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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
18/87

座布団の穴より靴の穴(百聞は一見に如かず)5

 「お、あれがウルズベリじゃないかな」


 クローヴィン神殿を出発して四日目。

 外海のように波打っていた丘陵はなだらかな平野になり、周囲は荒地ムーアから麦の畑へと変わってきていた。

 

 「うー、ぼくにはまだ見えないなあ」


 馭者台の隣に座ったヤクモが目を凝らす。

 無理はやっぱり良くないねということで、ヤクモの乗馬訓練は昼休憩前の少しだけにした。痛すぎて体が強張ると馬も落ち着かないし、落馬の危険も高まるしね。

 それでも、最初の二日は馬車の中で横たわって「おしりいたい…」しか言えなかったのが、敷物はあるとはいえ馭者台に座っていられるようになったんだから、着実に進歩してるよな。


 「まあ、すぐ見えるさ」

 「俺にも見えてきたぞ!あの、三角屋根があるところだろう!」

 「そうそう。アスター神殿かなあ?」


 麦畑に囲まれた道の先に、ぴょこんと飛び出すように見える黒い影。

 きっとあれが、ウルズベリの町だろう。

 

 この町や、その先のラバーナについて、シギクトが資料をまとめていてくれた。ざっと目を通しただけだけれど、ウルズベリの成り立ちや、ラバーナとの関係は分かったと思う。


 ウルズベリは、まだできて十五年程度のごく新しい町だ。

 何故、目視できるような近距離にもう一つ町を築いたのか。

 それは、ラバーナを訪れる交易商人が、ここ二十年で急速に増加した為だ。


 ラバーナからサライへは、距離にすれば完全にお隣さん程度。ラバーナの東城壁からサライの西城壁まで、大声を張り上げれば届く程度の距離ではある。

 東方と西方を分ける二つの街は、かつてこの地がカリフタン王国と呼ばれていたころには、同じひとつの街だった。街の中を今は国境となっているシムルグ河が流れ、アーナプルナの雪解け水は美しい銀の道となって住人や旅人を潤していたそうだ。

 

 それだけ近いのだから、サライへ向かう商人や旅人はすぐにラバーナを抜けるかといえば、そんなことはない。いや、出来ない。

 ラバーナを抜け、サライへ入るには短くとも二日。

 大荷物を持った隊商なら、五日は足止めを食らう。

 

 何故ならサライに入るためには、アスラン側の許可を得る必要があるからだ。


 隊商であればどんな荷を運んでいるのか調べられるし、そうじゃなくても何の目的でアスランへ入るのか、書類にして提出しなければならない。

 それでもアステリア側の身分証明書を持っていれば、審査の時間はぐっと短くなる。だいたい提出して二日後には、アスランへの入国許可証と通行証パイサが発行され、晴れてサライに渡れるというわけだ。

 この通行証がなければ、どこの町にも入ることはできないし、売買もできない。

 ラバーナとサライを経由せずにアスランへ入ったとしても、ひたすら野を往き草の上で寝る日々だ。もちろん、巡回する警備兵に見つかれば捕縛される。

 時間が多少かかっても、回り道をしてでも、商人たちは通行証を求めてラバーナを訪れ、発行までの時間を過ごす。


 そうなると当然、宿屋や食堂、酒場の需要は右肩上がりに増える。空き地には雨後の筍か春雷の後の草かという勢いで店が建ち、それでも足りないと悲鳴が上がる。ちなみに、十年ほどで一泊の値段は三倍以上になったそうだ。


 それは良いことではあるんだけれど、困ることもある。

 ラバーナに昔から住んでいる交易に関係ない人からすれば、うるさいし治安は悪くなるし、なのに自分の懐は潤わない。そうした古くからの住人に嫌がらせをして追い出し、土地を手に入れようとする輩まで出てくる始末。


 そこでこの辺りを治めるガラント伯爵が、親戚一同家臣一同の反対を押し切り、神殿や冒険者ギルド、役場の一部などを移設して作ったのが…このウルズベリの町だ。

 交易に関わりのない人や、近隣に農地を持つ人や役人も、多くはウルズベリに移住して、今では完全に棲み分けが出来ている。


 冒険者ギルドなんかはラバーナに残した方が良かった気もするけれど…それについて、ウルズベリとラバーナの位置関係を見たウー老師は、戦力の分散のためでしょうなあと推測していた。


 ラバーナから見てウルズベリはやや北西にある。

 もし、ラバーナを攻略しようとすれば、決して無視できない距離だ。


 同時に囲むには相当の兵力が必要で、ウルズベリを無視してラバーナ攻略に掛かれば、ウルズベリから出撃した兵に背後や側面を突かれる。

 逆にウルズベリだけをまず墜とそうとすれば、ラバーナからの援軍によって挟撃される。こういう出城が一つあるだけで、都市攻略の難易度は跳ね上がるわけだ。

 

 ただ、位置関係からわかる通り、ラバーナが警戒しているのは東から攻め寄せるアスラン軍じゃない。

 アスランを迎撃するなら、国境の川沿いに作る。今の位置では東から軍を進めれば、ラバーナ、ウルズベリと順繰りに攻略すればいいだけだからだ。あくまで西から攻撃を受けた時、ウルズベリは出城としての真価を発揮する。


 西から攻撃を受ける時。

 それは、アスランとアステリアが戦端を開くか、アステリアが他の国に攻め落とされ、東方国境までその軍が押し寄せた時。

 

 ガラント伯爵は「その時」に、アスランへ降伏する密約をすでに捧げている。

 その代わり、ガラント伯爵領での略奪や税の徴収は一切禁止。アステリアへの交渉は必ず当代のガラント伯爵を伴う事、という条件付きでの降伏だ。

 

 実際にお会いしたことはないけれど、資料の通りガラント伯は「実務的で信頼に足る」人物なんだろう。アステリア聖王国への忠誠よりも、民の安全を重視している。

 ガラント伯爵家の繁栄だけを考えるなら、アスランに降伏した後はアスラン王国内での地位や財産の安堵を申し出てもいいはず。

 けれど、彼が付けた条件はあの二点だけ。

 まあ、アステリア側から見れば、「裏切り者」であることは変わらないんだけど。民の安全を第一に考えている姿勢は、俺がアスラン人だからかもしれないが、好感が持てた。


 実際、ここに向かうまでに経由してきた村での領主に対する評判は上々だった。

 灰色丘陵を抜け、ガランド伯爵領に入っても村の人たちの纏う雰囲気が一変したということもなく、わりと余裕のある暮らしぶりが見て取れたし、旅人にも慣れているようで、各村には宿屋もあった。

 いつも稼働しているわけじゃなく、お客さんが来た時だけ宿を開けるそうで、ベッドやシーツは少々埃臭かったけれどね。野宿よりはずっといい。ユルクはさすがに積んできていないしな。

 

 頼りになる領主のもと、急に賑やかになった街に戸惑いつつ、日々を穏やかに過ごせる。

 俺がこのあたりの土地に抱いた印象は、そんな感じだ。間違いなく、住むには良いところだな。サライも近いし。


 「あ!見えた見えた!ぼくにも見えたよ!」

 「うるせえ。わざわざ騒ぐんじゃない」


 クロムの文句を聞き流し、ヤクモは伸びあがって黒い影から三本の尖塔と城壁になってきたウルズベリの町を見た。この分だと、昼前には到着できるな。いい感じだ。


 食料はたっぷり分けてもらっていたけれど、実は昨日の昼に尽きている。

 朝、宿泊した村で食べたっきり、全員口にしたのは水だけだ。これでもう少し遠かったら、空腹は耐え難い状態になっていただろう。


 何故、そんな初歩的なミスをしたか。原因はただひとつ。

 紅鴉親衛隊に所属する厨官が腕によりをかけて保存食を作ってくれた。

 これが、実に美味かった。それだ。それが唯一の原因だ。


 作ってくれた味付き干肉を水から煮れば、沸いたころには肉の味と様々な香辛料が効いたスープになっている。

 ここに米を入れて煮れば粥になるし、別に作った麺をいれれば肉饂飩ツォイ・マフショルの出来上がりだ。

 保存がきくように、たっぷりの干果物と砂糖を入れて作ってくれた焼き菓子もついつい後を引く美味さで…たっぷり百枚くらいはあったと思うんだけど。


 まあ、美味しければ喰うよね。まして、野宿予定もなく、補給も難しくないとなれば、おかわりするよね。

 そして、気が付いたらあと一日を残して食料が尽きるという失態に繋がっているわけで。ハイ。反省してます…。


 「ナナイ達、もうついてるかなあ?」

 「どうだろ?日程的にはもういそうだけど」


 俺たちが王都を出てから、すでに十日以上経過している。まっすぐ向かっているなら、昨日か一昨日あたり着いたころじゃないだろうか。

 そんなことを話し考えながら進めば、道は途中で曲がっていた。

 道を外れてまっすぐ進んでも町にたどり着くけれど、こちら側には門がないらしい。壁にぶつかる。

 曲がった先には他の道があり、そっちの方が道幅も広いようだ。町に入る人、出る人。誰ともすれ違わなかったこちらの道と違い、けっこう人通りがあるな。


 その流れに突っ込まないようにタイミングを計りながら、町へと続く道に合流した。

 道の先にあるのは、それほど高くはない外壁と、開け放たれた門。

 門の上には、『ウルズベリ』と彫られた石板が壁にはめ込まれている。

 ずっと小さな農村ばかり見てきたから、随分立派な町に思えた。

 何しろ、門の両脇には門番もいる。久しぶりの光景だ。


 旅人たちは門番に留められ、畑から帰ってきたらしい町の住人たちは、気さくに挨拶をして中へと入っていく。

 止められると言っても、厳しい詮索はないようだ。少し話すと通され、荷のあらためまでされている人はいない。

 とは言え、多少は人の流れが詰まるのも確かで、俺たちも商人らしい二人連れの後ろに並んだ。


 「兄さんたち、アスランの人かい?」

 

 そのうちの一人が、荷物を担ぎなおしながら話しかけてきた。連れている驢馬の背には大きな籠がつるされているけれど、今は何も入っていない。これから、ラバーナかサライに買い出しに行くんだろうか。


 「ええ。そうですよ」

 

 肯定すると、うんうん、と頷かれた。心なしか嬉しそうだ。


 「俺らもね。サライに茶を仕入れに行くんだ。兄さんら、シャルミン食べたことはあるよね?あれ、美味いよなあ」

 「しゃるみん?」

 

 俺の隣でヤクモが首を傾げる。


 「食ったことないの?」

 「ぼく、アスラン人じゃないから。料理?食べもの?」

 「麺料理だよ。いろんな形態があるけど、だいたいはスープの中に麺と具が入っている」

 「えっと、うどん(ツォイショル)とは違うの?」

 「麺が違うんだ。サライに行ったら食べに行こう」


 正直、まだここでその名を聞きたくなかった。

 ちらりと見ると、クロムは顔を顰め、シドは目を閉じて天を仰ぎ、ユーシンは野生に還る直前の顔になっている。

 俺だって、名前を聞いた瞬間…その魅惑的な黄色い曲線を描く麺と、それがスープと一緒に舌で踊る時の味を思い出す。口の中に一気に涎が沸いたし、空腹度が上がったよ。


 「どこの店が好きだい?俺はね,絶対にネグサルヒ亭」

 「いいですね。けどあえてどこと言うならニル亭かな」

 「いろんな味食うなら、ナル・アウラガもいいぞ」


 もう一人の商人さんも話に加わってきた。どこも有名なシャルミンの店だ。

 大都にも店はあるけれど、なにせサライは黄縮麺シャルミン発祥の地。有名店の本店は大抵サライにある。

 もともとは、サライの近くにある泉の水を使って麺を作ると、黄色くなって食感がツルツルになる。これを使った郷土料理が、シャルミンだった。

 それを、五代大王に仕えた外交官イルチサノアイが改良して、今のシャルミンになった…と言うのがその歴史だ。


 「三月前に言った時は、オルトヤラフ軒に行ったんだよね。あそこは麺のお替りが小銀貨二枚で三回までできるのが良いよ。うん」

 「焼き餃子(バンシュパ)が美味いしなあ」


 うう、こっちは一年以上食べてないんですよ。これ以上思い出させないで…。

 しかし、早ければ三日後には食べられるわけだし!まあ、川を変わる橋の混雑具合にもよるけれど…ああ、もう権力を濫用したくなってきた!

 けど、シャルミン食べたさにやっちまっても、即座にサライを護るヤルト爺のとこに連行されて結局シャルミン食べられないしなあ…我慢!我慢だ!


 「じゃあね、気を付けていきなよ!サライのシャルミン屋で会ったりしてな!」

 「そちらこそ!背中を押す良い風が吹きますように!」


 顔馴染みらしい商人さんらへの質問はあっという間に終わり、彼らは手を振って門の向こうへと歩み去った。内容も、「最近どうだ?」とか「此処は抜けていくだけかい?」みたいな軽いもので、質問と言うより挨拶だな。


 「ずいぶん大人数だなあ。商人には見えないが」


 門番さんが帽子の庇を持ち上げながら、少し驚いたように声を上げた。俺たちはどう見ても商人には見えないし、そのわりには人数がいる。警戒されるのも無理はない。


 「ああ、冒険者です。ところで、大神殿からの使者の方々はもういらしてますか?俺たち、その護衛なんです」

 「おお!」


 ぱあっと門番さんの顔に笑みが広がる。どうやら、もうついているらしい。


 「聞いてる聞いてる!確かに、神官様がアスラン人の冒険者だっていってらした!」

 「昨日の昼前に到着されてますよ!って、事は、あなた方が囲まれたクローヴィン神殿へ乗り込んで、陛下が助けに来られると告げに行った冒険者ですか!」


 なんか、話が大きくなっているような?


 「そんな派手なことはしてませんけどね」


 俺の返答に、門番さんたちは大きく頷いて道を開けてくれた。

 謙遜と思われたのか、そりゃそうだなと納得してくれたのか。どっちにせよ、厳しく詮索されるより良い。


 「ようこそウルズベリへ!東の奥にアスター神殿はありますよ!」

 「ありがとうございます」


 にこにこと笑いながら手を広げる門番さんに頭を下げつつ、馬を進ませる。中に入ったら、乗馬組には降りてもらわなきゃな。


 「わあ!」

 

 隣のヤクモから歓声が上がった。

 目の前には、明るい日差しに照らされたウルズベルの町が広がっている。


 門のすぐ前はちょっとした広場だ。

 門前広場が馬場になっているのはどこの町も同じだけれど、馬をつなぐ杭もただ棒を突き立てただけじゃなく、金属で造られて煉瓦に根元を固められている。

 馬車溜りも煉瓦や柵で区分けされ、数人の兵が巡回して誘導と警備を行っていた。 

 

 馬場を抜けてもまだ広場は続き、公園のようになっている。東屋が配備され、ベンチが置かれ、隊商らしい人々がそこでのんびりと寛いだり、飲み食いをしていた。通行証をラバーナではなくこの町で待っているかもな。


 見た感じ、西方の人が多いけれど…あの辺の人はメルハ人だな。あっちの人はアスラン人だ。あ、あそこの東屋で固まっているのはカーラン人に違いない。下を向きながら盛り上がっているのは、将棋を指しているんだろう。


 そんな隊商たちが寛ぐ門前広場からは、石畳が敷かれた道がまっすぐに伸びていた。

 立ち並ぶ建物は、飲食店や宿屋みたいだ。どの建物もゆったりとした感覚で並び、ぎちぎちに詰まっている感じはない。店先で客と話す店主ものんびりしているし、熾烈な客引き合戦もないように見える。

 道の合間合間には花壇さえあって、秋薔薇が小さな花を咲かせていた。薔薇はアスターのシンボルの一つだけあって、王都でもよく見かけるけれど…道に花壇はない。あったとしても、薔薇が綺麗に花を咲かせるほど、手入れされない。

 

 「なんか、金持ってそうな町だな」

 「…その感想はどうかと思うが。山賊の下見じゃあるまいし」

 「そうか?」


 クロムの素直すぎる感想に苦笑は漏れるが、確かにそうだ。

 こじんまりとした町は丁寧に手入れされた庭園のようで、それでいて商人たちや住人が行き交い、賑わう。

 その顔には警戒心や危機感はなく、家と金のない物乞いや宿無しが道の端に寝転がっていたりもしない。

 この町に冒険者の需要があるのか、不安になってくるな。完全武装の冒険者なんて、真っ白い羊の群れに入れられた黒山羊くらい目立ちそうだし。


 「とりあえず、飯を食おう!腹が減った!」

 

 馬から降りながら、毎度なことをユーシンが言い出す。

 さっきの話で胃袋を叩かれたからなあ。すきっ腹で神殿に行き、ぐうぐう腹の虫を泣かせながら挨拶って言うのも飯を強請っているみたいだし、礼儀的にも食っていくべきだろう。


 「あの辺がそうかな」

 「シャルミン屋とかねぇのかよ」

 「まだないんじゃないか?あったらさっきの人たちが教えてくれそうだし」


 そんなことを話していると、馬車の覆いが巻き上がり、ガラテアさんがひょいと顔を出した。

 

 「そうだな。空腹だ。食事をとることに賛成する…しかし」

 「しかし?」


 ほんの少し、ガラテアさんは苦笑した。その顔を通りすがりの商人さんが見て、呆然と視線を離さず突き進み、ベンチに激突して脛を強打していた。大丈夫かな?

 脛を押えて苦悶の顔を浮かべつつも、商人さんの視線はガラテアさんに向いたままだ。いっそあっぱれと言うべきか。


 「何か食う。そう思った時、何を食うかと考えてしまうのは、アスランに馴染んだせいだな」

 「あー…確かに。大都にいた時、腹減ったなあと何食おうかはセットだったし」

 「…?どゆこと?」

 「えっと、食堂にいくと、基本的に出てくるのは同じ料理だろ」

 「うん」


 支払う銀貨の枚数で出てくる料理は変わるけれど、あれこれ選べるわけじゃない。今日の料理が豆と鳥の煮込みなら、金貨を積もうと出てくるのは豆と鳥の煮込みの大盛りで、金がなければ豆の汁だけになる。

 冒険者ギルドの食堂みたいに酒場も兼ねているのなら、料理を頼まず干し魚と酒だけってのもできるけれど、それは選択肢と言うよりやむを得ない事情というやつだ。

 

 「アスランは、いろんな料理の店があって、まずは『どこで食うか』を選ぶわけだ。さっき言ったシャルミン屋もあれば、アスラン料理の店もある。カーラン料理屋はカーラン八味って言われるくらい細分化されてるから、今日はトンクー料理だなとか、スーシェンだなとか」

 「具体的な名前出すな。腹が余計減るだろ」


 クロムの文句ももっともだ。言ってて、猛然とカーラン料理が食べたくなってきた。トンクーの甘酢の効いた味付けも、スーシェンの舌を痺れさせる山椒と唐辛子の共演も懐かしい。

 空腹時にカーラン料理を思い浮かべて、けれど食べられないというのは控えめに言って拷問だよ。


 「で、店に入って『何を注文するか』を客が決めるんだ。お品書きが壁に貼ってあったり、卓に置かれてるからそれをみたりしてさ。カウンターにずらっと料理や材料が入った鉢やなんかが置かれている店もある」

 「それが当たり前になると、中々困るな。前は腐ってるか虫が湧いていないかを注意する。それだけだったのに」


 ガラテアさんはあまり困ってなさそうに笑った。選べるんなら選べた方がいいけれど、確かに離れると不便は感じる。

 俺はまだ自分で料理が作れるから、どうしても食べたくなったら作ればいいけど、それでも手に入らない食材に泣いたしな。米とか米とか米とか。

 

 「ここら辺はどうなんだろうなあ。まあ、馬車と馬を預けられるとこじゃないと駄目だし、その辺の人に聞いてみようか」


 脛を抑えている人の仲間らしき人も寄ってきてるし。

 そう思って声を掛けようとした時、俺の横をびゅっと誰かが駆け抜けた。


 「エルディーン様!」

 

 慌てたようなレイブラッド卿の声にも足を止めず、エルディーンさんは石畳を蹴って走っていく。

 その視線の先にいるのは。


 「タバサ!コニー!」


 少々上ずった声に応えるように、深緑の新官衣を翻して走るのは、二人の少女。俺たちの護衛対象…タバサさんとコニーさんだ。

 三人の少女は悲鳴のような声をあげながら抱き合い、わあわあと泣き出した。

 きっと、エルディーンさんの無事を祈っていたんだろう。元気な顔を見て安心してくれたかな。

 

 「…あ」


 クロムがポツリと口を開く。うぜーとか本人たちに言うなよ。別にいいじゃないか。泣くほど嬉しいって事なんだし。

 そう釘を刺そうとする前に、クロムは馬から飛び降りて駆け出そうとし…止まった。

 どうした事かとその視線の先へ目を凝らすと、トコトコと此方へ向かってやってくる、見慣れたローブ姿。


 「いいよ。行ってこい。ほら、ユーシンもヤクモも、シドもいるし」

 「私は?」

 「え?えっと、ガラテアさんもいるし!」


 ガラテアさん、やっぱり俺よりも強いんだろうか。シドがガラテアさんに勝てないのは武力とかそれ以前の問題だと思うけれど、杖をへし折れるくらいだしなあ。


 「…襲われんなよ」

 「敵襲はないだろ。さすがに」


 ん、と頷いてクロムは駆け出して行った。あっという間に抱き合う少女たちを抜き去り、その先へ。


 「俺たちも行こう。ここで詰まってたら通行の邪魔だしな」

 「うむ!そして飯だ!」

 

 馭者台から降りて馬の手綱を持ち、視線の先へと歩き出す。

 とりあえず、ナナイにしがみつかれて珍しく困り果てて、抱きしめ返すか悩んで両手を宙に彷徨わせているクロムのところに。


***


 「もう!ほんっと―に、本当に心配したんだからね!!」


 銀色の髪を震わせ、葡萄色の瞳に涙を盛り上げてナナイが怒る。その様子に、俺たちとしては「ごめんなさい…」と謝るしかない。


 前回に引き続き、簡単な依頼かと思ったら…だったし、ナナイが心配して怒るのもまあ、致し方なし。

 実際には、今回は全く危険はなかったわけだけど…それを説明しても、ナナイを心配させたことに変わりはないからな。

 

 「ナナイこそ、変態に付きまとわれたんだろ。大丈夫だったか?」


 馭者台に並んで腰かけたクロムが、硬い声で問う。ぶっきらぼうに聞こえるけれど、クロムが不安を感じた時に一周回ってこういう声になるのは、ナナイもよく知っているはずだ。


 昼食はとりあえずおいておいて、俺たちは神殿へ向かっていた。

 エルディーンさんたちは泣き止まないし、ナナイはポカポカとクロムを叩き始めるし、周囲の注目は浴び捲るし、衛兵さんは向かってくるしで、とりあえず少女三人を馬車に、ナナイを馭者台に乗せて移動することにしたわけだ。

 ナナイのお怒りを一身に受ける係としてクロムを横に置き馬車を任せ、俺は馬の手綱をひいて、石畳の上をのんびりと歩くことにした。

 馬車を女の子たちに譲ったガラテアさんと、腹を空かせてちょっと愁いを帯びた(ように見える)ユーシンは、馬車の左右に分かれてもらった。並んでいると、注目が半端ない。

 

 神殿へは、大通りをまっすぐで良いらしい。

 通りに添って並ぶのは、住宅よりも商店が目立つ。途中、ひときわ大きな建物が冒険者ギルドだと、泣き怒りながらもナナイが教えてくれた。


 王都のギルドの前には、いつでも座り込んで駄弁る冒険者や、真昼間からできあがっている酔っ払いがいるけれど、ここにはそんな連中は一人もいない。出入りするのはたぶん冒険者なんだろうけれど、なんだか行儀と身形が良い。

 草臥れたシャツの裾をひらつかせ、無精ひげの生えた顔で大欠伸しているようなのは見た感じいない。

 道を挟んだ反対側が衛兵の詰所だからってのもあるとは思うけど、場所が変わると人も変わるもんなんだなあ。

 この町の冒険者にはどんな仕事が依頼されるんだろう。オオトカゲ退治はしなさそうだけど。

 

 「変態?」

 「変な態度の奴をそう略すのはどうかと思うぞ?クロム」

 「どっちにしろクソ野郎だろ」


 何が悪い、と言わんばかりに罵るクロムに、やっとナナイは苦笑とは言え笑みを浮かべた。

 

 「確かに、なんか嫌な感じの人はいたけどね。別に何かされたわけじゃないよ」

 「それならいい。まあ、何かされてたら取って返してぶっ殺してくるが」

 

 良かった。話を聞く限りろくでもない奴みたいだけど、いきなり手を出してくるほど分別のない奴でもなかったか。即座にナナイを避難させたウルガさんの警戒心の勝利でもあるね。


 「…大丈夫だよ。ありがとう、クロム」

 「お前の為なら、万里を駆けて剣を振うくらい大した手間じゃない」


 中々に情熱的な台詞だな。ナナイも恥ずかしかったのか、ぺしん!とクロムの肩を叩いてフードをさらに目深に落とした。


 「ふむ。その少女、クロムの女か?」

 「ぅえっ!?」


 ガラテアさんの直球すぎる質問に、ナナイがびくりと顔を向ける。あー、真っ赤だ。さすがにその言い方はどうかと思う。


 「まだ、そう言う関係じゃない」


 『まだ』を強調してクロムが答える。ナナイに関してだけは、ものすごく慎重に進めているからなあ。学生の頃、とりあえずで関係を持った女性は両手の指でも足りないくらいだったって聞いてるけれど。


 「そうか」

 「ああ、そうだ。というか、誰の女とかそういう下品な物言いはやめろ」

 「クロムには言われたくないし頷かないが、失礼した。適切な言葉がでなかった」


 ガラテアさんの視線はナナイに向いている。その視線を受けて、ナナイは顔を赤くしたまま手と首を振った。

 

 「だ、だいじょぶです!ちょっと驚いただけで…。えと、はじめましてな人たち、あとで紹介してね?」

 「ああ、そうか。ガラテアさんたちのこと、ナナイは知らないもんな」

 「うん。えっと、馬車にいる子が、エリー…エルディーンさんだよね?」

 「そうだよ。知ってたのか?」

 「タバサたちに聞いてたからね。名前とどんな人かは」


 どうやら、ナナイは神官の子たちと随分仲良くなったみたいだ。そう尋ねると、ようやく赤みが引いてきた頬を押えて、うん、と頷く。

 

 「今まで、同じ年頃の同性の友達って、あまりいなかったからね。ただ、少し困ったことがあって…」

 「どうした?」


 クロムの声が再び硬くなる。その声を気にすることもなく、ナナイは小さく笑って舌を出した。


 「ついついおしゃべりが弾んじゃって、ずっと寝不足なんだよ。今日こそ寝なきゃね!って言いあうんだけどさ~」

 「それは、確かに困るなあ」

 「でしょ?ああ、もう、今晩こそちゃんと寝なきゃね!」


 だから叱らないでね?というような顔でナナイは首を竦めたけれど、悪いことをしているわけでもないし、健康に影響があるほどの寝不足でもないみたいだし。注意するほどの事じゃない。

 第一、ナナイは俺と一緒で熱中すると寝食を忘れる性質たちだからな。薬の調合をしてたら朝だったんだよ~とかよく言うし、それに比べたらちょっとお喋りして夜更かしくらい、どうってことないだろう。


 「いいなあ。女の子のお喋り~。なんか…可愛いよね!」

 「そうかなあ?特に変わったこと話してるわけじゃないよ?」

 「そなの?」

 「うん。その日見たこととか、食べたものの話が多いかな。ほら、皆初めての旅だし。僕だって、そうだしね」


 ナナイが子供の頃、ウルガさんと大都に来た時は、こうして馬車に揺られて地上を進んでいたわけじゃないしなあ。「はじめて」は誰かとその喜びを共有したくなる。その気持ちはわかる。俺だって、はじめて知りえた知識は話したくなるし。

 …ま、俺がその「はじめて」の喜びを語ると、逆に寝るやつがすぐ後ろを歩いているが。

 

 「ファン!昼飯は結局どうするのだ!」


 そう思って頷いていると、逆に寝るやつが腹を押えて吠えた。どうやら空腹が耐え難くなってきたらしい。

 でも、俺も腹が鳴りそうなくらい減ってきたのも事実だ。食料の残量や財布を気にせずに食べていると、空腹耐性が下がるね…。


 「ナナイ達を降ろしてから食べに行こう。神殿に馬車と馬を預かってもらえれば、身軽になるしさ」

 「あ、あの!それでしたら!」


 馬車の覆いを捲って、タバサさんが顔を出した。

 まだ目の周りは真っ赤だけれど、泣き止んではくれたみたいだ。


 「どうぞ、神殿で召し上がってください!もし、いらっしゃってたら是非お誘いするようにと、司祭様から申し伝えられています!」

 「え?いきなり押しかけちゃって大丈夫なんですか?」

 「皆さんがいついらしても良いように、用意はしてあるんですよ」


 ご厚意は大変にありがたいけれど、出来れば少し腹に物を入れてからお邪魔したい気もする。ご挨拶とかの途中で腹の虫が叫び出すのも恥ずかしいし、出されたものを争うように食べるこいつらをお見せするのもなんだか誤解を受けそうだ。

 確かに食料は尽きたけど、朝、すっごくしっかり食べてきてはいるんですよ?別に飯をケチってたりはしないんですよ?


 「む!良い匂いがする!甘い!」

 「ん?あ、本当だ。あの店かな?」


 スンスンと鼻を動かしながらユーシンが目を輝かせる。俺の鼻も時を置かず、同じ匂いを嗅ぎ当てて、その芳香が腹の虫を切なくつついた。

 匂いは、少し先のからしていた。

 その前まで来ると、小さなお店だった。道に面して大きく窓が開けられ、カウンターになっている。母娘だろうか、似た顔をした二人が、小さな丸いものを鉄板から籠に移していた。

 焼き菓子…ケーキだな。良い匂いは間違いなくそのふんわりとした黄色い生地から立ち上っている。

 

 「良い匂いだね。おいしそう」

 「なんのお店かしら…」


 ナナイがうっとりと呟き、タバサさんも目を細めた。昨日着いたばかりじゃ、まだ俺らと同じく右も左もわからない。この店が何の店か、知らないのも当然だ。そして、興味と食欲をそそられるのもまた自然の道理だ。


 「ファン~、ちょっと買っちゃおうよ~」

 「…そうだな。なんなら神殿への手土産にすると言う手もあるし」


 さいわい、懐は暖かい。

 財布を見せたら、シギクトが無言で追加してくれたし、村から村へ泊るだけならそう金もかからなかったしな。

 あのお菓子が見た目より高価な代物であったとしても、一籠買うくらいはできるだろう!たぶん…。

 …全部で小銀貨二十枚以上なら諦めよう。他三人のお嬢さんたちと、ロットさんとウィルさんの分だけ買って、あとは着くまでに胃袋へ納めて証拠隠滅すればいいよな…って駄目に決まってるだろ。

 空腹で思考回路がヤバくなっている。ここは多少値段が張っても買おう。


 「すみません」


 声を掛けると、お母さんらしき女性が笑顔でこちらを見た。

 ちょっとびっくりしているのは、俺の左右にいるのがユーシンとガラテアさんだからか、大人数の異国人はさすがに馴染みがないのか。ま、前者だな。


 「は、はい!」

 「なんでしょう!」


 母娘の声は弾んで高い。その声に、もう一人店の裏手から人が出来た。ちょっと光ってる感じの頭の、まるっこいおじさんだ。農作業帰りなのか、着古したシャツの肩に藁くずがくっついている。


 「美味しそうですねぃ!」

 「うちの農園で取れた小麦と卵と牛乳とバターで作ったケーキだよ。そりゃあ美味いともさ!」


 おじさんがニコニコしながら答え、籠をカウンターから持ち上げた。中には十個くらい、黄色く丸いケーキが並んでいる。ちょうど玉子くらいの大きさだ。俺なら三口、ユーシンなら二口…いや、今のユーシンなら一口ってところか。


 「こっちは朝できた分だから冷めてるけど、ちょっと食べてみるかい?」

 「いいんですか!?ありがとお~!」


 嬉しそうに頷くヤクモに、おじさんは上機嫌でケーキをひとつ手渡した。

 

 「ほらほら、皆、食べてみんさい。金は要らんから。美味かったら焼き立ての方を買ってくれよ。そっちのが三倍は美味いからね!」

 「ありがとうございます。もちろん、買わせてもらいますよ」

 

 …ここまでされたら、一籠金貨一枚でも断れないな。

 だ、大丈夫だ。サラーナにも「もしもがあれば」ってお小遣いもらっちゃったし。


 「美味しい!」

 「あまーい!」

 

 ヤクモとナナイが歓声をあげた。その歓声はすぐに馬車の中の三人にも伝播し、口々に喜びの声をあげる。涙は完全に引っ込んだみたいだ。

 さて、じゃあ俺もいただいてみようっと。

 

 「ん!」


 見た目よりずっとしっとりとしているのは、惜しげもなく上質のバターを使っているからだろう。それにこの甘み。これは砂糖でも蜂蜜でもないな。


 「これ…サトウカエデかな?」

 「ほお!よくわかったねえ!その通り!うちはサトウカエデも育てとるんだ」

 「独特の甘みですしね。久しぶりの味ですよ。それに、バターの味が吃驚するほどいいですね。しつこくないけど、濃いっていうか…」

 

 俺の感想に、おじさんはこれ以上ないというほど満面の笑みになった。そうだろうそうだろうと大きく頷き、胸を張る。

 

 「お前さん、いい舌をしとるなあ!うちはね、牛もこだわってるんだ。エクレウ牛。知っとるかい?」

 「へえ、珍しい。たしか、ずっと西の島原産の牛ですよね。小型で、茶色の毛が特徴の品種」

 「…知っとるのか」

 

 なんか残念そうだけど、俺もそれ以上のことは知らない。図鑑で読んだくらいだ。本当に飼育しているなら、是非見せてもらいたい!…けど、そう言ったらクロムに凄い怒られるな。今でさえ、警戒の眼差しを向けてるし。


 「図鑑で見ただけです。すごいですね。最初の番を手に入れるの、大変だったんじゃないですか?」

 「そりゃあもう!十年!十年かかったよ!懇意にしている商人に頼んでね。一頭で並の牛十頭は買えるくらい金を払った。少しずつ増やして、今は六頭飼っとる。その乳を使ったバターだ。それだけで食える代物さね!」


 満面の笑みを取り戻し、おじさんは珍しい牛を育てる苦労を語りだした。なかなか興味をそそられる話だ。俺以外はケーキに全神経を集中しているけれど。

 そんなこだわりのバターがたっぷりと使われ、黄色く色付くほど卵も入り、サトウカエデのシロップまで投入されたケーキが不味いわけはない。すんごく美味しい。

 思った通り二口でケーキはほどけるように消え、腹の虫はもっともっとと訴えている。


 「兄貴に買っていってやりたいくらいだ。さすがに持たないけど」

 「アイツなら、背負い籠一杯分くらいは買い占めそうだな」


 当然甘いもの好きのクロムは食べ終わり、三倍美味いらしい焼き立ての方をじっと見つめている。口の周りを嘗めてるのは、よほど美味かったからだろう。


 「えっと、神殿にこれからいくんで、手土産にしたいんです。一籠…おいくらでしょうか!」

 「神殿に?それなら籠ごと持って行って、あとで籠だけ返してくれればいいさね。値段は…いくつあるかな?」

 「籠に三十個です。鉄板もう一枚分焼きあがっていますから、全部で六十個ありますよ」


 おじさんの言葉に、娘さんが答える。口調からして、どうやら親子ではないらしい。このおじさんが店主で、母娘で働いてるのかな。仲はいいようで、二人がおじさんに向ける視線には信頼が籠っている。良い雇い主なんだろう。


 「ひとつ銅貨二十枚だから…十個で小銀貨二枚、三十個だから六枚だけど、お前さんの良い舌に免じて五枚でいいよ」

 「ええ!?安い!!」

 「こんなちいちゃなケーキ、そりゃあそんなもんだろうよ」


 おじさんは笑って、今度は焼き立てのケーキが入った籠を差し出した。ヤクモが受け取り、立ち上る匂いに顔をほんわりと緩める。


 「はい、銀貨五枚です」

 「ありがとうよ!司祭様達にもよろしく!」


 三十個かあ。どうだろう。足りるかな。


 「神殿の神官さん方は、何人いるの?」

 「六人っす!」


 開いた手に指を一本押し当てながら、コニーさんが答えてくれる。意外と少ないな。さすがに大神殿やクローヴィン神殿ほどじゃないとは言え、司祭がいるような神殿なんだし、もっと大所帯かと思った。


 「それほど大きくない神殿なんです」

 「そうなんだ。じゃあ、とりあえずみんなもう一個ずつどうぞ」

 

 一人二個は行き渡るようにするとして、神殿にいるのはロットさんたち五人。で、十個。あ、俺たちがもう一つ食うと、神官さんたちには二個ずつにならない…。

 

 「つまりだ」

 「うん」


 クロムが、まっすぐに籠を見ながら言う。


 「さっさと食い尽くして、なかったことにするのが一番角が立たない。違うか?」

 「絶対違うだろ…」


 まあ、懐は温かく、目の前ではおじさんがニコニコともう一籠を持っている。そうなったら、答えは一つ…だな。


 「すいません。もう一籠ください」

 「はいよ!」

 

 小銀貨をもう五枚カウンターに置き、もう一つ籠を手に取る。買い占めちゃって、他にお客さん来たら悪いなあ。


 「すぐ次が焼き上がりますから。お気に召さらず」

 「そうですよ!もしよかったら、籠を戻す時、またお買い上げくださいね!」


 明日、ラバーナへ向かう時のおやつにでも買っていこうか。ラバーナの門から先に入るのに、結構時間がかかるかもしれないしね。

 

 「明日もお店は空いてますか?出発するときに寄りたくて」

 「ああ!たくさん焼いとくよ。ラバーナへ向かうのかい?」

 「そうなんです。その後はサライへ」

 「それじゃあ、おやつはいるねえ。よしきた!鉄板三枚分はとりおいとくよ!」

 

 おじさんはにっこり笑って胸を叩く。三枚かあ。足りるかなあ。まあ、我慢を思い出すのも大切なことだよね。

 商品の予約を済ませて、おじさんと店員さんに手を振りながら先へ進む。その間に、ヤクモが二個目を配りだした。


 「はい、どーぞー。レイブラッドさん」

 「…私は…」


 よく見れば、おじさんがくれた一個目もまだ口をつけていない。甘いもの苦手なのかな?そう言えば、クリエンから持ってきてた焼き菓子もあまり食べてなかった。


 「レイブラッド?どうしたの?」

 「…私が、いただいて良いのでしょうか」


 二個目を口に運んでいたエルディーンさんが、少し困った顔をする。うちで言うとクロムが遠慮しているのに、俺が食っちゃってるって状況だもんなあ。まあ、まずそれはないけど。クロムだし。


 「今更何言ってんだ。お前が昨日までガツガツ食ってた糧食、どっから出て来てると思ってんだよ。てか、要らねぇならはっきりそう言え。俺が食う」

 「あーもう、クロムにあげなくて良いからねぃ!せめてエルディーンちゃんにあげて!」

 「私だけ食べるのは…ちょっと…さすがに…すごく、美味しいけど」


 誘惑を断ち切るように首を振り、エルディーンさんはレイブラッドさんを見据えた。

 

 「あなたも甘い菓子は好きでしょう!お食べなさい!」

 「そうですよ。ちゃんと割り振りしてるんだし」


 その尻馬に乗って促すと、騎士はなんだか途方にくれたような顔で俺を見る。

 

 「あなたは…どうして」

 「どうしてもこうしてもない!俺が二つしか食えんのにクロムが三つ食うのは腹が立つ!さっさと食ってしまえ!」

 「ほんとケンカになるんで、さくっと食べちゃってくださいね」


 彼が何に引っ掛かっているのかよくわからないけれど、主にも「早く!」と怒られ、レイブラッド卿は意を決したようにケーキに齧り付いた。美味しかったんだろう。瞬く間に二つ食べ終わる。


 「もう…危うく誘惑に負けるところだったじゃない…」

 「エリー、おうちで美味しいお菓子いっぱい出てきたりしなかったの?」

 「あんなに美味しくはなかったの。もっとボソボソしてて…」

 「大神殿のクッキーの方がおいしかったり?」

 「絶対美味しかったと思う!」


 女の子たちがきゃいきゃいと盛り上がる。ナナイも大神殿のクッキーは大好きだと話に加わり、さすがにクロムが溜息を吐いた。馭者台だと至近距離だからなあ。うるさいと吐き捨てないのは、ナナイがいるからだろうけれど。

 

 「あれはうまかった!また食いたい!」

 「そういや、ちゃんとした売り物のは買ったことないな。今度、大神殿の経営に協力しようか…お、あれがウルズベリの神殿かな?」


 ユーシンの言葉に頷いてから前に向き直ると、道の先には尖塔を備えた建物があった。


 道は青銅の門の中へと続いている。その門にも、大きく手を広げたアスターの姿があり、秋薔薇が女神を彩っていた。たぶん、真冬以外は色々な種類の薔薇が女神に寄り添うんだろう。

 門の向こう側に見える敷地は広いけれど、は建物自体はそれほど大きくない。アスターの物語をモチーフにした彫刻が煩くならない程度に壁を飾り、前庭にも見事な女神とその眷属の像が並んでいた。

 このウルズベリと同じく、小さいけれど端正に手入れされている…そんな印象を受ける神殿だ。

 

 「馬車ごといって大丈夫かな?」

 「あたし、ちょっと行って報せてきますね!」


 コニーさんが馬車から降りて、駆け出して行く。彼女もきっと寝不足だろうに、溌溂とした動作に疲れの色はない。若いなあ。


 彼女が神殿へ駆けこんでからほんのしばし。


 やはり開け放たれている礼拝堂へと続く扉の中から、神官服の長い裾を持ち上げて、初老の女性が速足で出てきた。

 ちょうど神殿へ入ろうとしていた信徒や、庭を散策していた巡礼に挨拶をしながらも、そそそそそ、と結構な速度で向かってくる。


 「お待ちしておりました!ようこそウルズベリへ!そのままお進みください!」

 「ありがとうございます。じゃあ、お邪魔しますね」

 

 うんうん、と頷きなら司祭さん…たぶん、そうだと思う…は両手を広げ、俺たちを招いてくれた。馬の手綱をいったんクロムに渡し、まずは俺が中へ入る。


 「あ、これ、どうぞ皆さんで召し上がってください」


 満面の笑顔を浮かべる司祭さんへ、手に盛った籠を差し出した。

 中を見た司祭さんの笑みがさらに深くなる。


 「まあ!嬉しい!皆さんは召し上がりまして?」

 「ええ。いただきました」

 「まだ暖かいわ!ありがとうございます!さあ、どうぞこちらへ!昼食も今、用意しておりますから!」


 完全に門の中に馬車まで入ると、二人の神官さんが駆け寄ってきた。

 こちらは若い男性だ。その裾や袖の短い神官服から、ウィルさんと同じく神官見習いなのかもしれない。


 「馬と馬車をお預かりしますね」

 「あ、すいません。二頭を除いてアスラン馬なんで、こっちでいれます。クロム、そのままついてきてくれ」

 「おう」

 「俺も行く!汗かき棒(ホソール)してやらねば!」

 「ぼくもー」


 シドもこくんと頷いたところを見ると、付いてくる気みたいだ。

 それなら、二手に分かれるかね。


 「んじゃ、女の子たちは…」

 「お庭で待ってますね!」


 コニーさんがそう言って笑い、タバサさんも頷く。


 「たぶん、みんな飛び出してくるって思うし!エリーのこと、ちょー心配してたし!」

 「僕もこっちで待ってるね」

 「わかった。それじゃ、司祭さん。ちょっと失礼しますね」

 「まあ!さすがアスランの御方!馬を大切になさるのね!」


 司祭さんは感心を顔全体に浮かべて大いに頷く。なんというか、そのアクションの大きさと言うか、傾向は、すでに知っているアスターの神官さんを思い出させた。


 「…アスターの女神官って、最終的にああにしかならねぇのか?」


 それはクロムも同じだったようで、誘導する神官さんの方へと馬を歩かせながら呟いた。その呟きに、シドとなんだか一緒にきているガラテアさんが頷く。


 「俺が今までであったアスターの神官は、もっと気難しいのが多かったと思うが」

 「アスターの神官は酒も飲まない。そう思っていた」

 「まあ、ところ変わればってやつで…アスランのアスター神官ってそんなに厳格だったっけ?」

 「いや、アスランではない。もっと西」

 「神殿も、こんなふうに誰でも入れるような感じじゃなかったしな」


 どうもアスターの神官って言うと、バレルノ大司祭を筆頭とした皆さんを思い浮かべてしまうけど、あの人たちの方が変わっているのかもしれない。

 でも、アステリアの大神殿が総本山なんだよなあ。


 なんにせよ、知り合って付き合うならバレルノ大司祭たちのほうが良い。

 酒も飲まず、美味いもの食べてもニコリともしない人と付き合うのは、結構大変そうだからな。


 若い神官さんの後に続き、厩舎…ここもきれいな建物で、奥の馬房にはしっかりと世話をされていると一目でわかる牝馬が入っていた。こちらを興味津々見つめている。

 フゥーイと声を掛けると、耳が動いた。人懐っこい奴だなあ。もう結構な年寄りみたいだけれど、瞳は若駒のように輝いている。


 「ちょっと一晩、お邪魔させてもらうよ」

 「ガートルードは馬も人も好きですから。お客様が来て、喜んでいますよ」

 「そうみたいですね。いい馬だ」


 若い神官さんは自分が褒められたように嬉しそうに笑い、他の馬房を開けてくれた。

 そこに二頭ずつ馬を入れ、馬車の馭者台に置かれた箱から汗かき棒を取り出す。全部で五本。クロムとユーシンに一本ずつ渡す。


 「ヤクモも頼むな」

 「うん!まっかせて!」


 ここ数日、馬の世話は必ずヤクモも混ぜてやっている。乗るのはまだ「おしりいたい…」になるけれど、世話の方はかなり手馴れてきた。馬も気持ちよさそうに汗を掬い取ってもらっている。

 

 「シドたちには馬車を頼んでいい?」

 「ああ」


 馬の代わりに軛をひいて、シドは馬車を収納するスペースへ進んでいった。ガラテアさん、なんでわざわざ馭者台にあがったの?シドが切ない顔になってるよ?


 「…藁を、いただけますか」


 掛けられた声に、神官さんは「もちろん」と頷き、藁束をレイブラッドさんへ差し出した。

 あれ、エルディーンさんについてなくていいのか?まあ、危険はないか。

 

 二人が乗っている馬は、アスラン馬じゃない。自宅から乗ってきた、愛馬なんだろう。なんだか強張る騎士の顔を、馬は長い首を曲げて鼻でつついた。主人を心配している。

 

 「えっと、なんか俺、怒らすような事しましたかね?」


 ケーキ、ほんとは食べたくなかったとか?もしかしたら、食べながら歩くのはすごく行儀が悪いと躾けられて育ってきたのかもしれない。


 「…そうでは、ないのです。いや…そうなのかもしれない。怒っているわけでは…ないのですが」

 「あ?難癖付ける気なら、まず俺がその喧嘩買い取るぞ?」

 「どこのチンピラさんだよ…すいません。クロム、お腹空いて気がいつもより立ってるんで」

 「ナナイもここにいないしねぃ」


 ヤクモの意見にユーシンが大いに頷く。二人にそれこそ因縁つける寸前のチンピラのような視線を向けつつ、クロムは馬の汗を掻く作業に戻った。


 「私は…あなたがわからない」

 「へ?」

 「あなたと言う人物が…わからない」


 まあ、初めて会って一ヶ月、一緒に旅を始めて数日の人間のことをよくわかるのも怖いような気がするし、そんなにわかりやすいかなあと不安にもなる。

 なんだろう。実は特技が人相観とかで、今までどんな人間も一目見ればどんな奴かわかって来てたとか?


 「当たり前だ。お上品な騎士様に一目で看破できるほど、こいつはわかりやすい奴じゃない」

 「ぼく、もう一年も一緒にいるのに、いまだにわかんないよ~。ファンの考えている事」

 「俺も分からん!飯よりも本を読む方を取る、というのは、さっぱりわからん!」

 「ユーナンもそうだろ」

 「そうだ!双子の片割れですらわからん!人のことを全てわかるなど、ありえん!」


 全てわかるなどありえないか。

 うん。それは本当にそうだ。

 生まれた時から一緒にいる家族ですら「何考えてんだコイツ…」ってなるわけだし。わかっているというなら、それはきっと、わかったような気になっているだけだ。

 

 口々に言われ、騎士は馬を藁で擦る手を止めた。言いすぎ?けど、責めているんじゃなくて、どっちかって言うと慰めていたと思うんだけど。


 「わからないのは、ファンの事ではないと思うがな」


 弟の牽く馬車から降りてきたガラテアさんの言葉に、レイブラッドさんは目を瞬かせて、そして視線を逸らした。どうも意識してしまうみたいで、ウルズベリへ向かう道中、ずっとこんな感じだ。

 シド曰く、外見だけで惚れるのは本当に止めておけ、だそうだけど。


 「…どういう…意味でしょうか」

 「ファンだからわからない。それは違う。ファンがアスラン人だからわからない。それだけの話だ」

 「どゆこと?ファンがアスラン人なの、最初からだよねぃ?」


 ガラテアさんの言葉に、ヤクモだけでなく俺たち全員「?」と顔に浮かべたと思う。ただ、レイブラッドさんだけは珍しく、目を見開いて彼女を凝視していた。


 「ふふ。お前たちには理解できない。アスラン人が礼儀正しく、優しい。それで困惑している。違うか?」

 「それは…」

 「加えて、より洗練されているはずの西方人の醜態を見た。理解できない。したくない。そういう事だろう」


 あー…なんとなくわかった。

 エルディーンさんは、反動でアステリアを嫌悪しそうだったけれど、レイブラッドさんはそもそも今まで培ってきた認識との相違に混乱しっぱなしなのか。


 「私も西方諸国の更に西の生まれだ。カーラン皇国は長く続いた伝統と格式の国と習っていたが、アスランはそのカーランを脅かす蛮族の国。そう聞かされて、疑うこともなかった」

 「はあ?ど田舎の雑魚共はそんなこと言ってるのかよ」

 「伯父が言っていた。潮だまりの小魚は、ここが大海と思っている、とな」


 伯父…ライデン博士か。彼の著書、『西海博物誌』が現在その蛮族の国の図書館に大切に保存されていると知ったら、喜んでくれるかな。本の保管状況を見たら、納得はしてくれると思いたい。


 「一度染みついた常識を覆すのは難しい。まして、自分が含まれる側が劣っていると認めるのはな」

 「アステリアとアスラン、どちらが劣っているとかはないけれどね」


 ただ、エルディーンさんがそうだったように、レイブラッドさんも「アスランは悪の国」と教え込まれて育ったのだろうし、そうではないと認めることは、自分の土台をぶち壊すような衝撃に違いない。

 より強固に、洗脳と言っても過言じゃない教育を受けたエルディーンさんがその変化に耐えられたのは、彼女がまだ十代の少女であり、根本的に素直な…目の前のことを受け入れる子だったからだろう。


 「村を襲い、彼の同輩を殺したのはアステリア人。助けたのはアスラン人だ。これが逆ならば苦悩はしていない。そうではないか?」

 「…違う…と言いたいのですが、そう…かもしれません」


 騎士の顔には、苦悩の色が浮かんでいた。

 アステリア人自体が悪逆の徒ではないというのは、彼も分かっているはずだ。けど…たぶん、「アスラン人が悪人じゃない」ってのがより駄目なんだろうなあ。

 それを認めたら、今まで自分が悪し様に罵り、憎んできたことが裏返る。

 善き人であろう、弱きを護り、正しきを援ける騎士であろうと自分を律してきた分だけ、反動は大きい。


 「ファンも難しく考えすぎているが」

 「へ?」

 「辛いものだと覚悟して口に入れたら甘い。それで驚いている。ただそれだけだ」

 

 まあ、確かに…それはびっくりするけれど。

 そこまで単純な話…なのかなあ?


 「その驚きを己が糧とし一回り成長した主に対し、甘くてうまいとわかったのに飲み込めない。主が正しいと理解しているからこそ、己がどうしようもなく矮小に思える。そんなところだ。違うか?」

 「ガラテアさん、すごいな。悩める信徒を諭す神官みたいだ」

 「私は神官だが?」


 そう言えば、そうでした。なんか、ガラテアさんの後ろでシドが頷いている。

 その弟を、ゆっくりとガラテアさんは振り返った。途端にシドが防御の体制をとる。なんていうか、訓練されてるなあ…。


 「それなら…私はどうしたら…」

 「知るかよ。臍噛んで死ね」

 「あ、あはは!今のは、タタルの言い回しで『ゆっくり考えなさい』って意味で」

 「無理があるよぅ」


 うん。無理があったな。認めよう。

 ただ、こればっかりは自分で消化するしかないだろうし。幸い、ここは神殿だ。悩みや懺悔を聞いてくれる神官さんが大勢いる。


 「えっと、本当にタタルの言い回しで言うと、『座布団の穴より靴の穴』って言いまして」

 「…」

 「つまり、部屋の中で知ったつもりにならないで、自分の足で見に行きなさいって意味でね。そういう言葉があるくらい、人は知ったつもり、わかったつもりになっちゃうわけで」


 我ながら何言いたいかわかんないな!


 けど、きっと俺にだってそういう思い込みはある。親父があんまりそう言うから、カーラン南東部、トンクーの人々は基本素っ裸で過ごしていて、親しみを表すのに互いの尻を叩きあうってのをまさかと思いつつ信じているし。

 けど、それって嘘ならそんな嘘を思いつく親父の頭が心配になるし、本当なら…トンクーの習慣じゃなくても、親父の知り合いに「裸で人の尻を叩きたがる人」が複数人いるってことだよな。どっちにしろ、うちの親父って…。


 「どっちにしろ、自分で消化するしかないんですから…ゆっくり悩んでいいと思いますよ。無理に飲み込んでも、結局それは、『わかったつもり』にすぎないから」

 「何故、そうして許容できるのですか…やはり、あなたもわからない」


 眉を寄せ、騎士は俺を見る。その顔に浮かんでいるのは、いつぞやのような冷たい殺意や害意ではなく、迷子のような不安だ。

 手を引いてくれる親は見当たらず、自分がどこにいるのか、どうしたらいいのかもわからない。

 けれど、彼はそこから自分の目で道を探し、自分の足で歩きださなきゃいけない。それだけが、彼の苦悩を終わらせる方法だからだ。

 その過程で、恥じ入ることもあるだろう。主と同じく、枕に顔をうずめて足をばたつかせる夜も来るかもしれない。


 それでも。

 彼は、進まなくてはいけない。

 止まって悩んでいたら、彼の主はどんどん先へ走って行ってしまう。

 あなたにはついていけない。アスラン人はやっぱり悪だ!と決めて、元の暮らしへ戻ることもできるのだろうけれど、それができるほど、彼の忠誠心は薄くない。

 

 「あなたは、敵に対しては容赦がないと聞きました。実際、そうなんでしょう」

 

 誰に何を聞いたんだろ…うちの親衛隊の連中、面白がってあることないことを盛りに盛って話してないだろうな。


 「あなたから見て…私は『敵』ではないのですか?」

 「え?」

 「剣を向けたことも、殺すと告げたこともある」

 「…ほお。その話、本当か?ファン」

 「大神殿の論争の時だろ。お前がエルディーンさんをコテンパンにした時の」


 本当はその前に、ギルドで一回言われたっけ。

 まあ、それ言ったらクロムがややこしくなるから、黙っておこう。


 「その…ちょっと申し訳ないんですが」

 「もうしわけない…?」

 「えっと、そのお…あなたを『敵』と思うほど、関わってないって言うか…」


 素直なところ、ちょっとケンカ吹っ掛けられた程度で敵認定して絶対に許すまじと思うほど、俺は心が狭くないつもりなんだけど。

 彼からすれば、「ちょっとムカついたから首刎ねるわ」ってなる方がアスランらしい反応なのかなあ。

 

 「えーっと、別に関心が薄いとか、そういうんじゃなくてですね?」

 「敵と思われてぶっ殺されたいって…お前、嗜虐趣味でもあんのか?」


 クロムう~!!良いから話をこれ以上混乱させない!

 あ、でも、一種それもあるのか。悪いことをしたから、罰を与えられたい。そうすれば許される…みたいな。

 真面目な人だし、特に何もなく流されるのが出来ないのかもなあ。

 ただ、罰を受けたから今までの自分の思考は許されたじゃ、あまり意味はない。それはやっぱり、理解とは程遠いと思う。


 「とにかく、あなたは俺の『敵』じゃないです。そう思ったことはない」

 「…」

 「さ、馬がもっと身体を擦ってくれっていってますよ?汗ふいてやりましょ!」

 「うむ!世話を終わらせて昼飯を食うべきだ!」

 「だねー!」

 

 半ば強引に話題を変え、馬の世話に戻る。

 ここでうだうだ言ってたって解決しないし、何より腹が減っては前向きな思考はできない。

 

 ここから先、いよいよアスランへ入った時。

 彼は、思い描いていた「アスラン」との差をどう受け止めるだろうか。

 願わくば、その差が彼の悩みを粉々に打ち砕くほど大きく、新鮮な驚きにみちたものであってほしいけれど。

 やっぱり、自分の国を好きになってもらいたいもんな。


 …トンクーの人。

 俺は別に、トンクーを嫌いなわけじゃないです。いつか、自分の目で真実を見たいと思っています。

 けど、本当に裸で尻を叩くのなら。

 文化の差ってことで、俺がそれを拒否るのを、許してください。

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