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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
27/89

善き者と交われば月の光、悪しき者と交われば蛇の毒(朱に交われば赤くなる)5

「俺がいない間に、ずいぶん物騒なのが出てたんだなあ」


 ファンの声が、天井に吸い込まれる。

 部屋に差し込んでいるのは月明かり。結局寝室は使われることなく…一人で放り込むと、徹夜で本を読みかねないという判断だ…全員、居間に布団を敷いて寝ることになった。

 ココチュは親戚であるヤルトネリ邸に帰ってしまったので、ファンの部屋にいるのはパーティにシドを加えた面子だ。


 羊の毛皮を一番下に、太い毛糸を織り込んだ敷布、綿を詰め込んだ布団の上に、絹毛山羊の毛で織られた毛布と水鳥の羽毛をつめた掛け布団で造られた空間は、安物の寝台よりはるかに寝心地が良い。

 

 「いちおー聞くけど、アスランの人って、みんなこんなステキなおふとんで寝てるんじゃないよねえ?」

 「ったりまえだ。軍じゃ羊の毛皮に毛布だけだぞ」

 「本来はベッドを使うと聞いたぞ…遊牧民でも」

 「んーまあなあ。ベッドより低いし、衣装ケースを並べた上に布団しいて寝るって感じだけどね。定住している人は、普通にベッド使ってるよ」

 「そーなんだ」

 「第一、この絹毛山羊の掛布だけでお前が五人は買えるっつうの」

 「う…あながち嘘と思えないのが…」

 「安心しろ。俺なら六人は買える」


 他愛のないお喋りが暗闇に吸い込まれ、消えていく。

 身体は溶けるような疲労感に包まれ、思考は曖昧さを増す。それでも口が動くのは、やはり目的地の一つに到達した安堵からと、明日の心配をせずに眠る夜の心地よさからだろう。

 ついでに言えば、ユーシンはとっくに夢の中に旅立っている。先ほどから「ぷっくぷー」「くー…ぷるぅ~…」と奇妙な寝息を立ててはクロムを苛つかせていた。


 「シドは、聞いたことあるか?『顔剝ぎ』って」

 「新聞で読んだ。まあ、姉さんなら返り討ちにするだろうと思って、あまり気にも留めていなかった。殺されたのは紅花買いのようだしな」

 「紅花買い?」

 「大都じゃ、個人宅で紅花を育てているうちが多くて、そういうところから紅花を買い集める商売があるんだ」


 紅花は油や生薬などにもなるが、大都では主に染料として使われる。

 民家一件で収穫できる紅花は僅かでも、何件も回って集めればそれなりの量だ。そうして買い取った紅花を、さらに染色工場へ持ち込んで売るのが紅花買いである。


 「ま、夜に出る紅花買いは、土の気配もねぇ家に買い付けに行くがな」

 「??どゆこと?」

 「紅花を買うんじゃなく、自分を売りに行く…っていう事だ。大都じゃ、決められた区画でしか身を売ることはできないが、無許可で身を売る奴はいくらでもいる」

 「あー…そゆこと…」


 アステリアでも、娼婦を花売りと言ったりはするが…大都では逆なのか。

 布団の中で少し顔を赤らめたヤクモに向けてか、クロムが鼻を鳴らした。


 「いくら安くても、紅花買いなんざ呼ぶんじゃねぇぞ。どんな病気持っているかわからんし、とんでもねぇババアやガキも混ざっている」

 「呼ばないよ!!って言うか、呼ぶの?」

 「んーと、元締めがいてな。そこに呼ぶ場所を告げて半金渡すと、やってくる。自宅を指定する人もいれば、所謂連れ込み宿を指定する人もいるって感じかな」

 「ふつーのおねーさんよりお安いの?」

 「立ちんぼよりは高いがな。まっとうな店の半額ってとこか」

 「たち…」

 「物陰で立ったまま突っ込んでスッキリして終わりっつう奴だ。絶対、手を出すなよ」

 「アスランでも、そーゆー人いるんだねぃ…」

 「そりゃいるさ」 


 西方諸国やカーラン皇国のような厳格な身分制度はアスランにはない。槍一本で将軍に上り詰めることもできれば、平民から大臣になったものもいる。


 代わりにアスランにあるのは、貧富の差だ。


 王族ですら驚く贅沢な暮らしをする豪商もいれば、虫を捕まえ川の水を啜って生きるような貧民もいる。そうした貧しい人々の多くは、周辺諸国から逃げてきた移民だ。

 アスランに来ればどうにかなると、国を捨て故郷を捨ててやってきたものの、どうにもならなかった人々。

 そうした人々は売れるものがあればすべて売る。それが自分の身体や尊厳であったとしても。


 「アスランは地上の楽園なんかじゃない。どうにかできる人の数には限りがあるからな。金を出して養うだけならある程度はどうにでもなるけれど…限界はあるし、国民も自分が払った税金で、働きもしない他人を養われるのは嫌だろう」

 「おしごと、なんか作るとか?」

 「それで働くような連中は、とっくにどうにかなってんだよ。馬糞拾いから身を起こした連中だってごまんといる」

 「言葉も通じない、文字も読めない…そもそも、学ぶ気もないって人たちは、本当に難しい。学校や職業訓練所に連れて行っても、一年後に無事卒業してくれるのは十人に一人いればいい方だ」


 アスラン国内では、子供を学校に通わせることは常識になりつつある。とは言え、都市から離れた村や、新たに版図に加わった地域ではまだまだだ。

 大都ですら、子を学校に行かせるよりも日銭を稼がせる方が良い、と役所からの通知、警告を無視する親もいるのだから。

 まして、他国から流れてきたような人々に理解してもらう事すら難しい。

 

 「言葉が通じない移民を雇うのは嫌がられる。特に大都では労働力が足りていないわけじゃないからな。そうなると、金を稼ぐ手段は限られてくる。一番受け皿が大きいのは…売春だ。難しいよ」


 そうして身を売っていれば妊娠もする。生まれた子供の多くは赤ん坊のうちに死亡するが、育ちあがっても親と同じ道を辿るか、更に昏い道を行くことになり…国が把握できない人間が増えていく。

 そうさせないための手段はいくつか施行されてはいるが、完璧には程遠い。

 

 「そーゆーの気にしちゃうのって、やっぱりファンは王子様だねぃ、ぼくの兄さんたちも、たまにそーゆーの相談してたよ。いつも、解決しなかったみたいだけど」

 「そりゃそうだ。なんかこう、すんごい出来る人がスパーッとその辺解決してくれて、俺は学問にだけ打ち込めれば最高なんだけどね。兄貴だって万能じゃない。結局、地道にやってくしかないんだよな…」

 「別にお前がどうにかしなきゃならない問題でもねぇだろ。ま、『顔剝ぎ』とか言う変態は師匠に任せようぜ」

 「…そうだな」


 ファンの声が、少し低い。気分を害したというより、何かを訝しんでいる。

 その懸念を、クロムは読み取れた。

 おそらく、ファンと同じ違和感が自分の咽喉の奥に引っ掛かっている。

 

 「なんで、師匠なんだろな」

 「そーゆー人だからじゃないのぅ?」

 「紅花買いが千人ぶっ殺されても師匠まで回ってこない。大都でも百人しかいねぇんだぞ。断事官は」

 「そなの?」

 「うん。そこは…気になるんだよな。わざわざサライまで追いかけてくるとか」


 サライの警備が厳しいのは、ホンランの指示だったと知ることが出来た。

 大都を騒がす殺人鬼がうろついているかもしれないとは告知できず、年末に向けて警備を厳重にする、という名目で巡回を増やしたのだ…そうヤルトネリからも補足されて、茶を飲みながらなるほど、と頷いたのは、ほんの少し前の事。

 

 「犯人の目星、結構ついているんだろうな」

 「ああ。それも、師匠が出張るような相手だ」

 「どゆこと?」

 「断事官が手掛けるような事件は、放っておけないものでさ。王族が狙われているか、国民に多大な被害を及ぼす可能性があるか…」


 ただの殺人なら、そうした犯罪行為を取り締まる部隊が調査し、犯人を捕らえて罪状を確認し、刑罰まで行う。

 断事官は彼らの上に立つ地位であり、「手に負えない」と判断された案件を扱う高級官僚だ。

 

 「今回、それじゃない?」

 「いや…たぶん、違うな」


 犠牲者は一年で十二人。しかも、顔を剥ぎ取られているという猟奇性は、十分大事件になるだろう。

 しかし、返答は否定だった。


 「紅花買いはアスランの戸籍持ってねぇ奴が大半なんだよ。アステリアで言うなら、路地裏でくだまいてる三下が殺されて、近衛騎士団やら王宮査問官が出張っているようなもんだ。そんなもん、普通は犬にでもやられたってことにして終わりだろ」

 「んー…それもそーだけどさあ」


 納得できないヤクモの声に、ファンの微かな溜息が被った。やれやれ、と面倒くさがるものではなく、少し嫌なことをこらえるための予備動作。

 きっと今、満月色の双眸はまっすぐ天井を見つめている。なんとなく、クロムはそう思った。確かめるために、主の方へ顔を向けるようなことはしなかったが。


 「すごく嫌な話だけどな。もっと大量に…移民や流民を殺す存在がある」

 「え?」

 「冬だよ」


 答えるファンの声は、その死神と同じように冷たく、凍っているようだった。


 「大都の冬は、家も防寒具もなく乗り切れるようなものじゃない。毎朝、百人単位で凍死者がでて、それを『片付ける』仕事を受けた移民の夜を越す糧になる。

 確かに、身を売るしかなく、その挙句に狂人に顔を剥がれて殺されるのは悲劇だ。けど、凍って死んでいる子供とどちらが悲惨かなんて…答えが出ないよな」

 

 少しでも暖を取ろうとしたのだろう。薄い服を二人で着て、ぴったりとくっつきあったまま凍って死んでいる兄弟らしい子供たち。

 大都に住んでいれば、一度は見掛ける悲劇だ。大人は目を背け、子供はなるべくそちらを見ないように足早に駆け抜ける。

 冬は、幼いからと言って容赦をしたりはしない。淡々と、弱い者から順にその命を消し去り、凍らせる。

 

 嫌な話だ。そうして死ぬのも、殺されるのも大差はないから、夜を安全に過ごす金もないような移民や流民が命を落としても、真剣に対策が案じられることはない。


 そんなことをする金があるなら、まっとうに税を納めて暮らしているアスランの国民に少しで還元するべきだ。

 勝手にやって来て勝手に死ぬ連中を助けるために、安くはない税金を払っているわけじゃない…そう民に言われれば、その税金で暮らしている王族であるファンたちは頷くしかない。

 

 それでも、私財を投入して移民流民の子もいける学校を設立し、タタル語を学ぶための施設を作り、手を差し伸べようとしている。

 しかし、その手を払いのけ、なんとか辿り着いたのにアスランはやはり冷酷な獣の国だ、誰も助けてくれない…と嘆く者の、なんと多い事か。

 

 そんな連中のことを案じて睡眠時間を削るのもバカバカしい。わざと大きな音を立てて、クロムは寝返りを打った。


 「つか、もう寝ようぜ。ここであーだこーだ言っても仕方ない。師匠のこった。犯人の目星がついてんなら、今年中に絞首台におくるだろ」

 「そうだな…うん。おやすみ」

 「おやすみぃ」


 クロムの閉じた瞼に浮かぶのは、父母と見た白い死。

 あの時、ファンが見つけてくれなければ、間違いなく死んでいた。


 思い返して背筋を震わせるのは、死にかけたという事よりも、自分が死ぬことを完全に受け入れていたという事だ。

 どうしても生きたい、死にたくない、と思うような気力はどこにもなく、それまでの暮らしも、明日を切実に望むほど楽しいものではなかった。

 

 だから、凍り付いて死ぬ子供も、身を売りに行って殺された女も…男かも知れないが…凄まじい恐怖や絶望感よりも、「まあ、仕方ないか」という諦念の中で死んでいったのではないか、と思う。

 むしろ、明日また今日のような一日を送らなくて済んだ、と僅かな安堵さえ抱いたかもしれない。

 

 願わくば、凍り付いた子供が最後に感じたのが、地面の硬さではなく親の死体の固さであればいい。

 ただ一人、身を縮めて凍り付くのではなく。結果は同じでも、まだほんの少し、マシだ。

 

 暖かい闇の中、クロムは仄かに保たれた思考の底でそう思い…そして、夢のない眠りに落ちていった。


***


 サライはアスラン王国の西方国境防衛における最重要拠点であるとともに、東西交易の最大拠点である。

 そして、アスランの民から見れば、『西』を垣間見ることができる窓だ。


 並ぶ飲食店は西方諸国の料理を出す店が多くあり、宿もまた、西方のスタイルを売りにしているところが多々ある。

 アスター大神殿の使者たちに、令嬢とその騎士が宿泊した宿も、そうした西方式の宿だった。

 部屋には寝台とテーブルに椅子が備え付けられ、室内でも靴のままでいることもできる。宿泊客に提供される夕食も、パンとスープに肉料理か魚料理と、窓の外を…全室硝子がはまった窓がある…見なければ、ここがアスラン王国であるということを忘れてしまいそうになるほどだ。


 ファンたちがその宿にやってきたのは、日が完全に上り、朝のせわしなさが終わって、今日が完全に始まった頃合いだった。

 昨日泊まった客を迎えに来たのだと告げると、案内係フロントマンがにこやかに中庭へと導く。

 

 陽射しが柔らかに降り注ぐ中庭には、壁に沿って常緑樹が植えられており、爽やかな香りを放っていた。程よく配置されたテーブルと椅子の白さと、泉妖精キンナリーの像が捧げ持つ水盆に浮かぶ花の色彩も加わって、冬のはじまるこの時期ですら、寒々しい印象はない。


 もちろん、頬を撫でる空気は冷たく、半分ほど埋まっているテーブルで談笑する客たちの膝には毛布が掛けられているし、口にしているのは温かい飲み物だ。


 「おはようございます。よく寝れました?」

 「おはようございます。ええ、もう、ぐっすりと」


 立ち上がってにこやかに挨拶を返すロットの横で、ウィルがわたわたと手を動かして頷く。


 「お、おはようございます!あの、すごい、部屋でした!」

 「弟子と二人して、あんなに真っ白なシーツ、もしも汚したらどうしようかと言って震えてたんですが、夜明けのお祈りが出来ないほど眠ってしまいました」

 「女神アスターも、お祈りよりも信徒がぐっすり眠ったってことを喜んでくれますよ、きっと」

 「懺悔はしておきました。ええ」


 ロットもウィルも、その顔に疲労の色はなく、ぐっすり眠れたと言うのはファンに対する気遣いではないと知れた。

 なら後は、と視線を巡らせると、元気いっぱい!と顔全面に書いてあるような少女たちの視線とぶつかる。


 「おはようございます!」

 「ナナイも、おはよー!」

 「すっごく素敵なお部屋だったんだよー!」


 途端にあがる明るい声に、ファンは口許を緩ませた。昨日、少し彼女たちも微妙な顔をしていたが…もうなんでもないらしい。

 

 「ファン殿!おはようございます!」

 「おはよう、エルディーンさん」

 「き、昨日はすみません!!あの…何でもないので、お気になさらず!」

 「ああ、うん。元気になったなら良かったよ」


 頷くファンに、エルディーンは微妙な顔を向け…それから、意を決したように口を開いた。


 「…大変。失礼なことを、お聞きするのですが…」

 「ん?」

 「む、虫!…食べたこと、あるのですか?」


 声はだんだん小さくなり、視線もファンの顔から胸元辺りに落ちていく。それでも聞こえないほどではなかったし、あいにく、ファンは耳もいい方だ。


 「あ、もしかして、俺の本読んでくれたとか?」

 「ナナイから聞いて…」

 「そうなんだ!うん、天卓山地付近は農耕がほとんどできないから、狩猟採集が主な食料を得る手段なんだけど、特に良く食べられているのが、『竹の乳』って呼ばれるオオミドリサンの幼虫でね!成虫は翅を広げると俺の両手くらいある巨大な蛾なんだけど、幼虫も蛹になる一歩手前の五齢くらいになるとかなり大きくて、結構食いでがあるんだよ!味は三齢くらいのが竹の爽やかな味がして美味いと思うんだけど、そこは現地の人も意見が分かれていたなあ!あとね…」

 「そこまで」


 ぐい、と横から顔を押されて、ファンの声が止まる。

 それを成した守護者スレンは、さすがに憐みの目を、虚ろな目付きで引き攣った笑いを浮かべる少女へ向けた。


 「興味があるのかと…」

 「『是』か『否』だけでいいだろうが」

 

 とは言え、「いや、食べたことはないよ」と言う返答を、一縷の望みをかけて待っていたのであろう。ファンをもう少し知っていれば、そんなわけがないとわかるだろうが。

 その著作を読んでいないヤクモでも「ファンなら食うね」と疑いもせず肯定する。


 それくらいで怯むようじゃ、やはり主の伴侶には相応しくない。そう内心にクロムは頷いた。

 まあ、虫を一緒になってバリバリ食う女が良いのかと言われれば、それはそれで微妙ではあるが。


 それに、ファンがこの小娘に絆されるかと言えばそれはそれでないだろう。

 おそらく、ナナイより年下はファンにとって「見守り、保護すべき対象」であり、恋愛感情はおろか、女として抱く対象としても見ていない。

 いや、ファンに恋愛感情と言うものが存在しているかどうかすら怪しいが。

 そんな厄介な男を相手取るには、あの小娘ではさすがに荷が重い。可哀想であるが、早めに諦めがつくのは良い事だ。

 そう思う程度には、クロムはエルディーンの事を見直している。 


 「クロム…わかったから、手、退けて…」

 「わかりゃいい」

 「ファン、虫を食ったのか!どんな味だ!美味かったか!」

 「戻すな!馬鹿!」

 

 まったく、と溜息を吐きながら主の顔から手をどけると、視線を感じた。

 反射的に顔を向けると、クロムの視線(ガン付け)に気付きもせず、ファンを睨みつける騎士の姿があった。


 そりゃ、面白くもないだろう。大事大事とお守りしてきたお嬢様があっさり男に惚れて、ある意味弄ばれている。しかも、長年逆恨みしてきたアスラン人だ。

 だが、だからと言ってファンに無礼を働いて良いわけではない。一回、ヤキ入れてわからせるかと考えた時…騎士が動いた。


 すべらかにその場で片膝をつき、お手本のような礼をとる。


 「アスラン王国、第二王子殿下のご厚意、感謝いたします」

 

 中庭に響き渡る、朗々とした、声。

 それは西方語だったが、サライの住人には西方語のわかるものも多い。何人かが、目を丸くして跪く騎士を…そして、呆然とするファンを見た。


 「クソがッ!!」


 事態を把握するよりも早く視界を染めたのは、怒り。

 どんな不都合が起こるかと言う予想や対応策よりも早く、主が「言わないでいてくれ」とわざわざ伝えた事を反故にした…それもおそらく、意趣返しでだ…騎士に対し、殺意が沸き上がる。


 今すぐ、こいつを排除せねば。思った瞬間動こうとした身体を止めたのは、こつん、と左胸に当たった主の手だった。

 

 「いやだなあ。レイブラッド卿。何を言っているんですか」


 最初は、僅かに硬く、震える。

 しかし、騎士の名を呼んだ辺りからはすべらかに、笑いさえ含んでいた。


 「…このような素晴らしい宿、殿下の好意なくては宿泊を断られていたでしょう。その御礼を申し上げねばと」

 「あきらかにアレな人でなきゃ、別に誰だって泊めてくれますよ。人気の宿ですからね。部屋が空いていたのは運が良いけれど」


 ファンの言葉に嘘はない。

 サライの宿は大抵、「突然のお客様」の為に一部屋二部屋は残しておくものだ。

 今回は旅駱駝亭という伝手から、その部屋へ泊めてもらえただけで、王家の威光などは欠片ほども必要がなかった。


 旅をするのは商人に傭兵と冒険者くらいなものであるアステリアでは、高級宿自体が少なく、庶民が金さえ払えば宿泊できるものではない。

 その高級宿は、貴族や神官が「お忍び」で遊ぶために使う高級娼館を兼ねているところがほとんどだ。だから騎士も、ファンの名で宿泊できたと思ったのだろう。

 

 そうだとしても、いきなり恩を仇で返してくるのが貴様の騎士道かと怒鳴りつけたい所ではあるが。


 なにより、騎士は「何故ファンが身分を伏せているのか」を根本から勘違いしている。そうした方が気楽だから、と言うのはもちろんあるが、それだけだと思っているのだろう。

 

 だから「王子様の気晴らし」の邪魔をして、主を泣かせた罰にしてやれ…と考えついたのではないか。


 「レイ…っ!何、を、何を言っているのですか!ふぁ、ファン殿は冒険者で!確かに、アスラン人ではいらっしゃいますが!!」

 「身分とは、気まぐれで詐称して良いものではありません。王、貴族、騎士…その順序を違えてはいけません。やはり、尊き血を持たれるお方が、侮られるなどあってはならない事なのです」


 一番侮っているのはお前だろうが!!と拳と共に叩きつけたいところだが、主がそれを許してくれない。手は外れず、クロムの動きを止めている。


 周辺の客たちのざわめきは大きくなり、神官たちはやや顔を青褪めさせ、少女たちは戸惑って何故かナナイの顔を見つめていた。

 仲間たちは…ファンを見ている。同時に、クロムを止められるような位置にヤクモとユーシンが動いていた。うぜぇ、やんねぇよ、今はな、と内心悪態をつき、半歩引いた。


 「うん、でも、俺は第二王子じゃないですからね。ナランハルがサライにいるわけがない。今頃、王宮で当時の祭りの練習に励んでいるはずですよ」


 少し引き攣ってはいたが、ファンは淀みなく言ってのけ、同時に髪を隠していた布…鼠の小便臭い布はさすがに取り上げられ、代わりに巻いている布だ…を外した。

 朝日を浴びて輝く、その朝日と同じ色の髪。


 「ねぇ、皆さん」


 そして、周囲の客をぐるりと見渡す、満月の色の双眸。

 アスラン人なら、それを同時に身を宿す者が誰だか、わからないはずがない。

 まして、二太子ナランハルに対して、「いる」だとか、そんな言葉を使うはずがないのだ。

 

 子供がそんなことを言えば大人に叱られ、大人なら周囲から白い目を向けられる。アスランに於いて、クロウハ・カガンの血は絶対だ。黄金の血脈(アルタン・ウルク)は神にも等しい。

 実際、大祖と開祖、そして五代は神として祀られているから、王族は神の子孫である。

 分別のある、まともなアスラン人なら「ナランハルがサライにいらっしゃるはずがなく、王宮にて冬至の祭りに備え、修練に励まれておいでだろう」と言うはずだ。

 そうしないのは余所者か、捻くれ者か、あるいは。


 本人。


 「左様にございます!ナランハルは大都におわされる!サライにではなく!」


 満月色の視線を向けられた紳士が、膝掛を落としながら立ち上がり、顔を赤くして叫んだ。

 クロムから手を放し、ファンはその紳士に歩み寄る。落ちた膝掛を拾って、にっこりと笑いながら手渡した。


 「うんうん。そうですよねー。あの人、ちょっと冗談が好きで」

 「左様にございます!!」


 がくがくと手を震わせながら紳士は何とか膝掛を受け取り、ぺこぺこと壊れたようにお辞儀を繰り返す。

 完全にファンが誰だかわかっていて、それでも本人の「ナランハルはサライにいない」と言う言葉に同意しているのは、少々滑稽でかなり気の毒だ。

 しかし、年末年始に一族で集まった時「実は…」と話すとっておきの話題になるのだから良いだろう。その証拠に、紳士の顔は感極まり、屈辱ではなく歓喜に震えている。

 

 「父に、古い友人のご家族が会いに来てくださったんで、迎えに来たんですよ。さ、行きましょうか」


 誰に言うともなく、しかし中庭全体に伝わるように響かせる言葉には、「王命である」という意味が込められている。

 王命詐称は重罪だ。しかし、完全に嘘でもない。バレルノ大司祭は確かに八代大王モウキの古い友人であるし、ロットたちは孫弟子にあたるのだから、家族も同然である。

 クソうざい政敵共に嗅ぎつかれたとしても、どうにでもなる範囲だ。何より、モウキ自身が「うんうん。そうだよー。ファンちゃんにお使い行ってもらっただけー」とか言えばそれ以上つつくこともできまい。

 だから、今は主に合わせればいい。痛くもない腹を探られれば不愉快この上ないが、それは原因を作ったやつにぶち当てればいい。


 「そうしよう。ナランハルはサライにはいらっしゃらない。そのような妄言、違う場所で聞いたら、誰が噂を流したのか突き止めないといけないな」

 

 ファンに続いて、駄目押しをする。ぐるりと周囲を見回し、一人一人の顔を覚えるぞ、と言うように目を合わせながら。

 これで、今日一日くらいは我慢してくれるだろう。早めにサライを出なければいけなくなったかもしれないが。


 何事かとやってきた宿の案内係に「なんでもないですよ」と笑って、それ以降は押し黙り、一行は宿を後にした。

 少女たちは不安げに手を取り合い、ナナイとガラテアが励ますように前後に寄り添う。

 ただ一人、エルディーンだけは青褪めながら己が騎士の手を引いて、肩を震わせて歩いていた。


 「とりあえず、旅駱駝亭行くか。ちょっと、話し合いしないとね」

 

 はあ、と全身から力を溜息と共に抜いて、ファンが呟く。

 何か言おうとしたエルディーンにいつもの笑顔を見せて制しつつ、旅駱駝亭の方向を指さして見せた。


 「とにかく話は、旅駱駝亭着いてから。シド、誰か着いてきてないか警戒を頼んでいいかな?」

 「任された」

 「クロム、ユーシン、ヤクモ。ちょっとでも引っかかるものがあったら警告してくれ。流石にいきなりはないと思うけど」

 「うむ!今のところ、何もない!」

 

 所在がばれた瞬間暗殺者が向かってくるようなことはない。しかし、先ほどの客の一人二人が、耐えられずにどこへ向かうのかと後を付けてくる可能性はある。それに対して何しているんだと問われて、言ってしまわないとは限らない。

 そうなれば、旅駱駝亭に着くころには百人単位の野次馬を引き連れての行軍になってしまう。


 周辺警戒しながらの道行は、誰も会話をせず、重いものになった。さすがに恐れ多いと思ってくれたのか、後をつけられることはなく警戒だけで済んだのは幸いだった。懸念した通りのことが起きれば、今後の行動を真剣に検討する必要がある。

 

 迎えに出た旅駱駝亭の若女将は何かあったのを察して微妙な顔をしたが、すぐに昨日の部屋に一行を通してくれた。

 その気遣いに感謝しながら腰を落ち着かせ、改めてクロムは騎士を睨みつける。

 ファンの目が反れたら斬ってやろうと思っていたが、歩いているうちに多少は冷静さを取り戻していた。


 なるほど。昨日ファンが言っていたのはこれか。

 そう思いついたのは、旅駱駝亭まであと少し、と言う地点だったが。

 

 命をかけた嫌がらせ。ファンの元友人と同じだ。そうして自分が死ねば、主はアスランを再び憎み、ファンを憎む…かも知れない。

 そして、自分の存在を永遠に忘れないだろう。


 そこまでは考えず、ただただ、本当に気晴らしの邪魔をしているだけと言う可能性も否定できないが。

 どちらにしろ、馬鹿馬鹿しい。そんな独りよがりの自慰行為に付き合ってやる義理はない。やはり後でヤキ入れる程度で済ませてやろう。と結論付ける。


 「…なんのつもりだ、てめぇ…と言いたいところだが、どうせただの嫌がらせだろ。ほんっとクソだな」

 「そうではない。正しい礼を取ったまでだ」

 「あ?今更か?」

 「クロム、どこのチンピラさんだよ…」


 返答は謝罪ではなく、あくまでも主張を通すものだった。だが、レイブラッドの顔は主に負けず劣らず青褪め、唇は微かに震えている。


 侮られることはあってはならないと言いながら、最も侮ったのはレイブラッド本人だ。

 ファンなら、慌てる程度で済ませるだろう、ちょっと困らせてやろう。そう侮ったからこそ、あんなことをしでかしたのだから。


 だが、歩いているうちに冷静になったのは、クロムだけではなかった。レイブラッドも、己が何をしたのかと言う事を理解したのだろう。


 王族を、侮る。

 侮って、嫌がらせをした。


 自分一人が処罰されて済まされるようなことではない。従者の不始末に、主であるエルディーンが連座したとしても文句が言えない。

 そのエルディーンは、泣きそうな顔で俯いている。友人たちがそっと背中や手に触れていなければ、潰れてしまいそうなほどだ。

 ただ、彼女は自分も罰せられるかもしれないという恐怖ではなく、ファンとの約束を破ってしまった、と言うことに震えている。零れる微かな声は約束を破ったことに対する謝罪だけで、命乞いや騎士への叱責はない。


 しばらく、その声だけが部屋に零れる。のしかかる沈黙に、誰もが俯く。

 そんな重苦しい空気を破ったのは、ファンのいつもと同じ調子の、声だった。


 「えーっと…知らなかった皆、ごめん。なんか冗談みたいだけど、俺は本当にアスランの王子なんだ」


 重大な秘密を打ち明けるには、あまりにも軽い声。

 大した秘密じゃないんだけど、まあ、一応ね、隠してたんだ。

 その程度の事であるような声音に、張りつめていた空気が緩んだ。


 それに頷き、口を開いたのはロットだ。白くなっていた顔には血の気が宿り、いつもの落ち着きも取り戻している。


 「私からもすみません。大司祭から聞いて、知っていました」

 「…ぼ、僕は、マルダレス山でウー老師様から…」


 師弟の告白…特にウィルの発言に、ファンの目が丸くなる。


 「え、そうだったの?」

 「あのおっさん、ろくなことしねぇな。戻ったら締めるか」

 「い、いや、その前に、ファンさんがナランハルって呼ばれてて、それで、ナランハルの意味を教わって…!そうなんですかって聞いたら、そうだって!だから、あの人が悪いわけじゃ…」

 「ウィル、あのおじちゃんはそんな庇わなくていーと思うんだよ」


 王子と知っていました。けれど、それで態度を変えたりはしていません。

 そう身をもって示す師弟に、ファンの口許が綻ぶ。

 そして、ファンよりもさらにその姿に勇気づけられたのは、彼らの妹弟子たちだ。

 元々、彼女たちからすれば子爵と言う下級貴族でも雲の上の存在で、もっと上の王族といってもピンとこない。

 エルディーンもそうだし、本人が良いと言うなら、今まで通りに振舞えばいいのでは…と思うし、それなら「本物の王子様」に聞いてみたい事もある。


 「あの…王子様ってことは、白馬に乗ってるんですか?」


 おずおずと問い掛けられた質問に、ファンは笑いながら首を振った。


 「俺の愛馬はむしろ黒いよ。黒鹿毛で、足先が四本とも白くてね。手袋と靴下履いているみたいなんだ。今頃は冬毛になって、もこもこだろうなあ」

 「あの猛獣を可愛く言うのはやめろ」

 「コロ、可愛いじゃないか。甘えん坊だし」

 「お前にだけな!」


 白馬に乗った王子様、というイメージは根強いらしい。しかし、あっさりと否定されて「白馬じゃないんだあ…」と残念そうな声が漏れる。

 それを皮切りに、少女達の口からう矢継ぎ早の質問が飛び出した。


 「あ、じゃあ!朝起きたら、そのままベッドでご飯を食べます!?」

 「そのベットには天蓋ついてますか!」

 「舞踏会って、毎日やるんですか!」

 「お姫様、お姫様はいますか!」

 「薔薇園でお茶会とか!」


 きらきらと輝く好奇心は微笑ましい。しかし、そのどれもにファンは首を振り、ユーシンも同じように首を振った。王子様への質問と言うことで、自分も聞かれていると判断したらしい。


 「起きたらまずは家畜の世話だしなあ。茶は部屋で飲んでいくけど…」

 「俺は水だな!」

 「天蓋、アスラン式のベッドにはついてないねえ」

 「蚊帳ならある!」

 「舞踏会自体、アスランではやらないし…」

 「キリクにもない!ファンのところは弟だけだな!アカリは姫になるのか?」

 「アカリは…王位継承権ないからなあ。令嬢ではあるけど。と言うか、あいつをお姫様ですって紹介したら、それこそ夢ぶち壊しじゃないか?」

 「ふむ!それもそうか!アスランの茶会はイントルの下で春に行うな!吹雪のように花びらが散り、とても美しい!」


 ユーシンの説明に、少女たちの目がうっとりと潤む。

 夢に出てくるような美形が語る、夢のような花吹雪の景色。しばらくそれを想像し、見てみたいねえと呟いていたが、ついに一人が目を瞬かせた。


 「ええっと…ユーシンさんも、もしかして王子様…なんですか?」

 「ああ!キリク王国、シーリン王が子、ユーシンだ!」

 

 ユーシンも王子であるという事実に、レイブラッドも驚いたようだったが、少女たちはむしろ、やっぱり!と力強く頷く。


 「やばい…!王子様じゃん!」

 「ねー!すごぉい!」


 きらきらと輝く少女たちの瞳に、ファンはうーんと頷いた。

 冒険者ギルドや定宿周辺でも、顔立ちだけでどこぞの王子様ではないか、と言う噂が立つユーシンだ。説得力がある。


 「まあ、俺とユーシンどっちがそれっぽいかって言ったら、ユーシンだよなあ」

 「顔だけで説得できるもんねぃ。話始めると急に説得力さんが全力ダッシュで駆け去っちゃうけど」

 「腹減った、飯だ!しか言わねぇもんな」

 「何を言う。クロムを馬鹿にすることも言うぞ!」

 「…とまあ、こんな感じなんで、今までと同じように接してほしい。改めて言うけど、俺たちが王子だってことは秘密でお願いします」


 ファンのお願いに少女たちは力強く頷き、エルディーンは泣き顔を上げた。


 「私…お約束、したのに…なんで、レイ…」

 「…申し訳、ございません…軽率でした…」


 ようやく騎士の口から出た謝罪は主に向けてのものだったが、「主を巻き込んだ」という後悔は、なによりも彼への罰になるだろう。

 自分の失態で主が傷付いたなど、最も許せない事態だ。それがわかるからこそ、ヤキ入れるのも罰を受けたと開き直る結果になるかもしれないと、クロムは少々計画を変更することにした。

 それこそ、主にバレたら物凄い小言が降ってきそうだし。


 「レイブラッド卿。俺が身分を伏せているのは、その方が何かと都合がいいってこともあるんですが、安全のためでもあるんです」

 「…王族ともなれば、それだけで狙われると?」

 「普通に暗殺者もきますけどね。王位継承に絡んで、今、色々と厄介なんで。それもあるし…あんまり、その、女の子の前で言いたくはないんですけども…」

 

 むにゃ、と言い淀み。その様子に、すくりと入り口傍に弟と座っていたガラテアが立ち上がる。

 

 「皆、少しこちらへ。聞かせたくないというものを無理に聞くより、今はエルディーンを元気づける方が先決。違うか?」

 「うん、そうだね。エリー、ちょっとこっち!僕、あったかくて甘いもの注文しにいくから、誰か一緒に来て!」

 「あ、じゃあアタシいく!」


 部屋は広く窓際と入り口側に分かれれば、密談もなんとかなる。ぐすぐすと鼻を啜りながら頷くエルディーンをガラテアが助け起こし、部屋の隅へと移動する。

 代わりにシドがやって来て、どすりと腰を下ろした。レイブラッドが主を追おうとするのを阻む位置だ。その氷青の双眸は、色と同じ温度に冷えている。


 「ガラテアさん、ああいう時、神官っぽいと言うか、お姉さんだなあ」

 「まあ、少々手が付けられないだけで、悪い人じゃない…から…」


 ぎくりと身を震わせたものの、シドは振り返らず、視線をファンに向けた。話の続きを促す視線に、ファンの口が開く。


 「アスランの王位を継げるのは、祖父母か両親いずれかがアスラン王であること。上から四番目までの子であることが条件なんだ」

 「ファンなら、祖父も父もアスラン王で、二番目の子。つまり、ばっちり継承権があるってこった」

 「現在、継承権を持つのは俺たち兄弟と、親父の従弟で現宰相の一人。その娘は曾祖母がアスラン王だけれど、祖父母と両親は違うから継承権がない。これをまず、理解してほしい」


 つまり、現在アスラン王になれる可能性があるのは、僅か五人。

 王子たちはまだ若く、子を為していない。今は、まだ。


 「つまり、俺の子は俺の子に生まれたってだけで、王位継承権を得る。次は兄貴としても、十代大王になる可能性はあるんだ。

 そして、アスラン王の祖父母になりたい、母になりたいって人は…当然にいる。そう言う人が俺を取り込もうとした時、周囲の女性をどうするかってのは、あまり尊重してくれるはずがないよな」

 「…」

 「継承権を持つのは、上から四番目までなんだ。もし、周辺の女性が妊娠していれば、どうにか子供を宿しても、継承権を持てないかも知れない。疑わしいなら殺してしまえ…ってなる可能性が存分にある」

 「あなたが…そのような行為をしなければ良いだけでは」


 騎士のか細い反論に、ファンは首を微かに振った。


 「するつもりは当然ない。けど、そう見られるかもってことが問題なんだ」

 「まして、あの小娘の様子見てりゃ誰でもわかる。真っ先に始末されんのはアイツだぞ」

 

 本当に妊娠などしていなくても、寵愛を受ける可能性があるのならば蹴落としておくに限る。濁った眼で見れば、同じものを見ていても、醜く歪み、都合よく捻じ曲がる。

 過去、そうして命を落とした女性がどれほどいたか。

 父の守護者もそれで一人、殺されたらしい。そんな仲じゃなかったんだけどね、と呟いた父は嘘を言っているようには見えなかった。

 

 「本来なら王宮で大人しくしてろって話ではあるんだけど、俺にもいろいろと都合があってね。申し訳ないが、関わったからには諦めてほしい。

 あなたの主張はちょっと横に置いておいて、エルディーンさんに従ってくれないかな」

 「嫌だと…申せば?」

 「サライにおいていく、場合によっては、土の下に」


 俯いていた騎士の目が、見開く。

 まだ、どこかでファンはなあなあにして許すという甘えが、侮りがあったのだろう。

 馬鹿なやつだと、クロムは更にこの騎士の評価を下げた。かつてマルダレス山で身体を張って主たちを守った時は少々見直したが、どうやら間違いだったようだ。


 「脅しと取られても仕方がない。でも、諍いの種を抱えていくわけにもいかないんだ。俺らだけならどうにでもなるけど、あの子たちを守らないといけないからね」


 声音は変わらない。だが、その底に真冬のような冷たさと厳しさがある。

 カタカタと震え始めた騎士は、目の前にいるのがお人好しなだけの人間ではないこちに、ようやく気付いたのか。


 しばし、再びの沈黙が落ちる。

 

 「…ファンさん」


 それを破ったのは、ファンではなく、黙ってやり取りを聞いていた大神官…ロットだった。


 「はい」

 「彼の監視、どうか私に預けてくれませんか?」

 「ロットさんに?」


 僅かに驚きを含んだ声に、大神官はこくりと頷く。微笑を口許に浮かべて。


 「『静寂』の御業は授かっています。いざとなれば、女神の御力で黙っていただくことが出来ますよ」

 「そりゃ、助かりますが…」

 「ほら、神官ですから。私。迷える魂を突き放すのはどうかと思って。なあ、ウィル」

 「そ、そうですね!!」

 「勿論、彼が離脱を望むならば致し方ないと思いますが…その際は、大神殿に紹介状でも書きましょう」


 エルディーンの元を離れ、騎士であることも止めるか。

 それとも、過ちを悔いてその背を守り続けるか。

 どちらにするかと、言外に大神官は問う。


 「私は…どう、したら…」

 「決められないなら、決まるまで足掻けばよろしい。また間違うようなら、私が止めます。それでよろしいでしょうか?ファンさん」

 「俺としては構いません」


 大都までの道のりは、まだ長い。

 その間に、騎士は答えを見出すことが出来ればよし。できなければ、その時に考えれば良い。最悪の場合。その場で捨てていくだけだ。

 この先、フフホトや大都でなら、何か起こってもどうにかできるし、レイブラッドも同じことはしないだろう。


 まったく。世話が焼ける。俺がしっかりしないとな。

 あのクソ馬もしくはクソ鴉、下手なダジャレ言ってないで、信徒の一人でも導きやがれ。

 

 額を…今は見えないがそこに在るはずの刻印を撫で、クロムは内心に悪態をついた。

 

***


 「まいったな」

 

 足もとに転がるものを見て、ホンランは眉をひそめた。

 

 「おぬしが追いかけて来ておったのは、こやつで間違いないのか?」

 「はい。残念ながら」


 大都から来た断事官と、サライの主将が言葉を交わすのは、サライでも貧民があつまる区域、その中にある一軒の宿屋だ。

 宿というよりも、牢獄と言った方がしっくりくる。部屋は二人横になればもう余地がなく、家具と言えるものは何一つない。雨風を避けて獣にも襲われないだけの宿である。

 入口には戸がなく、粗末な布が掛けられているが、今はその布は外され、部屋の中を廊下とは名ばかりの土間から見ることが出来た。

 

 「泊りに入ったのは一人だけであったと」


 顔を顰めたアスラン騎士が、真っ青な顔で震え続ける男から何とか聞き取れた情報を報告する。男の足元には吐瀉物が広がり、さらに部屋に充満する臭気を濃くしていた。

 

 「そうか。そうだろうな」

 

 部屋に転がるのは、人間だったもの。

 胸から下はなく、両手も同じ位置からない。顔は剥ぎ取られておらず、しかし、人間の顔はここまで歪むのかと思えるほどに、目を、口を開き、舌は突き出ている。

 胴の断面から当然こぼれ出ているはずの臓器はない。血液すら、周囲を湿らせる程度だ。


 「大都と同じ手口か」

 「はい。間違いありません。この臭い…」


 本来なら、こんな死体が狭い空間にあれば、むせかえるような血臭が充満しているはずである。しかし、部屋を満たしているのはもっとツンとした刺激臭。

 宿の主人が吐き続けている、吐瀉物と同じ臭い。


 「大都の場合は、顔が剥ぎ取られていますが、それ以外は一致しています。顔を剥ぎ、それ以外を酸で溶かす…間違いなく、『顔剝ぎ』の手口だ」

 「ふむ。で、その『顔剝ぎ』と思しきものが、こやつ、と」

 「はい。まんまと本物にしてやられました」


 転がる死体は、大都に住む貴族の一人だ。名ばかりの一族ではなく、官僚や将を多数輩出している一門で、影響力も強い。

 とは言え、全員優秀、もしくは善良と言うことはなく。


 この男は、職にもつかず親兄弟の脛を齧って似たような境遇の連中と遊び歩く厄介者だった。

 なまじ、兄も弟も優秀だったのが余計に性格を歪ませたのだろう。男は酒と女に溺れた。そこまでは、良くある話だ。


 男が好んだのは、妓楼で微笑む太夫ではなく、路上で春をひさぐ貧しい娼婦である。

 紅花買いを呼びつけては怒鳴り、殴り、怯えて震えるのを犯すことを好んだ。あまりの事に、紅花買いの元締めたちが、何かと理由をつけて男へ派遣するのを拒んだほどの狼藉だ。

 それでも、金を出せば首を縦に振る元締めはいる。男は愚行を止められることなく、残虐な性癖を満たしていた。


 早い段階で、この男が犯人ではないかと言う情報は、捜査隊の許に届いていた。

 紅花買いは違法であるから、元締めが被害を訴えることは基本的にない。

 それでも、数名の元締めから「きっとこいつだ」と届けがあり、密かに捜査が始まった。


 『顔剝ぎ』の犠牲者は、ほぼ人の形を留めておらず、身元が分かったのは僅かに二人。そのうちの一人が見つかった前日に男に買われている事が分かり、間違いないと捜査隊は頷いた。

 これで、断事官が動かせる、と。


 元々、あまりの猟奇性から早い段階でアスラン王の許に報告書は届いていた。それでもホンランら断事官が動くことが出来なかったのは、殺されたのが紅花買いと言う犯罪者だったからである。

 大都に百名しかいない断事官は、アスランの法そのもの。

 法に則り、事を断ずる。その断事官を、アスランの法をないがしろにする犯罪者を守るのに動かすのか。

 

 そう断事官を統べる御史台より待ったがかかり、それはもっともな事と御前朝議でも承認された。こうなれば、王命を発して無理に動かすことはできない。

 何より、アスラン王自身確かにそうだと頷いた。そうなれば、いくら断事官たちが声を上げても覆らない。

 ただ、頷くにあたりアスラン王は一つ、命を下した。

 

 犯罪者を守る事と、アスラン人の犯罪者を罰することは別だ。犯人がアスラン人であるのなら、捕縛しなければならない。楽しみのために殺傷することを、アスランの法は固く禁じているのだから。

 

 つまり、目星がつけば動け。そう王命にて宣言したのだ。

 

 証拠を手に入れ、捜査隊はすぐに御史台に報告し、その時案件を抱えていなかったホンランに、下手人を捕らえよという命令が下される。


 だが。

 命が下る直前、男は大都を出てしまった。


 捜査班に逃げられたかと緊張が走るが、男は毎年この季節はサライにいる親戚の許に赴くという。

 それならば、と胸をなでおろす反面、もしもこれでサライでも同じような事件が起きれば間違いない、と昏い予想が囁かれる。

 そして、その予想通り、サライでも顔を剥ぎ取られ、鎖骨から上と右腕以外を溶かされた遺体が発見された。


 もう間違いない、とホンランが直々にサライに赴き…そして、犯人と思われていた男の死体が、見つかったのである。

 

 見つけたのは、まだ背を震わせている宿の主人だ。男は昨日の夕方ごろに宿に現れ、朝になっても出てこない。

 そして、退去時間になったぞと部屋に入った主人が悪臭に顔を顰めながら部屋を隔てる布を捲ると…残骸が転がっていた、と言うわけだ。


 つまり、男は『顔剥ぎ』ではなかった。

 しかし、『顔剝ぎ』は今、間違いなくこのサライにいる。

 

 「警戒を、続けましょう」

 「そうするしかあるまい…しかし、本物はどうしてこやつを殺したのか」

 

 男は自分が疑われ、衛兵に監視されていることに気付いていなかったが、仲間内には「俺が『顔剝ぎ』だ」と吹聴していた。

 言われた方は男の性癖を知っていたから、それを大袈裟に言っているだけだと笑っていたが。

 

 「狂人の中には、犯行を仕事か芸術かのように誇りに思うクソがおります。手柄を取られたと苛ついたのやもしれません。ただ、これでやりやすくはなった」

 「やりやすく?」

 「ついに奴は、アスラン国民を殺した。これで、堂々と部隊を動かして捜査ができます」

 「しかし、それは、お主自身が襲われる可能性もあるという事ぞ。こやつが『顔剝ぎ』を詐称したから殺されたのであれば、其を追うお主が狙われるやもしれん」

 「断事官を拝命した時より、覚悟の上」


 犯人は、今まで身元が分かりにくく、わかっても騒がれない相手を狙っていた。

 しかし、この男は性根が腐ってねじ曲がっていても、アスラン国民。さらに、貴族である。

 

 あきらかに、犯人は一線を越えた。

 その手は、もう誰に伸びるかわからない。


 「アスランの法を踏みにじるものは、法の下に断じます」


 ホンランの手が、腰の剣に伸びる。

 断事官拝命の際に賜る剣は『法を侵すものを断じよ』という王命、それを形にしたものだ。

 

 「…爺がおせっかいをやくぞ。ココチュをお主の護衛につけるよう、オドンナルガへ具申する。あ奴が今、サライにいることはまさに雷帝の采配よ。法を守るものを、お守りくださる」

 「たまには素直におせっかいを有難がります。…ナランハルにも、ご注意申し上げましょう」

 「うむ。ナナイ様もご一緒であることだしな」


 老将は重々しく頷き、すっかり白くなった髭を撫でた。


 「ナランハルとナナイ様の御身に関しては、我が不詳の弟子が死に物狂いでお守りしましょう」

 「不詳の弟子にしては、なんだその自慢気な顔は」

 「はて、なんのことですか?老眼が進み過ぎておりませぬか?」

 

 師弟は鏡と言うか、クロムの口の悪さの原因は、少なからずこの師匠のせいであろうなあ。


 そうヤルトネリは思ったが、口には出さなかった。

 家具など何もないような宿ではあるが、共用と思われる水瓶が、乾いて廊下に置かれている。

 カッとなってやったとか言いながら、それで殴られたらたまったものではない。


 「しかし…この死体。下郎めは、魔導士か…人の大部分を酸で溶かすなど」

 「大学の連中が言うには、風呂桶いっぱいは酸が必要とのことですから。魔導士であるというより、そう言う魔導具を所持している可能性が高いでしょう」

 「…そのような強力な魔導具か」

 「ええ」


 二人の脳裏に浮かんでいるのは、数年前の冬の日。

 一人の少年が、運命に右手を捧げた日。

 

 「可能性は、あるかと」

 「うむ」


 老将と断事官はそれきり口を噤み。

 無残な遺体が、更に詳しく調査をするため、運ばれていくのを見送った。

 

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