第10話 火薬
「そうそう」
妙なタイミングでミリアムが声をあげ、俺はミリアムに視線を移した。
彼女は後ろを振り返り、黒い金属性の鞄を開けて、例の『じゅう』を取り出した。
別にラバンに相槌を打ったわけではないらしい。
「これ、あなたたちにあげるわ」
ミリアムは『じゅう』の先端を上に向け、邑長に手渡した。
高価で貴重なものに違いないのに、なんて気前がいいのだろう。
その気前の良さに俺はキナ臭いものを感じた。
何か見返りを求められるのではないだろうか。
「おお」
「あれが鈎爪竜を何匹も仕留めた武器なの?」
それぞれの部隊の主だった戦士たちや聖歌隊の女性たちからどよめきがあがった。
「いいのか?」
邑長は大きな眼を見開き、毛むくじゃらの手でミリアムから『じゅう』を受け取った。
「ええ、どうぞ。でも、ひとつしかなかったら、さっきの人が言ったように弓の方がいいってことになるわよ」
ミリアムはそう言いながらイサークに目を向けた。
イサークの眼に不機嫌そうな色が浮かんだ。
「では、もっとくれるのか?」
邑長は両手で『じゅう』を抱えたまま、ミリアムの方に身を乗り出した。
「まさか。つくるのよ。自分たちの手で」
ミリアムは、まだ中に何か残っている黒い鞄を慌てて閉じると、味付けゆで卵に手を伸ばした。
片手で何とかつかめる大きなゆで卵だ。
「どうだ。作れそうか?」
邑長は、隣の隣に座っていた白い髪の老人に『じゅう』を渡した。
鍛冶の長であるトバルは片手で『じゅう』を受け取ると、白くて長い髭を撫でながら色々と角度を変え、しげしげと『じゅう』を眺めた。
「ふむ、また、随分と面倒な構造だのう」
かすれた声が聞こえた。
「無理か?」
邑長の顔が曇った。
「同じ形のものを作れんこともないが、それで機能するかどうかはいろいろ試してみんことにはわからん」
「では、作れるのだな」
「たぶんな」
邑長の表情が明るくなった。
それを見てトバルは首を振った。
「……しかし、問題はここから飛び出す礫の方じゃ。広場で見ておったが、あの大きな音と煙はいったいなんじゃ?」
トバルは白く長い眉毛の隙間から、味付けゆで卵を頬張るミリアムに視線を送った。
「黒色火薬よ。作り方は教えるわ」
ミリアムはそう言うと、黒い金属製の鞄を開き中から紙の様なものを取り出した。
俺たちの使う紙とは違うツルツルとした代物で、あり得ないくらいきれいに整った文字でびっしりと何かの説明が書いてあった。
ミリアムはそれをトバルに渡した。
「黒色火薬の材料は、木炭と硝石と硫黄よ。木炭は説明するまでもないわね。硝石はあなたたちがペットを飼っている床下の土から作れるわ」
「駝竜の糞尿にまみれた土から作るのか?」
トバルは紙に書かれた説明を読んで眉をひそめた。
「有難い。あなたはやはり神の眷属なのではないのですか? かつて天界の神々は地上の人間に、火の使い方、布の織り方、鉄の鍛え方などを教えてくれたというではありませんか」
メトセラが目を輝かせていた。
しかし、ミリアムはそれには答えず説明をつづけた。
「黒色火薬の材料で問題になるのは硫黄ね。衛星軌道からのスペクトル分析によれば、硫黄は北の大陸の火山地帯にあるわ」
残念ながらミリアムの言っていることはさっぱりわからなかった。
それは俺だけでなく、知恵者のトバルも同じらしい。目を見開き視線を泳がせていた。
「北の大陸……」
小柄で髪の薄い役場の長ヨブが、ミリアムの言葉の最後の部分に反応した。
「何か問題なの?」
「この邑の北にある海を渡った向こう側の土地のことか?」
ヨブは脂ぎった額を肉付きの良い掌で撫でながらミリアムに確認した。
「そうよ」
戦士や聖歌隊のうち、何人かがため息をついた。
「えっ、何?」
「好き好んであそこに行く奴はいねえよ」
困惑顔のミリアムにイサークが吐き捨てるように言葉をかけた。
「よりによって北の大地か」
「海の向こうなんて……」
ほかの戦士たちや聖歌隊の女性たちも、ざわざわと囁きあった。
キナ臭いと感じた俺の勘は当たった。
やはり、おいしい話にはそれなりの対価が付きまとうのだ。
どうせ、これでこの話題は立ち消えになるだろう。
俺は後ろから黄色いトウキビのパンに手を伸ばした。
「なんで?」
「危険な竜がごまんといるんだよ、ヴァルハラから来たくせに何にも知らねえんだな。大体、北の土地にある何とかって、どうしてわかったんだ? ほんとにあるのかよ」
イサークの言葉にミリアムはムッとしたような表情を浮かべた。
「北の大陸には南の大陸にはいない大型の竜が生息していることは知ってるわよ。それから、硫黄は空の上から見つけたの。あなたたちの知らない道具を使ってね」
ミリアムの怒った様子に、一瞬、場が静まり返った。
しかし、疑念が晴れたわけではないらしく、思わせぶりに目くばせする戦士や聖歌隊の女性も少なくなかった。
「ご機嫌を損ねて申し訳ありません……ところで、その『いおう』というのがあるのは、北の大陸のどの辺りですか? 海の近くですか?」
メトセラがなおも口を開こうとしていたイサークを制するようにして身を乗り出した。
俺はふかふかのパンにかじりついた。しっとりしていてほんのり甘い。
「海岸から歩いて二日ってところかしら。そう遠くないわ」
「それなら……」
「待て、海を渡ること自体が危険なのだ。簡単に考えるな」
目を輝かせているメトセラをアーロンが低い声でたしなめた。
「邑一番の勇者の言葉は聞いた方がよいぞ」
ラバンも厳しい視線をメトセラに送った。
この二人もミリアムの提案には反対らしい。
「どうするの? 火薬がなければ、銃は機能しないわよ。あなたたちが行くのなら道案内するけど、行かないのなら私はこの銃を置いてヴァルハラに帰るわ」
ミリアムは黒い瞳に強い光を浮かべて俺たちをゆっくりと見まわし、最後に邑長のところで視線を停めた。
決断は邑長に委ねられた。
〈強く、そしてきれいな娘だな〉
俺は、ミリアムの美しい瞳を魅了されて心の中でつぶやいた。
邑長は大きくため息をつき、頭を振っていた。
「あんなところ、誰が行くんだ」
「やばすぎるだろ」
ほかの戦士たちがひそひそとつぶやく声が聞こえた。
邑長は少しの間考えていたが、やがて苦しそうに口を開いた。
「私は『じゅう』が欲しい。『じゅう』は普通の人間を強者にしてくれる。多くの『じゅう』があれば一握りの勇者に頼らずとも邑を守れる。しかし、北の大地への旅はとても危険だ。あんな場所に多くの兵を送り込むことはできない……」
邑長は決めかねているようだった。
アーロンが静かに目を瞑り、ラバンは腕を組んだ。
「私が行きます」
沈黙を破ってメトセラが立候補した。
アーロンが目を見開き、ラバンは頭を押さえた。
「けっ」
俺の隣でイサークの不機嫌そうな声が聞こえた。ほかの戦士たちがざわついた。
おそらくメトセラさえ立候補しなければ、この話はなかったことになっただろう。
聖歌隊のメンバーでメトセラの婚約者であるイザベルは、その美しい顔に不安そうな表情を浮かべていた。
「そうこなくっちゃ」
ミリアムは、そんな周囲の雰囲気はお構いなしにメトセラに笑顔を向けた。
ほとんどの人間が食事をするのを忘れていた。
俺は手に残るパンを口の中に押し込んだ。
「何もあなたが行かなくても」
邑長の奥さんでメトセラの母親であるサラが、うろたえながら邑長の後ろから顔を出した。
「母上、私は行きたいのです、邑の未来のために。『じゅう』は普通の人間を優秀な戦士に変えてくれます」
俺はメトセラをある意味見直した。
しかし、普段の竜との戦いぶりを見る限り、メトセラだけで北の大地に向かい無事に帰ってこられるとは到底思えなかった。
他に何人か選りすぐった戦士が必要だ。嫌な予感がした。
「あなたが余計なことを言うから……ねえ、あなた、何とかしてください」
サラが邑長の腕をつかんでいた。
「悪いがアーロン。一緒に行ってくれ」
アーロンの眉が微かに跳ね上がった。
何人かの戦士が選ばれるだろうとは思ったが、よりによって総隊長を選ぶとは思わなかった。
確かにこれ以上はない人選だが、邑の守りはどうするつもりなのだろう。
親バカもたいがいにして欲しかった。
「邑長の命であれば」
しかし、アーロンは口元を強く引き結ぶと、男らしくきっぱりと答えた。
俺の尊敬するアーロンらしい態度だ。
「すまん、人選は任せる」
邑長は彼らしくない卑屈な笑みを浮かべた。
「多くの人数は裂けない。邑を守るにも人手がいる。この中で北の大地への旅を希望する者はいるか?」
アーロンは俺たちの方を振り返ると低い声を響かせた。
ここにいるのは、各隊選りすぐりの戦士たちだった。
「俺が行っていいですか、隊長?」
どうすべきか逡巡していると、隣に座っていたイサークが弓隊の長ラバンに声をかけた。
「おまえが?」
ラバンは厳つい顔に解せないといった表情を浮かべた。
先ほどまでの発言を聞く限り、イサークはヴァルハラの武器に良い感情を抱いていない。
ミリアムの手伝いを自分から申し入れることは予想外だった。
「弓が『じゅう』なんかよりも役に立つことを思い知らせてやりますよ」
「よし、行ってこい」
ラバンは膝を打った。イサークは不敵な笑みを浮かべた。
「あんたも行くわよね」
ミリアムが俺に視線を向けていた。
ミリアムの視線を追った戦士たちが凍り付いた。
「?」
ミリアムは、不穏な沈黙に支配された俺たち戦士の方を見て怪訝な表情を浮かべた。
「いいですか? 俺が行っても」
恐らく暗い表情を浮かべながら、俺はアーロンを見た。
「構わん」
アーロンはいつものように短く答えた。
俺は他ならぬアーロンやミリアムと冒険したいと思ってはいた。
しかし、これで他に手をあげる者はいなくなるだろうとも思った。
狂戦士と忌み嫌われている俺と共に旅をしたいと思う者はいないはずだ。
「ほかに希望者はいるか?」
アーロンの問いかけに場が静まり返った。
案の定、他に手をあげる者はいなかった。




