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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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善き者と交われば月の光、悪しき者と交われば蛇の毒(朱に交われば赤くなる)4

 「はあー…」


 気の抜けた溜息が、青磁のタイルが貼られた天井に湯気と共に登っていく。

 遊牧陣地クリエンでも簡易式の風呂には浸かったけれど、やっぱり手足を伸ばして入れる風呂は格別だ。

 入ろうと思えばうちのパーティ全員が入れる程度の広さはあるけれど、今、湯につかって身も心も液状化しているのは俺一人。

 クロムは浴室の入り口で警護中だし、ユーシン達は客間に案内されている。

 俺らだけならクロムも一緒に入るけど、祖父ちゃんの守護者スレン二人が怒るからなあ。守護者が警護もせずに何やってるって。別に良いのに。


 先々代の紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)は大変にお元気で、頭もしっかりしていると言っても、やっぱり年齢的にはお爺ちゃん。

 同じ話が余裕で三回は繰り返されるし、クロムが耐えられるのは二回目までだ。

 その話、さっきも聞きましたけど?とか口答えすれば、なにこれ既視感?時を遡った?と首を傾げるくらいの無限説教ループに陥る。


 俺があがったら、クロムにも入ってもらおう。最近また気を張っているから疲れてるしな。

 とは言え、以前よりも改善している。ちゃんと問題ないと判断すれば熟睡しているし、全方位にむけて警戒しまくることもなくなった。

 なんとなく、クロムの中で折り合いがついたというか、気を抜いていい時の判断ができるようになったんだろう。良いことだ。


 今、俺がまさに気を抜きまくっているこの場所は、サライ離宮の湯殿。

 王族がサライを訪れた際に宿泊する、サライ総督府の敷地内にある館だ。当然警備は厳重で、侍従官の中には体術に長けた護衛官もさりげなく混ざっている。

 クロムだって気を抜いても、全く問題ないところだ。

 うん。ここに宿泊すると「ご挨拶」やらなにやらで大忙しになるから、普通に宿屋に泊まろうと思ったんだけどね。

 

 満室の旅駱駝亭に代わる、今夜の宿は見つかった。

 かなりの高級宿と、ごく普通の旅人宿。

 どちらも、空き室状況から全員は宿泊できない。そんなわけで、俺たちパーティは旅人宿にすればいいかと思ったんだけど。


 当然ながら、祖父ちゃんに怒られました。


 「そちとユーシンに何かあれば、ヤルトネリの首が必要になるぞ?」と言われては、「何もないよー。心配性だなー」と笑う事は出来ない。

 とりあえず、「ご挨拶」は祖父ちゃんが受け持ってくれるというので、俺たちパーティにナナイ、それからシドとガラテアさんは「祖父ちゃんと一緒に親戚のうちに泊めてもらう」と説明して離宮へ。大神殿組とエルディーンさん、レイブラッド卿は高級宿に泊まってもらう事にした。

 明日にはまた、旅駱駝亭で落ち合って今後の方針を話し合い、午後からはサライ観光の予定だ。


 必需品もちゃんと気に入ったのが買えたみたいで、皆の機嫌はすこぶるよかった…と言いたい所なんだけど、なんか俺を見て微妙な顔をしているし、エルディーンさんは泣いてたっぽいし、それでレイブラッド卿は睨んでくるし…何があったんだろう?

 ナナイに事情を聴いたらしいクロムが「問題なしだ。とんでもなく苦い薬を飲まされたみたいなもん」って言ってたから、それ以上は聞かなかったけど…。

 

 宿はサライの宿ランキング上位入賞常連店で、サライ在住の女性も自分へのご褒美として泊まりに行くほどらしい。何にしょげちゃったのかわからないけど、少しは癒されるだろう。

 まあ、目的地の一つについて、いろいろ気が抜けて張りつめていた緊張が解けたせいなのかもしれない。十代半ばの女の子が、親から逃げて殺されかけて異国に逃亡するんだから、怖いし辛いのは当然だ。

 気が緩んだら恐怖やなにかがどっと溢れてきたのだとしても、無理はない…ってことにしとこう。

 

 「ふう…」


 俺も今、こうして気を抜きまくっていると、そのまま湯船に沈みたいくらい疲れていることを自覚したし。今日はさっさと寝なきゃな。

 この離宮の図書室には絶対近付かないようにして…寝ているときに夢遊病の如く向かわないように、申し訳ないけれど警備兵を重点的に配置してもらおう。俺がふらふらやってきたら止めてもらえるように。


 本当にこのままでは寝てしまいそうだったんで、よし、と決意してお湯から身体を起こす。

 立ち上がると、浴室の隅に控えていた侍従官三人が速やかに歩み寄ってきた。

 三人の手によって身体が綿布で拭われ、保湿用の油を刷り込まれ、仕上げに絹布で擦られる。

 …久しぶりにやられてるけど、すっごい恥ずかしいな。これ。

 けど「自分で出来るんで良いです」なんて言おうもんなら、ショックで倒れられそうだしなあ。


 何しろ、こっちは素っ裸で武器も持っていない。殺そうと思えば、割と簡単に殺せる無防備さだ。いや、素っ裸で武器も防具もないからって言っても、親父や兄貴を殺せる暗殺者はそうはいないと思うけれど。

 その状態でも接近接触を許されるのは、立ち居振舞いや王家への忠誠を認められたという証であり、志願してもなかなか浴室配属の侍従官にはなれない。

 まさに栄誉職であり、退官した後も貴族や大商会から「是非うちに!」と就職の勧誘がすっ飛んでくる。

 

 そんな人たちに…しかも、サライ離宮は常に誰かが使っているわけではないから、身に着けたスキルや忠誠心を発揮できる機会も少ない人たちに、「あ、自分でやります」なんて言うのがどれほど酷い事かくらいは、ちゃんとわきまえているつもりだ。


 でも、やっぱり護衛官も兼ねる浴室侍従官…つまり、筋肉ムキムキの男三人に身体をくまなく拭かれると言うのは、恥ずかしい以前に割とシンドイ。絵面が地獄と言うか…。

 なにせ、風呂場なんで向こうも薄着一枚だ。武器を持ち込んでいないことを証明するためにも、布面積は極端に少ない。

 無だ…。無になろう…。なるべく、客観的に現在の自分を見ないようにして…。あと、侍従官たちも焦点を合わせて見ないように…。


 視線と心を遥か彼方へと向けていると、す、と三人が下がった。拭き終わった身体に絹のローブ…いったい幾らくらいするんだろ…が掛けられた。

 

 「ありがとう」

 「ナランハル…」


 侍従主官が、意を決したように俺を見上げ…彼らは跪いてるからね。視線を下に向けると、逞しい胸筋とその下の見たくないものが見えそうなんで立っててほしいけど…意を決したように言葉を続ける。


 「濡れた床はやはりあぶのうございます。我々がお渡ししたほうが…」

 「だいじょうぶっ!ちょっと湯につかりすぎたから、ひんやりした床を踏みたい気分っ!」


 この上さらに、男三人に担がれて運ばれるとか、勘弁してください…。

 

 「なんと、それはいけませぬ!すぐに横に…!」

 「うんっ!すぐ外に出て、寝台に横になるよっ!」


 力づくで担がれる前に、逃げるのがこの場合の上策だな。

 さっさと浴室とその先を隔てる出入り口に向けて歩き出し、「あー、いいお湯だったなあ!」と声を上げると、出入り口に垂らされていた布が捲られた。

 

 その先からこっちを見ているのは、クロムと…ユーシンに、ヤクモ。あ、シドもいるのか。

 宛がわれた部屋で休んでいると思ったんだけど、暇を持て余したかな。もう空腹を覚えたとかじゃないと良いんだけど。まだ、日が沈んでもいないぞ?

 さすがに俺の顔を見るなり「腹減った!」とは言われなかったので、出てきたばかりの浴室を指し示す。


 「風呂お先。お前らも入ってこい」

 「うむ!」


 頷くなり服を勢いよく脱ぎ捨てたユーシンに、ヤクモが怒ろうとして止まった。床に落ちる一瞬前に、侍従官が服を受け止め、その後もぽんぽんと飛んでくる服を受け止めては籠に入れていっている光景に固まっている。

 怒りもせずいい笑顔でそんなことをしている人見たら、脳や様々な器官が一時停止しても仕方がないだろう。困ったように俺を見られても、なんと言ってやるべきか。

 そんな光景を気にした風もなく、クロムは浴室に視線を向けた。その先には、膝をついて待機している浴室侍従官たちの姿がある。


 「風呂はありがたいが、あのおっさんども退けろよ」

 「俺も耐えたんだから」


 一瞬物凄く嫌そうに顔を顰める。けれど、彼らを無碍にできないことはクロムも一応わかっているのか、すぐに溜息を吐いて顔を戻した。


 「まあ、馬鹿の世話をやかせりゃいいか…」

 「え、あの人たち、なに?」


 クロムの視線の先を見て、初めてヤクモは浴室侍従官の存在に気付いたんだろう。不安そうにムキムキのおっさん三人を見つめる。

 ヤクモの質問には答えずに、クロムが声を張り上げた。

 

 「ユーシン殿下がご入浴だ。また、その御友人はアスランの入浴に慣れておられない。丁重にな」

 「心得ましてございます」

 「え!?なに?なになにぃ!?」

 「服を脱いであそこの湯につかる!それだけだ!」

 

 ユーシンの端的すぎる説明にますます不安がるヤクモを後目に、さっさとクロムは自分の籠に着ていた服を脱ぎ入れていく。シドも少し躊躇ったものの、それに習った。

 護衛である二人には、浴室侍従官はつかない。ヤクモが縋るような目を向けてくるけれど、慣れてないのも事実だしなあ。


 「えーと、ヤクモ」

 「ファン~!剝かれる!服取られる~!」

 「頑張れ!」


 ぐ、と拳を握って見せると、ヤクモの顔に絶望と言う文字が浮かんだ。抵抗が止まったのを見て、侍従官たちがてきぱきと服を脱がしていく。

 彼らは浴室侍従官候補であるし、隣国の王子とその御友人のお世話をできるともなればそりゃあ張り切る。いい仕事をしたと評価されれば、浴室侍従官に昇格もできるしな。

 

 最後の砦を剥ぎ取られたヤクモの視線は少々痛かったが、俺も絹のローブ一枚じゃ色々と心もとない。

 待機していた侍従官から着替えを受け取り、さくさくと身につけていく。さすがに服を着るくらいは自分でしても許されるしね。下着を履かされるのって、脱がされるより恥ずかしいと思うんだけど、どうだろうか。


 湯殿は浴室と更衣の間に分かれていて、更衣の間は休憩所も兼ねている。

 夏は竹製のラグが敷かれて火照った足裏を冷ましてくれる床は、今は絨毯が敷き詰められ、その上に転がれるくらいの大きさの茣蓙が置かれていた。

 茣蓙の上に腰を下ろし、ほこほこと熱を持った足を延ばす。指先まで赤い。


 「ナランハル、どうぞお口を湿らせくださいませ」

 「うん、ありがとう」


 声とともに横に置かれたのは、銀の盃を乗せた膳。侍従官が瓶子を傾け、その中にやや黄色味がかった飲み物を注いでいく。

 咽喉はからからだ。ありがたく口をつけると、甘酸っぱい梅の味が広がる。疲れた身体に浸み込むような酸味が心地よくて、気が付けば飲み干していた。

 膳に盃を戻すと、すぐさま次が注がれる。今度は一気飲みしないように口をつけ、ひんやりと冷たい感触も味わう。


 浴室からヤクモの悲鳴のような抗議の声が止まらないけれど、うん。今はこの心地よい疲労感と咽喉を通る爽快感に集中しよう。


***


 「うう…ひどい目にあったよ…」

 「ガタガタ抜かすな。拷問されたわけじゃねぇんだし」


 風呂から上がり、ぐすぐすと泣くヤクモを連れて、とりあえず俺の部屋に向かった。

 ヤクモ達が案内された部屋は「すごい部屋」過ぎて落ち着かず、ユーシンの部屋に行ったら「とってもすごい部屋」で、とうのユーシンが調度品を破壊しそうでもっと落ち着かず、俺を探して風呂場に来たんだ、と言うことを愚痴の合間に聞いた。


 俺の部屋は図書室から一番近い部屋を希望したけれど、満場一致で却下されて、一番遠い部屋が俺の部屋になった。酷い話だ…と憤れないだけの前科が自分にあるからな。仕方ない。

 館は二階建てで、俺の部屋は二階の一番西端。図書室は一階の東端だ。西日は蔵書の大敵だからね。

 廊下は絨毯が敷かれ、室内用の靴を履いて移動する。各自の部屋に着いたらそれも脱いで素足になるか、さらに部屋用の布靴に履き替える。


 「じゃあクロムも洗われなよう!!」

 「俺は一人でできっから」

 「ぼくだってできるよ!!うう…なんか王子様、想像してたのと違う~」

 「どんな想像なんだ…」


 そういえば、他所の国だと入浴ってどうしているんだろう。カーランだと占いで入浴する日と時間が向こう十年は決まっていて、湯に浸かる、蒸し風呂にする、身体拭くだけ、とかも細かく設定されているそうだけれど。


 「なんかさあ、きれーなおねーさんが洗ってくれるとか…」

 「お前、横に裸の女いて耐えられんのか?余計恥かくだけじゃねーの?」

 「でもムキムキおっさんはないよ!!」

 「浴室侍従官はいざという時には熊を殴り殺せるくらいでなければ務まらんと聞いた!」

 「さすがに熊は殺せないと思うなあ…」


 一応、希望すれば女性についてもらう事もできるけどね。

 でも、それって夜の方もよろしくって暗に命じるってことだし、ヤクモにはまだ早いんじゃないかと思うわけですよ。

 そういや、パーティ資金で夜の店って話はなくなったんだろうか。ヤクモが希望するなら出資は致し方なし、とは思うけども、俺から積極的に進めるのもなんか気まずくなりそうだし、ひとまず保留にしとくか。


 「って言うかさ。ファンってちゃんと王子様だったんだねぃ」

 「なんか、前にも聞いたな…それ」

 「ああ、俺も思った」


 シドまで…。


 「ウルズベリの伯爵家より、よほど金がかかっていると思うんだがな」

 「そうかなあ?」

 「あれだけの湯を沸かすだけで金がかなり要ると思う」

 「加熱の陣で沸かしているから、金はそこまでかかっていないよ」

 

 お湯沸かすためだけに魔導士を雇っているのが贅沢だと言われればそれもそうなんだけど。

 アスランだと重宝されるのは、風起こしや温度変化を得意とする魔導士で、冒険者に人気の攻撃や攻撃補助を得意とする魔導士は残念ながら需要があまりない。

 魔導騎士としてやっていける程なら軍のエリートコースを直進できるけど、馬か飛竜に跨って魔導を駆使できるって才能もいるからなあ。 

 

 「大都の星竜宮には入ったことがあるが…ここも見劣りしない。なら、あんたの紅鴉宮もそうじゃないのか?」

 「場所によるとしか…」

 「ファンの部屋は、本とかめっちゃありそうだよね」

 「本どころか標本に囲まれてんな。虫の死骸に囲まれて嬉しそうにしてんのは、ほんとやめろ」

 「む、虫だけじゃないし…」


 草とか、花とか、キノコとか、鉱石とかもあるし!

 

 「シドの叔父上、ライデン博士の標本コレクションは、やっぱりもうないよなあ」

 「叔父が死んだとき、母や伯母たちがせっせと燃やしていたのを覚えているな」

 「ああ…人類の宝が…」

 「そう言えば、叔父が死ぬ少し前、著書が売れたと嬉しがっていた。もしかして、買ったのはファンなのか?」


 俺がライデン博士の事を知ったのは、当然ながらその著作、『西海博物誌』によってだ。

 俺がマナンの卵を孵化させた時に携えていったのは、印刷版。けど、印刷じゃない肉筆版も大都にある。そこから原本を作ったわけだし。

 

 「俺…と言うか、正確には祖父ちゃんだな」

 「おじーちゃんからのプレゼント的な?」

 「うん。十歳の誕生祝いにな」

 

 懐かしい。ちょうど親父が即位して、大都に引っ越し、ただの王族からナランハルになった時だったんで、祖父ちゃん張り切ってくれたんだよな。


 「まあ、それで図書館ひとつ建てて、図鑑だのなんだのを大陸中からかき集めて孫への誕生祝いにしたっつう話な」

 「図書館…?」

 「いいじゃないか。俺だけ読めるわけじゃなくて、一般公開しているんだし。本だけじゃないし」


 大都の王宮ほど近くにあるその建物の中には、博物誌や図鑑、様々な標本が収納されている。遠い国の民族衣装やお面、武器、飾りなんかもあって、宝石や装飾品を集めた一角は大人気だ。

 いや、それも貴重なんだけど、もっとね?色々あるんですよ?鰭が足みたいになって海底を歩いて進む魚の骨格標本とか、世界唯一のものだと思うんだ。

 俺の夢は、この図書館をもっと充実させて、いずれは博物館と言えるものにすることだ。まだ本とその他で三対一くらいだから、とてもそう呼べないけどね。


 「ファンのおじーちゃん、おっかない感じだったけど、じゅーぶん孫馬鹿?」

 「関節炎患ってんのに、コイツの代理で奉納の舞を踊るくらいにはな。が、調子に乗んなよ」

 「乗れないよう。怖いのはわかったもん」


 良い人なんだ、悪気はないんだ、とは口が裂けても言えない。気に食わなければ、本気でさくっと排除する人だ。少し怖がるくらいがちょうどいい。


 「あ、ここが俺の部屋な」


 部屋への出入り口には、紅鴉が刺繍された絹布が垂らされている。

 その向こうには太陽が空を渡る様が描かれた綴織タペストリーが同じように外と中を隔てているんだけれど、今は見えない。


 両脇に控えた騎士が、するりと絹布と綴織を引き開ける。剣の柄に手を掛けながら、クロムがまっさきに中へ入った。警戒する必要はないんだけれど、これはまあ、儀式みたいなもんだしね。


 「アスランってさ、扉ってない…わけじゃないよねぃ。通ってきた廊下にも、いくつもあったし」

 

 ユーシンの服の裾を掴みながら、なんとなく身を小さくしつつヤクモが呟く。

 紅鴉親衛隊の連中と違って、ここの護衛騎士は真面目な顔しているし、態度も真面目だからな。ちょっと怖いんだろう。

 

 「アスランだと毛織物より木材の方が高価だから、家の中の各部屋の出入り口はどこもこんな感じだよ。玄関には、ちゃんとした扉があるけどな。ここでの話なら、使っていない部屋には扉が嵌めこまれているし、警護の騎士も立っていない」


 流石に王宮までそれだと不用心なんで、俺の部屋も夜間は扉が嵌めこまれて施錠するけどね。

 

 「そなんだ…あ、ここがファンの部屋?言ってた通り、ふつーだねぃ」


 布の向こう側は、廊下より毛足の長い絨毯と羊の毛皮が敷かれた部屋だ。奥には衝立が置かれ、そこにも紅鴉が描かれている。


 「ばぁか。ンなわけあるか」

 「ふえ?ここ、ファンの部屋じゃないの?」

 「んー…正確にはだなあ」


 アステリアの俺たちが寝泊まりしていた部屋の倍ほどあるこの間は、俺の部屋の一部ではある。


 「ここは靴を脱ぎ履きすんのと、扉が嵌められた後は騎士と侍従官が控える間だ」

 

 まあ、確かにそうなんだけど、なんでクロムが微妙にドヤってるんだ。

 

 「まあ、つうわけで、靴脱いでくれ。シド、布靴いる?」

 「大丈夫だ」

 「俺はそもそも、外でも靴は要らんと思うがな!」


 ひょいひょいと靴を脱いで、ユーシンが笑う。今は侍従官もいないので…呼ぶまで来なくていいよって言っておいた…散らかった靴はそのままだ。

 まったく。せめて放っぽとかないで、その場で脱ぎなさい。


 ユーシンの靴を揃えて、その隣に自分の靴も脱ぐ。

 自分の部屋以外だと靴を履くのは、いざという時に外へそのまま駆け出すためだ。あと、裸足になるのに抵抗がある人たちの為でもある。

 家の中では素足や靴下だけになるのは俺たちにとっては常識だけれど、アスランは様々な国から人が来ている。そうした人にとって抵抗があるようなら、公の場では足は隠しときますかね、という配慮だ。

 そもそもキリクは靴脱ぐ習慣ないんだけどね。ユーシンすぐ裸足になりたがるけど。


 「言っとくけど、広いだけで『王子様の部屋!』って感じじゃないからな。俺の部屋」

 「王子様の部屋ってどんなだ…」

 「天蓋付きのベッドとか?」

 「それ、お姫様の部屋じゃない?」


 少し安心したらしいヤクモが、ユーシンを追い掛けて衝立の向こうに進み…ぴょ、と顔を出してこちらへ向けた。


 「ファンさあ…」

 「ん?」

 「いくらなんでも、もうすこし『王子様の部屋!』ぽくしなよう」


 衝立の向こうの、俺の部屋。

 正面には硝子が嵌めこまれた大きな窓があり、薄絹のカーテンが赤みを帯びた西日を柔らかくしてくれている。

 広さは、靴を脱いだ控えの間の四倍くらい。つまり、アステリアの定宿の八倍くらいの広さだ。

 床には当然絨毯。転がって寛ぐための毛皮に長座布団、寝椅子やちょっとした卓なども置かれているけれど、ヤクモが言っているのはそれじゃあないだろう。


 自分の部屋ながら、何よりも目を引くのは、壁の両脇をびっちりと埋める本棚。


 高さは天井まであり、上段の本を取るための専用脚立もある。日が当たらない場所にしか置いていないけれど、それでも…ああ、落ち着く光景だなあ。


 「ヤクモだって王子様の部屋のイメージふわふわしてるじゃないか。とりあえず、嘘偽りなく王子様の部屋だぞ、ここは」

 「標本って言うのも、あるの?ぼく、普通に虫嫌なんだけど」

 「あっちの棚が標本専用だな」


 指さした棚には、両開きの扉が備えられ、今はしっかりと閉じている。標本は本以上に直射日光とか駄目だからな。

 けど、開けてもいきなり標本がでてくるわけじゃない。扉の向こうはずらりと並んだ引き出しになってて、引き出し一段一段が標本箱になっている。

 俺がせっせと採取して作った標本の他に、買い集めたものや譲られたものもあって、これははっきりと自慢なんだけれど、かなりのコレクションだ。特にサライ周辺の草原地帯にしか生息しない蝶の標本については世界で唯一と胸を張れる。今のところ三十四種類雌雄それぞれ揃っているし、珍しい両性の蝶の標本もあるんだ。右翅が雄の特徴、左翅が雌の特徴を表していて、捕まえた時は鼻血が出る程興奮したし、しばらくニヤニヤしっぱなしで兄貴が本気で心配して医者を呼んだっけ。

 蝶の標本なら綺麗だし、見せても嫌がられないじゃないだろうか?あー、見せたい。見せてその珍しさを語りたい。

 

 「あ、中見せなくていいからね。ファン」

 「ええ…」

 「ぼく、虫に興味ないし」


 じりじりと標本棚に向かおうとする俺を見て、きっぱりとヤクモが宣う。

 流石にそこまで断言されると無理矢理見せるわけにもいかず。おとなしく、羊の毛皮の上に尻を落とした。


 「んじゃあ、まあ…座って寛いでくれ」

 「なんかさ、ぼくたちが案内されたお部屋より、家具とかないねい」

 「俺の部屋だぞ?調度品を置く余裕があったら本棚増やすさ」

 「あとみっつ、お部屋あるの?」


 ヤクモが見ているのは本棚の隙間にある、出入り口と同じように絹布と綴織が下がった箇所だ。

 

 「そうだよ。あっちが寝室、こっちが書斎。もう一つは衣裳部屋なんだけど…」

 「予想はついてると思うが、本やらなんやらで埋められてて、衣装箪笥は隅にひとつあるだけだな」 

 「そもそも書斎から本棚はみ出しまくってるしねぃ」


 別にいいじゃないか~。自分の部屋なんだからなに置いたってさ。


 「それよりファン!通された部屋で一人寝るのは嫌だ!皆でここで寝よう!」

 「そりゃ構わないけど。じゃあ、布団持って来てもらわないとな」

 「はあ?甘やかすな。廊下で寝させろ」

 「隣国の王子にそんなことさせたら、ここの侍従官長が首括るよ。ヤクモとシドはどうする?」

 「ぼくもこっちで寝たいなあ。お部屋すごすぎて落ち着かない」

 「同じくだ」


 なら、居間に布団しいて皆で寝ようか。クロムが嫌がったら、俺らだけ寝室に行けばいい。ユーシン、鼾はかかないけど寝息が煩いからなあ。突然寝言で笑いだしたりするし。


 「決まりだな」

 「ち…おい、馬鹿。また寝たまま爆笑しやがったら蹴りだすからな」

 「ならば寝たまま応戦しよう!俺からふかふかの布団を取り上げるのがどれほど至難の業か、身をもって知るが良い!」

 「夜はおとなしく寝なさい…まったくもう」


 俺の部屋で乱闘騒ぎが起きたら、騎士隊がなだれこんでくるわ。

 それでも慣れているから、起きずに熟睡する自信が俺とヤクモにはあるけどね。シドに悪い。


 「そーいやさ、ココくん、もう着いてるかなあ?」

 「日程的には俺たちが遠回りしたし、いるんじゃないか。ヤルト爺の屋敷に報せが行ってるから、夕飯の時には来るんじゃないかな」

 「ミクさんのおじーさんにお知らせしたのに、ファンのおじーちゃんが来たんだよねえ」

 「阿呆。先代がそんな後手に回るか。西門で張らせてたに決まってるだろ」

 「だろうなあ。若旦那の報せを聞いてから旅駱駝亭に向かったにしては早すぎる」


 俺たちの到着を見張らせておいて、来たって言う報告を受けて腰を上げたんだろう。


 「今考えりゃ、あの絡んできた馬鹿ども、命拾いしたな」

 「確かに」


 おそらく、あの連中は捕縛されてそのまま、守備隊によってアステリアの守備兵に引き渡されたと思う。アステリア側から出てすぐだったし。

 もし…アスラン西門から出たところで俺らの足止めをすれば、それも祖父ちゃんに報告される。心底ムカついた相手ではあるけれど、サライにて行方不明、その後半年くらいたって『盗品として見つかった』と装飾品の一部が遺族に届くのは忍びない。

 

 「騎士がやたら多いのも、先代が来ているからだと思うか?」

 「それはあるだろうなあ」


 祖父ちゃん、もしかしたら自分で見張りに出てたかもしれないし。

 先代大王が「ご不快」にならないように、胡乱な輩を大人しくさせる為…ってのはあり得る理由だ。

 けど、それにしては客引きはしつこく、喧騒はいつも通りだ。お上品になっていた様子はない。


 「その辺も、ヤルト爺に聞いてみたいところだな」

 「確かに、やたらと騎士が巡回していたが…何か、聞いていたのか?」

 「伯爵の息子さんがね」


 牛の首輪から抜き取ったメモの事を話すと、シドも首を傾げた。


 「ガラント伯爵が掴めない…と言うのは、よほど急な話か、伏せられているか、だな」

 「うん。けど、騎士に説明していれば、なんかしら話が漏れるんじゃないかな。だから、やたらと騎士が巡回しているっていう状況を作ろうとしてたって事だと思うんだけど」

 「どゆこと?」


 騎士たちは、自分たちが『何』を警戒しているかおそらく知らされていない。

 けれど、騎士が多く巡回している状況では、大抵の人間はおとなしくなる。まして、悪事を企んでいるならなおさらだ。


 「悪い奴がさ、悪いことをしようとしていて、いつもより巡回している騎士がたくさんいたらどう思う?」

 「うわあ…やだなって思う?」

 「そう。それに、悪いやつは騎士が何も知らずに巡回しているとは知らないわけだから、自分が警戒されている?ばれてる?って思うよな」

 「あ、そっか」


 そうなれば、挙動不審になるか、諦めるか、より深く計画を練るか…と、とにかく当初の目論見通りには動かないだろう。

 

 「ファンを狙う暗殺者への牽制ってことはないのか?」

 「どうかな…警備を厳重にすれば、俺がサライに来るってことを裏付けちゃうし。サライはそもそも兄貴の直轄だから、暗殺者が潜んでいるかもって情報を糸くずほどでも掴めば、全力で排除するよ」


 その兄貴が現在サライにおらず、おとなしく大都に戻ったってことで、俺狙いの線は薄いと思う。

 

 「わからんことを考えるのはファンの性分だが、ヤルトネリ将軍に聞けば答えはすぐにわかるだろう!そんなことよりも腹が減った!」

 「晩飯まで待てない…よなあ」

 

 風呂入ると腹減るしね。仕方ない。

 立ち上がって侍従官を呼ぼうとすると、クロムに制された。ああ、そうだな。ここは紅鴉宮じゃなくて、サライ離宮だもんなあ。

 俺を制止した手をひらひらと振って、クロムは音もなく絨毯を踏みしめ、控えの間へと向かう。一度剣帯から外した剣はしっかりとその手に握られていた。


 「クロムの剣、クリエンで交換してもらえばよかったな」

 「でもさあ、そしたら、なんかすごいのくれそうじゃない?ぼくのもだけど。盗んだのって疑われちゃうよ」

 「確かに。皆にクローヴィン神殿で会うとは思わなかったから、あのままでよかったか」


 着ていた服が上質な布地になっていたのは気付かれなくても、剣が立派な拵えになってたら気付く。冒険者ってのはそういうものだ。


 「ナランハル、ご用命を」


 うんうんと頷いていると、控えの間から声が掛けられた。ヤクモが微妙な顔になったのは、声が落ち着いた男性の声だったからだろう。

 ごめんな。俺につくのは基本的に侍従官なんだ。女官じゃなくて。クリエンでおねーさんらがお世話してくれたのは、サラーナ付きの女官だったのと、たぶん物珍しいから構いに来ただけだぞ。

 これは俺だけじゃなくて、アスランでは身の回りのことは同性の従者が行う。母さんに仕える従者は女官ばかりだし、親父や兄貴、俺には侍従官だ。

 だって、同性の方が気安いしね。…まあ、浴室侍従官のようなちょっとした地獄絵図にもなるけれど。


 「適当になにか食べるものを頼む」

 「サムサでよろしいでしょうか?」

 「あるの?嬉しいな。ぜひ頼むよ」

 「承知いたしました」


 頭を下げた気配と衣擦れの音がしたあと、クロムが帰ってきた。なんとなく嬉しそうなのはサムサと言う単語を聞いたからだろう。

 ユーシンも目を輝かせ、シドもどことなくそわそわしている。


 「さむさって?」

 「さっき、モモっていう料理を食べただろ?あれの中身が羊肉になって、蒸すんじゃなくて窯で焼いたもん。肉入りパンともちょっと食感が違うんだけど」

 「胡椒が入っているやつだと嬉しいが」

 「ここのサムサは食べる時に胡椒が掛けられるよう、別皿で出てくるんだ。好きなだけどうぞ」


 嬉しそうだな。シドは辛い物好きなんだろうか。

 俺の疑問が顔に出ていたのか、シドは少し笑って首を振った。


 「胡椒の辛さは好きだが、トウガラシは駄目だ。あまり好きじゃない。一度カーラン料理で死ぬかと思った」

 「あー…とんでもないのあるからな」


 鶏肉とトウガラシを同量炒める料理とか。「一匙一杯」…一匙で、米がお椀にいっぱい食えると謳われる料理だ。それだけ美味いって言う意味と、辛すぎて一匙食いきるのに米が一杯分必要になるという二つの意味を持つ。


 「ヤクモも食う時に気をつけろ。クロムに騙されないようにな」

 「うん!」

 「大丈夫だ!クロムも辛すぎるものは食えんからな!」

 「お前もだろ!!子供舌!」

 「食えなくても何ら支障はない!!」


 短い間に、シドもすっかりクロムの扱いを把握しているなあ。

 腹が減ってきているせいか、いつもより低レベルなじゃれあいを繰り広げる二人を眺めていると、鼻先をふわりと香ばしい匂いがくすぐった。


 「失礼いたします」


 先ほどと同じ声。衝立の向こうから現れたのは、よく知っている侍従官。

 その後ろに、サムサが山と積まれた大皿を掲げ持つ侍従官と、スーティが入っているのだろう薬缶と、入れて飲むためのカップが収納されている籠を持った侍従官…全員壮年男性だ…が続く。


 「ありがとう」

 「実に美味そうだ!食っていいか!」


 涎を垂らさんばかりっていうか、ちょっと垂れちゃってるユーシンの言葉に、侍従官はにっこりと満足げに頷いた。


 「どうぞ、冷めぬうちに」

 「ありがたく!イダムタラ照覧!」


 あ、少しまともに言った。空腹が理性を溶かす程じゃなかったか。けど、そこまで言ったら、普通に「イダムよ、ターラよ、照覧あれ」でいいんじゃない?お前の後ろで見守っている二神、おもいっきり眉間に皺寄せてない?

 しかしまあ、黄金色に焼き上がったサムサの芳香は耐え難いものがある。

 手を伸ばして一つ掴み、残る三人に「どうぞ」と示す。シドが気にしていた黒胡椒の小皿は、ちゃんと人数分大皿の端に乗っかっていた。


 「ヤクモ、食べる時肉汁があふれ出るから、気を付けて食えよ。端っこを齧り取って、そこからまず肉汁を飲む感じで」

 「うふ!」

 

 パクリと端に噛みついたヤクモが、目を真ん丸に見開いた。熱くてびっくりしただけじゃないだろう。その双眸に幸せそうな笑みが広がっっている。


 「お口にあいましたでしょうか?」

 「美味い!!」


 すでに二個目に齧りつきながらユーシンが断言する。

 実際、皮はこんがり、中は肉汁たっぷりのサムサが不味いわけがない。寒い風に吹かれながら、屋台で買って食いつくのが一番美味い食い方だけど、暖かい部屋で食っても美味いよな。うん。

 俺たちの食いっぷりに満面の笑みを浮かべてから一礼した侍従官に、「絶対夕飯にはまた腹減ったって喚くから、量を減らさないようにしてくれ」と頼んでおく。

 一人あたま五個、六個はありそうだけど、これだけでユーシンが満腹にはならないだろうしな。


 「承知いたしました」


 笑いながら頷き、侍従官たちは退室した。昨日に引き続き、今日もご馳走の夕食だ。なにせ、祖父ちゃん来ているからな。今頃侍従官と厨官は大忙しだろう。


 「ここでもスーティって薬缶で出てくるんだねぇ。なんかすごい薬缶だけど」


 取っ手や表面に細かい浮彫の施された薬缶を見て、ヤクモがしみじみと呟く。薬缶にこんな装飾をする意味は俺も知らないから聞かないでくれ。


 「この人数分のスーティを持ち運ぼうとしたら、薬缶になるさ」

 「確かに」

 

 メルハの金持ち国なら金のティーポットになるのかもだけどね。けど、大きくしたらそれって結局薬缶だよなあ。

 

 「まあ、とにかくこれ食って晩飯に備えてくれ」

 「そなえる?」

 「たぶん、体力要るから」


 ただの晩飯ならそうでもないけどね。何しろ、先代大王と当代ナランハルを迎えるのは、先祖代々アスランの忠臣たる万人長ヤルトネリ。

 気合い、入りまくっているだろうしなあ。


***


 そう思っていたんだけれど。


 夕飯だと呼びに来られて、案内されたのは賓客を迎えて食事をとるための間ではなく、家族でいつものごはんを食べるための食堂だった。

 冬の花や雪模様が織り込まれた絨毯、そこに置かれた座布団に座って俺たちを待っていたのは、祖父ちゃんら三人とナナイにガラテアさん。そして。


 「ココくん!」


 ヤクモが嬉しそうにその名を呼ぶ。

 ココチュも立ち上がって、駆け寄ってきた。


 「よよよか、よか、良かった!みみ、みん、皆、無事か!」

 「うん!元気いっぱいだよー!おしりも痛くなくなったし!」」

 「こいつ、馬のって尻いてぇ尻いてぇって泣き言言ってたんだ。ダセェよな」

 「く、クーも、まま、前、ない、泣いた!」

 「泣いてねぇよ!」


 シドとも親しげに拳をコツンとぶつけ、ココチュは顔全体で笑って、踵を返す。誘導する先は、上座の祖父ちゃんの正面に当たる場所だ。

 祖父ちゃんはすでに酒をちびりちびりと舐めながら、俺たちのやり取りを面白そうに見ている。守護者二人も祖父ちゃんの後ろではなく、左右に分かれて座っていた。

 つまり、守護者も同じように食事をとって良いってことだ。

 俺たちの席に並ぶように、ナナイとガラテアさんの席もある。二人とも風呂に入ったんだろう。着ている服は、アスラン式だ。

 

 「ヤルト爺、来てないんだ?忙しいの?」

 「いいや」


 特別警戒はヤルト爺本人が指揮しなきゃいけないくらいなのかと思ったけど、違うらしい。

 祖父ちゃんは口の端を持ち上げて、ゆったりと首を振った。


 「号泣する爺を見ながらの食事なぞ、不味いだけだろう。食い終わってから来いと言いつけておいたわ」

 「あー…」


 孫のミクより、祖父の涙腺の方が緩い。と言うか、決壊度合いがすごい。

 

 「頃合いを見て、アシャが連れてくる。何せ、もう泣いておるからな。山羊の糞よりいまのあれは役に立たぬ」


 アシャ、と言うのはヤルト爺の奥方で、俺にとっても祖母のような人だ。俺と兄貴を取り上げた産婆でもある。


 「じゃあ、ヤルト爺とばあやを待たせないように、さっさと食わないとだね」

 「ふふ、我慢できずに壁をぶち破って参るやも知れぬしな」

 

 俺たちのやり取りが合図になったように…実際、見計らっていたんだと思うけど…今日の夕飯が運ばれてきた。


 侍従官の腕で一抱えはある金盥に山と積まれているのは羊の塩茹で(チャンサン・マフ)

 それと、二人掛かりで運ばれてくる大鍋。そこから鉢に盛りつけられていくのは、炒飯ポロだ。羊肉と生米を炒めた料理で、味付けは塩のみ。それ以外要る?というぐらい美味い。

 どうやら今日の夕飯はこれだけらしい。

 が、うちの肉さえあればそれでいい連中にとっては大変なご馳走だ。炒飯と塩茹でが乗った鉢は、零れ落ちないギリギリまで米と羊肉で埋められている。


 うちの連中とたぶんガラテアさんにはこれでいいけど、ナナイや祖父ちゃんにはちょっと向かないんじゃないかと思ってみていると、祖父ちゃんらとナナイの前には別の鉢が置かれた。お粥だな。


 「じじいには、これくらいがちょうどいい。肉はほんのひとかけらくらいは食らうがな」

 

 祖父ちゃんの前に置かれた皿には、ひとかけらと言い張るには立派な大きさの肉が入っている。けど、ほんの一年前はあの三倍は食べていた。…やっぱり、歳、とっちゃっているんだな。


 「僕もおひるごはん食べすぎたから、お粥嬉しいな。八宝粥だね」

 「どーゆーやつなの?」

 「八種類の木の実や野菜が入っているお粥だよ。ちょっと甘くて美味しいんだ」

 「食後にはきっと俺たちにも出されるぞ」

 「そなの?楽しみ!」

 

 ガラテアさんには出ない辺り、彼女は俺たちと同じでいいんだろう。でも、一応聞いたほうが良いんだろうか。


 「…姉さんは、ユーシンより食うかもしれない」

 「そうなのか…」

 「さっき、俺たちに出されたものを食っていなければな」

 「ほう、何か食べたのか?シド」

 「…まあ、ちょっと…」


 うん。次に俺たちがおやつ食べる時は、ガラテアさんにも持ってってもらうな?


 シドのいった通り、ガラテアさんの食べっぷりはうちのパーティに勝るとも劣らない。食べ方自体は上品に「もぐもぐ」と小口で食べているんだけれど、途切れない。しかも早い。

 あっという間に減っていく肉と米を、祖父ちゃんは楽しそうに見ていた。


 「良い食いっぷりだ。若者はこうでなくてはな」

 「わしがあと十歳若ければ、彼方側で参戦したのに無念ですわい」

 「十歳でよいのか?」


 そんな対抗意識燃やさなくても。


 ナナイが粥を一椀食べきるよりも早く肉と米は消滅し、俺たちにも食後の粥が運ばれてきた。棗、枸杞、里芋、甘藷、干し葡萄、胡桃、胡麻、小豆の入った八宝粥はほんのりと甘く、舌と胃に優しい。

 

 「おいしー!」

 「お、お、俺も、こここ、これ、だいす、だだ、だいすき!」

 「ねー!おいしーねー!」


 ヤクモが話しているのは西方語で、ココには意味が解らないはずだけど、なんかしっかり会話しているなあ。良いことだ。

 なにより、ヤクモの「おいしい!」と顔全体で言っている笑顔を見れば、言いたいことは判るだろう。

 ちなみにクロムも好物だ。食べつくした皿の底を名残惜し気に匙でひっかいている。けどこれ、おかわりしてたらふく食うもんじゃないからな。


 侍従官がテキパキと食器類を回収し、代わりに茶を置いていく。スーティじゃなく、茶器の底に咲く花模様までくっきり見える、透き通った金と緑の間の色。

 

 「カーランはろくでもない国だが、産する茶はどこよりも美味い」

 

 ふんわりと漂う芳香と、口に含んだ瞬間に広がる絶妙な甘さと微かな苦み。これ、白雲茶だな。

 カーランに聳える天に届くかのような岩山。その山にかかる雲が育てるという茶は、採取できる木が五本しかないという。

 でも、その茶を見つけ出し、茶藝という文化を産みだしたカーランは、やっぱりすごい国だと思うんですよ。俺が半分カーランの血を引いているからとかじゃなく。

 

 まあ、反論するほどの事でもない。なんだかんだと祖父ちゃんはカーランの文化をけっこう気に入っている。手にすっぽりと握りこめる程の小瓶一つで金貨千枚はくだらない白雲茶をわざわざ買い求めるくらいは。

 自分じゃ絶対に買わない超高級品だ。味わって飲もう。実家でだって、月に一度か二度しか飲まないようなもんだし。


 「このお茶、美味しいね」

 「先代が用意くださったもんだ。べらぼうに高いんだろうな」


 ナナイとクロムのひそひそ話を聞きつけて、祖父ちゃんがにやりと笑った。けれど、どういう茶か言う気はないらしい。うん。そうしておいて。クロムは気にせず飲むだろうけど、ヤクモ辺りが巻き添えで「ひぇっ」ってなっちゃうから。


 「万人長イル・トゥメン、ヤルトネリ将軍お見えにございます」

 「通せ」


 侍従長の声に祖父ちゃんが答える。けれど、その声に覆いかぶさるように聞こえる咆哮に、ヤクモとナナイの目が丸くなった。

 それは徐々に大きく、近くなってくる。同時に、獣の吠え声じゃなく、人の言葉として聞き取れるようになってくる。

 

 「…ハァアアアアアルゥゥウ!!…」

 「うん、ヤルト爺だね」

 「これを至近距離で聞きつつ、飯が食えるか?」

 「ちょっと遠慮したい」

 「ナラアアアアアアアンハアアアアアアアルウウウウウ!!」


 大音声と共に、すぱあああんという音が食堂に響いた。

 それを成し遂げたアシャばあやは、動じもせず双眸から涙を噴出している夫をあきれ果てた顔で眺めている。手を振っているのは俺たちへの合図ではなく、夫のオデコが硬くて、掌が痛かったからだろう。

 

 「ご無礼申し訳ございませぬ。先代様、ナランハル」

 「ヤルト爺もばあやも、元気そうでなによりだよ!」

 「うおおおおおお!!ナランハル!!!!よくぞ、よくぞご無事でいらっしゃって…!!じいは、じいは…!!初陣を勝利で飾れた日よりも今日この時!心より安堵いたしましたぞおお!!」

 「あー…ええっと、心配かけてごめんな?見ての通り元気いっぱいで怪我もない」

 「ぬうおおおおおお!!」


 あ、まだ涙増量するんだ。っていうか、逆に心配になるから!こんなに興奮して大丈夫なの!?頭の血管いっちゃったりしない!?


 「やはり、麻酔針か何かを使用するべきだったのでは?」

 「そうねえ…」

 「げ…」


 男泣きに泣くヤルト爺の後ろから進み出て、ばあやに向かってとんでもない提案をしている人物を見たクロムの咽喉から、引き攣りまくった声が漏れた。

 それは決して大きな声ではなかったけれど、彼女の耳のは届いてしまったみたいだ。形良い唇の端を持ち上げて、クロムに視線を向ける。


 「なにやら蛙が潰れたような声が聞こえたな」

 「気のせいか、将軍の嗚咽でしょうよ」

 「この一件については、後程たっぷりと詮議をするとして…先代、ナランハル。おひさしゅうございます」


 一礼すると、するりと艶やかな黒髪が肩から零れる。

 

 「会えて嬉しいけど…どうしてここに?」

 「えと、ファン、どなたかな?僕もお会いしたことない人だよね?」


 ああ、ナナイも知らないか。シドは少し驚いた顔をしているし、ガラテアさんはにっこり笑って手を振っているところを見ると、この姉弟は知り合っているみたいだな。


 「彼女の名は、ユー・ホンラン。大都に百人いる断事官ジャルグチの一人で、大都で起こった犯罪の捜査や裁判を担当しているんだ。

 んでもって、クロムの師匠の一人」

 「クロムの!?」

 

 驚いた声とともに向いた視線を、クロムはぷいと顔を逸らして避けた。


 「クロムのおししょーさんって、トールさんじゃないの?」

 「ホンランからは主に勉強を習ったんだよ。クロムが守護者としての修行を始めた時、彼女は妊娠中で本来の業務から外れていたから。

 リィリンとルゥリンも元気?大きくなっただろうなあ」

 「リィはついてくると言ってきかなかったのですが、夫が娘二人と遊びに行くのだと、年が明けるまで仕事を休みやがりましてね」


 ふう、と溜息を洩らし、肩を竦める。

 クロムが彼女に師事していた時、リィリンがお腹にいた。大変可愛らしく生意気(おなま)なお嬢さんだ。ツン、と澄ましたと本人は思っている腕組ポーズと尖らせた口を思い出すと、ついついこちらの口角も上がってしまう。妹のルゥリンはまだ四つだけど、お姉ちゃんの真似をして物凄い口が回る。

 お母さんなしであの二人に振り回されるのは結構大変だと思うけれど、お父さんとしてはご褒美なんだろうなあ。

 お父さんは竜騎士部隊を率いる猛将として、二十代で千人長に抜擢されたような人で、親父や兄貴の命令にも気に食わなきゃ仮病を使ってサボるような人だ。けど、奥さんと娘さんには逆らえないともっぱらの噂で、たぶん事実だ。

 その奥さんも二十代で断事官に任命され、十年以上第一線で活躍しているような人だからね。仕方ないね。そもそも、夫と妻じゃ、妻の方が強いのはアスランの伝統だし。


 「…ホンランに会えたのは嬉しいけれど、俺に会いに来てくれたってわけじゃないよな」

 「ええ、残念ながら」

 「ぐふう…この娘は、本当に…」

 「いいから泣き止んで顔を拭きなさい。爺。衝動的に鈍器を手に持ちそうです」

 「言いながらちょうどいい得物を探すんじゃないわい…」

 

 ようやく新しい涙が止まった夫の顔を、ばあやが手拭いで拭き、侍従官に手渡す。代わりに新しい乾いた手拭いがばあやの手に渡された。このやり取りと、何十回とやってるんだろうなあと推測させる手際の良さだ。


 「それは、サライが今、やたらと『何か』を警戒しているのに関わりがあるのか?」

 「はい」


 こくりと、怜悧な美貌の断事官は頷いた。


 「ナランハルが大都を離れられた後…私はある下手人を探しておりました」

 

 ホンランが捜査するなら、それは結構な事件の犯人だ。王族を狙ったとか、連続で人を殺めているとか。

 王族を狙ったなら、俺の耳にも入りそうな気がするし、ガラント伯爵が掴んでいると思う。こんな阿呆がいましたと、見せしめにするからだ。隠すことはない。


 なら…衛兵任せにせず、彼女がわざわざサライまで赴くような、そんな事件は。


 「我々は、そやつを『顔剝ぎ』と呼んでおります」

 「『顔剝ぎ』…」


 なにをするのか。その名前だけでだいたい想像はつくけれど。

 ホンランの視線は、ナナイに向いた。聞かせても良いものかと思案した数呼吸、沈黙が落ちる。


 「大都にてすでに十二人の犠牲者が見つかっておりますが…我々は、もっと多いと考えております」

 「一年で十二人!?」

 「見つかった限り、では。犠牲者はおそらく若い女。それ以外、わかりません」

 「『顔剝ぎ』っつうからには、顔が残ってないからすか?」

 「それもある。そして…」


 忌々しいものを語る時、彼女の眉はうんと顰められ、切れ長の双眸には怒りが満ちる。

 激しい怒りを宿す黒い双眸を細めつつ、彼女は再び口を開いた。


 「見つかっているのが、顔を剥ぎ取られ、身体の大部分が消失した遺体だけだからだ。そして、同じような遺体がこのサライでも見つかった。

 だから、私が来た。そういう事だ」

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