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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
35/89

山は登れば越える。仕事は始めれば終わる。(千里の道も一歩から)6

 トパワクの町は天卓山地にもっとも近い町であり、この他に類を見ない奇妙な地形が育む薬草や、この地で日常的に使われている籐を使った家具を求め、商人たちがやってくる。

 とは言えその商いの規模は小さく、人口も他所から見れば大きめの村程度だ。

 危険な魔獣もほとんどおらず、国境からも遠いこの町は実に平和で、最近起こった大事件と問えば、誰もが「大都(アスク)から、学者さんがたくさんやってきた事」と答えるだろう。


 大都と言う存在は知っていても、トパワクの住人で実際にその目で見たものはいない。商人だって、そんなところから来ることはない。

 物見高い住人たちはこぞって「大都から来た人」を見に出かけ、自分たちとは顔立ちも違う「都会の人」たちを大いに感心して眺めた。

 

 できれば大都の事を聞きたいものだが、他所の人の例にもれず、皆ぐったりとして元気がない。

 少しして回復したらしい人も、イフンの言葉をほとんど話せず、話したいとも思っていないようだ。住人たちが近付くと、足早に離れて行く。

 何だアイツら、いけすかない…と多くの住人は舌をつきだし、やっぱり余所者は駄目だなと結論付けた。


 だが、その結論に「そうでもないよ」と声が上がる。


 あの若い学者さんは、そうでもない。発音はひどく可笑しいが、会えば朗らかにイフンの言葉で挨拶をしてきて、通訳と一緒にいる時は聞いたことに何でも答えてくれるよ、と。


 その「若い学者さん」は日に日に行動範囲を広げ、拠点にしている宿屋から飛び出し、市場に飯屋にも現れ、そこで知り合ったものに頼んでは、畑仕事や漁にもついていく。

 

 あっという間に、「若い学者さん」はトパワクの有名人になった。

 

 そう言う話を聞けば、俺も話してみたい、私も会ってみたいと、住人たちはわざわざ探しにやってくる。

 見物しにやってきた人と話しているだけで日が暮れても、文句も言わなければ嫌な顔一つしない。

 なんでも、そうした人の暮らしそのものが、「若い学者さん」の知りたい事なのだそうだ。


 その「若い学者さん」…ファン先生は、本日、少し困った笑みを浮かべて宿屋の庭に立っていた。

 身に纏う青草色に染められた麻布の服は、つい先日、近所の奥様方が縫い上げて贈ったものだ。裾も袖も長く、風を通す造りになっている。

 やってきた次の日には、イフンの服を身に纏っていたのも、住人たちの気に入ったポイントのひとつだ。

 これ、良いですねえ、着心地がいいと喜ばれれば悪い気はしない。

 

 そんなファン先生が、なんと戦へ駆り出されそうだという話が、昨日のうちにトパワクに飛び交った。

 それは大変!助太刀せねば!と朝から続々とトパワクの住人たちが宿屋に詰めかけ、ファンを囲んで気炎を上げている。

 大学の調査団の面々は、その人垣を宿屋の中から眺めて面白がっているだけで、助力してくれる気はないようだ。


 仕方がない、自分で何とかせねばと、ファンは散々笑われながら習得した、拙いイフン語を重ねる。


 「心配はない、ですよ?」

 「でもね、先生!」


 宿の女将が眦をきりりと釣り上げ、その夫も、うんうんと頷いた。


 「戦にかりだされるなんておかしいよ!連れてかれたら、先生、ただじゃすまないよ!」

 「俺、準騎士。だから…あーと、問題ないです」

 

 準騎士は騎士と同じ待遇を受ける反面、招集が掛かれば何があっても駆けつけなくてはならない。

 しかし、トパワクの町が開かれてかれこれ八十年余り、準騎士がいたことはないらしく、周りを囲む人々は、鼻息でファンの説明を吹き飛ばした。


 何故か、トパワクの人々はファンが見た目に寄らず弱っちいと決めている。

 トパワクについて五日目、雄鶏に負けたのが原因かもしれない。


 雄鶏に負けるような学者が戦場などに連れていかれたら絶対に死ぬ。

 しかし、この若い学者はどうやら「いや」と言えない気質らしく、酔っ払いに絡まれてもニコニコと、風車よりもくるくる回る与太話を聞いているほどだ。

 強面の兵士にすごまれたら、何の抵抗もできずに連れていかれてしまう、そうトパワクの人々は口々に言い、だから俺が私が断ってやるよ!と胸を叩く。


 「誰か来たぞ!」


 前衛を担う男たちがざわめいた。

 全員がきりりと門の外を睨み据え、数人、若いのが様子を見に走っていく。

 だが、その足は途中で止まり、笑いながら迎え入れたのは、中年男と少年の二人連れ。


 「お、ファン先生、まだしょっぴかれていないね」

 「ヅックさん、クオンも…わざわざ来てくれたのか」

 「うん!通訳がいたほうが良いかなってさ!」 


 この一月、通訳として様々に手助けしてくれた二人は、なあんだと力を抜く人々に挨拶しながら包囲陣に参入する。

 

 「うん。大事になっているけど、徴兵官が来たら大人しく従うのかい?」

 「そもそも、物凄い誤解されていますからね…ああ、でも、ヅックさんたちが来てくれてよかった。あの、通訳をお願いしたいんですけど!」


 ファンの呼びかけに、叔父と甥が歩み寄る。住人たちも、なんだなんだと注目した。


 「まず、俺は招集されたわけじゃなくて…」

 「ええ!?そうなの!?じゃあ、借金しているって話は!?」

 「ど、どっからでてきたその話…あのな、クオン。俺のはとこが大怪我をして、一番近くにいる親戚が俺なんだ。それで、看護や帰宅の手助けの為に、ゴラの砦までいくんだよ」


 クオンは大きな目をさらに丸くして頷き、すぐさまイフン語で同じ内容を語る。

 住人たちに、どよめきが走った。


 「で、ゴラの砦まで連れて行ってくれる人がそろそろ来る頃だから、こうして待っているってわけだ」

 「そのはとこさん、大丈夫なの?」

 「まだわからない。すごい大怪我みたいで…一昨日、わざわざ報せに来てくれたんだよ。ゴラの砦で訓練中に、賊に襲われたらしい」

 

 再びファンの言葉は通訳され、痛ましげな声が上がる。

 

 「賊なんて、ゴラの方にゃいるのか!」

 「きっとカーラン人よ!あいつら、イフン人を獣かなんかだと思っているもの!」

 「俺の曾ばあ様のあね様も、連れていかれてそれっきりだ。曾ばあ様は、そのあね様が籠の中に隠して無事だった」


 口々に憤慨の声が飛び出る。

 平和なトパワクの町では、犯罪者と言えば掏摸やコソ泥程度で、『賊』と言われるような凶悪なのは現れたことがない。

 だが、噂には聞いたこともあれば、老人の昔語りでその悪辣さを教えられている。

 まして、すっかり「友人」になったファンの親戚がひどい目にあったと聞けば、許せないと眦も上がった。


 「その賊を、やっつけに行くのかい?」

 「もっと強い、アスランの騎士様がね」


 クオンが歓声を上げながら訳すと、住民たちからも同じ声が沸き上がる。

 とりあえず、これで迎えに来てくれる親衛隊の誰かに、住人たちが襲い掛かることはないだろう。


 それで親衛隊がのされるようなことはないが、あと五年はこのネタで揶揄われる。どうやらそんな未来は避けられたようだと、ファンはほっと胸を撫でおろした。


 安心が感覚を研ぎ澄ませたのか、ふと、聴覚が拾ったのは馬蹄の響き。

 走らせてはいない。ゆったりと歩ませている。三頭ほどか。


 ファンが気付いたその響きは、住人たちのうち、何人かの耳にも届いたようだ。 

 視線が示し合わせたように、再び門の外へと向く。


 ゆったりとした歩みで入ってきた小柄な馬の背には、その馬に不釣り合いなほどの巨漢が跨っていた。

 頭頂部を残し、後ろと側面を刈り上げるという、この辺りでは見ない髪型。

 引き締まった顔を横切る傷痕。


 間違いなく、「もっと強いアスランの騎士様」の登場に、住人たちは息をのんだ。


 「ええ!?ミクがわざわざ来てくれたのか!?」

 「無論。一刻も早く、お会いせねばと思い、馳せ参じました」

 『礼は禁止!お前、俺の義兄!良いな!』


 馬から滑りおり、膝を付こうとしたヤルトミクを、ファンの西方語が制する。

 ヤルトミクの西方語は、ファンのイフン語ほどの習得度ではあるが、意味は伝わった。曲げかけていた膝を伸ばし、困った顔でファンを見る。


 先祖代々アスラン王家に仕え、守護者スレンのいない二太子ナランハルをお守りせよと言われ、それを誇りに生きてきた生粋の武人にとって、礼をとるのは禁止と言うのは…実に難しい。

 

 しかし、身分を明かさずにするりと周囲に溶け込むのは、この二太子の特技である。今もそうなのであろうと無理矢理自分を納得させ、とりあえず頷いておいた。


 「強そうなお人だねえ、若先生。この人がお迎え?」

 「ええ。俺の義兄です。姉の夫。けっこう偉い人なんで、ゴラの砦で待っているかと思ったら、わざわざ来てくれたみたいです」

 

 けっこう偉い人だってよ、とヅックが訳し、住人たちは大きく頷く。

 トパワクの町にも兵士はいるし、百人長もいるが、全員束になっても、この「強いアスラン騎士様」に勝てそうもない。

 まして威張り腐るだけの百人長など、睨んだだけで逃げ出すだろう。


 御婦人方は中々の男前な顔を品評し、きゃあきゃあと笑いあう。

 そんな騒ぎを、ヤルトミクは何とも言えない顔で眺めていた。


 「マシロが心配だ。さあ、行こう」

 「お荷物は?」

 「此処にまとめてあるよ。後ろの馬は、俺が乗って良いのかな」

 「無論にございます」


 ヤルトミクが跨っていた馬とは別に、一頭、鞍を置いただけの馬がファンを見ていた。

 二頭とも、見事な葦毛だ。全身を覆う毛は、アスラン馬と比べて短く、光沢がある。ただ、膝から下だけがふさふさとした長毛に覆われ、その為やたらと足が太く、ずんぐりした体型に見えた。


 「イルシク馬か」

 「ジャスワン将軍よりお借りいたしました」

 

 イルシク馬は、生まれた時は黒鹿毛として生まれるが、一歳を過ぎた頃から栗毛に変わり、五歳を過ぎると葦毛になり、そして七歳以上になれば白馬になるという不思議な馬だ。

 その毛色の変化は、イルシク馬の名の由来ともなった、ムザクの西方に広がる湿原で生まれ育った馬だけに見られる。

 何故そうなるのかは解明されていない。もう一つの特徴である足元の長毛は、常に水に浸かって生活をしているから、体温を守る為だろうと推測されているが。

 勿論、ファンにとっては興味の対象である。イルシク湿原で遊牧を行う民、ワン族の暮らしについても、是非現地を訪れて調査をしたいとも思っていた。


 やはり、この地はまだまだ未知にあふれている。 

 心行くまで調査をするためにも、カーラン真皇国に渡すわけにはいかない。


 「では、皆さん。また絶対に来る。約束です」

 

 イフン語はまだまだ拙いけれど、なんとか意志疎通くらいはできるようになった。

 その覚えた発音を忘れないうちに、また、この地へ。


 「ああ、待ってるよ!ファン先生!」

 「次また、通訳として雇ってね!」

 「いつでもおいでな!」


 住人たちの声に左拳を胸に当て、ファンは大きく頷いた。


***


 「いやあ、やっぱりナランハルを巻き込んで正解☆」

 「ええと、それはどういう意味で?」


 ゴラに向けて馬を駆りながら、ファンは首を傾げた。

 トパワクの門を出た時には、確かにヤルトミクと二人だけだったが、いつの間にかフタミが混じっている。

 

 「この周辺の人たちは、ナランハルに敵対することは絶対ないってことですよ☆」

 「まあ、良い人が多かったし、顔見知りと敵対するのは荷が重いからなあ」

 「何も申されますか。民らはナランハルを深く敬愛しておりました。むしろ、一声お声を掛ければ、皆武器を取って馳せ参じましょう」

 「そう言うのは嫌だなあ。あの町は本当に平和なんだ。戦に巻き込みたくはないよ。まあ、どこだって巻き込みたくないんだけど…」


 馬上から見渡すのは、天卓山地の奇妙な地形と、大きな樹木の代わりに細く、しなやかな木々が絡まりあう森や竹林。


 もう少し、ここで「未知」を収集したかった。

 

 それは隠しようのない本音だ。ずっと興味を持っていて、行ってみたいと願い、やっと叶った今回の調査。

 大学の調査団は、あと一月は滞在する予定である。あと一月。それだけあれば、もう一度村に行くこともできただろうし、今跨る馬の故郷、イルシク湿原に行ってみることもできただろうに。


 しかし、二太子の立場と自分の好奇心どちらを優先するかと問われれば、大抵の場合好奇心を迷うことなく選ぶファンであっても、今回ばかりは非常事態優先だ。

 二十九名の失われた命はそれだけ重たく、その裏で糸を引く者の存在が本当にカーラン真皇国であれば、放置しておくことはできない。


 ヤルトミクも、そこが気にかかっているのだろう。フタミへと視線を向け、問う。

 

 「して、フタミ殿。この一件、やはりカーラン真皇国が図面を引いているのか?」

 「まだ確たる証拠はないです☆けれど、妻が一人きりで留守番しているはずの家に、頻繁に男が出入りしていたら、疑われるのは仕方ない、ってところですね」

 「嫌な例えだなあ」


 つまり、カーラン真皇国の影はちらついているのだろう。

 

 「中々、お喋りしてくれないものでね★」

 「ん?もう、密偵捕まえているの?」

 「いいえ☆この一件のその前に、何故、ゴラが実地訓練の場に選ばれたのかってことですよ」

 「あ、そっちは調べがついたんだ」

 「ええ。それで陛下が俺をこの地に派遣したので☆」

 

 この腕利きの密偵が派遣されていたことは、アスランの幸運であり、「敵」の不運だろう。

 フタミがいなければ、もっとアスランは後手に回らされていたはずだ。

 

 「生徒の一人が、ある商家の子なんですが、その家の商売敵と言いますか、一方的に敵認定している商人がおりまして☆」

 「うん」

 「対抗して自分の息子も士官学校へ入学させようとしたものの、一次試験も突破できずに落ちました☆それで余計恨みを募らせたみたいですね」

 「完全な逆恨みだなあ」

 「まったく。それで教師や事務官の一部を買収し、ゴラへ送り込んでやれ、と画策したようです★」


 気候も風土も、文化や食生活すら違う地は、精鋭の集まりである親衛隊の騎士たちですら、三分の二が寝込むほどだ。

 それなのにほぼ実戦はなく、戦果をあげて称賛されることもない。

 この地に選抜された生徒たちの多くは、文句と不満と絶望に満ち溢れていた…そうファンは、はとこから聞いていた。


 はとこ自身は「子供の頃住んでいたヒタカミも湿度が高くてじめじめしたところだったし、どうにかなると思う」と笑っていたが。

 ゴラで治療中であるその顔を思い出すと、腹の底がざわつく。

 命は拾った、欠損はないと聞いていても、早く顔を見たいと焦る。


 「問題は、誰がそのおバカさんにゴラのことを吹き込んだか、でしてね★」

 「商売柄知っていた、とかは?」

 「ありませんね★フェリニスの事は知っていたでしょうが」


 フェリニスも厳しい地だ。まだ夏の名残の残る今ならば問題ないが、秋はすぐさま駆け去り、訓練が終わる前に冬になる。

 冬になれば雪の中を行軍し、凍てつく寒気の中で野営をしなければならず、過酷さはゴラと比べて遜色はない。

 さらに、間違いなく実戦があり、死傷する生徒は毎年必ず出ていた。


 「苦しめたいだけなら、フェリニスでも大差はないか」

 「はい★」

 「…それで、こっちでは生徒相手の罠を張る、か…随分と用意周到だ。まだ、二十歳にもなっていない子供相手に…」


 目を細め、押し殺した声を漏らすファンの横で、同じく怒りに眉根を寄せながら、ヤルトミクが唸る。


 「狼を仕留めるのなら牙が生え変わらぬうちに、とも申します」

 「最初はたぶん、ナランハルを狙ったのだと思いますけれどね★でも、ナランハルが実戦訓練に赴く前に準備が整いきらなかっただけかと★」

 「それで今回は、それを再利用した…」

 「はい★実は、今回の生徒の中に、タルハン将軍の息子さんもいましてね」


 父の第五夫人の兄である将の名に、ファンは細めていた目を見開いた。


 「もしかして、バヤルジンが!?」

 「ご安心を☆居残った側の方です。止めようとしたものの、多勢に無勢で抑え込まれ、ほぼ軟禁されていたようですね☆」

 「それは…アイツ、大丈夫かなあ。怒り狂ってなきゃいいけど…」


 確か、はとこのマシロとも仲が良かった。

 級友たちが戦死し、友人が重症を負ったと聞いて、だから止めたのに、などと鼻で笑えるような男ではない。

 

 「敵を討ちに行くと暴れたので、もうちょっと軟禁してもらっています☆」

 「どうする、ミク?連れて行くか?」

 「戦場を見せるのは良いですな。賛成です。タルハン将軍の三男殿でしたか。あれは鍛えれば、良い将になりまする」


 敵を討ちたいのなら、討たせてやるべきだ。そうして消化しておかないと、質の悪い酒のようにいつまでも残る。

 それに、お前はまだ子供だからと遠ざけるなど、友の死を怒る男への侮辱以外、何物でもない。


 「連れて行くのは良いですが、ナランハル☆まずはどう動きます?」

 「その、救援を頼んできた村へ行こう。実在するならな」

 「あるみたいですよ☆あの百人隊長サン、村人が亡骸の回収を手伝ってくれたって言ってましたし☆」

 「それじゃあ、賊を装って村を脅し、生徒を引き寄せたって事か…」

 「たまたま村に来ていた行商人が、今、ゴラに騎士見習いさんがたくさん来ているから、その人らに頼めば助けてくれるんじゃないかって教えてくれたそうです☆」


 正規軍は動かなくても、まだ若く、任務もない騎士見習いなら、頼み込めばあるいは…と考えるのはあるかもしれない。

 だが、どうしても素直に頷けないのは、この一月、山で暮らした経験からだ。


 天卓山地の平地に点在する村々は、外界との接触を嫌う。

 それはかつて、この地を支配したカーランが、イフン人たちを奴隷として狩り、酷使したという忌まわしい過去に起因していた。


 カーランの支配が終わり、山から下りてきた人々が、トパワクなどの町を拓いたものの、「山の下」を恐れ、山から下りてこなかった人々がいる。

 そうした人々が、今も天卓山地のあちらこちらに小さな村を作って暮らしていた。


 今回、調査拠点がトパワク近郊の村になったのは、その村は「山の下」との距離が近く、ヅックのように町に出てきたものもいる場所だったからだ。

 余所者についても他の村程警戒しておらず、ファンも滞在して三日ですっかり打ち解けた。最初は隠れていた女性や子供たちも山の奥から出てきて、いつもと変わらない暮らしに戻っていた。

 クオンのように町の学校に通う子供たちもいるあの村は、もうごく普通の、町から少し離れた山村だ。


 だが、他の村はそうではない。


 天卓山地の奥深くに点在する村々は、トパワクの住人達でも詳しい位置やどれほどの規模なのか知らない。

 噂によれば、かなり大きな「都」があると言う事だが…その「都」に近付けば、イフン人であっても戻ってくることはできない、だから決して近付くな、と真面目な顔で脅される。


 そんな排他的な村が、賊に襲われた程度で救援を求めるか?


 どうしてもそんな疑問が頭から離れない。

 もちろん、ファンや世話になった村の長が知らないだけで、他にも外と交流を持つ村がある可能性はある。

 

 イフン地方がアスランの領地となって百年。その長さは、人狩りに怯え、奴隷として酷使されてきた人々の記憶を薄めるには十分な長さだ。

 山を下り、町を拓き、田畑を耕し、他所から来た旅人や商人とも関わる。

 それを危険な事とも思わない世代に変わっているのだ。

 外の人間は敵だ、見つかれば獣のように狩られ、売られ、襤褸布のようになって死ぬ…その恐怖は、もう昔語りの中にしか存在しないほど、時は過ぎた。


 「蛇の皮を見れば草を払え、と申します。十分に警戒してまいりましょう」

 「そうだな…ところで、ミク。体調は大丈夫なのか?」


 ファンの質問に、ヤルトミクは「問題ありません」と首を振る。だが、その頬は記憶にあるよりも痩せていたし、顔色もあまりいいとは言えない。

 双鞭を軽々と振り回す剛腕も、なんだか少し、萎んでいるように見えた。


 「…あまり、大丈夫じゃないようだな…」

 「ご心配めさるな、ナランハル。いざ実戦となれば普段と変わらぬ働きをご覧に入れましょう!」


 ヤルトミクがわざわざ単騎迎えに来てくれたのは、もしかしたら他の騎士たちがもっと深刻な状態だから、なのかもしれない。

 百人は動けると言う事だったが…動けるというのにも、色々と程度がある。

 自分の足で立って歩けるだけ、と言うのなら、動けはするが…動けるだけだ。

 

 「…ゴラが、負傷者を収容して治療に当たる砦でもあって良かったなあ…」

 「そのおかげで、はとこ殿は命を拾ったようなものですしね☆」


 負傷者が運び込まれるだけあって、ゴラには医官が多く配属され、イフン地方ではムザクに次いで設備も充実している。瀕死の人間を生かすことに掛けては、ムザク以上であるとも言えた。


 「フタミさんは、なんかすごく、いつも通りだね」

 「ヒタカミの夏は、さらにとてつもなく暑いですからね☆」

 「いいなあ…ヒタカミ、行ってみたいなあ…」

 「攻め込むと言うのであれば、いつでも斥候を務めますよ★」


 フタミが仕えていた主は、ヒタカミを統一しかけている者に滅ぼされた、と言うのは聞いたことがある。

 故国に他国の軍勢を引き入れるのは裏切りだろう。しかし、同時に仇討ちでもある。

 どちらにせよ、地続きのカーラン真皇国でさえその後を持て余すからと攻めずにいるというのに、海を渡ってヒタカミに、と言うのはない。


 「俺は攻め込みたいんじゃなくて、調査しに行きたいだけなんだよ…その時は、通訳兼案内としてついてきてくれるとありがたいけど」

 「それもまた良いかもしれませんね☆」


 なんにせよ、何とか動ける百人の中から、さらになんとか回復しそうな者を二、三十人選抜しなくては。


 ミクが動けて良かった。置いていくとなったら、自決しかねない。

 

 内心にこそりと溜息を吐き、ファンは視線を上にあげた。

 陽射しはすでに霧に隠され、まもなく銀の糸のような雨が降り出すだろう。


 万の矢も、千の槍も阻めないアスラン騎兵も、銀の雨にはあっさりと倒れ伏す。

 それを見越して、この地に引きずり込んだのだとしたら。


 「厄介だな…」


 囁く声は、降り出した雨に紛れて消えた。


***


 「申し訳ございませぬ!!!!ナランハルッッ!!!」

 「落ち着け、バヤル。フゥーイフゥーイ」


 ゴラの砦に到着して、言い訳を並べ立てる千人長を放置し、すぐにファンたちはフタミの案内でバヤルジンの許へと向かった。

 馬宥めの声に反応したわけではないだろうが、外から鍵のかかる部屋に放りこまれていた若者は、深呼吸をして大きく頷いた。まだ鼻息が荒いが、許容範囲だ。


 切れ長の双眸に細く高い鼻梁、薄く形のいい唇と、バヤルジンは如何にも知的で冷静な印象を受ける。

 だが、その実態は机上で書物を捲れば眠気に襲われ、練武場で模擬戦をやらせれば全員と対戦してもなお疲れ知れず…という若者である。


 正直に言えば、間違いなく村人から助けを求められれば、真っ先に飛び出していく方だと思っていた。それがむしろ、周りを止めるとは。

 

 「うん…よく頑張ったな。バヤル。無事でいてくれて嬉しいよ」

 「しかし…自分は、皆を止めることが出来ませんでした!もっと、もっと言葉を尽くし、腕力を尽くせば止められたかもしれぬと思うと…あああ!我が身の不甲斐なさに、じっとしておられません!!」

 「いや、落ち着け!って言うか、腕力は尽くさなくていいだろ!」

 「ナランハルの仰る通りぞ。しかし、何故、罠と思った?」


 ヤルトミクの声に、バヤルジンは地団駄を踏んでいた足を止め、拳を握って黙り込んだ。その顔が紅潮していく。


 「ええ…と、なんと申しましたか…その、あの…敵が、したいことをさせてやれば、上手く釣れる、的な…」

 「ああ、敵人をして自ら至らしむる者は、これを利すればなり、だな」

 「そうそれです!!それではないかと、自分は思ったのです!」

 「ほう、何故?」


 大祖が伝えた、異国の賢者が編み出したという戦争の心得は、五代に仕えたイシダジブ、そして現代のウー老師によって補完され、士官学校では必ず習う教本になっていた。

 バヤルジンが言いたかったのは、その一節。

 敵を動かすには、その狙いを把握し、抗えない餌を見せてやればいい、と言う意味の教えである。


 「自分たちは、この地に気候にも慣れ、気力体力ともに充実しておりました。しかし、駆り出される任務は実戦とは程遠く、儀仗兵の真似事や、地域の方々との交流…と言ったものばかりでありました」

 「え?ゴラには他にもやることがあるだろう?」

 「はい。自分たちを指導してくださった十人長の方々や、百人長のお二人は、備品の整理や負傷兵の運び方、輜重隊の警護の仕方などを教えてくださり、やらせていただいたのですが…」


 ぐ、と形のいい唇が噛み締められる。


 「…特に自分や、他数名は、千人長に呼び出され…」

 「バヤルが誰の息子か気付いたか…」

 「自分は、そんなことよりももっと学びたいことが多くございました!それは、他の級友たちも同じこと!如何なる地であれ、大アスランの為、大王の為、民の為に力を尽くす覚悟を決めて参ったというのに、御婦人方相手に茶会に駆り出されるなど…屈辱ですらございました!」


 ゴラは過酷な環境ではあるが、実戦はほぼないと見込まれていた。

 それ故、「死なれては困る」生徒が多くゴラへと送り込まれているのは否めない。

 千人長はそれに目をつけたのだろう。


 しかし、士官学校を志し、二年を学びと訓練に費やし、この実戦訓練を終わらせれば晴れてアスラン騎士になると胸を高鳴らせる若者たちの士気は高い。

 社交の道具に使われるなど、鬱憤が溜まるにきまっている。


 「最初は、自分もすぐに助けに行くべきだと思ったのですが、ふと、その一文が思い出されまして…いえ、正直に申し上げます!文ではありませんでした!覚えられませんでしたので!ただ、何か、そのような危険があると、思い至ったのです!」

 

 なるほど。これがミクの言っていた「良い将になる」ということか。


 諳んじることはできなくても、バヤルジンは兵法を吸収し、己のものとしている。だからこそ、咄嗟に罠ではないかと思い至ったのだ。

 それは、確かに名将の片鱗だ。必要なものを血肉とし、必要な時に活用できる。


 「いや、すごいよ。バヤル。後はそれを、他者に納得させられるようになれば、間違いなくお前は名将になれる」

 「…それが今でなかったことを、自分は…っ!!とてつもなく、悔しい、です!」

 「その想いを忘れるな。次に後悔せぬためにな」


 ヤルトミクの言葉に、歯を食いしばった青年は頷いた。


 「マシロに、会いに行こう。バヤルも気になっているだろう?」

 「はい!!」


 ずっと軟禁されていたそうだから、まだ顔も見ていないはずだ。

 「力不足」の結果を見せつけるようなものではある。

 しかし、この青年は見たほうが必ず良い方向へ進めると、そうファンは判断した。ヤルトミクも異を唱えないところを見ると、同じことを考えているのだろう。


 侍従官を呼び、面会は可能か医官に尋ねてくるように頼む。

 しばしの待機の後、「短時間なら」と言う返答を携えて侍従官が戻った。


 言葉もなく、三人は負傷兵たちが療養する棟へと足を進ませる。

 ツンと鼻を衝く薬草や膏薬の匂いが漂い出し、武器を携え、警護に当たる兵の代わりに、忙しく歩き回る看護兵の姿が目立った。


 「こちらに」


 一つの房の前で、緑の布を頭に巻いた男が待っていた。

 正面に赤い丸が染められた緑布を頭に巻くのは、医官の証だ。顔立ちや肌の色から見てイフン人ではない。カーラン人の血が濃いようだ。


 「意識は?」

 「今朝から戻りました。一山超えましたね」


 あまり褒められたものではない顔色をした医官は、口の端を持ち上げて見せた。

 その返答に、バヤルジンの長身がぐらりと揺れる。


 「しっかりしろ」

 「…失礼いたしましたッ!ヤルトミク殿!」

 「そのお坊ちゃんは、あまり騒がせないでくださいよ。余計な刺激が苦痛になる」

 

 医官の言葉に、バヤルジンは口を己が手で塞いだ。その素直な反応に、医官の口許ははっきりと笑みの形を作る。


 「うん、よろしい」


 入口の布を捲り、医官は房の中へと進んでいく。ファンたちもその背を追った。

 中へ入ると、微かに空気が変わったのを感じる。


 「結界…?」

 「単純な虫避け程度ですがね。蠅に卵を産みつけられないように」


 医官の言葉に、虫避けの香すら炊けないのだと知り、どくりと心臓が不安を訴える。

 

 「正直、生きているのが…そしてどこにも欠損がないのが、不思議なほどでしてね。おそらく、三本ほど槍を突き立てられた後、崖から転落したのでしょう。両手両足が複数個所折れていました」

 「内臓も無事だと聞いているけれど…」

 「はい。信じられないことにね。どうやら、しっかりと甲を身に着けていたおかげで、穂先は内臓まで達しなかったようです」


 つまり、負傷の大部分は崖から転落したことによる骨折と言う事なのだろう。

 運が良い。

 手脚なら、なんとかなる。背骨や腰骨を折ったのでなければ。


 房の中、さらに衝立に囲まれた一角を、医官を示した。

 頷きを返し、ファンは重く感じる足を進める。


 「…っ!」


 それは寝台と言うよりも、棺桶のように見えた。

 人一人がすっぽり収まる、縦に長い箱。

 

 そこに横たわっているのは、間違いなく…よく知っているはとこだ。


 「マシロ…」


 呼びかけに、うっすらと目が開く。

 ヒタカミ人の特徴と言う、黒髪黒目。しかしはとこは少し色素が薄く、艶のある鈍色の髪と、角度によっては少し紫を帯びた瞳をしていた。

 その色を、ヒタカミでは紫苑色と言うのだと、当の本人から教わったことを思い出す。

 

 今、その瞳を囲む白目はどんよりとした朱に染まり、いつもの輝きはない。

 だが、それでも。


 「返事は、しなくていいよ。マシロ。ファンだ。良く、頑張ったな…」


 瞳が微かに動き、乾いてひびの入った唇が震える。

 ちゃんと、反応している。耳は聞こえているし、動こうとした。


 大丈夫。生きている。


 いつの間にか詰めていた息を吐きだし、ファンはなんとか震える口許を笑みの形に変えた。

 安堵は哀しみよりも涙腺を緩ませる。だが、今は良かった良かったと泣いている場合ではない。

 

 「少し、触っても?」

 「微かに触れるだけでしたらば」


 医官の許しを得て、マシロが横たわる寝台…いや、治療台の傍らへと移動する。

 そして、何故こんなものの中に入れられているのか、その理由を知った。


 「これは…粘体ハチン・シャワル?」


 西方ではスライムと呼んで忌み嫌うもの。しかし、アスランでは生活に溶け込んでいる魔獣だ。

 粘体には意志や思考はない。ただ、消化吸収できそうなものを固まりかけた水のような体へと引き込み、栄養を取る。それだけの生物である。

 西方の積極的に生物を襲い、包み込んで捕食するスライムとは違い、主な食料は排泄物や死体だ。


 ヤルクト氏族の先祖たちは、この奇妙でぶよぶよとした魔獣を、馬や羊や牛と同じように、家畜として扱った。

 なるべく生活の痕跡を残さないように移動を続けた先祖たちは、自分たちの排泄物や、どうしても出てしまう塵をこの粘体に食わせ、消し去っていたのである。


 そうして逃げる必要のなくなった今でも、粘体は飼われていた。

 どこの家庭でも厠所や風呂に、粘体の家をおいている。人が出ていくと、粘体は大抵は陶器で造られたその家から出てきて、「食事」を平らげるのだ。

 

 「こいつら、香油や染料を与えて育てると、匂いがついたり色が変わりますよね」

 

 昔ながらの少し白く濁った粘体も売られているが、人気なのは様々な色をした粘体だ。大抵は「薔薇の香り」「石鹸の香り」「ジャスミンの香り」などと銘打たれて、匂いもついている。

 消化能力は変わらないが、匂い付きの粘体を置いておくと、ほんのりと厠所にも匂いがつく。何しろ悪臭を発しやすい場所の為、それを誤魔化せる匂い付きが人気になっているというわけだ。


 「同じ要領で、魔法薬を与えて成長させればどうなるか、という研究をしていましてね」

 

 一糸まとわず、ただ生々しい傷口を晒しているマシロは、巨大な粘体の上に寝かされていた。

 見れば、腹の傷や折れた骨が突き破ったと思われる手足の裂傷に、ほんのりと若草色を纏った粘体がへばりついている。

 赤く開いた腹の傷口にも、同じように波打つ粘体が居座っていた。


 「血膿や剥がれた組織を食う一方、常に治癒薬に浸しているようなもんです。動かせない患者の床ずれは頭の痛い問題ですが、コイツは常時波打って当たる場所を変えますから、防ぐこともできる…と考えています」

 「…念のため聞くけれど、患者を『捕食』する可能性は?」

 「人食い馬がいると聞いて、ナランハルは信じますかね?」

 「食性が違うと?」

 「はい。こいつらは西方の近縁種と違って、人の皮膚を溶かすような能力がない。もちろん、四六時中誰かしらが観察していますがね。少なくともこの三日、患者が粘体に食われたという事はありません」


 心なし興奮したように説明する医官に、ファンは頷きを返した。

 おそらく彼は、医官、と言うより医学者だ。この新しい治療法を試し、研究したくてうずうずしている。

 四六時中誰かしら、と言ってはいたが、おそらくその大部分は彼だろう。もし、ファンが同じ立場なら、目を放せるわけがない。睡眠薬で昏倒させられるまで、目を見開いて観察しているに違いない。

 実験体にされているマシロは怒るかもしれないが、逆に言えば、安心だ。もう問題ないと目を放し、事故を招くことはない。

 少なくとも、彼が『観察』している時間は。


 「この治療法が確立されれば、今よりもはるかに多い負傷兵を援けられる。褥瘡の治療に看護兵や医官が消耗することもなく、排泄物の管理もしなくていい。まさにこれは、アスランの医療における大いなる転換点になりえるのですよ」

 「患者本人の負担は?」

 「意識が完全に戻った後、少々気味が悪い程度でしょうな。魔法薬を強制摂取させているわけでもありませんので、組織の再生に体力を使いすぎることもない」


 巨大な粘体の上に寝かされているとなると、確かにいい気分ではないとは思う。

 だが、表皮に浮き出る垢や汗も粘体の餌であり、当然、本来の用途である排泄物の処理もできる。

 同じくらい清潔な状況を保つのであれば、負傷兵一人につき看護兵が二人が必要になる事を思えば、まさに画期的な治療法だろう。

 

 「わかった。今後も経過を見てくれ。コイツを…マシロを、頼む」

 「…少々、生臭い話を致しますと、ナランハルの歓心を買うことが出来れば、必ずや『見返り』をいただけるものと思っています」

 

 隈の浮いた目元を緩ませ、医官は親指と人差し指で輪を作った。


 「研究には、何しろ金がかかる。粘体を使った治療と言うと、上の方も良い顔をしませんので。なので、何が何でも、この患者の治療を成功させて実績を作りたいのですよ」

 「なるほど。その気持ちはよくわかるよ」


 学問と言うのは、金にはならないけれど金がかかる分野が多すぎる。

 なにしろ、今回の天卓山地への調査行は、ファンが二太子名義で大学に寄付をして実現したほどだ。

 

 「俺は、コイツに助かってほしい。あなたは、助けて実績を得たい。利害の一致は、歓迎するところだ。きっと、全力以上を尽くしてくれるだろうから」

 「ええ。無論」

 「俺も大怪我したら、お世話になるかな。二太子の命を救ったともなれば、良い宣伝になるだろう」

 「大怪我でなくとも構いませんよ」

 「まあ、大怪我したくないしね」


 そうしてにやりと笑みを交し合ったファンだったが、この一年後、左鎖骨を斬られ、心臓もあと少しで…という重傷を負い、医療用粘体の世話になることになるが、それはまた、別の話だ。


 「マシロ。いろいろと思うところはあるだろうけれど、今はとにかく、生きることに集中しろ。生きて帰って、お前の家の美味い飯、一緒に食おうぜ」


 そっと、粘体の絡みつく手に触れる。体温は高くも低くもないようで、熱が出ていないことに安堵した。

 熱を出す、と言うことは、身体になんらかの毒素が入り込んでいると言う事だ。野戦での負傷は、単純な刺し傷切り傷よりもそれが怖い。

 傷自体は大したことがなくても、それで命や四肢を喪うものがいる。

 そして、血や体力を喪いすぎていれば、今度は熱が下がる。温かみと弾力を喪った皮膚の感触は、まぎれもない死の予兆だ。


 「焼いた鮭と米食べたいなあ。芋の煮物と一緒にさ。煮卵も入っていると嬉しい」

 

 ほんのりと、マシロの乾いた唇の端が、持ち上がったように見える。

 

 「だから、今は、とにかく休め。後のことは任せろ。ゆっくりおやすみ」


 声が届いたのか、それとも体力の限界だったのか。

 瞼が紫苑色の双眸を隠し、閉じる。


 「…ナランハルの名にかけて、この治療法の確立を全力で支援する。必ず、アスランの将兵にとって…いや、戦に縁のない民にとっても、必要な技術になるはずだ」

 「この患者が回復する前にお約束頂いて、よろしいのですか?」

 「さっきの言葉通りさ。あなたは間違いなく、マシロの回復に全力を尽くしてくれる。それで助からなかったとしたら…それは、もう、仕方がない。だが、それでこの治療法が消えてしまうのはあまりにも惜しい。だから、支援するよ」


 言葉もなく、深々と頭を下げる医官に再度「マシロを頼む」と伝え、ファンは房を後にした。

 約束通り口をずっと閉じていたバヤルジンと、眉間に皺を寄せるヤルトミクが続く。


 「…粘体の上で寝る、と言うのは、少々ぞっとしませんな」

 「そうかな?合理的だと思うけれど」

 「治れば、それが一番ですよね☆」


 突然掛けられたフタミの言葉に、バヤルジンが文字通り飛び上がった。

 実はマシロの見舞いを済ませてすぐに合流していたのだが、バヤルジンには「見えていなかった」ようだ。

 

 「さて、ミク。親衛隊の動ける面々を集めてくれ。その中で、『回復してきた』ものを、フタミさん、選別して」

 「了解☆」

 「動けるうちの半数は、そのまま千人長の拘束を。俺の名を使っていい。ミク、頼めるか?」

 「御意」


 どん、と萎れていても分厚い胸板を叩き、ヤルトミクは狼のように笑った。

 同じ千人長として、ゴラ砦を預かる二人には、思うところも多いのだろう。


 「バヤルは、生徒たちを集めろ。寝込んでいたり、引きこもった奴は無理に引き出さなくていい。自分の足で立ち、自分の心で悔しさか怒りを持っている奴だけで、いい」

 「御意!!残る三十名、皆、同じ気持ちです!全員、ナランハルの御前に並ぶと断言いたします!」

 「うん。信じるよ」

 「では、すぐに集めて参ります!」

 

 一礼し、元気よく駆け出したバヤルジンの背中を見送るファンの顔には、いつもと変わらない穏やかな笑みが浮いている。

 しかし、長い付き合いのヤルトミクは、その笑みの裏に隠された激情に気付いていた。


 優柔不断で惰弱と、二太子をよく知らない者たちは蔑む。

 だが、その人となりをよく知る者ほど、あれほど強情で意志を曲げない人は見たことがない、と評する。

 そして本人は、俺は神様に認められるほどに強欲で傲慢なんだよ、と笑う。


 その意味を、まずはゴラの千人長二人は思い知るだろう。

 フタミとバヤルジンは、千人長二人が「しゃしゃりでてきたのがナランハルでよかった」などと愚かにも口走っていたのを知っている。

 確かに、一太子オドンナルガが来ていれば、二人はすでに牢の中にいただろう。三十人も命令違反者を出し、うち二十九人が無駄死にしたとなれば、千人長の罪は免れない。

 向かう前に捕縛を命じ、釈明の機会など端から与えなかったはずだ。


 だが、だからと言って二太子が罪を許したわけでも、千人長二人に遠慮したわけでもない。

 ただ単に、もっと気にかかることがあったから、そちらを優先した。それだけの事である。


 万全を期すなら、逃亡を図る前に千人長は捕縛しておくべきだ。もし、カーラン真皇国に逃げ込まれれば、ゴラ周辺の地理や砦の備えと言った情報を、敵に与えることになる。

 その点は、詰めが甘いと言われても仕方がない。

 しかし、かと言ってその後まで甘いとは限らないのだ。


 「さあ、忙しくなるぞ。できれば明日、明後日には出立したい。フタミさん、煙草と線香は手配できた?」

 「明日の昼には届きますよ☆」

 「じゃあ、明後日だな。千人長二人は、その時に斬るから首を洗っておいて」

 「御意★」

 「ナランハルの御手を持って断罪されるとあらば、むしろ名誉な事。よろしいのですか?」

 「二人が『どうしても責任を取りたい。我らの命をもって、部下たちの助命を!』って泣いて頼んだから仕方がないさ。家族も、今まで千人長として誇りに思っていた人が斬られるんだ。せめて俺の手で、な」

 「なるほど」


 これは、心底怒っていらっしゃる。

 

 千人長二人の罪は、死罪に値するかと言えば微妙だ。今までに照らし合わせれば、指導に当たっていた百人長、十人長までだろう。

 当然、あの二人がそんな殊勝な事を言うはずはない。

 だが、『そう言った』からだ、とナランハルがおっしゃったのなら…そう言う事だ。お望み通り、死罪にしたところで問題はない。

 

 「その心意気に免じ、百人長たちは死罪にはしない。それぞれ降格の上、家族ごとウハイフンゲルへ移送。とりあえず、一年間な」


 ウハイフンゲルは、イフン地方から南西に馬で半月ばかり移動した先にある、ソリル内海に面した大都市だ。

 万が一、百人長たちがカーラン真皇に酔わされていたとしても、あの喧噪に放り込まれれば酔いも覚める。

それでも酔ったままだとしても、地理的に遠く離されていては何もできない。何かの工作に使えるような立場でもなくなる。

 何より、ウハイフンゲルを統括し、守る領事官と十二狗将は付け入る隙を与えない。移送した理由を伝えておけば、「面倒ごとを…」と文句は垂れるだろうが、上手くやってくれるはずだ。


 「取り計らっておきましょう」

 「すまないな。ミク。体調も万全じゃないのに、面倒なことを任せて」

 「なんの。寝ているよりも、ナランハルの御為に動いておる方が、よほど良い。御案じめさるな」

 「ん。ありがと。さて、俺も頑張るよ。柄にもない事、しなきゃな」


***


 友人たちの『敗戦』に、三十名の生徒たちは当然ながら恐慌状態に陥った。

 

 彼らは、誰一人「実戦」を経験したことがない。

 士官学校には、傭兵や地方兵も推挙を受けて入学する。生徒の半分ほどは、そうしたすでに「経験済み」である年も珍しくはない。


 だが、今年ゴラを訓練先にと選ばれたのは、所謂「毛色のいい」生徒たちばかりだった。

 

 当然、戦いになれば死ぬこともあることは知っている。

 知ってはいるが、わかっていない。

 

 そうした認識の生徒たちは、賊など一蹴できると信じて疑っていなかった。

 

 試合や実技の試験では合格している。

 こんな地方の賊などより、装備も練度も桁違いに良い。

 賊共を討伐し、村人たちを救い、自分たちを最近手に入れた珍しい人形のように扱う千人長の度肝を抜いてやる!報告を聞いてやってくるだろうムザクの騎士に、奴らの怠慢を報告してやるのだ!

 

 そう思って、意気揚々と出陣した…はずだった。


 だが、戻ってきた級友たちは凱旋とは程遠い、無惨な姿。

 無数に斬られ、貫かれ、手脚を落とされ、頭を砕かれ…中には、甚振られたとしか思えないような遺体すらあった。


 つい先日、笑顔で出立した級友たちの変わり果てた姿に、多くのものは胃の中身をぶちまけ、泣き叫び、気を失い…「戦」と言うものがどういう事であるか、容赦なく見せつけられたのだった。


 だが、今、ファンの前で左拳を胸につけて立つ若者たちの顔には、恐怖よりも憤りがある。

 それは、級友を殺された怒りと言うより、自分たちの愚かさへの怒りに見えた。


 これは、許されない罪。

 手を下したのは賊であっても、友を死地へと追いやったのは、自分だ。


 償いたい。償わなくてはならない。

 泣いて、己の首に刃を突き立てて詫びれば、それで贖えるか?


 否!


 それは、否だ。

 士官学校で叩きこまれた、教え。

 

 無駄死にこそ、大アスランへ対する最大の裏切りである。

 戦で負けた程度で、己を悲劇の主人公のように扱うな。

 負けたからこそ、次に勝つために泥水を啜り、羊の糞を喰らっても生きて還れ。

 そして、敗北を勝利でもって贖え。


 繰り返し繰り返し、教師たちは生徒たちへ、その教えを叩き込む。

 バヤルジンのように、兵法を血肉にできていなかったとしても、その教えはしっかりと生徒たちに浸み込んでいた。


 うん、いいな。


 ぎりりと歯を食いしばり、泣き明かしたのであろう真っ赤に充血した目を見開く生徒たちを見て、ファンは頷いた。

 寝不足や受けた衝撃で弱ってはいるだろうが、足取りはしっかりしている。

 生徒たちが派遣させて既に三月以上。すっかりとこの地の気候に慣れている様子に、ファンは自分の立てた策が間違っていないことを知った。 


 「まずは君たちの指揮官が変わったことを伝える」


 生徒たちが集められたのは、屋根のある練武場だ。銀の雨は音もなく、今日もしっとりと降り注いでいる。

 屋根があると言うか、屋根に覆われた空間を練武場として使っている、と言った方が正しい。決して、二太子と言う貴人を迎えてその話を聞くような場所ではない。

 だが、文句を言いにくるであろう千人長はすでに捕縛されており、生徒たちの指導に当たっていた百人長(そのうちの一人は、まだトパワクで臥せっているが)と十人長が、押し黙って隅に控えているだけだ。


 「君らは、この俺、ファン・ナランハル・アスランの指揮下に入る。以降は、俺の指示に従ってくれ」

 「是!!」


 だん、と胸を叩く音が重なった。

 誰もが口許を震わせ、今にも「戦わせてください!!」と叫び出しそうな気配を纏っている。

 その暴発を防いでいるのは、一番前に立つバヤルジンの存在だろう。

 彼だけは、罪を負っていない。

 何か主張できるとすれば、彼だけだ。


 「百人長、十人長もだ。ゴラ砦の守備兵の任を解き、一時的に紅鴉親衛隊に編入する」

 「…っ、是!!」


 しばしの沈黙は、なんと言われたか理解できなかったのだろう。

 おそらく死罪を言い渡されるものと、そう覚悟していたはずだ。


 「まず、卿らへの命を降す。戦死した生徒たちの亡骸を荼毘に。骨は一人ずつ壺に入れ、余さず遺族へ帰せるように」

 「是!」


 百人長が叫び、左胸を叩く。

 現地人であり、生徒たちの敵討ちという目的もある彼らを組み込みことも考えはした。

 だが、万が一酔わされている可能性を考えると、連れて行くのは危うい。それで、ウハイフンゲルへの移送にしたのだが、酔っていなかった場合、ひたすら傷が残ってしまう。

 せめて、何か。そう考えて導き出した答えが、生徒たちの亡骸を荼毘にふす作業を任せる事、だった。


 遺体はすでに腐敗を始めているだろうが、千人長が罪を擦り付けることに執心していたため、簡易的な棺に納められたままになっていると聞いていた。

 そこから疫病が発生しないようにするためにも、一刻も早く荼毘に付し、その魂の安寧を祈るべきだろう。


 「そして、生徒諸君。君たちは、俺と共に今回『襲われた』と言う村へ赴いてもらう」


 生徒たちの口から一斉に息が吹き出し、それはざわりと銀の雨に包まれた空間を揺らした。

 

 「現地では、俺の命令に絶対服従。勝手な行動は許さない。陣中と同じ扱いとするから、その場で処断もする。心してくれ」

 

 許されたわけではない。

 だから、こうして釘も刺される。

 だが。


 「是!!」


 機会は、与えられる。

 敗北の罪は、勝利で贖え。

 異郷の地で虚しく腐っていく友の無念を、雪辱を、はらせ。


 「うん。いい返事だ。さあ」


 二太子の右手が延ばされる。その満月色の双眸が、一人一人の顔を眺め、視線を奪っていく。


 「大アスランの栄光に翳りなし。征くぞ!!」

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