第8話 侵入
「みんな逃げろ! 鈎爪竜だ!」
ミリアムの話題で盛り上がっているところに俺たちは突然信じがたい台詞を聞いた。邑の中央広場であってはならないことだ。
こちらに向かって走ってくる血まみれの戦士の後ろに不気味な影が迫っていた。
灰色と深緑の縞模様、ほっそりしたシルエットで、鋭い鈎爪と唾液に濡れた牙が篝火の光を反射して光っていた。
広場のあちこちで悲鳴が上がり邑人たちはパニックに陥った。
ミリアムのことを詮索するどころではなくなった。
アーロンが長大な剣を抜き放ち、影に向かって疾走した。
「みんな家の中に避難しろ」
邑長の声が聞こえた。
逃げてきた血まみれの戦士に飛びかかろうとした鈎爪竜をアーロンの長大な剣が袈裟懸けに切り伏せた。
凶悪な生き物は二つの肉塊に分かれ地面を転がった。
盛大に噴き出した血がアーロンの緑の髪を赤く染めた。
「なぜだ! どうやって奴らは堀と城壁を越えたんだ!」
アーロンは鋭い眼光を逃げてきた男に向け、大声で問い質した。
命を救われた男はその場で腰を抜かして座り込んだ。
「鎧竜だ。やつら鎧竜の死体を踏み台にしたんだ!」
男は息も絶え絶えに報告した。
鎧竜の死体は確かに浮橋のように堀の中に浮かんでいた。
鈎爪竜はその死体を使って城壁を飛び越えたらしい。
「まだいるぞ、油断するな!」
邑長の叫び声が聞こえた。
邑に侵入した鈎爪竜は一匹ではなかった。
十数匹の禍々しい影が邑の中を疾走していた。
邑人たちはパニックに陥りながら、高床式の家へと我先に避難を開始した。
俺達の家が高床式なのは、森の危険な生き物が、こんな風に万一城壁を越えて入ってきても安全を確保するためだった。
「ヨシュアにいちゃん」
俺は震えているレメクを抱きかかえると、バベルの塔に続く石段を駆け上がった。
「おい、早く逃げろ!」
俺はバベルの塔のゴンドラの前で周囲をぼんやり見回していたミリアムを怒鳴りつけた。
緊張感がないにもほどがある。
「ほんと、六本脚であること以外は恐竜のヴェロキラプトルにそっくりよね。何の進化のいたずらかしら」
しかし、ミリアムは俺の指示に従わず、意味の分からないことを口走った。
〈なんだ! 『べろきらぷとる』って!〉
俺の困惑をよそに、ミリアムはゴンドラの床から黒く四角い金属製の鞄を重そうに引きずり出すと、素早く開いて中身を取り出した。
出てきたのは骨折の時に使う松葉杖のような形の金属製の細長い道具だった。
夜の闇に紛れるような艶消しの黒に塗装されていた。
ミリアムは幅が広くなっている方を自分の肩にあてると、細い方の先端を広場に向けた。
一体、何のまじないだか知らないが自分の身の安全を確保してからにして欲しかった。
「隠れてろ!」
俺はレメクをゴンドラの中に押し込みながら、ミリアムもゴンドラに隠れるよう、彼女の正面に立って促した。
今から高床式の建物に逃げ込もうとしても、鈎爪竜に後ろから襲われる可能性が高い。
それならゴンドラの前に陣取り、正面の鈎爪竜だけに備えた方が戦いやすいというものだ。
「邪魔! あんたこそ、どきなさいよ!」
「はあ?」
ミリアムは金属製の杖の先を振って俺にどくように指図した。
よく見ると杖は筒状で先端に丸い穴が開いているように見えた。
何のつもりだか知らないが、鈎爪竜はほとんどの戦士の手に余る危険な生き物だ。
道具の力を借りるにせよ、小柄なミリアムが何とかできる相手ではないはずだった。
「ヨシュアにいちゃん!」
レメクの声に応じて周囲を見回すと、梯子を上りそびれた白髪の老婆が、こちらに向かいよろよろと逃げていた。その後ろを鈎爪竜が追っていた。
アーロンは他の鈎爪竜と闘っており、邑長やメトセラは離れたところで邑人たちの避難誘導を行っていた。近くに老婆を助けられそうな戦士はいなかった。
「ちっ」
俺は石段を駆け降りながら老婆に向かって突進した。
今日はすでに一度狂戦士になっているので体が重い。
老婆が転倒した。
鈎爪竜は大きく口を開け、汚らしい涎をその牙から滴らせながら、右側の二本の鈎爪を老婆に向けて振りあげた。
〈だめだ、間に合わない!〉
その瞬間、雷のような轟音が俺を打ちのめした。
鈎爪竜の右側の上の腕が一本ちぎれ飛び、動きが止まった。
〈何があった?〉
俺は困惑しながらも、苦痛の呻き声をあげる鈎爪竜に一気に迫り、首筋を切り付けた。
噴水のように血が吹き上がり、俺は頭から鮮血を浴びた。
鈎爪竜は、よろめき、倒れた。
「ひっ」
血まみれの俺の姿を見た老婆は短い悲鳴を上げ、慌てて俺から離れ広場に面した高床式の家に向かった。
命の恩人だというのにどういうつもりだ。
「ちょっと! 私たちを守ってくれるんじゃなかったの!」
ミリアムの甲高い声が響き、俺は石段の方を振り返った。
ミリアムの手が忙しく動き、地面に先端を向けた金属製の杖に何かを入れていた。
杖からは何故か白い煙が漂っていた。
そして、悪いことに他の鈎爪竜が石段を登ろうとしていた。
「レメク!」
「ヨシュアにいちゃん!」
レメクは半泣きで、ミリアムの背中にしがみついていた。
「今、行く!」
鈎爪竜の方が俺よりもレメクやミリアムに近い。
俺の胸の中に『後悔』という名の黒い塊が沸き上がった。
鈎爪竜に猛然と駆け寄る俺の視界は不思議なものをとらえた。
何を意図してかわからないが、ミリアムが黒い杖の先を鈎爪竜に向け、片目を瞑ったのだ。
先ほどと同じ轟音とともに鈎爪竜の頭部が爆ぜた。
醜く開いた後頭部の傷口から脳漿をまき散らし、鈎爪竜は仰向けに倒れた。
俺は一瞬状況が理解できず動きを止めた。
倒れた鈎爪竜は弱々しく痙攣し、すぐに動かなくなった。
ミリアムの杖から白い煙が立ち上り、ミリアムは杖の先を地面に向け、また何かを杖の中に入れていた。
「何だ?」
俺は困惑しながらも再び走り出した。
石段を駆け上りミリアムに近寄ると今まで嗅いだことのないような不思議な臭いがした。
何かが焦げたような、卵が腐ったような、そんな臭いだ。
レメクはゴンドラの中でしゃがみ込み、目を閉じて両手で耳を塞いでいた。
ミリアムは広場に現れた別の鈎爪竜に杖の先を向けると片眼を瞑った。
また、轟音がした。
鈎爪竜の右の腿から血がしぶき、身体をよじらせて倒れた。
頭の鈍い俺にも分かった。
ミリアムの持っている杖は何かの武器だ。
轟音とともに何かを飛ばして、強弓と同じような破壊力を得ているのだ。
「それはいったい何なんだ」
「銃よ」
ミリアムは簡潔に答えた。
両手を慌ただしく動かし、また『じゅう』の中に何か小さなものを入れていた。
「神々の武器か?」
俺はこちらに向かって近づいてくる鈎爪竜の群れに油断なく視線を向けながらミリアムに問いかけた。
「人間の武器よ」
ミリアムはそう言いながら石段の下に『じゅう』を向けた。
貧弱な体格の女性も優秀な戦士に変えてしまうヴァルハラの武器は、俺には神々の武器にしか思えなかった。
大方の邑人が高床式の建物への避難を完了したため、鈎爪竜の視界に入る奴らの獲物は限られてきたようだ。
俺たちに視線が集まり、三匹の鈎爪竜が石段を登ってきた。
彼女の武器は威力はあるが、弓矢のように攻撃の度、何かを補充しなければならなかった。
その隙をつかれたら多分ひとたまりもないだろう。
「あぁ、もう! ボルトアクションじゃなくて、自動小銃にすればよかった!」
意味の分からないことをつぶやきながらミリアムは『じゅう』を撃った。
真ん中の鈎爪竜の胸から血が噴き出し、倒れた。
両脇の鈎爪竜は仲間の死にひるむことなく、大きな口を開け、鋭い牙を誇示した。
そして、補充作業を狙っていたかのように石段を駆け上がり、俺たちに迫った。
俺は、左の鈎爪竜の鼻先を左から右に切り付けた。
左の鈎爪竜が後ろにのけぞる様子を横目に見ながら、右の鈎爪竜の前脚を二本まとめて斬り飛ばした。
俺は耳障りな叫び声をあげる右の鈎爪竜の方に、さらに踏み込み、首筋を切りつけた。
頭から返り血を浴びる俺の肩に、戦意を取り戻した左の鈎爪竜の牙が襲い掛かった。
〈しまった!〉
「お待たせ!」
ミリアムの状況にそぐわない明るい声に轟音がかぶり、左の鈎爪竜の首から血と肉片が飛び散った。
俺は血にまみれた右の鈎爪竜を横蹴りで蹴り飛ばし、ミリアムに撃たれた左の鈎爪竜の胸に、とどめとばかりに深々と剣を突き立てた。
耳障りな断末魔の叫び声をあげながら二匹の鈎爪竜は階段を転げ落ちていった。
「やるじゃない」
ミリアムは俺に笑顔を向けた。
血まみれの俺に賛辞を述べてくれる者は少なかった。
女性では恐らく彼女が初めてだろう。
「そっちこそ」
俺は返り血でドロドロになりながらも少し嬉しくなって笑顔を浮かべた。
しかし、まだ、油断するわけにはいかなかった。
広場にはまだ数匹の鈎爪竜がうろついていて、中にはこちらに視線を向けている奴もいた。
聞き覚えのある鋭い矢うなりとともに、こちらに顔を向けていた鈎爪竜の首に矢が突き刺さった。
見ると長身のイサークが広場に近い高床式住居の玄関先で弓を構えていた。
そして、次々と矢をつがえ、鈎爪竜に浴びせ始めた。
鈎爪竜は自分の体に突き刺さった矢を外そうとしばらくもがいていたが、やがて横倒しに倒れ、地面の上で痙攣を始めた。
少し離れた場所ではアーロンも鈎爪竜を長剣で切り伏せていた。
彼の足元には、すでに数匹の鈎爪竜の死骸が転がっていた。
「続け!」
邑長とメトセラが槍を手に数人の戦士を引き連れ、広場に残る数匹の鈎爪竜に突撃した。
それを最後に広場から鈎爪竜は姿を消した。
「助かったわよ」
ミリアムが『じゅう』の先を上に向けて跪くと、ゴンドラの中でしゃがみ込んでいたレメクに声をかけた。
目を閉じ耳を塞いでいたレメクは弾かれたように立ち上がりミリアムに抱きつくと、肩を震わせながら泣きじゃくった。
ミリアムは、優しい笑顔を浮かべ、そんなレメクの背中を優しく撫でた。




