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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
28/89

善き者と交われば月の光、悪しき者と交われば蛇の毒(朱に交われば赤くなる)6

 東西を分ける街、サライで有名なものはみっつ。

 一つは、当然ながらシムルグ大橋。

 もう一つは、その試作品とも言われるザイダルの空中回廊。

 そして、最後の一つ…それは俺たちの前にそびえたつ、サライの回廊市場バザールだ。


 サライのバザールの事を、大都の人間は「大回廊市場アラウガ・バザール」に対して「小回廊市場バガ・バザール」なんて呼んだりもするけれど、サライの民は決してそう呼ばない。

 規模こそ小さいものの、大都の大回廊市場はサライの回廊市場を参考にして作られた、いわば「後輩」であり、決して「小」なんてつけられる筋合いはない!そうサライの民は胸を張る。

 そもそも、「回廊市場バザール」って名称自体、カリフタン語だしね。


 じゃあ、なんて呼ぶのかと言えば、「百花回廊市場ソーツェグ・バザール」。


 なんで百花とつくのか。

 その理由の一つは、一歩中に入ればすぐにわかる。

 

 回廊市場は周囲をぐるりと壁に取り囲まれ、入るには南大門の他、八つある小門から入場しなくてはならない。もうそれは、壁と言うよりは城壁だ。

 万が一、サライが責められ、城壁を突破されて侵入された際には、民たちはここに逃げ込むことになっている。

 何しろ、常に食料も衣服も燃料も…そして武器も文字通り売るほどある場所だ。侵入者も、高価な品物が山と積まれている場所に火を放ったりはしたくないだろう。

 サライの民全員を避難させることはさすがにできないし、籠城できるのも数日だけだ。

 でも、その数日が何百人、何千人の命を救うかもしれない。なんにせよ、備えないよりはいいだろう。

  

 回廊市場の中は、サライがどこででもそうであるように、石畳で舗装されている。

 違うのは、その石畳に使われている敷石が灰色一色ではなく、赤青緑に白…と鮮やかに彩色され、その色で様々な花を描いていることだ。

 

 東西南北約2イリ(約1,000メートル)のこの市場は、二本の大通りによって四つの区画に分けられている。

 それぞれの区画ごとに描かれている花は違っていて、それにより、今自分がどのあたりにいるのかがわかるようになっているんだ。

 春の花があればそこは大門から見て東北の区画、春房。秋の花なら西北の秋房と言うように。


 これが、百花の由来のひとつだ。

 由来のひとつ、と言うことは他にもあるということで、残りの理由はもちろんある。

 まあ、それはおいおい。まずは、ぽかんと口を開けて回廊市場を見上げている皆を促して、中へ入ろう。


 「屋根、あるね」


 空きっぱなしだった口をむにゃむにゃと動かし、ヤクモがなんとか言葉を紡ぐ。

 ヤクモだけでなく、エルディーンさんやタバサさん達も目と口を大きく開けて、目の前のサライ名物を見上げていた。


 決して、ヤクモ達の反応は大袈裟なわけじゃない。同じような顔をしている人たちが周辺にはちらほらいる。


 「そりゃ、あんだろ。回廊市場バザールだぞ」


 サライに住んでいたこともあるクロムが、ちょっとドヤりながら言い返す。でもさあ、クロム。お前も絶対、初めて見た時は同じ顔したと思うよ?

 馬鹿にしているんじゃなく、少しその感動が羨ましい。


 俺は正直、初めてこの回廊市場を見た時のことを覚えていない。冬になるとサライで過ごしていたけれど、当たり前にあるものだったからだ。

 本やお菓子を買ってもらったり、他の子供と一緒に小間使いをやって、お小遣いを稼いだり…幼い俺にとって、回廊市場は珍しいものでも何でもなく、どの街にもこういう施設はあるものだとさえ思っていた。

 けれど、回廊市場は大都とサライと、世界に二つしかないものだ。「おお、これがあの!」と感動してみたかったな。贅沢な望みだとは思うけれど。


 皆が視線を向けているのは、市場をすっぽりと覆う半球形の屋根。

 日の光に白く輝くそれは、透明度は低いけれど硝子製で、蜘蛛の巣のような形の支柱に嵌め込まれている。

 支柱は全部で三十六本。上から見れば円を描く外壁から伸びていて、日の光を反射して白く輝く様は白椿に例えられていた。

 これもまた、百花回廊市場の花のひとつだ。

  

 「はいはい、皆、口閉じて。中に入るよ」


 くすくすと笑いながらナナイが促す。慌てて口を閉じたヤクモ達の視線が向くのは、西方風の装飾が施された南大門だ。

 美しい弧を描く門は、夜間であっても開け放たれ、動くのは年に二回だけ。

 年末、全ての取引が終了した時と、年が明けて初売りが始まる時の二回だけだ。

 中に住んでいる人がいるから、小門は年末年始も開いているけどね。ただし、こちらは夜間になると毎日閉められるから、不動の南大門と違って開いてても閉まっていても物珍しさはない。


 「中はいると、また上向いちゃうとは思うけどね」 

 「仕方ないさ。それを見越して、南大門入ってすぐは広場になっているんだから」

 「やはり、入り口すぐの店の物は買わんほうが良いのか!俺は串焼き肉を食いたいぞ!」

 「残念ながら、百花回廊市場の入り口には食い物の屋台はありません」

 「な、なんだと!?」


 ユーシンも百花回廊市場に来るのは初めてだ。けど、大都の大回廊市場は何度も訪れているから、上を向いてポカンとしたりはしない。

 そもそも、ユーシンが建物に感動することってあるだろうか?食い物で出来た家を見たら感動しそうだけど。


 兵達が長椅子に腰かけてのんびりとした顔で警護する南大門を抜けて、回廊市場の中へと進む。

 なるべく真ん中を通らず、端っこから。その方が、中に入った時、さらに端へ寄りやすいしね。


 「良いよって言うまで上を見ないように」

 「うん?そなの?って…ふああああ!」

 「言ったそばからこれだ。だから田舎モンは…」

 「上みてふわわってなってんじゃないと思うぞ?」


 南大門を抜けた先。そこには、柔らかな日差しに照らされた百花回廊市場が広がっている。


 まっすぐ先へ進む大路は、アステリアの大通りに匹敵する広さ。

 その両脇にはびっしりと露店が並び、真ん中、左右の露店の後ろと三本の道が出来ていた。


 当然、並んでいるのは露店だけじゃない。大路に沿って建物がそびえている。

 全て四階建て、同じ高さに造られていて、一部屋ずつ縦に四店舗入っている建物もあれば、ワンフロアに十店舗以上ある大商店もある。

 ここに在る建物は、全て商店か飯屋か、そうでなければ宿屋だ。


 大路以外にも血管のように小路が建物の隙間を走り、よほどの真夜中でもない限り、どんな細い路にも人が絶えることはない。 


 その道を埋める、行き交う人々は実に多種多様。


 品を売る商人もいれば、買い物に来た客もいる。

 巡回する兵士に、配達の品を担いで忙しそうに駆けていく運び屋、のんびりと驢馬車を進める、仕入れに来たのか、仕入れに行くのかわからないひと。

 一団でどやどやと進んでいくのは、はるばる西の彼方から訪れた隊商だろう。旅装は汚れて草臥れているが、顔は明るい。

 同じく集団でまっすぐ進んでいくのは、品を売りに来たカーランの商人隊か。胸に行李を抱えているところを見ると、中身は紙のように薄い陶磁器かな。衝撃緩和剤として茶葉が隙間に詰められていて、それも売っていくのがカーラン流だ。


 「こっちよって~」


 ぽかんとまた目と口を真ん丸に開いてしまった一団を、広場の端へと誘導する。広場と言っても縦横歩いて五十歩分もないけれど、逆にその狭さが待ち合わせなんかに都合がいい。

 そして、こうしたおめめ真ん丸状態の人の一時避難場所としては、申し分ない。

 

 「しかし、美しいな」


 女の子たちをナナイと共に端へと寄せながら、ガラテアさんが視線を上げる。


 「サライに来るのは二度目。ここにはこなかったからな。話には聞いていたが…初めて見る」

 「そうなの?」

 「ああ。俺も…驚いた。これは、すごいな」

 「今年は特に甲乙つけがたい作品ばかりだったらしいからなあ。俺が住んでいた時と比べても、毎年レベルが上がっている気がする。流石は花の街、サライだ」


 俺たちの視線を追って、ヤクモ達も上を見上げた。


 「あ…」


 その口から、吐息のような声が漏れる。

 人は、本当に感動すると言葉を喪うよな。


 「すごい…アスター様…」

 「きれい…」


 少女たちは、自然と祈りを捧げるように手を組み、頬を紅潮させてそれを見ていた。


 見上げる視界に広がるのは、硝子を通して差し込む陽射し、それを受け止めて空に咲く、無数の花。

 花の模様が織り込まれた亜麻布だ。

 その亜麻布が硝子の天井の下にぴんと張り、市場全体を覆っていた。


 この花布こそ、この市場が「百花回廊市場」と呼ばれる最大の理由だ。

 大都の回廊市場はもっと広いけれど、こんな綺麗な仕掛けはない。いろいろな設備や規模自体は確かに「大回廊市場」の方が勝っているけれど…趣や美しさで言ったら、間違いなくこちらのが上だと断言できる。

 そりゃ、「小回廊市場」なんて呼ばれたくはないよな。


 大回廊市場に皆を連れてきても、こうして感動して震えるようなことは絶対にないだろう。群がる客引きやらに怖くて震えることはあるだろうけど。

 

 「なにこれ…なにこれぇ!!」

 「硝子の天井は陽射しを通すけれど、夏には暑すぎる。回廊市場自体、風を通す工夫があるとは言えな。

 そこでこうして千枚の亜麻布を組み合わせて、日除けとしているんだよ」


 亜麻布を通した陽射しは柔らかく、上を見上げても目に刺さるようなことはない。

 夏の一番暑い時期には、この布全体に冷却の陣が構築され、市場全体をひんやりと優しく包んでくれる。


 「この布は、半年かけて織り上げるんだ。そして、中でも特に美しいとみなされた布が、広場や大路の上になるように配備される。選ばれるのはとんでもなく名誉なことでさ。無名の職人が、中央広場の上に布が貼られたことで、今じゃ布を買うのに三年待ち、なんてことになったりする」


 そもそも、千枚の中に選ばれるだけですごいからな。職人だけでなく、一般の家庭からもエントリーされるけれど、千枚に選ばれた布を織り上げたって言うのは、それだけで結婚の申し込みが殺到するくらいだ。


 「アスランは羊と交易だけの国じゃない。染色と紡績と機織りの国でもある。このサライの布天井は、その象徴とも言えるな」

 「あの…でも、どうやって、こんな大きな布を張るんですか?」

 「良い質問だね。ちょっと、こっちを見てみて」


 俺が指さしたのは、南大門の上。

 布天上の端に、ぼんやりと黒い影が蹲っている。


 「あれは…」

 「石飛獣ガーゴイル…!?」


 シドの手が一瞬、背中の剣の柄に伸び…そのまま止まった。

 石飛獣は、結構有名な人造魔導生物だ。魔導士によって造られ、疑似生命を吹き込まれたもの。ゴーレムなんかと一緒だな。

 見た目は小型のドラゴンのようなものが一般的だけれど、大学で石飛獣の研究をしていた同期は、それ用に作った石像ならどんな形でも石飛獣になるんだと力説し、実際に「コレジャナイ石飛獣」を収集していた。

 まあ、自動的に石像が生成されるわけじゃないんで、下手くそが石像作ればなんかこう…格好悪いのもできるよね。うん。

 普通は侵入者撃退用に屋根なんかに設置しておいて、入ってきた招かれざる客を問答無用で追い返す…もしくは、拉致する恐ろしい番人だ。


 あと、『迷宮』に何だか知らないけど湧くらしい。そもそも、魔導士が作る石飛獣は、その『迷宮』に湧く種がモデルなんじゃないかと言う論文もある。つまりは別種だ。そっちは人造魔導生物じゃないからね。実際に見たことがないから何とも言えないけれど、『迷宮』に魔導士が仕込めるわけはないし、仕込む意味もないし、何らかの疑似生命が発生した後、石を触媒に小型のドラゴンのような形を取ったものと考えるのが自然だ。


 対処法としては、動く前に壊すか、それほど機動性は良くないから、突っ込んできたところを叩くか。

 

 だから、素早いシドの反応は、以前に対峙したことを物語っている。

 とは言え、ここは邪悪な魔導士のアジトでも、『迷宮』でもない。

 石飛獣はじっと動かず、布の端っこを抑えている。 


 「毎年年末、その年最後の商売が終わると、この石飛獣たちは布の端を掴み、中央広場に向かって飛んでいくんだ。

 そして逆に、年が明けて七日。初売りが始まる前に、全部で三十六体の石飛獣は新しい布の端を掴んで、自分たちの所定の位置に向かって飛んでいく。

 そうやって布をたたみ、また張り替えるんだよ」

 「すっごい!見てみたかったなあ!」

 「いつか、一人前の神官になったらさ、皆で見にこようよ!」

 「うーん、ごめん、張り替えはこの市場に勤めている人しか見ることはできないんだ。けど、新品の花天井はもっと色も鮮やかで綺麗だからね。ぜひ見に来てよ」

 「はいっ!いつか絶対、絶対見に来ます!その時は、エリーもナナイも一緒にね!」


 話を振られて、エルディーンさんは丸くしていた目をさらに大きく見開く。

 

 「いいね!行こうよ、エリー!」

 「わたし…」


 ぎゅっと拳を…消せない刺青の彫り込まれた手を握りしめ、それでも、エルディーンさんは大きく頷いた。


 「うん…!私、その頃には立派な冒険者になって、皆を守るわ!」

 「良い心掛けだ。なに、エルディーンは筋が良い。私くらいにはなれるのではないか?」

 「…それはむしろ、やめたほう…いや、何でもない。姉さん」


 すすす、と俺の後ろにシドが下がり、ガラテアさんの攻撃を防ぐ。言わなきゃ良いと思うんだけど、つい口に出ちゃうのも弟と言う立場から…なのかなあ?


 「兄さまたちも、是非行くべきって言わなきゃね」

 「うんっ!騎士様も、これ見たら元気になるよ、エリーちゃん」

 「…そうね。レイブラッドも、きっと…アスランに対する蟠り、きっと…」


 ロットさんとウィル、そしてレイブラッド卿は、お留守番…と言うか、打ちひしがれる騎士に神官二人がついている。


 結局、昨日、旅駱駝亭の予約は取り消した。

 万が一、何かあった時に迷惑が掛かる。正体はバレたんだし、素直にサライ離宮にご案内した方が良い。

 まあ、そう考えると、いいタイミングだったとも言える。この先、堂々とナランハルとしての権限を使えるわけだし、フフホトで仕事をするときに変な言い訳して怪しまれないわけだし。


 ちょっと祖父ちゃんが守護者二人に目配せしないか心配だったけれど、何も言われず、何もされなかった。俺がまいた種なんだから、俺がどうにかしろよ、と言う事だろう。その信頼、ありがたく受け取らせてもらう。


 祖父ちゃんとは逆に、怒り狂ったのは旅駱駝亭のご一家だ。

 

 大勢の宿泊がキャンセルになって損をした!と怒っているわけではなく…旅駱駝亭は人気の宿なんで、キャンセル待ちが必ずいるし…当然ながら激怒しているのは騎士の軽率な行動についてだ。


 「あんた、何考えてるノヨー!馬鹿ネー!大馬鹿ネー!」と罵りながら若女将はレイブラッド卿の尻に蹴りを入れ、女将さんは「その綺麗めな顔は帽子台なのか!脳入っているのか!ちょっと見せてみるよい!」と肉切包丁を持ち出し…女の子たちが怖がるから!と何とか説得できたものの、止めなかったら本気でやってたんじゃなかろうか、と言うくらいの迫力だったよ…。コワカッタ…。


 ちなみに、サライ離宮にはナナイの部屋があるので、ナナイは友人たちを部屋に招いてお泊りできたことにいたくご機嫌だ。

 ナナイが喜んでいるということはクロムの機嫌も良くなるということで、その原因とも言えるレイブラッド卿については、次なんかしたらヤキを入れる、程度に落ち着いた。

 

 お城に泊まれるなんて~と女の子たちは門をくぐる前からはしゃぎまくっていたけれど、そのはしゃぎっぷりの半分くらいは、落ち込むエルディーンさんを元気づける為だろう。

 

 それは中々効果覿面で、昨日は一日俯き、涙を浮かべていたエルディーンさんだったけれど、今朝は腫れぼったい瞼はしていたものの、元気よく「おはようございます!」と挨拶もしてくれたし、少しぎこちないけれど笑顔も浮かべてくれた。

 従者の失態は主の責任ではある。でも、騎士の暴走を止められなかったからと言って、彼女に何の罪があるというのか。

 自分より十も年上の、立派な騎士であるはずのレイブラッド卿が、嫌がらせに隣国の王子と交わした約束を破るなんて、普通は予想できない。予想できてたら、むしろ二人の主従関係が心配になる。


 そんなわけだから、俺はちっとも怒っていないよ、と何度言ったところで、彼女は気を使われたとますますへこむだけだ。

 きっとこの事は、いつか「そんなこともあったなー!」と笑い飛ばせるようになるまで…彼女を苛むだろう。ただでさえ、エルディーンさん黒歴史そういうの多いのに。

 

 だからこそ、友人たちが楽しい!嬉しいとはしゃぐことは、彼女の救いになる。

 とんでもない失態ではあるけれど、それを「良かった事」に結び付けて、慰めるんじゃなく、一緒に楽しもうとする友人たちの存在は、得難いものだ。


 俺のはとこも、「黒歴史、皆で築けば致命傷で済む」とか言ってたし。若い頃にやった馬鹿は、共有する相手がいれば封印したい記憶から、少し恥ずかしい思い出に変わるしな。

 

 ただ、「アスター大神殿一行にナランハルが同行している」と言う情報が流れた以上、大都に着くまでは「大神殿一行」と言うことがわからないようにするべきだ。


 なんで、まずは形から。


 この百花回廊市場に、神官服以外の服を買いに来た。それが、今日の目標クエストだ。


 「お待ちしておりました!」

 

 駆けられた西方語の挨拶に顔を向けると、二人の女性が行き交う人々の中から歩み出てきた。

 私服だが、彼女たちはれっきとしたアスラン騎士だ。実は、俺の士官学校時代の同期である。

 生まれも育ちもサライと言う彼女たちに、俺は昨日、同期のよしみ兼ナランハルとして、ひとつの指令を出した。


 百花回廊市場は広い。店は何百とあり、ありとあらゆるものが売られている。

 そこに案内人なしで踏み込むと言うのは、大海に羅針盤も海図もなく漕ぎ出すも同じこと。

 そんなわけで、彼女らに案内と護衛を頼んだんだ。あと、服の見立てとか。

 騙されて変な服買っちゃったら可哀相だしな。彼女らの性格を考えると、だからと言って新しい服を買いなおそうとは思わないだろう。

 それに、適正価格もよくわからない。

 たっぷり飾りのついた上着より、袖のない、無地の肌着の方がお高かったりするとか、俺にはそれが適切なのかどうか、さっぱりわかんないもん。

 女の子の服なんて、今まで買おうと思ったこともないんだからさ。ヤクモも俺と同レベルだ。

 クロムなら…とも思ったけれど、あいつがプレゼントを贈るなんてナナイくらいだし。ナナイに服を贈ったことはなかったと思うから、やっぱり戦力外ではないかと言う結論に達した。ユーシンは論外だしな。シドにも一応聞いてみたら、首を振りながらザリガニのように後退していったし。


 「いやあ、仕事で可愛い女のコと綺麗なおねーさんを着せ替えできちゃって、自分の服も買っていいなんて、若、これから季節ごとにサライ来てくれません?」

 「ほんとほんと。一考オネシャス!」

 「お前らなあ…。まあ、快く引き受けてくれて助かったけどさ」


 明るく笑う女騎士二人に、女の子たちも笑った。

 彼女たちは、昨晩のうちに紹介してある。

 護衛はガラテアさんがいれば十分そうだけど、案内はできないし、ガラテアさんも着る服を増やしてもいいわけだしね。

 ちなみに、女の子たちの服を見てあげるっていうのは…と聞いたら、ガラテアさんの服選びの基準は、丈夫で汚れが目立たない、だそうで。それじゃあ俺らと一緒だしなあ。


 「できれば、若たちの服も見立てさせてほしいんですけどぉ」

 「俺らの?」

 「はい!」

 「なお、本日非番の同士たちが多数市場に潜伏しております!」


 サライ離宮の警護に当たる騎士の中で、同期はこの二人だけだけれど、別に口止めをしたわけじゃないんで、どうやら話が広まっているらしい。

 この二人が話しても問題ない、と判断した相手なら、面白おかしく吹聴したりはしないだろう。でも、何しに来てるんだ?貴重な五日に一度の非番を潰して。


 「潜伏して…何やんの?」

 「そりゃあ、ゲヘヘ…できれば生着替えなんかを、ね?」

 「すいません、衛兵さん。こいつ等です」

 「まだ見てないのにしょっぴかれたくない~!せめて、一目見てからあ!」

 「クッソ、私たちを捕らえても、我が同士は!我が同士は絶えぬ!!」


  彼女らと話していると、なんだか学生時代に戻った気分だ。こうして他愛のないやり取りをして、ゲラゲラ笑って。

 よく、あいつに呆れられていたなあ。

 って言うか、彼女らとじゃなくてもこういうやり取りしてゲラってるし、もしかして、あんまり変わってない?俺…。

 …その辺を深く考えだすと駄目な気がするから、やめとこ。うん。


 「…大丈夫なのか?このセンパイ方…」

 「ちゃんと士官学校出て、騎士になってるから…」

 

 士官学校は入るよりも卒業する方がはるかに難しい。それはクロムもよく知っている。しぶしぶ頷いた後輩に向けて、騎士二人は胡散臭い笑顔を向けた。そういうことするから信頼度が下がるんだと思うんだけど。

 まあ、一連のやり取り見て女の子たちは笑い転げているし、エルディーンさんも笑ってるし、いっか。

 

 「じゃあ、前十一刻に中央広場、噴水前でいいな?」

 「はいはーい!近くに美味しいシャルミン屋あるんで、そこで昼ごはんにしましょーよ」

 「お、いいね。この人数は入れるかな?」

 「大丈夫と思いますよ~」


 百花回廊市場にはあちこちに時計がある。見えなくても、その辺の店の人に聞けば時間を教えてくれるだろう。


 こっから、俺たちと女性陣は別行動だ。

 先人の教えに曰く、男と女は買い物を共にしてはいけない。特に、服については。

 それは置いておくとしても、俺たちにもやらなきゃいけないことがあるし、そこに女性陣を連れて行きたくないのも事実だ。

 いや、いかがわしい店にいくわけじゃないけど。


 イヴリン様から報酬として頂いた、悪趣味な指輪。

 これを、現金に換える為に古物商に行く…それが俺たちの目的だ。


 大都に戻ってからでもいいけれど、いくら悪趣味で、本来送られるはずだった姫君には釣り合わない物とは言え、高級品なのは間違いない。

 そんなものを売ろうとすれば、大都なら身分証明書が必須になる。通行証パイサだけじゃなく、住所やなんかがわかるもの、特定の住所がないなら、保証人を連れてこなければいけない。

 盗品売買を防ぐためのことだけれど、それはだいぶん面倒くさい。

 女性ものの指輪を俺が売り払ったなんてことが母さんの耳に入ったら、何言われるかわかんないしな。


 その点サライは、そこまで厳しくない。

 まだ旅の途中だというのに、サライで散在してしまった人々の為の古物商は、買い叩きはするけれど、買取り時の身分証明は大都ほど厳しくはない。通行証で十分だ。

 相手の住所がわかったところで、異国だったりするしね。

 

 犯罪ではないが、堂々とはできない。

 そういうものが、サライにはたくさんある。百花の根元には、汚泥が養分として滴っている。そういう街だ。

 

 「じゃあ、あまりアスラン騎士についての偏見を植え付けないようにな」

 「むしろバチクソに尊敬されてやりますよ!」

 「達成不可能な目標を掲げないよーにな」


 服飾…特に若い女性向けのものを扱っている店は、中央広場周辺に多い。対して、古物商は南大門から入ったすぐ先だ。

 俺たちがいる場所からも『高額買取り!査定超短時間!その場でお渡しいたします!』『何でも買います!馬、牛、驢馬、駱駝、人!』と書かれた看板が見える。

 流石に人は、冗談だけどね。売りたいって人が現れたら、仕事を斡旋されるだけだ。奴隷売買は、国営の施設でのみ許されていて、違反すれば関係者全員、奴隷として売り払われる。


 そんなところに、彼女らを連れて行くのはちょっとなあ。だから、一旦別れて合流しようということになったわけだ。


 それじゃあと手を振ってそれぞれの目的地に歩み出す前に、とてて、とナナイが寄ってきた。クロムの前で止まると、何か言いたげに顔を見上げる。

 その様子に、同期に対して疑いの視線を向けていたクロムの顔から、険が抜けた。 


 「ナナイ、気をつけてな」

 「うん!お金使いすぎないように気を付けるよ」

 「それは少しくらい、やりすぎたって良いと思うぜ…その耳飾りも、似合っている。もっと買ってもいいんじゃないか?」


 クロムの視線に、ナナイはぱっと指を耳に寄せる。同時に頬が朱くなったのは…見なかったことにしといてやろう。

 アスランへ入ってから、ナナイはフードで髪や顔を隠していない。髪の隙間から、ちらりと覗くのは銀と濃い藍色の石で作られた耳飾り。確かに初めて見るもんだから、昨日買ったのかな?


 「え、そ、そうかな?似合ってる?この色」

 「ああ。よく似合っている」


 濃い藍色は、クロムの瞳の色に似ていた。まあ、やっぱり、意識したんだろうなあ。実際、白銀の髪にその色は良く映えている。


 「服、僕もさ、あんまり、その、お洒落とかしたことないから、どんなのが良いと…クロムは思う?」

 

 見上げる葡萄色の双眸を受け止めるクロムの笑顔は、普段から想像もできないほど柔らかい。ヤクモが「ぐぎーっ」と変な鳴き声をあげるくらいのものだ。


 「ナナイはあまり、最近はやっている胸のすぐ下で帯結ぶような服は似合わないと思う。あとはあんまりヒラヒラしたのも」

 「そう?」

 「それより、なんつの?膝丈くらいのスカートの下に、細身のズボン履くようなのとか、似合うんじゃねーかなって思うんだけど…」

 「あ、あれ、可愛いよね!わかった!ちょっと試してみる!」

 「気に入ったの買ったら、見せてくれ」

 「うん!」


 嬉しそうに頷くナナイに、何故か同期たちまでうんうんと頷いた。

 

 「いいですなあ。甘酸っぺぇ…」

 「キュンキュンしますなあ…」

 「見世物じゃねぇんすけど?センパイ」

 「そ、そうですよ!揶揄わないでください!」


 二人の抗議に、さらに何とも言えない笑顔を深める。まあ、気持ちはわかる。可愛かったよな。さっきのやり取り。


 「ファンさあ、クロムとナナイにまでおじいちゃんの顔になってどすんの…」

 「え?ええ?」

 「ああ、これがそうか。なるほど」

 

 シドまで?

 

 「と、とりあえず!解散!」


 あんまり駄弁っていると邪魔にもなるし!

 今度こそ、俺たちは二手に分かれて目的地へと足を進めた。


***


 大路から建物の横の路地に入り、奥へと進む。

 とは言え、全ての建物が何らかの店である回廊市場では、裏路地とは言え人の姿がない場所はなく、品物や何かを求めて店を探す客もいれば、様々な品物を配達して回る運び屋の姿もある。

 すれ違った運び屋は、片手に三本ずつ、計六本の保温瓶をぶら下げて足早に歩いて行った。飲み物の出前に回っているんだろう。

 

 そんな状態の人と余裕をもってすれ違える広さのこの裏路地。並ぶ店はほとんどが古物商だ。看板には買取りできる品物が絵入りで書かれ、出入りする客の顔はなんとなく複雑な感じだ。

 

 一応、店には当たりをつけてある。

 大きな店じゃないけれど、サライでも老舗の古物商だ。子供の頃、標本がそこで売っているを見つけて、祖父ちゃんに強請りまくって買ってもらったことがある。

 学者って言うのは、元から金持ちか、研究の価値を判ってくれる金持ちが支援してくれないと続けることは難しいからな…。

 当時は無邪気に喜んだけど、古物商に売っていたということは、手放した誰かがいるというわけで、その人が研究を続けられていると良いんだけど。


 「なんだか、わくわくするねぃ!」

 「うむ!大回廊市場よりも人がいなくて快適だ!」

 「あそこは、どこに行っても人がいるというより、人がいない空間がない、だからなあ…」

 「カーラン人が少ないだけでも静かに思える」

 「カーラン語って慣れないと、喧嘩しているみたいだしね」


 カーランでは声が大きい事は良い事とされているから、普通の会話でも怒鳴りあっているレベルの声量だったりするんだよな。母方の祖父ちゃんはカーラン人だけど、声が小さくて苦労したらしい。


 「あのクソみてぇな指輪、いくらくらいになるかな」

 「んー…石自体はそこまで悪くはないし、台座も結構純度の高い金だと思うけど」

 「中銀貨くらいにはなる!?」

 「いや、そこまで安くはないよ。いくら買いたたかれても」

 「まじでっ!?」

 「金貨二、三枚ってとこかな」


 金貨三枚あれば、アステリアでは一年間なにもしなくても生きていける。贅沢しようと思えば無理だけど、俺たちのような暮らしなら余裕だ。

 最近、報酬で金貨提示されるから麻痺してたけど、十分大金だよな。

 

 「二枚だとしても、一人頭中銀貨4枚か。悪くねぇな」

 「無駄遣いするなよ?」

 「一枚分くらいなら、パーっと使ったっていいだろ?幸いここはサライだ。金を使うところには困らん」

 「ファンが連れてってくれるはずのお店でも、小銀貨百枚だもんねぃ」


 中銀貨一枚は小銀貨百枚。ほんとそんなお金を一食で使うの?なんなら俺が作るから、小銀貨五十枚くらいで材料買ってうちで食わない?

 でもまあ、店で食うから美味いってのはあるしなあ。


 「美味い酒と飯食って…あー…大都で使った方が良いか。百鹿座で今なにやってんだろな。ナナイを連れてってやりたい」

 「年末年始だから、観劇券を買うのがまず難しいんじゃないか?」

 「ダフ屋から買うのは腹立つしな」


 流石に夜の店で豪遊って言ったら反対するけど、そう言う理由ならまあ、許そう。


 「仕方ないな。見たいの決まったら教えてくれ。権力を濫用する。俺も行けば問題ないだろ」

 「マジか。じゃあ、金浮くじゃん」

 「見に行くための服でも買っておやんなさい」

 「ねーねー、百鹿座ってなにー?」

 「なんだかよくわからんものを観るためのところだ!アーワー言っていた!」


 ユーシンはユーナンのお願いで一緒に行ったことあるもんなあ。最初の演目が終わった頃には寝てたけど。


 「大都にある劇場だよ。あー、劇場ってのは、劇や音楽、雑技なんかの公演を見るところな」

 「クロム、そんなの見るのー?」

 「は?当たり前だろ。嗜みだ嗜み」

 「一口に音楽と言っても幅広いし、古典音楽から人気歌手の独演までな。演劇も、紳士淑女がドレス着て足を運ぶだけのもんじゃない。まあ、行くなら多少気合い入れた服を着るべきだけど」


 クロムが好きな歌手は、彼をイメージした服なんかを公演前に売るから、それを着ていくのが一種の礼装らしい。あとは歌手の名が染められた手拭いを首に巻くのがドレスコード、だそうだ。


 「一番最近の大都を知っているのはシドだし、なんか情報ある?」

 「すまん、興味がないから調べたことはない」

 「マジかよ。勿体ねぇな。せっかく大都に来たってのに」


 百鹿座に限らず、大都にはたくさんの劇場がある。一回の公演を見るために金貨がすっ飛ぶようなものもあれば、小銭で十分なのもある。確かに、せっかく大都にいたのに、興味も持たないのは勿体ないな。

 俺の視線からそれを読み取ったのか、苦笑しながらシドは首を振った。


 「それから…思ったんだが、その分け前、俺を頭数に入れなくて良いんじゃないか?俺は何もしていないぞ?」

 「あ…そいや、そうだった」

 「なんか僕、マルダレス山の時もシドいたような気がしてたよ…」


 なんなら、あの宿の狭い部屋、五人で使ってたような気もするな…。


 「まあ、ギルドを通した正式な依頼じゃないし、クローヴィン神殿の救援にはシドも関わったから、分け前ありでいいんじゃないか?そうすると、ガラテアさんも入れて六等分だな」

 「いや、それはさすがに悪い。せめて、俺と姉さんで一人にしてくれ」

 「妥当だな。お前ら、飛竜の背中でゲロってねぇし」


 乗ってたとしても、吐くとは限らないけどな?


 そんな話をしながら、路地を辿る。

 花天井から降りてくる陽射しは柔らかく、壁と建物で遮られて寒風も届かない。

 当たり前のようにユーシンは外套を脱いで肩に担いでいたし、俺を含めた面々も、前を開けて籠った体温を逃がしていた。


 「あ、ここだ」


 少し曇った硝子張りの出窓の向こうに、所狭しと色々なものが並んでいるのが見える。

 基本的に、古物商と言っても買うものはその店によって様々だ。

 大手の商会がやっている、大路に面した派手な看板を掲げているような店なら、それこそ服から食料品まで買い取るけれど、こうした裏路地に佇む店はなんでも、というわけじゃない。

 

 装飾品に強い店なら靴や鍋は買い取ってくれないし、食器なんかの店なら剣はお断りだ。

 そして目的の店は、調度品や宝飾品専門の店である。


 そう広い店じゃないから、中にお客さんがいたら男五人で乗り込むのはちょっと狭い。けれど、出窓からうかがう限りでは、店主がのんびりと本の項を捲っているだけのようだ。


 「ごめんくださーい」

 「…買取りかね。それとも、買い物かね」

 「売りに来ました」


 店内は床張り。絨毯は敷いてなくて、店主が陣取るのは飴色の艶が出た安楽椅子だ。こういう造りの店なら、靴のままはいる。靴を脱ぐ場所もないしね。


 店内を埋め尽くす棚には、彫刻や壁掛け、飾るための皿に燭台、香炉、台座に置かれた水晶などなど、様々なものが並んでいる。その一角には、ちょっと古いデザインの指輪や首飾りなんかもひっそりと眠るように置かれていた。


 「…おや。ずいぶんと久しぶりだね」


 店主が、重そうな瞼を持ち上げて俺を見る。

 懐かしいなあ。俺が標本買ってもらったころから、こんな感じのお爺ちゃんだった。

 

 「あんた、標本買ってもらってた子だろ?でかくなったなあ」

 「覚えておられました?」

 「そりゃあ、うちの店に子供が来ることは滅多にないし、ゴミムシの標本を欲しがる子供は更に滅多にいないからね」

 「…っていうか、ファンくらいじゃない?そんな子…」


 ゴミムシじゃなくてハンミョウです!と反論したいところだが、やめておこう。


 「学者さんになれたかね?」

 「はい。大都の大学で論文が通りました。まあ、それだけじゃ食っていけないんで、アステリアで冒険者しながら調査してます」

 「なるより続ける方が難しいからねぇ」


 くつくつと笑いながら、店主は胸元から眼鏡を取り出し、鼻にかける。

 その向こうから俺を見る目は、完全に商売人のそれだ。


 「じゃ、売り物を見せてもらおうか」

 「はい。これです」


 指輪のケースごと鞄から取り出し、鶴が雲を支えるデザインの単脚卓バーテーブルに置く。

 手を伸ばしてケースを掴み、店主は頭の上に吊るされたランプを突いた。途端に嵌めこまれた水晶宮が光を放つ。このあたりでは珍しくない魔道具だ。カリフタン王国時代は、どんな貧しい家にもあったらしい。


 「石はそこそこ。台座も鍍金じゃないね。が、デザインがどうしようもない。五十年前なら受けたかもしれんが」

 「なら、石と指輪を放して売ったらどうだ?」

 「わしならそうするね。ただ、加工屋に払う手間賃を考えたら、このまま売った方が早い。どうするね?紹介はしてやれるが」

 「いや、このまま売ります。けど、できれば『このまま』では売らないでもらいたいです」


 眼鏡の向こうで、店主が此方を見据える。


 「これは、さるご令嬢が贈られたものでして」

 「ふむ」

 「でも、そのご令嬢には似合わない。サイズも合わない。けど、突っ返せない。そう言う品物なんです」

 「なるほど。贈り主が万が一、これを見つけたら厄介なことになる、と」

 「そういうことです」


 勿論、その可能性は限りなく低い。けれど、無じゃないならできるだけそれに近付けておいた方が良い。


 「で、いくらで買ってくれるんだ?爺さん」

 「急かすな。ちとまっとれ」


 店主は眼鏡を掛けなおし、指輪を灯に透かし見る。指輪を動かし、首を動かし。その度に青玉がきらりきらりと光を跳ね返し、なんだかはしゃいでいるようだ。


 「…金貨五枚に、中銀貨二枚。ほとんど石の値段だが、これ以上で買う店はありゃせんよ」

 「あ、思ったより高い。良い青玉だったんですか?」

 「一番上等なのからすれば、その次の次、くらいか。ただ、かなりでかいんでね。本来なら指輪より首飾りや髪飾りにするような石だ。おそらく、元々はそうだったんだろうな」


 店主は疲れたように息を漏らし、眼鏡を外した。


 「横から見ると石が少々傷付いておる。無理やり、元の台座から外したんだな。石に比べてデザインが悪いのは、まっとうな工房で加工したんじゃないからだろうて」 

 「…盗品だったかもってことですか」

 「ありえるね。もしくは、借金のかたか。そのご令嬢にゃ、贈り主には気を許すなと言っておやんな」

 「そうですね。売却を依頼してくれた、御母堂に伝えます」


 孫の社交界デビューを飾る指輪に、そんなものをわざわざ選ぶか。

 しかも、自分がつかえる国の、次代の王になる少女に。

 会ったことはないけれど、ほんっとうに嫌な爺だな。アステリアの宰相殿は。

 

 「で、売るかい?」

 「売ります」


 クロムにはああいったけど、この金、パーっと使っちゃうのもいいかもしれない。

 知る由もないけれど、アンタが嫌がらせに使った指輪うっぱらった金で、俺たちは楽しく遊びましたよ、と言うのはいい意趣返しになる気がする。

 それに、もっといい指輪を贈るの、本気で考えるかな。俺からと言うのは駄目だけれど、母さんからとかなら問題ないよな。


 「アステリアに住んどるなら、銀行よりも現金だね」

 「ええ。お願いします」


 店主は安楽椅子の横に置かれた棚から小さな金庫を取り出し、卓の上に乗せた。首から下げた鍵を差し込んで蓋を開き、ひょいひょいと金貨と中銀貨をつまんでいく。


 「あ、すみません。中銀貨はアスラン銀貨でもいいですか?」

 「かまわんよ。今の相場だと、十五枚だね」

 「おい、それはピンハネしてねぇか?」

 「しとらんよ。そんなもんだ」


 サライなら普通にアステリアの貨幣も使えるけれど、この先はアスランの通貨の方が良い。何せ、東へ進むごとにアステリアの貨幣の価値は下がっていくからね。需要ないから。

 

 「ほれ。数えてくれ」

 「お、金貨はアスラン金貨か…」

 「アステリアの金貨に変えてやってもいいぞい?」

 「御免こうむる」

 「一月、うちの出窓に張り付いてた坊やが、立派な学者先生になった祝いだ。まあ、標本売る羽目になったらうちに持ってこい。十年くらいはわしも生きとるだろうから、流さんでやる」

 

 当然、金貨もアスラン金貨の方が価値が高い。

 適正価格なのかもしれないけれど、開祖クロウハ・カガンの横顔が刻印された金貨は、店主の厚意で輝いている。アステリア金貨とアスラン金貨だと、三対二くらいの差額になるからな。

 

 「ありがとうございます。でも、標本売るのは俺が死んだ後だから…できれば大学とか、他の学者に寄贈してほしいけど…」

 「お前さんが買ったゴミムシの標本の持ち主もな、同じこと言ってて、死んで三月で甥っ子にうっぱらわれたでな。死ぬ前に貰ってくれる奴を探しときな」

 「う…そうだったんですか…」


 それは前の持ち主も、無念だったかもなあ。

 でも、サライ離宮の俺の部屋で、コレクションの一部として大切に保管しているし、たまに眺めてニヤニヤするから浮かばれてほしい。

 ちなみに、昨晩こっそり標本を眺めてニヤニヤしてたら、全員から「気持ち悪い」「夜にやるな」「完全に犯罪者の顔だった」と散々罵られた…。流石にひどくないか?


 「さて、一応だ。通行証か、軍票か…何か、身元の分かるものを出しとくれ」

 「はい。通行証で」


 通行証を渡すと、店主はさらさらと書類に通し番号を書きつけた。書類は綴りになっていて、商品、買取り価格、身分証の種類などの必要項目が印字されている。

 こういう印刷物を見ると、アスランへ帰ってきたって実感がますます湧くなあ。


 「名前かいとくれ」

 

 渡されたのも、羽ペンじゃなく万年筆だ。印刷や万年筆も旧カリフタン王国の遺産で、当時は魔導具だったものを、アスランの職人たちが魔導を使わずに活用できるものに改良し、現在に至っている。

 

 「はい、お願いします」

 「うん。良い取引をありがとう」


 受け取った金額と書かれた金額に相違がないことを確認して、ペンを走らせた。一瞬迷ったけれど、記載した名は「ファン・ホユル・オラーン」。まあ、通行証はそっち名義だしね。

 

 店主は微かに口角を上げて、もう俺たちに興味はない、と言うように読書に戻った。

 その至福の時間を邪魔しないように、静かに外に出る。

 

 「思ったより良い値段で売れたなあ」

 「ねーねー、ファン、銀行ってなに?」

 「お金を預けたり、借りたり、両替したりするところ。アスランでも大きな街にしかないけど、大金持ち歩くのは危険だからな~。身分証と、今いくら預けていますって証明する書類があれば、例えばサライで預けて大都で引き出すってこともできるんだよ」

 

 当然、俺の貯金も一部銀行に預けてある。ただ、問題は証明書を持っていないって事なんだよなあ。

 それに、俺名義の金を引き出そうとすれば、それはそれで面倒くさいことになるし。いきなり支配人出てきて奥の奥にある貴賓室へご案内、は考えただけで億劫だ。 

 その後、会食やら狩りの誘いなんかも漏れなくついてくるからな。


 「そんなのあるんだ」

 「アスラン以外にも、似たようなのはあるらしいよ。そもそも、カーランの仕組みだからな」


 とは言え、現在のカーランじゃ一部しか機能していないけれど。

 アスランの最大敵国であり、大陸東部を千年以上治めるカーラン皇国は、現在じゃ大まかに五つの勢力に別れてしまっている。

 そのうちの二つ、中央部と南西部がそれぞれ「我こそカーラン皇国の正統なり!」とやってて、それぞれ確かに言い分が正しいから争いが終わらない。

 祖父ちゃんふうに言えば、「どっちも同じくらい弱いからな」と言う拮抗具合だ。


 「さて、目的も達成したし、今晩今後のルートについて話し合って、明後日にはサライ出発だな。観光はほとぼり冷めた帰りにしよう」

 「もっと、ここ色々見てみたかったなあ~」

 「帰りにな」

 「うん!」

 「それよりファン!腹減った!飯!」

 「あー、はいはい」


 その後、待ち合わせ場所について時間通りに合流したものの、買い物は「威力偵察中でありまあす!」とのことで終わっておらず…両手に持っている袋は何だと言う話だけども…夕暮れまで結局百花回廊市場にいた事を、今日の日記に書いておこう。


***


 「この後は、こう進む予定です」


 テーブルの上に広げているのは、アスランの地図。

 夕食後、サライ離宮の会議室のひとつに全員集合し、魔導具が照らす地図を見てもらっていた。


 ナナイとエルディーンさんも含めた女の子たちは少し遠巻きに、ロットさんとウィルは熱心に、レイブラッド卿は部屋の隅から、それぞれ視線を投げかけている。


 俺の指が辿るのは、サライから東へ進む路。やがてアーナプルナ山脈にぶつかり、そこからは守護双神の庭を右手に望みつつフフホトへと至るルートだ。


 「行程はだいたい十日。朝に出発、夕暮れ前には町に到達して宿泊する予定です。野宿はしません」

 「間に合うのですか?」

 「問題ないです。まあ、悪天候とかで足止めくらったら、最悪の場合、俺とクロムは離脱して、フフホトから転移陣で一足先に大都に行きますが…。フフホトから大都までは迷うような小さな道じゃないので、シドとガラテアさんに案内をお願いする感じで」

 「任されよう」


 ガラテアさんはほとんど荷物を増やしていなかったけれど、シド曰く、彼女にはなんでそれを買うのかよくわからないものを買う、という悪癖があるらしく、服じゃなくてそういうものを買ったのかもしれない。

 

 「ココくん、一緒にこれたら良かったのにねぃ」

 「そうだな」


 ものすごく、すまなそうな顔をしたココを思いだしつつ頷く。

 『顔剝ぎ』の捜査が振出しに戻った事、その所業が一線を越えたことは、昨晩のうちにホンランから報告を受けていた。ココチュが改めて護衛に任命されたことも含めて。

 そして、もしかしたら…黄昏の君の手が及んでいるかもしれないことも。

 そうなら、俺も捜査に加わるべきだ。けれど、そう言いだす前にホンランにきっぱりと首を振られた。


 例えそうであっても、これは私の任務。アスランの法を侵したものは、アスランの法により断じます。

 

 彼女の言い分はもっともで、頷くしかなかった。

 ちょっかい掛けられて、模造された魔道具を押し付けられた程度の相手なら、灯の刻印の出番はない。その眼を植え付けられ、眷属と化したやつなら…その時こそ、必要になるけれど。

 そこまで行っているなら、もっと被害は甚大になっているだろうしなあ。


 ドノヴァン大司祭は、明かに人としての枷が外れていた。眷属化すると言うのは、そういうことなんだろう。

 そこまでいけば、見つけるも何も、いやがおうにも目につく。人間の形を保っているかすら怪しい。


 それに…ホンランの推測だと、おそらく犯人は大都へ戻るそうだ。

 サライに来たのは、狩場を変えたわけではなく、『騙り』を追っての事だろうと。

 大都とサライは街道で結ばれ、一人旅だろうと無理なく行き来できる。ホンランもあと十日したら大都へ帰還すると言っていた。もうサライでは犯行が行われることはない。それが彼女の読みだ。

 

 「うちのパーティからはユーシンとヤクモが残るし、護衛に関する戦力は全く問題ないんで、安心してくださいね」

 「はい。我々だって、男ですからね。有事の際には、頑張りますとも。なあ、ウィル」

 「は、はい!頑張ります!」

 「だいじょーぶ、ぼく、結構やるんだから!任せてよ!」

 「ま。馬鹿もいるしな」

 「俺一人でクロム三人分くらいは強い!安心しろ!」


 あ?とクロムが険悪な唸り声をあげる前に、二人の間に割って入っておく。

 まったくもう。最近少し減ったと思ったのに。


 「まあ、予定通りいけば、俺らも大都まで一緒だから」

 「何もないと良いね。フフホトかあ、僕も行ったことないな」

 「どんなところなんですか?」


 興味深げに、神官たちの視線が地図の一点に集う。地図から見ても、湖の畔の街だとわかる。

 アーナプルナの雪から生まれる水を湛え、深く佇む湖…フフノール。

 その畔に栄える街。


 「製塩と水運の街。そして、クトラの民が多く暮らす街だ」


 クトラの名に、ロットさんとウィルが目を伏せた。彼らは、「何故、クトラの民がアスラン国内にいるのか」の意味を知っている。


 「クトラ…?」

 「それについては、道々、私が講義しましょう」

 「はい、お願いします!」


 アステリア聖女王国の侵略と虐殺により滅んだ国。それを知るのは、彼女らにとっても辛いことかもしれない。

 けれど、それを悪行だと伝え、二度とアスターの聖名を穢さないと誓うことは、たぶん、すごく大事なことだ。

 

 三十年前。アスター大神殿は悪しきものの巣窟となり、毒となった。

 そして今、二度と過ちを繰り返さないと誓う人々がいる。


 善きものと交われば月の光。悪しきものと交われば蛇の毒。

 彼女らが優しい月の光となり…さらに後の世代を導けると良い。


 その為にも。

 

 もし、『顔剝ぎ』が黄昏の君の眷族であるなら。

 何度もの偶然を経由した行きついたマルダレス山の一戦のように、きっと、俺たちはその前に立つ。

 夜道を照らし、家路へと導く月の光を、穢れた金に染めさせはしない。 

 

 まあ、でも。その前に。


 俺を挟んでぎゃーぎゃーとやりあい始めたクロムとユーシンに、拳骨落とすかあ…。

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