第3話 レイラン(前編)
「私はレイランさんがいいと思います」
「ああ、あの人いつも一生懸命働いてるよね」
「皆の体調も気にしてくれるし」
レイランとは平民の女性である。身長はミルエナやワグーより少し高い感じなので、おそらく155cmほどだろう。髪はピンクブロンドで肩までのサラサラストレート。俺の目には小顔で整った顔立ちに見えるから、こちらの世界では残念な方になるのかも知れない。年齢は26歳と聞いた。
「レイランか。確かに彼女は頑張ってくれてるな」
「仕事がない日に賄いを食べに来ても、皆の食器を洗ってくれたりしてますね」
「彼女は初めからそうでした。ここで食事させてもらえることが感謝だって言ってましたし」
「お客さんにも好かれているみたいですよ」
他の者たちにも異存はないようである。
「次にレイランが来るのはいつだったかな」
「確か明日だったはずですよ、旦那様」
「なら、俺から明日話してみよう」
ところがその翌日――
「おいおい、勘弁してくれよ」
「も、申し訳ございません!」
どういうわけかレイランがミスを連発していたのだ。よろけて料理をひっくり返したり、水を客にかけてしまったり。挙げ句、皿を何枚も割ってしまう始末である。
「レイラン、ちょっと」
「は、はい!」
見かねた俺は、彼女を休憩室に呼んで店から下がらせた。厨房はセルシアたちに任せておけば問題ないだろう。
「どうした? 顔が少し赤いようだが」
「い、いえ、何でもありません」
「何でもないことはないだろう? 今日は変だぞ」
「ほ、本当に大丈夫ですから」
「うん? 大丈夫? レイラン」
「はい……」
「そのままじっとしてろよ」
そう言って俺は彼女の額に手を当ててみた。思った通り熱い。
「レイラン、お前、熱があるのに無理して仕事に来たのか?」
「大丈夫です。大丈夫ですから働かせて下さい!」
「いや、大丈夫なわけないって。かなり熱かったぞ」
そこで彼女は泣き出してしまった。発熱で朦朧としているのか、感情を制御出来ないようだ。
「ちょっと待て。泣かなくてもいいから」
「お願いです、おーなー! どうか……どうか働かせて下さい!」
「どうしてそこまで働きたいんだ?」
「だって……だって休んでしまったらおーなーの印象が悪くなって……」
「俺の印象?」
「そうしたらここで働かせてもらえなくなって……」
「いやいや、病気でも働けなんて言わないから」
泣き続けるレイランを何とか落ち着かせて、何故そう考えるに至ったのか事情を聞いてみた。すると先日クビにしたバドルが解雇された理由を聞かれて、苦し紛れに俺の印象を悪くしたからだと答えたそうだ。しかも貧民街では今、その話題で持ちきりだと言う。
「レイラン、それは間違った情報だよ」
「……?」
「バドルの奴は客に出す料理をつまみ食いしたんだ。その上、問い質しても反省する素振りすら見せなかったから追い出したというわけさ」
「それではおーなーの印象というのは……?」
「まあ、そういう意味では彼に対する俺の印象は最悪だが、真面目に働いてくれている皆を、単なる印象だけで放り出したりはしないよ」
「わ、私……」
「それよりも、だ」
俺はレイランを睨みつけた。
「熱があるのに無理して働きにきて、そのせいで客や皆に迷惑をかけているのは分かっているのか?」
「申し訳ありません……」
「バドルの件があったとしても、体調が悪ければ休んでも構わないと伝えてあったよな?」
「はい……」
「なのにお前は無理してここに来た。そこまでする理由は何だ?」
具合が悪そうにしている彼女に話をさせるのは酷だとは思ったが、ここでちゃんと聞いておかないと、また同じことを繰り返さないとも限らない。そんな意図もあって聞いたのだが、彼女の答えは並々ならぬ決意だったのである。
レイランはここに来る前、結婚して子供もいたそうだ。その幸せな生活が一変したのは半年前。流行病で夫と子供を失ったのだと言う。他に身寄りのなかった彼女は、途方に暮れたまま貧民街に流れついた。
しかしそれまで何不自由なく暮らしていた若い身に、貧民街での生活はあまりにも過酷だった。ようやく食べ物を手に入れても、力ずくで奪われてしまうのは日常茶飯事。雑草を食んでは口の中を切り、腹を壊して悶絶することも1度や2度ではなかった。どうしてそんな目に遭ってまで生きなければならないのかと、世を恨んでさえいたそうだ。
「食うや食わずの生活に疲れ果て、私はついに、夫と子供の後を追って死のうと考えるようになりました」
そんな時にここでの仕事の話を知ったと言う。
「私が後を追っても、夫や子供は悲しむだけだと思ったんです。それなら死んだ気で働かせて頂こうと」
「それは正しい考えだと思うぞ」
「ここで働かせて頂くようになり、仕事がない日でも1食の食事を頂けることがどんなにありがたかったことか」
「済まんな。本当はもっと食わせてやりたいんだが」
「とんでもないです! 私はその1食さえ食べられない日を何度も経験して過ごしてきました。おーなーが謝る必要なんてありません!」
中にはバドルのような度し難い愚か者もいるが、基本的に貧民街で暮らす人々は謙虚だ。ここで賄いを食べられる者たちは、王国からの配給品を受け取らないと聞く。彼らは自分に配られる分を、もっと弱い立場の者たちに分けてやってくれと願うらしい。
「ですから私には休んでるヒマなんてないんです! お願いです、どうか今日も働かせて下さい!」
「そんな話を聞かされたら仕方ないか」
「で、では!」
「まあ待て。今のままで店に戻っても、また皆に迷惑をかけるだけだろう?」
俺は彼女を立ち上がらせ、こちらに背を向けるように言った。
「今回だけだぞ。それと、これは誰にも言うなよ」
「おーなー?」
不安そうな背中に向けて、俺は小さな声で早九字を切った。これでまたラーメン10杯分の食事を摂らなければならなくなったよ。しかし、彼女の症状は完治するはずだ。
「あ、あれ?」
「どうだ、楽になったか?」
「はい、あの……」
「もう1度言う。誰にも喋るなよ」
「もしかしておーなーは……」
法力を魔法ということにして簡単に説明すると、どういうわけかレイランは突然泣き崩れてしまうのだった。




