第5話 モフモフのお耳
「お前は……獣人か?」
店の営業開始を翌日に控えたその日、日替わり要員の最初の10人がやってきた。彼らは基本的に閉店前に来てまず風呂に入り、それから俺たちと夕食を共にする。食事の後は店内の清掃などに参加してから、1階の居住スペースで休むという流れだ。
翌日は開店準備を手伝い、同時に接客や配膳などの仕事を学ぶ。しばらくの間、営業はランチタイムに合わせた午前11時から午後2時までの3時間のみなので、その後に食器洗いや清掃を終わらせ、賄いを食べて帰ることになるのだ。それはいいとして――
「あの、獣人は働かせて頂けないのでしょうか……」
昨日の説明会では全く気づかなかった。それもそのはず。彼女はいわゆる獣耳だが、それ以外の見た目は人間と見分けがつかないのである。聞くと尻尾はあるそうだが、衣服の中にしまっているとのことだった。
「いや、そう言うわけではないが、ちょっと驚いてしまったんだ。すまん」
「そうでしたか。私が受け継いだ獣の特徴は耳と尻尾だけで、体毛などは人と変わりませんから、お料理に毛が入ってしまう心配もないと思います」
「そうか。なら問題はないから安心しろ」
とは言うものの、彼女はひどく痩せていて、身長もセルシアと同じくらいしかない。しかしクリクリした瞳に長い睫毛、卵形の輪郭に八重歯が覗く口元は非常に愛らしい。栗色の髪も風呂できれいに洗ってきたようで、艶々と輝いているように見える。そして何より獣耳だ。まさか本物を目にすることになろうとは、今の今まで思いもしなかったよ。年齢は恐らく15歳前後じゃないかと思う。
「名前は?」
「ノエルンです」
「ノエルンさん、そのお耳、触ってみてもいいですか?」
声に振り向くと、俺の背中からセルシアが顔を覗かせていた。
「セルシア、いつの間に」
「えへへ。旦那様のお姿が見えたので来ちゃいました」
ペロッと舌を出しながら言う彼女は可愛すぎるよ。
「耳ですか? どうぞ」
「やったぁ!」
言いながら早速手を伸ばして、セルシアがノエルンの耳を触りまくっている。モフモフしてて、めちゃくちゃ気持ちよさそうだ。
「あ、俺もいいか?」
「お、おーなーもですか!?」
「だめ?」
「い、いえ、どうぞ……」
何だか真っ赤になっている彼女が可愛い。俺はセルシアと交代して、三角形の耳を触らせてもらった。おお、これが獣耳の触り心地か。たまらん。
だが、彼女の様子がちょっとおかしい。もしかしてセルシアと同様に、耳は敏感なのだろうか。口を押さえて必死に声が出るのを我慢しているようにも見える。
「ありがとう。なかなかいい感触だったよ」
「そ、そそ、そうれすか……」
やっぱりだ。半分涙目になりながら台詞を噛んでるから間違いない。
「旦那様は女の子の耳がお好きですね」
「あはは、セルシアのも触りたいなぁ」
「ダメです! 旦那様に触られると私……」
「俺に触られると?」
「な、何でもありません!」
顔を真っ赤にしながら叫んだセルシアは、そのまま走って逃げていってしまった。後に残されたノエルンは呆然としながら、彼女の後ろ姿を目で追っている。
「ところでノエルン」
「ひゃい!」
「お前、ずい分長いことまともな食事をしていなかったんじゃないか?」
「あ……はい……」
「両親は?」
「人間の父は早くに亡くなりました。母は去年、見世物団に捕まって……」
ノエルンは人間と獣人の間に生まれたクォーターだと言う。母親は自分が捕まる時、必死に彼女を隠したそうだ。
これは後で知ったことだが、その見世物団は城下でも悪名高いギゼルという団体だった。彼らは日常的に獣人を捕らえ、ろくに食事も与えずに働かせる。そして弱って動けなくなると、飼っている獣の餌にしてしまうのだ。それも生きたまま食わせるという。何と悍ましい連中だろう。
「ならお前も貧民街にいたら危ないんじゃないのか?」
「はい。ですから普段は耳も尻尾も隠しているのです」
説明会の時、彼女が獣人であることに気づかなかったわけだ。しかしそれを聞いてしまうと、仕事が終わったからと言って再び貧民街に帰すのは心配である。
「セルシア、そこにいるんだろう?」
「はい……」
何となく気配がしていたので声をかけてみたのだが、案の定話を聞いていたようだ。彼女の頬には涙が流れていた。
「聞いた通りだ。俺は放っておけないと思うけど、セルシアはどう?」
「旦那様の仰る通りです」
「私も放っておけません!」
「私もです、ご主人様!」
セルシアの後ろからミルエナとワグーも顔を出した。きっと頭を撫でてほしくて来ていたのだろう。仕方のない女の子たちだ。ま、それが可愛くて堪らないんだけどね。
「まだ空いている部屋はあったよね?」
「はい。ワグーさんのお隣が空いてます」
「よし、決まりだ。ノエルン、うちに来るといい」
「え? それは……あの……?」
「帰る宛でもあるのか?」
「いえ、そうではなくて、うちに来いとは……?」
そっちか。
「お前は仕事を終えてもあそこに戻る必要はない。俺たちと一緒に暮らそうと言っているんだよ」
「お、おーなーたちと一緒に……!」
途端に大きな瞳から涙が溢れ出した。それを拭おうともせず、彼女は言葉を続ける。
「本当に……本当によろしいのですか? 私は獣人なんですよ」
「構わんよ。その代わり、毎日俺たちとここに通って仕事をすることになるぞ」
「毎日お仕事を……! やります! やらせて下さい!」
こうして、また新たにうちに女の子が1人増えることになった。だが――
「ノエルンさん、気をつけて下さいね」
「え? 何をですか?」
「おうちでは旦那様はとってもエッチですから」
「え、えっち?」
「ちょ、セルシア、何を……!」
「私たちにすごく短いスカートを履かせて、下着が見えると喜んでおいでなんです」
「み、ミルエナまで!」
「下着を……」
「違うぞ、ノエルン。違うからな!」
「私は見られてもいいんです。旦那様が喜んで下さるんですから」
「セルシア、もう許して」
そして彼女は獣耳にそっと耳打ちする。
「でも、旦那様はとってもお優しい方ですから、安心して下さいね」
その言葉は、残念ながら俺の耳には届かなかった。




