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第11話 出港

 朝の日差しがエメラルドグリーンの水面でキラキラと輝いていた。

 波はなく穏やかな日和だった。

 邑の北側に位置する港は、白くきれいな砂浜にあり、海の中にまで続く頑丈な木の柵で森から守られていた。

 港に停泊している船は四艘で、丸太を何本も横につなぎ大きな白い帆を張ったものだった。

 横も縦も広いが高さや深さのない平たい船で、普段はエビや魚を捕るのに使っていた。

「北の大地に行くなんてありえないでしょ!」

 船団を束ねるヒラムは、よく日に焼けた赤銅色の肌の逞しい初老の男だった。

 白髪交じりのくすんだ緑の髪は縮れていて、短く刈り上げられていた。

 髪と同じく白いものの混じった短い口髭を蓄えているのが特徴的だ。

 半袖の白い丸首シャツの袖を肩までまくり、膝までの丈の青いズボンを履き、素足だった。

「頼む」

 メトセラは懇願した。

 俺たちは革鎧を着こみ、それぞれの武器を携え、荷物を運ぶための駝竜を十匹ほど従えていた。

 見送りの人間も何人かいた。

 俺たちの先頭にいたのはメトセラとアーロンで、その後ろにミリアム、俺、イサークが続いていた。

 そんな俺たち十人ほどの一団とヒラムの率いる船団の十数人が、船の手前の白い砂浜で対峙していた。

 船乗りたちは思い思いの色のシャツを着ていたが、皆、ヒラム同様、赤銅色に日焼けしており、素足だった。

「そんなこと言われてもなあ」

 ヒラムの表情は渋かった。

「何もお前たちに北の大地に上陸し、一緒に旅してくれと言っているわけではない。我らを送り届け、北の大地の岸辺で待機していてくれればよい。風をうまく捕まえることができれば北の大地には半日ほどで着くと聞いている」

 アーロンが腕を組み、重々しく言い放った。 

「北の大地に上陸しないにしても、その途中が問題なんだよ。浅瀬なら何日海にいても構わないが、沖合はなぁ……」

「何か問題でもあるの?」

 言葉を濁すヒラムにミリアムが口をはさんだ。

 相変わらず体のラインがはっきりわかる銀色のつなぎの服を着ていた。

 足も同じ銀色の靴を履いていて首から下は素肌が見えなかった。

 その奇妙ないでたちと珍しい黒い髪に、船団の連中はどよめいた。

「あんたは?」

「ミリアムよ、ヴァルハラから来たの」

「天界から?」

「信じられるか!」

 ヒラムの後ろにいた男たちが口々に叫んだ。

 昨日、邑の広場にいなかった人間が多いようだ。

「その話は昨日もやったわ、邑のお偉いさんのお墨付きだから信じて。で、沖に出る問題って何?」

 強引に彼らの興味に終止符を打とうとするミリアムに、何人かの日に焼けた男たちが不満の声を漏らしていた。

「海竜が出るんだよ」

 ヒラムは目に動揺の色を浮かべながらもミリアムの疑問に答えた。

「海の中にいる竜は船の上にいる人間を襲ったりしないんじゃないの?」

 ミリアムは柔らかい笑みを浮かべながら小さく首をかしげた。

「よく知ってんな。確かに船の上の人間は食われたりしない。だが、海に落ちれば奴らの餌だ。おまけに奴らはでかい。ぶつかったら俺たちの船なんざあ、ひとたまりもねえ、落ちたくなくても海の中に落とされることはありうるのさ」

 ヒラムはミリアムに厳しい視線を向けた。

「北の大地に赴くことは邑長の決めたことだ」

 アーロンが目に強い光を浮かべながらヒラムを見据えた。

 ヒラムの背後の逞しい男たちから、さらに不満の声が上がった。

「なかなか思うようにはいかないもんだな」

 イサークが俺の後ろで皮肉交じりの口調でつぶやいた。

「礼ははずむ、父にはよく言っておく」

 メトセラはあくまでも下手に出ていた。

 何としても今回の旅を成功させたいのだろう。そんな気持ちにあふれていた。

「戦士の長と邑長の坊ちゃんがこんなことを言ってるが、俺と一緒に北の大地に行ってくれる奴はいるか?」

 ヒラムはため息をつきながら、後ろに立っていた十数人の男たちを振り返った。

 ヒラムから視線を外すものが続出し、丸顔の若い男が一人だけ元気に手を挙げた。

「ヨハンだけか……出せる船は一隻だけだな。それに、あんたたちも手伝ってくれないと、船は動かねえぞ」

 ヒラムは寂しげな表情を浮かべながら、俺たちの方を振り返った。


「気を付けてね。メトセラ」

 腰まである緑の髪を揺らしながらイザベルがメトセラの胸に手を当てた。

 スタイルがよく優しい目の美女と長身で整った顔の偉丈夫は、お似合いのカップルだった。

「ああ、必ず帰ってくるよ」

 港まで見送りに来てくれた人たちと俺たちは砂浜で別れを惜しんでいた。

 すでに十匹ほどの駝竜は船に乗せ終わっていた。

「矢の数は足りるか?」

 小柄なラバンが背を伸ばすように長身のイサークの肩を叩いた。

 厳つい顔には愛する息子を見るような優し気な表情が浮かんでいた。

「大丈夫ですよ」

 イサークは少し照れたような雰囲気を三白眼の目元に漂わせていた。

「気をつけろよ」

 周りの様子を見ていた俺に声をかける者がいた。親父だ。

 小柄で頭頂部が薄く、垂れ気味の目は気の弱い駝竜のようだった。

 ラバンと同じくらいの年齢のはずだがラバンよりも遥かに老けて見えた。

 腕っぷしも弱く、気性もおとなしいので狩りには参加していない。

「ああ」

 俺の胸にたぎっていた高揚感は急激に温度を下げた。

「いってらっしゃい、ヨシュアおにいちゃん」

 足元から元気な声が聞こえ、曇っていた俺の心に陽の光が差した。

「またな、レメク」

 俺は俺の腰くらいの身長しかない隣の家の男の子の頭をなでると、親父とはなるべく目を合わせないように船に乗り込んだ。

 船にはすでにアーロンやミリアムが乗り込んでいた。

 ミリアムは当然としても、意外なことにアーロンにも見送りはいなかった。

 アーロンの父親は鈎爪竜との戦いで命を落とし、母親も彼が若い頃に病死していた。

 俺よりも一回り年長のはずだが妻帯しておらず独り身だった。

 アーロンが若い娘たちに人気があるにもかかわらず結婚していないのは、アーロンの眼鏡にかなう娘がいないのか、それとも思い定めた相手に限って心をつかむことができないのか、いずれかに違いなかった。

「あんた、子どもには好かれてるのね」

 ふいにミリアムが馴れ馴れしく声をかけてきた。

 邑の中で鈎爪竜と闘った時といい、邑長の家での宴の時といい、ミリアムはずっとこんな調子だった。まるで幼馴染のようだ。

「レメクだけだ」

 俺は少し不機嫌に答えた。

 ミリアムのことは嫌いではないがミリアムの馴れ馴れしい態度は少し癇に障った。

「それに比べて、お父さんには随分と冷たいのね」

 心に氷の刃を押し付けられたような言葉だった。

 脳裏に、苦悶と悲嘆の表情を浮かべる若く美しい女性の姿が浮かび上がった。

〈父さん! 母さんを助けて!〉

 記憶の中の幼い俺は父親の腕の中で泣き叫んでいた。

 若く美しい女性は鈎爪竜に脇腹を食い破られ、鮮血をまき散らした。

 父は母を助けようとせず、俺を抱きかかえ走って逃げた。

 血液が沸騰し視界が赤く染まった。

 身体中に狂暴な力が満ち始めた。

「お父さんが可哀そうよ」

 再度放たれた冷水のようなミリアムの声が、逆に俺が狂戦士に変貌することを防いだ。

「大きなお世話だ」

 俺は低く唸ってミリアムから距離を置こうと船の上を移動した。

 しかし、そう広くない船の中だ。あっという間に船の端に着いた。

「さあ、そろそろ船を出すぞ。みんな乗ってくれ」

 ヒラムの声が響き、砂浜で恋人と名残を惜しんでいたメトセラが最後に船に乗り込んだ。

 アーロンは無言で腕を組み、そんなメトセラに厳しい視線を送っていた。

 ヒラムが帆を開いて風をはらませると、船底の平たい俺たちの乗った船はゆっくりと動き始めた。

 ヨハンが砂浜を蹴って船を押し、動きを加速させた。

 砂浜で見送るイザベルが、目に涙を浮かべながらこちらに手を振っていた。

「ねえ、あんたにはパートナーはいないの?」

 気が付くと、また、ミリアムが俺に近寄ってきた。

「パートナー?」

「奥さんとか、婚約者とか、恋人とかよ」

「いるように見えるのか?」

 むっとして思わず口走ったが言った後で後悔した。

 言い過ぎた。ミリアムに悪気はないはずだった。

「ふうん、いい男なのにね」

 しかし、ミリアムは俺の物言いを気にする風でもなく、軽く微笑んだ。

 俺は思わず醜い頬の傷をおさえた。

「からかうのはやめてくれ」

「別にからかってないけど」

 俺はミリアムとの会話には乗らず、視線を船の進む方向に向けた。

 船は人間七人と駝竜十匹が乗っても、なお広さに余裕があった。

 中央に大きな帆柱があり、丈夫な布でできた白く巨大な帆が風をはらんで膨らんでいた。

 帆柱の少し後ろには丸太で作られた小さな小屋があり十人は楽に入れそうだった。

 その小屋には今は駝竜を押し込んでいた。

 俺たちが佇んでいたのは、そんな小屋の後ろ、船の左側の方だった。

「手伝うことがあったら言ってくれ」

 メトセラが船の中央で帆を操る丸顔のヨハンに声をかけていた。

「じゃあ、今度出港するときは一緒に船を押してくれますか?」

 ヨハンは嬉しそうに答えたが、メトセラは出港時の自分の行動を振り返り顔を赤らめた。

 アーロンは小屋の入り口で腕を組んでそんな二人を見つめ、イサークは船の前の方で船の進む先を見つめていた。

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