エピローグ
元気な男の子だった。耳は少し尖っていたが、人間のそれとほとんど見分けはつかない。なお、法力に関しては今のところよく分からなかった。何故なら善悪の区別がつかないうちから早九字を教えてしまっては、何が起こるか分からないからである。ただし居間にある薬師如来像には、真剣に祈りを捧げている姿をよく見かけた。
「アルシーラももう5歳か」
「はい。でも旦那様と同じで、まだまだ甘えん坊さんです」
「なっ! 俺のどこが甘えん坊だって……」
「5歳の息子と私のおっぱいを、いつも取り合いなさっているではありませんか」
楽しそうに笑うセルシアの見た目は、出会った頃とほとんど変わっていない。彼女曰く身長が伸びたということだが、気のせいだと思うしそこは変わらなくていいところだ。ただ、可愛いだけだったあの頃と比べて、ほんの少し色気を感じるのは俺のフィルターのせいだろうか。
変わったと言えば、神味亭も色々と進化している。ランチタイムに弁当の販売を始めたのだ。容器は各自持参で、ランチメニューの全てを持ち帰り可能にした。これが功を奏し、売り上げが飛躍的に伸びたのである。もちろん希望者には容器の販売も行い、この容器さえ常に品切れになるほどの売れ行きだった。
そこにはあの国王の力も大きく働いていた。王城から毎日かなりの量、弁当の注文が入るのである。王国の紋章が入った馬車は、人々の目を引くのに十分すぎる効果があった。王家がわざわざ買いに来る弁当なら美味いに違いないと、それまで行列を敬遠していた人たちまで並ぶか、弁当を買い求めるようになったのである。
蛇足だが神味亭の名が入った弁当容器は、城下では1つのステータスと化していた。神味亭の弁当を食べましょう、というのが最近の異性を誘う文句のトレンドになっているようだ。さらに、うちの店で働いているというだけで、結婚の申し込みがくるほどのインパクトまで発生していたのである。さすがにこれには驚かされたけどね。
「おーなー、私はこのスザリー殿と共に暮らしたいと思いますので、新しい宿舎の方に移転させて頂けないでしょうか」
こう言って40代の女性と共にやってきたのは、店の支配人となったバーサルである。今や彼なくしては店の運営は困難だろうと言えるほどに、その存在は圧倒的だった。
「それは聞けない相談だよ、バーサルさん」
「えっ!? 何故でしょうか?」
「バーサルさんはここの支配人だ。他の従業員と同列には扱えないということさ」
そう言って俺が指し示したのは、水路が走る公園に建築された一軒家である。ここに建物を建てることはすでに国王から許可を得ており、現在2棟が建ち上がっていた。
「あれは……おーなーがお住まいになるのではなかったのですか?」
「俺には十分な広さの家があるじゃないか」
「ですがこのような立派な建物は私には……」
「神味亭の支配人が従業員と同じ宿舎住まいでは、方々に示しがつかないということさ」
それから、と俺はスザリーと紹介された女性の方を向く。
「スザリーさん、バーサルさんはうちの店にとってなくてはならない存在だ。彼のこと、よろしく頼む」
「そんな、おーなーさん。私の方こそ、よろしくお願い致します」
「おーなー、アルシーラとピケットスを連れて市場に行ってきます」
現れたのはクラントとケラミーグルだった。2人はそれぞれアルシーラと、ロムイとフェニムの子であるピケットスの手を引いている。
「ああ、気をつけてな」
俺はポケットから銀貨2枚を出して、クラントに手渡した。
「こんなにいりませんよ、おーなー。お菓子は1人1つまでと決めてますので」
「何かあった時のためだ。余ったら返してくれればいい」
クラントもケラミーグルも、今ではしっかりとした少年に育っていた。こうして小遣いを渡しても本当に最小限しか使わず、時には丸々返してくる時もあるほどだ。加えて、ここで産まれた子供たちの面倒をよく見てくれている。アルシーラもピケットスも2人にとても懐いていた。
「旦那様、大変です! ミルエナさんたちの様子が……」
そこへ真っ青になったセルシアが駆け寄ってくる。聞くとミルエナとワグー、それにノエルンまでもが食べた物を吐いてしまったというのだ。何か変なものでも入っていたのだろうか。俺は急いで彼女の後に続くと、すでに3人の症状は治まっているようだった。
「大丈夫か?」
「あ、ご主人様、もう大丈夫ですよ。セルシアちゃんも慌てんぼうですね」
「うん? どういうことだ?」
「セルシアも経験しているではないか」
「あっ!」
ワグーに言われてセルシアが急に頬を赤らめる。なるほど、そういうわけか。彼女たちが吐いた原因は、病気でも食事のせいでもなかったということである。じいちゃん、俺もがんばっちゃったみたいだ。
「それにしても3人同時とは……」
「旦那様、私も2人目が欲しいです!」
「う、うん。そうだな」
それから半年と少しが過ぎた頃、3人は元気な赤ちゃんを産んだ。もちろん俺の子である。そしてそれに合わせるかのように、セルシアは第2子を身籠もっていた。
俺は日本とは違うこの世界で、4人の妻や子供たちと共に、平和な日々がいつまでも続くことを願わずにはいられなかった。
fin




