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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
23/89

善き者と交われば月の光、悪しき者と交われば蛇の毒(朱に交われば赤くなる)1

 前、ウー老師せんせいに言われたように、俺たち遊牧の民は望郷の念が薄いらしい。

 それは、家族がいて家畜がいるところが自分の家であり、故郷であり、帰るべき場所だからだって認識が根っこにあるからだろう。

 俺は遊牧の暮らしを十歳でやめているけれど…それでも今まで一度も、遠く離れた家に帰りたいと強く思ったことはなく、どんな土地でもそれなりに楽しくやってきた。


 当然アステリアに対しても、しんどかった事よりも、知り合えた友人たちの顔や、こなした冒険の記憶があとからあとから沸いてきて…口許が緩んでしまう。

 この一年、総括すれば「とっても楽しかった!」になるのは、嘘でも誤魔化しでもない。

 

 けど。


 目の前に聳える城壁。

 サライとラバーナを、世界の東と西を隔てる壁。


 あの向こうは…アスランだ。

 アスラン。俺の国。生まれ育ち、これからも生きていく国。


 帰りたい。

 そう思った。

 あの向こうへ。河を越えて、今すぐにでも。


 そうか。これが『望郷』なんだな。

 この、胸を掻きむしりたくなるような要求。これが。


 「何度も言うが、あの中を通るのは御免だぞ」

 

 それをなんとか堪えていると、同じように壁の向こうを見ていたクロムが橋を指さし吐き捨てる。

 ほんの少し怒っているように見えるのは、きっとクロムも同じようなものを我慢したからだろう。


 「わかってるさ」

 「ほんとにぃ?ファン、値段聞いて尻込みしない?」

 「正直、上と下で十倍以上金額が違うのは納得してないし、自費なら下を選択するなって思ってた」


 通行料もガラント伯のご厚意で払い済みである。サライ着いたら贈物の牛を選ばないとな。


 「けど…もし、自費でも、上にしたよ。自分でもビックリしてるんだけどさ」


 視線を向けるのは、名高いシムルグ大橋。

 下層を行く行列は、じれったくなるほどゆっくりと前へ進んでいく。

 橋の長さ自体は、1イリ(500メートル)もない。普通に走れば、百を数える前に渡りきる。その程度だ。

 けれど、今、橋に足を掛けた人がサライに渡りきるのは、どれほど後になるだろうか。流石に夕暮れまでには渡れると思うけれど。


 「たぶん、橋を渡りだしたら…我慢できないだろうな。いきなり走ったらすまん。それくらい、早く帰りたいんだ。アスランに」

 

 タタル語が交わされ、肉の焼ける匂いは羊の脂の匂いで。

 男も女性も色鮮やかな胡服デールを纏い、馬に乗り、草原を駆ける。

 そんな、俺の国。


 「けっこー意外だけど…ファンだっておうちに帰りたくなるよねぃ。そのおかげでぎうぎうにならずに通れるんだから、ぼくは良いと思うよ」

 「ほんと、自分に望郷の念なんてものがあるとは思わなかったよ。今まで、いろんなところに長期滞在したのにな。まあ、辺境とは言えアスラン国内だから平気だったんだろうなあ」


 まさに離れてわかる故郷と親のありがたみ。

 しみじみと頷きながら、まだ向こう側の人に手を振るユーシンに視線を向けた。


 「ユーシン。大都戻ったら、キリクにも顔出しに行こうな。転移陣使って」

 

 定住民族であるキリク人は、俺よりももっと故郷の土地に対する思い入れは強い。

 いくら怖いもの知らずで元気が有り余るユーシンとは言え、まだ十八歳の大人とは言えない年齢だ。

 里心が付けば、それは俺よりもずっと強い衝動のはず。本人が気づかなくても、きっと心に負担をかけている。

 …って思うんだけど、なんだよその変顔。


 「やめなさい。せっかく綺麗な顔してんだから」

 「断る!戻ったら二度と出してもらえなくなる!!さらに父上にも母上にもユーナンにも叱られるから嫌だ!」

 「俺も一緒に行って頭下げてやるから!なんなら土下座するから!」

 「こんな馬鹿の為にお前の頭を下げるんじゃない!!ほっといても無理やり脱出してくんだろ」

 「とにかく嫌だ!絶対に嫌だ!!断固として断る!!思ったより強くなっていない!!」


 変顔のまま首を激しく振るもんだから、さらにヤバい顔になってるぞ。お前…。

 でもなあ。二年連続で王子が年始の挨拶にいないってのも問題だと思うし。まあ、帰ったら親父と兄貴にも相談しよう。

 …母さんは、「好きにしたらいいんじゃない?」で終わらせるだろうから、やっぱり相談するなら親父と兄貴だ。

 

 まだ変な顔をしているユーシンを宥めていると、女の子たちに背を押されるようにしてエルディーンさんがやってきた。顔がちょっと赤い。風も強いし、寒いのかな。


 「あ、あの!!」

 「うん。そうだね、そろそろ降りようか」

 「へ?」

 「風、結構強いし寒いもんねぇ。女の子には辛いよな」


 ナナイはさっきから無言で、クロムで風を避けている。ガラテアさんがくすくす笑いながら、自分のマントの中に入れてあげていた。


 「ええと…そうですね…寒い…ですね」

 「河を渡る風は冷たいからねえ。よーし、皆、降りるぞ~。降りたら何か、温かいものを腹に入れよう」

 「えと、そうじゃなくて!」


 あれ?あ、もしかして…トイレかな?冷えると近くなるけど、女の子からは言いにくい。みんなを代表して言いに来てくれたとか。


 「あの…!」

 「うん。我慢できなくなる前に、はやくお…んぐっ!!」

 「きゃあ!だ、大丈夫ですかっ!?」


 降りようか、と言おうとしたら、ガラテアさんに脇腹をどつかれた。すんごく痛い。シド、普段からこれを食らってるのか…すごい…丈夫…だな。

 目をまるくして口許を抑えるエルディーンさんに「だいじょぶ…」と手を上げ、クロムに落ち着けという為に視線を向けると…クロムは呆れた顔で腕を組み、首を振っていた。なんか、全然落ち着いてんね?


 「おい、いくらイラっとしたからって手加減なしの一撃はやめろ」

 「十分に手加減した。エルディーン。さあ、言うと良い。おそらくこの男は一生察しないどころか、もっとひどい勘違いをするように思う」

 

 え?違ったの?

 痛みを逃がすべく、浅い呼吸と瞬きを繰り返しながら再びエルディーンさんを見ると、彼女は真っ赤なほっぺたを震わせながら口を開いた。


 「あ、あの!!故郷に帰りたいと願うのは!!当たり前で!!我慢できないとか!我儘とか!そんなんじゃないって…思います!」

 「う、うん。ありがとう…」


 お礼を言うと、こくこくこく!!とすごい勢いで頷き、彼女はタバサさんたちの許へと走って戻った。友人たちに頭を撫でられ、背を擦られてその場でパタパタと足踏みを繰り返している。


 んーと、とにかく、励まされた…んだろう。たぶん。

 まだ痛む脇腹を擦りつつガラテアさんを見ると、ニコッと笑われて拳を見せられた。もしかして、不正解?対応に不備ありました?


 「姉さんがすまん」

 「いや、俺がなんかしくじったっぽいし…とにかく、降りよう」


 何がどうなったんだろう。どこをしくじったんだろうか。さっぱりわからん。

 教えてくれる気はないみたいだし、まあ、いいや。

 そう思って出入り口を指さすと、ヤクモがものすごく穏やかな微笑を浮かべながら、上げていない方の手に自分の手を重ねてくる。


 「それでこそファンだよ。このままのファンでいてね。約束だよ」

 「お、おう???」

 「いっとくが、こいつは童貞じゃないからな。その一点でお前よりはるかに先を行っていることを忘れんなよ」

 「嘘だ!!ぼくは信じないよ!!」

 「何の話を真昼間からしてんだお前らは!!」


 あたた、声張り上げたら脇腹に響いた…。

 ってか、ほんとなんの話してんだ!


 「ぜったい、ぜったい嘘だよね…」

 

 さっきまでの穏やかな微笑をかなぐり捨て、噛みつきそうな顔で見上げてくるヤクモ。これ、答えるまで聞いてくるやつだ。なんなの、もう…。そんな気になる事か?!


 「い、いや、二十三歳でまだってのは…ちょっと、おかしいと思うんだけど…」

 「だってファンだよ!?」

 「まあ、恋人がいたとかって話なら、いたことはないけど。一応、こんなんでも王子だからな?教育の一環で…そのう…」

 「ん…ならまだ、無罪ノットギルティ、かな」

 

 ヤクモの法が本気で分からん。

 

 「とにかく!ファンはそのままでいてね!ファンがオカン的な気配りじゃなくて、イケメン的な感じで気配り上手になって、女の子にきゃあ言われる世界なんて、ぼくは認めないから!」


 女の子にきゃあなあ。虫の標本作ってたら、侍女に叫ばれたことはあるけれど。

 エルディーンさん達には聞こえない程度に喚くヤクモに、クロムが憐れんだ目を向けた。


 「…お前、大都行ったら…いや、サライでもいい。一晩ちょっとついてこい。童貞捨てたら、その鼠の糞みたいなひがみもどうにかなるかもしれん」

 「え…それは、そーゆーお店、いくってコト?」

 「おい、コイツの状態異常治しにいくようなもんだ。パーティ資金から金出してくれ」

 「…考えとく」

  

 寒さで小さくなっているナナイや、女の子たちにこんなアホなやり取りが聞こえなくてなによりだ。

 そんなわちゃわちゃと脇腹の痛みに、いつの間にか、あれほど胸も張りつめていた望郷の想いは、すっ飛んで行っていた。

 そう、思っていた。


***


 塔から降りて、とりあえず近くの店で温かいスープを買って飲み、隣の店でメルハ式のジャガイモの揚げ物…当然マサラ味だ…を買い求め、はふはふと食べながら馬車へと戻る。

 朝方、伯爵の店で買ったケーキはもう半分以上ない。かろうじて守りきった分は、サライで待っているだろうココ達へのお土産だ。

 って言うか、五十個貰って、もう五十個買ったんだけどね?

 まあ、食いきった美味いものの事を考えるなら、もうないと嘆くよりも、また買おうと楽しみにしたほうが良い。

 

 揚げジャガイモも実に美味い。自分が作る以外で、随分久しぶりにマサラ味のものを食べた。

 俺が作るより少し辛みが少なく、クロムはちょっと不満そうだったけれど、おかげで初めて食べる女の子たちにも好評だ。


 「うひゃ、すごいのいるねぃ!」

 「あれは…」


 俺たちが馬車と馬を繋いだ場所に、ドーンとたっている、牛。

 何よりも目を奪われるのは、その巨大な角だ。

 横に張り出し、四分の一ほどは捻じれながら上へと伸びている。俺が両腕を広げるよりもずっと大きい。


 「長角牛アンコーレ!珍しいな!もっと西の方の牛のはず!」

 「あのおっさん、通行証じゃなくて牛連れてきたのか?」


 牛と言えばガラント伯だけれど、濃いオレンジ色の牛の横に立つのはもっと若い…と言っても、四十代はじめくらいの男の人だ。

 どう見ても牛飼いに見えない、上等なロングコートに首元には真っ白なスカーフ。けれど、その手は愛おしそうに牛の耳の後ろを掻いている。


 「伯爵の息子さん、かなあ?」 

 「絶対無関係の人じゃないよねぃ」

 「でかい角だ!」

 

 とりあえず、場所といい牛と言い、たぶん俺らに用があるんだろう。

 なにより、もっと近くで見てみたい。ちょっと早足気味に歩み寄ると、牛を撫でていた男性がこちらに気付いてにっこりと笑った。


 「ああ、どうもどうも!私はロビン・フォン・ガラント。こちらの紳士は、ジェイムズと申します」

 「ええと、ご丁寧にありがとうございます。すみません、嫌がらなければなんですが、角に触ってみても?」

 「かまいませんとも!ああ、大神官殿。通行証をお持ちいたしましたぞ」


 ガラントって名乗るってことは、伯爵の息子さんか。近くに控える騎士が、ほんの少し頷いた。たぶん、俺の疑問に気付いてくれたんだろう。


 触ってみると、やっぱり中は空洞のようだった。まあ、中身がみっちり入ってたら重くて首が上がらないだろうしな。

 ジェイムズは横目で俺を見ながら、気にした様子もなく反芻している。ずいぶん落ち着いたやつだ。身体も角もでかいけれど、肝もでかいらしい。いい種牛だなあ。


 「ありがとうございます。素晴らしい牡牛ですね。身体のバランスもいいし、蹄も大きい。何より、こんなに落ちついた未去勢牛は珍しい」

 「ふふふ。ジェイムズは、そこらの人間よりも紳士ですからね。見てください、この角と頭を支える首の逞しいこと!」


 血管が浮き、筋肉が皮膚を押し上げる首には、白木でつくられた首輪が掛けられ、カウベルがぶら下がっている。

 ふと、その首輪と皮膚の隙間に、羊皮紙が挟まれているのに気付いた。いや、正確には、ロビンさんの手がそっと指し示し、気付かされた。


 ちらりと顔を見ると、満面の顔で頷かれる。牛の素晴らしさを誇っているような顔だけれど、これは、この羊皮紙を取れっていう事だよな。

 指を何気なくその上に置き、抜き取ると、よく見なければわからない程度に頷かれた。なんだろう。牛の品種のリクエスト…なわけないか。

 あまり大っぴらには言えない…つまり、一介の冒険者には話せないような内容なんだろう。


 「十人分の通行証、確かに受け取りました。どうぞ、ヤクモくん。君のですよ」


 そんなやり取りに気付いた様子はなく…気付かれても困るけれど…ロットさんが受け取った袋の中を確認し、頷く。その中から一つを取り出して、ヤクモに差し出してくれた。


 「ありがとーです!あれ?ナナイのは?」

 「僕は自分の持っているからね。生まれはアスランだからさ」


 温かい食べ物に元気を取り戻したナナイが、肩掛鞄から出したのは布袋。

 さらにそこから、朱い艶やかな板を取り出して見せた。 


 この四角い漆塗りの板が、通行証だ。

 

 表には名前と所持者の特徴、いつ発行したかが刻んである。ナナイのなら、生まれてすぐに発行されたものだ。年季も入る。

 アスランの役所に行けば新しいのと取り換えてくれるけれど、ナナイはそこまで頻繁に使わないからな。

 ヤクモに手渡された通行証も、朱漆で塗装されている。まだ風合いが落ち着かず、少し安っぽく見えるけれど、旅の終わりにはしっとりとした艶になっているだろう。

 

 「これ、『ヤクモ』ってタタル文字で書いてあるんだよ」

 「へええ~!ぼくの名前、こう書くんだねぃ!」

 「こっちが、君の特徴。男で、黒髪で、瞳の色は赤。発行された年に年齢は十七歳。その程度だけどね」

 「じゃあ、おんなじよーな人がいたら、わかんないねい」

 「まあね。だから、盗まれないようにな?」


 実は、通行証にも種類がある。


 通常、申請してもらえるのは、漆塗りじゃない普通の木の板で作られたものだ。

 この通行証だと、提示を求められるたびに荷物も調べられるし、「何かあった」場合の対応もアスランの民より後回しにされる。


 白木の通行証は豪商や大商会など、すでにアスランでなにかしらの取引をしていて、ある程度身分が保証されている人に出される。

 街道や通過するだけの街での荷物の改めは免除されるんで、隊商には必須のものだ。その代わり、審査は厳しいし手数料も高い。


 朱塗りの通行証はさらにその上。発行には保証人がいるし…今回はバレルノ大司祭と、ガラント伯だろう…アスラン側でもそれなりの身分の人間が保証しなければならない。

 もちろん俺が保証できるんだけど、頼まれて書類を書いていない。ガラント伯が動いてくれたなら、サライの監督官か。

 提示を求められて見せれば丁重に扱われるし、荷物検査もない。宿駅ジャムチでも、野宿ではなく宿舎に泊まれる。

 そんなわけで、朱塗りの通行証を欲しがる輩は当然多い。盗まれれば、すぐに闇市で売られてどこかへ消えていく。取り戻すのは不可能に近い。

 

 「念のため確認するが、ユーシン。ちゃんと持ってるよな?」

 「ああ!たぶん!」

 「…おい、コイツの荷物改めるぞ」

 「もし、もしだよ?なかったらどすんの?」


 ユーシンの背嚢を背中からひっぺがし、無表情でクロムが中を引っ掻き回す。それをヤクモは不安そうに見つめていた。


 「その時は、俺だけ夜の闇に紛れて河を渡るか!」

 「やめれ。大問題になるわ。…あー、アスラン人である俺が保証すればサライに入れるから、サライで通行証を発行してもらえばいいよ」


 まあ、そういう時、王子と言う身分が役に立つわけで。

 俺の返答にヤクモがホッとしたのと同時に、クロムが袋をひとつ、掴みだした。中を改めて、そのままユーシンに投げつける。


 「ほら、あっただろう!」

 「あっただろう、じゃねぇよ!!」

 

 二人のやり取りに、ロビンさんが吹き出した。すいませんねぇ、騒がしくて。


 「ぜひ、春にまたお寄りください。春のウルズベリは美しいし、仔牛も生まれます」

 「難産ならお手伝いしますね!俺、逆子を産ませるの得意なんですよ!」

 「おお、素晴らしい!私もいささか心得はありますが、逆子とわかると肝が冷えますからな!」

 「…やらせないからな」


 いやあでも、お世話になったなら、そのくらいな?

 けれどクロムの視線は厳しく、「絶対にダメ」と物語っている。いいじゃないか。牛のお産手伝ったからって死ぬわけじゃないし。

 

 「クロムに手伝えとは言わないからさ」

 

 そう言いながら肩を叩き、その途中でちらりと首輪から抜き取った羊皮紙を見せた。もし、暗殺者の情報とかならクロムにも見せたほうが良い。

 ぶすくれた顔のまま、クロムの瞳だけが羊皮紙に向く。ゆっくりとした瞬きは了承の印だ。

 門を通る前に目を通しとかなきゃな。


 「いろいろありがとうございました。伯爵にも、お礼状をしたためさせていただきますとお伝えください」

 「なに、大神殿のお手伝いをさせていただくのは、アスターの信徒として当然の事。さらに牛について語れる知己を得たこと、まさに役得ですからな」


 不器用に片目をつぶって見せる。その隣で、ジェイムズが同意するように鼻を鳴らした。

 

 「さあ、西から東へ渡りましょうか。ロットさん」

 「ええ。この先の案内と護衛、お願いします」

 「それが俺たちの仕事ぼうけんですからね。サライについて周辺情報を集めたら、詳しいルートを説明します」


 こくり、とロットさんが頷き、一緒に聞いていたウィルも慌てて大きく頷く。この旅の準備、ウィルもずっと一緒にやってきたそうだし、気合いもはいるよな。

 何せ、こっからが本番だ。彼ら彼女らにとって、隣国とは言え遠い異国。言葉も文化も何もかも違う世界。


 願わくば、この旅とアスランでの滞在が苦しいものではなく、楽しい思い出になってくれると良い。やっぱり、自分の国を好きになってほしいしね。


 「さあ、皆、馬車に乗って!」

 「ナナイはどっちに乗る?」

 「危険はないと思うが…神殿の馬車のが良いんじゃないか?俺らが先行するしな」

 「ん…そだね。じゃあ、そうするよ」


 クロムの提案に頷き、ナナイは「僕もそっちだってー!」と新しい友人たちに明るく声を掛けながら駆け寄る。きゃあきゃあと歓迎の声が上がり、周りの温度がほんわりと上がった気がした。

 

 「じゃあ、こっちの馬車にはガラテアさん乗る?」

 「いや、私も馬を曳いて歩こう。『何か』あった時に動けるようにな。私と弟は最後尾だ。いいな?シド」

 「異論はない」


 シドの表情が、少しだけ硬い。姉と最後尾が嫌なんじゃなく、万が一…暗殺者の襲撃があった場合の不意打ち(バックアタック)を警戒し始めているんだろう。そのやや緊張した様子に、ヤクモも眉を寄せた。


 「…なんか、ありそなの?」

 「橋の中はアスランの管轄だ。止まることは許されないし、何かあればすぐに兵が駆け付けてくる。だから、暗殺者が襲撃のポイントに使うとは考えにくい」


 一撃、一瞬で事を終えねば、仕事は失敗だ。おまけに橋の上、しかも屋根と壁のある橋と言うことで、数を頼みに襲うことも難しい。中は馬車が二台悠々と通れる広さとは言え、逆に言えばその程度だからな。

 こちらは馬車を使って簡易的な障壁を作ることが出来るし、神官が多いってことは防衛力が高いってことにもなる。

 一応でも王族の暗殺に雇われるような暗殺者が、そんな不利な場所で仕掛けてくるとは思えない。

 思えないけれど、兄貴を襲うような馬鹿もいることだしなあ。イヴリン様の言う通り、賢者の一手よりも愚か者の一足の方が読みにくい。備えはしておくべきだ。


 「よっし!いくぞ」


 手を振るロビンさんと、見守る騎士たちに別れの挨拶をしながら、目指すは二階部分へと続くスロープ。

 ちょうど、俺たちがその入り口に差し掛かった時、門が開く踊り場に差し掛かった一団がいた。

 防具を身に着けていないけれど、全員馬を曳き、馬車を囲んでいる。どっかの貴族か金持ちと、その護衛の騎士もしくは傭兵ってとこか。一、二…十人ほど。馬車にも人が乗っているだろうから、もうちょっといるか。

 傭兵で全員騎馬付きってのは珍しいから、貴族の方だろう。


 昨晩伯爵に聞いたけれど、アステリアでも南の方は、アスランに対して「良くわからないヒャッハーな蛮族が闊歩する国」という蔑視はないらしい。交易商人が品物を持ってくるし、話も聞けるからだろうな。

 ただ、アスランをよく知るというより、サライにはラバーナよりもさらに珍しい東方の品物があり、しかもラバーナよりも少し安い、みたいな認識だそうだ。


 陶磁器…特にカーラン製の青磁は西方諸国でかなり人気があり、青磁じゃなくそれらしい色が付けられただけの安物でも、とんでもない値段になる。

 当然、持っていればステータスになるわけだし、遥か東まで旅して買ってきたんだっていう『冒険譚』は、その陶磁器を使ったお茶会で披露するのに相応しいネタだ。ついでに香り高い茶を出せば説得力も増すってもの。

 陶磁器も茶葉も偽物が多いから、冒険譚にオチがつかないよう、ちゃんとした店で買ってほしいもんだ。


 向こうも俺たちに気づいたらしく、視線をちらちらと送ってきていた。そのちょっと値踏みしているような、嫌らしい感じの笑みに引っ掛かる。

 ガラテアさんだけじゃなく、坂道は馬が可哀想だって、女の子たちは馬車の外に出ている。彼女たちへ向ける視線は、微笑ましいとか、女神の使徒に対する敬虔な気持ちの表れであるとか、そういうもんじゃない。


 「ち…あのクソ共のが先にアスランに入るのか」

 「出てすぐナンパしに向かってこないか、それが心配だな」


 橋の途中で立ち止まることはできない。こっちの女性陣が気になったなら、渡り切ってサライの西門広場に着いた後が危ない。待ち伏せされるかもしれない。

 まあ、あそこはびっくりするほど人がいるし、旅慣れてない様子のお貴族様なんて、一瞬で物売りに囲まれて身動き取れなくなる。そんなに心配するほどの事でもないな。たぶん。


 厄介なのはこっちの門の前で待たれる事だったけれど、門を守る騎士たちがそれを許さなかった。少し渋ったような様子はあったけれど、無事に橋へと送り出される。

 俺たちが踊り場まで来ると、少し困った様子で門番さんは笑った。

 

 「先ほどの一団、そちらのご婦人らに興味がある様子。気を付けられよ」

 「ありがとうございます。まあ、サライの洗礼が守ってくれるかなって」

 

 俺の服装やなにかから、アスラン人だってことは察したんだろう。同僚らと視線を交わして笑うのは、「違いない」とその様子を想像したのかな。

 酷いのになると、鞄やポケットに安物を突っ込んで、「はい、贈り物あげた!アナタ私の友達!店に来る!もっといいものあるよ!」と引き摺って行こうとする。

 あんまりなようなら警備の兵士が助けに来るけれど、男ばかり十人ほどの集団が囲まれていても助けない。自分で何とかしろ、と見放されるのがオチだ。

 

 連中のことはとりあえず放っておいて、伯爵が作成してくれた、上の橋を渡るための許可証を手渡す。ざっと目を通し、隊長さんらしき人が頷いた。


 「確かに。では、通られよ。一度中に入れば、止まる事、引き返すことは出来ぬ。よろしいかな?」

 「みんな、大丈夫か?」

 「だいじょうぶ、です!」


 ウィルが答え、女の子たちも「はーい!」と良い御返事をしてくる。レイブラッド卿の顔は微妙に強張っているけれど。まあ、彼にとっては悪の巣窟と思っていた国に入るわけだからな。緊張もするか。


 「じゃあ、皆、馬車へ乗って。最後に荷物の点検を」

 「はい!」

 

 ナナイを入れて6人が馬車に乗り込み、エルディーンさんは外で馬を曳きながら歩くようだ。

 そうだ。後ろの準備が終わるまでに、貰った羊皮紙に目を通そう。


 ポケットに入れていた羊皮紙を取り出す。クロムがさりげなく横に立って、視線を紙面に向けてきた。


 『サライ、厳重警戒中。理由は不明。お気を付けを』


 短い一文。けれど、貴重な情報。


 「厳重警戒…なんだと思う?」

 「手配中の罪人や、盗賊団が入り込んだって情報を掴んだ可能性もあるな」

 

 誰も彼もが俺の首を狙っているわけでもないし。けど、ガラント伯が情報を掴めなかったって事は、公にはされていないってことだ。

 凶状持ちがやってきたなら、警戒を促すためにも公表する。その首目当ての賞金稼ぎもやってくるしな。

 となると、やっぱり、暗殺者疑ったほうが良いのかなあ。


 「まあでも、警戒しすぎて逆に疑われないようにしよう。番所に連行されてからナランハルですって言っても説得力ないし」

 「…まあ、そうだな。来たら斬ればいいだけだ」

 「俺もヤクモもいる!クロムはあまり殺気を巻き散らすなよ!ここに居ると報せるようなものだ!」

 「しねぇよ!」

 「クロムだしねぃ」


 うん。姿の見えない相手を警戒しすぎて硬くなるより、そういう可能性もあると油断しないほうが良い。

 つまり、今くらいの方がいいだろう。問題なしだ。

 

 「準備、おわりました!出発できます!」

 「はい!では、行きますよ!」


 門は…と言うか、壁は馬車三台分くらいの奥行きがある。さっき出たテラスは、そこから張り出していたからもっと広かったけれど。

 その暗がりを抜けて行けば。


 「…」


 風が横から吹き抜ける。

 蔦が絡み、鳥が遊ぶ様子を模した鉄格子は、年に一度、総交換される。その為、錆びる暇もなく艶やかな黒さを日と風に晒していた。

 陽射しが白煉瓦で組まれた床に、蔦と鳥の影絵を描く。天井は低く、ユーシンが思い切り飛び上がれば頭をぶつける高さだが、風と陽射しのせいか圧迫感はない。


 下を行く人々の声が、風に乗って聞こえる。笑い声、はしゃぐ声、混雑に苛立つ声、怖い帰りたいと泣く声、それを叱り飛ばし、笑い飛ばし、励ます声…。

 風の音と人々の喧騒が、くるくると一足先に橋を渡っていく。


 「すご…これ、橋…なんだよねぃ」

 「橋だよ。俺も渡るのは初めてだけど」

 「そなの?」

 「アステリアに来るときは、違うルートだったからな」


 ぶっちゃけると密入国でした。

 だから、この名高い建築物に足を踏み入れたのはこれが最初だ。

 この橋の中からすでに「アスラン」なんだけれど、さすがに帰ってきた!って言う感情は浮かばないなあ。


 「ち…」

 

 やっぱり、実感がわくのはサライに入ってからかと思っていると、クロムの舌打ちが響いた。

 その視線に引かれるように前を向くと、橋の中ほどでさっきの一団が…止まっている。おいおい、入る前に注意されただろうが。

 

 「おい、止まるな。さっさと行け」


 不機嫌剥き出しのクロムが声を放つ。だが、連中、従う様子がないどころか、ニヤニヤと笑って見せた。

 

 「大神殿の神官の方々。この先は、我らがエスコートいたしましょう」


 そんなことを言いながらこっちに向けて歩みだしたのは、さっきいなかった、おそらく馬車に乗っていただろう小太りの男。俺と同じくらいか、もう少し若いか。

 

 「はあ?ふざけんな小デブ。逆走も禁止だ!さっさと前へ進め!」

 「卑しい傭兵風情が、子爵様に声を掛けるなど無礼だろうが!」


 騎士の一人が喚く。そうか。子爵か。エルディーンさんちと同じだな。

 彼女もそう思ったんだろう。前に出てはこないけど…見たらレイブラッドさんに肩掴まれていた…顔を上げて喚く連中を見据える。

 顔は赤く、唇は震えている。けれど、エルディーンさんは止まらなかった。


 「お、お黙りなさい!悪を成しているのは貴方がたです!速やかに妨害をやめ、前へとお進みなさい!」

 「なんと生意気な小娘だ。親に貴人が前に立った時は、すぐに平伏しなさいとおそわらなかったのか?」


 小太りの嘲りと苛立ちを混ぜ合わせた不快な雑音に、水色の双眸が見開かれる。

 今、彼女をそうさせているのは怯えじゃない。誇りに泥を掛けられた怒り。それは、すごく正当なものだ。だけど。


 「私…私は…!!私は…!」

 「駄目だよ、エルディーンさん」

 「いけません!エルディーン様!」


 ほぼ同時に、俺とレイブラッド卿の制止の声が飛んだ。彼女が身分を明かせば、そっから彼女の家に情報が流れる可能性がある。

 アスランまで追いかけてはこないだろうけれど、同じ子爵家に喧嘩を売ったと、より一層彼女の立場が悪くなるかもしれない。

 それは、駄目だ。未来の可能性をひとつでも悪化させる可能性は、避けたほうが良い。

 かと言って、こいつらに不当に貶められた誇りをそのままにしたくもない。どうする?なにをする?

 

 「私たちは、彼らの一党(パーティ)に護衛兼案内役として依頼をだしています。どちらの子爵様かは存じませんが、護衛は不要です。先へお進みください」


 少し上擦って響いた声に、思考の沼から引っ張り上げられた。

 振り向いて声の下ほうを見ると、俺の視線に一つ頷き、ロットさんが連中に向けて歩み寄る。

 その首から下がる聖印は、彼が大神官だということを示していた。小さな神殿なら、神殿長にもなれる身分だ。

 普段は服の中にしまっている聖印を出しているのは、こいつらが馬鹿みたいに振りかざす権威なんてものを、自分も持っていると見せつける為だろう。

 顔色は少し白いし、よく見ると手も震えているけれど…俺たちより前に出て、無法者たちに立ちふさがる。


 これで馬鹿どもが退くならいい。エルディーンさんらに謝らせたいけれど、堪える。無理に謝罪を求めれば、こいつらも退けなくなる。逃げ道は残すべきだ。

 なのに。


 「さすがは奇跡を売る商人の弟子。か弱い乙女らをアスランの狂犬に売るつもりか」


 小太りは、顔を歪めてさらに侮辱の言葉を吐き出した。


 「な、なにを!!」

 「ドノヴァン大司祭は大変すばらしい方だったが。お労しい。神官を娼婦として売っていたのは、右方だろう。卑しい身分の連中ばかり集まっているそうだからな。金稼ぎに熱心なのは、右側だ」


 こいつら、左方に伝手ありか!それともただの口実ハッタリか?

 乱暴に、騎士の一人がロットさんを押しのける。尻もちをつきそうになった彼を、ユーシンが支えた。

 こいつら…!本当に、何をしているのかわかっているのか?


 「おお…」


 その動きでフードが外れ、ユーシンの顔が露わになる。小太りが目を見開き、それからねちっこく細めた。


 「見目麗しいのもいるな。悪くない」

 「男ですよ」

 「まったく、勿体ない。おい、お前は残っても良いぞ。おとなしくするなら駄賃もくれてやる」

 

 汚泥のような笑いを漏らす連中に向けて、ユーシンの気配が変わった。ふわりとその身が反転し、俺に向き直る。

 ユーシンの天色の双眸が俺を見た。うっすらと笑っている。

 馭者台から飛び降りて、ユーシンからロットさんを引き受けたヤクモが「ぴ」と小さく悲鳴を上げる。うん。コイツがこうして笑う時は、激怒しているときだからな。


 「ああ、そうか、金か。護衛料をせしめているのだろうからな。手間賃くらいはくれてやるからさっさと戻れ」

 「…逆行禁止だ。あんたら、本当にいい加減にしろよ」


 道を塞ぎ、通行を妨げ、邪魔をする。

 橋の先、この下種共の先に、行かなければ、帰れないのに。


 あの先。

 開いた門の先にある、サライ。

 アスラン。俺の国。

 

 胸をかきむしられるような、衝動。

 いてもたってもいられない。一歩でも先に、一瞬でも早くと急かす欲求。

 痛みとは少し違う、けれど確かに苦痛を伴う。焦燥感に近く、それよりも激しい。

 

 あの先に。

 あの先に行かなくちゃいけないんだ。

 家族が待っている。みんなが待っている。


 帰りたいんだ。会いたいんだ。

 なのに、何故、俺は止まっている?

 

 ああ、この目の前にいるのが、邪魔だからだな。

 なんかネチャネチャと音を出している。あー…何か言っているのか。意味を翻訳するの、面倒だな。いつもなら、すらすらと出てくるのに。

 今、俺はタタル語以外で会話したくないんだよ。

 

 『失せろ』


 響いた低い声に、俺を含めて全員が戸惑った…ような気がした。

 それが自分の口から出たんだと気付くのに一呼吸。タタル語だったなと思い至るのにもう一呼吸。


 いけない。完全に意識が曖昧になっていた。帰りたいからって、なにやってんだ。

 会話は、通じ合わないと会話じゃない。要求するなら、相手にわかりやすく。

 ふん、と大きく息を吐いて。軽く吸って。

 うん、もう大丈夫。西方語で何を言うべきか、ちゃんと頭の中で組み立てられる。


 しっかりと相手の目を見ながら。

 座りっぱなしも良くない。馭者台を降りて、止められて苛つく馬たちの首を撫で、前に出る。

 小太りも騎士も、俺より背が低い。しっかりと見下ろしながら目を見て、ちゃんと言おう。


 「失せろって言ったんだよ。耳が悪いなら同情できるが、頭が悪いのはどうしようもないな。もう一度言う。失せろ。逆走は認められていないから、俺たちが通り過ぎるまで端で平伏し、その汚い顔を上げるな。虫唾が走る」


 うん、ほら。ちゃんと西方語で言いきれた。発音もおかしくない。

 

 「なっ!?何を、何を言っている、無礼者!だ、誰にものを言っているのかわからんのか!?」

 「はあ?こんなにわかりやすく言っているのに、まだわかんないのか?どこまで頭が悪いんだ?もう生きている価値ないからそこの隙間から飛び降りて、せめて魚の役に立て。その腹がつかえて通れないって言うなら、手伝ってやる」

  

 いや、伝わっているのはわかっているけどね。けど、具体的にどうしたらいいかも示しているのに従わないのは、頭が悪いと断定しても良いだろう。そうではない仮説を組み立てるような問題じゃない。


 「あー…ファン、久しぶりにガチギレしたねぃ」

 「ファンさん…怒る事、あるんですね…」

 「前はね~、不味いってごはんを床に捨てて笑ってたバカの頭掴んで、床に叩きつけてたねぃ。全部喰え、舐めろ、残すなって」


 ヤクモとロットさんの声が、後ろから聞こえた。

 そんなこと…やったなあ。金持ちの坊ちゃんだったらしく、報復に破落戸雇われて襲われたけれど。当然返り討ちにした。


 今回も同じだ。言ってきかないなら、違う方法で分からせる。

 母方のはとこ曰く「世の中の九割は暴力で解決する」だけど、俺はそれには反対だ。むしろ九割はちゃんと話せば解決する。

 が、逆に言えば、殴らなきゃわからない手合いも一割いるってことで、今俺の前にいるのはその一割だろう。


 さっさとやるかと足を軽く開くと、とん、と胸を叩かれた。そのまま、クロムが俺の前に出る。

 顔は見えなかったけれど…たぶん、牙を剥いて笑っている。


 「このように我が主は仰せだ。さっさと言われたとおりにしろよ魚の餌。まだジジイのしょんべんみたいにダラダラと戯言を抜かして主の耳を穢し、道を塞ぐなら」


 銀の光が跳ね返る。クロムの手が、腰の剣を引き抜いていた。


 「その罪、万死に値する」


 安物の剣でも、振う剣士の腕は決して安くない。

 それを欠片くらいは理解できたのか、ただ単に白刃の輝きに恐れをなしたのか、小太りは「ひぃ!!」と鳴いて騎士の後ろに隠れた。


 騎士共は喚きながら剣を引き抜き、盾を構える。左右に視線を走らせ、クロムは一人、自分たちは十人いることを思いだしたらしい。

 怯んだことを誤魔化すためか、大仰に剣を構えて見せる。威嚇のつもりか。隙だらけだぞ。俺でもどうにかなりそうなレベルじゃないか。


 こんな連中…しかも、一度に十人はかかってこれないような場所でクロムが負けるとは全く思えないけれど、怪我もするかもしれない。

 弓に弦をはる暇はない。なら、俺は殴る!

 そうやって入れた気合いは、反対側からまた腕を叩かれて散らされた。 

 

 「ファンの手を汚す必要はない。俺に任せよ!」


 あー、まあ、ユーシンも怒っているしな。

 わかった。ここは譲る…とでもいうと思ったか!


 「売り手は俺だ。今回は下がってろは聞かないからな」


 だって、俺は、アスランに帰りたいんだから。

 その行く手を阻むものを、俺が自分の手でどけなくちゃ、後で祖父ちゃんに叱られるし、なんなら夢枕にご先祖様が立つよ。

 拳を握り締め、さて誰から殴ろうと狙いをつけたその時。


 『何をしている!止まるな!』


 止まるな、と言う声で、仕掛ける直前の俺たちは止まった。

 もう一度、同じ意味の言葉が西方語で繰り返され、慌てて小太り一行は声のしたほうへ向き直る。


 駆け寄ってくるのは、そろいの軍装を身に纏う…アスラン兵。

 橋の守備兵だ。


 『この馬鹿どもが、護衛している女をよこせと因縁をつけてきたんで、応戦しているだけだ』


 クロムの説明に、胴のメダルが埋め込まれた革甲を纏った兵が頷いた。そのメダルは、彼が十人長である証だ。

 

 「この下郎どもが、我々にたてついてきたのだ!」


 小太りも喚くが、十人長はちらりと一瞥を向けただけだった。馬車と馬を置いて逆行しているんだから、法を破っているのはあっちだと一目瞭然だしな。

 まあ、先に抜いたのはこっちだから、そこを突かれると…困るけれど。

 そうなったら、俺は、俺の守護者(ナランハル・スレン)が主の意を汲んだだけだって反論する。正体がバレるとか、そんなのはどうでも良い。


 けど、そうはならなさそうだ。

 十人長は俺を見て、口許を綻ばせた。


 『どれほど、アスランを離れて?』

 『一年です。やっと…帰れるんだ』

 『家族はどのあたりに?』

 『祖父がルヤミ平原に。両親と兄は大都に』

 

 ルヤミ平原は、サライの東に広がる平原で、かつては親父が、今は祖父ちゃんが遊牧をしている。

 そして、俺や兄貴が生まれた育った場所でもある。その中の、『双子の山羊岩』と呼ばれる岩塊が、俺が生まれた場所の目印だ。

 …兄貴がサライに行くたびに、わざわざ訪れて俺が生まれた時の思い出と感動に浸っているって言う、ちょっと嫌な話も聞いたけれど。


 『そうか。若駒よ。良き風がその早足をさらに早め、家族のもとに運ぶように』

 『ありがとう。星竜が良き年をあなたに回しますように』


 にか、と十人長は顔全体で笑い、手に持つ短槍を突きあげた。

 

 「罪人を取り押さえろ!」


 わざわざ西方語で言ったのは、きっと連中に聞かせるため。

 兵士たちは「応!」と吠えて、槍の穂先を騎士どもに突き付ける。


 「な!違う!!罪人はあっちだ!!」

 「抜かすな。お前らは止まってはならぬ橋で止まり、あまつさえ来た道を戻った。どちらもアスランへの入国許可を取り消す罪だ!!馬鹿者どもが!!」

 「わ、わたしは子爵だぞ!!我が、ベンゼル家はバーゼン公爵家にもつながる由緒正しき名門の…」

 「知らん。アステリアの田舎貴族風情が威張るな。そんなもの、山羊のフンほどの価値もない」


 一刀両断に切って捨て、十人長は槍の穂先を小太り子爵の額に突き付ける。本気で殺すつもりなら首だから、完全に脅し…というか揶揄っている。


 『こいつらの馬車と馬も退けよう。この若駒が故郷への道を駆けれるようにな』

 『隊長の息子さんも今頃駆けてるんでしょうなあ』

 『もう南フェリニスは雪が降り始めてるでしょうが、それよりもきっと、故郷へ向かう足のが早い』

 『新兵訓練か』


 クロムが漏らした声に、十人長は嬉しそうに頷いた。


 『ああ。息子は優秀でね。終われば騎士だ。親衛隊に入るって鼻息を荒くしてる。まあ、無理かもしれんが、騎士になれただけで上出来だ。そうだろう?』

 『そうだな。そう思う』

 『ああ、本当にな。…まあ、凍土の雌獅子に食われて、人数増やして帰ってこないか、ちと心配だがな。あいつ、モテないから迫られたらすぐのぼせ上りそうでなあ』

 

 息子自慢をしてしまったのが恥ずかしくなったのか、十人長は息子さんが聞いたら「余計な心配だよ!!」と叫ぶこと間違いなしの言葉で締めくくる。


 『さて…掃除もすんだ…おい!!こら待ちやがれ!!』

 「!!」


 一番端にいた騎士が、走る。

 目指すのは、俺たちが来た方角。ラバーナ東門。

 逃げる気か!逃げるだけ罪が重くなるだけだぞ!


 「くそ!!くそ!!せめて!!」


 喚き散らしながら馬車と壁の間を走る騎士。

 クロムもユーシンも、さすがに間合いの外で届かない。俺も反応できず、ただ振り向いてその愚行を見るしかできなかった。


 「そこの女!!一緒に来い!!」


 騎士が喚きながら手を伸ばそうとしているのは…ガラテアさん!

 え、その人を、人質とかそう言うのにする気なの!?


 できるのか?と言う疑問は、たぶんうちのパーティ全員の頭に浮かんだと思う。

 ガラテアさんと騎士の姿は大神殿の馬車の向こうへと消え…その直後、肉を撃つ鈍い音が立て続けに三回。


 『すまん、油断した!』

 

 十人長が舌打ちしながら走り出す。

 他の騎士と小太りは、アスラン兵に囲まれて動けない。新しい足音がサライ側から聞こえてくるから、応援も来ているようだ。

 とりあえず、俺も見に行こう。たぶん、ガラテアさんは無事だと思うけど。ガラテアさんは。


 「姉さん。やりすぎではないか?死んでないか…こいつ」

 「そんな下手を打つと思うか?」

 

 視界に飛び込んできたのは、床に倒れて痙攣を繰り返す騎士と、その向こうで涼やかな笑みを浮かべるガラテアさんと、憐れんだ目を下へ向けるシド。


 「んーと、どうなってこうなった?」

 「こいつがつっこんできて、姉さんが躱し、がら空きになった胴に膝を入れた」


 うん。鮮やかな迎撃だな。


 「それで、身体を曲げて頭が下がったところを、肘でこめかみを撃ち」


 うん…。


 「相手がもんどりうって倒れた後に、首を踏み抜こうとしたんで止めたら…背中と腰の境目にいれた」


 それは、完全に殺す気だな?

 ガラテアさんは小首をかしげて弟を見ている。弟はその視線から逃れるように顔を挙げない。「そんなひどい事をしないぞ?」より「何故止めた?余計な真似を」って言ってるな。たぶん。


 「ガラテアお姉さま…素敵…」

 「いいのかよ小娘…アレで…」


 ぽんやりと頬を染めて目を潤ませるエルディーンさんに、クロムが呟いた。まあ、彼女も剣士を目指していたわけだし、強い人に憧れるのは当然なんじゃないか?

 ユーシンだって兄貴に憧れているわけだしな。弟溺愛主義は見習わないでほしいけど、ユーシンも十分素質あるから怖い。ユーナンに俺も怒られる。

 

 『美人で強いとは…いい女だな。お前さんの嫁かい?』

 『まさか』


 どう見ても釣りあいません。首を振って見せると、「だよなあ」と十人長が頷いた。わかってるなら言わなくたっていいじゃん…。


 ガラテアさんはちらりと俺を見て、ふふ、と笑う。大丈夫。変な勘違いはしないからね。身分を嵩に懸けて迫るような真似もしないから、安心してほしい。

 

 『まったく。手間を取らせたな。さあ、進みなさい』

 『ありがとう。こちらこそ手をかけさせた。サライに着いたら、礼の酒でも差し入れるよ』

 『気になさんな。職務を全うしただけだ。だが…くれるというなら、蒸留酒アルヒよりも麦酒がいい』

 

 それは彼の好みもあるだろうけれど、より安い麦酒を強請るという心遣いでもある。良い人だ。

 十人長に笑って頷いて見せて、心配そうにこちらを見つめるウィルとロットさんに歩み寄る。

 ああ、女の子たちが、馬車の中で怯えてないと良いな。前回の事件で、こういう手合いにひどい目にあいそうになったわけだから、心傷になっているかもしれないし。

 

 そう思っていると、客車の窓が開いて、目をキラキラさせた少女たちが顔をのぞかせた。


 「すっごい!ガラテア様!」

 「つよーい!!」

 「すてき!」


 わー…ガラテアさん大人気。客車の後ろの窓、開いてたんだね。そっから雄姿を見てたのか。

 そんな少女たちの歓声を掻い潜るように、ウィルがおずおずと口を開いた。

 

 「…あの、大丈夫…なんですか?」

 「うん。アイツらは一度アスラン側引き出されて、そのまま逆側の橋を渡らされてラバーナへ戻されるから、もうちょっかいは出せないよ」

 

 俺の説明に、ウィルはそれでも少し、顔を曇らせている。


 「それは…やっぱり、ファンさんの邪魔をしたから、ですよね?」

 「俺のって言うか、通行の邪魔をしたからだね」

 「貴族、でも?」

 「例えバルト陛下でも、同じことをしたら同じように追い返されるよ」


 そこに身分は関係ない。彼らは俺が二太子であるってことは全く気付いていないし、本当に俺がただの一般人であったとしても、結果は同じだ。

 邪魔されるのが平民で、邪魔をしたのが王侯貴族であっても罪は罪。罰は同じ。それが法治と言うものだ。


 ウィルは少し考えこんだ後、こくりと頷いた。何か、得るものがあったなら、こんな無駄な時間を過ごしたことも少しは意味があるんだけれどな。


 「法は雨の如く。身分だとか出自なんかで当たる量が変わらないようにさ。まあ、アスランでも徹底できているとは言い切れないけどね」

 

 大都であっても、やっぱりそういう連中の横暴はあり、見逃されてしまっているのは事実だ。

 暴行や殺人、強盗まで行けば罰せられるけど、貴族が平民を一方的に殴りつけても泣き寝入りになる…なんてことはある。

 訴えれば罰は受ける。だが、刑罰を受けるか罰金を払うかとなれば、罰金を払ってすますだろうし、そうなれば訴えた相手に報復もする。

 それを恐れて口を噤む人を、意気地なしと罵ることはできないよな。

 

 「さ、気分切り換えて行こう!」

 「はーい!」


 明るい少女たちの声が背中を押す。

 連中の馬車と馬は端に寄せられ、奴ら自身は縄をかけられ槍を突きつけられて、しおしおと床に膝をついていた。中に一人、腿から血を流して呻いているのもいるから、抵抗して突かれたんだろう。


 「今度こそ、もう少しだな」

 「ああ」


 馭者台に登るのももどかしくて、馬車馬の首を叩いて歩き出す。馬たちはやっとかと鼻を鳴らし尾を振って、俺に続いて足を進めた。


 一歩。一歩。

 前へ進むごと、下から聞こえる喧騒とは違うざわめきが肌に触れる。


 開け放たれた、サライ西門。


 その向こうに見える、鮮やかな青空。

 ざわめきは、そこから。


 こみ上げてきた衝動を腹に力を入れ、唇を噛んでやり過ごし。

 

 一歩。一歩。

 歩け。走りたいのを我慢して。

 例え一歩でも歩けば、近付くのだから。


 元々、そう長い距離じゃない。

 ざわめきが声になり、馬頭琴の調べに変わる。

 物を売る声。歌う声。呼びかける声。答える声。


 そのどれもが、タタル語だ。


 一歩。

 陽射しが、翳る。

 サライの西門。東の城壁に、踏み込んだから。


 「…!」


 我慢しきれず、足は床を蹴った。

 影の中から、光の中へ。


 当然、サライ西門は城壁の中ほどに開いている。だから、その光景が見晴らせた。


 ラバーナよりもはるかに多くの人間が、ラバーナよりも狭い広場にひしめき合っている。

 そこを囲むのは、高くて三階建てまでの建物。道には露店がびっちりと並び、どこかしこも人で溢れる。


 そして何より、溢れ出るのは、色。


 アスランは交易の国だ。そして、アスランの産物で、他国の商人が買い求めるのは毛織物。

 言い方を変えれば、アスランは紡績の国だ。毛糸を紡ぎ、染め、布にし、服にする。交易が盛んになり、草原以外も版図に納めてからは、綿や麻もそこに加わった。

 紡績と染色、そして加工。それがアスランの主要産業と言えるだろう。


 国外に売るだけではなく、国内でも当然売られているから、アスランでは服は何度も繕い、襤褸になるまで着るものではなく、古くなれば買い替えるものだ。

 服一着の値段はアステリアよりはるかに安いし、そうすることに抵抗はない。

 俺は、気に入った服はずーっと着てたい派だけど、少数派なのは理解している。


 結果…同じ人込みでも、アステリアよりはるかに色彩が多い。

 それは、賑やかでもあり、うるさくもある。

 なにせ、鮮やかな色を纏うのは人だけじゃない。家や建物だって鮮やかな色に塗るのがアスラン流だ。

 壁を青に緑に。屋根を赤に黄に。目に痛いほどの色の奔流。

 

 かつて、サライにやってきた西の詩人は、「絵具を無造作にぶちまけたような街」とサライを評した。もっともな意見だ。ウルズベリのような整えられた綺麗さと対極にある。


 でも…だけど!

 

 振り返ると、皆が門から出て、俺と同じようにサライを見ていた。ナナイ達も馬車から出て、眼下の光景に見入っている。

 後ろがつかえていないせいか、西門を守る守備兵も、さっさと進めと言わずにちょっと嬉しそうに様子を見守っていてくれていた。


 怒鳴り声は聞こえるし、客引きの声は甲高い。

 ここまで届く笑い声はなんかうるさいし、さっきから「安いよお!!」と言う絶対にぼったくっているだろうモノを売る声は止まない。

 そこに加えて、この統一感のない色彩の暴力。


 うん。全然綺麗じゃない。

 むしろ、汚い。あふれる人の中には、物乞いも破落戸も酔っ払いも混ざっている。いっぱいいる。

 

 でも、でもな。

 これが、アスランだ。

 この猥雑さを、俺は心から愛おしく思っているんだ。


 「ただいま」


 呼びかけるのは、この国(アスラン)に向かって。

 一年、留守にした。でも、帰ってこれて嬉しいよ。また出ていくのだとしても、やっぱり俺はアスラン人だ。ここが、俺の国だ。


 あれほど胸の中で荒れ狂っていた衝動はもうない。

 きれいさっぱり消え失せて…いや、安堵と喜びに変わっている。

 

 帰ってきた。俺は。やっと。

 

 もう一度、サライの街へ、アスランの空へ視線を向け。

 両手を広げて、仲間たちに向き直る。


 「ようこそ!アスラン王国へ!」


 さあ、これからたくさん見て、聞いて、感じてくれ。

 この国を。

 異界からやってきた英雄が切り開き、その子が興し、以来八代の王たちが治め、守ってきたこの国を。

 

 「俺たちは、旅人を歓迎する!それが、アスランの流儀だ!」

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