繊維だけで辛うじて繋がっている有様だ。

 もとは何色だったかわからないほどに着衣は血に染まり、服が吸いきれなかった血が岩棚に溜まっている。そこに混ざっているのは、おそらく…内臓の一部。


 顔の左半分は削られ、耳から目の端までがへこんでいた。

 けれど。

 その顔は…間違いない。間違えられない。


 「…マシロ!!」


 夢、だよな。

 だって、マシロは今、ちゃんと生きて治療を受けている。

 だから今、ここで…死んでいない。


 いや、その虚ろに開いた瞼は痙攣し、浅く速い呼吸が繰り返されているから、死んでいるわけじゃない。

 でも…その命が尽きるのは、夜明けがくるよりずっと早いだろう。


 思わず崖を下ろうとした俺を、『彼』が引き留める。


 「心配ないさ。ほら、見てろよ」


 穏やかな声を裏付けるように、ひときわ大きな赤鬣猴が崖から伝い降りてきた。

 それを待っていたかのように、赤鬣猴たちはマシロの腕や足をそっと持ち上げ、本来あるべき場所に戻すように置く。


 赤く潰れた傷口に、大きな赤鬣猴の手が触れる。その手は顔や腹の破損個所にも伸び…離れた時には、破れた服の隙間から、傷一つない肌が見えていた。

 大きな怪我が塞がると、マシロの呼吸が明らかに落ち着いてきた。心なしかほっとしたような顔をして、大きな赤鬣猴は身を引く。

 すると今度は、他の赤鬣猴たちが身を寄せ合い、尾を絡め合わせ始める。


 猿の筏。そんな形容が、頭に浮かんだ。

 尻尾で作られた筏の上に、大きな赤鬣猴はそっとマシロを置いた。筏に加わっていない猴が一緒に乗って、尾を巻き付けて固定する。


 そして、するすると崖を下って行った。

 まるで水滴が竹の葉を滑っていくように、淀みなく、跳ねることもなく。


 「うんうん。これで安心。あとで炎公に顛末を報告に行かないとな」

 「えっと、これって夢で…」

 

 俺の呟きに『彼』は顔をあげる。

 その顔を見て俺は驚き―…


***


 「うわぁっ!!」

 「だわああ!ちょ、ちょいとファン先生?心臓に悪い起き方やめておくんなさいよ」 

 「え、あ、ごめん。おはよう、ヅックさん」


 さわさわと、雨の音がする。

 勢いよく上半身を起こしたせいで揺れる吊床。見下ろしているのは、竹筒を持ったヅックさんだ。


 「おはようございます。ナランハル。夢見が悪うございましたか?」

 「んー…びっくりする夢だった、と思うんだけど…」


 夜明け前の森。岩棚に横たわる瀕死のマシロ、赤鬣猴の大群。

 …?

 なんだろう。何か、忘れている気が、する。


 「アグン殿に夢払いを頼みますか?」

 「…必要なし。かの夢、吉祥」


 おそらく、朝の鍛錬を終えてきたのだろう。汗がミクの頬を伝っている。アグンさんも一緒にやってたのか、刺青のはいった頬は上気していた。

 どうやら、朝の鍛錬が終わるくらいの時間まで寝てたみたいだな、俺。


 「大丈夫?ファン先生。お水だよ」


 クオンが差し出してくれた竹筒は、冷たい水で満たされていた。礼を言って受け取り、口に含む。

 僅かに竹の爽やかな香りが解けた水は、乾いていた喉を潤し、ばくばくとざわついていた鼓動を沈めてくれた。


 「ちょっと、変な夢でさ」


 でも、アグンさんは吉祥だっていうしなあ。とりあえず、話してみるか。

 確かに、夢の中で死んだり殺された人は長生きするっていうしね。


 「うん。先生、そりゃあいい夢だよ。赤鬣猴はハトコさん抱えて、山を下りってったんだろ」

 「そうだね。奥に行ったんじゃなくて、崖を下りてた」

 「お山の奥に行っちゃったら、死者の国に行っちゃうけど、降りたなら人の世に戻るってことだから、ハトコさん助かるよ!」

 「そそ。怪我人や病人がいるとき、家族が赤鬣猴の夢を見るとな、お山の奥に行くか、降りるかでどうなるかわかるのよ」


 なるほど。そういう伝承があるのか。

 これは興味深いな。メモ取っておかなきゃ。

 

 「きっと先生がキサヤムムにお供えしたから、そのお返しだね」

 「そっかあ。有り合わせのものなのに、義理堅いなあ」


 キサヤムムの祭壇に目を向けると、昨日保護した子らが熱心に祈りを捧げていた。いつの間にか、淡い青色をした小さな花が飾られている。

 マメ科の植物で、この辺りではよく見かける草だ。花が枯れると小さな莢をつくるけれど、苦くて食べられたものではないらしい。

 ただ、花は染料になるので、まだ畑仕事を手伝えない子供たちは、せっせとこの花を集める。

 特に女の子たちは、大人の目を盗んで爪に花の汁をこすりつけ、青く染めて喜ぶ。クオンの妹を始めとする村の女の子たちが、淡く青に染まった爪を見せてくれたことを思い出した。

 

 『花、爪、つける、ない、どう?』

 

 声をかけると、妹ちゃん二人が顔をあげてこちらを見た。すぐに恥ずかしそうに顔を背けてしまったけれど、そっと爪をこちらに見せる。

 仄かに青く色づいた、小さな爪。

 

 よかった。少しだけでも、「楽しいこと」をしようとするくらい、この子たちは元気になってきている。

 爪が染まっているという事は、花もこの子たちが摘んできたんだろう。

 おそらく、この後…「任務」に赴く、兄の為、キサヤに捧げようと。


 昨日、フタミさんの報告を聞いた後、おおまかに作戦を立てた。


 まず、村人たちに俺たちは味方であることを伝えなくてはならない。

 敵の総数は俺たちと同等か、やや多いくらい。けれど、昨日到着したばかりの俺たちに比べ、的はこの地の地形を調べつくしている。

 

 地の利はあちらにあり、それはこういう山岳戦では致命的だ。

 さらに、クトラ傭兵団は山岳での戦いに強いけれど、俺たちアスラン騎兵は弱い。

 

 村人たちの保護まで手が回るか、確証はない。となると、村人は自分で逃げてもらうのが一番手っ取り早いからね。

 人質の子供たちを保護できれば、村人たちが奴らに従う理由はない。自分の家族を守りながらいったん山奥へ逃げてもらおう。それが、俺たちの作戦だ。


 その為にも、俺たちの存在を村人たちへ伝えなくちゃいけない。村人からしたら、子供を解放しに来たんだか、奪い取りに来たんだかわからないしな。

 フタミさんとともに、お兄ちゃんは隠し村の方へ…特に、キサヤの封印の捜索をさせられている村の男たちに接触してもらう。

 家族持ちの男たちは、夜の間家に帰されるそうだから、そこで情報伝達してもらえばいい。


 つまり、決行は今日の夜。それに先駆けて、昼の間に接触する。

 フタミさん曰く、昼下がりというのは一番気が緩むんですよ☆という事で、そう決まった。

 

 さすがにこの村で生まれ育っただけあって、お兄ちゃんは連中が見張っている場所以外の登攀ルートをいくつも知っている。フタミさんと一緒なら、問題なく接近できるだろう。

 フタミさんだけではなく、クトラ傭兵の中でも特に身の軽い五人が同行する。いち早く潜入し、俺たちの登攀ルートを確保するためだ。


 正直、かなり適当というか、力押しの作戦ではある。けれど、のんびりと作戦遂行のための準備をしているわけにもいかない。

 敵が焦って向こうも力押し出来たら、村人の犠牲は避けられないしな。敵に体勢を整えさせる時間を与えるのは愚策だ。

 敵より先に仕掛けて、主導権をこちらが握る。限られた兵しかおらず、打てる手も少ないならそれしかないだろ。


 少し寝過ごしてしまったようだけれど、とにかく朝飯を食って段取りを細かく打ち合わせて…と思っていると、戸口の筵がめくられて、親衛隊騎士が顔を出す。ちょっと思案顔だ。


 「どうした?」

 「おはようございます。ナランハル。昨日のおねーちゃんが、一目でいいから子供たちに会わせてくれと訴えてきていますが、どうします?」


 う、どうしよう。

 確かに安否を気遣っていたけれど…本心なのか、それともあの子たちから何か漏れていないか、調べに来たのか。

 ちらっと会わせる程度なら、問題ないかな?けど、女性ってのは鋭いからなあ。「何もされていない」事を見抜いてしまうかもしれない。


 「お判りでしょうが、会わせるのはナシですよ?ナランハル☆」

 「おはようフタミさん。やっぱり、そうだよね」


 いつの間にかいて、声をかけてきたフタミさんに頷く。

 けど、追い払うだけじゃ納得しないだろうしなあ。


 「とりあえず、俺が会うよ。ミク、すまないが警護を頼む。フタミさん、周囲にあっちの偵察が来てないか確認を。アグンさん、ヅックさん、クオン。あの子たちと荷物の内側に」


 大広間の一角には、荷物を積み上げて防塁にした場所がある。そこなら、覗かれても姿は見えないし、弓などで狙撃されることもない。

 

 「御意」

 「任されました☆」

 「…承知。姿隠し…実行します」


 さらにアグンさんの呪術で守ってもらえるなら、完璧だ。

 不安そうな顔をしているクオンたちに手を振って見せて、戸口へと向かう。まだ髪も結っていない寝起きのまんまというのは、この際ちょうどいいな。

 いかにも自堕落な感じが出ている…と良いんだけど。


 騎士がめくってくれた筵をくぐって外に出ると、銀色の雨が視界を覆っていた。

 その中に、菅笠だけを被り、身体を雨に打たせて、シャリハさんが立っている。


 「おはよう。今朝は雨が早いな」

 「おはようございます、ナランハル…あの、あの子たちは…!」

 「良く寝ている。起こすのも可哀そうだからね」


 会わせる気はないと言外に伝えると、彼女は水を吸ってぬかるんだ地面に膝を付き、頭を下げた。


 「どうか…どうか、お願いいたします!一目だけでも…!」


 その様子を見た生徒たちが、ちらちらと視線を送ってくる。うーん。間違いなく俺が悪者だな。

 けど、悪者なら、悪者らしく振舞わなきゃ。


 「嫌だ」


 彼女の背が震える。理屈つけて断るなら、なんとか反論する余地もあるだろうけれど、感情で「嫌です」と断られたら、どうしようもない。

 一応俺は、感情だけで断っていい立場だしね。そこを何とかと食い下がって、機嫌を損ねる危険を彼女は冒すだろうか。


 「…あの子たちの母親も…不安に思っています。どうか、お慈悲を…」

 「明日の昼には帰す。そう伝えておいてくれ」


 嘘は言っていない。明日の昼には、すべて終わっているはずだ。いや、終わらせないとな。

 けれど、シャリハさんは首を縦に振らない。泥がついた顔をあげ、瞳を潤ませながら俺を見上げる。

 あー…視線が痛い。


 「それなら、今晩は彼女に遊んでもらったらいかがでしょうか☆ナランハル」

 

 確認が終わったんだろう。窓から外に出て行っていたはずのフタミさんが、家の中から姿を現して声をかけてくる。

 あ、そうか。それは良いかもしれない。


 「うーん、そうだな。君が遊んでくれるというなら、代わりにあの子たちとは今晩は遊ばない」

 「…かしこまり、ました」


 唇を微かに嚙み締め、俯いて…どっからどう見ても、子供を助ける為、変態クソ野郎に我が身を差し出す乙女ですね。

 

 「よし。それじゃあ日が暮れたらまた来い。あの子たちはその時に顔を見ればいいよ」

 「帰しては、くださらないと…」

 「嫌なら、君は来なくていいけど?」

 「必ず、参ります。ですから、どうかあの子たちは…休ませて、ください」

 「ああ。いいよ。それで行こうか」


 深く頭を下げると、彼女は立ち上がり、ふらつく足取りで歩きだす。

 しばらく行ったところで顔を抑え、足を速めて雨の向こうに消えていった。


 「なかなか良かったですよ☆」

 「ありがとう。ボロ出してないなら何よりだ」

 「ナランハル!」


 意を決したように、バヤルが声を張り上げる。俺の横で親衛隊騎士が、「あーりゃりゃ」という顔で一塊になって眉を吊り上げている生徒たちを見ていた。


 「あの、彼女は、説得すれば協力してくれると思うのです!」

 「いや、それはないだろ…」


 突っ込みを入れたのは、俺ではなく、同じ生徒のジノ君だった。

 呆れた顔で同輩たちを見て、首を振る。被っている菅笠から雫が飛び、それが血気にはやるバヤルの顔に当たって、少し落ち着かせたようだ。


 「あんなわざとらしい演技を真に受けるなよ…」 

 「え、演技?」 

 「どう見ても演技じゃないか。なあ、あの女は、みんなを殺した敵の一味だぞ?それを忘れるなよ。村人の事なんて、悪巧みを成功させるための道具としか思っていないって」


 おお、冷静だな。ジノ君の後ろには、頷く数人の生徒たちがいる。

 どうやら、生徒たちの間でも意見が分かれているらしい。


 「おそらく、女性経験の有無ですね☆もしくは姉妹の有無でしょうか☆」

 「あ、なるほど…」


 若くて綺麗で優しそうな女性だから善人である…と言う前提が、彼らにはない。その前提をぶっ壊す…もしくは、最初から作らせなかった経験があるんだろうなあ。いや、若くて綺麗で優しい善人の女性はもちろんいるけれどね。

 彼女も、実際そうなんだろう。


 だが、敵だ。

 若くて綺麗で優しく、善人だが敵だってだけだ。


 そして、彼女も敵には何をしてもいい、騙して国を裏切らせようと、軽率な行動の報いに一族郎党処刑されることになろうと、別に構わないと思っている…いや、それすらも正義だと思っているだろう。


 正義と正義がぶつかり合う時、そこに善悪はない。あるのは勝敗だけだ。傲慢と言われようと、俺は俺の側にいる人々を守りたい。

 彼女たちは、すでにアスランの民を殺傷している。話し合いの余地は、そこで消えた。間違えようがなく、敵だ。


 悪人だからじゃない。敵だから戦う。

 それをバヤルたちに理解させないとだな。

 

 「とりあえず、バヤルたちも建物の中へ入って、その件について議論してなさい。というか、ジノ君。頼んだ」

 「お任せください!」


 頼もしく左胸を叩き、ほらほらこっちだとジノ君はバヤルたちを、宛がわれた家に向かって引っ張っていく。

 騎士も一人、向かわせよう。色々と経験した話を聞くのも大切だ。


 「呼び寄せて捕縛ですか?」

 「うん。少なくともこれで一人、確実に抑えられる」


 生徒たちと、俺の目配せに頷いてその背を追う騎士を見送っていると、ミクが声をかけてきた。

 あちらからは筵で見えなかっただろうけれど、すぐ後ろに控えていてくれたミクは、全身にみなぎらせた緊張を抜いている。

 彼女が何かしようとすれば、その吐息が俺に届くより早く、ミクの一撃がその頭を割っていただろう。

 

 「ああ、そういう事か。先生、ついでにお楽しみしちまうのかと…」

 「みんなに見守られながら楽しめるほど、俺は図太くありません」


 敵と褥を共に…なんてなったら、当然最大限の警戒になる。無理です。

 だいたい、敵意や嫌悪憎悪をむき出しにする女性となんて、絶対に楽しくないよあ。それが良いって連中とは、一生分かり合えないし分かり合いたくもない。

 そりゃあ、俺にも相思相愛の女性と夜を共にした経験ってのはないけども。せめて、利害と好悪の一致は必要だよね。


 「彼女が『作戦』に取り掛かれば、向こうの油断するだろう。逆に、彼女が捕縛されることを想定して動くようなら、なかなかの難敵だ。気合い入れていこう」

 「是!」


 銀の雨はやまない。キサヤがどこかで泣いているのだろうか。

 あの夢の中で、あの子守唄を謳っていた人…なんて言っていたっけ…。

 曖昧な夢の輪郭は、雨音に流されてちっとも掴めない。

 まあ、いいか。大切なのは夢の話じゃなく、現実の。


 戦だ。


***


 「成功です☆あの子の父親にも接触できましたよ☆」


 フタミさんが単身帰ってきたのは、雨上がりのやけに赤い夕暮れのころ。

 クトラ傭兵たちとお兄ちゃんは、隠し村にそのまま残って俺たちを待つ。


 そこまで巻き込むのはどうかとも思ったけれど、村を襲われ、人質を取られ、変態クソ野郎に妹ともども差し出された怒りは、何か行動で消化した方がいい。

 そう思ってクオンに作戦を通訳して貰い、やるかどうかを尋ねると…はっきりと頷かれた。双眸には強い光と意思が満ち、すぐに行こうと立ち上がったのを宥めなきゃなんなかったほどだ。


 なんとなく、あの日のクロムを思い出すなあ。

 天卓山地に調査に行くって話をしたら、馬鹿じゃねぇのか、なんだってそんなトコ行こうとか思いつくんだよ、怪我とかしやがったら絶対に許さねぇからな、と散々に罵られたけれど…元気にしているだろうか。

 

 「ありがとう。後は…彼女がくるのを待つだけだね」


 夕暮れは短い。太陽は靄の向こうに沈みかけている。

 彼女は来るかな。来たとしても、強襲部隊を引き連れてになるだろうか。

 すでに傭兵隊は家々の床下や屋根に潜み、何かあれば即座に攻撃を仕掛けられる態勢を整えている。

 さて、どうでるか。


 「ナランハル。来ましたよ」


 しばし、時が過ぎて、夕暮れが黄昏の青い闇にとってかわった頃。

 ひょいと筵をめくって騎士が顔を出し、来訪を告げた。


 「一人です」

 「わかった。通してくれ」


 通すのは、祭壇がある方じゃなく、村長一家が生活する居住スペースの方だ。

 キサヤムムの祭壇に縋るように妹ちゃんたちが座り、その前にクオンとヅックさんが竹筒を握りしめて陣取る。

 できればこの四人は、作戦開始前に麓に降ろしたかったけれど…登ってきた道は、やはり監視が厳しいってことで断念した。

 

 立ち上がり、彼女を通す部屋の方へと足を運ぶ。フタミさんが音もなく、後ろから付いてくる。

 如何にも昨日使用しました、というように乱れた敷布…実際、使ってたのはヅックさんだけど…に腰を下ろし、次の動きを待った。

  

 「…ご寵愛いただけますこと、感謝いたします」


 騎士に連れられて入ってきた彼女は、湯浴みをしてきたらしく、髪は濡れて白い肌は上気している。仄かに漂う甘い匂いは、香油を塗り込んできたんだろう。

 そういえば、天卓山地の奥に咲くっていう、とんでもなく臭くてでかい花、見つけられなかったな。数年に一度、二、三日だけ開花するその花は、悪臭で蠅などを呼び寄せて受粉に使うらしい。

 見たかったし、嗅いでみたかったなあ。


 「あの、あの子らは…」

 「その前に、身柄を改めさせてもらうね☆」

 「…っ!ナランハル、お願いいたします!せめて、あなた様の手で…!!」

 「わかった。下がってて」


 一瞬、彼女の口元に「してやったり」という笑みが浮かぶ。すぐさまそれは、悲痛を湛えつつも健気に浮かべる微笑みに変わったけれど。


 「御意☆」


 こくりと頷いて、フタミさんが部屋から出ていく。それを見届けると、彼女は震えながら俺の前に跪いた。


 「ありがとうございます、ナランハル…」

 「見たところ武器の類はないようだしね。遊び相手を疑うのは良くない。そうだろう?」

 「信じていただけて、うれしいですわ…」


 白い蛇のように、彼女の手が俺に向かって伸びる。別の意思を持った生き物のように手は動き、膝をゆらりと撫でた。

 それを俺が拒まないことを見て取って、彼女本体が接近する。甘い匂いが強くなり、湿った肌の感触が胸に押し付けられた。


 「…大都の美女に比べれば、田舎くさい小娘ではございますが…」

 「そうかな。十分に訓練されていると思うけれど」


 急所に伸びる手を掴む。彼女の鼓動が、一つだけ大きく響いた。

 

 「…おっしゃる意味が…」

 「イフンの女性は、自分から男を触りにはいかないってことだよ」


 全身を使って俺から飛び離れようとする彼女に、隠し持っていた縄を巡らせる。

 もがく動きに縄はシュルシュルと締まり、凄まじい形相で俺を見る彼女は、背中側で手足を括られている自分を信じられないようだった。

 遊牧民なもんでね。暴れる動物を縄で括るのは得意なんだ。


 「ナランハル!」

 「終わったよ。牡羊の去勢より楽なもんだ」


 寝床の後ろ、衝立の奥から現れたミクの姿に、シャリハさんは自分が誘い込まれたことを確信したんだろう。大声を出そうというのか、口を開いた。


 「はい☆そこまで。舌を嚙むのも声を出すのも、ダメだよ☆」


 その開いた口に、無造作にフタミさんが布を突っ込む。彼女は約束した通りウハイフンゲルに連れて行こう。何をしようとしていたのか、今までに何をしたのか…たっぷりと「お喋り」して貰う必要がある。

 ムザクに連行でもいいんだけど、それこそジャスワン将軍やりすぎそうだからなあ。


 「よし、次行くぞ」


 縛られたまま暴れる彼女を、部屋に入ってきた騎士たちが抑える。ヅックさん使用済み敷布で包むと、さすがに少しおとなしくなった。


 「一つ、言っておくよ。あの子たちは無事だ」

 「…!」


 見開いた瞳から、ぼろりと涙が落ちた。

 計画が完全に失敗したことを悟ったんだろうか。


 まあ、彼女の心境は今は置いておこう。慰めなどほしくもないだろうし、どう転んだって彼女に明るい未来はない。

 だがそれは、アスランへ潜入すると決めた時に覚悟した未来のはずだ。


 「フタミさん、準備は?」

 「いつでもいいですよ☆」

 「ミク、後を頼んだよ」

 「是。まずは怪我をした村人が収容されているという家を襲撃いたします」

 「うん。無事だといいんだが…。バヤル、ジノ、アトリ!君ら生徒たちは、解放した村人を保護し、ここに。絶対死守だ!」


 三人の即席隊長は、さすがに緊張に顔を強張らせつつ、「是!」と左胸を叩いた。

 彼女とバヤルを一緒にしとくのはちょっと不安だけれど…ジノ君たちとの討論で、吹っ切れたみたいだし。信じよう。


 家の外に出ると、すでに黄昏は終わり、夜が始まっていた。フタミさんを先頭に、わずかな月明かりの下、移動を開始する。


 「うまくいってよかったね、先生」

 「…クオン!?」


 ひょいとかけられた言葉に、思わず大声を出しそうになって慌てて口を押える。

 そんな俺の様子に、クオンは呆れたように目を細めた。


 「ダメじゃない。大声出したら」

 「なんでお前が…」

 「通訳、いたほうがいいでしょ。それに俺も、なんかしたいんだよ。だって、あれは…イフンの民のことじゃないか」


 あれっていうのは、キサヤの事か。

 

 「いいんじゃないですか☆確かに通訳がいてくれた方がいいですし☆ついてこれていますしね」

 

 フタミさんが軽ーく言った通り、クオンは俺たちの行軍にしんどそうな様子もなくついてきていた。

 むしろ、竹林を抜ける足取りは俺よりも軽い。


 「わかった。けど、絶対に俺の傍を離れるなよ」

 「はい!」

 

 一人前に左胸を叩くしぐさに、傭兵たちの口許も綻ぶ。

 まあ…確かに、通訳はいたほうがいいか。


 案内された登攀個所は、所々に岩棚が張り出し、手掛かり足掛かりにもなるし、上や横から見つかりにくい。

 クトラ傭兵の一人が、紙で作られた環を千切った。


 「アグン隊長の術です。対になっている環が、同じように切れる」

 「なるほど、それが合図か」


 に、と傭兵は笑って頷き、それを裏付けるように縄が三本、崖の上から垂らされる。

 結び目が等間隔で作られた縄まであるから、登攀はそれほど難しくなかった。

 雨が降り続いていれば滑るし、体力も奪われるしで困難になったかもしれないけれど、幸い雨はやんでいる。滑るのは滑るけれど、それはいつものことだしな。


 崖を登りきると、俺より後に上り始めたはずのフタミさんが待っていて、手を掴んで引き上げてくれた。クオンも難なく登り切り、きょろきょろと辺りを見回している。

 その視線が止まった。にぱっと笑って手を振る先には、お兄ちゃんが同じように笑って手を振っている。

 すっかり仲良くなったなあ。いいことだ。


 「子供たちが監禁されているのは?」 

 「こっちです☆さて、ナランハル。途中見回りがいると思いますが、どうします?」

 「やり過ごせると思う?」

 「この人数だと難しいかな☆」


 こっちにいるのは、クトラ傭兵十人と俺にフタミさん。それにクオンたち。

 まあ、隠密行動に出るのは無理だよな。俺だって身を隠すのは得意じゃないし。


 「排除しながら行こう。ミク達が動けば、どうせ大騒ぎになるし、そうなれば人質の確保に動かれる」

 「承知」


 暗闇に獰猛に双眸を閃かせ、別動隊の隊長さんは頷いた。闇夜の急襲は、クトラ傭兵の得意な状況だ。

 家々の陰から陰へと、声を殺し、足音を消して進んでいく。まあ、一番できていないのは俺なわけですが。

 腰につるした矢筒を抑え、なるべく静かに傭兵たちの後に続く。本来の得物であるシドウの大弓はさすがに持ってきていない。護身用兼狩猟用にトパワクで買い求めた短弓だ。

 威力は大弓に比べて落ちるけれど、こういうこっそりと移動する時に目立たないし、あちこちに引っ掛けてガサゴソ音がしないのも良い。


 ふ、と豹のように先頭を行く傭兵隊長の足が止まった。

 振り向きもせず、ただ指を立てる。親指と、人差し指。それに応えて二人、クトラ傭兵が家の床下に潜った。高床式だから、少し身を屈めればなんなく入り込める。


 傭兵隊長の視線の先にあるのは、赤い光。松明だ。

 その光が、一瞬だけ大きく揺れた。


 床下を潜り抜けて背後に回った傭兵が、巡回している見張りの首に腕を回し、もう片方の手で松明をもぎ取る。

 松明の炎が作り出す影はバタバタと藻掻き、身を捩じり、陸にあげられた魚のように跳ねまわり…そして、止まった。


 力を喪った見張りの身体を引き摺って、傭兵たちが戻る。見張りの首には真っ赤な痕が残り、締め落とされたことを物語っていた。

 松明を他の傭兵に渡すと、手慣れた手つきで見張りの手足を縛りあげる。最後に猿轡を噛ませて、床下に押し込んで一丁上がりだ。

 

 「一応確認。村の人じゃないよな?」


 すぐさまクオンがイフン語に訳してくれ、お兄ちゃんは首を強く振った。その眼差しには怒りが満ち溢れている。

 小さく、しかし強く放たれた言葉を聞いて、クオンも顔を顰めた。


 「こいつら、よくお母さんや妹を嫌な目で見ていたって…それに、村の女の人が何人か、連れていかれて帰ってきてないって…」

 「…そうか。その人たちも、助けなきゃな」

 「いるとすれば、連中が使っている家でしょう☆どうします?隊を二つに分けますか?」

 「その方がいいな。子供たちの方は、むしろフタミさん単独の方が良かったりする?」


 俺の問いに、フタミさんは常に浮かべている笑顔のまま頷いた。


 「そうですね☆ああ、でも、一人二人は欲しいかな。外でちょっと騒いで、気を引いて貰えればありがたいかも」

 「わかった。じゃあ、俺とクオン、お兄ちゃんはそっちだ」


 この子たちに、嬲られた女性を見せたくないし、彼女たちも見られたくないだろう。

 

 「クオン、隊長さんに『助けに来た』ってイフン語を教えて」

 「わかった!」


 クオンのイフン語講座は短く、隊長さんは十回ほど繰り返して合格をもらえた。付け焼刃だけれど、ないよりはいいよな。

 

 「連中が使っている家はあちらです☆」


 フタミさんが示した家から、まさに一人、男が出てくる。きょろきょろしているところを見ると、巡回に出た奴らが帰ってこないんで捜しているのかもしれない。


 「よし。行こう」


 隠し村は、基本的にいくつかの家族が寄り集まって生活することを前提にしているらしく、本来の村よりも家が大きく、少ない。

 連中が使っている家が一つ、人質が集められている家がもう一つ、後は村人が住む家だ。

 その中で、村人たちは子供たちが無事に帰ってくることを願っている。そして、この悪夢が終わることをキサヤに祈っているんだろう。


 一度動き出せば、狭い村だ。騒ぎはすぐに飛び火し、気付かれる。傭兵たちが動き出した以上、こちらもぐずぐずはしていられない。

 目当ての家は、すぐに分かった。明らかに見張りが多い。家に上がるための階段の前に三人、左右後ろに一人ずつ。


 「正面を引き付ける?」

 「そうですね☆」

 「じゃあ、まず俺たちに任せてよ!ファン先生は隠れてて」

 「おい、クオン?」


 クオンとお兄ちゃんは頷きあい、足を速めた。止めようとした俺を、フタミさんが制する。


 「大丈夫☆でも、手を出すのはナランハルの役目ですね☆」

 「…わかったよ。フタミさん、頼んだ」

 「宜候」


 隣にいたはずのフタミさんの気配が、風のように吹き抜けて消える。まあ、あの人は見てなくても大丈夫。問題は、こっちだ。

 すぐ近くに繁る竹林に身を潜め、そろりと進む。クオンとお兄ちゃんは身を隠しもせず、ずんずんと見張りの方へ近付いて行った。

  

 「おい、家から出るなと言っただろうが!」


 その姿に気付いたのは、家の後ろにいた見張りだ。張り上げた声はカーラン語。その声に、なんだなんだと見張りが集まる。家の左右と、正面の一人が抜けた。


 クオンとお兄ちゃんは、手を合わせ、イフン語で何かを訴える。言葉は分からなくても、それが「懇願」であることはなんとなくわかる。


 「どうした?」

 「ガキが二人、来やがった。家の中のガキの兄弟かね」

 「だろうな。おい、帰れ帰れ!明日の昼にゃ帰してやるからよ!っつても、わかんねえか。まあ、殴れば泣いて帰るだろ」

 「あの女がうるせえぞ?」

 「は、知るか。あいつ、崖の上には上がってこねえし。今頃はアスランの王子様を誑し込んでるんだろ。あの王子様、大人の女相手で役に立つんかね?ガキがちょうどいい具合なんかもしれねぇよな」

 「はは、入ってんのわかんなくって、おねだりしてブチ切れられたりしてな」

 

 男たちから下卑た笑いが沸き起こる。

 残念ながらその王子様は、今、矢を番えて弦を引き絞り、お前らを狙ってますけどね。俺の品評するくらいなら、もっと周りに気を配れよ。

 あと、俺は弱いから、殺さないで捕らえるとか、できないからな!


 「おら、さっさと失せろ!」


 見張りの一人が、腕を振り上げる。もう一人、にやにやしながら近寄ってくる奴も…便乗してやる気だろう。

 子供を殴るのが楽しいなんて、どんな腐った性根をしてたらそうなるんだか。


 「伏せろ、クオン!」


 俺の声に、クオンがお兄ちゃんを抱えて地面に伏せた。

 その動作と俺の声に目を見開く見張りの首に、放たれた矢が突き刺さる。

 いくら俺がシドウの大弓以外は微妙と言っても、この距離なら外さない。…出陣の時、千人長二人にちゃんと当たって良かったなあ…。

 

 「な!?」

 「て、敵しゅっ!?」


 叫ぼうとしたもう一人の喉に、もう一本!

 短弓じゃ眉間を狙って当たるか怪しいし、骨で弾かれるかもしえない。首は即死できないけれど、まあ、我慢してくれ。


 騒ぎに気付いたのか、正面からもう一人、剣を抜きながら走ってきた。それを見て、残る二人も慌てて持っていた短槍を構える。

 もう一射が限界かな。三人ともこちらを見ている。いや、一人はクオンたちを見ていた。そいつの首を射抜いて、弓を捨てて竹林から飛び出る。


 「ファン・ナランハル・アスランだ!あの世で冥官に誰にやられたか聞かれたら、そう答えろ!」


 俺の名乗りに、一瞬残る二人の動きが止まった。それが何を示す名か、ついさっき話題にしていたせいか、思いいたってしまったらしい。

 人は、あまりにも大きい情報を一気に与えられると、どうにか理解しようとしてしまう。

 その情報が大きければ大きいほど、脳は理解しようとし…結果、硬直する。それが致命的な隙を生むことになっても。


 飛び込むように間合いを詰め、ぽかんと口を開けた元正面見張りの腹に拳を叩きこむ。身体が折れ曲がり、持っていた剣がべしゃりと音を立てて湿った地面に落ちた。

 その上に口から中身をぶちまけているのを放っておいて、残り二人!


 何とか硬直がとけて槍をこちらに向けた一人の、その槍の柄を掴み、強く押す。反射的に踏ん張って堪えた瞬間、今度は逆に、槍を引き寄せる。

 力の方向が重なった上に、地面はぬかるんで滑りやすい。見張りは間抜けな声をあげながら槍に引き摺られて転びかけた。いや、槍に縋って、なんとか地面に落ちるのをこらえている。

 それを支えてやる義理はない。槍から手を離せば、地面に突っ込み、しばし滑って止まる。とはいえ、それで完全に正気に戻ったようだ。

 すぐさまなんか喚きながら起き上がろうとしたその顔に、腰から抜いた手斧を投げる。


 普段は木の枝を払ったり、大きさを確認するために使っているとはいえ、手入れは欠かしていない。過たずに刃は男の顔にめり込み、喚き声はさらに不鮮明になった。


 「さて。まだやるか?それとも、命乞いをするか?」


 バタバタを暴れる男に歩み寄り、顔にめり込む手斧の背に足を置き、体重を乗せる。硬いものを切断する感触と音が靴の裏から伝わってきた。


 「あ、ああ…」

 「答えは、二つだ。今死ぬか?それとも…」

 「あ、ああ…あああ!!!!陛下ああああ!!どうか、理想郷をおお!!!」


 残る一人は、泡を吹き、目を血走らせながら俺に向かって襲い掛かってきた。

 剣を持っていることすら忘れたような動き、恐水病にかかった猿のような形相を、きっと…しばらく忘れられないだろう。


 だが、その手が俺に届くよりも、早く。

 男の首が、胴体から離れた。

 

 「いやあこれは確かに、酔っ払っているとしか言えないですね☆」


 するりと腰に固定した鞘に戻っていくフタミさんの刃は、微かな月明かりにも沈黙したままだ。刃を黒く燻し、反射しないようにしている。


 「助かったよ、ありがとう」

 「余計な手出しかとは思ったのですが☆こちらは終わりましたよ」


 言いながら、まだ苦しげに吐き続けている見張りの首に踵を落とす。地面に穴を掘るような動きをした後、糸が切れたように見張りは動かなくなった。


 「お喋りはしないでしょう☆まあ、それを喋らせるのが、腕の見せ所ってやつですけれどね★」

 「子供たちは?」

 「無事です☆でも怯えているから、頼めるかな?」


 恐る恐る身を起こした、クオンとお兄ちゃんに向ける視線は柔らかい。

 さすがに二人とも、あたりの惨状と酷い臭いに顔を青褪めさせている。けれど、お兄ちゃんの双眸には、間違いなく「ざまあみろ!」という昏い喜びが踊っていた。

 …できれば、そんなのを一生知らずにいてほしかった。この村を守り切れなかったアスラン王国(俺たち)の責任だな。

 

 クオンが左胸を叩き、お兄ちゃんもそれに倣う。そして二人して入口に向けて走り出した。俺も続こう。

 床下に収納されるように、ここに残った見張りの死体が落ちている。その上に、いかにも不自然に重ねられて、もう一人、男の胴体と首があった。中にいた奴だろう。


 お兄ちゃんが家に飛び込むと、子供たちの声が沸き上がった。クオンもイフン語で子供たちを宥めながら、俺たちを振り返る。


 「ファン先生、今日、ここに閉じ込められたのはこの子たち五人だけみたい!」

 「そっか。よかった…」

 

 クオンの顔が、くしゃりと歪み、鼻をすする。抱えているのは、まだ五つか六つくらいに見える子だ。その可愛らしい顔には、明らかな暴力の跡がある。ふくふくしているはずの頬は赤紫に腫れあがり、鼻から下は乾いた鼻血が張り付いていた。


 「…まだ痛むか、聞いてみて」

 「うん。痛い、痛いって泣いてる。ほかの子が言うには、連れてこられて、いきなり叩かれたんだって」

 「…もっと甚振って殺すんだったな」


 ぽそり、とフタミさんが零した。割と同感だ。

 しゃがみ込むと、子供は大きく震えてクオンにさらに強くしがみついた。ごめんな。怖いよな。

 腰のベルトに括りつけたポーチを開け、中の物をつかみ取る。小さな硝子の瓶。蓋を取り外し、クオンに差し出した。


 「クオン、これを飲ませてやって。治癒薬だ。痛み止めが入っているから、この後猛烈に眠くなると思うけれど」

 「わかった!」


 俺たち騎士バアトルが常に持っている魔法薬は、基本的には痛み止めが入っていないし、味も最低極まりない。

 戦場で眠くなるのはそのまま死ぬってことだし、できれば意識もはっきりさせた方がいいからだ。

 けど、別に戦場じゃなければ、できれば痛くない方がいいし、味も無味無臭とかの方がいい。

 渡したのは、そういう安全な場所で飲むための一本だ。


 「飲ませなくても、負傷個所に垂らすだけでも効果がある。唇も切れて腫れているし、飲みにくいだろうからな」

 「そうだね…お、すごい!本当に治る!」


 慎重に滴らされた治療薬が子供の口許を濡らすと、腫れが見る間に収まった。一番驚いているのは、当の本人かも知れない。

 もう飲めそうだと判断したらしく、クオンがそっと瓶の縁を口に着けると、小さな喉が動いた。良かった。飲めたらしい。


 「怪我、ある、います?」


 お兄ちゃんやほかの子を見渡しながら聞いてみると、お兄ちゃんが「いません!」と返事を返してくれた。見せしめに一人、使ったか…。

 クオンにしがみついたまま、子供は寝息を立て始めた。大人でも眠くなる薬だ。それに色々限界だったんだろう。ゆっくりおやすみ。

 次にこの子が目を開けた時は、どこも痛くなくて、家族の腕の中であるように。もう少し、頑張らないとな。


 「ナランハル」


 新しい声に、子供たちが大きく震える。けれど、すぐにお兄ちゃんが宥めてくれた。

 声をかけてきたのは、クトラ傭兵の一人だ。半日一緒にいたわけで、彼を見るお兄ちゃんの双眸には信頼と憧れが宿っている。


 「制圧完了しました。敵残数は不明ですので、隊長と他三人、あちらに残って警護します」

 「わかった。ありがとう。…保護した民は?」

 「四人。心身ともに、衰弱がひどい。我らを見て、怯え切っています」

 「…だろうな。よし、村中に報せよう。松明をつけるぞ!」


 作戦成功の合図は、松明を五本、灯すこと。そうミクにも村人にも伝えてある。

 子供たちはお兄ちゃんとクオンに任せ、俺たちは外に出た。まだ作戦は途中だ。あまりのんびりはしていられない。

 敵が後どの程度いるのか…それがわからない。早く村人を一ヶ所に集めて防備を固めないと、人質にしようと襲われる可能性がある。急がないと。

 

 傭兵たちとフタミさんがするりと屋根に上り、火をつけた。

 一気に明るく、夜が照らされる。この光は、ミク達にも見えているはずだ。


 もちろん、ミク達の鬨の声よりも早く、反応したのは村人たち。

 今か今かと待っていたんだろう。言葉にならない声をあげながら、次から次へと飛び出してくる。

 一つの家に、いったい何家族詰まっていたんだって驚く程だ。


 家々から飛び出してきて走ってくる両親に、子供たちも泣きながら駆け寄っていく。

 ぐったりと眠ってしまったあの子をお兄ちゃんは抱え上げて、必死であたりを見回す若夫婦のもとへと急いだ。子供を受け取り、抱きしめるお母さんを見るお兄ちゃんの背は、誇らしげだ。

 そのお兄ちゃんを横から抱え込んだご婦人は、きっと彼のお母さんだな。息子さんは実に妹想いかつ、勇敢な戦士でしたよ。


 「お助けいただき、ありがとうございます」

 

 かけられた声は、カーラン語。けど、か細いお年寄りの声だ。

 そちらへ向くと、お年寄り四人が手を合わせ、腰を曲げている。


 「いや、むしろ謝るのは、我々の方です。むざむざと賊の侵入を許してしまった」

 「だが、助けてくださいました」


 お年寄りたちはさらに深く腰を曲げ、それから姿勢を正して俺を見る。

 

 「わたしは、村長の母でございます。息子も息子の嫁も、孫も…奴らに殺されてしまいました。生き残った曾孫はまだ小さく、孫嫁は…皆様の前に出られませぬ。わたしが、村人をまとめさせていただきます。おいぼれ故、大したお役には立てませぬが…」

 「とんでもない。刀自殿。助かります。あの子もまだ子供だ。あまり無理はさせたくはない。とても勇敢に戦ってくれましたが」


 村長代理は皺だらけの顔を綻ばせた。息子も孫も喪ってなお、正気も微笑みも失っていない。強い人だ。


 「村の男衆は、いつでも賊を討てとの命に従います。いかがいたしましょうか」

 「まずは全員集めて、守りを固めて…」

 「ナランハル、とっくに遅かったみたいです★」


 屋根の上から、フタミさんが何かを見ながら声をかけてくる。

 それが姿を現すより早く、村人たちの声が上がった。

 歓声と、怒号。

 叫ぶ声は悲痛で、熱い。色にしたら、きっと赤と黒に彩られている。


 村長代理が声を張り上げ、村人たちに何事かと問いかける。その声に応えたのは、若い興奮した声だ。村人たちが場所を開け、村長代理と俺に声の主の姿を見せてくれる。


 十数人の若者の集団だ。皆、手に棒や山刀を持ち、足元に投げ出したものを蹴りつけ、または棒で叩いている。

 それは、敵の一部…だろう。

 容赦なくボコボコにされて、呻いている。全部で六人。うち四人は、明らかに致命傷を負っていた。


 「合図を見る前から、家を抜け出して襲っていたんでしょうね★どう見ても長時間痛めつけています★」

 「だなあ…」


 合図見て家から飛び出して、いきなり近くの兵を襲ったとしても、こんな短期間でこうはならない。両手の指全部潰されているとか、耳を切り取られているとか。

 あのきょろきょろしていたヤツ、俺たちが捕まえた見張りを捜しているのかと思ったけれど、その前から帰ってこない兵がいたんだろうな。

 村人たちの恨みも怒りも、俺の想像以上に高まっていたってわけか。


 「若い衆が、山狩りをすると申しております。よいでしょうか?」

 「いや、それで手薄になったところを突かれたら危ない。夜が明けるまで、皆で集まっていてください。若い衆はその警護を」

 「かしこまりました。…一つ、お願いがございます」

 「なんですか?」


 ぎろりと、村長代理の目に怒りと悲しみが宿る。

 その視線が突き刺さっているのは、呻く六人。


 「こやつらは、我らにお渡しください。お願いいたします」


 他のお年寄りたちも、大きく頷く。

 私刑は、アスランの法に照らし合わせれば、基本的には禁じられている。それを許してしまえば、司法の意味がない。

 けど。


 ここは、イフンの地。キサヤが守り、彼女たちが生きてきた地だ。今はアスラン王国の一部とはいえ。

 それに、賊に襲われた村が反撃するのは、私刑とは言わないしな。


 「賊の数は正確に分かっていません。首が足りないなどと騒ぐことはありませんよ」

 「ありがとうございます…!」


 拝むように伏して礼を言う村長代理の背中が、悲しい。

 ほんの一月前、彼女はこんなことを感謝するだなんて、思いもよらなかった。息子は成長して家庭をもって、孫も成人して曾孫もできた。

 重くなった首飾り(クプン・カプン)をキサヤムムに渡しても、もう何の心残りもないと…そう思っていただろうに。

 こんな余所者に額付いてまで願うことが…復讐を遂げさせてほしい、だなんて。


 ぐ、とこみあげてきたのは、怒りとも、悲しみとも、吐き気とも違って、けれど、全部を混ぜたような味をしていた。

 でも、まだだ。まだ、俺が感傷に浸るのは早い。


 「ミク達に合流する!クオンはこっちに残って、隊長さんたちの通訳になってくれ」

 「わかったよ!ファン先生、気を付けて」


 力強く頷いているけど、クオンの顔は青褪めて強張っている。けれど、その震える口角を、クオンは無理矢理釣り上げて見せた。


 「へへ、ファン先生、実は結構強いじゃん。なんで雄鶏に負けたの?」

 「あの雄鶏、実は龍の化身だったりしない?」

 「ヒヨコから知っているけど、ただの鶏だよ」


 うん。笑おうとできるなら、それでいい。

 人の悪意も憎しみも、今夜だけで一生分見ただろう。

 でも、それだけじゃないからな。クオン。

 村のみんなを救おうと頑張ったお兄ちゃんの勇気も、それに応じたお前の義心も、同じ人の心だ。


 「じゃあ、また後でな。クオン」

 「うん!」


 こっちに、あまり敵兵はいなかった。ってことは、やはり主力は下か。

 村人たちは、この家を中心に集まって、防備を固めている。死んだ見張りから剥ぎ取った武器も若者たちに渡しておいた。

 当然ながら士気も高いし、もともと山で暮らす彼らの身体能力は高い。残党の数がよほど多くない限り、襲ってきても撃退できるだろう。

 でも、万が一に備えたほうがいいよな。


 傭兵たちには全員こっちに残るように指示して、フタミさんと二人、登攀してきた場所へ駆け戻る。連中が使っていた縄梯子はこっち側に引き上げたままだから、下から援軍もこれないだろう。

 それに…連中が何もしてこないところを見ると、キサヤはまだ見つかっていないみたいだな。良かった良かった。


 岩棚が多いから、降りるのもそれほど難しくはなかった。またいつの間にか先にフタミさんがいて、支えてくれたけれど。


 竹林から村へと駆け戻ると、すでに合図を見たミクは動いていた。あちらこちらに敵兵が転がり、その多くは足を折られるか、切られてもがいている。一撃で絶命したと思しき死体もあるけれど、どうやらわざと「動けなくして」いるみたいだ。


 「うーん、さすがは歴戦のクトラ傭兵団とミク将軍☆」

 「ふふ、ミクはすごいでしょ?」

 「思った以上に☆」


 身内が褒められるとうれしいもんだ。おかげでさっきの、村長代理の痩せた背中を少し忘れられた。


 視線を巡らせてミク達を捜すと、視界に入る前に声が聞こえてくる。指揮を執る声は大きく、頼もしい。

 その声のした方へ進めば、やはり親衛隊と傭兵を指揮し、自分も双鞭を握るミクの姿が見えた。


 「追い込め!」


 籐甲を纏い、武装を固めている我が軍と違い、羊のように追い込まれている敵兵は、ほとんど防具を身に着けていない。辛うじて武器は握っているが、その程度だ。

 とは言っても、もう残るのはほんの十人未満。その中に、あのしきりに汗をぬぐっていた指揮官の姿もあった。


 後ろは崖、前には弓を構え、槍を向けるアスラン騎士とクトラ傭兵。そんな状況でも降伏しないのは、さっきの奴と同じく酔いが深いのか、そんなことをしたところで、アスラン流の「お喋り」に付き合わされるだけだとわかっているからか。


 「ミク、お疲れさん。問題ないみたいだな」

 「ナランハルの迅速な救出作戦の成果にございます」


 俺の声と顔から、こちらに被害がないことを見て取ったんだろう。安否を問う言葉はなかった。


 「将軍!あ、ナランハルも」

 「おまけみたいに言うなよ。実際おまけみたいなもんだけど」


 声をかけてきた親衛隊騎士が、「てへぺろ!」とかぬかしながら舌を出す。かわいい女の子がやれば許す気になったかもしれないけれど、人よりも直立した牛とかに例えた方がしっくりくる大男にやられてもなあ…。


 ただ、問題は、その牛の後ろに、見たことのない女性が三人ほどいるってことだ。

 …連れていかれた人、まだいたのか。それとも、村の外から、連れてきたのか。


 「このお嬢さんら、すこしタタル語が話せます。…攫われて、売られたそうで。どうも連中、このお嬢さんらを助けた、身内を捜しているって名目で、この村に入り込んだみたいっすね」

 「この村の人ってわけじゃないのか」

 「はい。そです。ワタシたち、おととし、ヤップの町で捕まった」


 一人が、泣きながらもしっかりと俺を見て話してくれる。

 ヤップの町は、もっと奥…国境からも天卓山地からも離れた町だ。


 「あいつ、家に帰すって言ってた。でも、嘘。この村、あいつの母親いた村、だからおじいちゃん、おばあちゃんに会いたいって、寄り道するって言って…」

 「村の人、わたしたち見て、喜んでくれた!でも、嘘だった!あいつら、いきなり、村長さんと奥さん、殺した!」


 村長代理の息子さんと、その奥さんか…。

 

 「赤ちゃん、捕まえて、言うこと聞かなければ、殺すって…!」

 「赤ちゃんのお母さん、わたしたちといっしょに、アイツらに…!!」

 「でも、赤ちゃん殺した!お母さん、壊れてしまった!」


 わあっと泣き崩れた女性を見る牛の目も、返り血ではなく松明の灯りで赤く染まった熊の目も、一切の感情を封じたように静かだ。

 多分、俺も、同じ目をしているだろう。


 「…それをなした者は、この中におるか?」


 静かに、けれど低く、唸るように、ミクが固まって決死の形相で武器を構える連中を示す。

 三人は涙をあふれさせながら、ミクの示した先を見つめ…そして、一斉に一人の男を指さした。


 「あいつ!!」

 「赤ちゃん、床に叩きつけた!」

 「わかった。その方ら、良く頑張ったな」


 ゆらりとミクが足を進める。連中は怯えたように一歩下がったが、指揮官が震える口を開いた。


 「ひ、ひるむな!敵の指揮官を倒せば、一気に逆転できる!」


 ミクはカーラン語も得意じゃないから、何を言っているかわからなかっただろう。

 もしわかったら、フタミさんやカーラン語のわかる騎士たちと同じ顔になったと思う。


 敵の指揮官を倒せば、形勢をひっくり返せる。それは事実だ。

 だけど、ミクを倒すこと自体、奇跡よりも確率が低いと思うけどね。


 指揮官の言葉に気力を振り絞ったか、自棄ヤケクソになったか。

 例の男も含め、各々が得物を握り、構えなおし、包囲を抜けて足を進めるミクに、殺到する。


 鈍い音が、立て続けにとどろいた。


 右の鉄鞭が、曲刀を振りかざしてとびかかる男の胴を薙ぐ。その時にした音は、肋骨が砕け、内臓が潰れた音だ。

 間髪入れず、左手の鉄鞭が突き出され、槍を弾き、持ち主の顔にめり込む。半ば突き刺さった敵の身体を膂力に任せて振り回して後続にぶちあて、ミクが奔る。


 頭上で揃えられ、振り下ろされた双鞭を赤子殺しのクソ野郎は、辛うじて剣を立てて受けた。そう、本人は思っただろう。

 だが、そう思えたのは、きっと一瞬にも満たない。

 受けた剣ごと、双鞭は男の顔にめり込み、振りぬかれる。


 「あ…あわ…」


 地に叩きつけられた死体は、首がやけに伸びたように見えた。手足が無意味に動き、その手が跳ね上げた泥が、指揮官の顔についた。

 雨水ではなく、血と脳が混じってできた泥は、指揮官のまあ端正と言える顔を伝い、上等そうな服にべったりと染みつく。


 「ああああああ!!!」

 「この程度で恐慌に陥るか。我がナランハルなら、振りぬいた一瞬の隙に離脱…はなさらぬな。その一瞬で仕留めにかかられるであろうに」


 そうかなあ。逃げると思うけど。

 部下が命と引き換えに作ってくれた一瞬なら、無駄にできないからな。


 「将軍、さすがにそいつは利用価値があるから、こっちで引き受けますね☆」

 「心得た。では」


 尻を汚泥に浸らせながら逃げようとする指揮官の足を、無造作に鉄鞭が砕き、仲間の死体を押しのけて逃げようとする連中に、クトラ傭兵たちが放った矢が突き立った。

 

 「ナランハル。賊徒鎮圧いたしました」

 「ご苦労様」


 血やら何やらを振り払い、ミクが俺の前に膝を付く。うん。終わったな。終わると、ずいぶんあっけなかったな…。


 「こいつら、完全に不意を突いたってのもありますが、動きが鈍い。ちょっと前の俺たちみたいでしたね」

 「イフンの気候は、ひとしく不利になったか」

 「つーか、ダニも蛭もでませんでしたが、あの煙草と線香、どうすんです?」

 「この村にあげるよ。売ることもできるし、生活にも役立つ」


 せめてもう少し、イフンの気候に慣れたのを送り込んでくれば、ここまであっさりと負けなかっただろうに。

 やっぱり、うまくいけば良し、くらいで作戦立ててたのか?でも、そのわりにはあちこち買収したり、金掛けているよな。

 ってことは、立案と初期の指揮をしていた人から、うまくいきそうだと思った誰かが、作戦を横取りしたか。

 

 まあ…ありそうな話ではある。その辺は誰かが話してくれるといいんだけど。

 とはいえ、もしも真相が全く分からなくても、俺たちの不利になるわけでもない。いや、まだキサヤの封印を狙っているとしたら、警戒は必要か。ヅックさんに頼んで、あちこちの村にこういうことがありましたって、報せてもらうのがいいかなあ。


 「ナランハル」

 「ん?バヤルか、どうした…」


 この後に向けてあれこれ考えていると、声をかけられた。

 声の主は、拠点を絶対死守しているはずだ。作戦の終了を感じて、代表して様子を見に来たのかな…と思って振り向いて、一瞬、息が詰まった。


 「せ、せんせえ~」


 情けない声をあげているヅックさんの首に、短剣を突き付けている、シャリハ。

 そして、その横で、泣きそうな顔をしているバヤル。


 「…バヤル、拘束を解いたのか?」

 「申し訳ございません!緩めただけだったのですが!」


 騎士たちも困ったような、呆れたような顔で人質の中年男と、がっしりとその身柄を抑える美女を見ている。

 それでも速やかに、退路を断つよう周りを囲んだ。


 「戦況はどうやっても変わらない。彼を離して、投降するのが一番利巧だよ」

 「いいえ。お優しい、甘ったるいナランハル。この男を死なせたくなければ、あなた様が人質になってくださらない?」

 「そうすれば、彼を解放すると?」

 「ええ」

 「逃げられると?」

 「逃げないわ」


 松明に照らされ、彼女の笑顔は壮絶な様相を呈していた。

 この期に及んで笑えるのは、大した胆力だ。指揮官は見習った方がいい。もう遅いけれど。


 「じゃあ、どうする?」

 「どうしようかしら。まず、あなた様が頷いてくださらないと、この男が死ぬけど」

 「ひ、ひえええ~」

 「だが、同時に君も死ぬ」

 「それがなに?」


 心底可笑しいという風に、彼女は笑った。やべえな、イっちまってるよ、と騎士が呟く。そうかな。彼女の双眸には、確かに狂気が宿っているけれど…それ以上に、圧倒的に、彼女を満たしているのは…怒りだ。


 彼女は、狂っているんじゃない。怒り狂っている。


 「わかった。そっちへ行く」

 「ナランハル!!」

 「ただし、その刃の間合いに入るだけだ。拘束はされない。君もどうせ流すなら、俺の黄金の血(アルタン・ウルク)にしとけ」


 すたすたと、彼女たちへ近付く。途中で短弓と手斧は騎士に預けた。短剣は何本か仕込んであるけども。


 「君は、何をそんなに怒っている?計画が失敗したことか?そんなの、俺らに当たられても仕方がないんだけどな」

 「違う」


 ふん、と鼻で笑って、彼女はヅックさんを離した。腰が抜けてへたり込むのを歯牙にもかけず、俺に張り付くように間合いを詰める。

 さっきまでヅックさんの喉に突き付けられていた刃が、俺の首筋に当たった。


 ミクを始めとする騎士たちに、一気に緊張が走る。

 けれど、彼女がやる気だったら、すでに俺の喉からは血が迸っていただろう。脳内のクロムが、「ふざけんなてめぇ!!勝手に危なくなってんじゃねえ!!」と騒ぎまくっている。

 うん。一応ね、彼女の動きを見る限り、俺がどうにかできないほどじゃないって思うんだけど。

 

 そうじゃなければ、フタミさんがすでに彼女の首を落としている。

 それをやっていないのは、「なんとかできますね★だから、ナランハルの好きにしたらいいんじゃないですか★」って思っているんだろう。


 「ねえ、お優しいナランハル。何故、あの子らに手を出さなかったの?」

 「あんな子供相手に、そんな気になるはずないだろ」

 「へえ…そうなの?わたしが初めて突っ込まれた時は、あの子たちより小さかったけどね?」


 くすくすと笑いながら、短刀の切っ先をわずかに首から離す。それでも俺が動かなかったのを見て、彼女は代わりに指先で俺の咽喉に触れた。喉仏のふくらみを撫で、笑いを漏らし続ける。


 「ねえ、イフンの女性は男に自分から触れない。そうおっしゃっいましたよね?」 

 「ああ。タタルの女性と違って、男を試す習慣はないと聞いたもんでね」

 「なら、わたくしのような女は、イフンの女じゃないと?」

 「君はカーラン人だろう。半分以上はイフンの血をひいているようだけれど」

 「ご明察。半分イフン人なのは本当。父ではなく、母がイフン人なの」


 俺の咽喉を押す指先に、力がこもる。とはいえ、喉を押し潰されるほどじゃない。彼女は、俺と話したがっている。何を話したいのか、彼女にもわからないかもしれないが。


 「母は、いろいろ教えてくれました。天卓山地の暮らしも、キサヤの伝説も」

 「首飾り(クプン・カプン)については教えてくれなかったのか。俺が君に疑念を持った、決定的な出来事がそれなんだけど」


 余裕だった彼女の表情が、固まる。笑みの質が水底から泡が浮かび上がるように、変わっていく。


 「ナランハル!そいつ、違う!!」


 その顔が、声の主に向いた。

 指さし、糾弾する女性を睨みつける双眸は、再び俺の首に近付いた刃よりも鋭い。


 「そいつ、女じゃないよ!!」

 「うるさい黙れ!そうしたのは誰だ!!」


 女じゃない…?そうした?

 えっと、つまり…


 「君は、宦官なのか」


 カーランにある、謎の習慣。俺たちアスラン人には理解できない、二つのこと。

 一つは、女性の小さい足を愛でるあまり、小さいころから布で縛り、後天的に畸形にする纏足。

 そしてもう一つが、男を去勢し、作り出す宦官。

 なぜか宦官は欲がなく、忠誠心に篤いとされているんだけれど…宦官によって国が乱れたことは無数にあり、現在のカーランのあり様にだって関わってくる。

 

 「あの方のために喪ったのなら…どれほどよかったか」


 吐き捨てた声は、怨嗟で濁り切っていた。

 宦官っていうのは、皇に仕える役人だ。けれど、そうじゃない…男娼が、去勢されることもある。

 精が通う前に去勢すると、男の特徴が出てこない。だから、長く使えるのだと…聞いたことがあった。


 「ああ、お母さんは、息子には教えないか。それは女性だけが身に着けるからな」

 「母は、いつも泣いていた。せめて、クプン・カプンは返してくれと…あの男が、とっくに売り払っていたけれどね!!だから取り返したんだ!」

 「それを奪ったのは、この村の人じゃないだろ」

 「いいえ。母を追い出したのは、この村よ。母はこの村で生まれ育った。あの男にさえ騙されなきゃ、今もここにいたでしょうよ!

 騙された母を、この村の連中はカーラン人とやった、穢いと追い出した!」


 あの男…と言うのが、もしかしたら、彼女…じゃなくて、彼の父親なのか。

 カーラン人に対して、イフンの人々が向ける目は厳しい。そんな相手と恋に落ちてしまった娘を、追い出す…のは、あり得るかもしれない。

 だが、追い出すよりも、連れだされた可能性の方が高いんじゃないかなとは思うけれど。

 

 あの男ともう会うなと言われ、諫められて、世間知らずの少女は一緒に行こうと囁く男の、頷いてはいけない誘いに乗り、山を下りて…現実に飲まれる。

 それでも戻らなかったのは、いや、戻れなかったのは、そうした女性が最も多くいる場所…娼館に堕とされていたから、だろうな。

 

 「そうだとしても、だからって赤ん坊まで殺す必要があったのか?上の隠し村でも、女性が数人、慰み者にされていた。君の母親と君がどれだけ苦しい目にあったとしても、他の人にまでそれを押し付ける権利はない」

 「わたしは止めろと言った!なのに、やったのはあの下衆どもだけよ!」

 「予想はできたろ?君が復讐する権利を持つとすれば、その男に対してだけだ」

 「あの男!あの男なら、あの方が成敗してくださった!妻も息子も下卑た男どもに売った、あの男!!私の尻に突っ込んで、猿そっくりだった!!あの男!!」


 彼女の顔に、さらに笑みが戻る。

 先ほどより、さらに狂気と憤怒を増した笑み。

 何故か、それは、静謐な微笑みの形をしていた。


 「なるほど。君の父親は、どこに出しても恥ずかしいクソ野郎だ。それは認める」

 「ふふ、ありがとうございます、ナランハル」

 「けど、そんな傷を持つ君に、男を誑し込んで来いと命じる真皇は、同じくらいのクソだろ」


 たとえそれを、彼が自ら申し出たのだとしても。


 「君は、これが最初じゃないんだろ。手慣れすぎている。同じように誑し込み、懐に潜り込んだ奴は他にもいたんじゃないのか」 

 「…」

 「それでも君が、真皇を仰ぐならそれはそれでいい。だが、その鬱憤を、怒りを、この村の人々に、イフンの民にぶつけるのは間違いだ。今、君は望んでそうしているんだから」

 「…黙れ!!!」


 繰り出された刃を、手甲で受ける。硬く編まれ、漆を幾たびも塗られた籐甲は、刃物に強い。短刀くらいじゃ、刃が走る程度で切り裂くことなんて、よほどの達人じゃない限り無理だろう。


 「あの方のことを、悪く言うな!!」


 ああ、やっぱり。

 フタミさんの偵察も併せて、ほぼ間違いないとは思っていたけれど。


 「…やはり、カーラン真皇に、あなたは仕えているんですね」

 「ああ、我が主は、あの方のみィッギッ…!!」


 高らかに宣言したその咽喉を、バヤルの手が掴んでいた。


 「申し訳ございません。ナランハル。どうしても、それを知りたかった」

 「バヤル…」


 短刀を握っていたシャリハさんの右手が、鈍い音を立てた。バヤルが掴んだ場所から迸ったその音は、彼の骨が握り折られた音。

 

 「ナランハルの御身を危険に晒すような真似を致したこと、万死に値いたします。けれど、俺は…どうしても知りたかった」

 

 敵人をして自ら至らしむる者は、これを利すればなり。

 バヤルは、もしかして最初っから、そうしてた?


 「友の命を奪った仇が、どこの誰であるのか、その確証が欲しかった」

 「そういう時は、先に相談してくれ」

 「…何を拘っているのかと、叱責されるかと…」

 「全部ひっくるめて、まずは俺たちを信じろってことだ」

 

 多分、続けてバヤルは「御意」って言ったんだと思う。色々と決壊したせいで、もょぅいみたいな音になっていたけれど。

 しかし、信じられなかったのは、ここ数ヶ月で散々ゴラの千人長にないがしろにされてきたからだよな。生徒たち、まずは信頼できる将につけて、色々と上書きしてやんなきゃだなあ。

 このままミクに頼むのもアリではあるけど、そしたら紅鴉親衛隊に組み込んだと見られちゃうかもしれないし。

 

 「ナランハル!!」


 一瞬、俺の気が逸れた。

 バヤルの手が、緩んだ。


 その瞬間を、彼は、腕をへし折られるという激痛の中、待っていた。


 銀の雨のようにひそやかに、彼は俺たちの横を駆け抜けていく。

 折られた腕を靡かせ、その身を飾る生命の環(クプン・カプン)を煌めかせ。


 「ああ、ナランハル」


 踊るように、彼は振り向く。何故か誰も、止められなかった。


 「もし、わたくしを助けたのが、あなたなら」

 

 憤怒に満ちた、微笑み。

 激痛すら感じさせない。いや、痛みを彼は、感じているのか?

 もしかしたら…そんなものは、とっくに無くしていたのかも、知れない。

 

 「こんなことは、させない?」

 「ああ。綺麗ごとだろうけれど、させない」

 「何故?それしかできないものが、できる限りのことをしようと、せめて自分も役に立てるのだと思いたくて、縋っているのだとしても?」

 「それでも、させない。だって、嫌なんだろ。泣き方も忘れるほど」


 泣いたって、喚いたって、誰も助けてくれないから。

 だから、怒るしかない。

 けれど、顔を歪めれば、さらに痛めつけられる。

 なら…笑うしかない。


 涙は全部武器にしてしまった。自由に出し入れできるようになったら、本当に必要な時に出せなくなった。

 それはなんて…辛く、苦しく…哀しいことだろう。


 「これは俺の我儘だ。結局、君の事じゃなく、自分が気に入るようにやりたいだけっていう我儘だ。

 でも、俺は、俺の部下に、俺を主と呼んでくれる人に、そんな顔をさせたくない。

 それしかできない?違うだろ。君は立って、動いて、話すこともできる。それだけできれば、なんかできるさ。書類の整理してくれるだけでも、俺にとってはありがたい。役に立ちたいっていうなら、それでいい」


 それでもやると決めたなら、本心から笑えるほど強くなれ。

 削れて枯れて、自分を憐れんで人に八つ当たりするくらいなら…最初から、やるな。


 さすがにそれを口に出さない程度の分別はあるけれども。

 でも、彼は…言わなかった部分も、感付いたんだろう。


 「お優しいナランハル。優しくて、そして…傲慢で残酷。ああ、本当に」


 薄い雲を貫いて、月光が地上を照らす。

 その光に照らされて、彼は笑う。


 憤怒に満ちた笑みで。


 「わたくしを救ってくれたのが、お前のような糞野郎じゃなくて良かった」

 「黙れ下郎!!」


 ミクが吠えて走り出す。けれど、それよりも早く。

 彼は、駆け抜けた。縛り上げられた、指揮官のもとへ。

 

 指揮官を折れた腕でひっかけて。

 彼は、跳んだ。


 「…なんとまあ★」


 指揮官の絶叫が、崖下へと落ちていく。

 それはもっと大きな音がして…絶たれる。


 「うん★二人とも潰れていますね」


 覗き込んだフタミさんが、端的に結果を述べる。


 「あの指揮官ならお喋りしそうって思って、口を封じたかな★」

 「最後にしてやられたなあ…」

 「も、申し訳ございません!ナランハル!!」

 「いいよ。バヤル。前にも言ったけど、これを次に生かしてくれ。くれぐれも、責任取って自害なんてするなよ。討ちたいんだろ。仇」


 バヤルの失態は大きいけれど、だからって罰を与えるほどじゃない。俺を囮にしたのが悪いっていうなら、親衛隊の連中は百回くらい吊るしてなきゃ割に合わない。

 主の扱いの悪さだけなら、星龍親衛隊にも負けないからな!紅鴉親衛隊うちは!


 「…花、摘むかな」

 「お爪が青くなりますよ☆」

 「たまには、そういうのも良いかもしれないよ」


 それに、彼らの死は…アスランにとって、些細な問題だ。

 ものすごく重要な情報なんて、きっと持っていない。ほかにアスランに潜り込んだ密偵の情報すら、握っていないんじゃないかって思える。

 それだけ重要な情報を握っているような人材を、こんな力を入れていない作戦に投入しないんじゃないかな。

 

 カーラン真皇国の賊軍共がアスランに侵入し、村を乗っ取り、士官学校の生徒たちを殺した。


 それは、許せることじゃない。この件をもとに、カーラン真皇国に対する備えは、さらに厚くなる。報復のために、どこかの砦を落とすべく軍を出す可能性も高い。


 けれど、それだけだ。


 父親に虐げられ、男たちの欲に穢され、一人の男に会って救われた…彼の死は、その流れの中に投げ込まれた、小石程度にしかならない。

 虚しいよな。彼はきっと、必死に生きて、最期まで戦ったというのに。

  

 せめて、お前は覚えていてやれよ。彼の事。

 カーラン真皇国がある、天卓山地の向こうを眺めながら、そう唸るように。


 祈った。

 

***


 「それでは、呼んでまいりましょう」

 「あ、はい」


 ナジャリフ将軍の声に、三年前から引き戻される。

 あの一戦で、なんか知らないけど「賊を村人ごと殲滅した」って悪評がたったんだよなあ。

 まあ「子供好きの変態クソ野郎」って悪評が立つよりずっと良いか。


 「お懐かしく。ナランハル」

 「久しぶり!アグンさん!元気そうで何よりだ!」

 

 侍従官に連れられて入ってきたアグンさんは、記憶にあるよりもふっくらしていた。薄手のイフンの服じゃなく、分厚い冬用の着物だからだろうか。


 そして、アグンさんの後ろから、もう一人小柄な若者が入ってきた。え、もしかして…!?


 「ええ!?クオン!?クオンか!!」

 「はい。お久しぶりです。ナランハル」


 にかっとあの頃とあまり変わらない笑顔を見せてくれたのは、間違いなくクオンだった。

 背は伸び、すっかり子供から少年へ、そして青年になりつつある。今、十六歳か!


 「なんだよ、行儀よくして~!ファン先生でいいってば!」

 「それは頷けません。もう、俺は大アスランへお仕えする身ですから」

 「へあ!?」

 「士官学校。合格した…これから、大都へ向かいます」


 照れて笑うクオンに、アグンさんが目を細める。

 あの一戦の後、何かとアグンさんらクトラ傭兵団は、クオンたちと交流を続けていた。また同じように、天卓山地の中にあるこちらが把握していない村が乗っ取られないとも限らない。

 なんで、天卓山地の玄関口であるトパワクにちょくちょく訪れ、色々と情報を集めたりなんなりしてくれたわけだ。


 幸い、カーラン真皇国からの手出しはそれ以降なかった。

 報復戦で町が一つ攻め落とされ、そこでイフン各地から攫われた人々の奴隷市が見つかり、多くの奴隷商人が吊るされた事も大きな要因だろう。

 

 キサヤ復活の兆しもなく、優しい神様はまだ天卓山地のどこかで眠っている。


 「そうか…がんばれよ。クロムの後輩だなあ」

 「ふーん…士官学校行くのかよ。お前」

 「はい!トパワクのクオンと申します!」


 素直ないい返事に、さすがにクロムも毒気を抜かれたようで、あーとかうーとか呟いている。


 「…三つある食堂のうち、一階にある食堂な。あそこ、メイニンって名前のおばちゃんに気に入られると、いつも大盛りにしてくれっから。せいぜい媚び売っとけよ」

 「ほう!美味いのか!」

 「一階の食堂が、いわゆる『下の連中』向けのとこだがな」

 「でも味は一番美味いよなあ。あそこの、とにかく肉を煮て米に掛けた丼が好きだったよ。言ってたら、食いたくなってきた」

 「良し!食いに行こう!」

 「ばーか、生徒以外入れねえよ。まずは制服取ってくるか」

 「一応、見学に来ましたってことで入れるけどな」


 うん。士官学校見学は良いかもな。クロムがどんな学生生活を送っていたのか、俺もちょっと聞きたいし。嫌がるだろうけど。

 一つ、大都に戻ったらやることが増えたな!


 「クオンはいつから大都に?」

 「年が明けてからです。それまでアラウガハルで、アグン隊長にもう少しいろいろ習おうかと。まだ乗馬へたくそで…」

 「案ずるな!このクロムも、入学試験寸前まで泣きべそをかいていた!」

 「かいてねえよ!何さらっと捏造してやがるんですかこの馬鹿様!!」

 「こいつはお手本にしなくていいからね。今、大都にはジノ君もいるし、クオンがくること、伝えておくよ。バヤルには最近会った?」

 「はい。士官学校の推薦、バヤルさんが書いてくれましたしね」


 バヤルは、士官学校卒業して騎士資格を得たあと、本人たっての希望でムザクに赴任した。

 めきめきと頭角を現し、名が知られつつある。ジャスワン将軍の後にムザクの守将となったジェベ将軍とも、上手くやっているみたいだ。

 ジェベ将軍はアスランで智将と言えば必ず名が出てくるような人だから、きっとバヤルの成長を助けてくれるだろう。


 うん。本当に、なんか…後味の悪い、嫌な戦だったけれど。

 そのあとに残ったものは、たくさんある。


 「チャスルも、士官学校目指してたんですけどね。どうしてもタタル語の読み書きがうまくできなくて。なんで今は、ムザクで仕官してます」

 「そっかあ。お兄ちゃん、頑張っているなあ」

 「妹の花嫁衣裳豪華にする!って張り切っていますよ。まだ先なのに」

 「ええ!?あの妹ちゃん、結婚するの?」

 

 あんな子供だったのに。

 っていうか、今でも子供じゃない?お兄ちゃん、クオンと同い年だろ?


 「最短で二年先。夫、こいつ…です」

 「へへ…なんで俺も、絶対に騎士にならないとね」

 「な…ええ、えええとお!おめでとう!!結婚式には呼んでくれ!」

 「虫より花嫁を見てやってくださいよ?」

 「確約はできないけれど頑張る!」


 結婚…結婚かああ!クオンがなあ! 

 うーん、あの後、こつこつと色々育んでいたってわけか。やるなあ、クオン。

 まあ、妹ちゃんからしてみれば、絶体絶命の時に現れた救い手で、その後兄の親友になったわけだし、色々と満たしているわな。


 「頑張れよ!」

 「はい!!」

 

 満面の笑顔で、左胸を叩く。

 その動作は、一人前の騎士そのもの。まあ、お手本がいっぱいいたもんな。


 「ほう!少年は妻を娶るのか!負けてられんな!クロム!」

 「うるっせえっつってんだろうが!」 

 「もうお前ら!少年の手本にならんとする気概はないのか!!」

 「特にねえし、こいつを真似るのだけはやめとけ、馬鹿がうつると言ってやる。有難い先輩の助言だ」

 「少年!こいつを真似ると性根が曲がるぞ!止めておけ!!」


 はあーっと溜息つきつつ、二人の頭に拳骨を落とし。

 

 うん。やっぱり、俺の周りの人たちには、むき出しの感情でいてほしい。

 笑いたいときには笑って、泣きたいときに泣いて。

 代用じゃない感情を、顔に乗せてほしい。


 「なんで俺が怒られんだよ!」

 「まったくだ!真実しか言っておらん!!」


 でもな。

 やっぱり…


 「時と場所を考えろって話だ!まったくもう!!」


 フフホトに戻ったら、ミクに手紙を書こう。

 アグンさんとクオンに会ったこと。そうだ、ヅックさんの近況も聞きたいな。それも手紙に載せよう。


 奇妙な地形と、固有種の宝庫、天卓山地。そして、その麓に広がるイフン地方。

 そのどこかで、優しい神が眠っている。

 そして、とある村…その村のキヤサムムには、少し変わったクプン・カプンが捧げられている。


 本来なら、身に着ける女性の年齢分円盤をつなげていくクプン・カプン。

 けれど、そのクプン・カプンは、ある母子の年を足したものになっている。


 それを、彼は偽善だと、きっと笑うだろう。

 でも、それでも。


 それでも、良いって、俺は思うんだ。

 独りよがりでも、なんでも。


 ある一人の可哀そうな少女がいて、その少女が産んだ子供も、幸せに生きることはできなくて。

 だから、死後くらい…優しい神様に寄り添ったって、いいよな。


 今も銀の雨が降っているであろうあの地を思い出しながら。

 とりあえず、本格的に始まったクロムとユーシンの喧嘩、とめるかあ…。

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