第5話 大切な3人は俺が護る
バレンタイン?
そんなもの異世界ではやってません。
「ここは……何なの!?」
「メリノーラお嬢様!」
「どっちに走ってもまた戻ってきてしまうなんて」
「お嬢様、我々は一体……」
「キュアト! 情けない声を出さないで!」
「ですがお嬢様ぁ……」
「暗闇なのにこの古びた時計と彼の姿だけははっきり見える。おかしい、何なのよここ!」
◆◇◆◇
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま、セルシアちゃん」
俺が外から帰ってくると、決まってセルシアは抱きついてくる。これはもう、一種のルーティンと言っても過言ではないだろう。彼女の柔らかい感触といい匂いに包まれると、いつまででもこうしていたい気分になる。だが――
「あ、あの……」
「ご主人様……?」
そうだった。ミルエナとワグーもいるのだ。2人が来てから単独での外出は初めてだったので、こんな光景も彼女たちにとっては初見である。
「えへへ、旦那様がお出かけから戻られた時は、いつもこうして頂いているんですよ」
「あの、私たちもそのようにすべきなのでしょうか?」
「いやいや、これはしなくていいよ」
「そうですか……」
「あはは、そんなにホッとされると傷つくんだけど」
「あ、ち、違います! そうではなくて……」
「こ、心の準備が……」
「はい?」
「旦那様、2人とも旦那様に抱きしめて頂きたいんですよ。でも、それはとっても勇気がいることなんです」
そう言えば、不意討ちのようにセルシアを抱きしめた時も、びっくりしたって言ってたっけ。しかも他人に抱きしめられること自体が、彼女にとってはその時が初めてだったみたいだし。ミルエナもワグーも、誰にも抱きしめてもらったことがないのかも知れない。
「セルシアちゃん、2人が望むなら抱きしめてあげてもいいかな」
「その後、また私を抱きしめて下さいね」
「うん、もちろん。ミルエナ、ワグー、こっちにおいで」
「あ、あの……」
戸惑った様子ながらも、2人は胸に手を当ててゆっくりと近づいてくる。そこでまず俺はミルエナを抱き寄せた。
「きゃっ!」
全身を強張らせて震える彼女が愛おしく感じられる。俺はそのピンクの髪に指先を滑り込ませ、そっと撫でながら耳元に囁いた。
「力を抜いて、身を任せてごらん」
「は、はい……」
俺の胸にコツンと頭をもたれかからせると、彼女は心地よさそうに目を閉じた。
「どう?」
「ご主人様の、心臓の音が聞こえます……とても安心します」
「そう?」
「はい……」
「み、ミルエナ、そろそろ……」
待ちきれなくなったのか、ワグーが気まずそうに声をかけてくる。それで我に返ったミルエナが、慌てて俺から体を離した。
「も、申し訳ございません。あまりに心地よくて、つい……」
「あはは、じゃ、次はワグー、おいで」
「は、はい」
ワグーもミルエナと同じで初めは硬直していたが、細い腰を抱いて背中を撫でると、1度だけピクンとしてから俺の胸に頭を任せていた。そして手を背中から髪に回すと、彼女の方からも体を密着させてきたのである。この子、見た目からは分からなかったけど、意外に胸が大きいようだ。しっかりとした存在感を主張している。
「気持ちいい?」
「はい、夢をみているようです」
どちらかと言えば彼女は他の2人のお姉さん的な雰囲気に見えたが、中身は普通の女の子だったようだ。気丈に振る舞っているように感じたのは、彼女なりに2人を護ろうとしていたからかも知れない。
「これからは俺が皆を護るから、安心してくれていいよ」
「ご主人様……!」
ワグーの瞳に涙が溢れる。それを見たセルシアもミルエナも、もらい泣きしてしまったようだ。その後もう一度セルシアを抱きしめ、俺は夕食の支度の続きを始める3人の姿に目を細めるのだった。
◆◇◆◇
「あら〜、何をしているのかしら?」
「あ、貴方は……!」
声が聞こえた方に目をやったメリノーラは、思わず言葉を失っていた。
彼女の視線の先には、青紫色の肌に赤い瞳、その中に金色の瞳孔を縦に開いた、不気味な顔が怪しく微笑んでいたのである。唇も紫色で、頭には山羊のそれのような角が生えており、全身を覆い尽くす黒いマントは悪魔そのものの出で立ちであった。
「その時計が12時の鐘を鳴らすと悪魔の時間よ〜。貴方たちは死ぬことも出来ずに、この空間を彷徨い続けることになるわ」
「ど、どうしてこんなことを……」
「恐怖と絶望、それが私にとって何よりのご馳走なの〜」
「そんな、酷い!」
「安心して〜。鐘が鳴る前にここから出られたら、貴方たちは無事におうちに帰れるわよ〜」
「ど、どうやって出れば……?」
「それを教えちゃったら意味がないじゃない。でもそうね、そこの男がアタシと契約するなら、今回は逃がしてあげてもいいわよ〜」
「契約?」
「魂を売り渡す契約よ〜。そうすれば、2人ともここから出してあげるわ〜」
「キュアト、今すぐ契約なさい!」
「お、お嬢様ぁ……」
「心配しなくても大丈夫よ〜。この場ですぐに差し出す必要はないわ〜。貴方が死んでからでいいの」
そして、悪魔の顔が2人の身長の倍ほどの大きさに膨れ上がる。
「悪くない話だと思わない〜?」
「ほ、本当にここから逃がしてくれるんだな?」
「もちろんよ〜。悪魔は契約に忠実なの」
「わ、分かった。契約する。だから早くここから……!」
次の瞬間、2人は見慣れた風景の中にいた。訳も分からず呆然とするメリノーラとキュアトは、彼女の家でもあるイノーガス・メトキンス男爵の屋敷に戻っていたのである。
だが、2人は悪魔の最後の言葉を聞いてはいなかった。
「た〜っぷり、快楽と絶望を味わうがいいわ〜」




