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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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座布団の穴より靴の穴(百聞は一見に如かず)8

うっすらと差し込む陽射しは弱々しく、空気は澄んで冷たい。

 吐く息は白く色付き、頬や耳はすぐに赤くなる。冬の訪れはもうすぐそこだと、北風に乗る雪の乙女たちが教えてくれているかのように。


 「よっと」


 だがその囁きも、ひっきりなしに身体を動かして働く者には聞こえない。

 上着も脱いでシャツだけひっかけ、袖も肘の上までまくり上げながら、せっせとスコップで汚れた寝藁と牛糞を掬い上げ、手押し車に投げ込む。

 そんな作業に夜明けから励むファンの額には、いくつもの汗の玉が浮いていた。

 向かい側の房に移された牛たちは、その見慣れない顔に興味津々の様子だ。だが、聞きなれた足音を耳にすると、すぐに意識はそちらへ向かう。

 甘えた声を出しつつ、足踏みをして首を振って迎えるのは、身分からすればこんな夜明けに野良着で牛の世話などするはずもない人物…当代のガラント伯爵である。

 

 「ほーれ、今日もたんと食えよ」


 愛情のこもった声と共に飼い葉桶に飼料が投入され、牛たちは競って首を突っ込んだ。

 横取りしないように牛たちは一頭ずつ繋がれているが、それでも首を横に伸ばしてお隣さんの食事を拝借しようとする牛もいる。

 その頭を、ガラント伯は親しみを込めてぺちりと叩いた。


 「これ、バターカップ。パンジーの朝食を取るなと何度言えばわかってくれるんだ。まったく。このお嬢さんは」

 「そういうヤツ、いますよね」

 「同じものをあげておるのに、何故ですかなあ?」

 「美味しそうに見えるんですかね?」


 牛糞がつかないように額の汗をぬぐい、ファンは満載になった手押し車を押して、牛舎の出口へと進んだ。慌てた様子で牧童がすっ飛んできて、ファンから手押し車を取り上げる。


 「別にいいのに…」

 「肥し置き場はちょいと先ですからな。さ、手を洗って顔をお拭きください。…言いづらいですが、牛の化粧が鼻の頭と頬に施されておりますよ」

 「気を付けてるんですけどね」


 出された水桶を傾けてまずは手を洗い、その後は水を掬ってばしゃばしゃと顔を洗う。冷たい水が気持ちいい。

 続いて差し出されたタオルを有難く借りて水滴をぬぐい、ついでに首や胸元を拭く。汗で肌に張り付くシャツは不快だが、さすがに脱いでしまうわけにはいかないよなと、一瞬ボタンに掛けた指を離した。


 「伯爵、無理を言ってすみません。エクレウ牛、実際には見たことがなかったのでぜひとも間近で観察してみたくて」

 「それくらい、むしろこちらから頼み込んで見ていただきたいくらいですが、何も牛の世話までしていただかなくとも…助かりましたが」

 「…まったくだ」


 不機嫌を濃縮して凝固させたような声は、牛舎の外からした。

 入口に凭れ掛かるクロムの手には、ファンの上着や外套が乗せられている。


 夜明け前から起き出した主に「まだ寝てていいぞ」と言われて、じゃあ寝てるわと言えるほど、クロムはガラント伯爵を信用していない。

 寝不足は感じてはいないものの、まだ余裕で眠れる程度の怠さを抱えながら「珍しい牛見せてもらうんだ~」と上機嫌の主の後ろを歩くのはまだいい。

 驚く伯爵に「牛見せてください~」と頼みだし、牛の話題で盛り上がりまくるのも、まあ、理解はできる。

 だが、「お礼に、何かお手伝いしますよ。とりあえず、掃除しますね」と言い出して、壁に立てかけてあったスコップに手を伸ばし、外套どころか上着まで脱いだ主の酔狂には…さすがに文句を言っても良いだろう。

 

 「西方式の牛の世話は、本で読んだり聞きかじっただけなんで、邪魔でしたら申し訳ない」

 「ほお、アスランでは違うのですか?」

 「夜の間は囲いに入れておきますけど、こういう牛舎みたいのはないんです。朝起きたら乳を搾らない馬や牛は放牧して、搾乳する奴だけ別の囲いに連れてきます。乳しぼりは女性の仕事で、男はそれから放牧する家畜を水場まで連れて行くってのが朝の流れですね」

 「…何事もなかったように牛の話してんな…」

 「あはは、ごめんごめん…」


 まだ暑そうではあるが、冷え切って風邪をひかれては困る。むわっと漂う牛の臭いに顔を顰めながら、クロムは手に持った上着を突き出した。

 まったくこいつは…と目で文句を言うクロムと、笑顔に「ごめん!」と書いてあるファンを見て、伯爵はこっそりと笑う。


 初めてだと言うわりには手際よく、文句のつけようのない仕事をしてくれて大いに助かったし、おそらく熟練しているであろう乳搾りの手腕を見てみたい気もしたが…彼らはこの後ラバーナへ向かい、国境を超えるという大仕事が待っている。

 あまりこの若き守護者スレンをイライラさせるのは可哀相だ。


 東西を別ける二つの街。まして、交易の要地。

 金があつまれば、その金に惹かれて人は集まる。

 まっとうに商人や傭兵として身を立てようと思うものもいれば、金のある街に来れば何とかなると辿り着いたもの、元から暗い道を歩くつもりで忍び寄る者もいる。


 若き守護者が警戒するのは、主を狙っているかもしれない暗殺者だけではない。

 ラバーナにもサライにもうんざりするほどいる破落戸ごろつき半端者はんぐれどもたちもだ。

 いかにも世慣れない神官たちは格好の餌食だろう。当然、絡んでくれば護衛であるファン達と揉めることになる。


 ラバーナの方には手を回してはあるが…サライまでは騎士団による護衛はできない。だが、サライでも何かしら手を打っているはずだ。

 サライの警備がここ数日、強化されていると言う情報は掴んでいる。

 一太子が滞在していたのだからその影響もあるだろうが、大都へ帰還してすでに二日。それなのに警備は変わっていない。

 特に、サライからラバーナへ抜ける旅人たちへのチェックが厳しく、いつもより抜けるのに一日長くかかったと商人たちがぼやいていた。

 

 そのあたりのことは、ラバーナへ赴けば腹心が情報をより詳しく集めてくれているだろう。

 まずは、王子に汗まみれのシャツを着替えてもらい、身支度をさせることだ。

 そう判断して、伯爵は外へ出ようと二人を促した。


 「おはようございます。ご主人様」 

 「ああ、おはよう。今朝も頼むよ。お客人にうちの自慢の牛乳を味わっていただきたいからね」

 「はい!」


 入れ替わりに入ってきた牧童たちに、伯爵は親し気に声を掛け、肩を叩いた。彼らが手に持つ桶はほどなく、搾りたての乳で満たされる。

 その味はきっと、乳を水代わりに飲んで育ったファンをも満足させられるはずだ。自信はある。


 牧童たちに続いて、母屋で食事を終えたはずの犬や猫たちがわらわらと牛舎に入ってきたのは、搾りたての牛乳と言うデザート狙いだ。そのうち、すりついてきた猫の背を撫でてやりながら、伯爵は目を細めた。

 妻や妹の作る栄養と愛情たっぷりの食事のせいか、この納屋猫たちは鼠を食べない。けれど、いるだけで鼠避けにはなるのだから…大目に見るべきだろう。


 ふと横を見れば、ファンも犬に頭を押し付けられ、猫に登られている。足跡が服につくのに構った様子もなく、「フィフィ」と声のような口笛のような音であやしつつ、頭を撫ぜ、背を叩く。

 その手慣れた様子に、この王子が本当に幼い時から家畜と共に過ごしてきたことが見て取れた。


 「本当に、牛の世話もなさるのですな」

 「アスラン人が飼うのは、馬と羊だけじゃありませんよ?」

 「いえ、牛の世話をする伯爵はもう少しいるかと思いますがね、牛糞の掃除を躊躇わない王子はいないんじゃないかと」

 「兄貴もするから、最低二人はいますね」


 恥じるよりむしろ誇る様子のファンに、クロムの眉が上がる。


 「だから牛糞集めていいってわけじゃねぇぞ…」

 「良いじゃないか。俺は子供の頃、牛糞を集めるのがめっちゃくちゃ上手くて、お世辞じゃなく褒められてたんだ」

 「だから威張るな!」


 差し出された上着を着つつ、ファンは僅かに首を竦める。

 その光景に、若き日の自分と執事長のやり取りを思い出し、伯爵は内心で彼に頭を下げた。こうして第三者として見れば、彼らの言い分はもっともである。

 今では老いた執事長は、完全に諦めて小言一つ漏らさないが、この若者がその心境に達するまで、はて、あと何十年かかるだろうか。


 好きな事を辞めるのは、嫌いな…苦手な事を続けるよりも難しい。頑張れ若人と心で頷いて、伯爵が口に出したのは「好きな事」だった。


 「牛舎を使わないのに牛糞は掃除するのですかな?」

 「アスランは乾燥しているんで、二日三日たてば乾ききって草と泥で作った円盤みたいになるんですよ。それで、それを炉にくべて燃料にするんです」


 夜に牛を入れておく囲いも、最低四つ作る。一番北の囲いから初めて、次の夜は東、そして南、西とめぐり、空いているうちにちょうどいい具合に乾燥した牛糞を回収できるようにしているのだ、とファンは続けて説明した。

 

 「家畜囲いの牛糞拾いは、七つまでの子供の仕事。七つすぎたら、大人と一緒に放牧に行って、あちこちに散らばる牛糞を集めます」

 「なるほど。それが騎馬の民を育むのですね」


 放牧と言っても、このあたりのように牧場に放つわけではない。柵などない草原に牛や羊を放ち、人は時に集め、時に移動させながらついていく。当然徒歩ではなく、馬に乗る。

 それを大人と共に行うのなら、七歳になるころには同じくらい馬術を身に着けている、と言う事だ。


 「もっと小さなうちから乗りますけどね。俺もいつから馬に乗っているのかと聞かれたら、答えられません」

 「ううむ。王族からしてそれとは…」

 

 王太子が家族を持つと一旦宮廷から離れ、草原に遊牧陣地クリエンを構えて生活すると言うことは、伯爵も聞きおよんでいる。

 次期王となる者が長らく政治から離れる意味は何か、と前々から思ってはいた。

 権力の潮目を読むことよりも、さらに次代を担う王族を騎馬の民とすることの方に重きを置いているのだと、今更ながらに実感した。

 

 当然ながら、ガラント伯爵家はラバーナを領地としたその日から、アスラン王国の情勢と、王族については抜かりなく情報を集めてはいる。

 だが、文化の差と言うべきか、根本の考え方の差を埋めるのは難しい。

 こうして目の当たりにして初めて、納得できることもある。


 ファンを含めた王子らについても、情報をかき集め、自分なりに分析し、人となりを探っていた。

 特にサライを父から引き継ぐことになる第一王子トールと、彼が王座に就いた際にまだその長子が成人していなければ、サライ周辺の土地を預かることになる第二王子については、念入りに調べた。


 結果、トール王子については希代の出来物であり、敵に回せば恐ろしいが、政治家としては堅実な現実主義者であり、まずは話し合いができる人物だろうと推測できた。

 実際に、非公式とは言え会談を行ったこともあるが…印象は変わっていない。


 それに対し第二王子…つまりファンはと言うと、結論から言えば「よくわからない人物」だ。


 王族でありながら学者になりたがるような文弱の徒という悪評もあれば、目当ての虫だか草だかを求めて荒野も密林も踏破し、斃した魔獣の標本を引っ提げて帰ってくる剛の者、なんて武勇伝も聞いた。


 軍の指揮はお粗末なものだと指をさす者もいれば、今まで指揮をした大小の戦は全て勝利していると反論する者もいる。


 人格も、気弱なほどに優しい御方だと揶揄する声も、父兄以上に敵には容赦しない恐ろしい御方だと畏れる声もある。

 その一つに、彼が前回出陣した戦では、賊に協力していると疑いのあった村人を、全員討ち取り、村の子供たちを奴隷として連れ去った…と言う噂があった。

 どこまで事実かは不明だが、少なくとも村をひとつ殲滅したのは間違いないらしい。


 よくわからない。悪評も酷評も聞くが、同じくらいに正反対の評判も聞く。


 だからこそ、昨日は待ち伏せを敢行した。

 身分を隠した王族なんて、実際には歩く火薬庫だ。

 火の粉が飛べば、周りを巻き込んで大爆発は避けられない。

 今はただの冒険者、王子ではないなんて言いながらも、何かあれば絶対に報復するかもしれず、本人が良くても周りが許さない可能性だってある。

 実際にその顔を見て、声を聞き、話をしてみたかった。

 

 最初に受けた印象は、「あまりにも普通」。

 美味いものに出会えて喜び、年下の仲間を嗜めながらも一緒にはしゃぎ、笑う。

 偉ぶることも、馭者台に座らなければならないことを不満にしている様子もない。

 その姿は、あまりにもごく普通の、青年だった。


 演技や、人目を欺くための誤魔化しではない。

 集めてきた情報や噂は、誇張されたものだったかと首をひねり…晩餐の前のやり取りで、そうではないと思いなおした。

 ファンは、すぐに伯爵が自分を王子とわかっている事に気付いていた。我ながらわかりやすく挑発はしたが、それ以前から疑ってはいただろう。

 もし、伯爵が良からぬことを企んでいれば、まさに袋の鼠だ。アスランの王子の使い道など、ごまんとある。


 一瞬、黄金色の双眸に横切ったのは迷いと躊躇い。


 ガラント伯を信じるか。

 警戒をし続け、距離を保つか。

 不意を突いて、脱出するか。


 失敗すれば、自分だけでなく、仲間や神官たちも道連れになる。

 決して、楽な決断ではなかっただろう。

 

 それでも、迷いがあったのは、本当に一瞬。

 ファンは立ち上がり、自ら弓を伯爵に預けた。


 それは信用していると言う証でもあり、裏切ったらわかっているだろうな、という脅しでもある。ラバーナの領主であれば、アスランについてある程度は判っていると見越しての行為だ。

 アスランの報復がどれほど苛烈か知っているだろう伯爵が、決して軽率な真似はしないだろうと言う判断を、一瞬にしてやってのけたのだ。

 

 ただの甘やかされた世間知らずではなく、かと言って無暗に恐れ、威嚇することもない。

 何より、牛の話が出来るのは本当だ。


 結局、二太子ファンが本当はどういう人間かなど、この短い時間で分かるはずもなく、実際やってきているのだからくどくどと気を回しても間に合わない。

 それなら、最初に抱いた印象を信じよう。そう決めた。

 牛の話が分かる男に悪人はいない。その持論を信じようと。

 頬に牛糞をつけても気にしない男を、気に入らずにいられるものか。妻にはいろいろな意味で怒られそうだが、牛乳と同じくらいに人を見る目には自信がある。


 「さあ、一度湯浴みをどうぞ。その後は、妻と妹が張り切って作った朝食を。もう妹は神殿におりましょうが、女神様へのお祈りと共に、皆様の空腹を案じておりますよ」

 「あはは、神殿行ったらお礼言わなきゃですね」

 「空の皿が何よりも賛辞となりますが、持っていって見せるわけにはいきませんからな」


 屈託なく笑い、「腹減ったな~」と呟く青年に向け、伯爵は声に出さず頷く。

 本当にそうなるかは不明だが、彼らは神官たちを護衛して、再びアステリアへ戻ってくる予定だと言う。

 王都では、ますます聖王と宰相の対立が深まり、宰相派が何やら暗躍していると言う噂も耳に入ってきていた。


 その手がこねりだす泥沼に、この牛がわかる王子の足が囚われたなら。

 自分は愛する牛たちと共に王都へ駆けつけ、共に縄を牽いて援けだそう。

 きっと、牛たちも喜んで逞しい足を踏ん張ってくれるはず。


 牛の話が分かる男が嫌いな牛は、いないのだ。


***


 百年ほど昔。カリフタンと言う王国があった。

 今ではその名を見ることが出来るのは歴史書の中のみであり、十八代四百年余りを統治したカリフタン王族、シャイード家は完全に絶えている。

 無論、辿り辿れば何代目かの王の兄弟姉妹に行き着く血はあろうし、王に庶子の一人もいなかったわけでもない。

 だが、「シャイードの血脈である」と確認できた者は赤子から寝たきりの老人まで処刑された。

 その高貴な血は、王が百人を超える美女と戯れるために建設した沐浴場を満たし、それを成したアスラン五代大王ジルチが「なんだ。どいつもこいつも蒼い血など流れていない」と吐き捨てたと史書には記されている。


 今はラバーナ、サライと呼ばれる世界の「西」と「東」を別ける二つの街は、もとはと言えばこのカリフタン王国の街だった。

 どちらの街も、アスラン軍の攻撃を受けてはいない。何故なら、カリフタンの都は今のサライの街のはるか東に在り、この地にアスラン軍が至るより先に王都が陥落したからである。

 

 そのため、ラバーナもサライも、古い街並みをよく残していた。カリフタンは魔導士至上主義ともいえる国であり、魔力を持って生まれなければ、ただそれだけで冷遇される未来が待っている。

 ただ、その至上主義も王都から離れれば薄くなると言うもので、当時も国境の街であったこの地には、多くの学者や職人が流れてきていた。

 特に、建築においては多くのすぐれた建築家と建造物を生みだし、現在でもいくつもの名が残っている。


 そのうちの一つが、今、冒険者と神官たちの前に聳え立つ、巨大でありながら美しい線を描く城壁だ。

 遥か上空から眺めれば、半円形の城壁が河を挟んで向き合い、等間隔に六つ設けられた稜堡が、城壁の線をより複雑にしている。


 まるで花のようなその形から、アスランではラバーナとサライをあわせて「花の街(ツェグホト)」と呼んでいた。

 

 王都の城壁よりも高いその威容を、少女達と騎士、そして二人の神官は息をのんで見つめる。

 ウルズベリをでたのは、まだ朝と言える時間で、今もまだ昼にはなっていない。町の東門を出てすぐにこの白い城塞は青空の先に姿を現し、馬車馬がぽくぽくと、機嫌よく前へ進むごとにさらにおおきくなって、いつの間にか見上げる程になっていた。


 「攻めるに堅いな!よくご先祖は墜とせたものだ!」

 「はっはっは。どのような城壁にも穴はある…というか、太守も将も逃げ出しておったと、ご先祖の日記にはあってな」


 ユーシンの感心した声に応えるのは、馬に跨ったガラント伯である。

 今日はラバーナで仕事をする日なので、と伯爵は同行を提案し、ファンたちはありがたくその厚意に甘えることにした。

 なにせ、この周辺を治める伯爵と護衛の騎士団に囲まれた一行に喧嘩を売る馬鹿はいない。

 街道にはかなりの人通りもあったものの、当然ながら「伯爵御一行」に道は譲られた。

 ファンは少々尻の座りが悪い思いを我慢していたが、止まることなくこうして名高いラバーナの城壁を拝んでいるのだから、なんか悪い気がするなどと文句は言えない。

 

 「あの人たち、アスランへ行くのかなあ」


 ラバーナへ入ろうと並んでいる大部分は、やはりというか商人のようだ。

 十数人が一塊になり、馬車や馬を連ねる隊商の姿もいくつかあった。服装や顔立ちからして西方人がほとんどだが、アステリアでは見慣れない装束を纏った人々も混じっていた。

 

 馭者台にファンと並んで腰かけて辺りを見回すヤクモは楽しそうだ。

 馬車の中にはガラテアと、やっぱり夜更かしをしてしまったナナイがいる。

 たまに寝息が聞こえてくるのは、さすがに連続連夜の寝不足が響いているのと、ファンたちの顔を見て安心したからだろう。


 「隊商はそうじゃないかな。個人の商人はサライまでの人も多いんじゃないか?」

 「何買ってくんの?」

 「そりゃ色々だろう。昨日の二人組の商人さんみたいに、茶を仕入れに行く人とか」

 

 茶はすでに西方諸国の西の果てまで広がっている嗜好品だが、産出するのはメルハとカーラン周辺のみである。

 アステリアでは庶民が口にすることもできるが、それでも贅沢品だ。

 さらに離れた西方諸国では「茶を振舞い、茶会を開けること」がステータスになるほどに値段が高い。

 それほどの価値があり、軽く、持ち運びがしやすい。木箱に何十箱も仕入れるのでなければ、個人が買い付けて売ることもでき、特に高級品はほんの僅かでも…逆に僅かなほど、欲しがる手は多いものだ。

 

 「あとは王侯貴族の御用商人が、頼まれた品を買いに行くってのもあるんじゃないかな。サライ…いや、ラバーナで買ったとしても、アステリアより西の国なら遥か東方まで行って購入してきましたって言っても嘘じゃないし」

 「どんなのかうのかなあ?」

 「香辛料に陶磁器や…あとは絹とか」

 「あのすべすべのやつ?」

 「そうそう」


 アスランでは銀貨十枚の生糸が、西へ向けて国境を一つ越えるごとに倍の値段になる。ただ、その値段は商人の苦労…いや、人生そのものの値段だと思えば、ぼったくりだと糾弾は出来まい。

  

 どの品も大都まで行った方が安く買えるが、最低一月あまりの時間と、賊や魔獣の襲撃を考慮すれば、多少割増しになってもサライで、さらに通行証の発行時間や手数料を嫌って、ラバーナで商品を仕入れる商人は多いのだろう。

 ラバーナ西門に向けて並ぶ商人の半数ほどは、これからさらに長旅をする装いには見えなかった。


 門の左右には荷物の改めを受けている商人やその馬車が並び、兵を連れた役人たちが忙しそうに動き回っていた。御禁制の品を取り締まるのももちろん、売りに行くのが小麦か砂金かで税金は大きく変わる。事細かに調べるのは当然のことで、検品を受ける商人たちに苛ついた様子はない。

 だが、さすがに止まりもせず、道を譲られながらまっすぐ進む一行に、胡乱な目を向けるものもいた。


 「は、伯爵様!おはようございます!」

 「うむ。おはよう」


 だがその視線も、すっとんで行った監督官の声にはじけ飛ぶ。

 鷹揚に「仕事を続けなさい。待たせてはならぬ」と告げるのが、名高いガラント伯爵かと目を瞠り、護衛騎士に囲まれた二輌の馬車へと興味は移った。


 ロットが手綱をとり、ウィルがその横で固まる馬車。その屋根に掲げられた旗にはアスター女神を示す真円と、それを支えるようにも敬うようにも見える、左右に枝を伸ばした樹が描かれていた。

 それが王都にあるアスター大神殿の紋章だと知らないものは、遥か東へ離れたこの地でもいない。

 たとえ東方国境だろうとも、アステリアは女神の庭(アステリア)だ。

 その信仰の総本山たる大神殿の威光は、この地にも届いている。


 ああ、もうそんな時期かと、毎年恒例となっている「ご機嫌伺い」の事を思い出した商人もいれば、それを前を行くアスラン様式の馬車に結び付けて、なにやらアスランの貴人が同行しているのかと色めき立った者もいた。

 どちらも「お近づき」になれれば商売のタネになるかと、鼻息を荒くして近寄ろうとして、騎士らの眼光に引き下がる。


 騎士を先頭に、一行はラバーナの西門へと到達した。

 もちろん検品をしようとする役人はいない。役人も兵士も、最敬礼で一行の通過を見守る。

 

 「助かるけど、これはやっぱり居心地が悪いなあ」

 「そだねえ。ぼくら、おまけだし」

 「本来なら、立ってる事すら許されねぇがな」

 「全員平伏したら俺もしそうな気もする。さて、そろそろ髪隠すか」


 肩掛け鞄からファンが取り出したのは、なんの変哲もない布だ。茶色の、どう褒めることもできない色に染められたそれを、頭に巻きつけていく。

 

 朝日の髪と満月の目。


 それはアスラン王家の血筋を表す特徴ではあるが、物凄く目立つものではない。ファンのような色合いに近い金髪も、黄色に近い茶色の瞳もそこら中にいる。

 だが、一度でもアスラン王家の髪と瞳の色を目にすれば、似ているだけで同じ色ではないとわかるだろう。

 まして、両方を備えているのは、現在では先王と現王とその息子だけである。

 ファンの顔を知らなくても、髪と瞳の色で勘付く者はいるかもしれず、それならば隠そうと、アステリアで適当な布を購入してきていた。


 「サライ着いたら帽子買えばいいし、ちょっと変な臭いするのは…我慢しよう」

 「ほんとだ~。何の匂い?」

 「黴か鼠の尿かな。安かったし。洗ったんだけど、匂い落ちないな」

 「んなもん身に着けるな!」

 「まあ、一時の辛抱だ」


 やっぱり、ちょっと臭いけどな、と苦笑している間に、一行はラバーナの城門を潜り抜けていた。


 「うわ…」


 ヤクモの口から洩れたのは、感嘆の声。

 なんとなく、ウルズベリの町と同じような光景を予想していたヤクモは、目を見開いて目前の光景を見た。


 まず広がっていたのは、王都やウルズベリと同じく、門前広場だ。

 馬車や馬が留められ、旅人たちが行き交う。それは変わらない。


 だが。

 ラバーナの門前広場は、規模が違っていた。


 向かって左手が馬車溜りになっているが、西へ向かう者はとっくに発ち、夜明けに開門してから入ってきたものもそう多くはない時刻であると言うのに、すでに八割がたが埋まっている。

 百、いやそれでは聞かないほどの馬車と、その倍はいる馬。さらにそれよりはるかに多い人間が行き交い、行商人が籠を背負って声を張り上げ品物を売る。


 右側には、様々な形、色合いの天幕が雨後の茸のように立ち並び、こちらも荷の確認をする商人や、その商人に依頼書を見せる傭兵、再会を喜ぶ声を張り上げ、朝から酒瓶を振り回す旅人など、天幕以上に多種多様な人々がいた。


 そして、その広場を囲むように立ち並ぶ、三階建て、四階建ての石造りの建物。

 全てが目立つ看板を掲げ、旅籠だ食事処だ雑貨屋だと主張している。そんな建物が目に付く限り立ち並び、その前を人や馬車がひっきりなしに通っていた。


 そうした人々の生みだす喧噪が朝の空気をかき混ぜ、冬の気配が濃厚な風に熱を与える。

 ただ人がたくさんいて、何かをしている。

 それだけでこんなにも心が震えるのかと、ヤクモはドキドキと騒ぎ始めた胸を押さえて息を飲んだ。


 「おい、こんなんでビビってたら大都についたら腰抜かすぞ」

 「えええ、大都ってもっと人いっぱいいるの!?」

 「いや、もっと広いから、いっぱいいるけどこんなに密集しているようには見えないんじゃないかな」


 ファンはそう言ってはいるものの、慣れた様子を見る限り、信じられないなとヤクモは内心呟いた。もっとすごいのを当たり前に見ているからこその態度だろう。

 ファンだけではなく、クロムは当然としてユーシンとシドも落ち着いている。これが、大都を見たことがあるものとない者の差かも知れない、とヤクモはドキドキと高鳴る胸を押さえながら唸った。

 

 これが、大したことないように見えちゃうなんて…大都ってどんなところなんだろう。


 少しでも早く見たい!と逸る気持ちも鼓動の中にあるし、いや、ちょっとまって、まだ怖いよと震える自分も間違いなくいる。

 だが、やがてその震える自分も、ま、でも見たいよね!にすぐ取って代わったあたり、これを成長と呼んでいいのかと少し可笑しく思う。

 いいんだよね。だって、ぼく、冒険者だし!と声に出さず結論を出して頷くと、何とも柔らかい笑みを浮かべたガラント伯と目が合った。


 「さて、ではこのまま東門までご一緒しよう。そこで通行証が用意されておるはずだ」

 「いいんですか?」

 「なに、たまにはね。私も自分が伯爵であると言うことを思い出さねばな」


 そう言って片目をつぶり、伯爵は騎士団長へそのまま前進を命じた。やり取りが聞こえていたらしく、騎士団長の口許にはわずかに苦笑が浮いている。「伯爵らしい事」をするよりも牛の世話が好きな主に困ったこともあるのだろう。


 騎士団を先頭に、一行はそのまま大通りを直進した。

 伯爵様のお通りと、わざわざ店から飛び出して手を振る者もいる。ウルズベリへ向かう村々で聞いた評判と同じく、ラバーナの住人もガラント伯爵の事を慕っているのだろう。

 並んで手を振る人々の顔は明るく、口から放たれるのは歓声だ。伯爵が大きく手を振り返すと、わああっと一際大きな声が上がる。

 

 「人気者だな。伯爵は」

 「うむ!ご立派だ!」


 その歓声に圧されつつ呟いたシドの声に、ユーシンが力強く頷く。「余計な厄介ごとおこしそうだから」と深く被せられたフードが邪魔そうではあるが、一応むしり取らずに大人しく顔を隠している。

 ガラテアがナナイと共に馬車に納まっているのも同じ理由だ。伯爵が若い愛人を囲う気だなんて噂がたったら洒落にもならない。恩を仇で返しすぎだ。

 

 王都と違い、ウルズベリもそうだったが、ラバーナも真っすぐな道で構成された街だった。

 民衆を引き連れつつ進む大通りは、ずっと先に同じような城壁が見えている。階層が高く、密集した建物でよく見えないが、やはり門の前は広場のようだ。

 

 あまりにも城壁が高すぎて、見えてはいるが中々着かない道ではあったが、それでも前へと足を動かせばいずれは目的地へと至る。

 広場が近付くにつれ、並ぶ建物は宿か食堂が多くなっていく。


 その中にカーラン料理やメルハ料理の店を見つけて、ファンは僅かに目を見開いた。


 王都イシリスが辺鄙な田舎だと言うつもりはない。

 クロムはそう言って貶すが、実はけっこう気に入っていることをファンは知っている。

 だが、保守的な西方諸国の中でも、特に変化よりも安寧を好むアステリアは、やはり緩やかに排他的だ。

 他国人はほとんどおらず、まして店を構えてごく普通に生活をしているなどと言うことはない。


 それは交易の国であるアスランとは対照的だ。

 くまなく探せば、どれほど辺境の国でも同国人がいる、と言われるような大都のみならず、人口百人に満たないような田舎の村にもカーランとメルハの商人は移住していて、必ず料理屋と仕立て屋を営んでいる。

 安価である程度の質や約束されているから、アステリアでも世話になろうとして…ないことに驚いた。

 

 ギルドで話を聞けば、皆、カーランやメルハの事を知っていても、実際にその出身者に会ったこともない、と言うものがほとんどだった。「とにかく東の方にある」程度の認識しかない。


 だが、この街はもう、アステリアよりアスランに近い。

 聳え立つ城壁のその先は、もう故国アスランだ。


 外に置かれたテーブルでカーラン料理を食べながらこちらを見て目を丸くしている、ごく普通のアステリア人を見て…雷光のようにファンはその実感を得た。


 「失礼いたします!」

 「どうした」


 ファンの中に広がった、なんだか涙のような温度の感情を止めたのは、門の方から駆け寄ってきた騎士の声だった。足踏みする馬を宥めつつ、敬礼を送って伯爵と騎士団長へと近付く。

 何か小声の報告を聞いて、伯爵の眉が下がった。どうやら困った事態が発生したらしい。


 「ううむ、すまないが」

 「はい」

 「通行証の発行がやや遅れておってな。もうしばらく待ってもらう事になりそうだ」

 「もうしばらく、ですか」


 その時ファンの頭に浮かんだのは、「カーラン料理?メルハ料理?」と言う選択肢で、さすがにユーシンじゃあるまいし、と首を振ってその魅惑的な選択肢を打ち消す。


 「昼前には発行できよう。ラバーナの我が館に招待して待っていただこうか」

 「いえ、それなら、この周辺や橋をヤクモ達に見せてやりたいんですが、良いでしょうか?」

 「勿論構わないとも。馬と馬車は当家の騎士が見ておこう」

 「ああ、それは助かります。誰か留守番ってなったら、大変そうだし」


 ロットやウィルが進んでやってくれそうだが、できればあの二人にも見せて見たい。

 それでも時間が余れば、ちょっとカーラン料理やメルハ料理に手を出したって、悪くはない…はずだ。


 ファンに向け、伯爵はにこりと笑って頷いた。


 「では、私は館にて溜まった仕事と言う難敵と戦わなくてはならぬ。いざ、さらば」

 「ご厚意、心より感謝いたします。本当にありがとうございました」


 ぽん、とファンの肩を軽く叩き、伯爵は馬首を広場からもと来た道へと返した。神官達にも挨拶をしたのち、館へと馬の足を進める。


 「良い人だったねぃ」

 「だなあ。御礼状送らなきゃ」


 二太子と言う立場では送れないが『世話になった冒険者』が、牛に強い商会に頼んで手紙を届けてもらうのは構わないだろう。


 「あ、ロットさん、勝手に決めちゃいましたけど、大丈夫ですか?」

 「ええ、もちろん。実は、後ろの妹弟子らがさっきから起きて大はしゃぎですよ。ウィルもそわそわしていますし、ね」

 

 馭者台から身を乗り出して後続の馬車へと声を掛けると、苦笑するロットの横でその弟子が真っ赤な顔であたふたしているのが見える。

 

 「ちょー気持ちわかる!ぼくもあちこちウロウロしたい!」

 「俺もだ!美味そうな飯を売る店がたんとある!」

 「はいはい。まずは馬車と馬を止めないとな」


 ファンの声に、騎士の一人がにこりと笑って手で目的地を指し示す。

 

 「こちらへ」


 騎士団長に言いつけられ、三人の騎士がとどまってくれていた。

 その一人が誘導したのは、どうやら役人や騎士が馬を繋ぐ区画のようだった。広場は所狭しと馬車や人で埋め尽くされているが、ここにはまだ空きがあり、同じような軍服を纏った騎士が馬を繋いでいる。


 こうした門前広場では、掏りや置き引き、果ては大胆に馬泥棒も出現する。だが、扱いが難しいアスラン馬と、騎士が守る馬車で仕事をしたいと言う勇気あるものはいないだろう。荷物もそのままで良さそうだと、ファンは伯爵に再び礼を述べた。手紙だけではなく、牛もやはりつけるべきか。


 「正午の鐘がなりましたら、お戻りください」

 「はい、わかりました。すみませんが、ちょっとウロウロしてきますね。城壁へあがるのは、サライと同じくあの辺からですか?」


 ファンが指さしたのは、門から離れた、城壁に向けて張り付く階段だった。視線をそちらに向けた騎士が、笑って頷く。


 「左様です。上がるのには小銀貨一枚かかりますが…」

 「お、サライより安い」


 確かサライは三枚だと呟いて、ファンは馭者台から飛び降りた。ヤクモがそれに続き、仲間たちも鐙から地上へと踏みしめる場所を変える。


 「ん…着いたのかな…」

 「うん。もうラバーナの東門広場だよ」


 目を擦りながら顔を出したナナイは、ファンの声に頷いて、まだぼんやりした視線を巡らせた。


 「馬車から降りるか」

 「うん」


 覆いを捲り上げ、縁に腰かけてナナイは足を靴に押し込んだ。神殿の馬車はちゃんとした造りで、振動も最小限に抑えられていたが、やはり靴を脱いで寝ころべるアスラン式の馬車の方が寛げる。


 「良く寝ていたな」

 「ガラテアさん、ごめんなさい…完全に膝枕状態でしたよね?」

 「気にしない。ナナイは軽いし、可愛らしい」


 差し出されたクロムの手を取って馬車から降りたナナイに続き、ガラテアが顔を出した。

 騎士たちの顔が緊張するのを見て、やはり姉さんは仕舞っておくべきだなとシドは内心に呟く。

 これで性格も顔と同じくらい儚げで穏やかなら、別の意味で隠しておきたくもなるのだろうが。

 言い寄った男の鼻と前歯をへし折ったことは数知れず。

 いい加減、誰か好い男でも見つけてもらって、そいつに面倒を押し付けたいとは思うが…いつになる事か。

 その内心を姉に見透かされる前に、シドは前方…ラバーナ東門へと視線を向けた。


 地上に口を開いていた西門とは違い、東門は左右の階段を登った先の踊り場に開かれている。

 それは当然だろう。あの城壁の向こう側は河だ。低く作っては水没してしまう。

 

 門へと上がるための階段も、その先の踊り場も、いや、そこへと至るまでの広場にも、人や馬車がぎっしりと詰まっていた。馬車や馬は左側にしかいないから、そちらは階段ではなく傾斜スロープなのだろう。


 同じような門は離れてもう一か所あり、そこからは続々と人が出てきては、空いた場所を目指して自分や馬の足を進める。

 何とか隙間に落ち着くと、役人が歩み寄って話しかけていた。

 サライで荷の改めは済んでいるから、名前や髪色などの特徴が書かれ、荷を運んでいればそれは何か、何の目的でアステリアへ入国するのかなどが記された書類を役人に渡し、確認されるだけだ。西門に入る時ほど拘束はされないので、進みは早い。


 それに比べてサライへ向かう門が大渋滞しているのは、とにかくサライへ向かう人が多い。単純にそれに尽きる。

 それには、大きく二つの理由がある。


 一つは、単純にこれから冬に突入するアスランは、悠長に旅ができる気候ではない。吹雪けば足止めを食い、野宿中に悪天候となれば死の危険がある。

 まだ本格的に寒くなる前にアスランへ向かい、冬の間は大都で過ごし、春の訪れと共に西へ戻る、もしくは春に向かい、夏を過ごし、秋と共に西へ…それが交易商人たちの常識だ。


 そしてもう一つは、年越しと年明けに向けて、少しばかり贅沢な品はよく売れるからだ。

 絹や紙のように薄い陶磁器などはもちろん、茶や砂糖などもよく売れる時期になる。そうしたものを仕入れに、あるいは贖いにサライへ向かっているのだろう。

 

 「ねーねー、ファン」

 「ん?」


 馬を軛から解いて杭に繋ぎながら、ヤクモの声にファンが顔を上げた。隙あり、とばかりに馬が鼻面をその頬に押し当てる。


 「あそこが東門だよねえ?」

 「そうだぞ。向かって右がサライへ向かう門、左がラバーナへ入る門だ」

 「なんで、上の方にも同じのあるの?」

 「ふふ、それはもうすぐわかるさ」


 鼻面を叩いて押し戻しながら、にやりと笑う。

 ヤクモが指さしたのは、ごった返す門の右上にある、下段よりは小さな門と、狭い踊り場、そしてそこへと続く、城壁を横切るような長い長い傾斜だ。

 今、ちょうど見るからに豪華な馬車がそこを進んでいる。護衛の騎士までついているところを見ると、どこぞかの貴族だろう。


 「さて、じゃあ皆、東と西を繋ぐ橋を見に行こう!」

 「どうでもいいが、絶対に上を往けよ?下の方が安いから~とか言っても無理やり連れてくからな」

 「う…まあ、あれだけ混んでるとな」

 「上って、あの上の方の門の事?」

 「より正確には、その先の事だけどね。さ、行こう」


 ファンの声に、ロットたちも興味を隠せない顔で巨大な城壁を見上げた。

 口々に感嘆の声をあげる少女たちに、ナナイも合流する。全員眠たげな様子はないから、どうやら馬車の中でぐっすり眠っていたのは、ナナイだけではないようだ。


 「私は、少女たちの中に混ざろう。先に確認しておくが、不埒者は折っても良いな?」

 「俺が許す。特にナナイにちょっかい出すようなクソ虫はひねりつぶしても構わん」

 「なんでお前が許可出してんだよ…ええっと、一応、穏便にね?具体的に言うと、折らないでこっちに教えてください」

 「面倒くさいが…まあ、いい。雇い主の意向だ。尊重しよう」

 「ア、アリガトウゴザイマス」

 「…姉さんが、すまん」


 やはり姉は仕舞っておくべきなのではないだろうかと、シドは内心に溜息を吐き。


 「シド?」

 「ぐぴッ!?」


 姉に脇腹…と言うか、肋骨の隙間に親指を押し付けられて変な声が出た。


***


 「一人小銀貨ですね」

 「ああ。この箱に入れて行ってくれ」

 「ファンさん、これを使ってください。大司祭より預かってきている軍資金です」


 ロットから差し出された袋を受け取るかどうかファンは悩み、その隙にクロムの手が掻っ攫う。指さして人数を数え、兵士が指し示した箱の中に、きっかりと鈍く光る小銀貨を落とし込んだ。


 「使えっていってんだ。断ったらあの爺さん、しょんぼりするぞ」

 「う~…そうかなあ」

 「そうですね。大司祭、うきうきしながら私に軍資金を渡して『くだらないことにパーっと使えよ!』って言ってましたから」


 まあそれなら、と頷いたファンを先頭に進んでいくのは、門からやや離れた場所に開いた扉だ。

 見上げれば、その扉は城壁に備えられた塔の入り口であり、ファンたち以外にも上気したした顔で小銀貨を箱に入れている人々がいる。

 共通するのは、どうやら旅をしてきた西方人だろうと言うことくらいで、いかにも商人の若者から、近隣の村からきてたと思われる親子連れまで幅が広い。

 入れ替え制になっているようで、降りてきた人々が全員出たらしいと確認したのち、兵士がファンたちを含む、入り口で待っていた人々へ「入って良し」合図を送る。


 「さ、行ってみよう」

 「あの、ファンさんは…来てみたことあるんですか?」

 「ないよ。ただ、サライにもあるから、同じものがあるんだろうなってあたりをつけただけで」

 「俺はサライも行ったことがないぞ!何があるんだ!登ればいいのか!」

 「ぼくもないけどさあ。あ、待ってよユーシン!」


 踏み込んだ塔の内部は思ったよりも広く、すれ違うのも苦労すると言った狭さではない。緩やかに螺旋を描く階段が続いている。

 先頭なのを良いことにユーシンが階段を駆け登り、慌ててヤクモがその背を追った。

 塔の頂上まで行けば、いくらユーシンでも息切れしただろう。だが、目的地はそこまで高くはなく、体感で言えば三階分ほど登った程度だ。

 踊り場には一人兵士が立ち、風が纏うマントを揺らしている。彼の横には開け放たれた扉があり、そこから外へと出られるようだった。


 「外に出るのか!何がある!」


 兵士に示されるまま、ユーシンは進む方向を変えた。途端に吹き付ける風が、橄欖オリーブ色の髪を揺らし、フードを跳ね除ける。

 

 「おお…!!」

 「え、なになに?どしたの…って、ひあああ!」

 「ほらほら、先へ進む。詰まってたら後の人が困るだろ」

 

 苦笑するファンに肩を叩かれ、二人はそこへと足を踏み出した。


 そこは、塔から張り出したテラスだった。

 人が二十人から三十人は立てるであろう広さで、端は胸まである柵が設えてある。その柵は優美な曲線で構成され、いざという時に弩を構えるためにあるのではなく、人がそこに寄り掛かり、景色を眺めるためにあるのだと思えた。


 その柵の向こうに、同じように巨大な建築物がある。

 白い煉瓦で組み上げられた城壁。同じようにテラスへ出て、こちらを眺めて手を振る人々。


 「あそこはもう、サライ…アスラン王国だ」


 手を振り返すファンの声は、微かに震えていた。それに誰よりも早く本人が気付き、一瞬口を押え…そして誤魔化すように笑う。


 「っと、それよりも、だ。見せたいのは、あっち」


 指さすのは、サライへ向かって左側。

 ユーシンとヤクモも、そしてようやく追いついてきた神官たちの視線が、ファンの手に釣られて左側を見る。

 

 「え…」


 サライの城壁も、ラバーナの城壁も、眼下を流れる銀色の川に沿ってまるで終わりがないように続いている。

 

 その間に。

 巨大な四角い建造物が、あった。


 「あれが、シムルグ大橋。世界の東西をつなぐ橋だよ」


 橋。あれを橋と言うのか。

 巨大な五本の柱が地と河に聳え立ち、その上に屋根と壁を備えた建造物が乗っている。

 それは、橋と言うよりも回廊と言った方が分かりやすく、そしてそれよりも、建物と言い切ってしまった方が実態に近かった。


 その中を、人が、馬が、車が、列をなして歩いている。それが見えるのは、壁には大きな窓があり、そこから中の様子が見えるからだ。吹き曝しらしく、寒そうに首を竦め、襟元を抑えている旅人が多い。

 だが、その寒さも足を止める要因にも、顔を曇らせる原因にもならないらしく、前を向く人々の顔は明るい。その先に待つ異国への期待がそうさせているのだろうと、容易に想像ができた。

 何故なら、自分たちもあの「橋」を渡る時、同じ顔をするだろうから。


 「え…橋の上にも、人が?」

 「そ。あっちがさっきから言ってた、『上』だよ。この橋は二階建てでね。二階部分は特別許可が出た人…つまり、身元がしっかりしていて、大金を積める人じゃないと通れない。伯爵に感謝だな」


 悠々と馬車が通っていく上段は、下段の喧騒や混雑とは無縁のようだった。吹き曝しなのは同じではあるが、窓は小さく格子がはまり、風の勢いを分散させていた。


 「風をわざと通り抜けるようにしているんだ。そうじゃないと折れちゃうんだって。カリフタン王国滅亡後、アスランからの依頼を受けて名建築家ザイダルが設計、建築した奇跡の産物が、この橋と両側の壁だよ。外壁はそれよりもはるか昔に建設されたものだけどね」

 「あ、見て、アスター様だわ!」

 「ほんとだ!向かい側の御方はどちらの男神様かしら…」


 ファンの説明に感心するより、少女たちの関心は屋根の上に立つ二体の石像に移っていた。まあ、いつものことだと仲間たちも特に気に留めず、見事な彫像に視線を移す。


 ラバーナ側に立つのは、左手を前に、右手に鶏を留まらせた女神だ。その美しい顔は、確かに彼女たちが帰依する夜明けの女神アスターである。

 しかし、彼女に向かいサライの側に立ち、右手を前にし左手に長柄斧を持つ男神は、彼女らの知識にない神だった。逞しい体に腰布を巻き、裾が膨らんだズボンを履いている。それは何とも異国風だ。


 「あの男神は、雷帝リューティン。アスラン王国の守護神だよ」

 「へええ~。あの神様がそーなんだ」


 蘊蓄を流されたことに一番慣れているのは当の本人である。気にした様子もなく、疑問に答えた。

 

 女神アスターと、雷帝リューティン。

 兄妹とされる神々は、指先を触れあわせ、穏やかな笑みを浮かべている。

 それはこれからの旅路を祝福しているようで。

 一行の顔にも、橋を往く人々と同じ、期待に満ちた笑みが浮かぶ。

 

 「さあ、俺たちも世界の西から東へと進もう!」


 もう震えていないファンの声を、一足先に風が西から東へと、運んで行った。

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