第7話 高級肉2千枚
「本当です! 本当に悪魔が……」
イノーガス男爵邸を訪れた俺にまずすがり付いてきたのは、キュアトという奴隷の男性だった。男爵曰く、娘のメリノーラは昨夜のうちにこのキュアトと共に戻ってきたので、救出の依頼は取り下げるとのことである。まあ、帰ってきたんだから当然だよね。ただ、仕事自体がキャンセルになるのかと思ったら、そうではなかった。
てかキュアトさん、いい加減離れてくれ。俺にそっちの趣味はねえから。
「その男は娘を助けるために、悪魔と契約を交わしたと言うのだ」
「はあ……」
「娘のメリノーラも悪魔を目にしている。王国の無能調査隊と違って、ギルドから来た君には期待しているぞ」
イノーガス男爵は、言葉とは裏腹に俺を鼻で笑った。
彼は非常に高圧的な人物のようである。その口ぶりから、愛娘を救ったのは奴隷のキュアトであるはずなのに、彼には全く目を向けようとしない。口髭を生やした偉そうなオッサンで、自分で依頼しておきながら、俺を若僧として見下しているようだ。よし帰ろう。今すぐ帰ろう。
「王国が張り巡らせた結界により、魔族は侵入出来ないはずです。お嬢さんも彼も、人形か何かを見間違えたんじゃないですか?」
「娘を侮辱するのかね? ギルドもこんな若僧を寄越して、馬鹿にするにも程があるというものだ」
「いもしない悪魔を退治してくれなどという愚かしい依頼をするからですよ。それをわざわざ引き受けたのに若僧呼ばわりですか」
お手上げという仕草を見せてから、俺は男爵にくるりと背を向ける。
「ま、何にせよお嬢さんは無事に戻ったんだ。ご期待に沿えなくて申し訳ありませんが、長居は無用のようなので失礼しますよ」
「ま、待って下さい! 本当なんです、本当に悪魔がいたんです」
「キュアトさんでしたっけ。ならソイツを目の前に引きずり出して下さい。そうしたら退治しますから」
「そんな! 悪魔を呼び出せなんて……!」
「魂と引き換えにお嬢さんを救ったんでしょ? だったら今度はそのお嬢さんの魂で、悪魔をおびき寄せたらいいじゃないですか」
「な、何てことを!」
「貴様! 娘を出汁に使うことなど許さん!」
お嬢様は真っ青になっているが、父親の方は真っ赤になって怒っている。2人並ぶと信号機のようで笑えるよ。だが、急にキュアトさんの様子が変わった。
「そ、そうだ。お嬢様、お嬢様の魂で悪魔を呼び出して下さい!」
「キュアト、貴様、気でも狂ったか! メリノーラを救ったというから今しばらくは使ってやろうと思ったが、お前はもう用済みだ。出ていけ!」
「あんまりだ! 私はお嬢様のために魂を悪魔に捧げたのですよ。これをご覧下さい!」
そう叫んだ彼は、その場でシャツを脱ぎ捨てて上半身をさらけ出した。
「貴様の体など……!」
「それは……!」
思わぬ光景に男爵のみならず、お嬢様も俺も言葉を失ってしまう。
なんと彼の胸から鎖がバツ印の形に生えていたのである。そしてそれは背中にも達していた。
「キュアトさん、痛くないんですか?」
「痛みは全くありません。今朝起きたらこのような姿に……!」
どう見ても作り物を貼り付けたようには思えない。おいおい、まさか本当に悪魔がいて、彼の魂を縛り付けたとでも言うのかよ。
「ひとまずあの鎖を切ってみたらどうですか……ね……?」
俺は男爵に言ったつもりだったが、彼と娘はすでに数歩後退っており、元の位置にはいなかった。今度は男爵まで真っ青になって、額には脂汗をかいている。
仕方ない。法力であの鎖を取り払うことにするか。そう思って何人分の食事が必要か見極めようとしたところで、今度は俺が固まってしまった。
「な、何だよこの量……!?」
俺のイメージに浮かんだ物、それはピラーギルなどは比較にもならない高級そうな肉が2千枚だった。むろん数を数えたわけではない。頭に浮かんだのである。
しかし待てよ。その肉をピラーギルに換算すると何匹になるんだろう。そう考えた瞬間、5千万匹という数字が浮かんだ。5千万匹って……だが、ひょっとすると法力消費で必要になる食糧は、値段とか栄養価とか、あるいは他の要素で量が変わるのかも知れない。これは新たな発見だよ、じいちゃん。
まあ、それはさておき、これだけの法力を必要とするからには、彼の胸の鎖が単なる鉄でないことは明らかだ。ピラーギルの主を倒した時の10万倍の食糧が必要ということは、やはり悪魔の存在を無視するわけにはいかない。と言うのも実は先ほどのイメージに混じって、おぼろげながら悪魔の姿が見えていたからである。
「キュアトさん、貴方の言う通り、悪魔は本当にいるようですね」
「わ、分かってくれましたか!」
「ですが今この場での退治は不可能です」
「な、何だとっ! 話が違うじゃないか!」
まだ青ざめた表情のままだったが、イノーガス男爵が気を取り直したように、俺の方にツカツカと歩み寄りながら叫んだ。
「報酬が足りないんですよ。この場で倒すなら超高級肉を2千枚用意して下さい。出来ますか?」
「報酬は提示した額しか払わん!」
「でしょうね。しかしこの悪魔はどうやら相当厄介な相手のようです。ギルドから王国に報告してもらって、対策を考えるしかないでしょう」
「わ、私はどうなるんですか!?」
「悪魔に魂を取られるのは死んでからなんでしょ? 痛みもないならしばらくはそのままで我慢して下さい」
「そんなぁ!」
「俺は1度戻ってギルドに報告してきますから」
そう告げると、男爵はこれでもかというほどの悪態をついてきた。しかしそんなものに構っている時間はない。この屋敷に棲み着いた悪魔は、おそらくとてつもない力を持っていると思われるからだ。一刻も早くギルドに伝えた方がいい。
そう思った俺は、足早にギルドへと向かうのだった。だが――
「変な子ね〜。仕掛けてくるのかと思ったら帰っちゃったわ〜。まあ、どうでもいっか〜」
俺を見送る悪魔の目には気づいていなかった。




