第3話 セルシアごめん、怪我したみたいだ
来た道をとにかく戻る逃避行だが、泳ぐようにして追いかけてくる空飛ぶ魚に、人の足で敵うはずがなかった。見る見るうちに距離を縮められ、気がつけば数十メートルのところまで迫られていたのである。
「このままじゃ2人とも食われちまう。おい、アキラ!」
いきなり呼び捨てかよ。だが、ケントリアスさんは急に立ち止まって振り返る。危うく彼の胸にダイブするところだった。
「ど、どうして立ち止まるんですか!?」
「嬢ちゃんを助けてくれたお前さんを、こんなところで死なせるわけにはいかねえ。ここは俺が食い止めるから、とにかく走って結界までたどり着け!」
「いや、でも……」
後ろに目をやると、ピラーギルの群もこちらを警戒してか、蠢きながら停止していた。しかし、今にも襲いかかってきそうな殺気を帯びているのは変わらない。
それにしても何匹いるんだろう。大袈裟に聞こえるかも知れないが、視界のほとんどを彼らに覆い尽くされているように感じたのである。あと、真ん中辺りは密集度が高いのか、大きな黒い塊にも見えた。いや、待てよ。あれ、デカい1匹なんじゃないか。それもアフリカゾウくらいありそうだ。
「ケントリアスさん、もしかして……?」
「クソっ! よりにもよって主がいやがる」
「主?」
「100年以上は生きたヤツだ。だからこんなに集まってやがったのか。お終いだ……」
ここにきて、ちょっとは頼りになるかと期待した彼も、恐怖でガタガタと震えだしていた。
法力で何とかなるものなのだろうか。火炎や雷撃のイメージならすぐに出来る。ちゃんと顕現してくれるかどうかは分からないが、じいちゃんの紙切れには絶大だって書いてあったし。
だけど使うと腹が減るってのは困るな。きっとセルシアが持たせてくれた弁当だけじゃ足らないはずだ。となると、アイツらを焼き魚にして食うしかないってか。魔物のセルフクッキングなんて、笑えない冗談だよ。
だが、炎に包まれるピラーギルをイメージした時、おびただしい数の焼き魚が脳裏に浮かんだ。おそらく数百匹は必要だと思う。
他に真空パック、つまり奴らの周りの空気を奪って窒息させるのを想像すると、やはりものすごい数の刺身が頭の中に広がった。
どっちみち魚を食わなければいけないのに、変わりはないらしい。まあそれだけの食い物が浮かんだということは、法力で何とかなるのだろう。
「ケントリアスさん」
「な、なんだ?」
「焼きと生、どっちがいいですか?」
ギョウザが食いたくなってきた。
「何の話だ?」
「アイツらを仕留める方法ですよ」
「アキラ、お前恐怖で頭がおかしくなっちまったのか?」
「至って正常です。何とかしますんで、報酬の取り分は俺が8、ケントリアスさんが2ということでいいです?」
「あ? ああ、構わねえ。どうせ生きては帰れねえんだし」
「では、商談成立ってことで」
俺は気味悪く蠢くピラーギルの群を、仁王立ちで睨みつけた。その瞬間、奴らが一斉にこちらに向かって動き始める。
念じるのは炎。刺身と言っても、魔物を生で食うなんてまっぴらごめんだからである。焼いた方が、いくらか抵抗なく食えるはずだ。そんなことを考えながら、左手を軽く握って鞘を作り、右手の2本指を手刀に見立てて抜く。そして――
「臨!」
青白い光を帯びた指先が空を滑り、続く早九字を切り終えた時には、群全体が炎に包まれていた。それと共に、中心の主が苦しそうな咆吼を上げる。魚のクセに声を出せるなんてナマイキだ。
「お、おい……なんだよ、今の……?」
「いやあ、まさかこんなに凄いとは、自分でも思ってませんでしたよ」
実際、法力の威力には驚かされた。イメージはしてたものの、この目で見るまでは半信半疑だったのである。群は火山の噴火を思わせるほど激しく燃え上がり、その熱気がここまで伝わってきたのだ。てか、熱い。
「実は俺、僧侶なんです」
「僧侶? 坊さんのことか?」
「ええ、まあ」
職業、僧侶。なんかカッコいいな。
「坊さんが、何だってあんな魔法を……?」
「魔法じゃありません。法力です」
「法力? た、確かに魔法じゃ、生きてるアイツらを燃やすなんて出来ねえが……」
「そうなんですか?」
「ピラーギルは剣で斬るか、電撃魔法を食らわせるかしないとやれねえんだよ」
魚の魔物という特性上、彼らは水の魔法で身を護っているそうだ。だから火炎魔法だと、打ち消されてしまうらしい。
ま、今となってはどうでもいいことだけど。そろそろいい焼き加減になったかな。空腹感も激しくなってきたし。
そんなことを考えた時だった。ケントリアスさんが大きく目を見開いたのである。
「お、おい!」
彼が指さした先では、信じられないことが起こっていた。それと同時に、俺は左の肩に激痛を感じたのである。
「いってえっ!」
見ると1匹のピラーギルが、俺の肩に噛みついているのだった。