第13話 ダンディーと老婆
新たな宿舎の竣工式を翌日に控えたその日、俺は食堂にレギュラーメンバーを集めた。話し合いの内容は、間もなく開始する夜の営業についてである。
厨房には俺とセルシアたち3人、ホールにはレイランとノエルンを置く。彼女たち以外にも3人ほど人選が必要だが、通いの者たちの中から候補はある程度固まりつつあった。そのうちの1人が、今日働いて帰る予定だったキノシンという中年男性である。
「キノシン、疲れているところを済まんな」
「いえ、それは構わないのですが……」
年齢は39歳で髪は短めの茶髪、物腰が柔らかい上にモテそうな顔立ちの彼は少々不安そうだった。無理もない。理由も告げられずに残されたのだから、レイランの時と同じように解雇宣告を恐れているのだろう。
「おーなー、私は何故残されたのでしょうか」
「この食堂の隣に、新しく建てた建物があるだろう?」
「はい。宿舎と聞いておりますが」
「明日の竣工式が済んだら、早速そこに住んでもらおうと思うんだがどうだ?」
明日、店は臨時休業にしてある。そのため、本来なら翌日の仕事に備えて交代要員が泊まる部屋には現在誰もいない。彼には今夜そこに泊まってもらい、明日からは新しい宿舎の住人として、レギュラーメンバー入りしてもらおうというわけだ。もちろん、すでにレギュラーとなっているレイランも同様である。
「わ、私に住む場所を与えて下さるのですか!?」
「部屋はいつも泊まってもらってるのと同じ間取りだから広くはないが、1人なら問題ないだろう」
「そんな! あの広さがあれば十分です!」
「洗面所と手洗いは共同だが、店とは別に男女用にそれぞれ1つずつ付けてある」
キノシンは信じられないという表情で俺を見ていた。しかし次の瞬間、上気した彼の顔がウソのように曇ってしまう。
「どうした、何か不都合でもあるのか?」
「あの、おーなー、せっかくですがこのお話は誰か別の人に……」
「何か心配事があるんだな?」
「はい……」
「遠慮はいらないから話してみろ。力になってやれるかも知れないぞ」
「はい……実は私が住み着いております橋の下に、トメノという老婆がおりまして」
「うん」
「説明会に連れていったのですが、彼女は目が見えないので仕事を断念せざるを得なかったのです」
彼によると老婆は目が見えないだけで、足腰はしっかりしているとのことだった。しかし料理屋の仕事では、盲目の自分には務まらないからと諦めたそうだ。
「私が戻らないとトメノばあさんが心配しますし、何より彼女が生きていけなくなってしまいます」
王国からの配給品などは、彼女の代わりに彼が受け取って渡していたという。
「なるほど」
「こんなにありがたいお話を頂いたのに、申し訳ありません」
「なあキノシン」
「はい」
「この店が何のためにあるかは説明したよな」
「え? あ、はい。貧民街に住む私たちが、少しでも楽な生活を送れるようにと、収益のほとんどを王国に納めて配給して下さっていると……」
「つまりだ、俺はそうした人たちを1人でも多く救いたいと思っているんだよ」
そこで俺はキノシンの瞳を睨みつけた。
「ただし、働けるのに働かない者に手を差し伸べるつもりはない」
「お、おーなー?」
「キノシンさん、旦那様はそのトメノさんを救って下さると仰っているのですよ」
「えっ!?」
微笑みながらのセルシアの言葉に、キノシンは思わず絶句する。
「善は急げだ。キノシン、案内しろ」
「あ、あの……?」
「バーサル、少し出てくる。まだ話が残っているから、皆も俺たちが戻ってくるまで待っていてほしい。風呂に入るなりして寛いでくれて構わない」
「私も行きます!」
「ご主人様、私も連れていって下さい」
「もちろん私もお願いします」
「おーなー、私も!」
そうくると思ったよ。俺は急いでセルシアにおにぎりを作らせてから、狼狽えるキノシンを急かして、彼が住み着いているという橋の下に向かった。
「キノシンさん……だよね? 何だか大勢いるようだけんど……」
「俺だよトメノばあさん、安心してくれ」
「ああ、ああ、そうだよねぇ。またアイツらが来たのかと思ってびっくりしちまっただよ」
「アイツら?」
説明会の時に王国に捕らえられた、配給品を横流しして私腹を肥やしていたならず者たちのことを言っているらしい。彼らはすでに捕まったから心配ないと、キノシンが何度説明しても彼女は複数の足音が聞こえる度に怯えるという。幾度となく食べ物を奪われたり、暴力を振るわれたことがトラウマになっているそうだ。
「アンタがトメノさんか?」
「そうだけんど……その声は確か説明会の時の……?」
「よく覚えていたな」
「やっぱり……! 長ぇこと目が見えないと耳だけが頼りですからぁ。それにあんっな慈愛に満ちた声、忘れるわけねえです」
そこで突然老婆が俺に平伏した。
「お、おい……?」
「ありがとごぜます。ありがとごえぜます!」
「いきなり何だ?」
「貴方様のお陰で毎日毎日、ちゃんっとメシ食えてます。ありがてえこっです」
「そうか。だが配給はもう終わりだ」
「ええっ!?」
世界の終わりを見てきたような表情になるトメノの肩に、俺はそっと手を置く。
「いつから見えないんだ?」
「も、もう30年も前からです。あの、配給が終わるってのは……?」
「トメノさんの目が治って、働けるようになるからさ」
俺はセルシアたちに目配せして、キノシンをこの場から離れさせた。そして老婆の目が癒えるのをイメージしながら、小さな声で早九字を切る。
「トメノさん、ゆっくりと目を開けてみろ」
「え?」
「言われた通りにするんだ」
「はい……え? ええっ!?」
すでに陽が落ちて辺りは暗くなっていたが、開いた瞳には夜の景色が飛び込んできたはずだ。その証拠に彼女は言葉を失っている。
「どうだ、見えるか?」
「み、みみ、見えます! 目が……目が見えますだ!」
そこに離れていたキノシンが駆け寄ってくる。
「トメノばあさん、どうしたんだ?」
「その声は……キノシンさんだね?」
「何を言っているんだよ。当たり前じゃないか」
「見えるんだよ、キノシンさんの顔が!」
「えっ?」
「この人が……おらの肩に手を置いてくれて、そしたら見えるようになったんだよ!」
「お、おーなーが!?」
早九字のことはバレてないようでよかったよ。
それから、再びその場に平伏して何度も礼を言うトメノを伴い、俺たちは店に向かって歩き出す。むろん、激しい空腹をおにぎりで満たしたのは、言うまでもないだろう。




