決意と覚悟
シュリアとアレン、ザウは鳶の背に乗って王宮へと向かった。
徒歩で向かうよりも、はるかに早い。
喋らないと死んでしまうように思われていた3羽の鳶は、一言も喋らない。
王宮が見え始めたときに、高度をゆっくりと落としていく。
城門の手前で着地して、三人を背中から下ろした。
「お父様……お父様」
シュリアは背から降りるなり、すぐに駆け出した。
アレンとザウは、息を切らして取り乱しているシュリアを追いかけた
「血の匂い……」
ザウは走りながら呟いて、眉をひそめた。
アレンの鼻にも、その血の匂いは届いていた。
シュリアは曲がり角を曲がって、走り去った。
その角から兵士が顔を出した。
「こちらです!王子!」
兵士が手を振っている。
アレンは曲がり角を曲がった。
そこはかつて、中庭だった場所だった。
巨大な鳥の神獣が、羽を広げたまま地面に伏せるように倒れ込んでいた。
身体の所々が血まみれで、羽はおかしな方向へ曲がっている。
ヨーゼン王は巨大な鳥の前で、膝をついて深く頭を下げている。
アレンとザウは王の側で同じように、膝をついて頭を深く下げた。
「お父様っ!!」
シュリアは巨大な鳥に駆け寄り、抱きついた。
「どうして……来てしまったのですか」
「……死ぬ前に思い切り……大空を羽ばたいておかないとな……」
シュリアは顔を柔らかい羽毛に埋めた。
「さぁ、そこの若い王子……こっちへ……堅苦しい礼儀などいらん」
「はいっ」
アレンは頭を上げて一歩前に出た。
「我が名はシュファレーゼ、東方の大神樹の主だ……ヴェゼールの”愚行“によって、巣はもう跡形も無くなってしまった」
「我が国も同じです……貴方様と同じ怒りを抱いています」
アレンは拳を握りしめた。
怒りに震えた拳を見たシュファレーゼは、大きく息を吐いた。
「民を連れて逃げるか、団結して戦うか……君達の判断を尊重する…..だが相手は全知全能の神、よくよく考えておけ」
アレンはその言葉の真意を悟った。
神を相手に戦っても勝ち目はない。
そう、言われている。
「お父様、勝機はありました!きっと勝てます!」
「それもやつのお遊びの一つだ、娘よ……希望を抱かせ、打ち砕く、それがあの荒神にとっては面白くて仕方がないのさ」
「そんな……そんな……」
「それでも戦う覚悟はあるのか?」
シュリアの羽毛を握る手が震えた。
「王子よ……私の娘を頼む……」
「はいっ……」
シュファレーゼは最後にそう言って、呼吸を止めた。
シュリアは泣きわめくこともなく、寄せた身体を離そうとせずに顔を埋めたまま、動く事はなかった。
「アレン、あの娘と一緒にいてやってくれ、私は国の舵をどちらにとるか決めなければいけない」
「はい……」
「私の気持ちはお前と同じだ、だが…….」
「分かっています、父上」
ヨーゼン王は立ち上がり、シュファレーゼの亡骸に一礼した。
踵を返して王宮へと戻っていった。
アレンはザウと共にその場に止まった。
青く晴れた空、父の亡骸の上を旋回する3羽の鳶。
弔うように鳴き声をあげ、円を描くように、いつまでも旋回し続けた。
日が沈み、松明が焚かれても、シュリアは父の側から離れようとしなかった。
アレンは亡き父の身体にしがみ付く、シュリアの背中を眺めていた。
王宮へと吹き付ける風が、少しずつ冷たいものへと変わっていった。
アレンはペタンと伏せた犬耳を立ち上げた。
「ザウ、すまないが何か温かい食べ物を用意してくれないか」
「承知しました」
ザウは王宮内の方へと歩いて行った。
アレンは立ち上がり、シュリアの側に寄った。
口を開いて、何も言わないまま俯いて、また視線をシュリアに向けた。
「僕は……やられたまま逃げるなんて嫌だ……大好きなサアールの海を奪われるなんて……」
「……」
「王子として国の為に民を引き連れて逃げるのが正解だと分かっている……それでも僕は……君と約束した」
「……」
「戦おう、例え二人きりでも」
アレンはそう言って、シュリアの背中に微笑みかけた。
シュリアは返事をしない。
アレンは少し俯いて、踵を返した。
歩き始めて間も無く、背中をトンと押された。
シュリアが追いかけて、アレンの背中に寄りかかるように掴まった。
少女の華奢な肩は、少しだけ震えていた。
「私と……一緒に死んでくれますか?」
「はい、貴女と一緒なら」
アレンは振り向いて、シュリアの肩を掴んだ。
目を潤ませるシュリアに、ニコリと微笑みかけた。
「でも……勝ったら死ぬ必要はない、そうでしょう?」
アレンはそう言って、シュリアの涙を指で拭った。
シュリアは口元を少しだけ緩ませた。
それがシュリアの返事だった。
アレンの初めて見た、彼女の笑顔だった。
「か、かわぃい……」
アレンはシュリアの笑顔に見惚れて、固まってしまった。
「??なんですか?」
シュリアの表情はまた元に戻った。
澄ました表情で目を細めるシュリア、アレンは慌てて肩から手を離した。
「あ、いえ!!何でもないです!」
「さぁ、腹ごしらえをしませんか?」
ザウがスープの入ったポットと麻袋を持って戻ってきた。
アレンは顔を赤らめながら、ザウの元へと駆け寄った。
「ありがとうザウ!」
アレンは袋とポットを受け取った後に、小さなため息を吐いた。
ザウは少しだけニヤついていた。
まるで先程の二人のやりとりを茶化すかのように。
「今、目が見えたらいいなと思ってしまいましたよ」
「……に、ニヤニヤするなザウ」
「失礼しました」
アレンは肩を落とす勢いをそのまま、その場に腰をおろした。
空はいつの間にか暗くなり、星がポツポツと顔を出していた。
「もう夜か……」
アレンはポットを置いて、麻袋を開いた。
軍用の携行食料と食器が三人分詰まっていた。
「なんだこれは?」
「非常時の食料です、お口には合うと思います」
「ふむ……力はつきそうだな」
アレンの口がへの字に歪んだ。
シュリアはアレンの横に正座して座った。
ザウも地面に腰を下ろした。
袋を破り、皿に並べていく。
ブロック状の四角い携行食料は、とても美味しそうには見えないものばかりだ。
シュリアはそれらを観察するように、一つ一つを目で追っている。
「もし戦うならば……人を集める所から始めなければなりません」
ザウはアレンの声色を聞いて、すぐに考えたいであろう話題を提示した
アレンは腕を組んで、口を真一文字に整えた。
たった一年、それで神に打ち勝つ軍隊を一から作りあげる。
とてつもなく無謀で難しい課題だ。
「まずは優秀な軍師……それがいれば作戦の立てようもある……かな?」
「はむはむ……これは美味です」
アレンとザウだけが、難題に取り組もうとしていた。
シュリアはさっそく携行食料に手をつけていた。
「あは……お腹が空いていたのですね?では僕も一つ」
アレンは小さな棒状の携行食料を口に運んだ。
「ん……あまい」
砂糖菓子よりもずっと甘い味わいに、アレンの頬が緩んだ。
「ずっと食べてなかったです、一週間くらい」
「いっ?!一週間も?」
「信頼できない人と食事を与えられても、口をつける気にはなりませんので」
「あはは…..光栄です、姫様」
シュリアは四角い携行食料をつまみあげ、まじまじと観察してから口に運んだ。
この食料は、兵士が戦地で食べるためのハイカロリーな食料だ。
アレンにとって、シュリアの信頼を得られた事が、何よりも身にも心にも染みるような味わいだった。
それが表情に表れていた。
「先程の話ですが……」
シュリアは栄養を補給して、ようやくアレンとザウの話題に追いつき、足並みを揃えた。
「すみません、軍師とは……なんですか?」
「戦争の采配をする者です、作戦の組み立てや兵士の配置を決めるのが主な役割です」
ザウは微笑みながら、温かいスープをコップにそそぎ、シュリアに渡した。
シュリアはスープに口を付けず、何度か瞬きをした。
「先日、避難所で優秀な采配者を見ました」
「…….それはどのような?」
アレンの犬耳がヒョコヒョコと忙しなく動いた。
「ごちゃ混ぜだった食料の配給所、テントの配置、避難所の動線を全て綺麗に整えていました…….まるで綺麗な小川を見ているような……コレは関係ないですか?……」
「いえ、それは……恐らく……」
ザウは顎を撫でて、口の中で言葉を転がした。
アレンの方を向いて、申し訳なさそうに口を歪めた。
「王子の前で言いたくはありませんが…… サアールの国防軍は中の下です、避難所の設営も無駄が多いです……」
「耳が痛い…….それで?」
「今朝までは、そう思っていたのですが……街の各区の兵士から、避難所内の配置を聞くとかなり合理的な配置になっていました、二つ三つくらい格が上がっていました」
「一箇所の避難所から街全体へ派生していったのだな……その人に会ってみたいな」
アレンの鼻息は荒くなった。
「調査隊を編成して手配します、まずはそこからですね」
「そうだな……神との戦か…..父上はどう舵取りをするのだろうか」
アレンは王宮を見上げて、小さなため息を吐いた。
(登場人物紹介)
シュファレーゼ
ノール、ファゼル、オルアの父であり、シュリアの育ての親。
サアールの国境から丘を一つ超えた大樹に巣を作っている。
とても大きな身体、神々しい姿をしており、鳥の神獣の長として、巣を統治し何百年も生きている。