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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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座布団の穴より靴の穴(百聞は一見に如かず)1

 「やっぱり、もう冬眠しちゃってるなあ」


 しょんぼりと呟きつつ、諦めきれずに浅い池の縁を覗き込む。

 

 灰色の丘陵は、典型的な丘陵荒地ムーアで、波のように続いていく丘とわずかな平地、そして草に覆われてぱっと見はわからない池や沼、泥炭池が点在している。

 

 荒地、と言われるからには土壌は貧弱で耕作には向かず、家畜を飼うにも数は飼えない。

 けれど、名の通り荒涼とした土地か、と言えばそれは違う。


 樹木はほとんど生えないけれど、葦やスゲなどの湿地帯で繁殖する多年草や、様々なミズゴケが生い茂る。

 もはや背丈の低い樹海と言ってもいいだろう。それは多くの獣や鳥を育み、そして俺が探している生き物の楽園となっていた。


 「…で、もういいよな?諦めたよな?」

 「もう少し…」

 「カエルなんぞアスランにもアステリアにもクソほどいるだろうが!」

 「種類が違うんだよ種類が!この灰色丘陵の固有種が、現在までに四種類確認されている!五種類目がいないとは限らないだろう!」


 俺の声に、近くで草を食んでいた山羊たちが顔を上げた。ごめんな、飯の邪魔をしちまって。


 掃討戦から今日で三日。

 戦後処理も終わり、昨日の夜は大宴会だった。


 こちらの損害は負傷者を含めてなし。まあ、戦力差が圧倒的だったし、騎士と切り離した歩兵たちは抜刀さえしなかったそうだから、当然と言えば当然なんだけども。

 それは、言うなら戦う意志を持たない弱者を一方的に踏みにじった、と言う事にもなる。

 

 戦って言うのはないに越したことがない。

 けれど、起こってしまったからには勝たなくちゃいけないものだ。負けていい戦なんてないし、相手にどんな事情があろうとも、「じゃあ、こっちの負けでいいです」なんて言えない。


 勝つ為には全力を尽くす。

 百人で勝てる戦でも千人投入できるならするし、「ギリギリ勝てる」じゃなく、「間違いなく勝てる」ようにする。

 

 それでも、後味の悪い勝利ってのはあるもんだ。


 今回は、まさにそれだ。

 抵抗せず逃げ惑うだけの相手を殺すだけの戦には、勝利の高揚はなく、嫌な作業が終わったと言う疲労感だけが残る。


 思えば、前回の出陣の時もそんな戦だった。楽に勝てる、けれど、苦しい戦。

 でも、放っておくとか人任せにするって選択肢はなかったんだから、結果も含めて背負うべきだろう。


 ただ、背負っていくのは俺だけでいい。総大将ってのはその責任を負う為にいるのだし。

 だから、せめて兵たちの疲労が後に引かないようにと、昨日の宴会は盛大なものにした。


 捌いた羊は三十頭。昨日の昼は巻き狩りも行って、鹿や兎に水鳥…鴨と白鳥に、野牛という狩猟成果も宴会に饗された。

 村の人やフラガナの民たちも加わって、かなり盛り上がった。楽しんでもらえたと思う。

 

 この地に陣を張るのも、明日の朝まで。

 明日の朝食後、紅鴉親衛隊ナランハル・ケシクは川を渡ってアスランに戻る。長くても数日の予定だったから、輜重陣営アウルクはあっちに置いたまんまだ。兵たちも家族に会いたいだろうから、引き留めるつもりはない。

 本格的な冬が来ても、この辺りは絶えず草を求めて移動するほどの寒さじゃないとは言え、雪の降りだす前にいろいろと支度はしなきゃいけないもんな。男手を遊ばせとく意味もない。

 

 ヤクモにそう説明したら、ヤクモだけじゃなく、シドもガラテアさんも首をひねっていた。そもそも、出陣に家族がついてくるのがおかしいらしい。俺も他の国のことを見聞きして知ったから、アスランが特殊なのはわかるけど…そんなにおかしいかな?


 アスランの進軍は早い。特に遊牧民出身者中心に組まれた部隊は。

 それは、本来軍の速度を遅くする輜重隊がほとんど変わらない速度でついてくるからであり、その輜重隊を構成するのが兵の家族たちだったりするからだ。

 奥さん子供に、独身なら兄弟姉妹、場合によっては父母祖父母に親戚が、馬と羊を連れ、解体したユルクを持参して駆けつけてくる。


 より正確に言えば、アスランの軍属ではないのだから輜重部隊とは言えないし、ちゃんと「アスラン軍輜重部隊」も存在しているんだけれど。

 ただ、混ざって行軍していると、他所の人には全く見わけはつかないだろう。

 女性も子供も馬に乗り、手綱さばきは騎士にも引けを取らない。しかも、武装している。普段から草原で獣や魔獣、賊を追い払って生きている人々だ。戦闘力が低いわけがない。


 兵が寝泊まりするのは、今回みたいな部隊ごとのユルクじゃなく自宅になる。そこに家族がいて家財道具もあって、自分ちの家畜もいるんだから、自宅以外何物でもないだろう。

 独身の兵が同僚の家にしょっちゅう飯をご馳走になっているうちに、その同僚の親戚の娘さんと結婚してしまったなんて言うのは良くある話。

 今回のように親衛隊がクリエンを構えると、親戚中の娘さんが「羊の乳くらいは絞れるから」と送り込まれるのも良くある話だ。

 当然、女性の多い部隊なら、「牛の角を削るのが上手い」だとか「馬乳酒を一日中混ぜていられる」とかそういうアピールポイントを携えて、独身男がやってくる。


 クリエン構えて春になれば、毎日結婚の祝いで金が飛ぶ、とはよく言ったもんだ。真冬は戦も起きないし、家の中にいることが多いからね。そりゃあ仲も睦まじくなったりするだろう。


 灰色の丘陵を抜けた川の向こう、そこに兵たちの家族が待っている。

 いやな戦の後だ。家族と過ごして、その煤を払ってほしい。

 できれば俺も挨拶に行きたいけれど…ちょっと時間がないな。


 「なあ、ほんとそろそろ俺、キレていいか?」

 「ええ…そこまでか?まあ、見つからないから諦めるけどさ…」

 「確かに俺はお前の守護者(ナランハル・スレン)だが、お前が草の実をせっせと硝子瓶に詰めるって言うクソみたいな真似を好ましく見ていなきゃいけないってことはないだろ?」

 「スゲは同種のようで実は違う種類って言うのがすごく多いんだ。種子には特徴が出るから、持って帰って大学で標本と比べれば、もしかしたら新種が発見できるかもしれない!ものすごく意味のある行動なんだぞ!」

 

 熱を込めた説得に、また山羊が不思議そうな顔でこちらを見て、クロムは口許を歪めた。


 「草は草だろ」

 「いいか、クロム」


 立ち上がり、コルク栓を押し込んだ採集用の小瓶を鞄に丁寧にしまい、視界の果てまで続く丘陵を指し示す。


 「この世界にあるすべての植物に名前がついて、分類が出来たら、それは素晴らしい事だろう!例えば、この足元の草!この草はヌマチスゲの一種でミスジヌマチスゲと言う、実は灰色の丘陵の固有種だ!葉の中央に赤い線が入るのが特徴だが、見てみろ、名前の通り三本線が入っていてな、同じ仲間で二本と五本もある。ゴスジヌマチスゲは何故か塩分の高い湿地を好み、逆にフタスジヌマチスゲは真水が沸いている場所にしか生えない。さらにアリの一種と…」

 「俺に主を泥沼に蹴り落としたって罪を背負わせたくなきゃ、口閉じろ。戻るぞ」

 

 どういう脅しだ。

 まあ、それで俺が泥だらけでクシャミしながら戻ったところで、シギクトや近衛騎士たちは爆笑するだけだと思うけれど、サラーナに二人そろって説教されそうだしな…おとなしく、戻ろう。


 「次は春から夏にかけてきたいなあ」

 「…一応聞くが、絶対、蚊だの虻だの、不愉快な虫けら共がクソみたいにいるよな?」

 「この灰色丘陵は、トンボの種類も多いんだ!ヤゴの時も成虫になってからも食料が多いしな!」

 「つまり、そいつらの餌になるクソ虫共がおおいってこと、だよな?」

 「遠まわしに返事したのに…」

 「絶対行かせない。ふざけんな」

 

 虫よけ塗って、虫刺されの薬持っていけば、死ぬほど痒いのを我慢するだけなのになあ。

 かと言って俺だけ行くと言っても納得しないだろうし。仕方がない。来年の夏までに作戦を考えよう。


 山羊たちの横を通って、陣へと戻る。撤収は明日の朝からなんで、まだユルクは整然と並び、哨戒の騎士たちが行き交う。けど、なんか少ないな?


 「あ、来た!ファン~!」

 「どうした?ヤクモ」

 「迎えに行こうと思ってたんだよ。あのね、ユーシンとミクさんの手合わせ始まるって」


 おお、それは是非、見物したいな!


 ユーシンは毎日手合わせ手合わせ煩かったが、何しろ俺がヤルトミクと…紅鴉親衛隊と顔を合わせたのは一年ぶり。今まで溜りに溜まっていた決裁や、今後の方針、不足している後方支援や文官の確保をどうするかなど、話うべきことや相談するべきことが多すぎて、ミクに時間を作ってやれなかった。

 …アステリアであったことを話すと、三割くらいの確率でミクが泣くから、中々思うように進まなかったというのもあるけど。


 「よし、馬鹿が負けるところ見に行こうぜ」

 「ユーシンより強いの?ミクさん」

 「まあ、今のところはな。たぶん」


 俺の言葉に、ヤクモは目を丸くした。たぶん、ヤクモが知っている一番強い人間はユーシンだからだろうなあ。

 しかし、ミクは見た目通りに強い。赤熊という二つ名はアスラン軍全体に響き渡っている。それどころか、カーランやメルハの一部にも知られているだろう。

 才能のある人間が、環境と本人の意志に支えられ、鍛錬と実践を繰り返した結果が、ヤルトミクと言う戦士だ。

 あと十年もすれば、万人長になるのは間違いない。いや、もっと短いな。今の万人長たちは半分が引退寸前の年齢だし。そういうと物凄い反発して張り切って、関節痛とか腰痛とかで動けなくなるから言わないけれど。

 

 ヤクモの後をついていくと、騎士たちが人垣を作っていた。

 何とか前に出ようとする者もいれば、ユルクの屋根に上っているやつもいて、馬の鞍に立ち上がってる連中もいる。

 

 「シドー、ファンたち居たよ~」

 「ああ」


 シドが軽く手を上げ、横の竜騎士隊長の肩をつんつんと突いた。

 こっちに気付いたボオルが、一礼した後人垣に向かって声を掛ける。

 割れていく人垣の向こうに、見慣れた背中があった。


 「悪いな。仲間と乳兄弟の兄貴分だ。最前列で見させてもらうよ」

 「さすがにナランハルに後ろへ回れとは言えませんや」


 苦笑するボオルが、前へと促してくれた。

 反対側に、簡素な革の胴当てを纏ったミクが立っている。

 手に持つ双鞭は、愛用の鉄製じゃなくて試合用の木でできた模造品だ。まあ、ミクの膂力であれを振り抜かれれば、余裕で死ねるけれども。

 ユーシンも胴当てを身に着け、木製の槍を持っていた。後ろ姿から「わくわく!!」と言う気配がにじみ出ている。


 二人が対峙しているのは、最初に俺たちが降り立ち、出陣の号令を発した場所。地盤がしっかりしていて水気のない、灰色丘陵では希少な土地だ。

 ここに生えていた草は踏み荒らされ、土に混ぜられてしまっている。あまりない乾いた土地だから、珍しい植物が生えてそうだったんだけどなあ。

 まあ、土に混ぜられたなら春と共に蘇るだろう。晩秋なのだから、あとは枯れるのを待つばかりだったのだし、種は十分大地に潜り込んだ、と思いたい。


 人垣を見合せば、人垣を構成しているのは騎士ばかりじゃない。文官たちに厨官や衣服官はもとより、フラガナの民や村の人まで見に来ている。

 特に、若い…いや、若くはない人も混ざってるな…女性たちが、アスラン、アステリア、フラガナと混ざり合い、最前列に陣取って、きらきらした眼差しでユーシンを見ていた。

 なんだか手に、いつの間に作ったのか団扇まで持っている。『ユーシン様』『こっち見て』という文字が読み取れた。ほんとに、いつの間に?


 「ぐぎぎ…おモテになりよって…」

 「ヤクモ、落ち着け…あれ、シド、ガラテアさんは?」

 「興味がないから寝ていると」


 まあ、興味がないならな。仕方ないな。

 女性神官が模擬戦にものすごい興味があると言うのも、なんだか物騒な気もするし。


 「若~。開始の号令おねがいしま~す」

 「え?俺?」

 「だってぇ、義兄上がやるわけにはあ~、いかないじゃないですかあ」

 

 まあ、それはそうだ。

 促されて前に出ると、人垣から歓声が上がった。ユーシンの横を通る時、ぽん、と背中を一つ押す。

 

 「頑張れよ」

 「うむ!全力を尽くす!」


 更に前へ足を進めると、俺に向かってミクが深々と一礼する。

 そして静かに、ユーシンをその双眸に捕えた。


 ユーシンの口角が緩やかに上がっていくのを背中に感じる。

 天色の瞳には、もう俺の気配も映っていないだろう。


 互いに視界に入っているのは、好敵手の姿だけ。


 「おい、下がって合図しろ。巻き込まれたら確実に死ぬぞ」

 「そだな」


 なるべく足音を立てないように後退り、クロムとヤクモの隣まで戻って、息を吸い込む。


 「はじめッ!」


 俺の声に、まっしぐらに動いたのは、ミクだった。


 巨躯、と言うのは鈍重なイメージを持たれることが多い。

 けれど、それははっきりと間違いだ。

 例えば、熊は本気で走れば人よりもはるかに速い。

 重厚な足音が地を震わせ、ほんの一回瞬きをすれば、その爪は眼前に迫っているだろう。


 大気すら叩き潰す勢いで振られた右手の鞭を、ユーシンは身を伏せて躱した。

 左右に避けても避けきれない。それほどの勢いと速度をもって突きと払いが同時に展開する。

 躱すには、下がるしかない。だが、ユーシンは退くのではなく、身を低くして空を切らせ、躱しきった。

 だが、ミクの手は、二本ある。左手が握る鞭が、ユーシンに向けて突きこまれる。

 その突進の勢いをも乗せた一撃は、再び空を切った。


 ユーシンは腹を地面にする勢いで体を落とし、ついにその手が地に着く。その瞬間、ユーシンの足が跳ねあがっていた。

 倒立しつつの、蹴り。左右どちらが襲ってくるかも読めない、下からの急襲。


 乾いた音が響く。


 それは、たぶん武器を握るミクの指をめがけて放たれたのだろう。

 だが、ユーシンが蹴りつけたのは交差した鞭の中心部。


 ほんの一瞬にも満たない時間、ミクはユーシンの意図を読み、鞭を引き戻して盾として防いだ。考えてできる動きじゃない。

 刹那の間に、相手の意図を読み切り、無意識に身体を動かす。

 正当に強い戦士は、これほどに隙がない。


 けれど。

 その一瞬に垣間見たユーシンの顔は、これ以上ないほど嬉しそうに笑っていた。 

 

 蹴りを放った勢いのままユーシンは間合いを取る。槍と鞭なら、当然間合いを開いた方が有利だ。

 それはミクも分かっている。再び鞭を肩に担ぐように構え、追いすがる。

 

 一閃。一打。

 木の槍と鞭は飛び交い、嚙み合い、その合間に蹴りが放たれ、肩が突っ込み、拳が舞う。


 だが、その尽くを、二人は受け止め、受け流し、弾く。

 まるでそこに打ち込むと宣言され、それならこう受けると伝えられたかのように。

 

 観客の誰もが何も音を立てない。ただ、卓越した戦士二人の舞踊とも言い換えられる戦いを見守っていた。

 

 たぶん、二人とも、もう勝つとか負けるとかはどうでもよくなっている。

 ほんの僅かでも、少しでも長く、この時間が続くことを願っている。


 噛み合う武器が歓喜の歌を高らかに唱い、頻繁に互いが入れ替わる度に起こる足音は律動を刻む打楽器のようだ。

 受け損なえば木製の模造品とは言え、命を落とす。

 それでも、互いを殺しえる一撃を放ち、殺されかねない一閃を避け、二人は笑っている。


 もうこれは、止めても止まらないんじゃないか。

 どうしてくれようと手に汗がにじんだ時。


 ひときわ高い、乾いた音が響いた。


 「あ…そこまで!!!」


 俺の声に、二人の間に張りつめていた空気が解ける。

 折れとんだ槍の柄が、それを待っていたかのように落下した。


 「俺の負けだ!だが、悔いはない!良い時間だった!」


 顔中をキラキラと輝かせ、ユーシンがはしゃぐ。

 その顔から、どっと汗が噴き出ていた。あちこちに避けきれなかった鞭が裂いた傷があるが、まったく気にしていない。


 「またやろう!次は負けん!」

 「その時には、私もまだ、強くなっております」


 ふ、とミクの厳つい顔が緩む。同じように汗が幾筋も流れ出ている。傷はないようだけれど、僅かに曲がった木鞭を足元に置いた。持っていられないほど、腕がしびれているんだろう。


 「しかし、ユーシン殿下…貴方は怖ろしい御方だ」

 「む?」

 「この強さでまだ齢十八とは…貴方がこのヤルトミクの年になった時には、どれほど強くなっておられるのか…見当も尽きませぬな」

 

 恐ろしいと評しながらも、ミクの双眸は柔らかい。ユーシンを『恐れを知れぬもの』と呼ぶような目じゃなく、ただ感嘆の念が込められている。


 「オドンナルガが、もしも己よりも強いものが現れるとしたら、それはユーシン殿下であろうと仰っておられたが…その意味が良くわかりました」

 「トールが!」

 「とは言え、このヤルトミクに敵わぬのであれば、オドンナルガは遥か雲上におわす。今後も、慢心めさるな」

 「無論、無論だ!そうか!俺はトールの影くらいは踏めるようになったか!」


 うひゃひゃ、と堪えきれない笑い声が漏れる。どうでも良いけど、今の声、どっからでた?

 

 「ああ、ありがとう将軍!やはり、次にお相手いただくときには、俺は今よりずっとずっと、強くなる!約束しよう!星を掴む龍の尾を握れるくらいには!」

 「心より、その時をお待ちしておりまする」


 両拳を胸の前で合わせ、腰を折る。軍礼の中でも特に敬意を表した礼だ。

 それに対し、ユーシンは折れた槍を引き寄せ、左掌を垂直に立てた状態で片膝をついた。キリクの礼で、勝者へ送る動作。ミクが慌てて自身も膝を折る。


 「ユーシン殿下!臣下に対し、そのような…!」

 「貴殿はナランハルの臣下ではあるが、俺の臣下ではなく、この一戦の勝者だ!片膝を付くに不足があろうはずはない!」

 「されど!」

 「なあ、ファン!なんら問題はないな!」

 「ないと思うけど、ミクが困ってるから立ち上がってやってくれ」

 「ふむ!」


 ぴょこんと音がしそうな勢いでユーシンは立ち上がり、またにっかりと笑った。息を詰めていた観客…特に最前列の女性陣から、悲鳴のような歓声が上がる。


 「困らせるつもりはなかったのだ!許せ、将軍!」

 「いやはや、これも若さでござりましょうか。ナランハル」


 苦笑しつつミクも膝を伸ばす。うーん、若さって言うか、ユーシンだからじゃないかなあ。

 ただ、ここで偉そうに頷くより、膝をつけるユーシンの方がずっとらしいし、良いと思うけどね。俺は。


 「さて、いい勝負だった!見事な勝利だったよ、ミク!」

 「…は!ありがとうございます」


 せっかく立ち上がったのに、再びミクは膝をついた。その動きに倣うように、騎士たちが一斉に軍礼を取る。

 けど、きっとこの礼は俺にじゃなく、見事な一戦を成し遂げた我らが赤熊にだろう。

 

 「さあ、ミクも皆も立ってくれ。素晴らしい勝負を見せてくれた二人に、惜しみない称賛と拍手を!」


 俺の声に、待ってましたとばかりに騎士たちは跳ね上がり、手を鳴らし口々に一戦の興奮を叫ぶ。その中には、ミクだけじゃなくユーシンに対する称賛も同じくらい混ざっていた。女性陣だけじゃなくてね。

 

 「では、一同解散!浮かれはしゃぎ、せっかく頂いたお褒めのお言葉を穢さぬようにせよ!」


 ミクの微かに震える声が響き渡る。シギクトが「また泣くの我慢しーてまーすねー」と呟く。

 

 「惜しかったねぃ、ユーシン。槍折れなかったら、もしかしたら勝ってたかも?」

 「いや…」

 

 否定の声は、シドから漏れた。え、と見返す眼に、戸惑う瞬きが返される。たぶん、意図して言った言葉じゃないんだろうな。

 

 「だからお前は雑魚なんだよ。今の勝負なら百回やっても馬鹿が負ける」

 「クロムは殴るが、言うことは正しい!今、俺は完膚なきまでに負けた!」


 楽しそうに言い切り、ユーシンは折れた槍をヤクモに見せる。


 「ヤルトミク殿の攻撃は、ほぼ同じ点に集中していた!槍は折れたのではなく、折られたのだ!」

 「え、ええ!?そんなことできるの?」

 「できるからこうなってるんだろうなあ…まあ、できる人はそういないと思うけど」

 

 高速で振り回し、突きこまれる槍を捌くとき。または自分の攻撃を防がれるとき。

 意図して同じ場所に当たるようにし続けると言うのは、ちょっとなんていうか、常人のできることではないと思う。

 

 「ヤルトミク殿の恐ろしさは、おそらくここだろう!勢いと膂力で振うと見せて、狙いすました一撃を当て続けられる集中力と持久力!俺も精進せねば!できるものがいるのなら、俺もきっと、できるようになる!」

 「ああ…凄まじいな。俺がやっても同じ結果になるだろう。…世界は、広い」


 頷くシドの頬も幽かに紅潮している。今すぐにでも剣が振りたいです、と書いてあるような顔を見て、またユーシンがぱあっと顔を輝かせた。


 「やるか!シド!」

 「…疲れていないのか?」

 「それよりも、この感覚を喪わぬうちに動きたい!わかるだろう!」

 「そうだな」


 口の端を持ち上げ、シドの手が背負う剣の柄を撫でる。今すぐにでもおっぱじめそうな勢いに、クロムが溜息を吐いた。


 「やるならもっと広いところでやれ、脳筋どもめ」

 「クロムはやんないのぅ?」

 「は?なんで俺がンなことしなきゃなんないんだよ」


 そうは言っているけれど、きっと今日の隠れて鍛錬はいつもより熱が入るんだろうなあ。

 素直に混ざればいいだろうに、まあ、それができないからクロムなんだし。


 「そうか!では行くぞ、クロム、ヤクモ、シド!」

 「は?」

 「あ、ぼくも?」

 「無論だ!だから、ファンの護衛は竜騎士隊長殿に押し付ける!良いな!」

 

 そして、そんなクロムの扱いをよくわかってるのがユーシンなわけで。

 いきなり護衛を押し付けられたボオルが苦笑して頷く。


 「午後には俺たちも出発するんだから、あんまりはしゃぎすぎんなよ?」

 「わかっていると思う!たぶん!きっと!」

 「自信ないんじゃねぇかよ…ち、仕方ない。俺が見張ってやんなきゃか…おい、また蛙だの虫だの見に行こうとするなよ」

 「わかってるわかってる。気を付けてな~」


 手を振ると、渋々…っぽく頷いて、クロムは踵を返した。ちょっと足が速いことを指摘するのは止めといてやろう。

 しかし、シドとすっかり打ち解けたなあ。良いことだ。

 二人ともウー老師を連れて大都に向かうみたいだし、サライまでは一緒に行こうって誘ってみるか。


 「ナランハル」


 掛けられた声に顔を向けると、馬を曳く騎士が向かってきていた。

 その後ろに、同じように馬を連れた騎士隊と旅装の二人。


 「ああ、ご苦労様」

 「申し訳ございません。すぐにお声を掛けるべきだったのですが、ついつい、ね」

 

 苦笑する騎士の視線が向かう先には、近衛騎士たちとシギクトに囲まれるミクの姿。天を仰いでじっと動かないところを見ると、まだ泣くのを堪えてるな。


 「まあ、あれは仕方ない。俺だって見てる途中で声かけられたら、ムッとしちゃってたかも。だから、怠慢じゃなく、気遣ってくれたってことで」

 

 俺の偽らざる気持ちに、騎士は「全く、甘い」とさらに苦笑を深めつつも一礼し、軽く片手をあげる。

 隊長に従う騎士たちが、二手に割れて旅装の二人連れを前に出した。


 「ええと、来てくれて嬉しいよ。エルディーンさん。レイブラッド卿」

 「あ、あの!」


 馬の手綱を取ったまま、エルディーンさんは目を瞬かせて周りの騎士を見る。全員膝もつかず、むしろもうさっきの一戦に対する雑談を始めているのに、激しく戸惑っているみたいだ。

 それはきっと、彼女の後ろで直立不動の姿勢を崩さないレイブラッド卿も同じなんだろう。

 

 「お前たち、ナランハルの御前だぞ」

 「我らがナランハルは、畏まるよりもこちらの御仁らをほぐす方を喜ばれるかと思いまして」

 「まあ、その通りだけど、やりすぎ。逆に戸惑っちゃってるじゃないか」


 騎士たちとのやり取りはタタル語だから、たぶんエルディーンさんにはわからない。

 けれど、くだけた空気は伝わっているだろう。


 「申し訳ございません、ナランハル。反省を促すべく、こ奴らには将軍直々の鍛錬を願い出てまいります」

 「うぇ!?それはさすがに酷いです!隊長!」

 「はは、ミクに鍛錬を願う人、今日は多そうだけれどね。明日の出立に響かないようにしろよ?」

 「御意」


 全員一糸乱れぬ動きで拳を左胸に当て、肘を肩の高さまで持ち上げる。

 いきなりの規律の取れた動きに、ますますエルディーンさんたちは戸惑いを深くしているみたいだ。

 

 「君たちは、俺のお客なんで、臣礼を取る必要はないよ。アスランの民でもないわけだし」

 「あの…やはり、貴方は…」


 問いかけて声が止まる。まあ、色々あったしなあ。彼女自身、恥じてやまないだろう出会いの事や、神殿でのやり取りとか。

 でも、あの時のことは謝ってもらったし、彼女自身反省しているんだからもういいと思うんだけど、夜に寝台で足をばたつかせたくなる記憶と言うのは厄介なもんだ。


 「改めて自己紹介…かな。ファン・ナランハル・アスラン。まあ、一応、アスラン王国の第二王子、です」

 「一応って…」

 「ほら、俺、王族らしくするの苦手だしね。そう言うのは兄貴に任せてあるから」


 いや、兄貴が王族らしく振舞っているかと言うと、ちょっと疑問点が残るけれど。俺よりはずっとちゃんとしている、と思う。


 「…もしや、その…市井でお生まれに?」

 「いえ?両親は王と后妃…えっと、つまり、王妃でいいのかな?こっちは公式には一夫多妻はしないんでしたよね。アスラン王には母を含めて五人の妻がいますが、母が正式な妻…ってのも変か?とにかく、妻の代表です。

 俺は生まれた時から王族として育てられてますよ。でもまあ、向いてなくて」

 

 西方こっちは王であっても妻は一人ってことになってるんだよな。ただ、それを守っている王の方が少ないだろうけれど。なんだかんだと形式だけ整えて、愛妾を置いたりして。バルト陛下だって、ウルガさんが愛妾と言えなくもないし。

 王ではなく貴族なら、アンナさんたちによれば、子爵以上ともなれば、第三夫人くらいまでいるのが普通だそうだ。


 確かアステリアの西隣の国じゃ、王妃は今の方で五人目。最短で三日で離縁したと聞いている。離縁されても、じゃあ他の人と再婚しますね、なんてのは許されず、神殿に入った後自殺されたらしい。

 まあ、ひどい話だ。けれど、アスランみたいに多夫多妻が問題なくても、結婚したは良いけれど放っておかれて離婚もできないって人はいるからな。うちの義母上たちのように。

 もう結構だ、出ていきますと言えば、親父は止めないだろうけれど…きっと、その止めないであっさり受け入れるのが一番駄目なんだろうと言うのは、俺にもわかる。


 「あと、今後このことは黙っておいてほしいし、態度も改めないでほしい。まだ、当分アステリアにいるつもりだからさ」

 「…何故、冒険者に?聖王陛下の許に身を寄せるべきだったのでは、ないですか?」

 「んー…そんなことしたら、色々と支障がでるから」

 「支障?」

 「俺の本職の支障。結構、アステリアの動植物や風習、文化についての研究メモ、溜まって来たんだよ。博物学者って言うのは、嘘じゃないからね。ちゃんと大学で認められたんだし」

 

 全身標本は作らせてもらえそうだけれど…何かと不自由だろうし、金銭的な負担をあの王室に掛けるわけにはいかない。まあ、生活費くらいは持参するけれどさ。

 そう思って答えたのだけれど、エルディーンさんはともかく、レイブラッド卿は眉間に皴を寄せた。そういえば、あの賑やかな乳母さん、彼の伯母さんだったかな?はどうしたんだろう。


 「あの乳母さんは一緒じゃないの?」

 「タチアナは、神殿に残しました。…彼女の明るさや優しさが必要だと思ったので」


 エルディーンさんの顔が曇る。十代の女の子にとって、戦のあとに残った傷跡は重かったんだろう。

 一歩間違えれば、自分がそうなっていたかもしれないともなれば、なおさらだ。

 その逃れた幸運を喜ぶことさえ、罪悪感になる。

 忘れろとは言えないけれど、何とか乗り越えられると良い。助かったことは、決して彼女の罪ではないんだから。


 「そっか。そうだね。いい判断だったと思うよ」

 「…はい!」


 やっと、ぎこちないけれど笑顔を見せてくれた。

 けれど、その隣でレイブラッド卿がしかめっ面のまま口を開く。


 「…失礼ではございますが」

 「はい?」

 「そのような態度であられるから、王族らしくないと非難されるのでは?侮られて許すのは、寛容ではなく怯懦でありましょう」

 「レイブラッド!」


 主の非難の声にも、レイブラッド卿は動じずに俺を見ている。

 まあ、そう思われても仕方ないかもな。


 「そうですねえ。うちの騎士たちのことを言っているのでしたら」


 俺の視線を受け、軽く足を開いて立っていたボオルが、何でしょうか?と言う顔で姿勢を正すでもなく見返してくる。

 こういうのを怒れって事だよな。彼が言っているのは。

 

 「俺は結構ぼんくらではありますけど、親しみと侮りを見誤ったりはしませんよ」

 「親しみ…?」

 「親しい仲だからって礼節や思い遣りをかなぐり捨ててくるような人とは、そもそも親しくなりたくないですしね。

 王子と親しくしているのだから自分は特別に偉い。だからいう事を聞け、なんて無体を誰かに働くようなら、射殺します」


 それはそうさせた俺の責任でもある。だから、必ず俺の手で為すべきだ。

 なんか、ヤクモ辺りに「クロムはかなりかなぐり捨ててるじゃん!」とか言われそうだけれど。

 クロムはクロムで、最低限は守っている。最低限が低すぎると怒られたこともあるけど、あれを咎めてたら俺の知り合い全員怒らなきゃいけない気がする。

 こればっかりは文化の差として許容してほしいところだな。いや、アスラン全体がこんなんかと言われればそうじゃないけど。我が家の文化っていうか、うん。


 「騎士たちは俺に対してはこうですが、臣下の礼を取らなくてはいけない場所や人の前では、ちゃんとわきまえますし。

 あなた方の前でもくだけているのは、そうして振舞う必要のない相手だと侮っているのだと言われたら…ちょっと反論できませんが。

 アスランの騎士は、『アステリアの貴族である』というだけでは膝をつかないのだと、心得ください。俺も、申し訳ないがそうするつもりはない」

 「そんなこと…!私、私も、今までどおりが良いです!隣国の王子と貴族の娘じゃなくて!」


 レイブラッド卿が無礼だと反論するかなと思ったけれど、口を開いたのはエルディーンさんだった。顔を紅潮させ、なんだか精いっぱい背伸びをしている。

 子猫が毛を逆立てて身体を置きく見せているようで、微笑ましい。騎士たちもおやおやって表情を顔に浮かべた。


 「えっと…その、つまり!冒険者!!同じ冒険者として、過ごしてください!!

 あ…その、冒険者は辞していますが、でも…!」

 「わかった。神殿からくる子たちについては、男の俺たちがずっと張り付いて護衛するのも難しい。エルディーンさんも手伝ってくれたら心強いよ」

 「と、当然です!僅かな助力ではありますが、友人を守るのは、人として当然ですもの!」


 友人、と言い切って、言い切ってから、彼女はその言葉に気付いたようだった。

 もう一度小さく、友人、と呟き、ほんわりと微笑む。

 王侯貴族なんてやってると、友人を得る機会は少ないからね。きっと、その言葉を自分のものできたことは、彼女の力になるだろう。

 

 「なら、決まりだ。で、せっかくこっちに来てもらって大変に申し訳ないんだけれど…」

 「はい」


 ぐ、と拳を握り、エルディーンさんは真剣な顔で俺を見つめる。一党パーティに加わったばかりの頃のヤクモを思い出すなあ。

 

 「今日の午後には、俺たちはこの陣を離脱してクローヴィン神殿に向かう。ほんっと、来たばっかりの道を戻ることになって申し訳ないんだけど」

 「…神殿に、戻るのですか?司祭様は大変お喜びになられると思いますが…」


 ああ、きょとんとしちゃった。まあ、そうだよなあ。


 「本当は、神殿に向かわずに川沿いに南下して、大神殿から来てる皆と合流するつもりだったんだけどね。だから、神殿に使者として出した部隊に、君たちを連れてきてもらったんだけど」


 待ち合わせの町は、そうやって行くとちょっと遠かった。一度国境の街に着いてから、街道を戻るような感じになるらしい。

 さらにバルト陛下に勝利の一報を届けてもらったエリオが、非公式でもいいからぜひ会いたいとの陛下の言葉を持って帰ってきたんで、それを無視するのはどうか、という話になったわけだ。


 「ちょっと、陛下にご挨拶くらいはしないとね。まあ、俺も冒険者のみんなに心配されてるだろうし、生きてるよって顔を見せるのは悪くないかなと」

 「バルト陛下にお会いに!?」

 「ここで顔出しとかないで、アステリアに戻った後、いきなり宿に襲撃されても困るしね」

 

 ナナイを通して、散々顔を見せろと言われてはいた。

 お忍びでナナイの店に来ているときに会えればよかったんだけど、どうもすれ違っちゃってたし。

 そりゃ、ウルガさんに頼めば、いくらでも会わせてくれただろうけど。

 意気揚々と独り立ちしたのに、いきなり親戚のおじさんに泣きつくのは恥である、と思うくらいの矜持は俺にもあるわけですよ。

 

 「まあ、非公式にささっと会うだけだけど、渡ししたいものもあるしな」

 

 頼まれたお土産の一つと言うか、これから成人を迎える姫君に。

 本来なら、第一王女の社交界デビューと言うのはそりゃあもう、華々しく、皆に祝福されて迎えられるものなんじゃないかと思うんだけれど。

 まだたった十五歳の彼女には、大人げなくその足を取ろうとする馬鹿どもが多い。

 せめてその助けになれば、と思う。


 「ほんと、ごめんね。追加で使者を出すことも考えたんだけど、神殿に寄ったら間違いなく王子として迎えられちゃいそうだし、そうすると冒険者仲間にバレる危険性が上がると思って。しかも野宿になるし」

 「冒険中と思えば、なんという事もありません!」


 おお、頼もしい返答!

 せめて野宿では、嫌な思いをしないようにしよう。

 聖王陛下への俺の名代として、ミクと近衛騎士が同行するし、ユルクも持っていくから、普通の野宿よりは快適だと思うけど。


 「…ああ、それと。エルディーンさん。レイブラッド卿」

 「はい」


 俺の声音が少し落ちたことに、彼女はすぐに反応した。顔を引き締め、こくりと頷く。


 「その際、捕虜を聖王軍に引き渡すために連れていく。決して温い罰で済ませないようにと言うのは伝えるけれど、アステリアでは貴族を罰するのは難しいって聞くし…もし、捕虜がなんらかの自然現象で命を落としたとしても、俺はそれを追及することはない」


 捕虜。敵の総大将だったギメル男爵。

 他にも、村を襲撃しようとしてシドに返り討ちに会った奴が一人、昨日の夜まではいたが、今はもう、生きている捕虜は奴一人だ。ちょっとお喋りさせ過ぎましたね、と報告を受けている。


 「…バスク卿は、クローヴィン神殿にて、手厚く葬っていただけました」

 

 答えたのは、レイブラッド卿だった。


 「それに、例えあの外道がアステリアの法で裁けぬのだとしても…捕虜を斬るような真似は、いたしません。我が騎士の誇りにかけて」

 「…申し訳ない。余計な一言だった」

 

 うん。今のは俺の失言だった。

 ぺこりと頭を下げると、明らかに動揺した気配が下げた頭の向こうから伝わる。


 「ナランハル、何を言われたので?」

 「俺の失言だ。彼の騎士の誇りを侮辱するようなことを言ってしまった」

 「なるほど。けれど、王子が頭を下げるってのは、中々下げられた方も困るんですよ。コンチクショウ、と思っていても、許さなくちゃならなくなる」

 「…王族って難しいなあ」

 「ま、ふんぞり返ってるだけなら楽なんでしょうけどねえ」


 ボオルが苦笑しながら、まだ狼狽えているレイブラッド卿に視線を向けた。

 それを受けて、騎士は何とか姿勢を戻す。


 「移動中は革袋に詰めて馬に積んでいくから、目につくことはないと思う」

 「…わかりました。大丈夫です。けれど」

 「うん」

 「…私は、知りたい。何故、あの男はあんな…あんな、恐ろしい、ひどい事を?」


 彼女はきっと、村から救出された生存者の様子を間近にみただろう。人質として門前に連れ出された人々が受けた非道も、察しただろう。

 何故、同じ人間に、そんなことができるのか。

 それが、憎い敵国の民なら。

 アスランを憎まされて育てられた彼女なら、不倶戴天の敵だから攻め込み、殺すと言うことまでは理解できなくはない範疇だろう。

 その延長にあると言うか、根源にあると言うか。


 「やりたかったから、だろうな」

 

 それが正しいのかはわからない。だけれど、あの男の底の浅さは、きっとそれが正解なんだろうなと思わせる。


 「そん…な、こと、で?」

 「人を躊躇いなく殺せると、まるで自慢のように言っていた。あの男にとって、それはすごい事だったんだろう。それを証明したかった、が正しいのかな。

 誰にもできないことをやった。それは自分が特別な人間だからだと、そう喚いていた」

 

 確かに、特別ではある。特別級の愚か者だ。できない事と、やらない事の区別もついていないだけの愚か者だ。


 「たぶん、本当に何も考えちゃいなかったんだ。そうしたら楽しいだろうくらいで。宰相派らしいから、筋書き通りに陥した神殿から『違法な薬物』を発見したと振りかざせば、どうにかなると思ったんだろう」 


 クローヴィン神殿が狙われたのも、政敵でもあるバレルノ大司祭と関わりが深いから、その「悪事」を暴き立てれば大司祭の失脚に繋がる…っていう判断もあるよな。

 さらにはエルディーンさんを「保護」できれば、子爵家に貸しもできる。

 実際、そうなった時宰相がどう判断したかはわからない。

 手駒を増やしたいと思っていたとしても、味方にした方が不利になるようなのは要らないよな。そんなの関係ねぇ!まずは数だ!で手あたり次第受け入れるような奴なら、ウルガさんが密偵の一人や二人、潜り込ませているだろうし。

 

 「村の女性や…こども、に、酷い辱めを与えたのも…やりたかったから、ですか?」

 「…そうだね。なんでそんなことを望むのって言う問いには、俺も答えられないけれど」


 同じ立場でも、あの老夫婦と子供を守り続けた人のように、断固として拒否できる人もいる。彼はかなり危ない立場だったはずだ。そして彼と同じ立場の傭兵も、率いる騎士も、悪事をなしていることはわかっていた。当然だ。

 けれど、皆同じことをしているのだからこれが正しいんだっていう錯覚で、無理やりそれを打ち消し、暴虐を振う快感で誤魔化しているだけだ。


 そこに「誰が見ても正しいこと」を見せつけられたら。


 罪悪感を埋めるために、お前だって同じだと言うために、どれほどの非道がなされたか…想像もしたくない。

 彼と、彼が匿う人々が無事でよかった。それだけでも、急行した意味が生まれる。


 「クローヴィン神殿の司祭様からお聞きしました。20年前の内乱時、どれほど反乱軍が悪逆を尽くしたのか…だから、司祭様は最初の呼びかけにも決して応じず、門を閉ざしたのだと」


 ぎゅ、とエルディーンさんは自分の身体を抱きしめるように腕を回した。かすかに震えている。


 「…私はずっと、アスランこそ悪逆の徒であると思い込んでいた…けれど、これは…これでは、アステリアこそ…!」

 「それは違うよ」


 彼女の言葉を、遮らせてもらう。

 アスランを見直してくれたのは嬉しいけれど、決してアスランもこういう悲劇が起こらない聖人の国ってわけじゃないし、アステリアの貴族全員がこんなことをするわけでもない。


 「国で考えるのは、誤りだ。アスランにも腐れ外道はいるし、今、この非道から民を救うべく進軍しているバルト陛下も、悪逆の徒なんかじゃないだろ?」

 「も、もちろんです!陛下がそんな、悪逆などと!」

 「つまりね、国自体に善悪はないって俺は思うんだ。結局は人によるって。まあ、他国からの略奪や収奪を国是とする国もあるけれど、それも最終的に責任を負うのは、国王であって国じゃないだろう。

 その国の民なら全員悪党だ!やっつけろ!なんて言ってたら、今日生まれたばかりの赤ん坊まで、処刑台に送るのかって話になっちゃうし」


 彼女はまだ若い。いろいろと押し付けられてきた価値観や物の見方を壊し、自分の五感で世界を知り始めている。

 それを、再び思い込みで閉ざしてほしくはない。


 「自分が生まれた国を、育ってきた国を愛し、誇りに思うのは当然のことだよ。極端にとらえて、アステリアへの愛情を喪わないでほしいって思うし、アステリア人だからと自分を責めないでほしい」

 「…はい」


 震えたままだったけれど、確かに彼女は頷いてくれた。

 良かった。彼女の芯の強さはもう証明されている。きっと今回も、乗り越えられるだろう。


 そして、たくさん見て、知って、感じてほしい。

 世界の広さを。多様性を。

 生きる人々の強さを。

 その強さに、生まれや血筋はないってことを。


 もし、さっき言われたように、俺が何らかのことで王族じゃなく、遊牧民の子として育てられたら、今の俺はできていないって思うし。

 本当にそうなるかは、残念ながら立証できないけれど…逆に今の状態で俺が王子っぽくないって言うのは、王家に生まれたらどんな育ち方をしても王族っぽくなるわけじゃないって証明にはなってるよな。

 

 「よし、じゃあ出発まで休んでいてくれ。陣屋に案内するね。昼食を食べたら出発だから、今振舞えるのは軽いものだけだけど」

 「神殿で朝食は頂きましたから!」


 騎士隊長を見ると、うーん、腹をさすられた。


 「昨晩、神殿につきまして、夜明けとともに出立いたしましたから…できれば昼食前にホーショルの一個くらいは口にしたいものです」

 「揚げ菓子(ボールツォグ)ならすぐ作れるな」

 

 ただ、スーティは西方の人に振舞うとすごい顔されるから、二人の分は塩じゃなくて砂糖入れよう。

 ちょっとしたおやつが出来上がる事には、クロムたちの鍛錬もひと段落ついているだろうし。

 どうせ腹減ったと喚くだろうから、いっぱい作っておこう。

 それが済んだら、出立だ。


 まずは国境の街。そして、大都へ。

 なんだかえらく遠回りしたような気もするけれど。

 

 はやくヤクモや、彼女たちに俺たちの国を見せたいな。きっと、色々と驚き、楽しんでくれるだろう。


 本で読むより、話を聞くより、実際に目で見て手で触れ、口にした方がずっとずっと、理解は深まる。

 座布団よりも靴に穴を開けよって言うのは、俺の学者としての座右の銘でもある。


 まずはサライだ。東西の文化が流れ込む坩堝。俺にとっても馴染みある、アスランでも有数の規模を誇る大都市。

 

 明日の昼頃陛下と会見して、それから南を目指して進んで、街道に出たら東へ。

 あと、五日かそこらか。

 流石に、もう厄介ごとはないだろうし。


 うん、と一つ頷いて、歩き出す。

 

 「じゃ、一休みしよう。こっちだよ」


 導きの神獣、紅鴉ナランハルよ。

 さすがにもう、何もない…ですよね?

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