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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
1/86

塩を入れたら溶けるまで(乗り掛かった舟)

「うちのパーティありがちでして」の続編となります。

完全に前作を読んでいることを前提としていますので、いきなりこちらから読み始めるとなんなのこの人たち…となります。

不親切な作品で申し訳ないですが、前作も読んでいただければ大変に嬉しく思います。

 【鳥には羽根、魚には鱗】

 アスラン王国の遊牧民が伝える、知恵の言葉の一つ。

 それぞれに見合ったものがある。そぐわないものを無理に身に着けても、滑稽なだけだという戒め。




 すっかり木の葉は緑を失い、地面に一枚、また一枚と落ちていく。 

 空気は冷たく、風はさらに冷たい。じっと座っていると、外気に晒されてる頬や耳が痛いくらい。

 それでもまあ、暑くてじめじめしているよりは、寒くてひんやりしている方が好きだ。


 アステリア聖王国へやってきて一年。故郷はこの国から見て北東にある。好きじゃないってだけで耐えられるけど、やっぱりこの冷たい空気のほうが居心地は良い。

 土と落ち葉をまぶした麻袋を頭から被っているから、身震いするほど寒いってわけでもないし。


 さっきからそんな恰好でじっと見ているのは、虚ろな目を空中へ向ける魚。


 この辺の川や池に棲息する川鱸(オオクチバス)の一種で、肉は臭く小骨が多く、稚魚の時ならまだしも今地面に転がっているサイズにまで成長すると、食べるには周到な下準備が必要だ。


 早朝に釣り上げて、まだ朝と呼べる時間帯なのにも関わらず、生臭さは馬三頭分は離れている俺の鼻にも届くのだから…食べたらどんなことになるか、考えただけで渋い顔になる。

 数日間綺麗な水で餌をやらずに糞を出し切らせて(水は最低朝昼晩と取り換える)、内臓を一切傷付けずに捌けば結構いけるらしいけれど。


 問題は、そこまで手間暇かけても釣って焼いただけの鱒の方が美味いってとこだな。

 ただ、簡単に釣れるしいっぱいいるし、燻製にすればどうにか我慢できる臭いになるので、安酒場ではこいつの燻製が定番のつまみだ。酒を飲めば生臭さも和らぐしね。


 味の感想は…喉と舌にひりつく安いけど強い酒以外とは一緒に食べない方がいいと言っておこう。


 そんな川鱸を見守ることしばし。

 落ち葉が、一斉に舞った。


 盛大に散らした落ち葉と共に木の幹中ほどから飛び降りてきたのは、待ちわびた姿。


 太く巨大な顎をかぱりと開けて、いれてきた桶から半分はみ出す程だった川鱸にかぶりつく。骨をすりつぶす音がして、魚は二つ折りに曲がった。

 鋭い長い爪は樹上生活に適応したものだ。こいつはまだ若い、成長しきっていない個体だけれど、すでにしっぽの先まで入れれば大人の男くらいはある。その体重を支えている爪は、抑え込んだ川鱸の頭をやすやすと下ろした。


 オオトカゲ。


 本来、爬虫類は南方に行くほど大きくなる。

 変温動物である爬虫類は、体を動かすために高い温度を必要とするからだ。大きければ大きいほど、体温が上がるのに時間がかかり、熱帯や亜熱帯以外ではまともに活動できなくなる。


 けれども例外というのはいて、ドラゴン以外には、このオオトカゲもその一種(ひとつ)


 西方諸国ではそれほど珍しい生き物ではなく、特にアステリアには多く生息している。

 食性は肉食。でも、貴腐ワインのために木に残した葡萄が食われるという被害もたびたびあり、特に幼生期は果物を好んで食べる。庭にある果樹にオオトカゲの子供がいた、なんてのはよくある話だ。


 走れば人よりも早いけれど、狩りの仕方は基本待ち伏せ。樹上に潜み、獲物が通れば枝から飛び降りて襲い掛かる。

 口の奥には毒腺があり、唾液に混ぜて獲物に噛みつくと、失血が止まらなくなってやがて衰弱死を迎える。

 そうやって獲物が弱り切るまで、優れた嗅覚を使って一日中追跡する…それが、オオトカゲの狩りだ。


 鹿や猪が主な獲物ではあるけれど、水辺に流れついた死んだ魚や、水死体も気にせず食べる。もちろん家畜も襲うし、場合によっては人も獲物とみなす。

 警戒した様子もなく、若いオオトカゲは川鱸をむさぼる。このくらいのサイズになったオオトカゲには、実質天敵はいない。警戒するとすれば、同じオオトカゲくらいだ。狼や熊でさえ、ここまで成長したオオトカゲは襲わない。


 そんなオオトカゲの真の天敵は、俺らのような人間(ぼうけんしゃ)だ。


 音をたてないように弦を引き絞る。ずっと同じ体勢で座っていたから、関節が少々不満を漏らした。

 番えるのはアステリア製の矢。俺の大弓に合わせられたものじゃないし、少々矢柄(シャフト)が曲がっていたり、矢羽根がそろっていないけれど、目的のためには十分だ。

 それほどがっつりと狙いをつける必要はない。矢の一本で倒せるような相手じゃないしな。

 最大まで弦を引き、そして指を放つ。


 放たれた矢は秋の冷たい空気を裂いて飛び、オオトカゲの右肩に突き刺さった。


 とたんに、オオトカゲは貪っていた魚を落とし、口を大きく開けた。首元と矢の刺さった肩の鱗が逆立ち、威嚇していることを主張する。尻尾が左右に振り回され、落ち葉が掻きまわされた。


 「こっちだよ!」


 俺の右側、ちょうどオオトカゲまでの距離位を開けたくらいの木の陰から、ヤクモが飛び出す。

 オオトカゲは大きく変えた口から呼気を吐き出しつつ、ヤクモへと向き直った。


 この時期のオオトカゲはとにかく食事を優先する。

 冬眠に備えての行為だ。変温動物ではないけれど、さすがに爬虫類だけあって冬の寒さには弱い。

 秋になると巣穴をほりはじめ、完成するととにかく食べ続けるモードに移行する。冬の初めに冬眠するまで、その異常な食欲は続く。


 面白いことにその間、消化は極めて遅くなり、胃には飲み込んだ食べ物がたまっていく。冬眠に入ると、胃に溜め込まれた食料はゆっくりと消化されていき、飲まず食わずの数ヶ月を支える。


 これは本当に生物として面白い特性だと思うんだけれど、残念ながらこちらでオオトカゲを専門に研究している学者はいないらしく、アスランでも「オオトカゲの北限種」くらいの扱いだ。

 まあ、俺だってオオトカゲ相手ならあいつらって評判になりだしたころ、ベテランのオオトカゲ猟師…冒険者じゃなく、本当の猟師さんだ…に教えてもらったことなんだけれど。


 その巨体からは想像もできないような速さで、オオトカゲはすぐ近くの木に飛びついた。幹が揺れ、落ち葉が散る。

 ざざざっと梢を鳴らしたあと、ヤクモの真上の枝からオオトカゲは顔を出し、一気に枝から飛び降りた!


 「なんのっ!」


 それをヤクモは慣れた様子で躱す。空振りしたオオトカゲが両手両足で落ち葉を踏みしめ、再度飛びかかろうと身構えた。 

 四肢が力を止め、飛び上がろうとした瞬間。


 落ち葉が、舞う。

 その中から現れた、荒縄に撒き散らされて。


 荒縄は二本。両方とも輪になった先端がオオトカゲの首と肢を捕え、反対側を握るクロムは腰を落としてその縄を思い切り引く。

 飛び上がろうとした瞬間に縄で引かれ、オオトカゲは横腹を見せて転倒した。


 「肉っ!」


 叫びながら、ユーシンがクロムの横から駆け出す。手にはすでに、鞘が外された槍。

 刃は秋の陽射しを跳ね返しながら、竜の牙のようにオオトカゲの脇腹に食い込んだ。

 心臓を一突き。皮も高く売れるから、あまり傷はつけたくない。


 試行錯誤の末に俺たちが編み出したこの作戦は、追い掛け回して捕えるよりはるかに効率がいい。

 餌の下に罠を仕掛けると、人間の臭いに警戒して出てこなかったり、近くに追加の餌があると判断して先に襲い掛かってきたりするから、ヤクモには申し訳ないけど毎回囮になってもらっている。

 とは言え、このサイズより大きなオオトカゲには通用しない…縄を引いてもびくともしない…から、その時は違う手を使うけれども。


 のたうつオオトカゲは、おそらくもう絶命している。

 生命力というのは心臓が止まってもすぐには消えないものだ。その最期の大暴れに巻き込まれれば、人間の骨くらい簡単に折れる。


 ユーシンもそれが分かっているから、槍を引き抜いて飛び離れていた。

 つい一月前に手足を折ったとは思えない動きだ。御業で治癒しているとはいえ、回復力が凄まじい。…その間の食欲も凄まじかったけれど。


 振り回された尾が木の幹を揺らし、何かを掘るように動かされる鉤爪は空気を切り裂く。

 けれど、それも長くは続かなかった。つるしていた糸が切れたように手足はだらりと弛緩し、尻尾もそれに倣う。


 「死んだ!食おう!」

 「ちょっとまて。依頼の対象かどうか確認しなきゃ」


 手斧を腰のベルトから引き抜いて、槍が刺さってできた傷に刃をめり込ませる。そのまま下へと引いて、腹を開けた。

 予想通り膨らんだ胃袋が、腹圧に負けて押し出されてくる。それをつかみ、完全に体外に取り出しす。手斧で胃袋も切開すると、途端に悪臭がもわりと広がる。消化されなくても、腐るしね。

 木の枝を使って中身を落ち葉の上に広げていくと、ユーシンが顔をしかめながら…というか、思い切りくしゃりと変顔をしながらのぞき込んできた。ヤクモは俺の後ろから、三歩離れて見ている。クロムは…臭いの届かないとこまで逃げやがったな。


 「あった」


 探していたものを見つけて、それを大きな枯葉の上に転がして乗せた。

 それは、半分以上溶けた人間の指だ。外れかけてはいるけれど、指輪も嵌っている。


 「これで間違いないなら、依頼完了だな」


 今回の依頼は、この近くの村からだ。

 村の牛飼いが放牧場へ牛を連れに行くと、牛を狙うオオトカゲがいた。無我夢中で追い払ったが、その途中で手を噛まれてしまい、手首から先をほぼ失った。そして、毒で出血が止まらず、一昨日息を引き取ったそうだ。

 この指輪が被害者のものなら、襲撃したオオトカゲはこいつですと言える。

 違うなら…最近人を襲ったオオトカゲが、もう一匹いたってことになるな。


 「…人を食べちゃったトカゲは、食べたくないなあ…」

 「第一、オオトカゲの死体は村へ引き渡すって依頼だろ」

 「そうだったか」


 うーんとユーシンは腕を組んで首を傾げる。しばし目を閉じ、考え込んだ。

 依頼を受けに行った村でもさんざん騒がれた顔に晩秋の木漏れ日があたり、まるで細心の注意を払って彫られた彫刻のようだ。


 す、とその目が開き、天色の双眸が現れる。


 「なら、もう一匹探そう!肉だ!」

 「やだよう!寒いし!」


 ふんすと頬を膨らますヤクモの顔にも、もう膏薬などはない。一番大きい痣が出来ていたおしりも、もうなんともないそうだ。クロムと二人分の体重がおしりにかかったわけだしなあ。骨盤やらが骨折してなくてよかった。


 「まったくだ。さっさと帰るぞ」


 サクサクと落ち葉を鳴らしてクロムが歩み寄る。

 臭いの届きそうなあたり半歩前で止まったけれど。


 「トカゲは美味いが、今はトカゲの気分じゃない。もっと脂の多い肉が食いたい」

 「…それは一理あるな!」


 どんな理だそれ。


 「冬に備えて脂を食いたくなるのは人として当然だろ」

 「ぼく、そんなに食べたくならないけどな~」

 「じゃあ食うな。お前の分も俺が食う」

 「いらないとは言ってないでしょ!」


 わきゃーっと騒ぎ出したうちのパーティに少々ため息を吐きつつ、こっそりとオオトカゲの顎の下に手斧の刃を差し込み、鱗を一枚剥がす。


 この顎の下の鱗はどうやら死ぬまで抜けずに成長するようで、木の年輪のように見ればこのオオトカゲが生まれて何年目か推測することが出来る。

 どうせなら全身標本つくりたいけれど、革だけじゃなく、骨も軽くて丈夫だと需要があるからなあ。ボタンや留め具、ペーパーナイフなんかになるらしい。

 なので、今のところ標本を作るなんて余裕はうちにはない。依頼を受けずに狩ったオオトカゲも、そのままギルドの買い取りに回してサヨウナラになる。ああ、作りたい全身標本…。


 手帳に今回のオオトカゲの特徴とスケッチを記し、鱗の裏側に番号を書き込んでおく。こうしておけば、どれがどのオオトカゲの記録で鱗かわかるからな。


 俺の見たところ、アステリアのオオトカゲは三種類いる。


 今回狩ったのは、もっとも大型になる種だ。

 特徴は太い口吻と半ばから黄色味を帯びる長い尾。とりあえずの仮名として、アステリアキオナガフトアゴオオトカゲと名付けた。一番多く見掛けるオオトカゲはここまで尻尾が長くないから、アステリアフトアゴオオトカゲ。


 もう一種は、一番小さいけれど鱗が鎧状に分厚くなっているので、アステリアヨロイオオトカゲ。尻尾は短めで成長しきると樹上生活をやめて地上に住まいを移す。土を掘って身を隠し、通りかかった獲物に噛みつく狩りをする。


 確率は低いようだけれど交雑も可能なようで、たまにでかくて鱗が鎧状になった樹上棲のトカゲもいる。この交雑種がさらに繁殖できれば、どっちかは亜種の可能性もあるんだよなあ。


 「おい、なにやれやれ…みたいな顔している。どうせまた長ったらしい蘊蓄を頭んなかで垂れ流してんだろ」


 口に出してないなら無害じゃないか!

 文句を言おうと思ったけれど、それで鱗を没収されたら困るので、曖昧な笑みを浮かべておいた。


 「さっさと腸を始末して引き渡しに行くぞ」

 「はいはい」


 証拠品…は指輪だけ木の枝で引っ掛けて外し、水をかけて洗っておく。手巾にくるんでポケットにしまった。指の方は、申し訳ないけれど埋めさせてもらおう。

 指は木の根元に穴を掘って埋め、オオトカゲの胃袋は少し離れた場所に食べ残しの川鱸と一緒に軽く落ち葉を掛けた。明日にはきっと、他のオオトカゲの餌になっているだろう。


 「よし、帰還しよう。今から帰れば、村へオオトカゲと指輪を引き渡しても日没までには王都へ戻れる」


 日没を過ぎると城門がしまっちゃうしな。野宿の用意はしてきていないから、できれば避けたい。

 まあ、こういう時、なし崩し的に野宿になっても気を使わないのが男四人のパーティの利点だ。


 戦士、男だけの四人。

 実にありがちで、潰しの利かないうちのパーティ。


 それでも、オオトカゲ狩りくらいならできるんです。いい加減駆除業者から卒業しろと言われているけれど。



 「今年最後の仕事もオオトカゲ、ねえ」

 「無事終わらせてきましたよ」


 村長さんの息子さんが仕上げてくれた終了証を渡すと、ギルド職員のアンナさんは溜息をつきながらも受け取ってくれた。


 日は俺たちが城門をくぐったすぐ後に落ち、冒険者ギルドはランプの明かりで照らさせている。

 並ぶ卓には一仕事を終えたり、特に今日は何もしなかった冒険者(どうぎょうしゃ)たちが陣取り、料理と酒を口に運んでいた。


 その口に運ぶ料理と酒も、卓によってずいぶんと差がある。肉やら魚やらパンやらに、酒瓶が並ぶ卓もあれば、ジョッキ一つと干魚が皿にぽろりと転がる卓もある。


 それでも卓を囲む冒険者の顔は暗くはない。とりあえず今日一日生きている。明日またどうにかすればいいさ!と空腹を誤魔化せないのは冒険者に向いていない、そうだ。この一年で、なんとなく俺も分かった気がする。


 暖かい室内はほっと気を抜く気配に満ちていて、漂う食べ物の匂いは胃を刺激する。これから帰って飯を作るのはさすがに億劫だし、食べてっちゃってもいいかな。


 冒険者ギルドはアンナさんら職員がいるカウンターの向こうと、俺たち冒険者がたむろするカウンターのこっち側に分かれている。

 「こっち側」はぶっちゃければ食堂だ。専任の料理長が腕を振るい、新米のギルド職員が給仕をする。そうやって半年は冒険者という存在に慣れるところから始めるらしい。


 職員さんたちは半分役人のようなものだけれど、出自は様々だ。

 それこそ役人を辞めてギルド職員になった人もいるし、商家の生まれだけれど無給でこき使われるのは御免だと試験を突破した人もいる。

 アンナさんが指導している後輩さんは農家の生まれで、頭が良いのにどこかへ嫁にいかされて、女中の如くこき使われるのは勿体ないと、叔父さんが送り出してくれたのだそうだ。


 冒険者ごとに決まった担当がいるわけじゃないけれど、馴染みの職員さんなら話が早い。

 手に取った依頼書の難易度と此方の実力を比較して、困難なようなら止めてくれる。

 それでも分不相応な依頼を強引に受けて、帰ってこないパーティも多いのだけれど。

 そしてそれとは逆に、実力的に申し分ないのに難易度の低い依頼ばかりやっていると、こうして溜息をつかれてしまうわけで。


 「俺たち以上にオオトカゲを狩れる奴らなんぞいないだろ」

 「あなたたち以上になんなくていいの。オオトカゲを狩れるパーティに増えてほしいのよ。あなたたちが片っ端から狩ってたら、経験を積めないでしょ」

 「えーと、来年は精進します…今回はほら、俺たちも怪我の影響がないか慣れた依頼で試したかったし、人を襲った冬眠前のオオトカゲなら、早く狩らなきゃだったし…」


 指輪は、やっぱり襲われた牛飼いさんのものだった。

 泣くのをこらえながら指輪を握りしめた奥さんと、そのエプロンにしがみつく子供たちを思い出して、少し憂鬱な気分になる。

 これから冬を迎えるのに一番の働き手を失ったあの家族へ、オオトカゲの売値から依頼料を差し引いた分を渡す予定だと、村長さんは沈痛な顔で教えてくれた。

 一冬越せれば、子供たちも少し大きくなる。一番上の息子さんはお母さんを助けて、牛の世話を始められるようになるだろう。何とかこの冬を乗り越えてくれと、願わずにはいられない。


 「まーね。そういえば、もうすぐ実家へ帰るんでしょ?」

 「はい。十日以内には出立します」


 実家はここから千里のかなた。ちょっと顔出すか、で帰れる距離じゃない。


 「こっちに戻るのは、二月は先かな」

 「荷物はギルド預かり?」

 「そのつもりです…あ、ヤクモ!ユーシンが卓の方へ行ったから、空いている卓へ誘導してくれ!」

 「はーい!」


 ふらりふらりと食い物の匂いにつられて移動し始めたユーシンの肩を押して、ヤクモは唯一開いているカウンター手前の席に向かわせた。

 この席は職員さんらから丸見えなので、なんとなく人気がない。

 別に冒険者と職員さんに対立なんてものはないんだけれど、提出しなきゃいけない書類や報告を滞らせている冒険者が多いのもまた事実。「のんびり飯食ってんじゃねーよ…?」という視線を感じる背中もあるということだ。

 俺たちに未提出の書類はないから、気にせず陣取ることはできる。


 「じゃあ、アンナさん。ユーシンが野生に戻る前に飯を食うので」

 「私、そろそろ上がりなの。ご飯ご一緒していい?もちろん自分の分は払うわ」

 「へ?それは構いませんが…」

 「今、アステリアで値上がりしている物品買ってこいとかいうのは依頼とみなすからな」


 なんでギクッとした笑顔で固まるんすか…。

 こちらも曖昧な笑顔を浮かべながら、ユーシンとヤクモが陣取った卓を指さす。


 「え、えっとそれじゃ、お先にいただいてますね」


 卓へ向かうと、すでに給仕の新米職員さんがやってきていた。


 「予算は?」


 シャツを袖まくりした新米さんは、慣れた様子で聞いてくる。彼を初めて見掛けたのは初夏くらいだったから、そろそろ給仕の仕事もおしまいかな。


 「一人小銀貨3…いや、5枚で!」


 告げた金額に、クロムが口笛を吹いた。感心したときに口笛を吹くという仕草はこっちにきて覚えたもので、あまり上品なものではない。けど、冒険者ギルドにはよく似合う。

 ちなみにユーシンは何度やっても口笛が吹けず、今も口を尖らせて息を吹き出している。


 「張り込みますねえ、ファンさん」


 ニヤっと新米君も笑った。小銀貨2枚あれば満腹出来て酒も飲めるのだから、かなりの贅沢と言っていいだろう。


 「仕事納めだからさ」


 なるべく余裕を見せて微笑んだつもりだけれど、正直この後の財政について考え込んでいた。

 まあ、大神殿で預かってもらっている馬はいるし、国境の街サライまで辿り着けばどうにかなる。

 なにせ、前回の仕事の報酬は莫大だった。少しくらい、贅沢したって雷帝も怒らない…はず。

 報酬の大部分が消えたかと思った馬の購入費用は、バレルノ大司祭が貸してくれた。ちゃんと返ってくるって分かってる金ならいくらでも貸すわいと、実に太っ腹に。


 …実家からこっちへ戻る時、貯金をもってこないとなあ。


 新米君は踵を返し、弾むような足取りで厨房へ向かった。

 ここで働けば、ギルド職員の基本給のほかに、支払われた飲食代の一割程度が給仕たちの取り分になる。本日俺たちは20枚使うので、2枚くらいは彼のものだ。


 こうやって冒険者に馴染ませるのと同時に、あまり余裕のない新米たちの生活をギルドが支えている。困窮したギルド職員と冒険者が組んで、対象の護衛を引き受けては人気のないところで襲っていたという過去の事例を防ぐための処置らしい。

 ちなみに、給仕は冒険者も希望すればなれる。若い冒険者がお盆をもって右往左往しているのは、そうやって稼いでいる子たちだ。


 「はい、まずは飲み物からね!」


 どん、と俺たちの卓の上に置かれたのは、麦酒のジョッキと牛乳の入ったマグカップ。俺とクロムは麦酒を取り、ユーシンとヤクモはマグカップの取っ手をつかむ。


 「まあ、仕事納めっつってもただの夕飯だ。普通に食おうぜ」


 宴席なら、天地に酒を捧げてから始めるけれど、これは夕飯。大地も空も見えないし、普通に始めよう。


 「うむ!早く肉!イダムよ、ターラよ、照覧あれ!」


 力強く頷き、ユーシンは牛乳を一気に飲み干した。水よりは、いくらか空腹を紛らわせられるだろう。


 「つまみが欲しいな」

 「さすがにお腹すいたねぃ」


 半分ほどジョッキの中身を減らしつつ、クロムが呟く。それは俺も同感だ。

 ちびりちびりと牛乳を口に入れて、ヤクモも頷いた。依頼を果たした後、村でもらったパンとチーズを歩きながら食べたのが今日の昼食だ。そりゃあ腹も減る。


 「お待ちどう!」


 続いて卓に置かれたのは、山盛りの腸詰。ホカホカと湯気を立てる腸詰には、とろりとクリームソースがかかっている。おお、これは美味そう!


 「やったー!いただきまーす!」


 さっそく伸ばされたヤクモの串が届くよりはるかに早く、クロムとユーシンの手が閃光のように動く。

あっという間に五本ほど串に突き刺し、口へと運んで行った。


 「ちょっとお!」

 「ヤクモ、抗議するより食べたほうが早い。この辺、ソースたくさんかかってるぞ?」


 抗議している間に二手、三手を出されたら、山盛りの腸詰が全滅するし。

 俺も一本串に刺して、立ち上る湯気と一緒に口へ運ぶ。噛みちぎると、パリリと皮が弾けた。

 うーん、うまい!

 瞬く間に腸詰は数を減らし、最後の一本をヤクモが電光石火で掻っ攫ったと同時に、卓に次の料理が置かれた。 


 次はこれまた大皿に積まれたジャガイモだ。焦げ目がついているところを見ると、茹でたんじゃなくて焼かれた芋だ。

 一緒に運ばれてきた取り皿に乗せて、さっきまで腸詰を刺していた串で皮を割る。ぶわっと吹き出す湯気はほんのり甘い匂いがして、思わず口許がほころぶ。これにバターをたっぷり乗せて、塩をちょいっと振りかける。

 うん、ジャガイモ自体の味はいまいちな気もするけれど、バターと塩で全然いけるな!


 「芋かよ、肉持って来いよ」


 クロムは不服げにジャガイモをつついている。それでも食べる気ではあるみたいだから良しとしよう。どうやらこれは、次の料理が出てくるまで齧っていろよという繋ぎの一品のようだし。


 「ぼくさあ、ナハトでジャガイモばっかり食べてたんだよねぃ。というか、ナハトの食べ物ってジャガイモとかったい黒パンと謎肉しかなかったね。あの肉、なんのお肉だったんだろ」


 はふはふと熱を逃がしつつ、感慨深げにヤクモは思い出を語った。ヤクモが育ったナハト王国は北方諸国の南端だから、あまり農作物が豊富に取れる国じゃないだろう。肉も、豚や牛ならわかりそうなもんだし、山羊とかな?


 「同じお芋なのに、ナハトのはまずかったなあ…味がしないっていうか、土みたいな味がするっていうか」

 「土食ったことあるのかよ」

 「冬に風吹くと、砂ぼこりが口に入るじゃん?あんな味だった」

 「こっちのジャガイモって、白っぽいよな~」


 ふと口にした言葉に、ヤクモがハフつきながら興味を示した。よく知る野菜が違う色をしているのは、未知の野菜よりもビックリするよな。俺も断面が紫色の芋を見た時そう思ったし。


 「アスランのって違うの?」

 「もっと黄色くて甘みが強いかな。ジャガイモより、甘藷の方が出回っているけどね」

 「どんなの?お芋なの?」

 「ああ。赤紫の皮してて、もっと細長い。メルハ亜大陸から更に南に行ったラタ諸島から伝わってきた植物で、痩せた土地でも育つんだ。ジャガイモよりさらに甘みが強くて、ちょっと小腹がすいたときに焼き芋屋で手軽に買うおやつだな」


 焼き芋売りが道に立ちだすと、秋が来たなあって気がするよ。

 冬になっていよいよ寒さが厳しくなると、焼き芋を作る簡易炉の周りは他の露天商たちも集まってくるから、一緒に塩奶茶(スーティ)も一杯買って飲み食いする。甘藷は美味いけど、口の中の水分持ってかれるからなあ。

 それでしょっぱいものが欲しくなれば、すぐ横で待機している肉饅(ホーズ)売りの出番だ。

 そこまですれば、少なくともお腹はぽかぽかになっている。財布はちょっと、寒さを増してるかもだけど。


 そうしてジャガイモをつついていると、次の皿を両手で持って新米君が歩み寄ってきた。

 皿の上には、ぶつ切りにして焼かれた鶏肉。

 すごい!これは、二羽分はあるぞ!


 「ファンさんらは、フルーツソースよりただの塩だろって、親方が」

 「気を使ってもらってわるいなあ。親方にありがとうって伝えてください」


 じゅうじゅうと脂したたる肉の重なりは、まさにクロムとユーシンが欲していたもの。皿が卓に置かれると同時に、串は猛獣の牙と化した。


 「こんなにあるんだから、もうちょっとゆっくり食えよ」


 俺の呟きも、餓狼か猛虎かといった様子の二人には届かない。仕方ないので、取り皿へ自分の分を確保する。ヤクモもちゃんと取れたな。よしよし。


 「すごい食べっぷりね」

 「アンナさん、ご苦労様です」


 椅子を引くと、「ありがと」と笑ってアンナさんは腰を下ろした。


 「先輩、いつもの?」

 「ええ。まずはワインちょうだい」


 新米君へ手を振って、アンナさんは卓へ頬杖をついた。ずいぶんお疲れのご様子だ。


 「何辛気臭い面してんだ。一番忙しい時期は終わっただろ」

 「まあね。仕事で疲れてるんじゃないのよ」


 はあーっとため息。運ばれてきたワインを、グイっと呷る。

 いい飲みっぷりは、彼女のお疲れ度を如実に示していた。


 「ファンってさ、結構いいところの出でしょ?」

 「え、ああ、まあ、一応?」


 アスランの王子なんだから、いいところで間違ってはいない…と思う。


 「冬って、嫌じゃなかった?」

 「冬ですか…そうですね。朝、羊を見に行くのが怖い季節ですね。立ったまま凍り付いて死んでたりするし」

 「あー…そういうんじゃなくてさ」


 アンナさんは珍しく歯切れが悪い。まあ、ハキハキ愚痴を言う人というのはあまりいないしな。


 「夜会とかしないの?アスランって」

 「夜会ですか。宴とは別ですよね」

 「ドレス着てウフフオホホって慎み深く愛想笑い浮かべて、殿方のリードで踊るアレよ」


 アンナさんは半端に手を上げ、口許に当てた。オホホ笑う貴婦人は、こんなどんよりと半分死んだ目はしていないと思うんだけど…。


 「そういうのはしませんね。上等な外套の下に汚れても皴になってもいい部屋着きて、ガハハワハハと笑いながら肉と酒をむさぼって、裸踊りする宴ならやりますけど、夏の方が多いかな。冬はそれで外にさまよい出ると凍死するし」


 王子様が全員薔薇を胸につけてワルツを踊れるとは限らないわけで。

 アスランでも西方式の夜会が開催されないわけじゃない。ただ、開催するのは西方からやってきた商人で、いわゆる貴族が主催する舞踏会みたいなものはなく、当然俺も呼ばれたことはない。

 身分制度がゆるいアスランでも、さすがに商人主催の夜会に王族は呼べないからな。


 「女性でもそうなの?」

 「裸踊りはしないと思いますが、女性の宴に俺は行ったことがないんで…男の宴はそんなもんです」

 「女性の宴って…男女別なの?」

 「はい。七つになるまでは男女どちらでもないとされるんで、どっちに行ってもいいんですけど、赤ん坊じゃない限りは性別に応じた方に行きますね」


 俺も当然、言ったことがあるのは男の宴(エレナイル)だ。おっさんどもが大声で食って騒いで歌って踊る中、親父の膝の上で羊の健をしゃぶっていた記憶がある。


 「入口から一番奥が主人の席ですが、後は来た順に座って、お客さんが来るたびに乾杯します。特に始まる時間とかも決まっていないんで、暇な人は朝からきて飲み始めてますから、最後のお客さんが入ってきたときには酔っぱらって寝てる、なんてことも多いですよ」

 「えー、当主の挨拶とかないの?」

 「乾杯の音頭は主人がします。まあ、主人も酔いつぶれていることが多いんで、その場合は誰か正気を保っている人がします。女性の宴はもう少し決まりがありますけどね」

 「そもそも、男の人のほう、自由過ぎるねぃ…」


 確保した鶏肉をクロムの串から守りつつ、ヤクモが呆れる。

 夜も更けてきた冒険者ギルドより行儀が悪いのは認めよう。ギルドは寝てたらたたき起こされるか、有料の寝台に放り込まれるからな。


 「女性の宴は、年齢ごとにユルク…ええっと、こっちで言えば天幕?かな。組み立て式の遊牧民の住居です。それを分けて建てます。十代から二十代のユルク、三十から四十代のユルク、それ以上のユルクっていう感じで。年齢が下のユルクから上のユルクへ訪問することは許されていますが、逆は目上の人を呼びつけるってことで非常に失礼なこととされます」


 母さん曰く、それは表面上の理由、建前ってやつらしいんだけど。

 それでも結局、最年長のユルクに全員集まることは珍しくないので、年長者のユルクが一番大きい。


 「アスランでは、男の宴は鴉、女の宴は梟って言いますね。男のは朝日とともに始まって、日没にはみんな酔いつぶれて寝ている。女性の方は夕方から夜通し続くと」


 酒は主人が用意するけれど、宴に持っていく料理は各自で用意するので、男の宴では羊の塩煮(チャンサン)と干しブドウくらいしか出てこないけれど、女性の宴は半日かけて作られたご馳走やお菓子を食べる。ドレスの自慢はないけれど、料理の張り合いはあるらしい。


 「え、でもさ、ファンちゃん、それじゃあ社交界とかないの?」


 急に隣の卓から声をかけてきたのは、顔馴染みの女性冒険者だ。


 「どこそこの家のだれそれがそれで見初めて~みたいなさ」


 確か彼女も、貴族出身だったと思う。おそらく実家で、こうして男に話しかけるのは、はしたないと言われていたのだろうけれど、中堅どころの冒険者はそんなものを守る決まりもつもりもない。


 「祭りとかで出会うってのはあるよ。あとは、遊牧で行く方向がよく同じになるとか。街中なら、出会いの場なんてどこにでもあるし」


 宴は男女別だけれど、それは遊牧民に限った話。

 ただの食事なら遊牧民だって男女混合で問題ない。知らない人が腹減ったから食事を分けてくれってやってくるのは珍しい事でもないしな。


 「アスランは、こっちのお貴族様みたいにまどろっこしくない。お互い気に入れば寝るし、合わなきゃ別れる。それだけだ」


 クロムが鶏肉を突き刺しつつ補足した。

 その通りなんだけどさあ。もうちょっとこう、間接的に言おうぜ?


 「それっていわゆる平民の話よね?」


 彼女のパーティの魔導士さんが加わってきた。ほんのり頬が赤いので、燃料投下済みなんだろう。

 確かかなりの酒豪のはず…そう思いつつ彼女らの卓を見ると、真っ赤な顔の斥候は椅子からずり落ちかけ、戦士は卓へ突っ伏し、神官はものすごくご機嫌に神へ感謝を捧げていた。

 …彼らがどうしてそうなったのか、聞かない方がよさそうだ。

 なので、口から出したのは全く違う、質問の答え。


 「アスランじゃ貴族っていうのは征服された国の元王族か領主なんだ。で、貴族よりも有力な遊牧民の氏族長家の方が身分的には上だな。今の話はそういう族長家でも同じだよ。最近は族長家に連なっていても街に住んでいて、遊牧をした事がない人も多いけどね」


 祖父ちゃん曰く、「年老いた驢馬にも劣る役立たず共」だけれど。

 何せ、王子でも牛糞を拾って馬を駆り、山羊の毛を漉いて羊の毛を刈る日々だ。身分と金があればやりたくない連中だっている。俺の異母弟たちは大都から出たこともない。

 俺は好きだけどね。苦しいことやキツイことも多いけれど。

 天地の間に一人、馬を立てる楽しさは、初めて読む本のページをめくることに匹敵する。


 「アスラン貴族は?夜会しないの?」


 アンナさんはお替りのワインをグイグイいきつつ突っ込んでくる。

 えっと、酔っぱらい始めてませんよね?


 「しているのかもしれませんが、俺はわかんないです。ただ、征服地は文化圏的に西方より東方に近いですから、もとからそういう習慣がなかったと思いますよ。南フェリニスは夜会やるって聞きましたけど。学友がよくぼやいてたなあ」


 ほんの少し、口の中が苦くなった。クロムの眉間に皴が寄る。アイツの話題は、まだ…気にせず話せる場所にないな。


 「ユーシンきゅんのところはあ?」


 俺に掛けた声より八割糖度を増した声で、魔導士さんはユーシンに語り掛ける。口いっぱいに鶏肉を頬張っていたユーシンが、名前に反応して顔を上げた。

 見る間に頬の膨らみが消え、咽喉が動いて鶏肉はユーシンの無限の胃袋へと送られる。


 「なんだ?」

 「宴の話だよ」

 「いつもより飯の量が多い!だから嬉しい!」 


 キリクの宴も料理が置かれた敷布を囲んで座り、酒と料理を楽しむものだ。宴たけなわともなれば余興の一つも出るけれど、紳士淑女がくるくると踊ったりはしない。


 「あー…いいわね。東方式。アステリアもそうすればいいのに」

 「どしたんすか?先輩」


 ため息を吐くアンナさんの前に、新米君が湯気を立てるシチューを置く。


 「ファンさんらのもすぐ持ってきますんで!」

 「わあ!ぼくらもシチュー?すっごいおいしそう!」

 「鍋で来ますから、取り分けは皆さんでオナシャス!」


 その言葉通り、新米君と更にその後輩が鍋と鍋敷き、取り皿を持ってくる。

 鶏肉を失った空の皿が下げられ、かわりに卓へ鎮座ましましたのは、これでもかと湯気と芳香を吹き出すブラウンシチュー。入っている肉を見ると、牛の尾みたいだ。

 ああ、これは絶対に美味しいやつ!


 「俺がよそうから」


 取り合ってひっくり返して被ったらシャレにならない。深い皿へ大匙を使って取り分けていく。

 その間に、ヤクモが小匙をそれぞれの前においてくれた。


 「ありがとな、ヤクモ」

 「うひひ、ぼく、いい子だからさ!」


 なのでまずは、ヤクモに。食べるのが一番遅いから…一般的に言えば十分早食いだけど…最初に渡さないと最終的に食べた量がこいつらに椀一杯差が出そうだしな。

 続いてユーシン、クロムの順で取り分ける。俺を最後にしたんで、さすがのクロムも文句を言えなかったようだ。


 「はい、パンの籠も置いときます!これで料理は全部です。ワインと麦酒の瓶もここに置きますよ!」

 「ありがとう。こいつら用の牛乳もお替り持ってきてもらえる?」

 「ほいほい!今のうちにファンさんに媚び売っといかないとね。アスラン土産楽しみにしときますから~!」

 「牛糞でいいな。いい燃料になるぞ。こいつ拾うの上手いらしいし」


 わざと下卑て笑って見せた新米君に、クロムがしっしと手を振りながら答える。


 「クロムさんには期待してないんで!じゃ、ファンさん一つよろしく!」


 元の快活な笑顔で、新米君は厨房へと駆け去った。愛嬌のある、あけすけなおねだりはされても不快感は残らない。

 買ってきてもこなくても、彼はきっと笑顔で迎えてくれるだろう。逆に本当に高価なお土産を渡したら受け取ってもらえない気もする。

 兎の毛を束ねて作った飾りでも買ってこようかなあ。タタル語と西方語とカーラン語で『大好きアスラン!』って書かれたプレートがくっついているやつ。乗合馬車の停留所や、船着き場にある店で必ず置いてある代物だ。


 「アンナさんもやっぱり、呼ばれちゃうの?夜会」

 「三回に二回は欠席の返事するんだけどね。あー、年明けが憂鬱だわ…」


 シチューをかき混ぜながら、アンナさんは頷いた。匙を口に運ぶと、うんざりしていた顔に笑顔が戻る。

 シチューは簡単に言って絶品だった。玉ねぎの甘み、牛テールの旨味が熱と共に口の中に広がる。具は他には人参だけだけれど、それがまた美味い。煮崩れする寸前の柔らかさはじっくりと煮込まれたことの証明だろう。

 美味しいものを食べながら憂鬱になるというのは難しいことだ。 


 「新年の集まりとかですか?」

 「そうよ~。まあさ、新年の月は良いの。どっちかっていうと晩餐会メインだし」

 「超わかる。その後よね」


 俺らを含め、魔導士さんも首をかしげているが、貴族出身のお二人は力強く頷きあった。


 「クロッカスの日あたりよね。ほんクソ腹立つ!」


 クロッカスの日というなんだかほんわかとした名詞にそぐわない感想を吐き捨て、彼女はジョッキを一気に呷った。その姿に、ヤクモが小さく「ひあぁ…」と怯えた声を漏らす。


 「クロッカスの日って…確か、冬の終わりを願う祭りのことでしたよね。特に誰を祭るっていうんじゃなくて、クロッカスの花のモチーフを身に着けて出掛けるみたいな」

 「そ。その日ばかりは未婚の男女が一緒に行動してもはしたないとされないわけ。でさ、貴族令嬢様にとってはその日の夜会にパートナーがいるいないで、ものっすごくマウント取り合う日なわけよ」

 「はあ…」


 マウントを取り合うって…覆いかぶさって拳をっていうんじゃないよなあ?それはただの格闘技大会な気がするし。

 一瞬頭に浮かんだ、貴族令嬢たちが相手を床に押し倒し、その上に跨って拳を打ち付ける図が浮かんだけれど、それはないよな。うん。

 そうじゃないなら…マウンティングのこと?確かに犬や猿はマウンティングすることで優位を主張するけれど。

 相手の後ろに張り付いて腰を…という図を想像しかけて首を振る。絶対これでもないな。


 「なあ、ファン。お前今、阿呆なこと考えなかったか?」

 「え、いや、マウントを取るって?って思っただけだよ」


 クロムがシチューに残ったジャガイモを入れてかき混ぜながら、半眼で俺を見る。なんでわかるんだよ…さすがは俺の守護者(スレン)だと褒めるべき?


 「ようするに、自慢して自分の方が優れてるって主張する行為のことよう。マウンティング」


 魔導士さんが教えてくれる。あ、あってたのか。まあ、行為じゃなくて言葉でするってことなんだろう。さすがに俺の想像通りじゃただの痴女だし。


 「そーそー!去年と同じドレスやアクセサリーを身に着けようもんならクスクス笑いの大合唱よ!よく覚えてるわよね!」

 「ましてパートナーなしなんてなったら、その年中言われ続けるわね」

 「暇な連中だな」

 「貴族令嬢なんて、噂話か悪口くらいしかやることないからね」


 呆れたようにつぶやいたクロムに、アンナさんは皮肉げな笑みを見せた。他にいろいろやっている人もいそうだけれど。

 アンナさんの言葉に、その貴族令嬢だった現在冒険者は深く頷く。


 「申し訳程度に家庭教師に勉強習って、自分で家族の名前が書けて読めればいいって子もたくさんいるのよ。その子のっていうか、親の方針ね。どうせ嫁に出すのに、学をつけさせる意味はない。賢いのは男だけでいいって連中も、うじゃうじゃいるからさ」


 そう吐き捨てる彼女は、俺と一緒にギルドの書類仕事を手伝っていた。

 彼女から回ってくる書類に書かれていた字は綺麗で、一朝一夕で身に着けたものじゃないと思うんだけど。


 「子供の時から、この家にいたらあたし詰んでね?って気付いてたから。上に兄三人姉四人よ?よくて格上貴族の第三婦人、妥当なとこでいい顔したい相手の後妻か、商会長のお飾りの嫁さ。必死で勉強して、兄をおだてて剣の稽古に混ざって、あとはもうトンズラ決めたの」


 俺の疑問が顔に出てたのか、彼女は得意そうに語って親指を立てた。


 「それでもさ、定期的にちょっかい出してこられるんだけどね。あんまり無視しまくってるとギルドに手を出しそうだから、年に一回二回くらいは招集に応じてやっておるのだ!」

 「大変なんですねえ」


 冒険者になる貴族出身者は、ちょっと暴走したお坊ちゃんお嬢ちゃんか、名前だけは貴族の末っ子で口減らしのために冒険者になったってのが多い。彼女みたいにちゃんとした貴族の家柄で、なおかつ中堅と言われるまでに成長しているのは稀だ。


 「あー、わかる。お母様やお姉様に泣かれると鬱陶しいわよね。何言ってもしくしく泣くだけだし」

 「ねー。ずーっと後ついて回って泣く癖に、こっちが折れてやるとケロっとしてるんだから。絶対冒険者辞めないっつの」

 「うちもさ、顔合わせるたびにいつ辞めるの?ばっかよ。じゃあお母様の実家の商会を丸ごとくれたらギルド職員辞めて商会長するけど?って言ったら気絶して倒れるし」

 「あの気絶芸、ほんっとうっざいよね。お前いつの間にスタン掛けられたんだよって」

 「倒れ方超わざとらしくない?絶対どっか打ち付けないようにしてるっていうか、しゃがんでから横たわれるなら意識あるでしょ!?って胸倉攫みたくなるわ!」


 盛り上がる二人に、魔導士さんですら口を挟めない。これがガールズトークってやつかあ…


 「別に新しい服着て適当な男連れてきゃいいんだろ。金で解決しろよ」 

 「その適当な男が難しいのよ。ドレスは何着てもケチつけてくるけどさ」

 「アンナさん、恋人いるのぅ?」


 おお、ヤクモ。さっき怯えてたわりには勇敢だな。


 「いないわよ。欲しくもないし。だからさ、下手に誰かにパートナーになってもらって、その人が勘違いしても困るわけ。うち、家名だけならそこそこ古いし大貴族にも繋がってるから。入り込みたい奴はそれなりにいるのよ。行き遅れの娘なら、両親も喜んで婿に迎えてくれるなんて都合のいい想像してね。

 家は兄が継いでるけど、私の夫ならうちの領地の村三つ四つは結婚祝いにくれそうだしね」


 貴族に生まれても相続できる土地がなければ、こうして他所に婿入りする人もアステリアでは珍しくない。村の三つ四つと軽く言うあたり、アンナさんちは言っているより有力な貴族なんだろう。

 俺もまあ、自分の領地はもっている。丸投げしてるけども。帰ったらその報告も聞かなきゃなあ。ものすごい怒られそうで気が重い。


 「ファンは?学者やめろとか言われない?」

 「俺は次男坊なんで。母さんには虫の標本を持ち帰ったら燃やすって言われてて、実際燃やされましたけどね」


 大都に来たばかりのころ、草原では見かけない虫を見つけたんで片っ端から標本にしてたんだけど、きれいさっぱり燃やされた。

 ただ、約束を破って部屋に持ち込んだのは俺なので、標本燃やされた上に反省文を書かされた。その時は理不尽だと憤ったけれど、今考えると仕方がない気がする。

 その後珍しい虫ではなく、どんな虫かわかったし。名前を出すと怒る人もいるので、平べったい台所によくいる虫と言っておこう。


 「それに、学者は兼業できますから。今も冒険者と兼業してるし」


 医学者や科学者、天体学者ならそんな暇はないだろうけれど、こちらは博物学者。採集と分類は断続を許さないものでも時間との勝負でもない。

 アンナさんには、西方の動植物を調べたいのでこっちに来てて、その資金稼ぎに冒険者になろうと思ったんですと説明してある。

 信頼に足る人物とこの一年で分かっているけれど、アスランの王子で王位継承に関してちょっと揉めたんで逃げてきてます、とは言えないよなあ。聞いた方も困るだろう。

 たぶん、言った通りの理由じゃないことは気付かれてる。それでも何も言わないでいてくれるのは、俺という人間を信用してくれてるんだと思いたい。


 「あ、そうだわ、ファン」

 「はい?」


 少しばかり目の座ったアンナさんは、俺をじっと見て、そしてにいぃっこりと笑った。


 「あなた、私のパートナーやってくれない?正式に依頼出すわ」

 「はい…はい?」


 俺が目を瞬かせるのと、クロムが口に運びかけてきたジャガイモを落とすのがほぼ同時。


 「いいじゃない!あなたは帰省で寂しくなった財布を補填できるし、私は面目を保てる。お互い得しかないわよ!」

 「ちょっと待て。勝手に決めんな」


 まだ話を飲み込めてない俺に代わり、クロムが唸り声をあげる。


 「こいつにギルド職員とできてるって噂がたったらどうする!」

 「大丈夫。ギルド全体に私からの依頼って言っとくから」

 「いーなー!じゃあ、ユーシンきゅん、私のパートナーして!」

 「む?何をするのだ?」


 皿に残ったシチューをパンでこそげ取りながら、ユーシンは首を傾げた。

 どうやらまた、話を一切聞いていなかったらしい。

 空腹時のユーシンに戦い以外の話を把握しとけって方が無理なんだけどね。


 「それはダメよ!犯罪よ?ユーシンきゅんまだ十代よ?」

 「くっ…!」

 「素直にあの辺にしときなって」


 魔導士さんが指をさすのは、彼女らのパーティメンバー。


 「リーダーは騎士様の息子なんでしょ?いけるって」

 「え?」


 彼女は魔導士さんへ顔を向けていたので、俺からはどんな顔をしているのか見えない。

 けれど、その声の調子からして…うん。あっちの頭目(パーティリーダー)が意識を失っていて良かったな…。


 「ええっと、アンナさん。俺はダンスなんて出来ませんが…」

 「良いのよ。ダンスの時間になったらさっさと帰れば。よし、頼むわね!実家帰ったら正装一着もってきて!アスラン風のでいいから!」


 とっくとっくと杯になみなみワインを注ぎ、零れかけたそれを飲みつつアンナさんは、口の端を釣り上げた。


 「ねぇ。ファン」

 「その…やっぱり無理かなって」

 「私の祖父ね、学者のパトロンやってたの。で、その学者の書いた図鑑みたいのがうちにあるんだけど…見たくない?」

 「前向きに検討させていただきます」


 アンナさんに向かってぺこりと頭を下げると、クロムにそのてっぺんを叩かれた。


 「買収されてんじゃねえ!」

 「いや俺たちは冒険者なんだし正当な報酬が出るのであれば断る理由がないのではないかと愚考する次第でなアンナさんにはお世話になっているし困っていらっしゃるようだしちなみにどんな図鑑ですかね参考程度に答えていただければと思うんですけれど」

 「ファン、そんなに一気にしゃべれるんだねぃ。すごいや」

 「うちの領地の山にいる生き物についてみたいよ。ドラゴンが載ってたのは覚えているわ」


 ドラゴン…ドラゴンの生態観察した記録なら、かなりすごいぞ?そうでなくても、ドラゴンを頂点とした生物相が記載されているなら、それは絶対に見たい!

 はあーとクロムが顔に手を当てて天井を仰いだ。なんだよう。いいじゃん。クロムに付き合えって言ってるわけじゃないし。

 護衛としてついてくるなら、周りにイラついても喧嘩吹っ掛けないように言い含めておかなきゃなあ。


 「決まりね!あー、これで一つ悩みの種が消えたわ!」


 クロムとは対照的に、アンナさんは晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。


 「私もアスラン土産期待してるから!アスラン式の正装の良し悪しなんて見極められる目利きはいないから、適当なのでいいわよ」


 適当なのか…まあそれは、帰ったら相談しよう。


 「執事や従者はアンナさんちで貸し出し?」

 「ヤクモならできるんじゃない?」

 「ぼく?おもしろそーだからやってみてもいいよ!」


 目をキラキラさせてヤクモが乗ってくる。あー、まあ貴族のぼっちゃんという設定なら、単品ではいないよな。


 「ファンのこと、そしたら何て呼ぼう?旦那様、とか、ご主人様?」

 「敬称で呼んで貰えるなら博士、だけど。学者として」

 「それはちがうんじゃない~?」

 「お前まで乗り気になるんじゃない。もし仮に受けたとしても、お前は馬鹿のお守りだ」

 「クロムがユーシンとお留守番してなよぅ。絶対に喧嘩吹っ掛けて騒ぎに…っていたあい!なんでいつも僕の頭ぐーってするの!これされるとお腹下すって聞いたよ!」

 「あら、私、便秘になるって聞いたわ」

 「私も~」

 「俺は、屁が止まらなくなると聞いた!」


 つむじを押すと起こることって、本当に地域差あるよなあ。ユーシンのは初耳だけど。

 


 こんな感じで、俺たちの今年最後の依頼は終わった。

 終わった、と思っていた。

 翌日、朝食を食べていると、宿の主人がもじもじとやってくるまでは。

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