表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
20/89

座布団の穴より靴の穴(百聞は一見に如かず)7

 「絶対にいかん!」とクロムがへそを曲げたので、俺たちは騎士神の神殿へは足を向けなかった。

 まあ…アレを見て、真剣に騎士神の神像に膝をつけるかと言えば…俺でさえ自信がない。なんか、お祈りしてたら弄ってきそうだし。

 

 白い鴉に関する俺たちの不自然な行動については、誰も何も言ってこなかった。

 なんとなく「いつものこと」にされている感がある。そんなに普段から奇行を見せているわけじゃないと思うんだけど…一応、助かったと言うことにしておくか。

 

 アレが「騎士神リークス」であるというのは、ユーシンとヤクモならすぐに受け入れられるだろう。

 クロムが騎士神の刻印を授かっているわりには敬っているどころか、名前が出ると嫌そうな顔をするのを知っている。その顔の理由がわかって、納得するだけだ。


 けど、ナナイはもちろん…シドとガラテアさんは知らないはず。少なくとも、ナナイは絶対に知らない。

 クロムが騎士神の刻印を持っていることを説明するなら、俺の刻印についても話さなくてはならないだろう。

 騎士神の刻印と灯の刻印は常に同時に世に現れる。

 灯の刻印保持者だけがいると言うことはあり得るが、逆はない。

 灯を掲げるものを護る騎士に授けられるのが、騎士神の刻印だからだ。


 いつかは話さなきゃならない事だろう。でも、それは今じゃない…と思う。

 これから遊びに行くってのに、心配事を増やすのはよろしくない。

 なにせ、ナナイには泣かれるほど心配かけたからなあ。あとで「なんで黙ってたの!」って怒られるだろうけれど、その時は粛々と受け止めよう。


 そんなわけで、エルディーンさんや司祭様らが来るまで、広場でのんびり待つことにした。

 幸い、風は冷たくなってきたけれど寒さは感じない程度だし、天気はとても良い。

 芝生に覆われた広場に腰を下ろし、他愛もないお喋りをしたり、じゃれあうクロムとユーシンを眺めるのに最適な気候だ。


 ユーシンの突進をクロムは身軽によけ、蹴りを放つ。

 それを払いのけて繰り出されたユーシンの一打、その腕にクロムは一瞬倒立して空中へ跳ね上がり、間合いを取って着地する。

 だが、クロムの足が地に着くか着かないかの瞬間、すでにユーシンは体勢を入れ替えていた。

 地面に手を突いて繰り出された足払いは、無理やり空中で身体を捻ってタイミングをずらし、躱される。


 曲芸かなにかのようなじゃれあいは、俺たちだけじゃなく広場にいる他の人々の視線を集めていた。特に近所の子供たちだろう、五、六人集まった男の子たちが、ぽかんと目と口を開いて見つめている。

 二人とも熱中しているけれど、そんなギャラリーに気付かず激突するほど周りが見えなくなってはいないだろう。まあ。もうちょっと近付いてきたら注意を促せばいいかな。


 そんなことを考えていたら、立ったままじゃれあいを眺めていたシドに向けて木の枝が飛んできた。


 「ん?」

 「最後に持ってたやつの勝ちだ!」


 結構な勢いで回転しながらすっ飛んできたそれを、シドは難なく掴み取る。困惑する顔に向けて、いつの間にか上着を脱ぎ捨てていたユーシンが息を切らせながら告げた。


 「ただし、五つ数える以上に持っていたら駄目だ!」

 「今からな。一、二…」

 「いきなり巻き込まれた」


 そう言いながらも、シドの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 蒼穹に向けて思い切り木の枝を放り投げながら、自分の上着も放り出す。

 三人の中では、一番シドの背が高い。落ちてくる枝を掴むのに、一番有利というわけだな。


 「甘ぇ!!」


 しかし、空中戦はクロムの得意とするところ。野生の羚羊のような跳躍で、伸ばしたシドの手の先へと飛び上がる。

 クロムの手が枝を掴み取り、してやったりと笑みが浮かんだ双眸は、しかしすぐに迫りくる「敵」を捉えた。

 

 「もう、五、だぞ!!」

 「はえぇよ、馬鹿!お前、一の後は五だと思ってねぇか!数も数えられねぇのかよ!」

 「しっかり数えたぞ、間抜けめ!お前こそ、三の次は一だと思っているのだろう!」


 容赦なく肩から突っ込むユーシンを躱しつつ、クロムは棒を後方へと放る。突進を躱して仰け反った体勢を無理に戻さず、そのままとんぼ返りをして棒を追うつもりのようだ。

 だが、その動きと狙いを読んでいたシドの手が棒を引っさらう。ニヤッと上がった口角に、ユーシンが目を輝かせて襲い掛かる。


 「おっと…!」


 突き出された拳を左腕で受け流しながら、シドは再び棒を投げた。その向かう先は、芝生に腰を下ろしていた、ヤクモ。


 「ええ!?ぼくもお!?」

 「ヤクモが相手でも容赦はせんぞ!」

 「も―!そんな気はしてた!」


 文句言いつつ、楽しそうだな。ヤクモ。

 ヤクモの武器はとにかく馬鹿二人に慣れていることだろう。空中に投げると見せかけて気をひき、低い位置、芝生すれすれに棒を滑らせる。誤魔化せるのはほんの一瞬。けれど、その一瞬をヤクモは捉えた。


 「まけないけど!」


 棒を追って座った体勢から前へ飛び込み、前転しながら落ちた棒を拾い上げ、走り出す。

 そして、クロムとユーシンのちょうど中間地点へと放った。

 当然ながら二人は激しく牽制しあいながら棒を取ろうとし、接戦はユーシンに軍配が上がった。伸ばしたクロムの腕を引っ掴み、釣りこむように投げた後、落ちてきた棒を咥えると言う荒業だ。

 

 「ユーシン、口はばっちいよ!」

 「歯で噛んだ!涎はつけてない!」

 「落ちていたものを口にくわえるな、という意味だと思うが」

 「犬かお前は!」


 つーか、棒を奪い合ってるお前らが、仲の良い犬の群れみたいだけどな。


 「なんて言うか…同じ人間とは思えないなあ」

 「まあ、人間は棒をあんなに奪い合わないから…」

 「そうじゃなくて、僕、もしも身体を鍛えたとしても、あんなふうにできるとは思えないからさ。クロムたちが本気で動いているの初めて見たけど、すごいね」


 確かに。俺は慣れてるけど、ナナイは見たことないもんなあ。

 棒を取り合っていると言うのがちょっと締まらないけれど、クロムの雄姿をとくと見て、出来たらカッコいいとか思ってやってくれ。


 「予想はしてたけれど、シドも良い動きだな。全然引けを取ってない」

 「ああ。こんなところで無様を晒したら許さないがな。しかし」


 一瞬、シドがびくっとしたような気がした。うん、きっと、気のせいだろう。ちゃんと地面に落ちた棒を拾い上げ、奪い取りに来たクロムの手を躱して放り投げたし。


 「楽しんでいる。何よりだ」

 「そうだね」


 十余年前。二人の故郷が攻め落とされた後。

 姓を持つような貴族が傭兵となるまで、どんな日々だったのかを問う気はない。

 ないけれど…じゃれあって楽しそうにしている弟に、やっと手に入れた宝物を見るような眼差しを向けるくらいには、辛かったんだと想像はできる。

 

 四人の戦いは、取り合って棒がへし折れたことで終了した。はあはあと肩で息をしながら、自分の手に残った棒だったものを、そっと戸惑うナナイの膝に置いてクロムが笑う。


 「ナナイの、勝ち」

 「異議なしだ…!」

 「ぼくもぉ」

 「ああ。良いと思う」


 どさりと芝生の上に座り込み…ユーシンは寝っ転がり、誰からともなく苦しそうに笑いだす。まったく。息を整えてから笑いなさいっつっても、笑いのツボがくすぐられるタイミングは選べないしな。


 とりあえず、俺にできることは水でもだしてやることくらいだろう。

 肩掛け鞄に入っている大角羊の膀胱で作った袋と、召喚用の水が入っている採集キットを取り出して、袋の底に陣を描く。

 コップはさすがに一個しかないから、回し飲みになるけどな。 


 ふと、ガラテアさんの色素の薄い瞳が、シドから俺に移る。

 じっと見つめられた後に微笑まれて、ちょっとばかり心臓が跳ねた。美人って、それだけでなんと言うか、すごい攻撃力だよ。

 

 「ファンは海を見たことがあるか?」


 唐突な質問だ。けれど、水の召喚と笑いの発作が収まるまでの時間潰しには悪い話題じゃない。

 なんで、素直に頷いた。


 「あるよ。ソリル内海だけど。いつか、もっと広い海を見て色々採集したいなあ」

 「ぼくも海見たい!アスラン行ったらすぐ見れる?」


 なんとか息を整て笑いを半ば治めることに成功したヤクモが、上着を肩に引っ掛けながら加わってきた。

 水が湧き出した袋とコップを渡すと、コップを底に押し付けて水を汲み、噛みつくような勢いで口をつける。こくこくと咽喉が動き、ほっとしたような顔でコップを唇から離すころには、笑いは収まったようだ。

 はい、と隣のクロムに袋とコップを譲り、まだ肩で息をしつつもわくわくと目を輝かせる。行けるよと言ってやりたいけど、さすがに遠いんだよなあ。

 

 「行けなくはないよ。大都とソリル内海のアスラン側の港町、ウハイフンゲルは転移陣で結ばれてるからな。まあ、旅情はないが」

 

 どうせなら大運河をゆっくりと下り、途中途中の町を訪れたりしたいよな。

 特に、雨の原(ボロー・タル)と呼ばれる一帯は、地形の関係で一年のうち三分の二は雨と言う地域で、アスランでは珍しい湿地帯が形成されている。固有種も多く、中心部まで分け入ったものもいない。

 毒蛇が多くて危ないうえに、竜種の目撃例もある。まさに人類未踏の領域。行きたいに決まってる。


 「あ、なんとなくだけど、ぼくが行きたい所と、ファンが行きたい所違うと思うから」

 「う…わ、わかんないだろ?もしかしたら一致するかも…」

 「絶対ない」

 「ファンだしね」


 ナナイまで…。

 

 「大運河沿い、確かにいろいろな町があるよね。僕、アマンの町なら行ったことがあるよ」

 「どんなとこー?」

 「水路が張り巡らされてる町でね。綺麗なところだよ」

 「春になると、水路沿いに植えられたイントルの花が一斉に咲くんだよな」

 

 大祖が愛したと言うイントルの花は、本来、タタルにはない植物だ。

 何度も話を聞いていた開祖が「必ずイントルを手に入れて大祖の陵墓に捧げるのだ」と言う遺言を残し、それは二代大王の御代に実現する。


 ただ、カーランから苗木を手に入れ、百人を超す庭師が必死に育てたイントルの花と、大祖が愛した花は違うものかもしれない。

 何しろ、大祖が「さくら」と呼んだ木は、彼の世界のものだから。この世界のイントルとは、似ているけれど違う種の可能性は当然ある。


 それでも、息子と孫が探し回り、百人の庭師が守り育て、アスラン中に広がった薄紅色の花を…きっと大祖は愛してくれるだろう。

 大祖の…代々のアスラン王の陵墓は、春になればイントルの花に飾られる。飛竜を駆って上空から眺めれば、薄紅色の森のようだ。

 例えそれが「さくら」ではなくても、美しいことに変わりはない。


 「冬は…咲かないよねえ」

 「春って言っても、アステリアで言えば初夏くらいだな」

 「やっぱり寒いんだねぃ」

 「そうだな。サライで外套を買ったほうが良いかも。これから日毎に寒さが増していくし。ナナイは冬服持ってきたか?」

 「一応ね。でも、皆は普通の外套しかないと思う」


 普通の外套…まあ、アステリアの冬に使用するようなのだよな。

 それじゃあ厳しいなあ。サライと言っても全店舗ぼったくるわけじゃないし、やっぱり買ったほうが良いな。

 …ヤクモの外套も、中古品で十ヵ所以上繕ってるし、隙間風抜けるし。

 

 「やった!新しい服買ってくれるの!?」

 「必要経費だ。でも、名牌品ブランドはなしな?普通のにするからな?」

 「なにそれえ?魔道具かなんか?」

 「同じ服でもどこそこ商店の誰それがデザインしたと言うだけで、値段が十倍になる、という事だな」


 ガラテアさんの解説に、ヤクモは目をまん丸くした。まあ、名牌品は素材も高価なの使っているから、値段の差は仕方ないんだけどね。

 ただ、内張が絹毛山羊でじゃなくても十分あったかいし、首元を守る毛皮も黒貂でなくたっていい。というか、両方羊でいい。

 

 「あとは靴だな。今の靴じゃ間違いなくしもやけになる」

 「アスランの、寒さは、足から、来る、からな」


 たぶん、ひどい目にあったんだろう。荒い息で途切れ途切れなシドの言葉には、経験の重みがある。

 しもやけ、めちゃくちゃ痒いし靴はきつくなるしでしんどいからな。

 シドたちは西海の生まれだ。あっちは暖流の関係で冬もそんなに冷えないらしいし、大都の空気さえ凍り付く冬は堪えただろう。

 

 「外套に肌着に靴…あと帽子か。これだけは冬仕様の品物を買わなきゃだ」

 「お金大丈夫?」

 「…一応、俺、王子だからな?国に戻れば、動かせる金はなんとかなる」


 最悪、ヤルト爺に借りよう。うん。

 

 「サライのあと、大都まではどういうルートで行く予定か?」

 「そうだなあ…サライで情報を仕入れてから決めようと思ったけど、ちょっと相談はしておこうか」


 サライから大都まで行く方法はいくつかある。一番早いのは転移陣だけど…転移陣を使っても問題ないか、まずは皆を検査しなきゃいけないし、その順番を待っているだけで年が明ける。割り込みはそりゃできるけど…したくはない。

 適性が全くない人が転移陣を使うと、最悪死ぬ。そうなるのは百人に一人という、わりと高い確率だ。

 俺とクロム、ユーシン、ナナイは問題ないって検査済みだけれど、護衛をヤクモとシドとガラテアさんに任せて先に行くのは、本当に最後の手段。

 万が一、サライで何かが起きて足止めを食らい、冬至の日が明日明後日に迫った時だけの手段にしたい。

 

 「サライから大都へ向かうには、まず大きく分けて二つ。大公路を北東へ進んでいくルートと、一旦東へ向かい、フフノール公路を北上する。このどっちかだ」

 「ふつーに北東に進むの、なんか駄目なのう?」

 「駄目じゃないけど隊商向きのルートなんで、ちょっとガラが悪い。俺らだけなら気にせずこっちに進むけど、女の子連れては躊躇うかな。

 ただ、安全と言えばこっちの方が安全。なにしろ、東西交易の主要道だから宿駅ジャムチも多い。万が一、襲撃があってもすぐに兵が駆け付けてくれる」

 「宿駅?」

 「宿舎と厩舎が供えられた施設だよ。最低でも常に三隊三十人の兵が詰めていて、常に食料も備蓄されている。これが50イリごとに設けられているんだ」


 この近くで野宿をすれば安全だし、行商人もいるんで食料も買える。食べ物の屋台もだいたいあるしな。

 ただ…とにかくガラが悪い。基本的に隊商は屈強な男中心で、ただ移動する暇さを持て余していたりもする。そんなところに、可愛い女の子たちが複数いる一行がやってくれば、なんかしらちょっかいを掛けてくるのは間違いない。

 俺たちだけならクロムが不機嫌になるだけですむだろうけど、ナナイに手出ししたら流血沙汰は避けられないよな。ガラテアさんも自分で容赦ない反撃を加えそうだし。


 それを避けるなら、隊商じゃない旅人たちが集まっている集団を探さなきゃいけない。暗黙の了解というやつで、隊商はそういう集団に接近しないからだ。

 もし積み荷が紛失すれば、隊商は自分たち以外を疑う。交易商人同士も揉めたくはない。ならば目が向くのは、旅人の方になる。

 疑いをかけられた方はたまったもんじゃないから、当然全力で抗う。

 そうして諍いが起こり、何度も血が流され、出来たルールだ。


 新年を大都で迎えるために向かう人は多いから、探すこと自体は苦労しなさそうだけれど、そっちはそっちで傭兵を護衛に雇ったり、近くの遊牧民を雇ったりしているからなあ。やっぱり目はつけられそう。

 特に遊牧民は、とりあえず嫁として連れ帰るってことをやりかねない。駄目ですって言いに行けば返してくれるけれど、何度もそんなことをしてたんじゃ年が明ける。


 「俺たちはまっすぐ大公路をやってきたが…もう一つのルートは、隊商がいないのか?」

 「いないわけじゃないけど、こっちは大都まで行く人は少なく、途中途中の町から町へ向かう人が多い。ただ、町を辿っていけば大都へ着く。あと、ひっじょうに個人的なことで申し訳ないけど、俺としてはこっちのルートを取りたい」

 「何故だ?」


 溜まった水を手ですくって飲んでいたユーシンが、首を傾げた。

 勢いよく口に運ぶもんだから、胸元はべしょべしょだ。風邪ひく…ことはないだろうけど、冷えるからちゃんと拭いておけよ。って言うか、コップの順番来るの待ちなさい。


 「フフホトに寄りたい」

 「なんか珍しい虫でもいるの?」

 「それなら喜んで寄るんだけどなあ」


 フフホトの名に、クロムが頷いた。ユーシンもちょっとはぴんと来てほしいもんだけどね。


 「フフホトは、俺の領地なんだ。溜りに溜まった仕事を、ちょっとやっとかないと…」

 「ファン、そんなんあるの!?」

 「一応、王子だからな?名ばかりの領主とは言え、やらなきゃいけない事はあるわけで、重要案件を片付けないと、大都についてから時間を作ってまた行かなきゃいけなくなる。転移陣ですぐとは言え、それなら往路に片付けたい」


 とてもじゃないけど終わらない量なら、持ってくって手もあるしな…。


 「ただ、本気で俺を殺す気ならここに暗殺者を伏せるだろう。大都以外じゃ、絶対に来る場所だからな」

 「まあ、そうだな」

 「けど、それはほら、頼れる守護者もいることだしな。なんで、フフノール路を俺は推しておく。敵もいるけれど味方もフフホトには多いわけだし」

 

 すんごく甘いことを考えれば、そもそも暗殺者なんていない可能性だってある。

 ここに暗殺者をおくのが当たり前なら、当然親父や兄貴もそれは読んでいる。密偵を数多く送り込んで、目を光らせているだろう。とっくに排除されているかもしれない。


 「俺も、フフノール路が良いと思う。旅商人は命知らずが多い。何人姉さんが鼻をへし折ったか…」

 「治したのも私だが?」

 「…えっと、僕も変なお客さんたまに来ることがあるし、ちょっとくらいなら嫌なこと言われても我慢できるよ。暗殺者よりいいんじゃない?」

 「ナナイが我慢できてもなあ…」


 我慢できないのは、クロムと…ガラテアさんだな。

 うん。やっぱりフフノール路で行こう。精神衛生上もそっちのがいい気がする。

 

 「よし、サライを出たら東へ進もう。フフホトまでの街道も整備されているから、無理せず進んでも十日程度だ」

 「そっからどれくらい?」

 「天候が崩れなければ一月もしないかな」


 年末には、余裕をもって、とは言えないけれど間に合う。最悪、天気が崩れたらシドたちに護衛を任せて、俺とクロムで宿駅を使いながら駆け抜けるか。冬至までに戻らないわけにはいかないし。


 「フフホトから船が使えりゃあな…」

 「船!?」

 「フフホトは湖の畔にある街で、そこから水路が伸びて、大運河に繋がってるんだ。船に乗れれば五日で大都に到着するよ」

 「乗れないの?」

 「今から乗船券を入手するのは、難しいな」


 何しろ、一年で一番大都に向かう人が多い時期だ。

 フフホトには大都に家族を残して出向してきている役人も多いし、半年前から予約をして、ようやくまともな船室の乗船券が入手できる。

 馬車も乗り込める大型船となると、絶望的だろう。


 「そりゃあ、まあ、戦船を動かすこともできるけど…物凄い大事になるからやりたくない。大都の南大門から入ってパレードしつつ王宮じたくに向かうのは嫌だ」

 「ふつ―のお船はないのう?」

 「あるけど、同じことになるからな」

 

 信頼できる商会の商船に乗せてもらうって手もあるけれど、いくら信頼出来ても借りを作るのは避けたい。それに、大神殿のみんなに俺がアスランの王子だってことをばらさなきゃいけなくなる。

 ウィルさんとロットさん、女の子たちも信頼しているけれど、隠し事って言うのは知っている人が少なければ少ないほどいいわけで。


 「フフホトか!俺も行ったことがない!どんなところだ?」

 「アスランの中でも古い街だな。主な産業は漁業と、キリクから運ばれてくる岩塩を製塩してアスラン中へ出荷している街だ。それと、フフノールを挟んで対岸にクトラ自治区がある」


 そんな位置関係だから、キリクとはかかわりが深い街だ。ユーシンも覚えておくべきだと思うんだけどなあ。

 キリクで切りだされた岩塩は、山を下ってまずはクトラ自治区に運び込まれる。そこから船でフフホトに運ばれて製塩され、大都で売られていく。

 キリク製の岩塩はきりっとした味が特徴だ。逆にクトラ産の岩塩は甘みがあって、俺はキリク産の岩塩は魚料理、クトラ産は肉料理にと使い分けている。

 共に良質なものは同じ重さの銀より高い。特に、クトラの岩塩はもう細々としか採取できないから、希少だしな。


 「クトラ自治区か…近付かなきゃ問題はないか。とは言え、フフホトにはかなりの数のクトラ人がいるよな」

 「うん。だから、申し訳ないけどフフホトが近付いてきたら、大神殿の紋章は隠してもらわなきゃいけない」


 神官服は上から外套を着れば目立たないし。

 30年前。クトラを滅ぼしたアステリア聖女王国はもうない。アステリア聖王国にその罪はないと言ってくれる人もいれば、アステリアの名を聞くだけで激しい感情を湧き出させる人もいる。それを責めることは絶対にできない。

 思う存分甚振って殺したからもう興味がない、と言えるうちの祖父ちゃんみたいなほうがおかしいだろう。


 「とは言え、アステリア人は見かけ次第攻撃する!って人はさすがにほとんどいないし、あんまり出歩かなきゃ大丈夫だろう」

 「ファンの仕事はどれくらいかかるの?」

 「一日欲しいなあ。本当に大至急とか超重要なのは任せてある監督官ダルガチがやってくれてるし、俺の認可が絶対に必要なら親父か兄貴に貰ってる。ようは、そこまで重要でも急いでもないけれど、進めなきゃ困るし、かと言って親父たちの手を煩わせるのも悪い。そういう案件を片さなきゃいけないんだ」


 他にも要人との会談とかあるけど、その辺は急いでるからパスにしといてもらおう。ほんとは街の人たちの話とか聞きたいんだけどね。切実な要望があれば監督官が纏めといてくれてるはず。


 「一日なら、休養期間と考えときゃいいだろ。宿はどうする?フフホトのお前の館に連れ込むのはまずいだろ」

 「さすがにどう誤魔化しても誤魔化せなくなるしな。サライに着いた時点で、いつ頃にそっち行くから準備よろしくって伝令を送るから、その時一緒に宿もおさえといてもらうかな」

 「ファンも宿に泊まるのか?」

 「いや、俺は館だな。徹夜になるかもしれないし」


 暗殺者が襲撃してきたとき、他の宿泊客や皆を巻き込むのは避けたい。

 館の方もなるべく侍従官たちは出てもらったほうがいいだろう。

 巻き込みも怖いし、侍従官の中に暗殺者が潜んでいることを疑いたくはないけれど、俺とクロムだけならお互いの背中を気にする必要は無くなる。

 けど、クロムだけ護衛に連れてくと、コイツ絶対一睡もしないで見張るだろうし…翌日俺もクロムも徹夜明けでふらふらなのもなあ。うちのパーティはこっちに来てもらって、皆の護衛をガラテアさんとシドにお願いするか。


 「大まかなルートはこれでいいかな。あとはサライで最新の情報聞いて決定だ」


 長雨やなんかで道が荒れてるとかそういう情報があれば、フフノール路はやめて大公路を行くしかないわけだし。

 まずはサライ。

 竜騎士隊が帰還中寄っているんで、こっちがいつごろ到着するとかは予測がついているだろう。

 願わくば、国境のシムルグ河を越えでサライの西門をくぐった瞬間、号泣しているヤルト爺がいなきゃいいんだけれど。


***


 「おおう…」


 思わず漏れた声に、ロージー司祭がにっこりと笑う。


 「大丈夫。見かけは古いですけれど、おばけなどはでませんわ~」

 「いやあ、そうではなくてですね。思ったより…立派なお屋敷で気後れしたと言いますか」


 ガラント伯爵家の前に、俺たちはやってきていた。

 神殿の構え的に、なんと言うか小さめで瀟洒な建物を連想していたけれど…見上げる門の先には広大な庭があり、さらにその先には二階建ての屋敷がどどーんと聳え立っている。

 門を構築する石積みは随分と古い。夕暮れも終わりかけた明るさでははっきりとは見えないけれど、ウルズベリの歴史より古そうだ。


 「当家の屋敷マナーハウスを端っこに置いて、ウルズベルの町を拓いたんですの~。ですから、この屋敷はウルズベリよりお爺ちゃんですのよ~」

 「ああ、なるほど…」


 司祭の姿を見つけた門衛が門を大きく開き、従僕フットマンが三人、駆け寄ってくる。

 俺たちの姿を見て一瞬怪訝そうに眼を細めたが、すぐに頭を下げて腰を折った。


 「お客様です。オリバーへ報せて頂戴な~」

 「かしこまりました」


 一番後ろにいた一人が顔をあげて、きびきびと走り出した。それを見て司祭は満足そうに頷くと、手をあげてお屋敷を示す。


 「さあさあ、お待たせしてお身体も冷えてしまったでしょう~?お家で温かい飲み物をお出ししますわ~」

 「腹も減ったな!」

 「うふふ、夕飯を早くと伝えますわね~」


 嬉しそうに言って、司祭は屋敷へと続く道を歩き出す。その左右に従僕が付き、こちらをやや警戒した視線で見ていた。

 まあ、若い女の子たちの護衛がアスラン人の男じゃ警戒もするよな。どうやって知り合って雇ったのかわかんないだろうし。

 

 一番前にいたのがレイブラッド卿なら少しは違ったかもしれない。

 騎士神殿から出てきた彼の顔は、昼よりもずっとすっきりしていた。願わくば、彼が一生騎士神本体と邂逅しないことを祈ろう。また信念の土台がぐっらぐらに揺らぐどころか崩れ落ちる。

 歴代の灯の騎士たちはどうやって想像と現実の乖離を乗り越えたんだろう。やっぱり、かなり衝撃を受けたりしたんだろうか。俺たちにだけああいう態度ってことは…ないよなあ?


 そんなことを考えながら司祭の後を付いて歩いていくと、屋敷の正面扉が内側から開き、年配の男性が出てきて一礼した。


 「お帰りなさいませ。そして、ようこそおいでくださいました」

 「執事のオリバーですの~。何かお困りのことがございましたら、彼に言ってくださいな~」

 「今晩お世話になります。よろしくお願いします」


 こちらも一礼すると、オリバーさんは品の良い微笑を浮かべて頷いてくれた。内心どう思われているかはわからないが、とりあえず話が通じる奴らだと思えてもらえたならいい。

 

 「オリバー、暖かい飲み物のご用意を~」

 「かしこまりました」


 オリバーさんはちらりと俺らを見て、再び一礼して踵を返す。近くに控えていたメイドさんになにやら伝えていた。

 あの視線は、俺らが肩や背中に担いだ荷物を降ろす気も任せる気もないと見て取ったんだろう。集まっていた従僕たちへ軽く手を振る。それを受けて、彼らはささっと散っていった。


 扉を潜ると、まずは広々としたホールが待ち構えていた。中央には薔薇が生けられたカーラン製の大甕があり、その上には蠟燭に火がともされたシャンデリアがぶら下がっている。

 つやつやに磨かれた木の床は、その明かりを宿して仄かに光って見える程だ。

 その甕の向こうには二階へと続く階段があった。途中で二手に別れる構造は、まるで翼を広げた白鳥のようだ。こちらも磨きに磨かれた白い手すりがそう連想させるんだろう。

 階段の踊り場の壁に掛けられた絵画は、雲を踏み朝日を手繰っているように見える女神アスター。微笑む顔は少女のようで、神像によく見られる甲冑や剣も身に着けておらず、青空の色をしたドレスを纏っている。


 「このあたりでは珍しくないモチーフなのですよ。非武装の女神は」

 「そうなんですか?」

 「はい。西に行くにしたがって戦女神の性格を帯びてくるんですが…」

 「へえ~。アスランでも武装した姿の神像でしたよ」

 「おそらく、それは西方の商人が持ち込んだモチーフだと思うのですよ。いやあ、アスランの図書館へ赴いて、そのあたりの書物を見るのが楽しみです」

 

 説明してくれたロットさんが、うっとりと目を細める。その気持ちはよっくわかるので、大きく頷いた。


 「神学系なら、北西地区にあるガダラ図書館がいいですよ。もとはラヤ教の高僧であるガダラ師が、他の神々の教えも尊いものであるとして集めた経典などを収蔵していた書庫だったんですが、その死後、六代大王の御代に王家が買い上げて公開したんです」

 「是非!是非行きたいです!なあ、ウィル!」

 「え、えと、僕はアスランの文字はまだ読めないんですが、大丈夫でしょうか?」

 「タタル語で書かれた書物だけじゃないので、入り口で辞書を貸し出してくれますよ。西方語の辞書もあるから大丈夫…と思います」


 辞書引くことに慣れてないと全然進まないかもだけれど。

 まあ、西方語の本もあるから辞書見てるだけで閉館時間になりました、なんてこともないだろう。

 そう答えると、ウィルさんは頷いて…少しばかり、まだ何か言いたそうだった。やっぱり辞書を引きなれてないのかな?


 「あ、あの!」

 「はい?」

 「ぼ、僕も、その、呼び捨てでいいです!ファン…さん、年上ですし!」

 

 ああ、そっちかあ。もしかして、神殿で会うたびに複雑そうな顔をされてたの、そのせいだったかな?

 

 「わかった。ウィル。これでいい?」

 「…はい!」

 「ロットさんは…」

 「私は呼びやすい方で。これでも来年27ですから、きっと年上でしょうし」

 

 それなら、ロットさんはこのままでいいか。同い年くらいかと思ってたけれど、ばっちり年上だな。


 「さあ皆さま、こちらへいらして~」


 俺たちの会話がひと段落ついたのを見て取って、ロージー司祭が歩き出す。向かうのは、向かって左側にあるドアだ。おそらく、客人をいったん通す待合室なんだろう。

 横で待機していたメイドさんが、一礼してドアを開ける。にっこり笑ってそのメイドさんへ頷きかけ、司祭はトコトコと部屋の中へと進んだ。


 「おおおう…」

 「何故驚く」


 思わず漏れた声に、ガラテアさんが不思議そうに聞いてきた。

 うん、驚いてるんじゃなくて、すごい部屋だから気後れしてるだけです。靴脱がずに上がっていいのかなあ?


 部屋の中には、四組のテーブルとソファが置かれ、暖炉には明々と火がともっていた。床はおそらくホールと同じ磨かれた木床なんだろうけれど、アスラン製だろう絨毯がどっしりと引かれていて見ることはできない。


 壁際にはチェストが置かれ、ここにも秋薔薇が飾られていた。他にも絶対にユーシンを近付けたらいけない系の調度品が、せわしくない程度に置かれている。

 つまりは、お金持ちの部屋だ。いや、入る前からわかってたけれど。

 

 「さあさあ、お座りくださいな」

 「あの、さっき芝生に座ったから尻とかちょっと汚いんで…」

 「ちっとも汚れたように見えませんわ~。お気になさらず」


 後ろのメイドさん、ちょっと顔が嫌そうですけれど?

 まあしかし、「いえ、床に座ります!」とか言ったら、ロージー司祭なら「まあ面白い!」とか言ってご自分も座りかねない。ここはこの、どこをどう見ても高価そうなソファに座るしか…ない、な。

 せめて手巾でもおこうかと思っていると、じとっとしたクロムの視線にぶつかった。

 

 「良いからさっさと座れ」

 「いやでもな?」

 「おい馬鹿。お前から座れ。一番きたねぇ奴が座ったの見ればこいつも腹くくるだろう」

 「一番汚いのはお前の性根だが、いいだろう!」


 すっとんと近くのソファに腰を下ろし、ユーシンは足を組んだ。まあ、そうしていると物凄く王子様っぽい。いや、王子様なんだけど。


 「良い座り心地だ!」

 「ほら、諦めろ」

 「はい」


 恐る恐る、ユーシンの向かいになるべく浅く腰を掛けると、肩を後ろから牽かれて背凭れに激突した。クロムひどい。

 柔らかいソファの感触に、尻についているであろう枯草や泥が気になりまくるが、立ったら激怒されそうだしな。ごめんね、メイドさん。

 座るとともに、従僕さんが「外套をお預かりします」とやってきた。主に汚れているのは外套だし、確かに脱いじゃえばまだマシだな。そう思って預ける。


 「一応聞くが、ファンは大都で家族と暮らしていたのだよな?」

 「自分ちは自分で掃除できるじゃん…」


 不思議そうに問いかけるガラテアさんにそう答えると、横の席に腰かけたクロムが苛立った溜息を吐き出した。

 

 「本当に、どうしてこうなんだろうな?紅鴉宮の方がはるかに金がかかっているだろうに」

 「自宅だからと言って俺が心底寛げるかと言えば、そうでもないんだぜ?」


 俺が心底気を抜いていられるのは、自室と執務室くらいのもんだ。何故なら、家具は自分で選んで入れたし、購入費用も自費だからな。

 まあ、王侯貴族は高価な家具を買わなきゃいけないのは理解しているよ。売れなければ作る人もいなくなり、それは技術の衰退に繋がる。

 だから俺が使わない部屋はちゃんと超豪華だ。ユーシンとユーナンが止まりに来た時に使う部屋なんて、机は紫檀に象牙、寝具は絹と絹毛山羊の毛布で、絨毯は職人が十人、一年がかりで織りあげたと言う代物。 

 勿論、全くユーシンは気にしていない。ユーナンは褒めてくれるけれど、俺みたいに気後れはしない。王子だしな。


 クロムが再び苛立った溜息を漏らしたと同時に、二人組のメイドさんがワゴンを押しながら入ってきた。


 ロージー司祭は暖炉の横の椅子に座り、ロットさんらもその傍に。ナナイと女の子たちは奥のソファできゃっきゃっとはしゃいでいる。そこに交じるエルディーンさんの後ろに、直立不動で騎士が立っていた。


 メイドさんは、どのグループからお茶を配ろうか一瞬悩んだらしい。その迷いを感じ取って、ロージー司祭が俺たちを手で示す。

 

 「ファン様達へまずはお配りして頂戴。少々お外で待たせてしまったから、きっと冷えてしまっているわ~」

 「あ、いえ、それならまずはナナイに。俺らは大丈夫ですから」

 「そうですの~?それなら、若い乙女たちにまずはお配りしましょうか~」


 司祭の指示にメイドさん達はほっとした顔で頷き、ワゴンを押していった。一人がカップをテーブルに置き、もう一人が銀色の大きなポットを傾けていく。

 少女達からありがとうございますとお礼を言われ、メイドさんはゆったりと腰を曲げて一礼した。そして、今度はこちらへ向かってくる。


 一瞬止まったのは、ソファに深々と身を預け、悠々と足を組むユーシンを見ちゃったからだろう。その王子様の頭の中は、いつ食事が始まるのかってことで占められてると思うけど。


 「おモテになりよって…」

 「落ち着けヤクモ…あ、ありがとうございます」


 俺の前にもカップが置かれ、その白い陶器の中に湯気が立つ飲み物が注がれていく。

 とろりとした紫色と立ち上る芳香は、ホットワインであることを教えてくれた。

 司祭にも目礼を送ってから口をつけると、濃厚な甘さが口に広がる。酒精は飛んでしまっているが、喉を通って胃に落ちると、全身がほんわかと温まるのを感じた。


 「美味い」


 さっきまでのいら立ちは消え失せて、クロムが心底嬉しそうな呟きを漏らした。この甘さは、葡萄酒に蜂蜜や果物を入れて煮出したものだろう。濃厚だけれどしつこくはない。


 「ほんと、おいしーねぇ」

 「腑が温まった!腹が減った!」

 「もうすぐお食事ですわ~。あと少しだけ、お待ちくださいね~」

 「うむ!待とう!」


 食事か…どんな感じで出てくるんだろう。

 アスラン式にドーンと並べられて、さあさあ食いなさいなら良いんだけれど、まずは前菜とそれをつまみにお酒飲んで会話を楽しみ、ある程度済んだところで次のおかず、また食べ終わって会話、んでもってスープとパンが出てきて、メインディッシュ…みたいなのだと、最初の行程で暴動が起きる。


 ちょっとはらはらしつつもホットワインに舌鼓を打っていると、ドアが開いて執事さんが現れた。


 「お食事のご用意が整いました」

 「義姉さま、わたくしに作られてくれませんでしたのよ~」

 「大先生が張り切りすぎてお客様を放っておくからですね」

 「まあ~。だって、おもてなしはお兄様にお任せしたらよいでしょうに~」

 

 もう~と笑いながら拗ねて、ロージー司祭は立ち上がり、歩き出した。ロットさんに視線で促され、その後に続く。あれ、もしかして、俺が主賓の扱いなのか?

 まあ、パーティリーダーだしなあ。気合い入れるか。


 案内されたのは、階段の左手側に開けられたドアの向こうだった。

 いったん廊下に出て、メイドさんらが頭を下げて立つ前を緊張しつつ通り、位置的には玄関の正面、階段の裏になるだろう扉を潜る。


 予想通り、そこは豪華な大広間だった。

 壁には絵がかけられ、床にはふかふかのじゅうたんが敷かれ、艶やかな黒さに磨き抜かれた巨大な長机がどっしりと置かれていた。

 その上には銀の燭台が真っ白い蝋燭を立てられて並んでいる。つい先ほど火を入れられたのだろう。蝋は垂れた様子もない。

 机の上の燭台がなくても、天井から吊り下げられたシャンデリアの灯で十分室内は明るく照らし出されているけれど。

 

 そして、その長机の一番奥、つまりは屋敷の主人が座る場所には、すでに人がいた。

 当然ながら、彼がガラント伯だ。そうでないはずがない。

 

 豪奢なガウンを纏い、染みひとつないシャツには金の鎖が飾られている。ただ、その顔に俺は間違いなく見おぼえがあった。


 「え…ケーキ屋の…」

 

 流石に上ずった声に、伯爵はにんまりと笑った。

 その顔は、どう見ても昼間立ち寄った、ケーキ屋の店主。


 「ようこそ、歓迎しよう。若き冒険者たちよ」

 

 両手を広げ、朗々と述べる。その声はやっぱり、珍しい牛について熱弁していた声そのもの。


 「ま、はじめましてではないがね。どうだい?焼き立てのケーキは冷めた奴より美味かっただろう?」

 「え、ええ。そりゃもう…」

 「わはは、驚くのも無理はない。だが、世には不思議が満ち溢れている。どこかの王子が身分を隠して冒険するのならば、伯爵が牛を育てて乳を搾り、ケーキを売っていても不思議ではあるまい?」

 「…!」


 それは、確かにわかりやすい比喩だ。

 邪悪な怪物や領主を討ち果たし、人やお姫様を救った旅人が実は王子様でした、なんて御伽噺はごまんとある。

 けれど、今、ここでその例えを出すのなら。


 伯爵は、俺を知っている。


 「さあ、おかけくださいな~」

 「はい。では、失礼します」


 伯爵が、もし、俺を殺す気ならここで仕掛けてくるだろうか。

 例えば、毒を盛る?いきなり兵が乱入してくる?


 いや、ない。それはない。

 大神殿の使者を巻き添えにしてまで、ここで仕掛ける意味はない。

 それは大神殿とアスランを同時に敵に回す行為だ。そんなことに気付かないほど、アレな人じゃないだろう。


 執事さんが案内してくれた席は、伯爵を右斜め前に見る席。腹をくくって天鵞絨張りの椅子に腰かけると、伯爵が目を細めて頷いた。


 「宿と食事供してくださり、ありがとうございます」

 「いや、こちらこそドノヴァン大司祭の最期を看取った冒険者を招けたことを嬉しく思う。ご婦人の前では語れない冒険譚もあるであろうから、後でじっくりと聴かせてもらうとして、今この場では牛について語っても良いかな?」

 「お断りしていただいてよいですよ。この方は牛の話をしだすと夜が明けてしまいますから」


 苦笑交じりの声に、伯爵は首を竦めて俺たちとは違うドアから入ってきたご婦人を迎えた。伯爵と同じガウンを羽織っているし、きっと伯爵夫人だろう。立ち上がってその手を取り、屈んで額につける。


 「あらまあ。若くて素敵な殿方にそんなことをされてしまうと、ときめいてしまいますね」

 「迷惑ならそう言っていいからな。はしゃぐような年ではあるまいに」

 「良いじゃないですか。牛ではしゃぐよりは」


 そんな軽口を叩きながら席について、くすくすと笑う。仲の良いご夫婦だな。ロージー司祭も含めて、人の好さがほんわりと漂う、そんな一家だ。

 けれど、油断はできない。油断をするべきじゃない。…だけど。

 

 うん。やっぱり、問答無用で暗殺なりを企むようには思えない。油断はできないけれど、警戒はしない。そう決めた。

 俺の隣の席に腰を下ろしたクロムが、完全な無表情になっているけれど。そっと手を伸ばして、膝の上で硬く握られた拳を叩く。

 クロムにしか聞こえない程度の声で持ち掛けるのは、ひとつの提案。


 「武器を取り上げられていない。それをもって、ある程度信頼しないか?」

 「…まあ、な」


 さらに毒殺なりする気なら、さっきのホットワインに仕込まれてるだろう。遅効性の毒ならわからないが、今のところ身体に変調はない。

 クロムの剣…腰の安物も、背負った『紅鴉の爪(ナランハル・ホロウ)』も、「お預かりします」とさえ言われていないし、ユーシンも槍を足元に置いている。横のヤクモが少々邪魔そうにしているが、何かあれば足で跳ね上げてすぐに手に取れる場所だ。

 俺の弓は弦を外してただの棒になってるから、何かあってもつっかえ棒くらいの役にしかたたないけどな。一応手元にあるけど。

 

 「失礼、伯爵。弓をお預けしても?」

 

 そう、俺の弓は、今はただの棒だ。

 だから、手放しても問題はない。ある程度の信頼の証として。


 「勿論。お預かりしよう」

 

 そつなく俺に向かおうとした執事さんを視線で制し、伯爵は自ら席を立って手を伸ばしてきた。俺も立ち上がり、そのごつごつとした手に、布で巻かれたシドウの大弓を渡す。


 弓を渡す。


 それはつまり、「あなたを味方として信じる」という意思表示だ。

 弓を受け取った伯爵は、ゆっくりと俺の目を見て頷いた。俺が誰であるか知っているのなら、シドウの大弓がどんなものか、アスラン王家の者が弓を渡すとはどういう意味かも、よく知っているだろう。

 味方と思わせておいて、宴席で裏切る。それをアスラン王家に仕掛ければ、どれほど苛烈な報復が待っているかも。

 

 一番最近それをやった人は、自軍の兵の屍を山と積み上げられ、その前に立ったアスラン王(じいちゃん)一太子おやじに、素っ裸で叩頭礼をさせられた。それでも、殺されなかったのが凄いとむしろアスラン国内では評判が上がったほどだ。

 大混乱になっていたカーラン皇国をほぼ一人でまとめ上げて、まがりなりにも秩序ある状態まで持って行った人だからなあ。ここで殺すとまたカーランが大荒れになって、東方交易が止まることを憂慮した結果らしい。


 それでも弓を受け取るなら、伯爵は味方か、それでも何とかなると思っているか、俺が誰かとか全く知らないかのどれかだ。

 三つに二つは何の危険もないわけだし、どれにしても調べることはできない。なら、「良い人だなあ」っていう第一印象に従ったっていいさ。


 伯爵は俺の弓を、そっと自分の席の後ろの壁にある壁掛けに乗せた。本来なら伯爵家に伝わる剣や槍を掛けておくための場所だ。

 それで気付いたけれど、何もそこにかかっていなかったって言うのは、逆に伯爵側は武器を向けるつもりがないって言う意志表示…なのかな。大広間には執事さんやメイドさんが畏まっているけれど、騎士や衛兵の姿はない。


 「ありがとうございます。伯爵」

 「なんのなんの」


 鷹揚に笑いながら、再び伯爵は席に着いた。それを待っていたかのように、メイドさんたちが席に置かれていた銀の酒杯ゴブレットへと瓶を傾けていく。こっちは温めていない葡萄酒だな。ユーシンとヤクモ、大丈夫かなあ。

 

 「今、お注ぎしておりますのは、当家の農園で取れた葡萄を絞ったものです。お酒ではありませんが、どうぞ一口、飲んでみてくださいな」

 「それは楽しみです。俺自身、あまり酒が得意じゃないので、ありがたい。せっかくの料理の味がわからなくなったら勿体ないですから」

 「よくお食べになると義妹からお聞きしまして、たっくさん作っておきましたの。遠慮せずに召し上がってくださいませね」

 

 伯爵夫人は楽しそうに笑い、酒杯を持ち上げた。それを横目に見て、伯爵が「こら!」という顔を作って同じく酒杯を取る。本気で不快に思ってはいないってことは、夫人へ向ける視線の暖かさで見て取れた。


 「さあ、夜は短く、食事を我慢して耐える空腹は辛い。盃を干し、胃袋を満たそうではないか!」


 全員の盃が満たされたのを見て取り、伯爵が朗々と告げる。


 「乾杯!」


 伯爵の音頭に合わせて盃を掲げ、口へと運ぶ。銀のひんやりとした感触と共に、するりと舌に乗ってきたのは、さっきのホットワインと同じ色合いの甘み。

 ただ、ホットワインよりずっと爽やかな甘さだ。確かに、食前に良いなあ。


 「美味い!」

 

 あっという間に飲み干したユーシンが満面の笑顔で騒ぐ。すぐにするりとメイドさんがやってきて、空いた杯を満たした。


 「醗酵したほうが良ければ言ってくれ。そちらも自慢のものがあるよ。試してみるかね?」

 「では、俺と隣の者は試させていただきます」


 酒があまり得意じゃないのは確かだけれど、一杯くらいなら礼儀としていただくべきだよな。馬乳酒と麦酒ならいくらでも飲めるんだけどね。

 ユーシンとヤクモはこのままのほうが良いだろう。ガラテアさんとシドはどうする?という意味を込めて視線を向けると、こくりと頷かれた。


 「私と弟もいただこう」

 「よしよし。オリバー、勇気ある方々にお注ぎしてくれ」

 「かしこまりました」


 いつの間にか手にしていた瓶をもって、まず執事さんは伯爵夫妻の酒杯へと濃紅の酒を注いだ。次に俺、クロムと順に廻っていく。

 シドの盃に注ぎ終え、執事さんが伯爵の後ろへと戻ったのと同時に、料理が運ばれてきた。


 お盆かと見まごうような木の皿の上に、ドンと鎮座するのは鳥の半身。なんだろう、鶏じゃない匂いだ。鴨かな?

 その左右にはとろっとした黄色いソースが掛けられた焼き野菜と、ジャガイモと肉が層を作っているのが切断面から見えるパイが並んでいた。とんでもなく食欲を刺激する艶やかな焼き色が、魅惑的すぎる芳香を漂わせている。

 続いて置かれた深皿には、具は肉しかないのかなと思うようなシチュー。きっと、伯爵自慢の牛乳で造られているんだろう。入っている肉は豚肉っぽい。

 

 「パイとシチューは遠慮なくお替りしてくれ。さあ、食事を始めよう!」

 「ありがとうございます。伯爵。控えめに言ってものすごく美味そうですね」

 「一口入れれば、控えめに言って最高だに感想が変わるよ?君」


 まずはシチューを銀のスプーンですくい、口に運ぶ。

 牛乳のコクがとんでもなく強い。具はおそらく玉ねぎと豚肉だけだ。それなのに、単調な味にならず旨味がガツンと舌に来る。


 「言葉を惜しんで言うならば、最高ですね」

 「だろうとも」


 にやりと伯爵は笑って、パイに被りつく。そっちもどう見ても美味そうだ。

 当然ながら、パイも、家鴨…鴨じゃなかった…のローストも、クロムとユーシンが取り合いを始めないか不安になるほどうまかった。パイがお替り自由なのが功を奏したらしく、二人とも大人しく猛烈に食うだけで醜態を見せずに済んだ。

 けど、特にこれ。この焼き野菜。

 人参とジャガイモと玉ねぎ。何の変哲もない野菜なんだけど、かかっているソース…チーズソースが実に美味い。

 伯爵に何の牛のものか、後で聞いてみよう。

 とりあえず食事中に話すと、一般的な話題を振ってくれてる夫人に悪いからな。

 俺にだって、その程度の分別はあるんです。


***


 美味くてお替りできる食事と言うのは、本当に素晴らしい。

 十分な質と量を堪能したあと、伯爵は「冒険の話を聞かせてくれないか?女性には刺激の強いものだろうから、別室で」と布巾で口を拭きつつ強請り、俺はそれに頷いた。

 わざわざ女の子たちを遠ざけるってことは、おそらく冒険の話じゃなく、ナランハルと話がしたいって事だろう。

 それを裏付けるように、ロットさんとウィルを、さりげなく執事さんが別室へ誘導している。


 「私も冒険譚には興味がないから、遠慮しよう。弟には聞かせてやってくれ。あまり怖い話だと困るがな」

 「…姉さん」

 「なに、オーガが出たくらいなら弟一人でなんとかできる。私もな」


 俺を見て微笑むガラテアさんは、言外にナナイ達を護衛すると言ってくれている。同時に、シドを俺の護衛に連れて行けと。

 ありがたく、その好意は受け取ろう。危険はないと判断はしているけれど、備え油断しないのは悪い事じゃない。


 「では、こちらへ。では、メグ。女性(レディ)らと敬虔なる神の使徒に食後の茶を頼んだよ」

 「ええ。任されました。あなたもあまり話をせがんで、お客様から夢見る時間をとりあげてはいけませんよ?お疲れなのですから」

 「わかっとるわかっとる。わしの朝も早いからな。牛は寝坊してくれんから」


 あのゴツゴツした手から見てそうかなと思っていたけれど、牛の世話も伯爵みずからしているみたいだ。その辺も好感が持てるよなあ。

 この辺は俺の感覚がおかしいんじゃなく、アスランじゃ王族であっても家畜の世話をするのは当たり前で、しない、出来ないのは人としてどうかって言うくらいの目で見られる。

 親父や兄貴だって毎朝、馬を放ちに行くし、日がくれる前には集めに行く。母さんは乳しぼりをして、ウルムを作る。羊の毛を刈る季節は、家族総出で挑む。

 俺も実家に居れば毎日することだ。他にも世話はいっぱいあるけれど、さすがに全部やってたら王様の仕事が滞るんで、この程度だけれど。

 ただ、あんまりにも疲れると家畜の世話のついでに政務をして終わる日もあるけどね。まあ、十日に一回くらい…もっと短いかな。


 伯爵自ら背中を向けながら案内してくれた部屋は、一際細かい彫刻の施されたドアを二回抜けた先にあった。おそらく、屋敷一階の一番奥だ。

 部屋のドアは更に重厚かつ豪華な造りだった。廊下の壁に設えられた燭台、そこで火をともす蝋燭の灯に輝く金色は、たぶん本物の金。

 

 「あまり趣味が良いとは言えない内装で申し訳ない。流石に四代前の伯爵が鼻高々に拵えたものを取り換えるのは忍びなくてね」

 「百年前の話ですか?」

 「そうとも。我が先祖が、アスランの大東進のどさくさに紛れて、この地をアステリアのものとした時代の話だ」


 百年前、五代ジルチは猛烈な勢いでアスランと西方諸国の間に在った国々を攻め滅ぼし、東方と西方の境目はシムルグ河になった。

 かつてこの地に会ったカリフタン王国の東半分はアスランに飲まれ、西半分はアステリアの領地となり、それが今も続いている。


 「ジルチ大王の東進が止まったのは、決して我が先祖の功ではないがね」

 「いえ、与しやすいとふめば攻め込んだでしょうから。それ以外の手を取らせるほど、有能な方だったんだと思いますよ」

 「そう言っていただけると子孫も鼻が高くなりますな」


 ドアは、軋みの一つもなく開いた。

 伯爵はガウンを揺らしながら中へと進み、室内でドアを抑える。


 「さあ、どうぞ。お会いしていただきたい方がおられます」


 伯爵の空気と口調が変わっている。人好きのするおじさんから、背負うものに相応しい初老の男性へと。


 どの部屋よりも毛足の長い絨毯を踏んで、室内へと進む。

 中には中央へ向けて囲むようにソファが置かれ、そしてその前に膝をつく姿。


 「ナランハル。千歳申し上げる」

 「ありがとう。顔をあげてくれ」

 

 その人が、張りのある声を放った。俺の許しに上がった顔に見覚えはない。けれど、彼がどういう人なのかはわかった。


 眉の上と目の下、頬に入れられた刺青。

 それは、クトラの戦士の証だ。


 「拙者は、クトラ傭兵団に属すヒナリと申します。ナナイ様をお守りしてまいりました」

 「ああ、やっぱり。ナナイの護衛は引き継ぐので、安心してくれ」

 「御意」


 ウルガさんがナナイ達をひそかに護衛させていたクトラ傭兵団の、隊長さんだ。いや、兄貴が直に雇ってウルガさんの私兵にと手配したんだから、将軍クラスだな。


 「む!クトラの勇士か!」

 

 ひょこっと俺の後ろから顔を出したユーシンに、ヒナリさんは俺の時よりもさらに深く頭を下げた。

 ユーシンの母上はクトラの姫君だからなあ。クトラの民にとっては一つの希望だ。

 流石にユーシンがクトラを復興する王にはならないとしても、その子や孫が、白雲宮を氷竜から奪還し、クトラ王国を再建することを願う民は多い。たぶん、ヒナリさんもだ。


 「ユーシン殿下…!お会いできて光栄に存じます」

 「今は貴方に頭を下げてもらえるようなものではない!ただの冒険者だ!しかし、クロム!お前はヒナリ殿を見習え!同じクトラの戦士としてな!」

 「あ?お前に頭下げるくらいなら、お前の首を掻っ切って上に放り投げる。見下ろせて満足だろ?」

 「やれるものならな!」

 「やめなさいって…すいません、仲良しで」


 流石に目を瞬かせるヒナリさんに謝る。俺が謝る事じゃない気もするけれど。

 ヒナリさんは困ったように俺を見た後、クロムを見て、それから、頷いた。


 「善き友は、善き剣を上回ります。そのものが、紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)でございますか」

 「ああ。紅鴉の守護者、クロムだ」

 「代々の守護者の中には、必ずクトラの戦士がいた。今、貴様がそうであるのならば、先達の名を穢さぬよう心して励め」

 「自慢の守護者ですよ。コイツは」


 ヒナリさんの小言にもとれる言葉にそう返すと、クロムはぷいと視線を背けた。後ろで「あ、照れてやんの」と呟いたヤクモに襲い掛かろうとしたけれど、すかさずシドが止めてくれた。ありがとう、シド。


 「ウルガ殿の護衛にと参られた傭兵団の半数は、当家に滞在していただいているのですよ。もう半数は、王都近郊の村におりますが」

 「え?じゃあ、国境越えは伯爵が手を貸してくれたんですか?」

 

 俺の口調は、もう王子様モード崩壊しちゃってるけど、いいよな。無理に上から話そうとすると疲れるんだよ。年上相手ならなおさらだ。

 前はもっとなんとかなったんだけど、この一年ですっかり楽な方に流れたな…。自宅に戻ったらまた頑張らねば。俺を甘やかしてくれる人ばかりじゃないし。


 「大したことはしておりませんとも。ああ、残り半数は、ナランハルがご活躍されたマルダレス山麓の村に駐屯しておるのですよ」

 「ええ!?あそこに!?」

 「然り。中腹の廃墟を手直しし、いずれはそこを拠点として駐屯する予定に御座ります。今は拠点の手直しと、うち捨てられた者たちの骸を集めております」

 「そっか…」


 山の斜面に、無造作に投げ捨てられていた遺体。散らばる骨。

 その収容をやってくれているのか。

 アステリアに、故郷を滅ぼされたこの人たちが。


 「その行い、ヘルカとウルカも喜ぼう!俺も素晴らしいと思う!」

 「勿体ないお言葉。戻ってユーシン殿下よりお褒め頂いたと伝えれば、皆も喜びましょう」

 「此処がキリクなら、酒と肉を持たせてやれたのにな!ファン、サライで買って手配はできないか!?」

 「うん。連名で贈ろうか。きっと伯爵も手を貸してくださるだろうし」

 「むろん。できれば、ナランハルが信頼できると思われた商会を通していただければ、こちらも付き合いが広がって大変ありがたいと存じます。さらに言うならば、牛に強い商会なら何より」


 牛、かあ。

 酒や肉は食べて飲んだらなくなるし、生きている牛を贈るのはありかもなあ。

 マルダレス山なら十分飼えそうだ。立ち去る時には村に譲ってもいい。

 毛長牛は夏を越せないだろうから、他のだな。種牛と、牝牛を合わせて五頭くらい?


 「むしろ、牛に強い商会なら、伯爵の方が詳しいんじゃ?」

 「アスラン側の商会はなかなか…できれば、肉質が素晴らしいと噂の、ヒタカミの牛を手に入れたいのですがね」

 「それはさすがに難しいかも。メルハのコブ牛ならなんとか?」

 「おお!良い!良いですな!」

 

 他にもいくつか牛の種類を言い合っていると、いくつかの視線が突き刺さった。うん、ごめん。でも、俺のせいだけじゃないと思う。

 

 「あー、コホン。さて、ナランハル。ヒナリ殿に来ていただいたのは、護衛の引き継ぎの件もありますが、これで多少は当家を信用していただけるかと思いまして」

 「そ、そうですね!クトラ傭兵は信義で動く。それにクトラ傭兵が滞在しているなら、兄貴の息もかかっているって事、ですよね」

 「ラバーナの領主は、代々の一太子と良好な関係を築きたいと思っておりますからな」


 ラバーナの目と鼻の先、サライは代々の一太子が治める直轄地だ。当然敵対したくはないだろう。

 

 「むろん、トール殿下には何度かお目通りもさせていただいております。非公式に、でございますが」

 「次会う時は、あのケーキを持って行ってやってください。すごく喜びます」

 「焼き立てを味わっていただきたいですから、ラバーナで焼きましょう」


 伯爵への信頼度と好感度が爆上がりしそう。兄貴に気に入られたくて、金銀財宝に名馬や美女を送りつけようとしては拒否られる人々がちょっと可哀想ではある。

 でも、贈る相手の好みも知らずに要らないものを贈るのは、むしろ嫌がらせだしね。ちょっと調べれば兄貴が無類の甘党ってことくらい、わかりそうなもんだし。


 「さあ、お掛けください。明日ラバーナへ参られた後についての話をいたしましょう」


 伯爵とヒナリさん、二人に勧められた席は、どう見ても主賓が座るやつ。

 最初の応接室の椅子よりも豪華なのがすんごく気が引けるけれど、クロムもじとっと見てるしな。

 諦めて腰を下ろすと、無言でクロムが左やや後ろに立った。それを見て、満足そうにヒナリさんは頷き、遠慮なくソファに尻をうずめたユーシンの傍らに立つ。


 「まず、通行証パイサについてはもう手配しております。ラバーナで待つ必要はございません」

 「え、ほんとですか!それはありがたい!」

 「明日、ラバーナに至ればすぐにサライへと向かえますぞ。ですが、申し訳ない。そちらの傭兵殿らの分が…」


 あー、シドたちが同行したのはかなり成り行きだからなあ。しょぼんと眉を下げる伯爵に、当のシドは首を振って見せた。


 「大丈夫。俺と姉はアスラン国民となっているから、通行証を持っている」

 「あ、そっか。なら心配ないな」


 伯爵の眉も上がった。

 ラバーナで待機しなくて良いのは何よりだ。何しろラバーナはアステリアで一番アスランに近い街。誘惑はたーんとあり、サライほど俺も詳しくない。

 物価の適正価格も分かんないから、ぼったくられてるのかどうなのか、判断つかないしな。


 「あとは、上を通るか、下を通るか、か」

 「上を通れるように手配はしておりますが」

 「上?下?」


 伯爵が苦笑し、ヤクモが首を傾げる。

 

 「まあ、それこそ座布団の穴より靴の穴。実際、明日見てみればいいさ。ヤクモ」

 

 あれは、説明するより見てもらいたい。

 明日、明日か。

 明日、もう、シムルグ河を渡れるのか。


 渡った先、そこはもう、アスラン。

 アスランだ。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ