ギターを抱えた少女
サアールの美しかった街並みはグチャグチャに崩れていた。
巨大なフォークでかき混ぜたように建物が崩壊し、国のあちこちで火の手が上がっている。
国民に危険を知らせる塔と大きな鐘も、今は地面打ち倒されて警鐘を鳴らす事はできない。
石畳の路面に転がっている鐘。
金の装飾を施された鐘をヴェゼールの足が踏みつける。
「さぁ壊せ壊せ!壊して奪い尽くせ!」
ヴェゼールがサアールに入り込み、崩壊した国と民に追い討ちをかける。
逃げ惑う民子、国内は悲鳴に包まれた。
ドドラの兵団は、ヴェゼールに言われた事を淡々とこなしている。
金品財宝を奪い取り、寺院を焼き払っていく。
先祖代々守ってきた墓石を剣で打ちこわし、古くからサアールの歴史を見守ってきた大きな噴水を斧で石屑に変えていった。
それでも人に襲いかかる事はしない。
「人は殺すな、苦しむ様が見れなくなるからなぁ」
ヴェゼールは兵団に指示をした。
この荒神は、獲物の国の文化を破壊し、歴史を破壊している。
その後、国と人々が狂っていく様を見届ける気なのだ。
「さて、そろそろ王が出てくるか?」
ヴェゼールの攻撃を受けても、王宮だけは、何とか形を保っていた。
突然の事に、王宮の人々は動揺し逃げ惑った。
掃除が行き届いた王宮の中は、あっという間にグチャグチャに散らかり、払い切れない埃が、宙を舞っていた。
残火のような小さな揺れが王宮を襲う。
それと共に棚が倒れ、ガラスの壺が割れた。
天井からシャンデリアが落ち、悲鳴が上がった。
ザウはアレンに覆いかぶさって、王子の身を守っていた。
「お怪我は?」
「ない、平気だよ……みんなを落ち着かせねば」
アレンは立ち上がり、逃げ惑う人々の前で手を挙げた。
「落ち着いてください!どうか慌てずに落ち着いて!命を守るには冷静な行動を!」
アレンの澄んだ声は、皆の耳と心に届いた。
混乱を一旦静めた後。
アレンは王宮の兵士達、召使達に指示を出して民を王宮に避難させるようにさせた。
自ら素早い判断をしている王子の声を聞いていたザウは、胸に拳を当てて頭を深く下げた。
「今は泣く時じゃない」
ザウは小さく囁いた。
その声は震えていた。
アレンは指示を出し終わると、ザウに視線を向けた。
「ザウ、察するに……これは地震ではなくドドラの神の攻撃ではないか?」
「はい、そのようです……噂に聞くヴェゼールの武器、それに付随した土の属性による広範囲攻撃でしょう……」
「あらかじめ防ぐ事はできたか?」
「……はい……国周囲の大地に手を入れる必要がありますが」
「そうか……」
アレンはよろめきながら歩いた。
吸い寄せられるかのように窓に近づき、王宮の眼下に広がる国を見た。
少し前までは、美しい夜景を見せていた夜の街並み。
今はその面影すらない。
アレンの愛した眺めは、どうしようもないくらいに崩れ去っていた。
「あぁ……なんて理不尽な……神の一撃とは……こんなにも恐ろしいものなのか……」
冷静なアレンの呼吸は、国の惨状を見て、ようやく乱れた。
震えた声を聞いたザウは、アレンに近づき抱き寄せた。
ザウはアレンの背中を撫でて、撫でて、撫で回した。
崩れそうな何かを、必死で抑えるかのように。
アレンの呼吸は、やがて落ち着きを取り戻した。
「ザウ……父上は……王宮の外か?」
「はい、屋外で…国の長としての行動をしています」
「ザウ、共に来い……この場の指揮は兵隊長に任せて外に向かうぞ」
「承知しました」
一方、王宮の外に出ていたヨーゼン王は……。
瓦礫の街を見渡し、呆然と立ち尽くしていた。
「……なんという事だ……」
「王、指示を……闘う準備はできています」
土埃が舞う中、人々はあてもなく逃げ惑っている。
王が言葉を失い、兵達に指示を出すことが出来なかった。
「貴様がこの国の王か?」
ヨーゼン王に向けて突然、問いが飛んできた。
王は声のした方向を見つめた。
どす黒い煙の中からヴェゼールが姿を現した。
重装備の甲冑兵も雪崩れ込むように王城の敷地内に入り込んだ。
ヨーゼン王は、ヴェゼールの姿に圧倒され、生唾を何度も飲んだ。
ヴェゼールは、誰も手を出すことができないくらいの威圧感を放っていた。
王側近の兵達も構えた、剣先をブルブルと振るわせた。
ヴェゼールはヨーゼン王のはるか後方の海を眺め、悦に浸るような表情を浮かべた。
「この国は既に我が物だ、美しい海も……異論は無いな?」
王がどんな答えを返すか、ヴェゼールは分かっていた。
だが、聞いた。
降伏の言葉を聞く事は、この荒神にとっては何にも変えがたい程の喜びなのだ。
「ああ…もう…どうしようも…」
王の心が折れ、踏みつけられ、砕かれそうになったその時。
ヴェゼールに向けて、一本の矢が放たれた。
ヴェゼールは蚊を払うような表情で、手で一本の矢を払い除けた。
「お前の息子は降伏する気がないらしいな」
その矢を放ったのはアレンだった。
黒い甲冑兵達が、アレンの周囲を取り囲んだ。
アレンはヴェゼールを睨みながら剣を抜き、構えた。
剣先は真っ直ぐにヴェゼールに向けられている。
ちっとも震える事なく、鋭い剣の先端を向けている。
ヴェゼールは恐れを知らない王の息子に感心したように、ニヤリと笑い、指を動かした。
まるで操り人形を動かすように。
「王子は殺せ」
甲冑兵達が一斉に襲い掛かった。
「ザウ!今だ!」
「承知っ!」
影に隠れていたザウが呪文を唱えた瞬間、アレンの周囲に魔方陣が現れた。
魔方陣の紋様が赤く光り、炎の槍が地面から突き上がった。
甲冑兵を、紙屑のように突き刺し、そのまま焼き払った。
ザウは魔法陣の安全圏にいたアレンの側に寄り、剣を抜いた。
「ザウ、死んでも僕に仕えてくれるか?」
「それは待遇次第ですね」
「要相談だな…全く」
ヴェゼールは小さく拍手を送り、二人を褒め称えた。
「雑魚の割には良くやったな龍の女、我が兵を一瞬で蹴散らすとは……だが、その程度で俺は驚かんぞ?」
ヴェゼールは笑いながら、鉄槌を振り上げた。
その場にいる皆が、死を覚悟した。
「じゃあ神様……少しだけ驚いてもらいましょうか?」
「あ?」
どこからか放たれた少女の声を聞き取ったヴェゼールは、鉄槌を降ろす手を止めた。
ピィイイン。
ギターの音が鳴り「ピィヒョロロロロ」と鳶の鳴き声がこだました。
ザグッ!!
1匹の大きな鳶が急降下して、ヴェゼールの腕を攻撃した。
「何っ!?」
ヴェゼールは鉄槌を地面に落とし、腕を抑えた。
鳶は目にも留まらぬ速さでヴェゼールの側から離脱した。
「何だ?これは……誰だ……誰の攻撃だ…」
ギターの音が鳴り響いた。
葬儀で流れてくる鎮魂歌のような演奏が始まった。
ギターを抱えて演奏している少女が、瓦礫の山に座り込んでいた。
少女の脇には、3匹のとても大きな鳶がいた。
鳶は赤い銅色の防具を身につけて、神々しい姿をしている。
3匹の立髪はそれぞれ、赤青黄色で色分けされていた。
少女の装いも特徴的だった。
目元まで覆う兜が星明かりに照らさせて、淡く光った。
少女はギターを抱えて立ち上がった。
鎮魂歌はここまで!と叫ぶようにジャンジャンッ!と弦を掻き鳴らし、演奏を止めた。
ヴェゼールに人差し指を向けた。
「予知出来なかったでしょう?神様」
兜の下の露わになっている口元は、微かに笑っていた。
「貴様……異端者か?」
ヴェゼールは頬をひくつかせた。
「あの子は昼間の……」
アレンは昼間に街中で声をかけた少女を見て、目を丸くした。
少女も視線に気付いて、アレンを見た。
視線が重なり、二人は一瞬見つめあった。
「いい気になるなよ、小娘が!」
重なった視線は、ヴェゼールの怒号によって崩された。
少女は再びギターを抱えた。
五本の弦に指を添えて、ニヤリと笑った。
「いくよ、お前ら」
3匹の鳶は、弾かれた弦の音と共に空に舞い上がった。