第1話 セルシアの秘密
セルシアがうちに来てから1カ月が過ぎた。辺りの雪も溶けて、少しずつ暖かくなってきている。
その頃になると傷はすっかり癒え、体の痣もほとんど消えているようだった。そんな彼女は今、この家の家政婦をしてくれている。何か仕事を与えてほしいと言われたので、身の回りの世話をお願いしたというわけだ。
ただ、彼女は必死に隠そうとしているようだが、時折右足を引きずっているのが気になっていた。
「セルシアちゃん、ちょっといいかな」
「はい、何でしょう?」
ピンクのフリースに黒いフレアミニ。日本の通販サイトで買った服の中で、それがお気に入りのようだ。他にも何着か渡したが、この組み合わせをよく見る。彼女に理由を聞くと恥じらいながらも、最初に着た時に俺が見とれているように感じたからだと答えてくれた。うん、確かに見とれていたよ。今もそうだし。
「右足、どうした?」
「え……?」
刹那、フリーズしたかのように彼女の動きが止まる。触れない方がよかったのかな。でも痛みなどがあるのなら知っておくべきだろう。何と言っても俺は彼女の主なのだから。
「あの……」
「痛いの?」
「だ、大丈夫です! 決して旦那様にご迷惑はおかけ致しません!」
「いや、ご迷惑とかではなく……」
「痛くありません! 痛くありませんから……どうか、どうか捨てないで下さい!」
今にも泣きそうな顔で訴えてくるが、捨てないでってどういうことだろう。
「な、泣かないでいいからね。捨てたりしないし」
「本当ですか?」
「俺、セルシアちゃんに嘘ついたことある?」
「ございません……」
「なら、ちゃんと教えてくれるかな?」
「はい……」
そこで彼女は、以前に仕えていた貴族に拷問され、執拗に右足を殴打されたことを明かしてくれた。そのせいで関節がおかしくなり、普通に歩こうとすると激しい痛みがあるとのこと。隠そうとしたのは、体に不自由があると知られると、不良品として捨てられると思ったからだと言う。
「どうして先に言わないのさ」
「だって……だって……」
「あ〜、怒ってるわけじゃないからね」
また泣かせちゃったよ。そんなつもりはないのに。
「セルシアちゃん、俺は君の何?」
「旦那様、です」
「そう。これまでも、これからも、だよ」
「これからも……?」
「うん。俺はずっとセルシアちゃんの旦那様でいたいと思ってる」
「……!」
だってこんな可愛い女の子、日本全国を探してもそうそうはいないぞ。いたら間違いなく芸能界入りだろう。
それだけじゃない。とにかく彼女は俺に献身的に尽くしてくれる。俺が喜びそうなことは、一生懸命やろうとするのだ。服選びなんて、その一端に過ぎない。
風呂もトイレもいつもピカピカ。簡単な料理も、教えたら一度で覚えて完璧にこなしてしまう。俺より先に寝ることはないし、俺より後に起きてくることもない。まさに理想の嫁だよ。手放してなるものか。
結婚はおろか、まだキスすらしてないけどずっと大事にしたい。嘘でも何でもなく、それが俺の本心だ。だから彼女が痛い思いをしているのなら、一刻も早く取り除いてあげたいと思う。
「セルシアちゃん、おいで」
俺がこう言うと、いつも彼女は嬉しそうにその身を委ねてくる。そして細い体を抱きしめると、決して自分から離れようとはしない。初めて会ったあの日に、抱きしめられて嬉しいと言ってくれた言葉は、社交辞令ではなかったのだ。
「もう、抱きしめては頂けないのですか?」
あれは、彼女がうちに来て1週間後のことだった。そわそわしていたので、理由を聞いた結果がこの返答だったのである。以来、1日に1度はこうして彼女を抱きしめている。天国だよ、マジで。
そんなセルシアだが、今回ばかりは不安そうな表情を浮かべている。それでも寄ってきてくれたのだから、俺はいつもと変わらず彼女を抱きしめて言った。
「セルシアちゃんが痛みを我慢していたりするのが、俺には一番辛いんだ」
「そんな! 旦那様が辛い思いをされる必要なんて……」
「でも、そうなんだから仕方ないんだよ」
「旦那様……」
「だからね、その痛みは俺が取り除いてあげようと思う」
「え?」
ようやくこの時がきた。彼女の小さな傷も痣も、本当はこの力を使えばもっと早く治すことが出来ただろう。そうしなかったのは、これを見られて怖がられるのが嫌だったからだ。嫌われたくなかったのである。
俺の寺の本尊は薬師如来様だ。大医王とも呼ばれ、苦しみを取り除いて下さる御仏様である。そして俺は、この世界において本尊の加護を受けて法力を使える。故に、彼女の痛みを癒やすことが出来るはずだ。
「1つだけ頼みがある」
「何でしょう? 私に出来ることなら何でも致します」
「これから俺がセルシアちゃんに見せるのは、信じられない力だ。でも」
「でも?」
「それを見て、俺を怖がったり嫌ったりしないでほしい」
「旦那様を嫌うなんて、そんなことあるわけございません!」
「そう。なら安心した」
彼女の強い視線に、俺も覚悟を決めることが出来た。それでももし彼女に嫌われてしまったとしても、後悔はしないと思う。これで痛みから解放されて、幸せに暮らしてくれるのなら本望だ。だが、俺の中には決してそんなことにはならないという、自信のようなものが沸き起こっていた。
俺は彼女から体を離し、正面に立たせて目をつぶらせる。九字護身法は、日本では比較的知られているとは言っても本来は秘法である。無闇にその目に触れさせるものではない。ましてこっちの世界の住人である彼女には、縁のないもののはずだ。目を閉じさせるのが道理だろう。
そして、俺はセルシアの足が治るように強く念じ、左手を軽く握って作った鞘から、右手の2本指を手刀に見立てて抜くのだった。