7話 カミは死んだ
けっきょく剣神カペリの討伐はできなかった。
俺は倒してないよ。散髪しただけ。
言うまでもないが髪を剃られたって人は死なないし、神も死なない。
だいたい倒しても俺にはあんまり得がないんだ。
神を倒せばクエストに参加した全員にスキルポイントが入る。全員だぞ。ツルツルだけじゃねぇ。フサフサにも入るんだ。
だったらそのフサフサを二、三人丸刈りにしてクエスト達成相当のスキルポイントを得た方が、フサフサが損するぶん得だ。まあ辻刈りはやらんけど。
ともあれ、ハゲをののしっていた連中にとって、己がハゲにされるというのは精神的ダメージがでかいらしい。
剣神カペリは真ん中ハゲにされたあと泣きじゃくって、もう誰かを殺す元気もないようだった。
俺は瓦礫の中のマスターへと近寄る。
真夜中の暗闇の中、焚かれたかがり火と月光に照らされ、無惨にヒゲをむしられた彼は抜け殻のように笑っていた。
「……ヘヘッ……バルドさんよ。オイラの滑稽な姿を見に来たのかい? この、真ん中だけ顎が丸見えになった、無惨なヒゲをよォ」
俺はマスターの目の前にしゃがみこむ。
そして、彼の分厚い筋肉がついた肩に手を乗せた。
「笑いやしないさ。……マスター、あんた剣神カペリにさ、『それ以上飲むのはよしな』とか言ったんだろう?」
「……ああ……まあな。明らかに酔ってたし……」
「神に忠告するなんて、勇気ある行動だよ。しかも、神のためを思って……そのむしられたヒゲはさ、勇気の証なんだ。機嫌を損ねたら手をつけられない神に、それでも機嫌を損ねるかもしれない忠告をした、あんたの勇気の、証なんだよ」
「……」
「だから気にするな。笑うヤツがいたら言ってくれよ。俺がそいつらをツルツルにしてやるからさ」
マスターは、泣きそうに顔をゆがめた。
そして、俺の左手を両手で握って、言う。
「お、オイラ……オイラ、あんたに謝らなきゃいけないことがあったんだ……!」
「なんだよ、言ってくれよ。俺たちは同じ特徴を持つ仲間同士じゃないか」
「オイラ、あんたを見下してた……! オイラたちは同じツルツル頭でさ……でも、オイラ、本当はこの頭にコンプレックスがあったんだ! 美しい頭蓋をしてるから髪の方が逃げちまっただなんて笑ってみせても、本当は……髪が、欲しかったんだ……!」
「……」
「だから、ハゲ頭のあんたを見つけた時は、嬉しかった! 暗い喜びだったんだよ! だって、あんたを見た時、こう思っちまったんだ! 『こいつ、ハゲなうえにヒゲもねぇからオイラの勝ちだな』って! しかも、放っておけばハゲを量産してくれる……! 便利で使えるヤツだって!」
「……そうか」
「ごめんよォ……! ごめんよォ! あんたはでっかくていいヤツだ! それに比べて、オイラはなんてちっぽけで……!」
「いいんだよ。気にするな」
「バルドさん!」
俺たちは瓦礫の中でかたい抱擁を交わした。
ギュッと強く互いの背を抱き、俺は右手に持った罵罹患を作動させてマスターの顎に這わせた。
「えっ、ちょっ、バルッ……!?」
「いいんだよ、気にするな。それはそれとして毛の多さを軸に俺を舐めたヤツは許さねぇ」
押し倒して抑えつける。
マスターが残ったヒゲを守ろうとした腕を払いのける。
俺は舌なめずりをしながら笑う。
「さあ、いい声で鳴け」
マスターは生娘のように鳴いた。
やはり、毛の多さで他者を見下す連中の悲鳴は心地いい。
同胞とまで思った相手の悲鳴は背徳感があってまた違った味わいがある。
クセになりそうだぜ。
◆
まあ、街にはもういられないよね。
神殺しクエスト発生の翌日、夕方。
予定よりちょっと遅くなってしまったけれど旅立ちの時だ。目指すのは辺境でのスローライフ。
幸いにも蓄えはあるので、俺の実力を知らない毛の生えた子羊たちが俺を舐め腐ってくれそうなド田舎を目指そうと思っている。
俺は風呂敷を引っかけた錫杖を腋に挟み、我が神アイネグラッツを背負って街を旅立った。
「二度と帰ってくるなー!」「悪魔め、立ち去れ!」「おい、目を合わせるな! 丸刈りにされるぞ!」「あいつは男だろうが女だろうが見境なく剃っちまうんだぜ……」「お前がいなくなりゃあヒゲの生えるのも早くなるわ!」「どこか知らない土地で野垂れ死ね!」
竜殺しにして神の髪を殺し尽くした英雄を見送る街の人たちの歓声がくすぐったいぜ。
「バルドォッ!」
街を出て街道を歩いていると、目の前に立ちふさがるようにそいつが現れた。
ボシィだ。
彼女の赤毛を見て、俺は悟る。
「ボシィ、お前、神討伐が終わってから、寝ずにここで待ってたのか? 髪が脂でボサボサしてるぜ。若いからってそうやって髪を痛めつけてると、十年ちょっとあとでツケを支払い、枝毛に悩まされることになる。気をつけな」
「う、うるさい! そもそも、なんで貴様はなかなか旅立とうとしなかったんだ!?」
「だって夜中まで神殺しクエストに参加してたし、夜には寝ないと頭皮が荒れちゃうだろ。お前たちはフサフサは、『ハゲはハゲた瞬間からツルツル頭』だと思っているようだが、実際にはツルツルとした美しい頭皮を獲得するには、それなりの節制と努力が必要なんだ」
まして我が神アイネグラッツは俺の頭をよくなでるので、頭皮のケアには気をつかう。
俺の頭が仮に脂ぎっていたら、俺の頭をなでたアイネグラッツ様の手がヌトヌトしてしまうからな。そんな失礼は働けねぇ。
適度に輝き、脂がなく、触り心地がいい……そんな頭皮の維持には食生活からして気をつかわねばならないのだ。
頭皮ケアの大変さを説いてやると、ボシィは押し黙り、それからポツリと口を開いた。
「……なあ、バルド……ひょっとして、私の父を貴様が丸刈りにしたのも、なんらかの事情があったんじゃないのか?」
「……」
「先ほどの戦いの顛末を見ていて、貴様には強固な『芯』があるように思えたんだ。……うまく言えないが……そう、まさか、あそこからマスターのヒゲを剃るだなんて夢にも思わなかった」
「あいつは、俺を……いや、すべてのヒゲなしハゲを舐めたからな。ケジメはつけないといけなかった」
「だから……貴様には自分に課したルールがあって、それを厳格に守ることにかけては信頼できるんじゃないかと、そう思ったんだ。理由なく他者を丸刈りにすることはなくって、丸刈りにされるのは、貴様のルールに抵触した者だけなんじゃないかって……だから、父も、貴様の頭部を愚弄したか、それか……」
「女子供には、大人の男の悩みはわからねぇよ」
「……」
「まして、父親の悩みが娘にわかるか。……まあ、逆もそうだろうがな。娘の悩みは父親にはわからねぇ。娘がなにを思い、なにを考えるかなんざ、父親の立場からは想像するしかねぇ。……だから、お互いの気づかいがすれ違うこともある」
「……バルドは、悪くないのか? 貴様が……バルドが父を裏切って、スキルポイントのために父の髪を狩ったんじゃ、ないのか? バルドは――」
「あいつは」
「……」
「ボシィ、お前のオヤジはな、ささいなストレスでいちいち胃を痛めるヤツだった。だからまあ、いずれきっと、ハゲてはいたんだろう。俺がなにもしなくてもな」
「……では、やはり……」
「それでも、俺が髪を狩ったことは事実だ。『俺がお前のオヤジをハゲにした』。それでいい。それだけで、いいんだよ。オヤジを丸刈りにされたことを恨むなら、俺を目指せ。俺を超えろ。深く考えるんじゃない。お前は――脳筋だろう?」
「……」
「じゃあな、ボシィ。次の街か村に着いたら手紙は出す。逃げはするが隠れはしねぇ。せいぜい精進して、俺を追い越せよ」
歩き出す。
すれ違いざまに、彼女の肩を叩き、歩き去る。
目指すのは新天地。
俺はそこで強さを隠し、俺をハゲだと舐めくさる連中の髪を狩って生きていくのだろう。
スローライフってやつだ。
野菜とか育てるんだろう。……クックック……ハッハッハ……ハァーハッハッハ! スローライフ! それを描けば思わず笑っちまう。自分の髪さえ生やせない俺が、野菜を生やそうだなんてな!
「バルド……おじさん……」
かすかな声が聞こえる。
けれど応じない。
沈みゆく夕日を目を細めて見つめながら、ただひたすら、前へ、前へ。
なぜ、振り返ってやらないのか?
振り返ると旅立ちを止めてしまいそうだから?
それとも『一緒に来い』と言ってしまいたくなりそうだから?
あるいは街で俺を見送ったフサフサどもの殺気が恐くて振り返れない?
どれも違う。
なぜなら俺は――まだ二十九歳。
ヤングなお兄さんだから、おじさんと呼ばれたって振り返らないだけなのさ。
ああ――夕日が、目に染みる。