第一話 神託の巫女 前編
王都ルーンフィールより南方に位置する街【ゼネフィト】
商業が盛んで、多くの国との交流、交易を行っている為か、
規模こそ王都に劣るものの、活気は王都を上回っている。
そんな街も、神託の軍勢により滅びる定めにあったと言える。
その確定した未来を打ち砕いた英雄を讃え、毎日毎日お祭り騒ぎ。
何処のお店も格安で物品を売りさばく大盤振る舞い。
道行く人も我先にと買い物を急ぐ人で溢れていた。そんな中。
白髪の壮年の男がフラフラと半ば放心状態で街を歩いている。
(凄いなここは。まるでお祭り騒ぎだな)
何か食料でも買いたい所ではあるが、手持ちで使えるお金もなく。
旅の途中出会った行商人の護衛をしながら、辛うじて食い扶持を
繋いでいた。
(戦術召喚。過去の英雄達を呼び出し友軍に出来たり、
大型のドラゴンを呼び出したりと用途は多岐に渡る)
軽く右手を頭に添えて、首を振る。
だが精神力に類するそれを激しく消耗する。
ルーライラ神託迎撃戦では、ゼフィ、初代王、竜騎士達を召喚し、
あわや死ぬ所だった。生きているのも不思議だった。
もう、無茶はするまい。そう肝に銘じ、彼は旅を続けている。
何処か静かに暮らせるような場所を求めて。
「お、おい。見ろよ獅子姫様だ!」
行き交う人が声をあげると、瞬く間に人だかりになる。
(獅子姫? 獣人の姫様か何かかな?)
この世界、亜人種等もいるらしく、その名から彼は妄想してみた。
(獅子の様に勇猛な獣耳の姫様かぁ。
エキゾチックな格好しているのかな…)
彼は実際の彼女から遠くかけ離れた姿を想像していた。
していたが、聞き覚えのある声が想像を容易く粉砕してきた。
「皆、聞いて欲しい!! ルーンフィールを護った英雄の行方を
私は探している!!」
「…ん?」
「これは、ワダツミ・マモルという男の似顔絵だ。
見つけ、情報を提供したものには、それなりの報奨金を約束しよう!」
「…いや」
指名手配!? 彼の似顔絵がばら撒かれ、人々がそれを手に取り、
アレ?と首を傾げつつ、ある方向をみやる。
人だかりのの後方でこそこそと見ていた護に多くの視線が集まる。
似顔絵は線で描かれているだけだが、確かに瓜二つ。
「獅子姫様? その方に似た方なら其処に…」
多くの人が口々に後を見て、彼へと続く道を作り出す。
「む? 本当か!?」
確認しようと駆け寄るサシャ。
(確かに彼のようだ。初代王にも言われたが、
ルーンフィールは、妹は、皆は彼に救われたようなものだ。
感謝の意を伝え、彼にも相応の恩賞を渡さなければならない)
それと同じ速度、歩数で後ずさる護。
「髪の色が違うようだがようやく…って、何故逃げる?」
「え? あ、いや。ははは。他人の空似でしょう?」
「かもしれない。だが逃げるという事は、
何か後ろめたい事があるのだろう?」
う…。と、寄れば下がるを繰り返す事数分。
前にも似たやり取りをしたが、このサシャという少女の圧が凄い。
本当に十代の女の子なのか? 恐ろしいまでのプレッシャーを浴びせてくる。
護とサシャの間には、どうしようもない溝が生じている。
その原因の一つが高圧的な彼女の言動だろう。
「…行動がヤツと全く同じだが?」
「あ、いやーその…気のせい気のせい」
流石に我慢の限界に来たのか、腰から長剣を抜き放つサシャ。
空に昇る太陽の光に照らされ、長剣はギラリと護を差す。
護の視線がサシャと長剣を行き来する。
(どうしよう…あ、そうだ)
彼は不意に右側を見てポツリと言葉を漏らした。
「あ、ゼフィさん。丁度良い所に」
「何!?」
その言葉に慌てて体ごと向きをかえて見たが、
当然その姿は無く。
「…貴様騙した…な!?」
ゼフィどころか護の姿もなく。
顔を引き攣らせ、肩を震わせてサシャは大声を上げた。
「ワダツミマモル…きさまぁぁあああっ!!!
ヤツの身柄を押さえた者には懸賞金の上乗せを確約する!」
「お?おおおおお!?」
「必ず、生きて、捕えろぉぉおおっ!!!」
「うぉぉおおおおっ!!!」
街中の商人、バスターが猛然と走り出し、彼が逃げたであろう裏路地めがけて
我も我もと押しかける。
余り体力の無い彼が息を切らせて裏路地を走る。
少し後方から大勢の声が聞こえ、明らかに彼を探している。
「何でこうなるの!? 何も悪い事してないよ!?」
何処に続くかも判らないそんな道を走り続け、ついに体力が尽きたのか
近場の大樽に身を潜めた。
どうしよう。何か隠蔽関係の技能でも…。
思わずスキルツリーを展開しようとしたが、かつての苦痛を思い出す。
髪が白髪となってしまう程の苦痛がトラウマとなり、彼の手を止める。
(下手なのを取ったら今度は死ぬかもしれない)
思いとどまった彼は今使えるもので現状打破を計る。
樽からひょっこりと顔を出し、周囲に人が居ない事を確認すると
抜け出し、また走り出す。
細く薄暗い裏路地を右へ左へジグザグに。
何十分走っただろう。息を切らして飛び出した先は、町の外れだった。
「た…助かったこのまま外に…!!」
「居た!! 見つけたぞーーっ!!」
「うげ…」
慌てて町の外へと逃げ出すが、尚も追いかけてくる。
体力差もさることながら、バスターの中に追跡技能に秀でた者が
居たらしく、数分もしない内に、彼は捉えられ地に押さえつけられる。
「よっしゃ!! 懸賞金は俺のモンだ!!」
このまま掴まれば、何をされるか判らない。
あの時、サシャは長剣を抜いた。その先の結末は目に見えている。
(これなら…正当防衛だよな)
盗賊風の茶髪の男に右肩の関節を取られ、地面に押さえつけられる。
だが、護は残った余力で右手を何も無い空間へと翳す。
「戦人ゼフィ。私に、力を!!」
「はぁ? お前何言って…て、うぉぉおおおっ!?」
何も無い空間から、女性にしては筋肉質の褐色の腕がニュッと現れ、
護を押さえつけていた男の髪を掴み上げる。
「いででででででで!!」
「おいおい。こんな事に使うんじゃないよ全く…」
捕縛から解放された護が左肩を抑えながら立ち上がり、
頭を下げて謝る。この人もこの人で、ある使命を帯び、
死して尚、女神の尖兵となり別世界で戦い続ける英雄なのだ。
軽々しく呼んで良い存在では無い。
「申し訳ないです。ただ貴女が一番呼びやすいもので…」
それを聞いたゼフィが呆れ顔で肩を竦め、
右手で掴んだ男を地面へと放り投げた。
「全く仕方無いねぇ。で、どうするんだい?」
「逃げるまでの時間稼ぎをして頂ければ…」
ゼフィは軽く首を傾げつつ、町の方へと視線を移す。
その先には丁度辿りついたサシャも見受けられ、
サシャもゼフィを見て、驚いた顔をしている。
何を思いついたか、ギラリと犬歯を光らせバスター達の方へと
歩み寄る。
「まぁ、ちょっと遊んでやるのも、悪く無いかもねぇ…」
「し、師匠!? 何故…」
「何故? 彼は戦術召喚師だと忘れているのかい?」
「ぞ…存じております!」
ゼフィは背負った大鎌を握り、地面へと振り下ろす。
振り下ろされた大鎌は風圧を伴い、数メートル離れたサシャ達の
髪や衣服を大きく靡かせた。
「師匠…!!」
「召喚者の願いは、時間を稼げ。だ」
その場に居る誰もが知っている。
数多の魔物を討伐した者。巨竜討伐・巨人討伐
果ては魔族すら討ったとまで言われている。40年前に生きた伝説。
そんな彼女が、大鎌を構え、こちらを向く意味。それは即ち――
「じょ、冗談じゃねぇぇええっ!!!」
「相手があの真紅だとかワリにあわねぇよ!!!」
真紅。常に返り血を浴びていた彼女から付いた通り名らしく。
今その血化粧の材料になるのを恐れたバスター達は転げるように
その場から逃げ去っていく。
「なんだい…つまらないね」
ただそれを本当につまらなさそうに見ているゼフィ。
今、彼女の眼前に立つ者はただ一人。
初代に言われた手前、サシャは引くに引けない。
(何としてもワダツミ・マモルを捕まえて恩賞を…!!)
ゴクリと生唾を飲んだ彼女が、手にした長剣を握り締め、
一足に間合いを詰め、ゼフィの胸元めがけて突きを放つ。
全身をバネのように使った鋭い突き。
常人ならば容易く胸を貫かれていた事だろうが、
相手が相手。軽く体を反らせ、紙一重で突きを流す。
そのまま懐深くに潜り込んだゼフィの大鎌は的確にサシャの首を背後から捕えた。
そのまま切裂く事もなく、ただサシャを見ている。
「そのような大物で、こんな至近距離を…」
「まだまだ未熟。という所だねぇ」
大鎌を引かせたゼフィが少し間合いを取り、身構えた。
あくまで時間稼ぎ。足止め。
「サシャ。アンタさ…」
「はい、なんでしょうか」
「もう少し、温和に、平和的に彼に近づいてみなよ」
「私はそのように振舞っていますが?」
キョトンとした顔で答えたサシャにゼフィが顔を引き攣らせる。
何処をどう見たら、アレが温和で平和的なんだ?と。
「アレが逃げるからいけないのです」
「あのね…。逃げるような事をしているという自覚は…」
「ありません。彼に後ろめたい事があるのでしょう?」
(駄目だこれは。何でこんな育ち方をしたんだ。
今の国王に直接物申したいよ全く)
軽く首を振ったゼフィがサシャを見る。
「あー…。まぁ今回はアタシに免じて見逃してやりな」
その言葉にサシャは頷くと、長剣を腰に差す。
「判りました」
(根は素直で良い子なんだけどねぇ)
「ああ、良い子だ。そうだな、また呼び出されたら面倒だし、
次は、彼をお茶にでも誘ってみると良い」
「お茶…ですか?」
「ああ。そうさ。勿論帯剣は却下。もう少し女の子らしい格好をしてだ」
「其処は不可能です。何時何処で何があるか判りません。
万事に備えるのは当然ですから」
(あー…。そういやアッチでも初代は常に鎧。
完全に初代譲りだわ…この子)
半ば呆れ顔で手を振りつつ、その存在は次第に薄れていく。
そんなゼフィが最後に彼女に一つ伝えた。
「サシャ。お前は弱きを知るべきだと、肝に銘じな」
「師匠?」
そういい残すと、霧のように霞んで消えたゼフィ。
右手を胸元のプレートメイルに当てて、彼女は空を見上げる。
「弱きを…知る?」
一方その頃、無事逃げ延びた護は、行商の護衛をするという事で、
荷馬車に乗せて貰い、次なる目的地へと。
ゼネフィトから東へ荷馬車に揺られて五日程で、静かな農村へと辿り着いた。
そこで下ろしてもらった護は行商の人にお辞儀をして、礼を言う。
「いやいや。なんのなんの。こちらこそ、戦術師様に護衛して頂けて
助かりましたよ。また縁があれば…」
「いえ。こちらこそ。縁があればまた」
そう言うと護は手を振って荷馬車を見送り、周囲を見回す。
ゼネフィトとは打って変わって、のどかな風景が広がる。
もうじき収穫時期なのだろう金色の稲穂が風にサワサワと揺れ。
少し目を離すと遠くで放牧しているのだろうか。茶色い牛のような生き物も
見てとれた。
(これだ…これだよこれ)
それを何度も心の中で繰り返し、身を震わせている。
上司の目を気にしつつ部下の目も気にして、忙しく生きていた。
そんな中で夢にまで描いていた自給自足のスローライフ。
目の前に広がるのどかな光景に、思わず涙が毀れる。
(死に掛けた事もあったけど…ここで暮らせれば…!!)
兎にも角にも衣食住の確保が最優先。
幸いにも戦術召喚のお陰で、いままで何とかなってきた。
勿論多用は厳禁なので、出来れば自分の力のみで頑張りたい。
そう、思う彼のスーツのズボンの裾をグイグイと引っ張る何か。
「…ん?」
引っ張るソレを確認すると、この村の子供だろう。
大きな三つ網を結ったふんわりとした茶色い髪の、素朴な子供がこちらを見ていた。
「おじちゃんだーれー?」
「おじちゃん…いや、まだ34…ああ。もうそんな歳なんだよねぇ…」
意外に心に突き刺さる一言に、彼は笑顔で答え、少女の頭を撫でた。
「オジサンは、マモルというただの人だよ。お嬢ちゃんは?」
「あのね! テラはテラなの!!」
「へ~、テラちゃんか。可愛い名前だね」
その言葉に、ふんわり髪からピョコンと飛び出した獣耳が前後に
ピコピコと動いて、明らかに喜んでいるようだ」
「えへへ!! そう、可愛いの!! シスターフィアに頂いたの!!」
「ああ。教会があるのか。ん? 成る程。女神の名から頂いたんだね」
「うん!いつかテラもステラ様のお役に立つの!!」
うんうん。と、笑顔でテラの頭をポンポンと撫でつつ、
空をふと見上げると夕方が近い。子供はそろそろ家に帰るべきだろう。
「テラちゃん? そろそろお家に帰らないといけないよ?」
「まだ遊びたいのー!」
こんなトコを親御さんに見られたらたまらない。
何とか言い包めて、護はテラを連れて親御さんの下へ…。
「教会? …まさか」
あからさまな施設に、テラを見やる。まさか、孤児なのか?
「シスターフィアー!! ただいまーなのー!!」
教会の扉が開かれ、慌てて飛び出てきたのは、これまた若いシスターだ。
まだ10代前半という所だろうか。
「また勝手に遊びにいってたのね…メッですよ?」
「えへへー! オジサンにもちょこっとおこられちゃった!!」
「オジサ…ん?」
フィアという若い修道士と目が合った護。
「ワダツミ…マモル…様? 聞いた髪の色が違うようですけれど…」
「あ、やば。此処にもサシャちゃんの追っ手がいたのか…」
慌てて逃げ出す彼を、フィアが小さな手を振って呼び止める。
「追っ手ではありません!! 大丈夫ですよ!」
と、言って信じられる筈も無い。
振り返り訝しげにフィアを見る。
大きな瞳は憂いを帯びて、幼いながら大人びた落ち着いた雰囲気を漂わせている。
何よりその瞳が嘘はつかないと言わんばかりの輝きを持っていた。
職業柄、多くの対人交渉をこなしてきた彼にはすぐに見抜く。
このシスターはサシャとは真逆の女の子ではないか?と。
そのままフィアに教会内へと招かれ、礼拝堂から食堂へと。
そこには十人程の子供がご飯中だった。
(おおー。獣人にも種類いるんだなぁ、猫に犬に虎!? うわお)
そんな子供達の視線が入ってきた護へと。
「フィアねーちゃん? このオジサンはだれー?」
「だへだへだへー?」
「口に食べ物を入れながら喋ってはダメですよ?」
静かに叱る様は優しい母親のような。そのまま暫く、お茶を頂きつつ、
元気で無邪気な子供達を見ていた護にフィアが尋ねてくる。
「あの。マモル様…で、よろしいでしょうか…」
「あ、いや。様と付けられるほど偉くもないし…」
呼び方はマモルさんで定着したようだが、
子供からはオジサン。もしくはマモルオジサンで定着した。
わりと精神的ダメージを受けつつ、護はお茶を飲む。
「マモルさん? つかぬ事をお伺いしますけれど…」
「ん? どうかしました?」
「サシャお姉さまの事なのですが…」
「お姉さま!?」
ガタンと音を立てて立ち上がり、驚きの声を上げる。
(姉があんななのに、妹がどうしてこうなった!?)
と、心の中で彼は叫んだ。が、ゴホンと咳払いして落ち着きを取り戻し着席。
「ああ。すみません。取り乱してしまいました」
「いえ…」
「で、そのサシャちゃんが何か…」
「あ、はい。それが大変申しあげにくいのですが…」
チラリと護の背後に視線を送ると、ようやく気付いた。
食堂の片隅でドス黒いオーラを放つ、騎士が一人立っている事に。
それにようやく気付いた護は立ち上がると、それを静止するように声をかけられた。
「待て。話がしたい」
既に護の中では、サシャは話の通じない獣みたいなモノになっている。
場の空気が張り詰める中、テラがポテポテとサシャの元へと歩み寄る。
「サシャお姉ちゃんー?」
「む? なんだ、テラ」
「お顔がこわ~い!」
「…」
確かに常時あんな剣幕だと子供が怖がる。
フィアと護、二人揃ってジト目でサシャを見やる。
「お、お前達…」
「お姉ちゃんえーがーおー!!」
「む、むぅ。こ、こうか」
笑顔。というよりは、口元を引き攣らせた困り顔という表情。
うわぁ…という視線がサシャに突き刺さる。
「え、ええい! 私に笑顔は無理だ!」
開き直ったサシャではあるが、子供には優しいのだろう。
そんな一面を見せた。そして軽くテラの頭を撫でると
護へとツカツカと音を立てて歩み寄ってきた。
対する護は今度は逃げずに居る。
この場には妹も居るし、何より暴れれば子供達が怯える。
下手な事は絶対にしないという確信が持てた。
だからサシャの言う話し合いに応じた…のだが。
「サシャちゃん? 君は話をする際に、人を見下ろして話すのかな?
開いた席もあるし、フィアちゃんに断りをいれてまず座るべきかと」
強気に正論で攻めてみた護。
うぐっ。と、息をつめてフィアへと視線を移して席に座る。
「で、話ってのは何かな。私はもう放っておいて欲しいのだけど」
「先の迎撃戦での恩賞を、ルーンフィールはまだ君に授けていない」
成る程。と、頷き。護は言葉を返す。
「ふむ。では今まで追いかけた理由は其処にあると。
なら、私の方からお詫びを申し上げます」
「いや待て! 貴方は偉大な英雄だ!!
頭を下げる必要など無い、断じて!!」
頭を下げる護に、慌てて静止するサシャは困惑する。
(今まで見た男の誰よりもこの男は…どうしてこう…)
「いえ。仰るとおり本来受け取るべき恩賞。
それを携えた使者である君を避けた私に非がありますので」
二度、彼は頭を下げた。
(容易く頭を下げる)
それに対し、言い知れぬ不快感を覚え、耐え切れなくなったサシャは
立ち上がり、また何時もの剣幕で護を見下ろす。
「かつて貴方に私は問いましたが、今一度聞かせて下さい」
それに対し、護は溜息をはいてサシャを見上げた。
「…矜持かな? 勿論持っているよ。
今、まさに君にとても強い不快感を抱いている」
どうにも水と油という関係のよう。
何より話し合いの論点に若干のズレが生じ始める。
「それは、奇遇。私もだ」
そう言うと、場も考えずにサシャは腰の剣に手をかける。
それを見たフィアが慌てて子供達を寝室へと。
「場所を弁えなさい。此処は神聖な場所だよ」
「ぐ…」
「論点もズレてきている。話にならない。
単刀直入に言おうかな。恩賞があるなら、
それはここの孤児の為に使って下さい」
「な…!!」
そう言うと、護は立ち上がり、その場を去ろうとする。
(正直、生活費ぐらいは欲しい所だけど、
これで弱い者を助ける精神を学んでくれれば、いいかな)
「待て!! 貴方は、どうして其処までできる!?
見てみろその髪を!! どれだけの苦痛を乗り越えたというのだ!!
その見返りすら受け取らないというのか!! 理解出来無い!!」
軽く首を振る。口で言ったとて理解出来無いだろう。
彼女自身がこれからの長い人生で、学びとるものなのだから。
出入り口のノブに手をかけた護は、ふと、思いついたように一言。
「君の妹。フィアちゃんかな? 良く出来た妹さんだね」
「…!!」
そう言うと、彼は教会を出る。既に陽は落ちて、真っ暗だ。
幸いな事に牛飼いだろうか? 村の人が通りかかり納屋を借りて
彼はその夜を過ごした。
そんな夜の出来事。教会に泊まったサシャは、
寝室で椅子に座る妹のフィアをジッと見ている。
(私がフィアに劣っている…)
戦闘では確かに彼女の率いる慈愛は助かる。
彼女達が居るから私達は全力で戦える。紛れもない事実。
だが、その逆も言える。
「お姉さま?」
「彼は、私がフィアより劣っている。そう言っていた」
「まぁ…。そんな畏れ多い」
然し、言われてみれば…いや。私も国の為に尽くしている。
それは妹にも負けていないという自負が彼女にはある。
「お姉さま? あの…」
「ん? 何だ?」
「もう少し、笑顔の練習をしてみてはどうでしょう?」
「笑顔…笑顔か…」
「申し訳にくいのですけれど、マモルさんからのご厚意は
受け取れません」
「な…何故だ?」
クスリと微笑むフィアは、それを受け取れば、今後、サシャと護の
交流を断つ事になり、今後も起こりうる危機に対しての決定的な戦力を
永久に失う事になりかねない事を告げた。
椅子から立ち上がり、今にも泣きそうな困り顔で、
まるで助けを求めるかのように、フィアへと歩み寄る。
「ならば、私はどうしろと…」
「そう…ですね。おそらく何処かで野宿していらっしゃるでしょうし。
朝食などをまず届けにいかれては、どうでしょう?」
「お、おお! 女の子らしい振る舞いだな!!
い、いや。それと恩賞を受け取って貰うのとどういう関係が!?」
困惑するサシャの目はグルグルと回り、正常な判断が取れなくなっているようだ。
「あの…。お姉さまも、女の子ですから…」
「ああ。判っている。よ、よし朝食だな!!」
これで、サシャとの関わりを断てた。安心して借りた納屋で眠る護だが。
これから中途半端な乙女の献身が彼を襲う事になる。
翌朝。朝日が差し込み、目を覚ました護は、少し肌寒いのか身震いする。
気温はともかくとして、気分は晴れやかにスローライフを…。
「お、おい!!」
「…送れなさそう」
気持ちの良い朝の目覚めが、一変して阿鼻叫喚の地獄絵図へ。
ついに強硬手段をとってきたかと、護も戦術召喚使用もやむなしと、
判断し、身構えた。のだが、妙な違和感。
違和感というよりも、気持ち悪いと怖いが入り混じった得も言えぬ不快感。
目の前に居る金髪の女騎士が妙にもじもじとして、しおらしい。
それでいて、顔は引き攣り、怒りと困惑の中間といった表情。
本来、おはようの一言でも出すべきなのだろうが、
余りの気持ち悪さに護は枯れ草を巻き上げて後ずさる。
(何をする気だ。というか動作がクネクネして気持ち悪い)
「こ、これを食べなさい! 昨晩は何も食べて無いだろう!!」
「ん? あ、あぁ」
察する所。フィアに頼まれたか。だがもう関係を断ち切りたい、
然し、確かに空腹は凄まじく耐えがたい。
護は礼を言いつつ、木製のバスケットを受け取り、
かけられていた布を取ると…。
「お、おお。毒殺する気だったのか。
にしてももう少しマシな…」
バスケットに入っていたのは、薄く四角い炭が三つ。
そして皮が剥かれた…というよりもズタズタに切裂かれた林檎。
毒殺どころか、食う所が無い。
「毒殺などする筈が無いだろう!!」
「いやま、毒殺以前の問題…かなこれは」
どうするのコレ? まさか食べろと? いやいやいやいや。
(無理)
それを押し返すと、彼は納屋を出て行こうとするが、
逃がさんとばかりに長剣を抜き放ち、道を遮る。
「食べなさい!」
「命令形で強制って…はぁ、無理だよこんな炭。
林檎なんかもうほぼ芯だけだよ? 知ってる?
林檎の芯には毒があるんだよ?」
付き合いきれない。流石に無理だ。
長剣で遮られた道を半ば強引に押し通る。
もし、仮に斬りつけられたら正当防衛が成立する。
そこから一気にまくし立て、関係断絶を計ろう。
遮る長剣を見ると、何故か小刻みに震えている。
おかしいな。彼はそう思いふと、サシャを見た。
「…」
(ナニコレ)
眉はつりあがり、怒りを現し、釣り目には大きな涙を溜め込んで、
口元はへの字に曲がり、時折、えぐっと嗚咽を漏らしている。
「いや、あの」
「うぐぅ…き、きさまぁぁぁああっ!!!!」
「う、おわぁぁああっ!!!」
長剣を投げ捨てたサシャが泣きながら、怒りを表して殴りかかってくる。
辛うじて彼女の右ストレートをかわした彼は、そのまますり抜けて外へ。
全くなんてヤツだ! 剣を投げ捨ててまさかの打撃。
流石に面食らった護は、慌てて逃げる。
だが、見晴らしの良い村だ。容易く見つかる。
何処か隠れる場所は無いものかと周囲を見回すが何も無い。
そうこうしている内に、怒り狂ったサシャが右腕を振り上げて追い上げてくる。
体力的には護が不利。なんとか逃げ切る方法は…。
(余りやりたくないが…仕方が無い)
稲穂が生い茂る中へと飛び込み、身をかがめて進む。
大事な食料を踏むのに強い抵抗を覚えつつも、
背に腹は変えられない。
「何処に隠れたーっ!!!」
ここでほとぼりが冷めるまで待つか。
と、思いながら彼は思う。
もっと、もっともっと遠い土地に行こう。
ルーンフィールと関わりの薄い場所へ。
それが最善だろう。
それからかなり長い時間潜伏し、諦めたサシャが居なくなったのを
確認してから牛飼いの下へと戻り、事情を説明して礼を言った。
牛飼いの人からパンと牛乳の入った水筒を貰えたので、ありがたく頂戴し
また礼を言ってその場を去る。
町の出口に差し掛かる頃、時刻は夕暮れ。
護は理想的なのどかさを見せるこの場所を惜しみつつ、去ろうとした。
去ろうとしたのだが…。
「マモルさんーっ!!」
「ん? アレは…フィアちゃんか」
血相を変えて走ってくるフィアを見て、彼女の方へと歩み寄る。
「どうかしましたか?」
「はぁはぁ…。あ、あの。テラを、テラを見ませんでしたか!?」
「テラちゃん? いや…見なかったけど。どうかしましたか?」
「夕飯になっても戻ってこなくて…!!
いつもならちゃんと…ああ…テラ!!!」
周囲を見回すと、近所に深い森がある。
村で見つからないという事は、可能性として在り得る。
「森に入って迷っている。とかは」
「…!! あの森は入ったらダメと言っているのですが…」
「然し、もうじき日が暮れる。捜索は難しいですね…」
地面に跪き、神に祈るフィア。
「嗚呼、女神ステラよ。どうか、どうかテラをお守り下さい」
そんな彼女の元に事情を知っているサシャが駆け寄ってきた。
恐らくは森に迷い込んだ事を伝えるや否や、電光石火の勢いで
森へと駆け込んでいってしまったサシャ。
(暗い森に不用意に入ると、探す人間までも迷ってしまう。
さて…どうしよう。流石に見捨てる事は…)
ただただ足元で女神に祈るフィアを見る。
彼女に出来る事の精一杯がソレであり、
サシャはサシャで迷い無く駆け込んで行った。
ふと、空を見上げ、自分を俯瞰して誰と無く訪ねた。
「私が、出来る事。然し…いや。それは保身…か。
それではあの子に献身を伝えられない…」
「献身…? マモル…さん?」
「すまないフィアちゃん。もし私が倒れたら介抱を頼みます」
「え? あ、は、はい」
右手を振り払い、スキルツリーを展開し、その中から索敵技能を――
押そうとするが、指先が震える。これがもし、また膨大な情報を持つ技能だったら。
下手をすれば死ぬかも知れない。
既に手に入れた、戦術召喚で既に一杯一杯なのだ。
許容量を超えた時、どうなるかも判らない。
「ええい女神よ! 居るのなら力を!!
索敵技能習得!!」
「さ…サーチスキル! そんなモノまで…!?」
触れた指先から淡い光が生まれ、また彼の目へと吸い込まれた瞬間。
「ぐ…ぁ!! やっぱり…か!!!
これが広範囲な索敵だとチートだもんなぁ…!!!」
「ああ。マモルさん…目から血が!!
まさか…そんな」
「ク…ソ、クソ!! 意識が…飛ぶ。せめて、テラを…!!」
激しい痛みを訴えつつも、無理矢理意識を集中する。
視線を森へと移すと、驚く事に森が透けて視えた。
右側に縦横無尽に走り回る青い影が見え、
それとは真逆の位置に小さな黒い影が動かずにいる。
だが問題は動いている小さな影が黒。魔物だろう。
小さな青い影を探すと、とりわけ小さい青い影がポツンと
動かずにあった。大きさが距離を表しているのか。
「がは…くそ!まだだ。戦人ゼフィ…頼む!!!」
「索敵に英霊召喚…す、凄い。これが姉さまの言う
神託の英雄様…」
目の前の空間が湾曲し、見慣れた蓬髪の女が現れる。
半ば呆れた顔でゼフィは、護をみやる。
「アンタ…もうスキルを取るんじゃないよ。
本当に死ぬ気かい…で、場所は?」
既に言葉も出ず、ただ方角のみを指差すと、
ゼフィはサシャよりも更に速く森へと駆け込んでいった。
それを見送った護は後ろへと大きく倒れ込み、意識を保つ事に専念する。
意識が断たれればゼフィも還ってしまう。
せめて連れ戻すまでは。と、襲い来る傷みに必死に耐えた。
一分が一時間にも感じる程に長く、視界がボヤけ何も聞こえない。
ただ意識を保つ事にのみ集中し、彼を揺する感覚が判り、
ボヤけた視界の中、うっすらとテラを抱えたゼフィを視認出来た。
その直後、彼は意識を失う事になり、数日が過ぎた。
あの時同様、頭痛が酷い。少し動くだけでまた意識を失いそうな程。
彼は動かずに天井をみやるが、何処かは判らない。
それからまた彼は静かに眼を閉じる。早く回復させる為。
結局、護がまともに会話できるようになるまで一週間が経つ。
目を覚ました護がベッドから起き上がると、何か小さいモノが
胸元に飛び込んできた。
「マモルおじさんーっ!!」
「ぬおぉっ!? テラ…か、無事で良かった」
「無事で良かったと言うのは、こちらの方ですよ…」
看病してくれていたのか、傍にはフィアの姿もあった。
チラリと周囲を見ると部屋の片隅にサシャまで居る。
「悪いけど、もう暫く、寝かせて貰います」
そう言うと、フィアは頷く。それを見た護は、
テラの頭を撫でつつ眠りについた。その夜。
彼は目を覚まし、自分が動けるかを確認する。
何日も食べて無いからか、起き上がると酷い眩暈を起こし、
ベッドへと倒れこんだ。
「はぁ…こりゃ難儀だな」
サシャがまだ居るようなので、夜の内に抜け出したかったが…。
「無理をするな。出るのなら体調を万全にして出て行け」
「…うげ」
見張られていたのか、部屋の片隅で、サシャが両腕を組んで
こちらを見ていた。だが、今の言葉。
「は。大層嫌われたものだ。まぁ、私と貴方はどうも相性最悪らしい」
「相性以前の問題だと思うけどね…」
「それはまぁ良い。兎に角だ体調だけでも万全にして行け。
今回は見逃す」
「見逃すって…もう追いかけてきて欲しく無いのだけど?」
「それは、出来無い」
なんでそうなるのか。と、溜息をつく。
それから言葉も交わす事もなく、更に三日が経つ。
フィアの介護のおかげか、体調も良くなり、旅立つ事に。
この国と縁の薄い遠い地へと赴く事を決意し、護がドアノブに手をかけた。
それを見送るフィアと子供達、サシャ。
然し、それを運命が拒むかのように、フィアが突然蹲る。
一体何ごとかと、護はフィアへと駆け寄る。
「フィアちゃん? 大丈夫かい…」
「恐らく、神託だ。フィアは神託の巫女だからな」
「神託てあの物騒なものを当てた予言か…」
彼女の体調には何も影響しないとの事に安堵した護は、
子供達と共に神託を聞く。その内容とは…。
「これより40日の後。二人の英雄…」
護とサティは互いに顔を見合すと、祈るような姿勢のフィアへと視線を戻す。
然し、次に語られた言葉に二人は驚きを隠せなかった。
「サーシャ・ルーンフィール、
ワダツミ・マモルのいずれかに――死が訪れる」
第一話 神託の巫女 前編