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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
3/86

塩を入れたら溶けるまで(乗り掛かった舟)3

 「やろうよ!ファン!すごいじゃん!冒険者みたいじゃん!」

 「今でも冒険者だろうが」


 はしゃぐヤクモに冷たい声をぶつけながらも、クロムは微妙な顔をしている。

 普段なら「面倒くさい」の一言だけど、ウルガさんの依頼でも…あるだろうからなあ。


 「もちろん、この一件がアステリアを揺るがすような事態にはならなくてよ」


 優雅な動作でドレスの腰に手を当て、イヴリン様は微笑んだ。


 「ただ、私が…そう、『ぎゃふん』と言わせて差し上げたいの。羽ばたき始めた小鳥の羽根を折るような無粋な者共にね」


 まあ、仮に。

 エルディーンさんが言うとおりに嫁ぎ、宰相派が一人増えたところで、あまり趨勢に影響はないのだろう。彼女の実家が、「そこそこの」貴族ではなく、その先があるならともかく。

 彼女の逃亡を助けることは、確かに『ぎゃふん』と言わせるだけでしかない。


 けれど、助けを必要としている女の子を救出し、嫌な奴を『ぎゃふん』と言わせる。


 これ以上なく、冒険者らしい依頼だな。

 そう思いながら仲間たちの顔を見れば、三者三様の頷きが返ってくる。

 クロムはしぶしぶ、ユーシンは面白そうに、ヤクモはわくわくと。

 うん。決まりだな。


 「お引き受けします。それこそ、塩を入れたら溶けるまで、だ」


 エルディーンさんとレイブラッド卿のことも気にかかる。顔と名前を覚えた人が、政争の道具にされるのは気分がいいものじゃない。


 「ちょっと待て。報酬は?こんなもん、ギルドに通せないだろ?」


 あ、そか。依頼なら報酬貰わないとな。けど、さすがに王妃様からの依頼をギルドには出せないだろうし、内容も親である子爵からすれば誘拐とか家出の幇助に近い。


 「ええ。冒険者ギルドは、基本的に政治には不干渉。こんな依頼は出せないわ」


 すっと、イヴリン様はドレスのポケット…ポケット?から何か小さなものを取り出した。

 通常、彼女のような身分の女性は自分でものを持ち歩かない。持つとしてもファッションの一部としてだ。そんな貴婦人の纏うドレスに、普通ポケットはないだろう。

 俺の視線に気づいたのか、イヴリン様は艶っぽい笑みを浮かべた。相手にも俺にもそんな気はないけれど、思わず赤面してしまうような。


 「そうね。貴婦人のドレスには、ポケットなどないわ。けれど、淑女には一つや二つ、秘密を隠す場所があってよ」


 差し出されたのは、掌に乗るような箱だった。たぶん、指輪とか入れるやつだ。


 「どうぞ。開けてみて」

 「…じゃあ、失礼しまして…」


 手を伸ばして箱を受け取り、蓋を開けてみる。

 中に納まっていたのは、やっぱり指輪だ。二つある。

 ひとつは、銀の指輪だ。中央に小さな小さな青い宝石…青玉(サファイア)だな…が嵌めこまれ、それを蕾に見立てて若草が彫り込まれている。シンプルだけど、なかなか可愛らしい。ただ、イヴリン様の指を飾るには、ちょっと可愛らしすぎる気がする。

 もうひとつは、その逆だ。金の台座が親指の爪ほどもある青玉を抱え込み、小さな金剛石が周りをぐるりと囲んでいる。リング自体、太くごてごてとしていた。

 まあ、どっちかっていうと、こっちの方がらしい、けれど…


 「ファン、貴方はどうみて?その指輪」

 「ええっと…」


 安っぽい。


 そんな感想が、どうしてもでてきてしまう。

 シンプルな方は、普段使いと考えれば良品だろう。石は小さいけれど、紫がかった青はとても綺麗だ。市場価値は完全な深い青の方が高いことを知ってはいるけれど、良い色だと思う。

 ごてごてした方は…まず、石が良くない。確かに青いけれど、なんというか深みがない。ガラスで作れそうな青さだ。それを誤魔化すかのように飾り立てているけれど、完全に裏目に出ている。


 「これは、娘のデビュタントの為に作らせたものなの」

 「ああ、一番上の姫君は16歳になるんでしたね」


 つまりは、ナナイの異母妹だ。

 このデビュタント…社交界へのお披露目というのは、西方の習慣だ。つまりは、俺たちでいうところの成人の儀にあたるらしい。

 男なら18歳、女性なら16歳がその年齢とされる。


 「ずいぶんと悪趣味だな」


 指輪を覗き込んだクロムが、呆れたように呟いた。

 ナナイの妹なので、それなりに親族の情がわいているのかもしれない。いつもの吐き捨てるような言い方じゃなかった。

 たしかに、シンプルな方はいいとして、これは…16歳の女の子が指にはめるのは、ちょっと…

 それに二つの指輪は、サイズが違う気がする。シンプルな方が細い。


 「銀の指輪は去年の誕生日に私から贈ったもの。金の指輪は、お父様が懇意にしている宝石商が誂えてきたの」


 イヴリン様の笑みが、静かな怒りを帯びる。


 「16歳の少女の指に、それを、ですのよ。しかもサイズもあっていないの。いくら手袋の上から嵌めると言っても、これでは常に抑えていなければ落ちてしまう」

 「ええっとお…ダメ、なんですか?たしかにあんまり、可愛くないねぃ…」

 「あまりいい青ではない!」


 ユーシンも覗き込んで一言で切り捨てた。


 「青玉の青は、青鸞の羽根の色が良いと聞いた!この色ではない!」

 「おわかりになって?これが、宰相派からの王家に対する誠意でしてよ」


 この指輪を着ける予定だった姫君は、いずれアステリア聖王国の王冠を戴く。

 成人のお披露目ということは、王位継承者であるという名乗りにもなるだろう。

 その指に、これか…。


 「さらに言えば、あの老人は孫娘のデビュタントを飾るのが…この指輪で良しとしていてよ。

 ですから、この指輪は私が奪いましたの。一目見て気に入ったから、娘のものではなく、私のものにしますと」

 「さすがにバルトさんも驚いたって言ってましたね」

 「私の悪評が増えるのなんて、娘のデビュタントが汚されることに比べたら…ふふ、さすがに口にできないわ」


 サイズの合わない指輪か。それはさすがに適当に過ぎるだろう。

 指輪が落ちるかもしれないと気にしたまま臨むデビュタントは、あまり楽しいものにはならないよな。

 口数も少なく、落ち着かない様子を見せれば、王冠を抱くものとして相応しくないと囁かれる可能性もある。

 いや、それが狙いか。反吐が出るような話だ。

 16歳の女の子が自分が主役の夜会で、サイズの合わない指輪を必死に抑えているさまを嘲笑う。

 しかもその指輪は、けっして一級品とは言えないような代物で、彼女の身分には似付かわしくない。

 そんな指輪を、それでも落とすまいと気を張る少女を笑いものにしようと思っているというのなら。


 そいつらは、クソ虫以下の存在だ。


 そう思ったのは俺だけではないらしい。こわいものを含めた笑みを浮かべて、バレルノ大司祭が口を挟む。


 「大神殿からいっちょ、贈り物をいたしますかね?この指輪に使われた半分の金貨で、ずっと上等なものを用意いたしますが」


 大司祭はそういう伝手も多そうだし、大司祭からの贈り物というのは、良いかもしれないな。無碍にはできないだろう。


 「バレルノ大司祭…感謝いたしますわ。実はそれもお願いしに参りましたの。オーダーはただひとつ、あの子に似合う指輪をお願いいたします」

 「かしこまりました」


 胸に手を当て、ソファに腰を沈めたままではあるけれど、バレルノ大司祭は深々と頭を下げた。


 「その醜悪な代物…それを、あなた方への依頼料とします。それなりの金貨には変わるはずでしてよ」

 「え、ええ!?いや、それは貰いすぎです!」


 あくまでも、16歳の女の子でアステリア聖王国の姫君には似つかわしくないだけで、普通にかなり高価な代物だろう。払った対価の四分の一くらいの価値しかなくても、その四分の一で俺たちは半年以上遊んで暮らせそうだ。

 安く見積もっても、普通に故買屋に持ち込んだら盗品とみなされて衛兵を呼ばれる。冒険者が持てるような代物じゃない。


 「アスランでも売りにくいな…サライで石と指輪にばらして売るか」

 「クロム!?なんか盗品売買に手慣れたような意見だけど、やったことないよな!?」

 「あるわけないだろ。押し付けられたモンとか売る時に、そうしたほうが高く売れた経験があるだけだ」

 「…それも売るってどなの?」

 「いきなり金品押し付けて好意を伝えるっつうのは、お前の身体をこれで売れって言ってるようなもんだろ。あいにく俺は、男娼じゃない。俺を自由にしたけりゃ、最低でも俺の一年の俸禄以上は払ってもらわんとな」


 え…払われたら売るの?絶対払えない額じゃないよ?

 俺の内心の呟きが聞こえたのか、クロムは眉間に思いきり皴を寄せた。


 「最低でも、と言ったろ。まあ、いい女がそれだけ出すから一晩を共にと言われたら考えても良い」

 「どんだけ上から目線なの…」

 「ま、金で俺が買えると思っているような奴は、そもそもいい女じゃないけどな」


 肩を竦めて言い放つ。その態度にウルガさんは溜息を吐き、イヴリン様はころころと笑った。


 「売り方はご自由に。もうひとつの指輪は新しい指輪を作るために、サイズをお伝えするべく持ってきたのだけれど」

 「じゃあ、大司祭にお渡ししますね」

 「そちらをお持ちになって、ファン、貴方から指輪を贈ってくださっても良くてよ?」

 「え?」


 思わずぽかんとしてイヴリン様を見ると、冗談半分本気半分の視線が返ってくる。

 いや、だってなあ…女の子に指輪を贈るって言ったら…俺だって、一応独身の男ですよ?

 身分的にも割と釣り合いが取れているから、洒落になりませんよ?


 「ええっと、指輪を注文して来いって話なら、引き受けますが…送り主は、親父あたりからにしておきます」

 「あら残念」


 全く残念そうではない顔で、イヴリン様は引き下がってくれた。

 食い下がられないうちに、苦笑しているバレルノ大司祭へ銀の指輪を渡す。それにしてもこれ、貰いすぎだよなあ…。


 「ギルドを通さない仕事になるのですもの。高額報酬は当然でしてよ。それでもお気になさるというのなら、なにか素敵なアスランのお土産を期待してよろしいかしら?」

 「お土産、ですか」

 「ええ。アスランには素敵なものがたくさんあるでしょう?その中から、なにかひとつ」


 素敵なもの…図鑑とか?蝶の標本も綺麗だから喜ばれるかも?


 「…なんとなくだが、お前が考えているものはハズレだ。今すぐその考えを捨てろ」


 クロムだけじゃなく、ヤクモまで頷いているのはひどいと思う。


 「これが俺からの頼み事二つよ。まあ、今回は前回ほど厄介なことじゃねぇと思うが…」

 「爺さんの方の依頼料は?」

 「支度金で一人頭中銀貨5枚。報酬は金貨2枚でどうだ?…もっとも、馬代さっぴくと、金貨は消え失せるがね」


 う…クロムの視線が痛い…大丈夫だって。家帰ったら馬代金貨8枚ちゃんと用意するから…。

 馬丁さんには一頭当たり金貨1枚と聞いてたんだけど、その後ちゃんと値段をお聞きしましたら、金貨2枚だったんだよな…。


 「借金は別にちゃんと返しますので。大司祭の依頼は、ギルドを通してですよね?」

 「おう。また依頼書を出しておくわ、出発はそっちに合わせられるが、いつにすんだい?」

 「あと七日分宿代払っちゃってるからなあ…」


 その間に支度して出発しようと思っていたんだけども。


 「それなんですが…少し、早めてもらうことはできますか?」


 少しためらいがちに、ウルガさんが口を開いた。


 「イヴリンの依頼を快諾してもらった後で、もうひとつ、というのは申し訳ないんですが」

 「ウルガ叔母さんの頼みなら、申し訳ないことなんてない」


 きっぱりとクロムが首を振る。まあ、ウルガさんのお願いなら、クロムは竜の首だって取ってくるだろう。そういうやつである。

 俺が竜の生態観察したいから、棲息地まで行こうぜ!って言ったら一瞬で拒否するか、聞かなかったことにして流すだろうに。


 「…ナナイも、同行させてもらいたいんです」

 「ナナイを?」

 「バレルノ大司祭にも、厚かましいお願いとは思うのですが…最近、あの子の店に、ちょっと良くないのが来るようになりまして」

 「ああ、わかった」


 こくん、とクロムは頷いた。目が据わっている。


 「そいつを斬ってから、ナナイを連れてアスランに向かう。お前ら、異論はないな」

 「あるかないかっていったらあるよ!斬っちゃっていいの!?」

 「ちょっと落ち着け、クロム…どうなんですか?ウルガさん。そういう方法も…視野に?」


 ナナイは普通に可愛いから、言い寄る男も当然いる。俺の隣にもいるし。

 けれど大抵は、周囲に住んでいる退役軍人…に紛れたバルト陛下直属の騎士もいる…が容赦なく排除する。それでもしつこい男には、陛下御自ら「話し合い」をされるそうだ。結果的に、そういう方法になることももしかしたらあったかもしれない。

 薬屋のあの子、可愛いから付き合いたい!とかならともかく、クトラ人の要素が濃いってだけで、好きにしていいと思うような手合いは残念ながらいるのだし。

 今回、ウルガさんが困っている様子からして、そうやって排除できない相手みたいだ。

 当のナナイ自身は、たぶん…クロムと相思なのだと思うんだけど。女の子の心情は、サバクネズミの表情よりもわからない。


 「私とナナイの関係に気付いたものがいるんです。まあ、今までバレなかったのがおかしいとも言えますが。あの子が店を開いて一年半…いい加減、嗅ぎ付けられましたね」

 「言いにくいことに、私の甥なの」


 親友の肩に手を回し、イヴリン様は再び怒りを双眸に宿らせた。


 「先日、しまりのない醜悪な表情で、陛下に娘がいたらどうしますかなどと聞いてきて…その場でひっぱたかなかった自分を褒めるべきね」

 「ナナイのことは…」

 「もちろん、知っていてよ。娘たちも、姉がいることは教えてあります。一番下の娘なんて、風邪をひいたらナナイの薬以外飲まないと我儘をいうくらいでしてよ」


 ナナイの薬は飲みやすいからなあ。マルダレス山で飲んだ強壮薬で、本当にそれを思い知ったよ。


 「ですから、斬り捨てたいのは私も一緒。けれど、斬ってしまえば…必ずお兄様は報復するわ。証拠があろうとなかろうとおかまいなく、ね」

 「ナナイの身分を明かすわけにはいきませんし、アステリアの法では貴族を裁くのは難しいですからね。まずはナナイを安全な場所に避難させて、対策を考えようかと思うのです」

 「わかりました。同行はもちろん、俺たちは構いません。神官一向にというのが難しければ、俺たちの一党ということにしたっていいですしね。冒険者登録は簡単にできるし」

 「話は纏まったな。俺は先に行く」


 そう言いながら立ち上がったクロムは、今にも走り出しそうだ。


 「安心しなさい、クロム。ナナイは今、私の家です。ただいつまでもそうして閉じ込めていては、ナナイが可哀そうですからね。せっかく念願だった店を開いたのに」


 ウルガさんはもうとっくに、手を打っていたようだ。

 そりゃ母親が俺たちより危機感を持たないなんてことはありえないよな。


 「神官一向に旅の商人が同行すんのは珍しいことじゃねぇ。喜んでお預かりしますぜ。それに、今回のご機嫌伺いのメンツはいつもと違うしな」


 ご機嫌伺いと言っても相手は国王。使者は基本は司祭クラスだろう。でも、ジョーンズ司祭行かせるのは…ないだろうなあ。

 そう言えば、彼女の姿が見えない。控室の方にいるんだろうか。


 「ご挨拶自体はよ、今、もう大都にいるマックロランつうのがやるのさ。俺の直弟子で、リタの弟弟子だな。姉弟子の方を送っちまったら、御挨拶どころじゃねぇわい」

 「親父は気にしないと思いますが…その、弟弟子さんが大変そうですね」

 「もし寄こしたら差し違えるって言われとる。まあ、そんなわけでな。今回はよ、ちょっとした慰安なわけだ」


 慰安?

 俺の顔に浮かんだ「?」に、バレルノ大司祭はくつくつと咽喉を鳴らした。


 「おう。先月な、頑張った娘っこと坊主。つまり、ウィルと元聖女候補の娘っこ五人さ。引率はロットにやらせる。マックロランの仕事を、アイツにも覚えてもらいたいんでな。

 娘っこも坊主も左方から来とる。まあここらで、お前らが散々蛮族と聞かされてた国がどんなもんか見てみるのもいい経験だわな。

 教えられたことだけが真実じゃねぇってことをよ、実際体験させてやりてぇのさ」

 「ああ、それは良いですね。本を読み話を聞くより、一目見たほうがずっと理解できますし」


 あの子が飴屋の場所を聞いてきたのは、その話をもう言われているからなんだろう。しばらく楽しみでたまらないだろうなあ。

 あれだけ大変な目にあったんだし、そうやって楽しいことで上書きできれば何よりだ。

 更に怖いことを上書きされないように、気を付けてあげたいな。アスランだって危険なことはあるし。

 それにエルディーンさんの救出作戦もある。具体的にどうするかなあ。


 「あの嬢ちゃんらなら、一回出家させちまやいい。その後で還俗させりゃいいんだしよ。逃げ込んでるのは、クローヴィン神殿だ。あそこにゃ司祭もいる。右方(うち)のな」

 「クローヴィン…って、あの灰色の丘陵ですか」

 「はいいろ?岩だらけとか?」

 「アスランとアステリアの国境は、シムルグ河っていう川なんだけど、この川はアーナプルナ山脈に水源をもち、最終的にはクルート湖っていう湖に流れ込んでいる。ただ、場所によっては冬には渇水してなくなるような川でさ」

 「うん。たぶん、それ、なんで灰色なのかの前置きなんだね。で?」

 「必要な情報なの!で、これから目指す国境の街、ラバーナとサライの間は、川幅も広く、水深も深くしている。わざわざ、そうやって改修したんだ。

 その影響で、川下にあたるクローヴィン地方では水量が十分じゃなくなって、複数の小川になっているんだ」

 「さっぱりわかんないよ!結局何なの!ユーシン寝てるよ!」


 それはちょっと早業過ぎないかとおもってみると、確かに目を閉じている。おい…?


 「つまりだな、国境線が曖昧になっていて、そこの住人は結構平気で行き来するんだ。アスラン側では、もとはフラガナ王国っていう国で、百年前に攻め落とされて滅んだ。そこの人たちは基本は定住しているけれど、夏の間は山羊の群れを連れて狭い範囲で遊牧する。その範囲は、アステリアにも及ぶんだ」

 「んで、アステリアの民はその遊牧してきた奴らに麦や野菜を売り、毛糸や山羊の乳を買うってわけでな」


 バレルノ大司祭が補完してくれる。少々苦笑気味なのは、気のせいですよね?


 「まあ、厳しく見りゃあ無断での交易だ。けど、それで莫大な利益が出るもんでもねえ。監視して見張りを置くほうが金がかかる。おまけに、国境付近に下手に監視する施設だの見張りだのをおいといて、そいつらが暴走すれば戦の火種にもなる。だから曖昧にしてんのさ。

 どのみち密入国したところで、アスランが発行する入国手形がなきゃまっとうな商売はできねえ。闇取引になりゃ、それこそきっついお仕置きを食らうだけだ。盗賊だの凶状持ちだのならなおさらな。

 ま、そうは言っても野放しにもできねぇから、アステリア側じゃ神殿を置いてんのさ。アスランでも、野営訓練場所にしとるんだろ?」

 「はい。クリエンを常においてます」

 「こいつの長話が始まらんように言っておくと、クリエンってのは千人単位で行う遊牧だ。家族じゃなくて部隊で、主に羊じゃなく馬を飼う。遊牧の合間に訓練もやるしな。俺も従軍したことがある」

 「へええ~」


 感心した声を上げて、ヤクモは頷いた。


 「どっちの国でもないから、灰色ってことかあ。ファン、やっぱり川の話は要らなかったよ」


 俺は必要だと思うんだけどなあ。

 まあ、ヤクモが理解できたならいいよな。うん。


 「神殿が建てられた当時はアスランへの警戒もあったしよ。神殿つうより城塞の作りだ。いざって時には近隣の民を収容して籠城できるようになっとる。神官も五十人はおるし、同じくらい、奉仕活動中って名目の村の若い衆がおるわい」


 それなら、子爵家が娘を出すようにっても強気に対抗できるか。

 アステリアはとにかくアスター神殿の力が強い。30年前のアスラン侵攻で大神殿は壊滅したとはいえ、各地にある神殿は独立独歩の気風がある。

 神殿に対して横暴にふるまうのは、子爵程度には無理だろう。王族だって命じることはできないくらいだし。


 「アルテ子爵と、婚姻を申し込んだギメル男爵が、人並みの理性と知性を持ち合わせた方ならばよろしいんですけれど」

 「宰相の後ろ楯っつう強気と、神殿に対する畏れ、どちらが上かってな話ですわな」

 「押し込んで連れ出すような真似はさすがにしないと思いますが…婚姻自体、神殿が認めなければ成立しませんしね」


 そっか。アスランと違って、アステリアの貴族なら結婚するのに神殿の許可がいるか。

 自分ところの領地の司祭が許可を出しても、バレルノ大司祭が「待った」をかければ取り消すこともできる。庇護を求めた女性を力ずくで引き摺りだすってことは、神殿に喧嘩を売っている行為だ。そんなもんは認められないと横槍を出しても問題はない。

 本人が自ら神殿から出て婚姻を望みますと言えば、さすがに大司祭だって何も言えないけれど。


 「大神殿の馬車にのっとる限り、手出しはできんよ。まあ、こないだみたいに襲撃されるってことはなくはねぇ。どっかの野盗が大神殿の馬車を襲い、駆け付けた子爵んとこの騎士団が撃退しましたが、エルディーン嬢以外は全滅しとりましたって言いだすのはあるだろうが」

 「それは俺たちが撃退すればいいだけですね」


 傭兵を雇えば話が漏れるかもしれないから、間違いなく襲撃してくるとすれば裏切らない騎士団だ。

 けど、全軍出撃させてはこないだろうし、反撃されて負傷や死亡なんてことになれば、野盗に討ち取られた騎士として汚名を残す。それでも向かってくるような忠誠心の塊だらけだと厄介だけど、そうはいないだろう。

 全員が全員、レイブラッド卿じゃああるまい。そうだった場合のことも考えてはおくけどさ。


 「賢者を前提に敵を推し量らない方がよくってよ。特にウルガは、過小評価をしないことは参謀としての美点だと思うわ。けれど、愚者はおつむりが足りていないから愚者。来年の種籾を今空腹だと貪るものよ」

 「さすがにそんなおバカさんだとは思いたくはないですが…」

 「貴族に生まれれば賢者になるのでしたら、私たちの悩みは半減するのではなくて?」

 「ええっと、つまり、押し込む可能性はある、と?」

 「もちろん神殿がむざむざと引き渡すとは思わないけれど。愚者の愚行は、賢者の妙手よりも推し量りにくいもの。油断してはならないわ」


 なんというか、苦労しているんだなあ…。

 兄のことをぼろくそに言っているし、色々とやられたことがあるんだろう。


 「同感だ。話が通じる奴と思うな。そこの馬鹿に散文詩を読み聞かせるくらい無駄なことと思え」


 完全に寝息を立てているユーシンを見て、思わず頷く。

 そうなると、攻撃を受けるのは必須と考えておいた方がいいか。

 俺たちが迎撃するとして、その間馬車の護衛をほったらかすわけにはいかない。二手に分かれられたら厄介だ。


 「エディさんたちは、今回は…?」

 「すまんな。アイツらは別口で動いてもらっとる。西北部からな、アンデットがうろついとるっつう報告が上がってきてよ。ちょっと調査してもらいにな」

 「アンデッド!?」


 アンデッド。つまり、死者がうろついているってことだ。普通に目撃されているなら、死霊系じゃなく、動く死体(リビングデッド)のほうか。


 「死霊術師(ネクロマンサー)だの、吸血鬼(ヴァンパイア)だのが現れたってんなら、早めに手を打たねぇと。となると、頼めるのはアイツらしかいなくてな」


 そっちも心配だなあ…調査ってだけなら大丈夫だろうか。


 「もちろん、解決して来いってんじゃねぇ。アンデッドだって確かな情報じゃあない。だがほっとけん。そういう類の話よ」


 エディさんたちは、俺らよりベテランの冒険者だ。うん。きっと大丈夫だよな。


 「クロム、そっち依頼されなくてよかったねぃ」

 「当たり前だ。動く死体なんて臭くてかなわん」

 「おばけ怖いしね!」

 「はい、さすがにやめなさい」


 ヤクモの頭を掴もうとしたクロムの手を止める。これはヤクモの戦略的勝利だろうか。

 まあ、あとで報復しないとも限らないけど…してやったりと上機嫌なヤクモと、ゼッタイニコロスと目で言っているクロムを見ながら思わず溜息が漏れる。


 「それで…出発なんですが、どうしましょう?こちらはギルドに荷物を預けてしまえばいつでも出れますし、特にもうやることはありません。

 三日後…くらいでどうですか?」

 「おう、わかった。三日後だな」


 こくん、と大司祭が頷いた瞬間、何故かユーシンの目が開いた。

 ぐ、と槍を握る手に力が籠る。それを見て、再びクロムの手が剣の柄にかかった。二人の視線が申し合わせたように、奥の扉へと向かう。

 その扉が、勢いよく開いた。


 「大司祭!」

 「どうしたい、リタ」


 やっぱりジョーンズ司祭は控室にいたらしく、緊迫した顔を開いた扉から覗かせている。

 どうしたんだろう…彼女も、イヴリン様については当然知っているんだろうし、王妃の前で乱雑な振舞いをする人でもないと思う。

 となると、なにかそうさせるほどのことが起こったってことか。


 「…戦の気配だ」


 小さく、ユーシンが呟く。その口許が、不敵に吊り上がっていた。


 「え、なにそれ?なんで?」

 「…大司祭、俺たちは席を外した方が?」


 ここは身分を忘れるところだというけれど…アスランの王子がいては困る話だってあるだろう。 

 もし本当に、戦の気配だというのなら、アスランが敵だって可能性もないわけじゃない。

 けれど、ジョーンズ司祭は首を振った。目の保養になるから、とかそんな理由ではなさそうだ。整った顔は、緊迫を保っている。


 「いえ、ファン様達もお聞きいただいた方がよろしいかと」

 「では、私が下がりますか?それとも、聞いていたほうがよろしくて?下がった方が良いのであれば、お茶の用意は私が引き継ぎますわ」


 ジョーンズ司祭はしばし目を閉じて考え、そしてまた首を振った。


 「いえ、イヴリン様。知っておいていただいた方が良いかと」

 「なら、このままいさせていただくわ」

 「おう。で、どうしたんだ。こりゃよっぽど面倒なことが起きたんだと思うが」


 もしかして、エディさん達がとんでもない情報を掴んできた、とか?

 …どうか、消息を絶ったなんてことにはならないでくれ。


 「はい。先ほど、旅の方が神官を一人伴って参りました。その神官はクローヴィン神殿の所属です」

 「…ああ」

 「クローヴィン神殿は、ギメル男爵軍に現在包囲されており、付近の村も占領下にある。救援を願いたい、と」


 しばし、沈黙が部屋を支配した。暖炉で薪が燃える音だけが、わずかに響く。

 それを破ったのは、イヴリン様の長い溜息だった。


 「ね?愚者の愚行というものは、推し量れないと言ったでしょう?」


*** 


 負傷した神官が齎した情報は、控えめに言って一大事だった。


 その前からアルテ子爵の派遣した騎士団と神殿は押し問答を続けていたが、五日前、突如そこにギメル男爵軍が加わったのだという。

 数は、たくさん。まあ、普通は百人越したら「たくさん」としか言えない。アスランなら十人隊旗が何本、百人隊旗が何本、千人隊旗が何本って数えればすぐに規模は把握できるけど、アステリアの騎士団や一隊の人数ていうのは決まっていないらしい。


 「逃げるのを捕まえるならそれくらいやるだろ?」

 「神殿を囲むくらいはあり得ると思うけど…近くの村を占領ってのはないんじゃないか?」


 神殿を囲むだけなら、まあ…良くはないけれど、脅しとしては有効だ。神殿が屈さなくても、エルディーンさんが責任を感じて出てくる可能性はある。

 けど、それはあくまで脅しだ。名目としては巻き狩りしてますでも、軍事演習中ですでもいい。けれど、手を出したらそれはもう、脅しじゃない。


 王家に認められた神殿の領地を占拠する。


 それは、言ってみれば侵略だ。よほどの名目を用意していない限り、潰されるのは男爵家だろう。

 男爵っていうのは身分的には騎士の一つ上…むしろ、何かで功を立てて領地をもらった騎士くらいの階級だ。横暴を押し通せるような立場じゃない。

 それとも、よほど宰相の後ろ楯を妄信しているのか。


 「ギメル男爵は、クローヴィン神殿で不法な薬物が製造されている。それを暴き、神殿内に囚われて売春行為を強要されている女性らを救うのだ、と主張しているようです」

 「で、誰の命令を受けてンなことしてるんだって?」

 「王家の勅令を受けたことを示す聖剣旗はないようですわ」

 「当然でしてよ。陛下がそのようなことを耳にいれましたら、此度は御自ら御出陣なさいます」


 ふん、とイヴリン様は鼻を鳴らした。


 「クバンダの蜜はもっていなくても、おそらく何かしらの薬物はあるのでしょうね。…男爵の軍の中に。神殿が耐えかねて門を開けて調べて見ろと言えば、それを取り出して見せる気でしょう」

 「ついでにあの小娘をヤク漬けにしちまえば二度と逃げないし逆らわん。三文芝居だな。反吐が出る」

 「そして男爵は哀れ薬物で廃人になった婚約者を泣きながら抱きしめ、永遠の愛を誓う…ええ、本当にくだらない脚本ね。こんな筋書きを思いつく男爵の頭の中には、何が入っているのかしら。少々興味をそそられましてよ」


 そこまで用意しているかはわからないけれど、ないとは言えないよなあ。

 大神殿が麻薬売買にかかわり、それによって左方の大司祭、ドノヴァン大司祭が亡くなったのはつい先月。もう鎮火した話題じゃない。今でもそこったら中で話されているし、そろそろ王都以外にも飛び火しているだろう。


 けれど、だからと言ってアスター神殿がどこもかしこも薬物汚染されている、なんてことは誰も思っていない。もともと、大神殿左方の腐敗は誰もが知っている秘密だった。だからこそ、ああ、そうかと受け止められたわけで。

 いきなり何の証拠もなく、軍を派遣して制圧するような理由にはならない。誰もが「は?」と思い、男爵の凶行だと怒りを覚えるような所業だ。


 「大司祭。すぐに救援要請を陛下にお出しください。これは軍を出すしかないでしょう」

 「…けれど、宰相はあらゆる手段で邪魔をする。男爵が捕縛されて宰相の名を出せば、それだけで首を飛ばすには至らなくても中々痛い傷になるはずでしてよ」


 知らぬ存ぜぬを貫けば、宰相の名で好き放題したい連中には、いざとなれば捨てられるという事実を突きつけることになる。それは、忠誠心や愛国心で纏まっているわけではない宰相派にとっては、大きなひびを入れられる一撃だろう。

 だからと言ってウルガさんの味方になるわけじゃないけど、敵が大きな一団じゃなく、小さな集団になるのは良いことだ。各個撃破すればいいわけだし。

 となると、当然妨害はするよなあ。気付かず見過ごしてくれるような相手なら、イヴリン様がとっくに隠居させて宮廷から追放しているだろうし。


 「それらを跳ね除けて軍を出すにしても半月は浪費するわ」

 「…半月もすれば新年を迎えるのだから出陣は見送るべきだ、年末に軍を起こすのは縁起が悪いと言われますね」

 「そんな習慣があるんですか」

 「ええ。新年を迎える日々を血で穢すな、と。

 クトラ傭兵団は…アスター神殿の救援はさすがに引き受けてくれませんね。私自身が率いれば別ですが、さすがに動けない…」


 ウルガさんの整った顔に、何とも言えない苦みが滲む。


 「万を超す規模の軍をその日のうちに出動させられるアスランとは比べられたくはありませんが、アステリア聖王軍は出陣までに時間がかかるんです。だから、冒険者に本来なら軍がなすべきことを依頼するのですから。

 宰相が独断で軍を動かし、アスランに攻撃を仕掛けるのを防ぐためでもあるのですが、最低でも私と宰相の認可は要ります。陛下が出陣!と叫んでも」


 そうして時間を稼いでいるうちに神殿が落とされて「薬物」が見つかれば、大神殿への攻撃の材料になる、か。

 大神殿右方が聖王陣営なのは、宰相も良く知っていることだろう。バレルノ大司祭は一時宰相にとも請われたような人だし、政敵とみなされているのかもしれない。


 「…ゴーダ伯爵家にも救援を要請いたしましょう。伯爵は女神への信仰も篤く、バルト陛下に忠誠を誓っておられる。クローヴィン神殿まで十日程度だ。王軍の派遣を待つより早いかもしれません」

 「ええ。同時にお願いします。ファン、貴方がたは…」

 「はい。明日にも出立しますね」

 「え?」

 「え?」


 キョトンとした顔で、ウルガさんは俺を見る。なんか変なこと言ったか?


 「えっと…、俺たちだけでも向かった方がいいですよね?援軍が来るって知らせないと士気が落ちますから」


 援軍の見込みのない籠城戦は悲惨だ。できるだけ早く助けが来ることを教えないと、中から崩れてしまう。


 「…危険ですよ?」

 「俺たちは、冒険者ですよ?」


 危険を冒す者。なにも間違っていない。


 「ウルガ叔母さん。俺らがそんなクソ雑魚に後れを取るとでも?」

 「それは見くびられたものだ!百程度なら、俺一人で蹴散らして差し上げよう!」


 さすがのユーシンでも百人斬りは無理だろうけれど、百人突破なら軽々とやってのけそうではある。


 「クローヴィン神殿は、いざという時は近隣の住人を収容できる広さってことですよね。そこを隙間なく包囲するなら、千は必要でしょう。男爵家がそこまで兵力を持っているとは思えないんですけど、どうでしょうか?」

 「騎士団だけなら、それこそ百もいないはず。兵や傭兵は連れているでしょうが、家の規模からして多くても二百程度ではないかと思います」

 「それなら、門に集中してあとは巡回兵を置くくらいですよね。制圧した村にも兵を裂くでしょうし。なら、矢文を神殿の中に撃ち込むくらいの隙はありますよ」


 別に絶対中に入らなきゃいけないわけでもない、要は援軍が来ることを知らせられたらいいのだから。


 「できれば、知らせを持ってきた神官さんに状況を詳しくお聞きしたいんですけど…」

 「ああ、そうでしたわ!ファン様。その神官を助けてここまで連れてこられた方が、アスランの方なのですけれど」

 「アスランの?」

 「ええ。アニスたちが、麓の村で見かけたと言っているのですが」


 麓の村?マルダレス山の?

 まさか、リディアか?

 竜騎士団は村へ行くことなく帰還したけれど、リディアは心配だからと一緒に下山して、その後飛竜を呼んでアスランへ帰国した。そんなに話したりはしていないと思うけど、見掛けられててもおかしくはない。

 一連の事件に関する報告書をその時に持たせているから、兄貴がそれを読んでなにか行動を起こした可能性もある。


 「すいません、すぐに会います。案内してもらえますか?ろくに挨拶もできず退出することをお許しください。すいません」


 なんだろう…何かあったんだろうか。立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。


 「お気になさらず。ご武運を」

 「ありがとうございます。レディ・イヴリン」

 「待ち合わせ場所なんかはギルドに依頼書と合わせて届けるぜ。今日のうちにな」


 それなら、明日ギルドに荷物預けて依頼を受けた時に確認すればいいか。

 こっからクローヴィン地方へは馬を使えば三日程度。そっから国境の街ラバーナまでは更に十日はかからないかな?

 最悪、ラバーナで待ち合わせをすればいい。あそこにはアスター神殿も冒険者ギルドもあるから、行き違いにはならないだろう。

 ラバーナまでの街道は整備されているし、護衛なしじゃ危険なわけでもない。できれば別の護衛を雇ってほしいけど。


 「くれぐれも、無茶はやめてくださいね?貴方がアステリアの貴族に殺されたなんてことになったら、今度こそアステリア聖王国の命運は尽きますから」

 「俺の仲間は強いですから、大丈夫ですよ」


 それにそれで武運拙く俺が死んだとしても、そのことで親父たちがアステリアを攻めることはないだろう。むしろ、俺にしては頑張ってと褒めてくれるのじゃないだろうか。

 もちろん、死ぬ気はない。まだまだ死ねない。


 「ウルガさんも、無理はしないでくださいね。倒れたりしたらそれこそ母さんが乗り込んできますよ?親父の尻をひっぱたいて馬にして」

 「わかりました。気を付けます」


 苦笑八割ではあったけれど、ウルガさんは笑ってくれた。

 まずは情報収集。それから出立の用意だ。今日も、飯作っている時間はないなあ。ギルドで食べるか。昼飯もそろそろ食わさないとユーシンが野生に戻っちゃうし。


 「ジョーンズ司祭。案内をお願いします」

 「はい。では、此方へ」


 手招きされたのは、入ってきた入り口ではなく、控室へ続く扉の方。あちらにも出入り口があるみたいだ。


 「では、また」

 「ええ。お土産期待していてよ。だから、必ず帰ってきてくださいましね?」

 「勿論」


 俺の答えに、イヴリン様はにこりと口許を持ち上げた。

 ジョーンズ司祭に導かれて控室に入ると、まさにお茶を出す寸前だったようで、茶器にお湯が入って温められている。茶菓子の類はないようなので、元々それほどウルガさんにもイヴリン様にも時間はなかったんだろう。お茶を飲んだら解散な予定だったんだな。


 「誰が来ていると思う?」

 「リディア…だろうなあ」

 「あの竜騎士のおねーさんだよね?ぼくのこと、覚えてるかなあ」

 「一月前だし、忘れたりはしないと思うけど…」

 「腹が減ってきたな!」


 建物から出ると、気温差が身に染みる。外套を羽織ってくるんだったなあ。

 朝よりも風が出てきているし、天気も悪い。今日は洗濯物を干してないから天気が悪いのは構わないけれど、雨が降ったら濡れて帰るのは嫌だな。そう思うくらいの気温だ。


 「飯作る暇がないから、昼も夜も外食だ。いいかな?」

 「肉なら別に」

 「俺もだ!」

 「何度も言っているが、肉は食材名であって料理名じゃないっ!」


 異論なし、と受け取っておこう。

 迷路のような生け垣は、壁に当たって終わった。おそらく、大神殿右側の建物だろう。大聖堂より奥の、神官たちが生活する居住区あたりじゃないかなと思う。

 重そうな両開きのドアを軽々と開け、ジョーンズ司祭は俺たちを振り返った。


 「さあ、どうぞ。寒かったでしょう?外套はありませんの?」

 「そんなには寒くないかなと…失敗しましたね。アスランよりは冷えないので、我慢できないほどじゃありませんが」

 「外套をお貸しいたしましょうか?」

 「その貸した外套でやべぇことすんだろ?絶対借りるなよ。寒けりゃ俺の上着を貸してやる」

 「クロムのを借りたらもっと見た目がやべぇ奴だって…どう考えてもキツキツだ。ジョーンズ司祭、お気持ちだけ借りておきます。そこまで寒くはないので」

 「そうですか。でも、寒くなったら言ってくださいましね?」


 あの、クロムの暴言も一応否定しておいてほしいんですが…

 ジョーンズ司祭は笑顔で俺たちを中へと入るように促したまま、特にその件については触れなかった。これは…突っ込まない方がいい気がする。

 かわりに、神殿内に足を進めた。の窓から入る陽光で、石造りの廊下は進むのに問題がない程度には明るい。神官たちがある人は急いで、ある人はゆっくりと歩いていた。皆、ジョーンズ司祭に気付くと笑顔で会釈をする。


 「ウィル、いるかなあ」

 「このくらいの時間なら、ロットと一緒に出立の準備をしていますね。道すがらの神殿に持っていく書類などを用意しなくてはなりませんし」

 「頑張ってるんですね」

 「ええ。本当に」


 ウィルさんとは、馬に会いに来た時に何度か話をしている。まだ細いけれど、顔色がずいぶんよくなった。俺に何か言いたそうにしている時があるのが気になるけど、今回のアスラン行についてだったのかもしれない。


 「こちらです」


 ジョーンズ司祭が示したのは、ドアがいくつも並ぶうちの一つだった。ドアにはプレートが付けられ、そこには『治癒室5』と書いてある。少なくともあと四つ、同じような部屋があるんだな。

 軽く、そのドアをジョーンズ司祭の拳が叩いた。


 「失礼します」


 今度はゆっくりとドアを開けつつ、司祭は中へと柔らかい声をかける。

 ドアの隙間から見えた感じだと、ベッドがいくつか並んでいるようだ。『治癒』の御業で傷を癒しても、体力なんかが即戻るわけじゃない。重傷ならしばらくここで寝泊まりして、様子を見たりするための部屋なんだろう。

 

 「おお、これはこれは!またも日が沈まぬうちに逢いに来ていただけるとは実に嬉しく思いますぞ!できれば日が落ちた後の逢瀬の方が末将(それがし)としてはより一層嬉しゅう思いまするが!」


 …。

 え、えーっと…。

 この、声って。

 クロムを見ると、ものすごく嫌そうな顔をしていた。


 「…リディアじゃない、みたいだな」

 「ええ~?」


 ヤクモが残念そうな声を上げる。ああ、そうか。ヤクモはろくに話してないもんな。記憶に残っているかさえ怪しい。


 「ファン様?」


 振り向いたジョーンズ司祭が怪訝な表情を浮かべる。


 「どういたしまして?まさか、具合が?それはいけませんわ!隣の部屋が空いておりますから、ささ、そちらに…」

 「さりげなく連れ込もうとするんじゃない!」


 クロムが威嚇しながら俺とジョーンズ司祭の間に割って入り、それから後ろ姿でもわかるくらい深く息を吸って吐いて、部屋の中へと踏み込んだ。

 慌ててその後を追う。

 

 部屋は、広いとはいいがたいけれど清潔で、俺たちの宿の部屋より上等だった。


 おかれているベッドは四台。縦横に並び、それぞれ付き添いが座れる椅子と小さなテーブルが置かれている。かけられた白いシーツは新品ではなさそうだけど、染みひとつない。窓にはガラスまで嵌っている。そのせいか、ベッドがぎっちり詰められていてもそんなに閉塞感がなかった。

 そのベットは、奥の二つが利用中だ。

 向かって右には、若い男性。たぶんこの人が、知らせを持ってきた神官さんだろう。顔色は悪く、肩から胸にまかって巻かれた包帯が痛々しい。


 「ああ、起き上がってはいけません」


 何とか起き上がろうとする神官さんを、ジョーンズ司祭は押しとどめた。


 「熱もあるのですから、無理をしてはいけませんよ」

 「申し訳ありません…司祭様」

 「末将もかなーり無理をしてここまで参ったのでござるが!?」

 「知るかよ。死ね」


 甲高い抗議の声に、クロムが実に端的に返答する。

 それでやっと、左側のベッドを占有する人物は、こっちに気付いたみたいだった。


 「おおお!クロム!と、いうことは…」

 「ウー老師(せんせい)、何してるんだよ…」


 白いシーツを惜しげもなく皴にして、どでんとその人…兄貴の守護者(オドンナルガ・スレン)、ウー老師は転がっていた。


 見たところ、怪我なんかは一切なさそう。ひょろりと長い口髭と顎髭も変わりない。

 さすがに、香は炊き込めてないみたいだけど…あれ、ものすごく臭いんだよな。


 「星竜君(わがきみ)の意向以外で末将が大都を離れることなどござらぬよ」


 ふぬふふふと含み笑いをする顔は、どう見ても悪巧みをしているようにしか見えない。

 けど、この人はこんなだけれど兄貴が名代として指名するたった二人のうちの一人だ。

 そんな人が、何もなく兄貴の側を離れるわけは、ない。


 『何があった?』


 タタル語へ切り替えたのは、神官さんに聞かせられない内容かもしれないからだ。まあ、わかっちゃうかもしれないけど。


 『…先日、千人長(イル・ミンガン)の選定がございましてな』


 ああ、確かにそんな季節だ。年明けとともに、新しい千人長が発表される。

 アスランの兵制では、最低単位は十人。その十人長を十人束ねるのが百人長で、百人長を十人束ねるのが千人長だ。一般的には、ここから将軍と呼ばれる立場になる。

 ちなみに、守護者の権限は千人長と同じ。いざって時には無条件で千人までの指揮が許されている。ウー老師なら兄貴の名代として、星竜親衛軍二万の指揮ができるけれど。


 『その候補の一人から、よしなに、と少々金子を送られまして』

 『賄賂じゃねぇか』

 『そなたの名、覚えておこうと約したのです』


 うん、普通はそこで落とす側にそいつの名前入れて、賄賂を突っ返すよね。けど、この人そうじゃないんだよね。


 『ま。最終候補に名前が残らなかったので、覚えておいただけで終わり申したが』

 『その金子…』

 『瓊花楼で一晩遊んだらなくなりましたなあ!その程度の金子だったというわけでござる』


 瓊花楼は、大都でも有数の妓楼だ。高いことで有名な。


 『あの、大金払ってくだらんおしゃべりして、やれるかどうかはわからんっつうクソな店か』

 『それは違うぞよ、クロム!あのような店は欲を発散させるために行くのではない!魂を清めるために足を運ぶのだ!まあ、そなたのような下半身の方が優先される年ごろではわからんだろうがのお』


 うん。つまり、賄賂使いきっちゃったのか。


 『そうしましたら、その何某め、拙者を逆恨みしましてなあ。先日斬りつけられまして。危うく逃れたのですが、これがしつこい』

 『逆恨み…?』

 『星竜君の知るところとなり…お優しい星竜君は、それであればしばし大都を離れよと若君への使者となれと申されまして』

 『で?大都やトールになんかあったのかよ?』

 『ですから、末将が危機なのですぞ!

 …まあ。星竜君におかれましては、若君がおおいに戦われ、過労により半日以上昏睡していたことを報告いたしましたら、おきゃあっ!と叫ばれてしばらく目を開けたまま気絶しておられましたが』


 兄貴、ほんとに何やってんの?

 す、とウー老師は懐に手を入れた。にゅるりと出てきたのは巻かれた羊皮紙だ。


 『どうぞ。星竜君からの書状にござる』


 差し出されたそれは、なんというか…

 あの人の懐に入ってたのかあ…なんか、生温そうだな…。筒に入れといてほしかったな…。

 そう思うと、手が出ない。クロムも同じなようで、けれどたぶん、俺への忠誠がアレを手に取れ、主に変なもん持たすなと言っているんだろう。絶対触りたくないクロムと、紅鴉の守護者が内面で戦っている。そんな顔をしている。


 『トールからの手紙か!俺のことは書いてあるか?』


 そんな俺たちの横から、ユーシンがひょい出てきて羊皮紙を手に取る。

 一瞬の躊躇もせず、ユーシンは縛っていた紐を解いた。普段なら人の手紙を勝手に読むんじゃありませんと怒るところだけれど、今は…黙認しよう。うん。


 『トールの字だな!』


 ユーシンが広げてくれた羊皮紙を覗き込むと、そこには綺麗だけれど癖のある、懐かしい兄貴の字が並んでいた。

 しかも、西方語だ。


 「ぼくも見ていい?」

 「ああ。西方語だから読めるはずだぞ」


 確か、ウー老師は話せるけど読むのは未だ完璧じゃないんだっけ。

 ってことは、読むことを見越して読めない字で書いたのか。


 《親愛なる弟よ。この手紙がお前の手元に届くころには、ずいぶんとアステリアも冷え込んできていることだろう。

 お前は幼いころから寒くなると腹を壊していたな。ちゃんと暖かくしているだろうか?腹巻はもっていったと思うのだが、破れたりはしていないだろうか。また、本を読んだまま寝てしまい、身体を冷やしていたりはしないだろうか。兄はとても心配だ。

 

 報告書は読ませてもらった。

 やはりお前は強い子だ。兄は心の底から誇らしい。その勝利を祝して、大都で花と菓子を一万個ほど配った。詳細を民に知らせるわけにはいかぬので、紅鴉が恩赦を施せと開祖より夢の中で言われたということにして配ったぞ。大好評であった。

 辛い戦いだったであろう。なんでも、尽きぬ山の風を転移させたそうだな。それで凍えたりはしておらぬか?腹は大丈夫か?地面から来る冷えは大変に身体に悪い。座り込んで腹や尻を冷やしていたりはしないだろうか?》

 

 「間違いなく、トールの手紙だな。偽物にはこんなアホな内容は書けん」

 「ファン、そんなお腹弱かったっけ?」

 「…子供のころは、それなりに」


 たぶん、俺の目はかなり遠くを見ている。故郷を懐かしむとかではなく、目が死んでいるとかそういう意味で。

 

 《此度の戦い、兄も陰ながらお前の役に立てたようで非常に嬉しい。だが、やはりいざという時にすぐに救援に向かえぬのは、身も心も裂ける想いだ。

 よって、越権行為ではあるが、紅鴉親衛隊(ナランハル・ケシク)を国境に配備することとした。

 本来お前の意志でしか動かせぬ紅鴉親衛隊をに命を下したことは詫びる。罰として三日間お前の侍従となろう。

 腹も暖めるので安心してくれ》


 「兄貴、これは冗談だよな…?配備は良いとして、侍従って…」

 「安心しろ。追い払う」

 

 《将としては、本人の強い希望があったのでヤルトミクを指名した。ヤルト爺も最後まで粘ったが、さすがに万人将を出すわけにはいかぬ。なので、爺にはサライの守将を命じた。おそらくこれが、爺のアスラン軍での最後の任務となるであろう。その任務を悔いあるものとせぬよう、何かあればすぐに頼れ。

 ヤルトネリ将軍とその奥方の二人で、お前の腹巻を編むと申していた。ちゃんと受け取るのだぞ》


 「どんだけファンのお腹を守りたいの…?」

 「俺に聞かないでくれ…俺が一番知りたい…」


 《灰色の丘陵付近にクリエンを設ける。この手紙をお前が読むころには…あのスカポンタンが道をそれずにお前のところまで辿り着いていれば…そのころには設営が終わっているだろう。

 あれから手紙を受け取ったら、すぐに追い返してくれて構わん。そのつもりで護衛の傭兵には、行ってすぐに取って返す少々過酷な日程になると伝えてある。その分報酬も多く渡した》


 「傭兵…?」


 部屋の中には、ウー老師と神官さんしかいなかった。


 「あい。姉弟二人連れの傭兵でしてな…少々、腕力に訴える悪癖はございまするが、信用のおけるものにござる」


 ウー老師、武芸とかそっちの方はからっきしだから、普通に暴力に弱い。馬だって乗っているのがやっとなんで、今回どうやって来たんだろう。馬車かな?


 「姉の方に馬車に相乗りしてはどうかと提案いたしましたら、末将の持っておりました杖を真っ二つにへし折りまして…」

 「あんたも真っ二つにへし折られたら良かったんじゃないか?」

 「何を申す!星竜君の…アスラン王国(わがくに)の大いなる損失にござるぞ!」 


 うきゃーっと怒っているけれど、とりあえずこういう無礼…というか暴言?について、怒って見せるだけで済ませるのは、その…いいところの一つだと思う。二つ目を問われたら困るけれど。

 

 《最後に。

 クロム。よく弟を援け、守った。お前は良い守護者だ。

 ユーシン。その槍、ますます鋭くなったようだな。一手合わせることを楽しみにしている》


 ぐ、とユーシンの羊皮紙を握る手に力が籠った。


 『トール…』


 目が、きらきらと輝いている。頬が紅潮しているのは、その一文がユーシンの血潮を滾らせた何よりの証明だろう。


 『見ろ!トールが、俺との手合わせを楽しみにしていると!』

 『ユーシンがそれだけ強くなったって、兄貴も思ったんだな』


 食い入るように、何度も何度もその一文をたどるユーシンには、俺の言葉はたぶん届いていない。


 『まったく。俺にはこれだけか。特別褒賞をはずむとか書けないのか。アイツは』


 そんなユーシンとは対照的に、クロムは鼻を鳴らしてつまらなさそうに一歩引いた。

 けれど、耳たぶが赤くなっているあたり、まだまだだな。


 「いやいや、若い若い。良いですなあ。見目麗しい若者が、頬を染めて居る光景というものは」

 「なんか老師が言うといきなり微妙になるなあ…」

 「ひどい言われようですぞ!」

 「なんて言ってるかわかんないけど、ユーシンもクロムも嬉しそうだねぃ」


 なんだかヤクモも嬉しそうだ。うん、故郷からの手紙っていいものだな。

 最後に、と書いてあるが、文はまだ続いている。


 《弟よ、ちゃんと食事をとり、服はほつれたら新しいものを買い、夜は読書ではなく睡眠に充てるのだぞ。アスランよりも暖かいといつまでも秋服を着ずに、冬服に衣替えし、肌着は見えないからと繕いだらけのものを着たり、安かったと奇天烈な柄のものを襤褸布に変わるまで着ないようにせよ。

 それから…》


 兄貴、密偵でも放って俺の生活を確認しているんだろうか。なんで人の服の内側を知ってるんだよ。

 少々冷や汗を背中に伝わせつつ目を通してみたが、後は俺の腹が壊れることの心配がつらつらと書かれているだけだった。


 『…これ、西方語で書かれててよかったのかなあ』


 一応、軍事機密が書いてあるような気がする。

 もし、宰相派の誰かの手に渡れば、アスランが国境に二太子の親衛隊を配備して、侵略に備えるっておもわれ…ないか。どうみてもちょっとおかしい人の手紙だ。

 兄貴、それを狙ってこんな文章を…書いてないな。間違いなく素だ。


 『むろん、問題ないと判断したから書いておられまする』


 ひょろ長いあごひげをさすりながら、ウー老師は口の端を歪めた。


 『何より末将が、むざむざと星竜君の書状を若君以外には渡さぬと知っておいでであらせられるよ』

 「まあ、それもそうか」


 守護者(スレン)は主にすべてを捧げる。

 主が守護者にできるのは…その忠誠を、能力を、知ることだ。

 朝日が東から昇るのを疑わないように、守護者が命を遂行することを疑ったりはしない。


 「さてさて。若君」


 にゅ、とウー老師の目が細くなる。


 「そちらの御仁から聞かねばならぬことは、全て末将が聞きおよんでおりますが」


 急に視線を向けられて、ベッドに横になっていた神官さんは何か言おうとして口を開いた。


 「えと、たまたまこの人が俺に用事があっただけで、俺たちはもともと、バレルノ大司祭に雇われた冒険者なんです」

 「大神殿は、大神殿は助けてくださいますか!」


 起き上がろうとした神官さんを、ジョーンズ司祭がやんわりと止める。

 彼には間違いなく休養が必要だろう。傷は御業で癒せても、体力は回復しないし熱も下がらない。『治癒』と『快癒』を重ねがけするのは、掛けられる方にも負担がでかいと聞いたことがある。


 「はい。もちろん」


 うわっと、神官さんの顔が歪んだ。ぼろぼろと涙があふれ出し、頬を伝っていく。


 「良かった…ああ、アスターよ、感謝いたします…」


 これだけ感激されるってことは…かなり状況は悪そうだ。

 ちらりとウー老師を見ると、声に出さず口だけが動く。

 

 村落、壊滅。


 ウー老師の口は、そう伝えていた。

 え…嘘だろ?制圧って、そういう意味なのか?

 まさか、自分の国の村を、攻め落としたとでもいうのか?


 「早く、助けて…助けてください」


 涙をこぼしながら、神官さんは喘ぐように求める。

 手紙を見ていたクロムたちも、視線を彼に移していた。


 「僕の生まれた…育った村が…燃えて、燃えていて…母が…か、母ちゃんが…」

 「…今は、泣いて泣いて、おやすみなさい」


 嗚咽を漏らし、顔を覆った神官さんの頭を、そっとジョーンズ司祭の手が撫でる。

 わずかに、ジョーンズ司祭が何か呟いた。

 ほんわりと、その頭を撫でる手から光があふれ、神官さんに吸い込まれていく。


 「ええ、おやすみなさい」


 神官さんの顔を覆う手を外すと、涙はまだ流れていたけれど、穏やかな寝顔があった。


 「『静心』の御業です。少し眠ってもらいましたわ」

 「彼の怪我なんかは…」

 「肩を矢が貫通しておりましたが、そちらの方のお連れ様がすでに抜いて応急処置を施していただいておりました。『治癒』の御業も行使いただいたようなのですが、異なる神の御業なので、効果が薄かったようです。それでも助けてくれた。感謝してもしきれませんわ」


 そっと涙をぬぐい、寝顔を見つめるジョーンズ司祭の顔は、髪に隠れて良く見えない。

 20年前、彼女はこうして傷ついた若者をたくさん見てきたんだろう。そのなかには、傷つくだけじゃなく、命を落とした人もいたんだろう。

 その命の上に、今のアステリアの平和はある。

 いくら平和でも、賊や魔獣やゴブリンなんかに襲われて壊滅する村は当然あるけれど…自国の貴族に燃やされたなんていうのは、20年前の内乱以来ないはずだ。あってたまるか。


 「ファン。すぐに出立しよう」


 先ほどまでの喜びを拭い去って、ユーシンが告げる。少し微笑んでさえいるような顔。

 こいつが激怒しているときの顔だ。


 「そうだな…明日、なんて言ってる場合じゃないか」

 「お待ちなされよ。今すぐ出立したところで死者は生き返らぬ。以逸待労を敵に与えることはあるまい」

 「けど…っ!」

 「拙速あれど遅巧なしとは申しますれど、無謀無策の突撃を拙速とは申しませぬ。頭を冷やしませい」


 口調は荒くもなく、声も大きくもない。

 けれど、反論することもできずに、なんとはなく頷いた。いや、頷かされた。

 それを見て、顎髭を撫でながらウー老師はベッドの上に起き上がり胡坐をかく。

 その顔は相変わらず悪人面というか、飄々としているけれど、双眸だけは異様なほど強く底知れない光を宿していて。

 が、どうやら寝転がっていたのはだらけていただけではないようで、「オヒョッ」と聞こえる悲鳴を上げて身を捩った。


 「あたたた…腰が…尻が…」

 「だ、大丈夫?」

 「馬車を一日走らせていたもので…」


 出立を遅らせるための演技ではないっぽい。

 それに、この人が痛くて動けないというなら、俺たちだけで出立するだけのことだし。


 うん。やっぱり早く行った方がいいよな。無事な村があれば警告して避難してもらうことはできる。逃げる場所は…ああ、そうか。その逃げ込む場所も包囲されているのか。


 逃げてきた村人を収容するために門を開ければ…そこから、兵がなだれ込んでくる。

 警護に当たる若い衆はいても、実際に戦える人間は何人いるんだろう。

 殺到する兵を押し戻しつつ、避難民を収納するのは、相当に統率力が優れた指揮官と連度の高い兵が必要だ。普通、そのどちらも神殿にはいないよな。


 俺たちが行ったからと言って、それができるわけじゃないけれど。

 もし、一人でも助けられたなら、無意味じゃない。


 そもそも、村を襲うってこと自体わけわかんないよ。

 そんなことをして、その後どうするつもりだったんだ?

 軍を動かし、村を襲撃して、村人を殺して…そこに何の正義が、大義がある?


 「兵者(へいは)国之大事(くにのだいじなり)…とは申せど、大事を小事と取るどころか、玩具と思うものはおりましてな…ギメル男爵とはそのような手合いにござる。

 ようやくご自慢の玩具の剣を振り回す機会を得たのであれば、ひとつふたつでは満足せぬ。探し出し見つけ出し、やれるところまでやりつくす。周辺で無事な村はござらぬよ」

 「…ずいぶんと詳しいな」

 「隣国に火種となるやもしれぬ莫迦がおれば、多少は調べておくものであろう?」

 「だからって、見捨てていいわけないじゃん!おじさん、ひどいよ!」


 あ、ヤクモにはこの人がなんなのか紹介してなかったな。それは後でいいか。


 「今、ひどい扱いをされたような気が…コホン。まあようござる。

 並みの兵法家ならば、そう言って準備を整えてから出陣を、と進言するところでありまするが」


 底知れない光を湛えた双眸が、笑みの形に歪んだ。


 「末将は、希代の兵法家。手は打ってござるよ」

 「そうか!では、すぐに行こう!」

 「…若君?」

 「ユーシンには遠巻きに言っても、な?で、どんな手を打ってる?それによってはすぐに出立するけど」

 「まず、星竜君が直々に雇ってくだすった傭兵姉弟へ指示を出しております。周辺で遊牧をしているフラガナの民に協力を要請せよと」

 「ああ…!」


 シムルグ河渡って遊牧をする彼ら…アスランと違って、遊牧は男の仕事らしい…は、当然付近の村人と交流がある。主食である麦は、定住して畑を持つ人々がいなければ手に入らない。アステリアが聖女王国から聖王国に代わっても、ずっと彼らは交易をおこなってきた。

 こちらに不利な条件を吹っ掛けられていると感じれば、すぐに馬賊に転じるのも遊牧民のやり方だから、そうならずに交易をしてきたということは、信頼関係が築けているってことだ。

 友人が危機にあるのなら、駆け付けるのに迷いはない。


 「さらに、灰色の丘陵には現在、常に出陣できるように整えられたクリエンがござる。そこへ助けを求めよと、一枚書状を渡し申した」


 思わずまじまじと、ウー老師の胡散臭い顔を見つめた。

 俺の視線を、当然とでもいうようにふんぞり返ってウー老師は受け止め、腰をそらしすぎて悲鳴を上げる。


 「あばばばば…と、ともかく。襲撃が行われたのは五日前。末将がそこな御仁を保護したのが二日前。傭兵姉弟が取って返して救援を要請しておれば、おそらくそろそろフラガナの民が動いておるはず。

 ま、あの姉弟も十人程度なら軽々と返り討ちにしましょう。周辺の村へ警告を発するべく神殿を脱出した神官もおるとのことなので…そこそこは助かるやもしれません」


 それでもそこそこか。


 「強さとは、相対的なものにござる。その強さを量るべく強者と相対することでそれを知ろうとする者もおれば、弱者相手に振うことで己は強いと思い込むものもおりまする。

 村を一つ潰して、その汚泥の如き矜持が満足すれば、しばらくは他の村は無事でありましょう。

 さすがに汚泥の質を量るには、末将の頭脳は清らかに過ぎまして。如何ほどで満足するのかはなんともなんとも…」


 たぶん、老師は一つじゃ満足しないと思っている。だからこそ、救援に当たる人手を増やすことを最優先したのだし。

 どちらが早いかはわからない。なら余計、人手は少しでも多い方がいいよな…?


 「そのうえで改めて申し上げる。万が一、万が一にも若君がそのような手合いの手に落ちれば、どのような愚行に及ぶかもわからぬほど、人の悪意を知らぬわけではありますまい。クロムやユーシン殿、それにそちらの少年も同じ道を辿る事になる。それを解ってなお、直ぐに発つと仰せか?」

 「…!」

 「明日。明日でようござる。明日になれば、無理をさせた馬車馬にも休息を与えられ、末将も同行できまする。若君らだけで闇雲に突撃するよりは、善き手を打てると約しましょう」

 「ついてくる気か?おっさん」

 「無論」


 クロムの声に、ウー老師は口の端を釣り上げた。


 「これは戦にござる。戦に、兵家が同行せずしてなんとする?」

 

 そう言い放ってふんぞり返り…また、悲鳴を上げた。

 …明日、付いてこれるくらい回復してんのかなあ?この人…

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