善き者と交われば月の光、悪しき者と交われば蛇の毒(朱に交われば赤くなる)2
「おいおい、役目を取らんでくれよ」
苦笑混じりの声は、サライ西門を守る門番から。
浅黒い肌は、彼がメルハの血を引いていることを示している。
銅のメダルが埋められた革甲が、あきらかに浮き上がっているのがわかるくらいでっぷりとしたお腹と、口許を覆う口髭も…メルハっぽい。
メルハ全土じゃないしそれぞれの好みもあると思うけれど、かの地では男もふくよかさが美の象徴だ。引き締まった腹筋より、ぽよんとした肉腹巻の方が「すてき!」となる。
まあ、それは良いとして。
そうやって旅人を迎え入れるのも彼の仕事。その仕事を取るのはいけないよな。うん。
「あ、すいません」
「言いたくなる気はわかる。いつ言っても気分が良いものだからね!
では、改めて…我らが大アスランにようこそ!異国の旅人よ!ま、そんなわけで、通行証を見せてもらおうか」
今度は苦笑ではない笑みを浮かべながら、門番は手を差し出した。
ああ、そうだった。通行証見せなきゃ。
流石にここで反抗する気はないようで、クロムも素直に上着のポケットから通行証が入った布袋を取り出している。
それを見て、慌ててロットさんが鞄の蓋を開けた。あ、そっか。タタル語わからないよね。
『通行証の確認です。ここで見せたらあとは当分出番はないけど』
さっきまではタタル語が異国語だったけれど…ここから先は、西方語がそうだ。
サライも大都も、商人は西方語を話せる人が多いし、門番も明らかにアスラン人である俺がいなければ、最初から西方語を話していたと思う。
なにせ、上の道の門番に就いているくらいだ。強いとか、指揮力が高いとかだけじゃない。
けど、交易商人や観光客を相手にしていない店や住人は、当然ながらタタル語しか話せない。むしろ、道端で馴れ馴れしく西方語で話しかけてくるような相手は、なにか魂胆があると思ったほうが良い。
よっく注意喚起しとかないとな。
全員が通行証を手に取り、よく見えるように胸の前で持つ。話しかけてきた髭の十人長が、元々大きな目をさらに大きくした。
「おや、騎士であったか」
「軍からは抜けているんで、準騎士ですけどね」
髭の十人長が俺たちを「騎士」だとわかったのは、通行証の色だ。
通常、アスラン国民は白木の通行証が発行される。
他国人に発行される物との差は、裏面に大きくアスラン国旗の意匠が刻印されていることだ。
そして、騎士の資格を取れば、黒漆塗りの通行証が新たに発行される。
騎士は伝令として街から街を駆け抜けることもあるし、小隊任務で旅をすることも多い。それで一目で騎士とわかるように、黒漆で塗るわけだ。
軍を退き、何かあれば馳せ参じますけれど普段は違うことをしています、という状態の準騎士も、同じ黒漆塗りの通行証を使うことが許されている。
これをもらう為に騎士資格を取ったって人も少なくない。見せれば検問で咎められることもなく、宿が見つからなければ軍の宿舎を借りることもできる。
個人で旅し、商品を売買する商人にはもってこいの通行証だし、他国人の護衛兼通訳にも最適だ。特に、護衛として売り込むときに元騎士でした、はアピールポイントとして大きい。
アスランの騎士は身分じゃないから、別に生まれや経済状況の保証にはならないんだけどね。
俺とクロムの通行証は、髭の十人長さんが直々に改める気になったようだ。他のみんなの元には、彼の部下だろう兵士たちが向かう。
門の横には小さな机があって、そこで書記官が紙に視線を走らせていた。通行証が発行され、上の道を通ると決まった時点で、何日にどんな奴が橋を通るかはアスランに側にも連携される。一致する一行を探しているんだろう。
上の道を行く人は圧倒的に少ないけれど、その分金を払っているし、そこそこの保証人もついている。ちゃんと入国したかは確認しなくちゃならない。
それでも、入国確認した後は自己責任で、となるのがアスランらしいけれど。
金があるならその金で安全を買え。ないなら自分の知恵と力でどうにかしろ。どちらもないなら諦めろ。
それがアスランの考え方で、他国の豪商や貴族であっても変わらない。
今、親し気に話しかけてくれているこの十人長も、広場に待ち構える客引きや物売りを追い払ってくれたりはしないし、いきなり財布を掏られてたと訴えても「そりゃお気の毒」と言ってくれるくらいだ。
むしろ、元騎士のくせに情けないと怒られる可能性すらある。まあ、ごもっともなんだけれどね。
「ほう、ファンと言うのか。ナランハルと同じ名だな」
俺の通行証に視線を走らせる髭の十人長が、笑いながら声を上げた。
「ついでに言えば、兄はトールと言います」
「良い名だ」
「両親に感謝していますよ」
通行証には、「ファン・ホユル・オラーン」、つまり、次男のファンと記載されている。嘘はついてない。
今、アスラン国内に「兄トール、弟ファン」と言う兄弟が何組いるのかわからないけれど、結構な数がいる。あやかりましたってやつだな。
とは言え、トールとファンの兄弟が増えたのは、親父が王位についてからだ。
つまり、兄のトール君でもまだ十二、三歳であることが多いわけで、こんなに育ったファンは俺くらいなもんだと思う。
だから、これはちょっとした鎌掛けだ。俺の事を聞いていて、待ち構えているならなにか反応するんじゃないかって言う。
どうせ名前は通行証でバレるんだし。
ただ、その心配は杞憂だったか、それとも演技が上手いのか、十人長はそれ以上気にした様子もなく、部下や書記官に「問題ないか」と声を掛ける。
肯定が帰ってきて、十人長は満足そうにうなずいた。
「よし、問題なし。さあ、行くが良い。若駒よ!タタルの風が、善き旅を導くように!」
「ありがとう。忠勇なる大アスランの戦馬に、星竜が善き新年を回すように!」
何の咎めも疑いもなく入国が許されたことに、ロットさんたちは明らかにホッとした様子だった。何の問題も後ろめたいこともないとわかっていても、やはり言葉も通じない異国の最初の試練だ。緊張もするよな。
ヤクモですら、ほわーっと安堵のため息を吐いて表情を緩めている。
まあ、その隣の奴は、まったく気にした様子もないけれど。
「ファン!飯だ!飯が食いたいぞ!」
お決まりの台詞を吐いて、十人長と正反対に引き締まった腹を撫でさする。
どうでもいいけど、なんでいつのまにか外套脱いでんの?寒くないの?
「さっき、お前、揚げジャガイモ五個くらい食ってなかった?」
「あれはおやつだろう!シャルミンにバンシュパ、ボダータイ・ホーラガ!!」
「喚くんじゃねぇよ、馬鹿、食いたくなるだろ」
ユーシンがあげたのは、アスラン料理の数々だ。黄麺に焼き餃子、肉入り炊き込み飯…あー、もう、俺まで腹減ってくるじゃないか!
「うー…昼時も近いし、ロットさん、宿を探す前に食堂でも良いですか?」
「そこはお任せします。…しかし、凄い人出ですね」
スロープの先に広がる人ごみを、引き攣った顔で見つめている。
下の道から次から次へと出てくる人。その人らにどっと押し寄せる客引きと物売り。百戦錬磨の商人ならいざ知らず、初めてサライへやってきた旅人にはゴブリンの群れにも見えるだろう。
大丈夫。とって食いはしません。でも、財布を掏られないように気を付けてね。
「年末に向けて商人が多くなりますからね。っと、広場におりきって、兵が立っている先まで行ったら、客引きが群がります。クロム、あっちの馬車の横に。ヤクモは馭者台に上がって。エルディーンさんとレイブラッドさん、できたら馬車の中に。ナナイと誰か、代わりにこっちの馬車へ」
「ユーシンは外でだいじょぶなの!?」
「ユーシン、あっちの馬車の屋根の上!掏摸が仕事しようとしたら、警告してくれ!」
「心得た!」
スロープを降りきったら、隊列変更だ。そこまでして警戒してるし買う気もないぞって見せれば、諦めの良い奴は引いてくれるしね。
問題は、それでも特攻してくる連中なんだけども。
ただ、厳重警戒中であるって言うのは間違いないらしく、ごったがえす広場を結構な数の兵士が巡回している。とは言え、客引き物売りの攻勢を抑えているわけじゃないらしい。
ただ、大声で揉めていると苛ついた様子でやって来て、客引きと付きまとわれる旅人両方を怒鳴りつけていた。あれはたぶん、八つ当たりだな。
それに…警備兵の他に、三人から五人でうろついている集団。
あれはたぶん、アスラン騎士だ。
本来なら身に着ける軍装は纏っていないけれど、視線の配り方や歩き方が商人や傭兵じゃない。
時折口に指を持って行っているのは、合図の指笛を吹いているからだろう。
兄貴はもう、大都に向けて帰還しているようだし…その後に、騎士がこれほど警戒しているのはやっぱり何かあるのかな。
それが俺のせいなのかはわからないけれど…伯爵も調べられなかったのなら、違う可能性も高い。
兄貴が手配しているなら、協力者であるガラント伯爵にそう言いそうなもんだし。
これはあまり、時間かけて突破したくないな。騎士や兵に目を付けられたくない。
アスラン騎士だからって人格者であり、品行方正だなんてことは絶対ないからな。
揉めてるのを見咎められたら、女の子たちやガラテアさんに目をつけて、「ちょっと詰所まできてもらおうかグヘヘ」となるのも十分あり得る。
騎士たちが何を警戒しているのか、誰を探しているのかはわからないけれど、全員が任務に納得し、意気軒高に取り組んでいるわけじゃあるまい。
そうなったら、喧嘩絶賛安売り買取り第二弾だ。
騎士や兵を叩きのめせば、必ず俺らも取り調べを受ける。その時、さすがに身分を黙っているわけにはいかない。
王族に喧嘩を売れば、こてんぱんに負かされて十分報いを受けたとしても、そのあと処刑だ。いやでも、立場を利用して女性に狼藉を働いてたやつなら、馬裂きになっても致し方なしか?
ただちょっと、綺麗なお姉さんや可愛い女の子と話がしたい程度のスケベ心の対価には重すぎるけどね。
なんにせよ、希望的観測は期待程度にとどめておいて、最大限に警戒して挑もう。
そう思いながらスロープを下っていく。クロムも同じ考えみたいで、文句も言わずに大神殿の馬車の横についた。
「シドとガラテアさん、クロムの反対側に。馭者台に登られないようにね」
「そっちはファン一人で大丈夫なのか?」
「うん。なんかさ、ファン、一瞬でいろんなもの買わされそうなんだけど…」
信用無いな…。まあ、いつもがいつもだから仕方ないとは思うけどさあ。
サライは小さなころ住んでいた街だぞ。冬の間だけだけど。大人になってからも、兄貴に連れられてよく来たし、個人で訪れたこともたくさんある。
「大丈夫だって。俺は安くてお得なものは好きだけど、ぼったくり価格の粗悪品は嫌いだからな!」
「誰だって嫌いだと思うけど…あ、こっち、僕とエリーが乗るね」
「お、エルディーンさんとも仲良くなったのか。ナナイ」
「うん!」
にっこりと笑い、入り口の覆いを捲ってナナイは友人に中へ入るよう促す。しばし躊躇ったのち、エルディーンさんは俺を見上げた。
「あ、あの!私も戦いますよ!?」
「駄目だよエリー」
重々しく答えたのは、ナナイだ。けど、俺も同意見だな。世慣れない女の子が戦えるような相手じゃない。
「ほんっとに怖いし、鞄とか引っ張られるし、どさくさに紛れて触ってくるんだよ」
「お前まで構ってる手がねぇんだよ。さっさと乗り込め」
「クロム!もう…でも、一応あれでも、君のこと心配してるからね。本当にどうでもよかったら、囮になれって歩かせるから」
さすがナナイ。クロムの事をよくわかっている。
言われたクロムはナナイには何も言い返せず、そっぽを向いている。微笑ましい光景だなあ。
「…そうね。ファン殿たちの手を煩わせては、いけない」
「うん。そうだよ」
こくりと頷いて、エルディーンさんは馬車へ乗り込んだ。その後にナナイが続く。
それを見届けて、ふん、とクロムは息を吐き捨てた。
「ったく、手間とらせやがって。で、どこ行くんだ?まずは爺様んちか?」
「そういや、いきなり待ち構えられてて号泣って展開は避けられたなあ。逆に、そうなると直接行っても門衛に文字通りの門前払いくらいかねない。使者を立てたほうが良いな」
「誰かお使いにいくのう?」
「いや、店の人に頼むんだよ」
ヤクモも顔が強張っている。馭者台に上がられないように気を付けないとな。無理やり上がり込んで手綱を奪おうとするやつもいるし、ヤクモ自身が痴漢にあいかねない。
べったり纏わりついて触られているうちに財布抜かれていたなんてことになったら、落ち込みまくるだろうし。
そうされると大暴れしそうなユーシンは高いところにあげたけど…ガラテアさんもそうしたほうが良いかなあ?
ちらりとガラテアさんを見ると、にぃっこりと微笑まれた。
「ごめん、ガラテアさん。こっちの馭者台乗ってもらっていい?」
「手を伸ばされたら叩き落としていいか?」
「斬り落とすとか、骨折るとかはなしでね」
「善処する」
大丈夫かなあ。スタスタとやって来て軽やかに馭者台へとガラテアさんが上った。その隣でヤクモが視線を一点に送ってしまい、慌てて逸らしている。
やっぱり、パーティ資金から出したほうが良いかもしれない。正常な成長を支えるのも、リーダーの役割と言えるのではないだろうか。
うん。とにかくそれは、先に進んでからだな。
「まず、知り合いの店に行って飯だ。宿屋もやっているから、部屋開いてれば宿泊もできるしね…って言うわけで!」
全員、言った通りの配置についたことを確認し、こちらを伺う客引きたちへ向き直る。よし、出発だ!
「宿のあてはある!もの買う気も付いていく気もない!他を当たれ!」
声を張り上げながら、一歩踏み出す。
横に立つ警備兵が「ご武運を」とでも言いたげな顔で、ひらりと手を振ってくれた。追い払ってはくれないけれど。
それが合図だとでもいうように、途端に客引き物売りがワッと殺到してきた。
数は…十人はいないな!良し、突破する!
「そりゃないですぜ、若旦那!ちょっと見るだけでもね!」
「そうですよお、なんなら、息抜きしにくるだけでも!」
「買っておくれよ旦那さん!いい品だよお!安いよお!」
くそ、さすがに動きが早い!横に回って取りすがろうとしてきた奴に、「ぴゃー!!」とヤクモが威嚇した。が、全然怯んだ様子はない!頑張れヤクモ!
「うるせぇ散れクソ共!お前らに恵んでやる分は銅貨一枚だって持ってねぇぞ!」
「そう言わずに!胸のでかいの、尻のでかいの、いろいろ揃えてますぜ!」
「要らねぇよ!!どうせガキの五、六人は産んでる年増だろうが!」
「それが旦那、たったの二人!」
「要らねぇよ!!!」
流石のクロムも苦戦している。最近景気悪いのかな。なんかしつこさが増してるぞ?
だが、景気が悪いのは俺も同じ!こちとら金貨の借金持ちだ!無駄遣いしている余裕はない!
…大都まで行ったら、新しい博物誌とか図鑑とか出ているかもしれないし。
『神官様、お恵みを!』
『ぼくもおとーとも、みっかなにもたべてない』
『おなかすいたよお』
く、ロットさんとウィルに標的を絞ったか!三日も食べてないのに元気いっぱい纏わりつく時点で嘘だってわかってくれ!
「ちょっと旦那さん、そんなダサい布巻いてたら男前台無しよお!この帽子!とってもいい帽子よ!たったの銀貨二十枚!ね?」
「買わないってば!近い!距離近い!」
そのまま抱き着かんばかりの距離で、豊満すぎる胸と腹を押し付けてくる、豹柄の服をまとったオバサンなのかオジサンなのかよくわからない人。
ねっちょりとした視線と手付きが怖いってば!
「こら!!おい、そこのババア…?そいつに近付くな!死ね!!」
クロムが何とか救援に向かおうとしてくれるが、クロムはクロムで囲まれている。
まずい、もしこの人が物売りじゃなく、暗殺者だったら…避けられない位置まで踏み込まれてる!
何とか体勢を整え、間合いを取る…が、オバサン?は追いすがる!やばい、どうする!?
俺の焦りに乗じてさらにグイグイくるオバサン?を遮ったのは、俺が手綱を引く馬だった。
ブフン!と荒々しく鼻息を吐き出し、首を振る。同時に大人しくついてきていた替え馬たちも、蹄で地面を抉って威嚇してくれた。
気性の荒いアスラン馬、しかも軍馬の威嚇はさすがに怖かったようで、舌打ちしながらオバサン?は離れて行った。ありがとう!お前たち!
感謝の気持ちを掌に込めて馬たちの鼻面を撫で、目的地までの距離を目測する。
もう、ほんの僅かだ!
「もうすぐだ!頑張れ!」
客引きたちが群がってくるのは、門の近くの一定範囲だけ。露店が立ち並ぶエリアに入れば、「縄張り荒らしだ!」と露天商たちが飛び出してきて追い払うからな。
ちょっと背後で鈍い音と濁った悲鳴と、ヤクモの怯えた声がした気がしたが、気にせず行こう!
距離にして、シムルグ大橋よりずっと短い区間を抜け、振り返る。
あれほど群がっていた客引きどもは仕事の失敗を認めてさっさと散り、次の標的に向かっていった。流石に判断が早い。
良かった…切り抜けた…。
「皆…無事、か?」
「クロムが尻触られていたから、槍で脳天突いてやったぞ!」
「もっとカチ割る勢いでやれよ!」
「槍が汚れるから嫌だ!」
クロムが憤怒の形相を浮かべ、シドが剥かれかけた外套を直している以外は大丈夫そうだ。ガラテアさんも…大丈夫だな。うん。
屋根の上のユーシンまではさすがに手が届かなかったんだろう。一人だけ元気いっぱいに辺りを見回し、顔を輝かせて露店の一つを指さした。
「ファン、串焼肉だ!食いたい!」
「これから飯食いに行くから、ちょっと待ってろ」
露店で売っているのは、服や装身具、食器によくわかんない調度品と様々だが、一番多いのは食べものの屋台だ。
特に目に付くのは、串焼肉と甘藷の屋台。羊脂と甘藷の甘く香ばしい匂いが風に舞い、口の中に涎が溜まる。
売っている店主もそれを判って、「ほれほれ」と言わんばかりに団扇で煙をこっちに送ってくる。やめてください…ほんと、誘惑しないで…。
「知り合いの店とやらは遠いのか?」
名残惜しそうに串焼肉を凝視しつつ、シドが問う。というか、遠いなら買わないかって暗に言っているな。これは。
「いや、すぐそこだよ。広場を抜けたらほんとにすぐそこだ。あー…そうだな、ユーシン。ヤクモ。ちょっとひとっ走り行って、報せてくれないか?」
「ええ?お店、すぐわかるの?」
「うん。入口に葡萄を咥えた駱駝のでっかい置物があるから。あそこの道入って、右手三つ目の角から覗けば見える」
「らくだってなに?」
「俺がわかる!背中にこぶのある変な生き物だ!唾がとても臭い!」
軽やかな音を立てて馬車の屋根から着地すると、ユーシンは待ちきれない様子でヤクモの袖を引いた。
「行こう!」
「わかったよう、降りるからちょっと待って」
馬の足は止めず、ヤクモも馭者台から飛び出す。ちょっとたたらを踏んだものの、すでに駆け出していたユーシンの背中を追って走り出した。
「ファンが来たって言えばわかる!頼んだぞ!っていうか、あんまり走るな!」
「はーい!」
広場から伸びる道はいくつかあるけれど、指さした道はそれほど大きな通りじゃなく、馬や馬車を全力で走らせるような道じゃない。目指す店もすぐそこだ。大丈夫…だろう。たぶん。
流石にこの人込みで全力疾走することもなく、小走りにかけていく二人を見送っていると、少々どころじゃなく疲れた様子のロットさんの声が上がった。
「この人数で行って、大丈夫なんですか?」
「なじみの客しか上げない二階があいてれば使わせてくれますし、馬車で食べても良いですしね」
ロットさんの心配はもっともだ。でも、もともと隊商相手の店だから、馬車を止めるスペースは十分ある。そこまで埋まっているようなら…まあ、その時考えよう。
「信頼できるところなのか?」
「俺の頭に毛が無かったころからの知り合いだよ。母さんがそこの店好きでな。よく家族で食べに行ってたし、たぶん、ちょっと前に兄貴も来てたと思うぞ」
「…お前ら一家がどこの誰かわかってるのか?」
「知っているよ。そのうえでだ」
そうか、とクロムは頷き、目元を緩ませる。王族御用達の店の味に期待しているんだろう。うんうん。大いに期待してくれ。美味いから。
ユーシン達を追って、馬車が三台すれ違える程度の道へと進んでいく。両脇には食堂が並び、空気自体が芳香をはらんでいる。一歩進むごとに腹が減りそうだ。
「若サマー!」
「あ、どうも!久しぶり!」
「久しぶりネー!あらマ、ますます父上サマに似てらした!」
目的の曲がり角の前で手を振るのは、目当ての店「旅駱駝亭」の奥さんだ。
「旅駱駝亭」は、アスラン人の店主とカーラン人の女将さん、息子さんとその奥さんで切り盛りしている。ちなみに奥さんはメルハ人だ。
つまりどういうことかと言うと、アスラン料理とカーラン料理、そしてメルハ料理が同時に食べられる店なんである。
さらに、近くでキリク料理屋を営む店に娘さんが嫁いでいて、その店から出前もしてもらえる。ユーシンの為に頼んでやろう。
「すっごいキレーな子がきたヨー!」
「あいつ、キリク人なんだ。タダさんに、キリク料理を頼んでもらっていいかな」
「よいヨー!今日はお客さん少ないシ!いても作らせるけどネー!」
少なくてよかった。ごめんねタダさん。たくさん注文するから。
「サーサー、こっちだヨー!」
奥さんの先導で角を曲がる。
その途端、店の目印である陶器の駱駝が目に飛び込んできた。店の前で待機していたらしい従業員の兄ちゃんたちが、歩み寄ってくる。
流石に彼らは、俺が何者かは知らない。けれど、客に対する礼義はきっちりと仕込まれているだけあって、にこやかに迎えてくれた。
「どうぞ、こっち開いていますよ!」
「すいませんが、アスラン馬はご自身で繋いでくださいな。水と飼葉はもってきます!」
「ああ、ありがとう」
馬たちを囲いに入れ、手綱を杭につなぐ。馬車から降りたナナイ達が、しげしげと駱駝を見上げていた。
「らくだ…と言うのですか」
「背中のぽこっとしたの、なんだろー?」
「動物…だよね?魔獣じゃなくて…ナナイ、知っている?」
「うん。アスランじゃ珍しくない家畜だよ」
そういや、アステリアじゃ全然見掛けないよな。気難しいからだろうか。
背中のぽこっとしたのは脂肪を蓄えたコブで…と説明してやりたいけれど、なんかクロムがじっとこちらを見ている。あきらかに「俺は腹が減っているんだが?」と脅す視線に、解説はあきらめた。
あとでまた話題になるだろうしな。その時こそ…。
「中入んなヨー!お友達、もう待ってるヨー」
「ああ、そうだね。さ、こっちだ」
二階へ上がる階段は、店の入り口から少し離れた壁にくっついている。狭いけれど、煉瓦でしっかりと組まれ、壁もあるので危なっかしくはない。
階段を登りきると、分厚い二枚の布がドア代わりの入り口が待っていた。
店じまいと共に扉がはめ込まれて閉じられるけれど、今は風除けの布が外と中を仕切っている。
「お使いご苦労さん」
「どーいたしまして!すぐわかったしね!」
中は絨毯が敷かれ、座布団が点在し、隅にも積み上げられている。
三十人は座れるぞと店の親爺さんが豪語するこの部屋は、俺たち全員が入ってゆったりとした間隔で座っても、全く問題ない広さだ。
流石に三十人はいったら、両脇前後は誰かに触っている状態になると思うけどね。
明り取りの窓にはガラスがはまり、そこから陽光が差し込んで室内を照らしていた。
一番大きな窓は、通りに面した壁に嵌っている。と言うか、壁の大部分が窓だ。
夏はここが開け放たれ、風が通り抜けるようになっている。流石に今は固く閉じているけれど、陽光と外の景色を部屋に届けていた。
子供の頃、夏の夜にここから外を眺めるのが好きだった。
燈篭が吊るされ、やっと涼しくなったと人々が笑いさざめきながら通りを行き、どこからか笛や馬頭琴の調べが聞こえてくる。
何をするでもなく、その音に身を浸しているのが好きで、気が付くと寝てしまっていて、親父の背中で目が覚めたりしていたっけ。
そんな思い出に浸ってみたが、今は冬。窓を開けたら入ってくるのは容赦のない寒風だ。流石に開ける気にはならない。
陽光に照らされた部屋は暖められ、外套を脱いでも問題ないくらいになっていた。重たい…けどあんまり暖かくない…外套を脱いで手袋を取ると、それだけで心も軽くなる。
絨毯の柔らかさ。日のぬくもり。掃除が行き届き、装飾はないけれど分開放感にあふれた部屋。
思わず息をついてしまうような、ほっとする居心地だ。
この店をうちの家族が気に入っているのは、料理の味だけじゃない。
どうやらそう思っているのは俺だけではないようで、既に座布団に腰を下ろすユーシンもヤクモも、ふんにゃりと寛いでいた。
連戦だったもんな。お疲れさん。
「あ、靴をここで脱いでね。抵抗があったら、そこの布靴を履いて」
「靴、脱ぐんですか…」
「アスランでは絨毯の上に上がる時は靴を脱ぐ、と覚えてね。宿も部屋に入ったら脱ぐのが基本だよ」
地方へ行けば土足のままのところもあるけれど、大都や公路沿いにあるような町はだいたい一緒。
俺らは当然布靴は使わなかったし、シドとガラテアさん、アスランの習慣に慣れているナナイも靴下のままだ。
けど、さすがにエルディーンさんとレイブラッド卿、そしてロットさんら神官勢は置かれていた布靴に手を伸ばす。
「あー、これ可愛い!」
「鳥かなあ?あ、こっちお花だ!」
「あたし、お花のがいいな!」
「じゃあ、私、これ…猫かな?マリーは猫のが良いんじゃない?」
「あー悩む!」
異国の習慣が~と言うより、可愛い刺繍が施された布靴に興味津々みたいだ。
これから先も使うし、自分用のを買ってしまってもいいかもしれない。
「売ってるお店教えたげるヨー。でも、今はご飯食べてネー」
「あ、はーい!」
奥さんはちょっと訛っているタタル語を話すけれど、同じようにちょっと訛っている西方語、北方語、カーラン語を使いこなす。「読めないし書けないヨー。話すだけネー」とは言うけれど、十分凄いよ。
「そこの隅の、細い柱で仕切られている枠のそばには座らないようにね」
「そうなんですか?どうして?…あ、穴が開いている!」
不思議そうにタバサさんが覗き込むのは、四本の柱が床から天井まで伸びている場所。天井には滑車が取り付けられ、そこから縄が一方は下に向かい、もう一方は柱の一本に引っ掛けられている。
「こうするからヨー」
奥さんがその横に膝をつき、柱のフックに引っ掛けられていた縄を引く。
カラカラと滑車が回転し、持ち上がってきたのは俺たちの背嚢くらいの大きさの箱だ。
箱を床に降ろすと、縄を再び柱に引っ掛ける。
箱は前面があいていて、そこから見えるのは素焼きのカップが収納された籠だ。
「はい、まわしてネー」
「了解」
「あ、私たちやるっす!」
籠を受け取ろうとすると、コニーさんとミミさんが手を出してきた。奥さんが笑って彼女たちに籠を渡す。
「若様、一番奥でじっとしててネー」
「そうですよ。私たち、馬車で守ってもらっていたし。ロット兄さまも、ウィル兄さまもね!」
タバサさんがてきぱきと、カップを配る指示を出す。その様子にロットさんは「先生の影響かなあ」と微笑み、ウィルさんは手を出そうとして出せず、あわあわしている。
うん。俺の出る幕はなさそうだ。
大人しく、言われたとおり一番奥に腰を下ろすと、ユーシンが座布団を投げてきた。受け取って尻の下に引く。
「テーブルは、使わないんでしたよね?」
「すこしだけ、アスランのこと勉強してきました!」
そう言いつつもカップを両手に抱えて少し不安げなのは、アステリアじゃ床に座ること自体、不作法だからだろう。
「そうだよ。ちなみに、一番奥が主人の席。本来ならロットさんなんだけどね」
「謹んでご辞退申し上げます」
丁寧に頭を下げられると、さすがに引き下がるしかない。コニーさんに渡されたカップをお礼を言って受け取って脇に置くと、奥さんにもうんうんと頷かれた。
「お金払う人が一番エラいヨー。若様の財布からでショー」
「まあ、大司祭からのお小遣いは、この後に取っておいてほしいしね」
「いや、支払いますよ?」
「主人の席に座ったからには、俺が払わないと。この後ほんとに散財してもらいますし」
俺の拒絶に、ロットさんは少し困ったような顔をした。
俺に奢られるのと、この後の散財、どっちが困ったのかわからないけれど、説明はしておこう。
「この先、北上していきます。おまけに季節は真冬になっていくから、今の皆さんの装備じゃ心もとないんですよ。うちもですけど」
「冬支度はしてきましたが、足りませんか?」
「帽子と手袋に靴下含んだ肌着、それから靴。マントもそれじゃ駄目です。裏側に毛皮をはったやつにしないと」
「そもそも、ぼくの上着もマントも、穴空いてるしねぃ」
哀しそうにヤクモは呟き、買った時から空いている虫食い穴に指を入れてピコピコと動かした。やめなさい。よけい哀しくなるから。
「肌着に靴下も、ですか」
「むしろ、そこは絶対にケチったら駄目ですね。アスランの寒さは地面から来ますから。寝る時も専用の靴下をはいて、手袋をして寝たほうが良いくらいだ」
「わかりました。お店は紹介していただけますか?」
「ちゃんとした店の並ぶ場所はありますから。今日、この後肌着だけでも買いましょう」
おっと、宿。宿の手配しなきゃな。
箱を手繰り寄せる奥さんに視線を向けると、中から薬缶を引っ張り出しながら首を傾げられた。
「ウチ泊まるのネー?」
「部屋空いてるかな」
「ごめんなさいネー。今日は満室ヨー。明日は平気。予約しとくヨー」
「お願い。今夜は別のとこをあたるか」
「探しとくヨー」
本当に気の利く人だ。何も言わなくても、始めてアスランを訪れる女の子が泊っても大丈夫な宿を探してくれるだろう。
「ハイ、赤い蓋の薬缶が塩入り。白いのが塩なしヨー」
塩奶茶は塩を入れるから塩奶茶なのだけれど、西方人にとってはそれは「食べ物を粗末にする」事になるのは、国境の街であるサライでは広く知られている。
だからこうして、塩入と塩なし両方が用意されるわけだ。
「はい、甘いのヨー」
白い蓋の薬缶の隣に置かれたのは、砂糖を一度溶かして固めた氷糖。琥珀色の輝きが実に魅惑的。とりあえず一つ摘まんで、腹が減りすぎて虚ろな眼差しになりつつあるユーシンの口に放り込んでやる。
「僕は甘いほうが良いなあ。どうしてもスーティには馴染めないや」
「その辺は好みだしな。スーティは俺らしか飲まないだろうから、塩入はこっちに貰える?」
「はい!」
塩入って何のこと?っていうような顔をしながら、ミミさんが薬缶を運んできてくれた。その目の前でカップに淹れて見せる。
「あ、ミルクティー…ミルクティーを、塩入れて…飲むんですか?」
「アスランやキリクではね」
まあ、塩の入っていない方も、彼女たちが知っているよりはるかに乳分多めだ。本来、沸かした乳に茶葉を入れて煮たものを奶茶と呼ぶんだからな。
「ぼくはこっちで慣れちゃった。甘いのも好きだけどねぃ」
「俺もどっちも好きだ!だが今は、腹減ってるからこっちがいい!」
「シドとガラテアさんは?」
大都で暮らしてたなら塩入も知っているはず。でも、大都に住んで十年以上たつけれど断固として塩入は飲まないって人もいるしね。
美味いと感じれば飲めばいいし、不味いと思うなら飲まなければいい。
肝心なのは、どちらも人に押し付けないことだ。アスランでは、それは『とても不作法な事』とされる。
まあ、俺は野菜喰えよってクロムとユーシンに言い続けるけどな。料理の幅が狭まるし、俺が食いたいから。
「俺も腹が減ったから塩入りで。スープと思えば抵抗もない。けっこう好きだ」
「私は出来れば酒が欲しいが。もちろん、スーティも貰おう」
「酒ネー。麦酒、蒸留酒、葡萄酒、どれにするネー?」
「麦酒お願いします。クロムも飲むよな。シドとロットさんは?レイブラッド卿も麦酒にします?」
ロットさんはにこにこと湯気の立つカップを持ちながら、「わたしはこちらで」と首を振った。レイブラッド卿も「同じく」と頷く。少し残念そうだけど。我慢しないで飲めばいいのに。
「麦酒も飲めるならそっちも欲しいな。腹は減ったし咽喉も乾いた」
「はいヨー。四人分のカップもってくるヨー。料理注文もドゾー」
麦酒以降が注文ってことは、奶茶はサービスかあ。ありがとう。あとでおやじさんに挨拶した時にお礼言わなきゃ。
「串焼き肉!」
「もう作ってるヨー。もうすぐくるヨー」
「やった!店に着いた時、とんでもなく美味そうな匂いがしたのだ!」
それで凝視してたのを見られたかな。でも、どうせ注文するつもりだったし、早く来るならそれに越したことはない。
でも、串焼き肉だけじゃ屋台で買うのと大差がない。ちゃんとした料理も頼まなきゃな!
「とりあえずシャルミンとパンシュパ、ボダータイ・ホーラガは確定として…あとはお任せで!」
「はいヨー。今日のマサラは牛ヨー」
「…米は大盛りで!いや、特盛で!」
「心得たヨー。じゃ、アタシ、下降りるネー。料理出来たら持ってくるか、下から呼ぶヨー。呼ばれたら縄を引いてネー」
奥さんの説明を、女の子たちがうんうんと頷きながら聞く。次は私が引きますね!とエルディーンさんが気合いを入れていた。まあ、多少揺れてもこぼれたりしない料理は箱で、汁物は人力で持ってきてくれるだろう。
そう思いながら出入り口の方に視線を向けると、階段を登る足音に気付いた。
「お久しぶりです、若様」
「また来れて嬉しいよ、若旦那」
声と同時に、胃袋を揺さぶる匂いが部屋の中に満ちる。
入口の覆いを払いながら入ってくるのは、この店の若旦那。手には串焼き肉が山積みになった皿が乗っている。
「一人三本、とりあえずね」
「材料足りるかな?」
「此処はサライですよ。切れる前に誰かしらが売りつけに来ますって」
冗談めかしているけれど、大袈裟じゃないんだよなあ。
どん、と部屋の中央に大皿が置かれる。脂滴る串焼き肉は、当然羊肉。ここの店のは塩とマサラ粉で味付けしてあって、独特の風味が最高だ。できれば麦酒と一緒にいきたいところだけれど、麦酒…待てないな。
「よし、食おう!」
「イれ!!」
「さすがに略しすぎだ!あっち見習え!」
イダムよターラよ照覧あれ、まで言わなくても、せめて神様の名前くらいはちゃんと言いなさい。
流石にロットさんら神官組と、エルディーンさんたちは手を組んでアスターへの祈りを捧げている。ナナイは…ちょっと迷って同じように目を閉じた。
とは言え、略式のようで時間はごく短かった。ユーシンが一本目を平らげると同時くらいに祈りは終わり「我々もいただきましょう」とロットさんが促す。
「美味い!とても美味い!」
「くっそ、麦酒、麦酒まだかよ」
「アハハ、今、引き揚げますね」
若旦那が昇降機に歩み寄り、ぐいりと縄を引く。手伝おうとしたエルディーンさんを笑って制し、箱から新たな薬缶とカップを取り出した。
「さ、どうぞ」
「やったー!」
ウキウキで一式を受け取り、新しいカップに麦酒を注ぐ。
サライでも気取った店なら硝子や陶器製の瓶子に入って出てくるけれど、ここは飲み物は基本的に全て薬缶だ。注ぎやすいし良いと思う。
脂滴る串焼き肉を十分に味わって飲み込んだ後、麦酒をグイッといく。
ほろ苦い風味が口と咽喉を通過する幸せ。空っ腹と乾いた咽喉が存分に満たされ、思わず笑ってしまうのは不可抗力だ。
神官組にとって、おそらく初めての味だろう串焼き肉だけど、口にあったみたいだ。「美味しい!」「熱い!」とはしゃぎながら、どんどん串から肉をもぎ取っている。
「では、俺はひとっ走り、お知らせに行ってきましょう」
「お運びはまかせてネー」
「ああ、頼むよ」
若旦那は一礼して出ていった。その後に奥さんも続く。
あ、なんで騎士が巡回に駆り出されているのか聞いておけばよかったな。
この店はサライ守備軍の将軍たちもよく来るから、若旦那はいろんな情報を仕入れている。ヤルト爺に知らせに行くのも、そうした顔見知りの将校が繋いでくれるだろう。
まあ、今はとりあえず美味しいもの食べることに集中するか。
串焼きが串だけになり、麦酒入りの薬缶がすっかり軽くなった頃…と言っても、ほとんど時間は空いていないけれど、また階段を登る足音がして、奥さんが入り口の布をかき分けた。
「シャルミンおまちヨー!」
俺の隣で名残惜しそうに串を齧っていたクロムが、がばりと身を乗り出す。うん。その気持ちはわかる。
奥さんに続いて、店の若いのがお盆をもって入ってきた。
彼らの持つお盆の上には、人数分の鉢。
トントンと置かれていく鉢の中には、澄んだスープと、その中に揺蕩う黄金の麺!
横の小皿には、上に乗せるための具材が乗っている。茹でた青菜にゆで卵。さらに旅駱駝亭自慢の牛肉煮込み!
スープも牛骨で出汁を取っているんだけれど、このカーランの香辛料で煮つけられた牛肉は麺に良く絡みスープにも抜群にあう。
とは言え、八角も山椒も駄目な人はとことん駄目な味だ。味見してもらってからのほうが良い。
もし、口に合わないと、シャルミン自体が食べられなくなっちゃうし。
「麺にこうやって入れて食べるんだけど、肉だけはちょっと一口食べてからにしてね。独特の風味があるから」
「あ、私好きですね。この味」
一匙掬って食べて、ロットさんは俺がしたように具材を全て麺の上に乗せた。
けれど、他の皆はやっぱり駄目だったようで、困惑した顔をしている。山椒の辛みと言うか痺れって西方にはないもんなあ。
「おい、お前も駄目なら無理すんなよ。食ってやるから」
「残念でしたあ!美味しいでーす!」
狙うクロムの箸をよけ、ヤクモも全乗せする。俺が作る料理に、たまに山椒の粉とか入れてたしね。
「僕も苦手だな。クロムにあげるね。だからヤクモの狙ったらダメだよ」
「弟子たちのぶんも、ファンさん達で召し上がってください。すみません」
「仕方ないネー!肉なくても美味いから食べてヨー!」
「青菜とゆで卵だけでも十分美味いですから!じゃあ、平等に取り分けるから、お前ら鉢出しなさい」
クロムとユーシンに任せてたら食事じゃなくなるからな。
シドとガラテアさんも鉢を出したので、サクサクと俺のも含めて分配していく。
改めて箸を運び、麺と具を一度に口の中にすすりこめば…つるりとした麵の歯ごたえと、スープの見た目通りの澄んだ味、肉の甘辛さと後から来る山椒の痺れ。それらが「とにかくうまい!」という単純な感想を導きだす。
まあ、美味いもの喰いながら難しいことを考えるのは、さらに難しいしね、うん。
神官組もはじめは恐る恐るフォークで麺を搦めていたけれど、一口食べてからその動きが早くなった。口の中火傷しないようにね。
「熱い!熱い!」
「じゃあ冷ましながら食べなよう」
「手が止まらんだけだ!熱い!」
これはお手本にしちゃダメな食べ方だからね?
続いて運ばれてきた焼き餃子も、肉の炊き込みご飯も、牛肉のマサラも実に美味かった。
さすがに神官組は、その後三人で一皿を別けて食べていたけれど。その余った分は、当然ながらうちの連中の底なし胃袋に消えていく。シドもガラテアさんもよく食べる。特にガラテアさん。その細い腰のどこにこの大量の食べ物が?
「出前きたヨー。お待ちどうヨー」
「む」
奥さんが運んできた大きな鉢を見て、ユーシンが声を上げる。
鉢を満たしているのは、とろりとしたスープ。
「ダルだ!!」
「だる?」
「このスープの名前だよ。豆のスープ。米にかけても美味い」
椀によそわれたダルを見て、ユーシンは満面の笑みを浮かべた。クロムも嬉しそうにしている。二人にとっては故郷の味だしな。
「他にも出前あるヨー」
蕎麦粉の上に干し肉を乗せて焼き上げるバラ。豚の挽肉を小麦粉を練って作った皮で包み、蒸し上げるモモ。大豆とにんにくを炒り、酢と辛みを付けた油で和えたパドマス・サデコ。
「この辺は、キリクとクトラの料理。ここの店の娘さんの嫁ぎ先がキリク料理屋でさ。出前を頼んだんだ」
「ファン!俺は嬉しい!ありがとう!」
「うん。だからお前も正月は…」
「それは断る!」
にっこりと笑って言いきられた。キリク料理食えば望郷の念が勝るかと思ったんだけどなあ。
***
出前してもらった料理も食いつくし、奥さんが食後のお茶を持ってくると、太陽はもう下り始めていた。日が弱くなり、日暮れがそう遠くはないことを伝えてくる。
「ねぇ、これからお宿探すの?あるかなあ?」
「サライの宿と言う宿が全部埋まるって事だけはないな」
ただ、条件に合った宿が見つかるか、と言う問題は当然あるけれど。
「ファンのうちって、ここにはないのぅ?」
「あるにはあるけれど、最終手段にしたい」
総督府の奥にあるその館は、つまりは王族がサライを訪れた際に使うものだ。行けば当然歓迎されるけど、俺がサライに滞在していることが最初の門をくぐった直後に街中に知られ渡ると言っても自意識過剰じゃない。
翌日には『御挨拶』したいと門前に長蛇の列ができるし、大商会からの『お食事の誘い』『宴の誘い』は無碍にはできない。確実に十日近く足止めを食らう。
一応、民間の宿に泊まるのはお忍びですよって言う意味のアピールでもあるから、もしも俺を見てナランハルと気付いた人がいたとしても、礼儀的に黙っている。
その暗黙の礼儀を無視すれば、他の商人に「野暮なやつだ」と指をさされるし、俺の恨みも買うわけだから、さすがに自重してくれるだろう。たぶん。
とりあえずは肌着を買いに行って…馬車と馬はここで預かってくれるって言うんで、甘えてしまおう。
昨日洗濯できなかったから、今日洗うか買わないと二周目になっちゃう。シャツやなんかはそんなに汗もかいていないからいいとしても、肌着は…せめてパンツと靴下は…。
「ダンナまだ戻らないし、買い物いってきちゃいなヨー」
「そうしようか」
奥さんの声に頷いて、皆に声を掛けようとした時、階段を登る足音が届いた。
結構急いで登ってきているな。若旦那、帰ってきたのかな?
「若様」
布をかき分けたのは、間違いなく若旦那だった。ただ、なんと言うか、若干顔が引きつっている。
「おかえり。…何かあった?」
「あった、と言いますか…」
ちらりと、若旦那の視線が動く。見ているのは、階段の下だ。
あ、もしかして、ヤルト爺ついてきちゃった?
俺の予想を裏付けるように、階段を登る足音が響く。それも、一人じゃない。複数人だ。
クロムがさりげなく剣に手を伸ばし、胡坐から両膝とつま先を床につけ、踵を挙げた座り方に変える。
「その…若様に、お客様です」
「…俺に?」
す、と若旦那は布の向こうに消えた。これから来る人に布を挙げたまま、道を譲っている。
全員の視線が集まる中、若旦那の持ち上げる布の向こうで、人影が動いた。
「若いの。蒸留酒を一瓶。そうさな…つまみは要らぬ」
聞こえてきたのは、老人の…年を重ねた、男の声。
いや、確かにお年寄りだけど。
ヤルト爺の声じゃ、ない。
爺のような空気を震わせる大声じゃないのに、びしりと背骨を叩き、思わず背筋を伸ばしてしまうような、この声は…!
「孫の顔が最高のつまみよ」
「祖父ちゃん!!」
そこにいたのは、アスラン王国七代大王バトウ。
つまり、俺の祖父ちゃんだった。




