第5話 税込み1100円のエルフ
長いこと1人で生活してきた俺は、料理もそこそこ出来る。1番の得意料理はふわとろのオムライスだ。玉子を半生に焼くのは随分練習したが、面倒くさがりなわりに凝り性のせいか、出来るようになるまでがんばった。ただし、出来てしまってからは作らなくなったけど。
あれを彼女に食べさせたら、どんな反応を見せてくれるのだろう。よし、今度作ってあげることにしよう。
「あの、旦那様……」
「うん? もっといる?」
「いえ、その……」
「どうしたの?」
「申し訳ございません。もう、食べられません」
見ると彼女の手元には、半分になった2つ目の丸ごとバナナが入ったあのパンがある。あれ、かなりお腹にたまるんだよね。
「お腹いっぱいになった?」
「お腹いっぱい? これが、お腹いっぱい……」
「ん?」
「これが、お腹いっぱいということなのですね?」
「え?」
「お腹いっぱいって、もう食べられなくなることだったんですね?」
よくよく聞いてみると産まれてからこれまで、こんなに多くの物を食べた経験がないということだった。いや、まだ2つ目だし、量的には全然大したことないから。しかしそこでまた、彼女が泣き出してしまう。
「お、おいおい」
「食べたいのに……残さず食べたいのに……」
「また後でお腹空いたら食べればいいじゃん」
「食べ物を残したんですよ?」
「へ?」
「残したら3日間、食事抜きではないのですか?」
「はぁ?」
涙目の彼女に聞くと、奴隷商人の許では出された食べ物を残した場合、その後3日間は食事をさせてもらえなかったという。しかも、食べ物というのは名ばかりで、実際は家畜に与えるようなエサだったそうだ。
あの男たちが言っていたように害獣とまではいかないが、エルフはこの国では獣同様の扱いを受けているらしい。さらに聞くと、どうやらその風潮は他の国でも同様とのことだった。
それでも、生きるためには食うしかない。腹を壊して食べられず、最後には死んでしまう者もいる中で、どうにかこれまで生きてきたと語る彼女を、俺は抱きしめずにはいられなかった。
「だ、旦那様?」
「辛かったんだね」
「旦那様……」
「もう、そんな思いはしなくていいよ」
セルシアの背中に手を回すと、ハッキリと背骨の形が分かるほど痩せこけている。さっき一瞬彼女の裸を見た時には慌ててしまって気づかなかったが、綺麗な形の胸の下には肋骨が浮き上がっていたように思う。その上全身が痣だらけだった。あれはおそらく、ずっと殴られたり蹴られたりしていたからだろう。それなのに欲情しかけるなんて、俺は最低だよ。
「旦那様……私なんかを抱きしめたら、旦那様のお体が穢れてしまいます」
「構うものか。それに、穢れるなんてことはないよ」
「でも……」
「風呂でちゃんと洗ってきたんでしょ?」
「はい。お言いつけ通りに泡で磨いて参りました」
「ならきれいじゃん。いい匂いもするよ」
それからしばらくの間、俺は彼女を抱きしめたまま、髪と背中を撫で続けていた。だが、大事なことを思い出す。
「そうだ、手当てしてあげなきゃね」
「手当て、ですか?」
「怪我の手当てだよ。見せてごらん?」
「あの、旦那様?」
「うん?」
セルシアは俺から少し体を離して、うつむいてしまう。
「先ほど旦那様はいい匂いがすると仰られましたが」
「言ったねえ」
「臭くは……ありませんか?」
「臭い? なんで?」
「その……私はいつも、臭い、汚い、醜いと言われておりましたので……」
醜い?
「ちっとも臭くないよ」
「家畜と同じ匂いはしませんか?」
改めて彼女の匂いを嗅いでみるが、うちで使ってるシャンプーと同じ匂いしかしない。いや、ちょっとだけ甘い香りもするかな。しかし家畜のそれとはまるで縁遠い。
「いい匂いだよ。甘くて、いつまででも嗅いでいたいと思うし」
「だ、旦那様、そんなに嗅がれますと、ちょっと恥ずかしいです」
しまった。我を忘れてクンカクンカし過ぎたみたいだ。うつむいていても、彼女が耳まで赤くしているのがよく分かる。これにはさすがに俺も、ちょっと恥ずかしくなってしまったよ。だいたい、女の子を抱きしめたのなんて初めてだ。身の上を憐れんだとは言え、何という大胆なことを。
「ご、ごめん。嫌だったよね?」
「え?」
「いや、こんな風に抱きしめてしまってさ。本当にごめん」
「そんな! 嫌だなんて思ってません!」
「だって……」
「恥ずかしかっただけです。抱きしめていただいたのは……嬉しかったです。初めてでしたので、少しびっくりしましたが……」
「そうなの?」
「はい。それもあんなに優しく。頭や背中を撫でていただいたのも、とても心地よかったですし」
セルシアちゃん、可愛すぎるよ。とても100円ショップの皿10枚、税込み1100円と交換したとは思えない。いや、そんな俗物的な考えは捨てよう。
「りょ、両方の手首と足首の傷が酷いね」
「あの人たちに買われる前まで、鎖に繋がれておりました」
逃げられないように鉄球の重しをつけられ、動く時はそれらを引きずるしかなかったそうだ。本当はちゃんと医者に診せた方がいいのだろうけど、まさか彼女を日本に連れていくわけにはいかない。本物のエルフが現れたら、大騒ぎどころじゃ済まないはずだ。コスプレの類と勘違いしてもらえそうな気もするが、採血とかされて未知の細胞が見つかったりしたら、それこそ大問題に発展するだろう。
ひとまずここは軟膏を塗ったガーゼを当てて、包帯を巻いておくしかない。何もしないよりはマシなはずである。
さっき血を出していたおでこは、ちょっとした擦り傷になっていた。地面に打ちつけられたせいでタンコブが出来ていたが、傷は絆創膏で十分である。
そうして一通りの手当てを終えた時、安心したのかセルシアがウトウトし始めていた。それに気づいた俺は、6畳ほどの部屋にベッドがあるのを見つけたので、恐縮しまくりの彼女を寝かせてから居間に戻る。
それから家の中をくまなく探検し、間取りの把握に努めた。そして分かったこと、それは――
「広すぎじゃね?」
あと、じいちゃんが残したと思われる、新たな紙切れも見つけたのだった。