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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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蛇のまだらは皮に、人のまだらは心に(人は見かけによらぬもの)5

 「マナン、今日はいっぱい一緒に飛べて楽しかったなあ」

 

 マナンの純白の羽毛を刷毛ですいてやると、甘ったれた唸り声が降ってきた。

 顎の下を俺の頭にぽすんと乗せているのだから、耳よりも頭の骨に直接聞こえる。

 その振動は心地よく、頭の重みもなんのその、だ。


 飛竜は主のことを親のように思っている。一年顔を合せなかったんだから、そりゃあ寂しかっただろう。ごめんな。

 でもまた、しばらくは留守番させちゃうな…せめて実家にいる間は毎日顔を見に行こう。


 周りには、同じように飛竜の毛繕いをする竜騎士隊の面々。その更に向こうで、わいわいと親衛隊の皆が自分の仕事をしたり、連れ立って俺の顔を見に来ては、手を振ってくれたりしている。

 

 紅鴉親衛隊の皆に挨拶をした後は、早々に解散を宣言した。


 本来ならここで一つ、戦意高揚の演説を行うべきなんだろうけれど、俺にそんな気の利いたことが出来るわけもない。

 俺が到着する前に夕飯を食べたりはしないから、皆空きっ腹で隊列を組んで待っていてくれたわけだし。

 だったら、さっさと解散して、食事の支度にとりかかってもらった方がいいだろう。

 それに、マナンたちを休ませ、手入れもしたかった。長距離を飛んでもらったわけだしな。


 「なんか、マナンちゃんのこと可愛いかもって思えてきたよ」


 手伝いをしてくれているヤクモが呟く。失礼な。最初から可愛いぞ。


 「言っとくが、お前の第一印象は間違ってないからな?竜騎士が側にいりゃおとなしいが、主が許していない人間が乗ろうとすりゃ、その瞬間身体のどっかがなくなってるぞ」

 「クロムに言われなくてもなんとなく察してるよ!アスランの生き物って、ほんとそーゆーの多くない?そればっかじゃない?」

 「本来、厳しい土地だからなあ…」


 大都周辺は豊かな草原地帯で、青々と茂る草がどこまでも広がる『草の海(ウス・ダライ)』だ。

 家畜が草を食んでも一雨ごとに蘇ると言われるような土地で、育つ家畜の乳は黄色味を帯びる程。遊牧の距離も短く、冬も…アステリアと比べたらとんでもなく寒いけれど…それほど恐ろしいものじゃない。

 

 けれど、本来の「タタル」である標高の高い北部一帯は、岩と岩の成れの果てである砂漠と、背丈の低い草が生える荒野が広がる地だ。


 十日もいれば草が乏しくなるので、同じところに留まれるのは七日程度が限度。

 草の有無だけじゃない。人や家畜の群れがいるのを嗅ぎ付けた、魔獣や獣の襲撃を受けるから、それを避けるためにもできるだけ頻繁に、移動を繰り返す必要がある。

 

 さらに、冬ともなれば…ただの寒さで人も家畜も死んでいく。


 尽きぬ山からやってくる凍える風は、一夜にして全てを凍り付かせる。どれだけ抗っても、万策尽くしても、どうしようもなく…その白く無慈悲な手で命を狩り取る。

 野生の飛竜ですら、凍った死体が草原に落ちていることがあるほどだ。


 そんなところの生き物が、穏やかな性質は持てないよなあ。


 ただ、人に関して言えば、タタル高原で生きてきた遊牧民たちは、大らかで朗らかだ。

 アスラン人と言えばすぐ首を刎ねるイメージが一部にあるけれど、よほどのことがない限りはまず話し合いを行う。


 例えば、国の統治が隅々に達する前、気に入った他所の娘息子を攫って嫁にするという略奪が、割と普通に起こっていた。

 そんな事をされても、最初は穏便に戻すように訴え、攫った側も対象に断固拒否されれば、手出しせずにお詫びの家畜をつけて家へ戻し、改めて交際を申し込む。

 それが礼儀とされているし、無視してやりたい放題に振舞うのなら、あれは人ではなく獣だと見なされて、近隣の氏族から攻められることになる。


 現在じゃ、結婚の申し込みと結納をこの形で行うのが多いけれどね。

 夫の男らしいところを見てみたい!と、いう乙女心と、お祭り(イベント)として騒ぎたいし家族親戚や友人の思惑が合致した結果だな。

 とは言え、ここで格好良く妻となる人を横抱きに抱え、馬に乗せられなきゃ幻滅されて婚約破棄か、一生尻の下行きだ。

 その後で一族郎党友人知人近所の人や赤の他人を率いて話し合いをし、お決まりの掛け合いをした後で大宴会、と言うのが一連の流れだ。食べ物は攫った側が、飲み物は攫われた側が提供することになっている。

 大都の街中に住み、遊牧民の血を引いていない人たちですら似たような事をやりたがるくらい、アスランのプロポーズとしては良く知られた形式だ。毎年流行りの形式があるらしく、取り仕切る専門業者もたくさんある。

  

 こうした流血をなるべく避ける性質は、人同士が殺しあうよりも助け合わなければ生きていけない環境だったからだろう。

 まあ、話し合い決裂から、良し殺そう!になるまでの時間が短いのも、事実だけれど。敵と見なせば容赦はしない。それは、タタルに生きる生き物に共通した性質だ。


 「そーいやさ、飛竜って何食べるの?どう見ても肉食う顔してるけど」


 そのあたりをさて、どうやって分かりやすく説明しようかなと思っていたら、ヤクモの興味はすでに別に移っていた。うん、まあ、いいんだけどさ…。


 「肉食八割で、果物や虫も食べるよ。野生の飛竜が多く食べるのは鹿や山羊、それからオルゴイ・ホルホイだな」

 「ちょっとまって?山羊とか鹿はわかるけど、後半なに?」

 「サンドワームの一種で、タタル高原北の砂漠地帯に多く棲息している魔獣だよ」

 「うげぇ…そんなん食べるの?」


 ヤクモの視線を受けて、俺の頭から肩へと顎置きを変えたマナンがゆっくりと瞬きをした。これは飛竜同士で「なあに?」と聞くときの動作だ。親しみを覚える相手にしかやらないから、ヤクモのことを気に入ったらしい。

 マナンはもともと人懐っこいとは言え、ヤクモには竜騎士の適性があるなあ。初飛行も平気だったし。

 色々片付いたら、うちで竜騎士やってみないかと勧誘してみるか。


 「オルゴイ・ホルホイはどこにでもいるぞ。意気地なしのタマを食いに地中から飛び出すからな」

 「それ、本当にいうこと?」

 「まあ、そうやって泣く子を叱る親もいるな。実際、オルゴイ・ホルホイの行動範囲はすさまじく広くて、灰色の丘陵でも目撃例があるから『どこにでもいる』は正しいな」

 

 地中深くを掘り進み、時折地上に顔を出す…という生態だから、あまり生息域などは特定されていない。北部一帯に多く棲んでいると言うより、そこらへんでよく見つかる、と言った方が正解だろう。

 

 「砂漠だと、地表も砂だから、地中深くにいても通った跡が地上からわかるんだ。砂が流れて窪みが出来るからな。

 そこを飛竜たちは辿り、衝撃波を当てて地中から飛び出させて狩りをする」

 「へええ~。やっぱり、おっきいの?」

 「平均的な個体で、20シヤクくらいかな」

 「20しやく?」

 「1シヤクがこれくらい」


 腰から手斧を抜いて示す。俺の手斧は1シヤクで作ってあるけれど、少しくらい柄とかすり減っているだろうから、今はちょっと足りないはず。

 元々シヤクとは、広げた親指の先から、中指の先までの長さだ。段々それが長くなっていって、今の長さになったらしい。大体、それじゃ長さが人によってまちまちだから測量には向かないしな。

 アスラン王国で土木工事や道の整備、公共施設の建築を司る行政機関を、国土院と言う。

 そこには基準となる1シヤクの金の棒があり、開祖の直筆と伝わる「この長さを1シヤクと定める」と書かれた羊皮紙と共に飾られている。

 その棒がなくならない限り、1シヤクの長さはもう変わらないだろう。

 ちなみに、1シヤクの十分の一を1スン、百倍を1イリとすると、アスラン王国法で定められている。


 「あー、ファンがさ、オオトカゲ倒した後に、なんでか手斧すぐそばに置くの、アスランでそう言う風習があるのかと思ったけど、長さ測ってたんだね」

 「た、体長はデータとして基本だから…」

 「別にいいけどねぃ。えっと、これの20倍くらいかあ…おっきいよ!!!」


 俺が4シヤクに満たないくらいだからな。十分でかい。

 ヤクモに言うと嫌がられそうだが、直径も太い。牙状の突起が何重にも螺旋を描いて並ぶ口は、全開にすると馬をも飲み込む。

 隊商が突然の雨に雨宿りをしようと洞窟に入ったら、それは超巨大なオルゴイ・ホルホイの口で、そのまま飲まれて地中に消えた、なんていう話もあるくらいだ。

 嘘だと思うけど。入らないだろ。どう見ても洞窟じゃないし。臭いし。


 「ええ~…そんなのがいきなりでてくるのう?」


 落ち着かない様子で、ヤクモは視線を足元に移した。


 「いや、滅多に出てこないよ。肉食性で地中から飛び出して獲物を襲うけれど、半年に一度食べれば生きていけるし、活きている動物よりも死体を狙う。墓場に埋葬したら、翌朝土がごっそりへこんでいて、掘り出したら棺ごとなかった、なんてのはあるけどさ」

 「なーんだ。やっぱりクロムの意地悪じゃん。クロムのばーか」

 「滅多にないがお前の足元にあるかもしれんぞ?」

 「はいはい、ヤクモの頭掴まない…って、ユーシン、おとなしいな」


 いつものじゃれあいを制しつつ、ふと近くで佇むユーシンに視線を向けた。

 ユーシンはぼんやりと槍を肩にもたせ、遠くを見ている。さすがに、いろいろ思うところがあったんだろうなあ。


 「…腹が減って、動けない」


 前言撤回。

 いや、精神的に披露したのは事実だろうけれど、すでにそれより空腹が勝っているみたいだ。まあ、昼間も消化にいいお粥だったしな。


 「それじゃあー、ご飯にしません~?」

 「シギクト!」

 

 のんびりした声と、その声の主を叱り飛ばす声。

 声の方を見れば、「うへ」という顔で首を竦める文官と、にこやかな笑みを浮かべる女性。

 その姿に、クロムのだらけていた姿勢がビシッと伸びる。

 

 「いーじゃないでーすかー。姉上~。若はあ~気にしてなーいですよー?」

 「シギクト?」


 にっこり。

 形のいい唇が浮かべた笑みに、きゅっと文官(シギクト)の顔が中央に寄る。

 

 そう。この二人は姉弟だ。

 ひょろっと長く、少し猫背、まっすぐ立っているのになんだがふらふらしているように見えるシギクトに対し、姉のサラーナは小柄ながら芯が一本頭の先から踵まで通っているような立ち姿。

 二人とも少し波打つ…シギクトのはもさもさと表現すべきか…栗毛と、紅茶のような色合いの瞳、という共通点があるんだけれど、まあ、似てない。

 俺と兄貴も全然似てないから、逆に俺は親近感がわくけれど。髪と瞳の色が一緒、って言うのもうちと同じだし。


 ただまあ、全然違うのは、うちの兄貴はかなり俺に対してアレだが、サラーナは弟にとことん厳しい。


 彼女曰く「これは日毎に成形しないと、人から粘体ハチンシャワルに戻ってしまいます」とのことだけれど。

 粘体とはいわゆるスライムの一種で、ヤルクト氏族の生活とは切り離せないものだった。…人の排泄物の匂いを犬に追われて、狩られる日々があったからね。

 今では大都の下水道はもちろん、各ご家庭で活躍している。そろそろ年末なので、粘体を交換する時期だ。色とか匂いとか、来年のはどうするか家族の話題になっているだろう。

 なくてはならない大切なものだけれど、それを弟に例えるのはどーかなー。

 

 「ナランハル、おひさしゅうございます」

 「ああ、サラーナも元気そうで何よりだよ。ミクは?」

 「申し訳ございません、ただいま夫は、ナランハルの御前に出せる状態ではございません…」


 深々とサラーナは頭を下げた。うん。また泣いちゃったか…。


 「義兄上、そのまま溶けるんじゃーってくらいー、男泣きしてましてぇ」

 「見たくない光景ですなあ」


 うんざりと、転がったままウー老師が呟いた。さっきまで寝てたのに、目が覚めたらしい。

 飛竜の毛繕いを終えたボオルが、老師をくるんでいた毛布の端をもって引く。老師なかみはぺいっと放り出され、数度転がって止まった。

 

 「もっと大切に扱いたまえ!?」

 「はあ、さーせん」

 「ほらぁ、姉上~。これが正しい紅鴉親衛隊の在り方ですよーう」


 返答は、斬りつけるような視線。シギクトだけではなく、ボオルもたじりと一歩後退る。


 「あ、あはは、そ、そうだ!ユーシンも腹すかしてるし、まずは食事取りたいなあ!!」


 それが、俺が部下を甘やかしすぎだという説教に発展することは、枯野に火を放つがごとし。どうなるか見るまでもない。

 なので、全力で回避することとする!そうする!


 実際、ユーシンじゃないが腹はぺこぺこだ。今ならこいつらの三分の二くらいは食べられそうな気がするほど。

 米あるといいなあ。いや、なくても、きっと、あれはある。

 ここは遊牧陣地クリエンだ。 

 基本は馬を飼うとは言え、もちろん、当たり前のように我らが財産たる羊も飼っている。

 つまりだ。

 ついに、米に続いて羊肉も…食える!

 まあ、戦陣であるから、干し肉のみの可能性も高いけどね。でもほら、俺、王子なんだし、久しぶりなんだし、今夜くらいご馳走があっても…良いと思うんだよね?


 「飯!飯か!腹が減った!!」

 「もー、ユーシン騒がないの!クロムもとめてよ!」

 「ユーシン殿下におかれましては、非常に腹をすかしやがっておられるご様子。ナランハルもお疲れである故、ここはご高説を賜るよりも脂と肉を賜りたいと思うのですが、如何?」

 「…ファンたいへん。クロムがおかしい」

 「クロム、サラーナにめちゃくちゃ怒られたりしてるから。苦手なんだよなあ」


 ちゃんと直立不動の体勢で胸を張り、騎士のお手本みたいな姿勢になっているけど、途中ちょっとおかしかったぞ?

 だけど、説教より飯なのは俺も一緒。これは、助太刀だな!


 「だが、クロムの言うことはもっともだ。ユーシン殿下に振舞う夕餉はできているだろうか?」

 「もう湯気立ててまーすよー。ぼくもお腹空いたんでぇ、はやく晩御飯にしたいなー。姉上」


 精いっぱいキリリとして言ったつもりなんだけれど、サラーナは弟には目もくれず、俺を見て溜息を吐いた。


 「かしこまりました。こちらへ。陣屋へご案内いたしますわ」

 「ありがとう。マナン、今日はゆっくりお休み。また、後で来るからな」

 「飛竜たちの飯は、俺らがマナンにもあげときますから。ナランハルはご自身の腹を満たされますよう」

 「よろしく頼むよ」


 肩に乗るマナンの頬を撫でると、グゥ、と一声鳴いて離れた。すぐそばにあった暖かいものがなくなって、夜風が余計冷たく感じる。

 

 飛竜と竜騎士に手を振り、サラーナを先頭に、兵たちが歩き回る陣中を往く。


 篝火が一定間隔で置かれ、足元に不安は覚えない。俺たちを見て、兵は足を止め、笑みを浮かべて軍礼を送ってくれる。

 その顔は、見覚えのある顔が多かったけれど、知らない顔も混じっていた。はじめましてな兵は、先輩たちの気安い様子に戸惑っているようだ。

 ごめんなー。うち、これが普通なんだよ。まあ、親父のとこも兄貴のところも、中核はこんなんだから。諦めて受け入れてくれ。


 「ねね、ファン。あれがおうち?」


 ヤクモが差すのは、丸い輪郭を持つ天幕…ユルク。

 それが篝火に照らされ、整然と並んでいる。

 今が昼間なら、飛竜で飛んでいた時、幾重にも円を描いて並ぶユルクが見えただろう。


 「そうだよ。陣中だから小さいけどな。これから俺たちが入るユルクが、一般的な遊牧民の家族が使うくらいの大きさだと思ってくれ」

 「小さい…かなあ?普通に家くらいあるよ?でもなんか、まんまるで可愛いねぃ」

 「丸いのは熱伝導や雪や雨が天井にたまらないようにする為だから、実用的なんだぞ。真ん中にストーブを置いて、天辺から煙突を出す。炉の両脇に立っている二本の支柱の間は、ユルクを守る祖霊の領域だから、そこに手とか突っ込んじゃ駄目だからな」

 「そなの!?祖霊って、ご先祖様のことだって、ウー老師に聞いたけど、いるの!?」

 「いや、実際にはいないけど、神殿の神像に寄り掛かったりはしないだろ?そういう事」

 

 へええ~とヤクモは感心して、通り過ぎるユルクを眺める。どこのユルクも中から明かりが漏れ、煙突は湯気を吹き出していた。中で今日の夕飯が調理中なんだろう。

 軍中の食事は、各隊に別れて各々が作る。軍の最小単位は十人なので、あの小さなユルクじゃ雑魚寝もいいところだけれど、座って食べる分には支障がない広さだ。

 

 「ナランハル、ご帰陣あそばしました」


 サラーナの声が響く。

 同時に、人垣を作っていた兵たちが一糸乱れぬ動作で左右に分かれる。

 その先にあるのは、ひときわ大きなユルクだ。


 高さこそあまり変わらないが、直径はゆうに三倍はある。

 入り口には精緻な彫り込みが施された木の扉。中央で翼を広げ、後ろを振り返るように首を横に向けているのは、当然ながら紅鴉。

 壁や屋根にあたる部分には羊の毛で作られた不織布フェルトで、一番上にかぶせる『外壁』には、脂が塗ってある。基本的にタタル高原には本格的な雨は降らないので、雨避け汚れ避けはこの程度で十分だ。

 とは言え、高原から出れば土砂降りの雨も降る。そういう時には、更にしっかりと防水加工した羊の革を被せて凌ぐ。

 屋根に雨が落ちる音は中々賑やかで、子供のころはその音を聞きながら、大人たちの「御話し」に夢中になったもんだ。


 入口は必ず南を向いている。そうすることで、入ってくる光の向きで今の時間を知ることが出来るからだ。

 その扉を、向かって右側に立つ騎士が開いた。こちらを見て目尻に皴を作る。


 「ナランハル、さあ、お入りください」

 「ありがとう、タシュ」


 顔馴染みの騎士は、更に皺を深くして頷いた。そして、クロムを見て口許にも笑みを広げる。


 「クロム坊。今夜はお前の出番はない。我らがナランハルの御休みを守るのだからな」

 「…別に、不寝番しようなんぞ思ってませんよ」

 「そうか、それならいい。お前はナランハルの夢に参上して夢魔スンスを追い払え。守護者スレン見習いでもそれくらいはできるだろう」

 

 親し気なやり取りに、ヤクモが興味津々な様子だ。まあ、親衛隊の中でも特に身辺警護を担う近衛騎士は、全員クロムの先輩みたいなものだしな。


 兄貴の稽古だけだとついていけない…兄貴は感覚型なので、教えるのが超絶下手糞というのもある…クロムに、基本の型や身体を作るための訓練を教えてくれたのも近衛騎士たちだ。

 その結果、クロムは彼らの弟分と認識されていて、こうやって会うたびに構われる。学校卒業後の新兵訓練で他の部隊に行かせたときは、「何故うちじゃないのか」と詰め寄られたほどだ。


 そんなやり取りは見ていて微笑ましいけれど、後ろからユーシンが野生に帰りかけている気配もするし、中へ入って休もう。


 少し身を屈めて、ユルクの中へ進む。

 

 入口から入ってすぐは、ベッドくらいの大きさの、ごく浅い箱になっている。ここが他の国の家で言うところの玄関だ。

 中は明るい。天窓から下げられた四つの角灯が室内を照らしている。

 箱の縁に厚い座布団が置かれているのを、ヤクモが不思議そうに見た。


 「ヤクモ、ここで靴を脱いでな」

 「靴脱ぐの?」

 「ユルクの中じゃ靴を脱いで室内用の靴に履き替えるか、裸足になるんだよ」

 「へええ~。そなんだって…っわわわ、人、え、おねーさん!?いる?」


 ヤクモがその箱のすぐ横で座って待機している六人の女官たちに気付き、あわてて身づくろいを始める。それは良いけど、余計髪ぐしゃぐしゃになってるぞ?

 女官たちは袖口で口許を隠しているが、笑いが堪えきれていない。別に馬鹿にしているわけじゃなく、ヤクモの反応が可愛かったんだろう。


 「うるせぇさっさと入れ。おっさんたちが集まってきてんだろ。っと、ファンが合図するまで上がるなよ。他人の家でいきなり糞するくらい失礼にあたるからな」

 「う、わかった!」


 とりあえず、ヤクモについてはクロムに任せよう。弟分が弟分の世話を焼けるくらいに成長したことを皆にも見てほしいしな。


 一歩進んで反転して、入り口を向いた姿勢で座布団に腰を下ろす。

 朝から履きっぱなしのブーツを脱ぐと、開放感に溜め息が漏れる。そんな激しい臭いは放っていない…と信じたい。ちゃんと銅板もいれてあるし。

 続いて靴下も脱いで、クッションの後ろに置いてある籠にいれる。後で洗濯しなきゃなあと思って…恐ろしいことを思い出した。


 「やばい…」

 「いかがなさいました?」


 サラーナが気づかわし気に眉を寄せ、すぐ横にしゃがみこんだ。その手に、控えていた女官が手拭いを渡し、もう一人が湯気を立てる桶を置いく。

 

 「着替えや何か入った鞄、ココチュに預けっぱなしだ…明日の分は背嚢にあるからいいけど…明後日から下着もない…」

 

 この季節、洗っても一日じゃ乾かないよなあ…炉のそばに置いとけばいいか?

 最悪、下着以外はそのまま着るとしても…いや、靴下も嫌だな。昨日はいた靴下を洗わずそのまま履くって、拷問に近くないか?


 「ナランハル」

 「あ、ハイ」


 はあーっと再び溜息を吐いて、サラーナは桶のお湯に手拭いを浸し、絞る。なんか、必要以上に力が籠っているのが見て取れて、怖いんですけど…。


 「ここは、貴方様のクリエンです。お着換えくらいは毎日着て捨てても、一月は過ごせるほどに御座います。もちろん、衣服官スクルチもおりますから、僚友ノコル様の衣服もすぐに仕立てましょう」

 

 あきれ果てた、って顔しなくても…。

 ついに堪えきれず、女官たちが噴き出す。そちらに「これ」というような視線を向けて窘めてから、サラーナは俺の足を取り、桶に浸けた。


 「…相も変らぬ、働き者の足で安心いたしました」

 「ふやけた白足になれるほど、俺は我慢強くないからね」

 「左様でございますね。ふふ…近習の一人もおかず、ご自身で様々な雑事をなされているのでしょう」

 「できることは王も奴隷も構わずやればいい。開祖もそうおっしゃっている」

 「まあ、初耳ですよ」


 ズボンの裾を捲り上げ、脛を手拭いで擦り、桶の中の足を洗われる。

 少々気恥ずかしいけれど…ヤクモが「なにこれ?どゆこと?」って目で見てるし…長旅や戦から帰ったら、家族に足を洗ってもらうのは一種の儀式だ。

 サラーナと俺に血の繋がりはないけれど、彼女たちはある日母さんが、「面倒見るから」と連れてきて一緒に育った仲だ。つまりは従姉弟みたいなもんだし。

 

 「タタルの風は良い風だ 千里万里の彼方から わたしの家族の背を押す風よ 我が家はこちら 家族はこちら 風よ風よ タタルの風よ 良い風よ」


 小さな綺麗な声で歌うのは、家族が無事戻ったことを感謝する歌。

 明日、戦場から帰ったら、きっと彼女は夫の足をこの歌を歌いながら洗うだろう。


 「タタルの風は良い風だ 千里万里の彼方から 家路をたどる背をおす風よ 我が家はここに 家族はここに 風よ風よ タタルの風よ 良い風よ」


 下手糞なのはわかっているけれど。返礼の歌を口ずさむと、サラーナは少し潤んだ目を細めて、笑ってくれた。


 「まだ、大都におわしますご家族を差し置いて、無礼千万であることは重々承知の上ではございますが…おかえりなさいませ。ファン様」

 「ただいま。サラーナ」


 桶から足を上げると、乾いた布で水をぬぐわれる。桶はすぐに近衛兵に渡され、外へ運ばれていった。

 座布団に座ったまま、くるりと向きを変える。


 中央に置かれた炉。そこから天窓へ突き出す煙突。その両脇の赤く塗られた二本の柱。

 壁は羊の毛で作られた毛織物。その裏には格子になった木の枠組みがある。

 天井を見上げれば、同じく赤く塗られた垂木。二本の支柱で支えられた天窓の枠に繋がり、放射線状に広がって壁の枠組みに差し込まれ、屋根を支える。

 正面奥には、簡易的な雷帝と紅鴉を祀る祭壇。


 ああ、ユルクだ。

 俺が生まれ、育った住居ユルクだ。

 もちろん、本当に生まれ育ったユルクはここじゃないけれど。

 アステリアでは全く見掛けない造り。ほのかに漂う獣の匂い。

 全部が、「帰ってきた」と、心を緩ませる。

 

 毛足の長い絨毯の上を素足で歩くのはとても気持ちがいい。祭壇まで東回りで進み、その前に跪いた。

 俺は雷帝の信徒じゃないけれど、長い不在から戻ったことと、戻れたことの感謝を捧げるのに、信徒であることは関係ないだろう。

 祈りと感謝を捧げた後、再び入り口に向き直る。これで客を迎える準備は整った。


 「さて、お待たせした。皆、上がってくれ」


 俺の声に、女官たちが動いた。空腹すぎてぼんやりしてきたユーシンと、まだあわわしているヤクモの手が引かれ、座布団に腰を下ろさせる。

 

 「さあさあ、お靴を」

 「ささ、お恥ずかしがらず」


 ヤクモが小さく「ぴ」と鳴いたのは、有無を言わさず靴と靴下をはぎ取られたからだろう。…なんか、裾まくり上げ過ぎじゃない?あと、足観察しすぎじゃない?


 「足拭かれたら、さっきのファンと同じように進め」

 「え、えええ、あの!あのあの!!さわ、さわりすぎっ!!」

 「まあ、よくよく拭いているだけですよ」

 

 ヤクモのか細い抗議に、西方語で答えが返される。ユーシンもなんだかくねくねしているのは、くすぐったいんだな。

 ようやく二人が解放され、這うようにやってきた。とりあえず手で、祭壇の前の敷布を示す。

 羊の毛皮の上に座布団が置かれたそこが、寝るまでの居場所だ。アステリアの造りで言うなら、居間リビングだな。


 炉にはもう火が入っていた。着ていた外套を脱いでも寒さは感じない。丁寧にたたんで、腰の後ろに置く。ユーシンは慣れた様子で、ヤクモは俺たちのやり方を見ながら、同じように身軽になった。

 ユーシンの槍が外套の横に置かれたのを見て、ヤクモも腰の剣を外す。


 入口を見ると、クロムも足を洗われていた。「俺は守護者だからいい!」と断ってはいるけれど、多勢に無勢。押し負けたようだ。

 

 「さて、では末将も…」

 「はい、どうぞ」


 ウー老師の前に、桶と手拭いが置かれる。女官たちは新しい手拭いで手と腕をぬぐい、きゃっきゃとはしゃぎながら外に出て行った。たぶん、夕飯を取りに行ってくれたんだろう。


 「末将の足は…」

 「何か申されまして?」

 「…ひどい扱いでござる…」

 「おっさん久しぶりでもなんでもねぇし、そもそも紅鴉親衛隊でもないだろうが。ま、その前におっさんの足洗いたいってのはかなり特殊な性癖だろ」

 「末将も若かりし日は紅顔の美少年と評判でな!?」

 「誰も見たことがないのをいいことに捏造すんな。さっさと足洗え」

 

 まったく、と吐き捨てながらクロムが中へ進む。口調とは裏腹に口許も目元も緩んでいるのは、俺と同じく久しぶりに「アスラン」を感じているからだろう。

 俺の左前の座布団に腰を下ろし、手袋を脱いで羊の毛皮の感触を確かめている。いつになく上機嫌だ。

 クロムがユルクで暮らした経験は、新兵訓練の時だけのはずだけど、絨毯の感触や羊の毛皮の手触りはこの一年、身近になかったものな。


 「クロムがあー、にこにこしてるとー、かーわいいですねぇ」

 「あ?」

 「ほらぁ、すぐ威嚇しなーい」

 「アホなことを言わんでください。で、飯は?肉ですよね?」

 

 にこーっとシギクトは笑い、クロムの横に腰を下ろす。さらにその横にトボトボとウー老師が着席した。座布団はもう一個、ヤクモの隣にもある。たぶん、ミクのだろう。

 サラーナの分がないところをみると、男の宴(エレナイル)扱いみたいだな…それなら、羊肉…ある可能性大!

 

 「夕餉をお持ちいたしました」


 サラーナの声と共に、女官たちが再び入ってくる。

 その手には、一抱えもありそうな取っ手付きの金盥。その縁からはみ出して見えている塊は…!


 「羊の塩煮(チャンサン・マフ)!」

 

 思わず漏れた声に、クロムとユーシンも目を見開き、盥を凝視する。

 そんな俺たちの熱視線に見守られながら、程よく煮え、プルプルと脂身が震える羊の塩煮が敷布の真ん中に置かれた。

 

 あああああ、羊!羊肉!!

 煮られて赤みを帯びた灰色になった肉と、半透明の白い脂身!!

 口の中に唾液があふれて、食べてもいないのに味が広がる。

 

 けれど配膳中にいきなり食いつくのは当然ながら行儀が悪い。母さんがいたら「そう、ご飯いらないんだね」と言われて外に出されるレベルだ。

 ぐっと我慢せねば…。


 「ユーシン!溢れてる!出ちゃってる!」


 ヤクモがユーシンの口に、ポケットから出した手巾を当てた。気持ちはよっく分かる。むしろ、今は食いつかないのをよく我慢していると褒めてやりたい。


 女官が俺らの横にそれぞれ盆を置き、そこに銀で作られた杯を乗せていく。彼女に続くのは、陶器の酒瓶を持つ女官だ。二人一組、一人一本ずつ持っているのは、中身が違うからだろう。


 俺の横の銀杯には、問答無用で透明なとろりとした酒が注がれた。馬乳酒を蒸留して作る酒、アルヒだ。クロムたちにも同じものが注がれる。

 ユーシンとヤクモの杯には、金色の少々濁った酒。たぶん、蜂蜜酒だな。


 切り立ったアーナプルナの岩壁に、蜜蜂は巨大な巣をつくる。その巣から滴った蜂蜜が岩に窪みを作り、いつしかそこに蜂蜜がたまって、酒に変わる。

 そうやってできた天然物の蜜酒はヘルカとウルカの飲み物とされ、人は小さな金の匙一杯分だけ「御裾分け」を戴くことが許される。

 その匙一杯分の蜜酒を酒種として作られる蜂蜜酒は、クトラやキリクの祝い事には欠かせない。

 

 ユーシンの視線が肉から、銀の杯に揺蕩う金の酒に移った。

 ほわりとその天色の双眸が緩んで、配膳する女官たちの視線が釘付けになる。いいけど、そいつ今、涎垂らしてるよ?

 

 料理と酒を置き終わり、女官たちは一礼して離れた。そのまま、サラーナを先頭にユルクを出ていく。ミクこないけど、彼女らが退出したと言うことは、どうぞ始めちゃってくださいと言う意味だ。

 シギクトを見ると、うんうん頷かれる。単に食べたいだけの可能性もある。けれど、熱いうちに食べないと勿体ないし…ミク、ごめん。残んなかったら、本当にごめん。なるべく分けとくから!たぶん!


 「ユーシン、返礼を頼んでもいいか?」

 「任されよう」


 塩煮の右横には、湯気を立てる饅頭マントン。カーランから伝わった、所謂皮だけの肉まん(ホーズ)だ。ホーズは皮を発酵させないでつくるから、このふっくらとした皮で包んだものは合わせてマントンホーズと呼ばれる。

 左横に並ぶのは、羊を血を腸に詰めて茹で上げた、血腸詰ザイダス。アステリアなどの西方諸国は豚の血でこのブラッドソーセージを作るけれど、アスランでは当然羊が材料だ。

 もう一つ、皿ではなく鉢に入れられて湯気をたてているのは、内臓の塩茹で(チャンサン・ゲデス)だ。心臓と肝臓は羊を捌いたその日のうちに、他の部位は今日は良く煮込んで、明日の朝にスープとして食べる。

 

 料理はこれだけ。これだけだけれど…十分だ。今日はさすがに野菜を食えとは言わない。大体野菜がない。

 杯が乗る盆には、他に置かれているのは皿と小刀のみ。これで羊肉を切りながら食べろと言う、箸すら使わない、まさに男の宴に相応しい食べ方。

 

 「天に地に!」


 杯を持ち、指で表面をはじいて雫を飛ばす。なるべく料理にかかるように飛ばすのは、天と地からの返杯を受けて飲んだと言うことになるからだ。

 

 「ここにある、善き友に!」

 

 全員の顔を見ながら、杯を掲げて、それからほんの少し啜りこむ。

 かああっと、口の中に刺激が弾けた。アルヒは蒸留酒だから、相当強い。「酒は飲むものじゃなくて舐めるもの」とはよく言ったもんだ。


 「ヘルカよウルカよ、美酒を受け取り給え」


 ユーシンも指を杯に入れ、雫を円を描くように飛ばした。

 金の雫が明かりをはじき、きらきらと煌めく。


 「善き友よ、善き酒、善き糧を感謝する!」


 宣言と同時に、ぐい、と杯を干し、逆さに向ける。飲み干したことを示すキリクの礼だ。蜂蜜酒の酒精の強さは幅広く、強いやつは強い。けど、ユーシン用にと用意されたものならかなり低いものだろう。雫の感じからして、果汁と水を混ぜているのかな。

 その証拠に、飲み干したユーシンの顔色に変化は見られない。ぺろりと口の周りを嘗めたところを見ると、美味しかったようだ。


 「さ、食おう!皿を出してくれ」

 

 最初の一皿は宴の主人が振舞うのが礼儀だ。突き出された皿に、小刀を鞘から抜いて肉に突き刺し、ホイホイと乗せていく。

 一塊は拳よりでかい。まずは塩煮を食べてから好きなものを食うのが手順だし、やっぱりこいつは最初に食らいつきたくなるよなあ!


 湯気を立てる羊肉を素手で掴み、小刀を差し込む。

 骨ごとぶつぎられて煮られているから、骨と肉の間に刃を走らせて、軽く離したら…あとは齧り付く!


 肉の弾ける感覚、脂が口の中で溶けていく幸福。

 咥内いっぱいに広がった肉の旨味は、ああ、羊だ!羊の味だ!


 夢中で食べていると、あっという間に骨だけになった。骨を皿に置き、盥に目を戻すと、すでに半分くらいない。

 まあ、四分の一は先に取り分けたからね。それはいいんだけれど。


 「良く食うのう…特にクロム。お前さん、戻しまくっておったろうに」

 「だから食うんだろうが」


 すでにクロムの更には三つばかり骨が盛られていた。小刀一閃、あとは牙を立て、肉を食い千切る。その動作に無駄は一切ない。

 最後の一片を骨から剥がしながら鉢へと手を伸ばし、小刀を突き立て次の肉を掻っ攫う。なんか、そういう絡繰りみたいになってるぞ?お前…。

 視線を移せば、ユーシンはすでに小刀を使っていない。

 両手で骨の端を掴んで噛みついて引きはがし、瞬く間に咀嚼しては飲み下し、後にはつるりと肉の欠片も残らない骨。肉は飲み物じゃないんだからな?


 「ヤクモ、羊肉は食べなれないと臭みがあって苦手って人もいるんだけれど、大丈夫か?」

 

 宴の主人として、自分だけ食って満足してるわけにはいかないよな。そう思ってヤクモを見ると、頬をふくらませて肉に齧りついている。

 小刀を使って食べるのは早々に諦めたようで、ユーシンと同じように骨をもって齧りつくスタイルだ。さすがに元祖と同じようには食べれていないけれど、ガツガツという表現がしっくりくる勢いで食らっている。

 うん、余計な心配だったみたいだな。


 もう一つ塩煮を食べてから、腸詰と内臓に取り掛かる。共に味付けは塩のみ。だが、それがいい。余計な味付けが邪魔な料理もある。これがそれだ。

 腸詰を食べながら酒を飲むと、冷えていた身体がぽかぽかと温まる。

 血腸詰はクロムの大好物だから、食いつくされる前に皿一杯分くらいは食っておこう。


 しばし無言の食事が進み、塩茹でが盥からすっかり姿を消し、腸詰の大半をクロムが、内臓の塩茹では俺とユーシンが食いつくし、ヤクモが幸せそうな顔でマントンに食らいついた辺りで、外から声がした。


 「千人将イル・ミンガン、ヤルトミク!」

 

 近衛騎士が、その名を呼ぶ。

 どうやらミクが復活したらしい。


 「あ、義兄上、来たみたいですねえ」


 もぐもぐと腸詰を齧りつつ、のんびりとシギクトが呟く。立って出迎える気はないな。まあ、酒飲みだしたら勝手に入れが男の宴だ。無礼にはならない。

 でも、声がして扉が開けられても、誰も入ってこない。全員の頭に「?」が浮かんだ。


 「あー、コホン。将軍、参られよ。ナランハルがお呼びであるぞよ」


 見かねたように、酒を嘗めながら老師が声を上げた。

 他の連中なら、開いた瞬間入ってくるだろうけど、ミクだしなあ。老師、助け船ありがとう。


 「ナランハル、御前に参上仕る」


 のそり、と身を屈め、ミクが入ってきた。甲冑は脱いでいるけれど、だからこそ…その巨躯がよくわかる。甲冑着て着痩せするって、どうなんだろう。

 服を押し上げるはちきれんばかりの筋肉は、『赤熊』の二つ名に相応しい。アスランで猛将と言えば名が挙がるのも、見ればわかる。問答無用の説得力だ。

 

 「改めて久しぶり、ミク。来てくれて本当に助かったよ、ありがとう」

 「ナランハル…ッ!!」

 「良人あなた、感涙は席に着いてからにしてくださいませ」


 ぶわりと盛り上がりかけたであろうミクの涙を、続いて入ってきたサラーナの冷静な声が止めた。

 

 「う、うむ」


 巨躯を小さくして靴を脱ぎ、ミクは空いた座布団へと進む。その前で両膝をつき、俺に向かって深々と頭を下げた。


 「ナランハル、御身壮健であらせられること、臣は心より嬉しゅうございます!」

 「ミクも元気そうだな。良かったよ。ほら、顔上げてくれ」


 そう声を掛けるも、頭は上がらず、大きな背が小刻みに揺れている。シギクトが肩を竦めた。ああ、始まっちゃったか。

 

 「夫のことは少々お捨て置きくださいませ。食後の茶をお持ちいたしました」

 「うん、ちょっとそっとしとく…クロムと老師は、まだ酒かな?」

 「いや、俺ももう茶にする。明日、無様を晒せないからな」


 二日酔いにでもなろうものなら、近衛騎士たちにめっちゃくちゃ揶揄われて、いい子にしてろよと陣に置き去りにされるだろうからなあ。

 

 サラーナは心得たと頷き、持ってきた箱から茶杯を並べる。後ろに続く女官が、茶壷から薄い緑色に染まった茶をそこへ注いだ。途端に肉の匂いを越えて、いい香りが鼻に届く。


 「カーランの茶だね」

 「ええ。スウリン産の霧香茶です」


 霧の如く香るとはよく言ったもので、爽やかな甘い香りと、香りそのものの味は肉料理の後口に最適だ。

 ただし、買おうと思ったら魂が霧になるくらいのお値段だけれど。実家では出てくるけれど自分じゃ買わない、もしくは買えないものっていっぱいあるよね。


 「わあ、良いにおい!」

 「うむ!また一から肉を食いたくなるな!」

 「まだ…食うの?」


 明日の朝はモツ煮からはじまるからさすがに今日は我慢しなさい。

 あ、ミクの分のご飯もうないなあ。食べてきてないよな、ミクの性格考えると…。

 そう思っていると、女官の一人がミクの前に鉢を置いた。肉と内臓の塩茹でが入っっている。うん、食いつくしちゃってすいません…。


 「ええと、そろそろいいかな?ミク、ご飯冷めちゃうから、顔上げて食べて、な?」

 

 ゆらり、と両腕を突き、ミクの顔が上がる。

 ミクの顔を一言で表現すれば、「男前」だろう。太い眉に高い鼻梁、分厚く引き締まった唇、どれをとってもその印象だ。

 さらにそれを強調しているのが、顔の中央横一文字に走る刀傷。

 ちなみに付けたのはサラーナで、ハラハラするミクを後ろに包丁を振り上げて降ろしたら、なんかまな板の肉じゃなく、夫の顔が切れていたらしい。

 

 その男前の精悍な顔が、涙でぐちゃぐちゃに濡れている。

 ここまで泣かれると、すごく悪いことをした気分になるな…しかも、これ、すでに顔出せないほど泣いた後なんだぜ?


 「顔をお拭きください」


 ばしんとその男前に、手拭いが叩きつけられた。

 ええっと、まあ…サラーナ、ナイス。クロムは慣れてるしユーシンは気にしてないけれど、ヤクモどんびいてるし。

 

 「将軍、ひとつ聞きたいことがあるのだが」

 「…なにか?」


 手拭い越しに、くぐもった声が返る。


 「使者に出した傭兵姉弟はどうしておるかな?」

 「おお、そうであった!」


 手拭いで顔を乱雑にぬぐい、ミクはぐるりと後ろに振り返った。その動作に、ユーシンが感心したように息を吐く。

 この巨躯からは信じられないくらい後ろ向いてるからなあ。頑健なだけじゃなく関節が柔らかいのは優れた戦士の特徴のひとつだ。


 「すまぬ!感極まって忘れておった!中へ参られよ!」

 「あ、来てるんだ」


 兄貴が老師の護衛に付けたって言う二人か。

 ココチュだけでも戦力的には十分だけど、念を入れる辺りが兄貴らしい。なんだかんだ言いつつも、老師を股肱の臣と思っているからこその判断だろう。

 …同時に、老師と二人旅と言うしんどい状況から、ココを助けるための処置でもあるとは思うけれど。


 「失礼する」


 答えた声は、女性の声だった。ヤクモの背がぴんと伸びる。

 いつもならヤクモを揶揄うクロムの声がない。


 それは、入ってきたのが…控えめに言って相当な美女だったからだろう。


 年は俺と同じくらいかな。夕焼けのような赤い髪はが縁取る顔は、陶器で精巧につくられた人形のようだ。白い肌に赤毛と、薄い青の瞳、紅色に色付く唇が、奇跡のように絶妙なバランスをとって並んでいる。

 ユーシンの隣に並べたら、天女だって見とれるな。これは。

 さらに旅装の上からでもくっきりとわかるほど豊満な胸。細い腰。

 人の美醜のセンスと言うのは様々だけれど、彼女については百人中百人が美女だと評するだろう。文句のつけようがないってやつだ。


 手に持つ錫杖の先には、尾を上げるイルカ…いや、シャチが象られた小さな彫刻がある。ということは、大海の主(ダロス)の神官か。

 

 「おお、無事であったか!さささささ、末将の隣へ、ささ!!」

 「杖の次は首の骨折る。そう言った記憶があるが?」


 嫋やかな声で、とんでもないことさらっと言ったな…。

 まあ、彼女なら、首の骨折られても隣にいてほしいと思う男はいそうだ。幸い、ウー老師にその気概はなかったようで、しおしおと引き下がる。

 流石になあ。「ウー老師、兄貴が付けてくれた傭兵の女性にセクハラして、首の骨折られたよ」って報告するの気が引けるし。


 「弟も入っても?」

 「ああ、もちろん!入ってきてください」


 こくりと彼女は頷き、後ろに向かって声を掛ける。西方語だけれど、さらに西の方…西海地方の言葉だな。

 あっちは文字は一緒でも発音が全然違うから、読めても話せない。とは言え、老師を脅した声はタタル語だ。少々たどたどしいけれど、アスランに住んで長いんだろうか。

 

 「…お邪魔する」


 美女の弟だけあって、さすがに整った顔だ。ただ、姉とは路線が違い、ミクのような男前方面の美形だな。

 まだ若い。クロムたちと同年配か、一つ二つ上か。

 赤毛と薄い青の双眸は姉と同じ。ここもカラーリング一緒の姉弟なんだな。

 太くはないがはっきりとした眉や、しっかり見開いた双眸は姉と正反対で、引き締まった唇も薄い。けれど、俺やシギクトと違い、なんとなくこの二人は姉弟だなってわかる。

 顔のパーツのバランスや、なんとなく纏う空気が似ているから、かな。

 

 「どうぞ、上がってください。座布団もう一つだそう。あ、ご飯は食べた?」

 「お持ちいたしますか?ナランハル」

 「うん、そうしてくれ」


 座布団は行李の中からすぐに取り出され、食事もミクと同じものが運ばれてきた。素足で上がることに二人とも抵抗がない。やっぱり、アスランでそこそこ暮らした経験がありそうだな。


 「お名前を聞いても?」

 「私は、ガラテア・ライデン。これは弟のシド」

 

 これと呼ばれても弟の顔に反応はない。いや、視線は鉢の中の肉に注がれてて、姉の言葉を聞いていない。この子も肉食族か。

 まあ、十代二十代の若者が肉に興味がない方がおかしい。先に食べてもらってからいろいろ聞いた方がいいか。


 「ファン!俺も!」

 「ごめん、サラーナ。ユーシンにお代わりある?」

 「すぐにお持ちいたしましょう」


 サラーナの合図で女官が更に外の兵に声を掛けた。ちょっと笑い声が起きている。 

 嫌な感じの嘲笑じゃなく、親戚連中が良く食う子供に「そうかそうかまだ食えるか!」と喜んでいる笑い声だ。

 アスランではよく食うのは立派な男の条件の一つだし、ユーシンは腹減り魔獣でも隣国の王子。自分とこの食事を美味い美味いと食いつくし、お代わり迄要求されれば悪い気はしない。そりゃあ喜ぶ。


 「積もる話もあるし、聞きたいこともあるけれど、まずは三人とも食べてくれ。サラーナたちは?」

 「では、ユーシン殿下のお代わりが参りましたら、私たちも下がらせていただき、夕餉を取らせていただきますね」

 「ああ。こっちは任せてくれ」


 男の宴の面倒を、女性たちは見ない。お茶やなんかを運んできてくれたのも、サラーナの好意だ。

 本当に親戚が集まってやる宴なら、国王おやじが主人でも、母さんをはじめとする女性陣は一切手出ししない。一番若いのが使い走りやら酔っ払いの世話やらをやることになっている。

 ここだと、ヤクモは客なんで、クロムだな。絶対やんないだろうけど。


 ユーシン待望のおかわりが運ばれてきて、サラーナは一礼して出て行った。

 その前に夫に何か耳打ちをしていき、ミクは筋肉で盛り上がる肩を竦ませてこくこくと頷いている。なんか言い含められたな。たぶん、男泣きして困らせないように、とかだろう。


 顔に刀傷をつけられても、ミクはサラーナにべた惚れしている。求婚を身分違いだと断ったサラーナにどうにかするため、俺ら一家全員で知恵を絞ったもんだ。

 結局、「お前が妻にならぬなら、出家して生涯独身でいる!」と宣言したミクの情熱が勝ったと言うか…両想いだったんだし、ミクの両親も祖父母も賛成してたんだから遠慮することはなかったのになあ。

 ちなみに、サラーナに「身分をわきまえろ」とか言っていた連中は、その求婚騒動の少し後から男女を問わず見ていない。母さんがにっこりしてたから、たぶんなんかしたんだと思う。


 「さて、全員の食事が終わったら、知っていることをすり合わせようか」

 「ふむ。軍議とはいかずとも、情報の共有は大切ですからな」


 とは言えまずは、三人…いや、ユーシン入れて四人か。その胃袋を満たすのが先だ。腹が減ってたらまともな思考はでてこない。馬が痩せてからいたわっても仕方がないってやつだ。


 香り高いお茶を含みながら、食べ終わるのを待とう。秋の夜は長いもの。時間はたくさんある。

 っていうか、ガラテアさん…もう食べ終わったの?あ、うん。残ってるマントン食べて良いですよ。なんか、吸い込まれてくな…。

 

 「あ、そうだ。もしかして、お二人はオーディア五都連合の出身ですか?」


 俺のなんとなく思いついて出した言葉に、姉弟は顔を上げた。


 「何故、そう考える?」

 「いや、単純な思い付きなんですけど、『西海博物誌』の著者、アルバート・ライデン博士と同じ姓だったから、もしかしたらご親戚かなって思って」


 ライデンと言う姓が一般的かはわからないけど、西方諸国では姓を持つのはある程度の身分がある人だ。なんで、遠縁でも親戚かなとは思う。

 姓があるような人が傭兵やっている理由も、もしオーディア出身なら察せられるし。

 オーディア五都連合国は、その名の通り五つの都市国家が同盟を組み、ひとつの国としてあった。

 あくまで過去形だ。十年ほど前、そのうちの二ヶ国が突如として最も湾の奥にあるセス王国に攻め込み、占領してしまったからだ。

 これにより、オーディアは湾を挟んで二つに別れ、今でも戦争は続いていると聞いている。多くの人が国を追われ、流浪の身になった。姓を持つ貴族も、例外じゃないだろう。


 「確かに、アルバートは私たちの叔父だ」

 「ち、ちなみに叔父上に薫陶を受けていたりは…」

 「しない。叔父は変わりものとして有名だった。母の姉、つまり叔母が面倒を見ていたが、私たちはあまり近寄るなと言われていた」

 「…なら、『続・西海博物誌』の原稿は…」

 「十二年前、叔父の棺に入れて埋めたのではないか?」

 

 あああああ!人類の宝がああ!

 うう、やっぱり学者の…特に博物学者の最大の敵は、理解のない身内だな…。ライデン博士も原稿が墓の土になるより、未完成でも世に出してもらった方が嬉しかっただろうに。

 ううう、「ウミウシ類についての詳細な記述は続刊に」って書かれてたから、すごくすごく読みたかったんだけどなあ…。


 「くそ…こうなったら俺が現地調査に赴いて、完成させるしかないな。蟹のはさみの大きさについての記述も確かめたいし」

 「そんなすぐ行けるとこなのぅ?」

 「アステリアから半年くらい?」


 馬で駆け抜けるならもっと早いと思うけれど。

 答えると、露骨にクロムが顔を顰める。


 「却下、却下だ。蟹くらい、アステリアの川にもいるだろ」

 「でも、俺が蟹捕まえて標本作ろうとしたら怒るんだろ?」

 「当たり前だ。どこにしまっとくんだよ、それ」


 く…標本造りの最大の障壁、収納場所の問題は、いつでも俺の前に立ち塞がるぜ。

 まあ、本当に行くとしても、色々終わってからだな。それに戦時中に乗り込むのはさすがに無理だ。ありとあらゆる意味で問題になる。


 「…あんた、変わってるって言われないか?」

 「学者としてはごくごく普通だと思いますけど」

 

 肉を食いつくしたらしいシドさんが、指を嘗めながら首を振った。


 「俺のことは、シドでいい。ですますもいらん。あんたの方が年上だろう」

 「俺は今、23歳だけど…そちらは?」

 「姉は24、俺は20だ」


 ふむ、ちょうど俺とクロムの一個上ずつと思えばいいか。


 「…俺は来月で20だから。年上ぶりやがったら蹴りいれるからな」

 「何と戦ってるんだお前は…」

 

 シドの言葉遣いにミクが怒る気配を見せないのは、短い時間ではあるけれど、二人が信頼に足る人間だと判断したからだろう。

 ただの無礼者なら、すでにブチ切れている。

 俺を侮っているのではなく、たとえ前にいるのが親父や兄貴でも同じ態度をとるし、そもそもミクに対してもこうだったのは想像ができた。

 それをふてぶてしい、思い上がっていると取るか、好ましいと取るかは分かれるだろう。でも、ミクは後者だし、俺も同じだ。

 

 「私は年上だが、弟と同じだ」

 「ええっと、女性を呼び捨てにするのは俺にはハードルが高いんで、ガラテアさんでもいいかな?」

 「良しとしよう」

 

 ふふ、とガラテアさんは、そのふっくらした唇に笑みを乗せた。ヤクモがぽけーっと口を開けて見惚れている。今まで近くにいなかったタイプの美女だものなあ。

 

 「では、ナランハル。こちらの状況から。

 まず、これより5イリ北東の村は、無事に御座います。また、さらに北西にも村があるとのことですが、そこも攻撃を受けておらぬ様子」

 「そうか…!」

 「その村の近くでえ、シドくんが捕まえた人とー、お喋りしてですねー。神殿側の村にしかー、手を出してないって言うんでー、そっからの判断ですー」


 アスラン軍で言う「お話を聞く」とか「歓談の時間」はつまり、拷問で口を割らせたか、拷問にかけて嘘を言っていないか確認したってことだ。

 とりあえず拷問してみるのもどうかと思うけれど…あの連中の先触れなら、同情するのが馬鹿らしくなるような奴かも知れないな。

 

 「俺もそれは相違ないと思う。村の様子を見る限り、慣れておらぬものの所業だ」

 

 ユーシンも骨を齧りながら頷いた。諦めてそれ口から出しなさい。

 やってることはアレだが、ユーシンの言葉に俺も頷く。


 虐殺は、一度目が一番暴走する。二度目以降になると、なんとなく手慣れた感じが見えるものだ。

 血の興奮に酔いしれ、目につくものすべてを踏みにじったからこそ、あの生存者の少なさだろう。二度目以降なら、おそらくもう少し女性の生存者が多かったはずだ。

 

 「では、次は此方の情報を出しましょうぞ」

 

 ウー老師が淡々と、神殿側の村の被害を語った。生存者の数、その状況、村のあり様…

 聞いているうちに、ミクの顔に青筋が浮き出ていく。唇がめくれ、牙のような歯が剝き出しになった。


 「なるほど、ナランハル。此度の敵は、兵にあらず。賊にございますな」

 「ああ、そうだ」


 アスランの国法では、降伏した兵は必ず許す。それはみだりに血を流しては生きていけなかったタタルの掟でもあり、開祖からのしきたりだ。

 けれど。


 「敵は、賊だ。ならば、下す命はただ一つ。殲滅を行う」


 賊に、降伏は許さない。

 例えば、食うに困り、武器を取ったのだと主張しても。

 アスランの統治に不服があり、まっとうに生きられぬと言うのだとしても。


 民を襲い、殺し、奪い、犯した時点で、行く末は死罪以外ありえない。


 どれほど切実な理想が在ろうと、崇高な理念を掲げようと。

 誰かの明日を踏みにじる権利などない。

 行うのなら、自分も同じように踏みにじられる明日しかない。そう覚悟できたものと見なす。

 

 敵を賊と宣言するのは、そういう意味だ。


 つまり、俺のこの一言で、ギメルとその配下の死は確定した。

 重い。何度やったって慣れるもんじゃない。

 けれど、じゃあ後は頼んだってミク達に投げるくらいなら、はじめから首を突っ込まない方がましだ。

 

 俺は二百人の死と、灰色の丘陵に暮らす人々の命を秤にかけ、選んだ。

 村人たちが囚われているだけで無事なら、まだ話せる相手と見たかもしれないけれど。

 奴らは、すでにその魂に、虐殺の愉悦を覚えさせている。

 だから…躊躇うわけにはいかない。

 

 バルト陛下の到着を待つこともできるけれど、その間に奴らが更に別の場所へ移動し、どこかの村を襲わない保証はない。

 

 だから、明日。

 俺たちが、殲滅する。

 

 「皆、そのつもりでいてくれ」

 「是!」


 肉と茶の匂いが立ち込めるユルクを、鋭い声が揺らした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観と文章と表現と内容。 [一言] 本当に語彙が無くて申し訳ないのですが、毎回毎回面白い小説を読んでいる!と言うワクワク感を堪能しています。 蒼天と草原を駆ける竜騎士はロマンですね!
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