第8話 交渉決裂
「イノーガス男爵が依頼を取り下げてきたぁ!?」
「はい、それと……」
悪魔退治の件で進捗を確認するために、翌日再びギルドに赴いた俺は、パミラさんから思わぬ状況を聞かされた。昨日、俺が王国の調査を進言して帰った直後とのことだ。依頼を取り下げられた以上、ギルドとしては王国に働きかけることは出来ないという。
「そんな馬鹿な! 相手は悪魔なんだよ!」
「そう言われましても……」
「王国が一旦結論を出した案件だってのは分かるけど」
だから俺1人が騒ぎ立てたところで、動いてくれるとは思えないんだよね。そう思ってギルドに報告したのに。
「今はマスターも不在ですから、私にはどうすることも出来ません」
「ちなみに依頼を取り下げに来たのは男爵本人?」
「いえ、使用人のキュアトさんという方でした」
「キュアトさんが!? 何かの間違いじゃないの?」
「いえ、男爵閣下のサインが入った書類で確認しましたので」
おかしい。キュアトさんはまさに悪魔の被害に遭った張本人である。その彼が、仮に男爵の命令だったとしても、自ら依頼をキャンセルしにくるだろうか。それにそもそも男爵は悪魔退治を望んでいたはずである。
「キュアトさんの様子は?」
「はい?」
「いや、だから依頼を取り下げに来た時の彼の様子はどうだった? すごく落ち込んでいたとか……」
「いえ、とても清々しい雰囲気で、やはり悪魔などいないことが分かりましたから、と」
「彼が?」
「はい」
ますますもって変だ。彼の胸には悪魔との契約によって鎖が縫いつけられていたのである。それは俺も見たし、男爵も娘も目にしているはずだ。なのにどうしてなかったことにしたのだろう。あるいはこれも悪魔の仕業ということだろうか。
「他に気づいたことはない?」
「他に、ですか……? あ、そう言えば!」
「そう言えば?」
「キュアトさんは使用人なのに、とてもよいお召し物を着ておいででした」
「いい服を?」
「はい。それこそ貴族様が着るような……」
どういうことだよ。娘を助けられたありがたみを、男爵は改めて実感したとでも言うのだろうか。いやいや、あの高慢な男がそんな殊勝な考えを持ち合わせているとは、到底思えない。第一彼はキュアトさんを追い出そうとまでしたのだ。これはやはり何かあると思った方がよさそうである。
「叔母……マスターが帰ってくるのはいつ?」
「ギルド合同会議で北のトロスデンという町に行かれておりますので、お帰りは早くても3日後になるかと」
「3日後……」
そんなに長く手をこまねいているわけにはいかない。こうなったら俺が直接城に乗り込むしかなさそうだ。高級肉2千枚なんて、王国にでも頼まない限り用意するのは不可能だろう。それに、前にお姫様が城にも足を運んで下さいと言っていたしね。
そうして俺は、仕方なしにギルドを後にするのだった。
「よく来て下さいました」
城に着いた時、たまたま城門脇の詰め所にシューバさんがいたのはラッキーだった。俺が用件を伝えると、すぐにお姫様に会わせてもらえることになったのである。彼曰く、そうでなければ門前払いになるところだったそうだ。
「それで、本日のご用件は何でしょう?」
「まずは俺のためにお時間を割いて頂き、ありがとうございます」
「よろしいのですよ。私もちょうど退屈していたところですから」
俺が通されたのは謁見の間ではなく、少し広めの応接室だった。お姫様とは中央のテーブルを挟んで、向かい合って座っている。扉の脇には侍女と紹介されたメイド服姿の女性が2人、ルミルさんとハミルレーレさんが控えていた。
「アンナ姫様、出来ればお人払いをお願いしたいのですが」
「彼女たちなら問題ありません。どうぞお気になさらずに」
「姫様の護衛、ということですか」
「私は法力というものを存じ上げませんが、陛下のお話では私の魔法など足許にも及ばない力なのでしょう?」
「え? まあ、多分……」
「それを使いこなせるアキラ様に対して、侍女や衛兵が太刀打ち出来るとは思いませんが、彼女たちにも使命がありますので」
なるほどね。人払いの要求を聞き入れてもらえる程には、俺はまだここでの信用がなさ過ぎるということか。それは仕方のないことだと納得出来る。
「分かりました。では率直に用件を述べさせて頂きます」
「はい」
「最高級肉を2千人分、大至急ご用意頂きたい」
「は、はい?」
「姫様はご存じかどうか分かりませんが、城下に悪魔が潜んでいます」
「あ、悪魔、ですか……?」
突拍子もない話に、アンナ姫は困惑を隠せない様子だった。
「その悪魔と、2千人分のお肉とはどのような繋がりがあるのでしょう?」
「悪魔退治に必要なんです」
「お肉を……投げつける、などですか?」
「いえ、えっと……」
ここでようやく俺は、自分の話が支離滅裂になっていることに気づいた。これでは風が吹けば桶屋が儲かる、という諺を地で行っているようなものだ。そんなわけで、法力を使うと異常なほど腹が減ること、それを満たすために高級肉が2千人分必要だということを説明した。
ところが、それを聞いていた侍女のルミルさんが、お姫様に何やら耳打ちを始める。チラチラと俺を見ているので、ろくでもないことを吹き込んでいるに違いない。
「アキラ様、真に申し上げにくいのですが……」
「はい」
「お話に出た悪魔とは、イノーガス男爵が関わっているのではありませんか?」
「その通りです」
「でしたらすでに王国の調査隊が、存在を否定したと聞いておりますが」
「いますよ、悪魔は」
これはダメかも知れない。だが食糧が確保出来ない以上、迂闊に法力を使うのは俺にとっての命取りとなる。
「まあ、信じられないのも無理はありません。しかしヤツは先日のピラーギルの主とは比べものにならないほどの力を持っています」
「……」
「仕方ありませんね。俺は悪魔退治の報酬として肉を要求したわけではない。これはあくまで必要経費です。しかしご了承頂けない以上、この国を見捨てるしかないようだ」
言いながら俺は席を立った。どうやら議論しても無駄のようだ。
「悪魔に魂を売り渡すことがないよう、陰ながら祈ってます」
ルミルさんとハミルレーレさんは部屋を出ようとする俺に、退いて道を譲るのだった。




