第2話 出会った美少女は……
右手の壁を押して小部屋の外に出てみると、どうやらそこは家の中のようだった。ただ一般的な日本の建物とは違って、壁が全て石組みである。先に続く廊下は板張りだったが、フローリング加工は施されていない。すり足で歩いたら棘が刺さりそうである。
ふと振り返って出てきた壁を見たが、そこがさっきの部屋の出入り口だということは全く分からなかった。きれいに溶け込んでいる感じである。
「知らなければあの壁を押そうなんて考えないよな」
女の子の悲鳴が聞こえたのは、その時だった。
「痛いっ!」
「オラオラ、もっといい声で鳴けよ」
柄の悪そうな男の声も聞こえる。俺は声のした方へと足を進めるが、途中にいくつか普通の扉があったので、とりあえず開けてみた。なんとそこは、トイレと浴室だった。
悠長なことをしていたのには訳がある。確かに悲鳴が気になったのは事実だが、どこか現実感を感じられずにいたのだ。テレビか何かの音声のようにも思えたんだよね。それでもさらに声のした方に進んでみると、今度はシステムキッチンに出た。どれも日本にあるものと同じに見える。
「何だよ、ちっとも異世界じゃねえじゃん」
ユニットバスにウォシュレットと、水回りは快適なようだが……
「やめて下さい! 痛いっ!」
おっと、急にリアリティが増したぞ。これはうかうかしていられない。どうやら女の子の声は外から聞こえてくるようだが、それがテレビの音声のように感じた原因だろう。
俺は足早にキッチンを抜け、20畳はあろうかという居間の窓から外を眺める。すると、塀の向こう側で3人の屈強そうな男たちが、みすぼらしい身なりの女の子に、殴る蹴るの暴行を加えているのが見えた。
女の子が着ているのは薄い布に腰紐を巻いただけの、マンガやイラストでよくある奴隷服といった感じである。それにしても雪が積もっているので、ここも今の日本と同じ冬のようだ。そんな中での彼女の格好は、めちゃくちゃ寒そうである。
てか、あれは可哀想だ。
「おい、やめろ!」
俺は急いで外に出ると、男たちに向かって叫んだ。その声に、彼らは訝しげな表情を向けてくる。
「なんだぁ、兄さん?」
「女の子に大の男が寄ってたかってってのは酷すぎるぞ!」
「ああ、貴族様ですかい。なら分かりませんか?」
貴族様?
「何がだ?」
「このメスですよ。ほら」
「い、痛い!」
男が言いながら鷲掴みにしたのは、彼女の耳だった。だがその耳は、彼の大きな手で握られているにも関わらず、さらに先が見えるほど細く長い。
「え……エルフ……?」
「そう、エルフのメスです」
「だからって暴力を振るうのは……」
「あれぇ? 貴族の旦那はご存じないんですか? そう言や見ない顔ですね。他国から来られたばかりなんです?」
「ま、まあ、そんなところだ」
「なら知らないのも仕方ないか。この国じゃ、エルフは害獣なんですよ」
「害獣?」
おいおい、エルフってのはほとんどのラノベで神聖視されていると言ってもいいくらいの種族だぞ。それが害獣って……
「コイツらは妙な力で人を誑かし、財産や命を奪う悪党だって言われてます。だから俺たちがこうして懲らしめてるってわけです」
「町の連中もご覧の通り、見て見ぬフリしてますでしょう?」
別の男に言われて周囲を見渡すと、確かに道行く人々は足を止めてはいるものの、誰一人として女の子を助けようとする者はいなかった。ただ、彼らの顔には明らかに、彼女に対する同情の色が窺える。
「そ、そんなことしません! 痛いっ!」
「黙れメス豚!」
必死に訴える彼女の耳を、男がさらに持ち上げる。あれは相当痛いはずだ。
「やめろ、いいから離してやれ!」
「貴族様の言葉でも従えませんぜ。コイツは奴隷市場で買ってきたんですから。生かそうと殺そうと俺たちの勝手でさぁ」
「奴隷市場?」
「ま、どうしてもってんなら買って下さいや」
「いくらだ?」
「そうっすねえ、金貨10枚。それなら売りますよ」
「ひ、酷い! 銀貨5枚しか払ってないじゃないですか!」
「黙れってのが分かんねえか!」
苦々しく言うと、男は彼女を路面に叩きつけた。それでようやく長い耳は解放されたが、雪が積もっているとは言え踏み固められているのだ。頭を打ちつけた彼女の額には、真っ赤な血が滲んでいた。
「乱暴するな!」
「じゃ、買って下さるんですね?」
「ちょっと待ってろ」
ひとまずこれ以上の乱暴はしないように言ってから、俺はいったん家の中に戻った。しかし困ったぞ。パッと見た感じでは、ここには金なんかなさそうだ。念のために法力で金貨を出そうと早九字を切ってみたが、やはり無理だった。そもそもこの世界の金貨なんて見たことないし、価値観もよく分からない。金貨10枚って、日本円にしたらいくらくらいなんだろう。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。早く何とかしないと、あの女の子が殺されかねないのだ。他に彼女を助ける方法はないだろうか。金貨に代わる何か、この世界で価値のある物……
ん? そう言えば水回りは別として、家の外を見回した時には車ではなく馬車が見えたし、建物も何となく古風な雰囲気だった。言ってみれば中世を思わせる街並み、これもラノベなんかでよくある風景だ。それなら、もしかしたらアレが使えるかも知れない。
俺は大急ぎでキッチンに向かい、ある物を持って奴らの許に戻るのだった。