第1話 ノエルンも?
店がオープンしてから1週間が経過したが、未だに行列が途絶える日はなかった。ただ、この2日ほどは予定の午後2時には閉店出来ている。それでも初日から働き続けているセルシアたちや、バーサルを始めとする面々はさすがに疲労を隠せない様子だ。
「明日は店が休みだから、皆ゆっくりしてくれ」
店休は昨日のうちから貼り紙で客たちにも告知済みである。日替わり要員にも警備隊に頼んで伝えてもらったので、今日の交代は来ない。むろん明日の食事の提供もないので、代わりに要員たちには1人当たり銀貨1枚を支給した。お陰で不満を漏らす者はおらず、逆に感謝されたそうだ。
「これは少ないが手当てだ。皆が必要とする物はこっちで買い揃えるから、各自好きに使ってくれて構わない」
「お、おーなー!」
「よろしいのですか!?」
「店が回っているのは皆のお陰だからな」
その日の日替わり要員が帰った後、休憩室にバーサルたちを集めて、俺は1人1人に銀貨10枚を手渡した。
「こ、こんなに!?」
「住む場所に毎日の食事まで頂いているのに、このような大金まで……!」
銀貨10枚は、彼らにはとっては大金なのだろう。
「済まないが明日は賄いがない。だからその中から自分たちで食ってくれ。何か作るなら厨房を使ってくれてもいいぞ」
「でも旦那様、お昼過ぎには私はカレーの仕込みに来ますから……」
「いや、それは俺がやるよ。セルシアたちはゆっくり休んでくれ」
「そんな……旦那様こそお疲れのはずです!」
「心配しなくても俺は大丈夫だよ」
「でしたら、私も旦那様のお手伝いを致します!」
「私も!」
「私もです!」
「私も何か出来ることをしたいです!」
ミルエナとワグーが続くのはいつものことだが、ノエルンまで同調を始めたのには驚いた。彼女の体調は少しずつよくなって、今では粥ではなく皆と一緒に普通のご飯を食べている。しかし、まだまだ無理をさせられるような状態ではないのだ。
「皆の気持ちは嬉しいけど、1週間ぶっ通しで働いたんだから、明日はちゃんと体を休めてほしい」
「旦那様も同じではありませんか。それに……」
「それに?」
「旦那様がいらっしゃらないお休みなんて、楽しくありません!」
「カレーを仕込んだらすぐに帰るから」
「旦那様は、私たちが傍にいると邪魔なのですか?」
言うとセルシアが泣き出してしまった。
「違うよ、セルシア。俺だってセルシアたちと一緒にいたいよ」
「でしたらっ!」
「分かった分かった。それじゃ、明日の仕込みに付き合ってくれ」
「はいっ!」
「セルシアさんたちはおーなーが大好きなんですね」
バーサルが言うと、他の皆が微笑みながら頷く。
「だって旦那様のお陰で、私たちは今こうして生きていられるんですから」
「そうですね。我々も同じです。おーなーがいなければ、今日を生きていられたかどうかさえ分からない」
「ありがとうございます、おーなー!」
「ありがとうございます!」
皆の澄んだ瞳に、俺は胸の奥からこみ上げてくるものを感じていた。そんな風に言ってもらえると、この店を始めてよかったと改めて思うよ。
しかし今回の店休によって、1つの課題が見えた。それは賄いに頼りきっている従業員たちの食事である。店を休めば賄いはない。だが、2階の部屋には自炊する設備がないのである。厨房を使ってもらうという方法はあるが、そもそも彼らに料理の技術があるとは思えない。どうしたものか。
「何かいい案はないかな」
家に帰ってから、セルシアたちを居間に集めてそんな相談を持ちかけてみた。俺1人で考えるよりも、彼女たちの意見を聞いてみようと思ったのである。
「ホスマニーさんはどうでしょう?」
「ホスマニー?」
セルシアが呟くように言った。
「あの方は子供さんもいらっしゃいますし、他の皆さんと同じようにお店で働くのは辛いのではないでしょうか」
「と言うと?」
「そうか! ホスマニーさんに皆の世話を任せるということだな?」
ワグーがポンと手を打って応える。なるほど、彼女には寮母のような仕事をしてもらうということか。
「はい。お料理は私がお教えします。そうすれば、お休みの日のカレーの仕込みもお任せ出来るのではないでしょうか」
「確かに、カレーは難しい料理ではないからね」
「そうなんですか? あんなに美味しいのに」
ノエルンは驚いた表情をしているが、あれは肉や野菜を炒めてから煮て、後は俺が日本から持ち込んだルーを放り込んでかき混ぜるだけだ。分量さえ間違えなければ誰にでも簡単に作れる。
それに、近々建設予定のラクリエルたちの宿舎に従業員用の食堂を併設すれば、店の大型な設備を使う必要もない。女性が1人で取り回せるようなコンパクトなキッチンなら、各自で自炊も可能になるだろう。
「よし。この案で明日、ホスマニーに話してみよう。セルシア、ありがとう!」
言いながら彼女の頭を撫でようとすると、珍しくそれを遮られた。おかしい。いつもなら嬉しそうに頭を押し付けてくるのに。だが、その理由はすぐに彼女の口から語られた。
「旦那様、本当に疲れました」
「え? あ、うん、お疲れさま」
「ですから今日は……」
「今日は?」
「抱きしめながら、頭を撫でて下さい」
なんだ、そういうことか。彼女を抱きしめるのは毎日のことだし、それと併せて撫でてほしいようだ。別にわざわざ疲れているなんて前置きをしなくても、言ってくれるだけでよかったのに。しかし、彼女の言葉はまだ終わりではなかった。
「あと……口づけをお願いします!」
「は……? く、口づけ!?」
「あ! 私も疲れました。ですから口づけを!」
「わ、私も! 私にも口づけを!」
ミルエナとワグーまでそんなことを言い出す。その様子にノエルンが、頬を真っ赤に染めて俺を見つめていた。まさか、自分もとか言わないよね。
「あの……出来れば私も……」
あちゃ〜、この子もかよ。
「だめ……ですか?」
セルシア、潤んだ瞳で上目遣いとか反則だから。もちろん、そんな風にお願いされて断れるわけがない。俺はその日、4人の女の子と唇を重ねるのだった。




