4話 それは舞い散る頭髪のように
「バルドォッ!」
我が神アイネグラッツをおんぶしたところで、薄汚い宿の薄い扉が破られた。
入ってきた赤毛の少女はボシィだ。
俺は息を切らせてそこにたたずむ彼女に告げる。
「破った扉、弁償はお前がしろよ」
「た、大変なんだバルド! 冒険者ギルドで神様が暴れている!」
「なにッ!?」
報告とほぼ同時、頭の中に直接声が響く。
——ワーニング!
——クオイオキャプルトの街、冒険者ギルドで神が暴れ始めました!
——人類諸君に『暴れ神討伐』のクエストが発令されます!
——本日中に『剣神カペリ』を討伐してください!
人が神様の加護を受けて暮らすのを当たり前としてからというもの、人には様々な追加機能が生まれた。
この『頭の中に直接響く声』というのもその一つだそうだ。
寝てようが起きてようがデート中だろうがなんだろうが、どこかの神を信仰していれば大音量で頭の中に響くので、基本的には不評である。
しかしオフにできても困る。なぜなら——
「祭りじゃねーか! 街を離れる前でよかった!」
神から人へのクエストをこなすと、大量のスキルポイントがもらえるのだ。
俺はそんなことしなくてもそのへんのフサフサを二、三人ツルツルにすればだいたい神クエスト達成と同等のスキルポイントがもらえるのだけれど、俺の知らないところでフサフサどもに強くなられても困るので、神クエにはなるべく参加してフサフサどもの動向を見守るようにしている。
「なにしてるんだボシィ! こんなところで俺に報告する必要なんかなかっただろ! 行けよ! 俺に先んじて神を倒せ!」
「い、いや、それは、えっと……そう、不公平! 不公平だからな! 貴様を出し抜いて強くなり我が父の復讐を達成したところで、私の騎士道精神が満足しないのだ! 別に貴様を誘いに来たとかそういうのではないぞ!」
「その性格だと永遠に俺に勝てねぇぞ!」
俺は神様をおぶったまま走り出した。
その途中でボシィを突き飛ばしてしまったがまあ強い子なので大丈夫だろう。
というわけで冒険者ギルドに向かった。
マスターの安否も心配だしな。
◆
神クエストに釣られて集まったフサフサどもが、冒険者ギルドを取り囲むように人垣を作り出していた。
そこに混じってながめる景色はすさまじいものだった。
冒険者ギルドというのは石造りの建物だったはずだが、そこにはもはや瓦礫しかなかった。
併設された酒場はもう『酒場跡地』と言うべき惨憺たるありさまで、崩れた石塊や散乱した酒瓶、料理だったと思しき物体たちに混じって、フサフサどもが倒れている。
まあ、よくある光景だ。
神が暴れれば人が死ぬ。
しかし神のオモチャとなった人類は寿命以外で死んでも蘇生できる。
酒場に転がる死体どもの魂も、今ごろは『一回死ぬと一ポイントくれる神』をかたどった彫像あたりで談笑してることだろう。
だが、死体を見慣れた俺をしても、言葉を失うような、陰惨な光景がそこには広がっていた。
「ヒゲッ! このヒゲかぁ!? このヒゲが、この神様に『これ以上飲むな』とか言いやがったのかぁ!? ああん!?」
ブチブチブチィッ!
遠巻きに見守る俺のところまで響くような音を立てて——
マスターのヒゲが、引きちぎられている。
「ま、マスタァーッ!」
思わず叫んだ。
ドワーフゆえに小柄な、俺とおそろいの頭蓋骨をしたマスターは、ヒゲを引きちぎられるたび、痛みと絶望であえいでいた。
「や、やめろぉ……オイラの大事なヒゲ……ヒゲを……!」
「うるせぇんだよぉ! ヒゲをむしられるのがイヤなら酒を持ってこい酒をォン!」
ブチブチィッ!
マスターのフサフサだったヒゲがどんどんなくなっていく。
逆立ちして『ほら、こうするとフサフサみたいだな』というのが持ちネタだったマスターが、逆立ちしてもツルツルになってしまう。
俺は知らず、拳を握りしめていた。
腹の底から湧き上がる感情は、怒りだ。
ツルツル仲間であるマスターが、大勢の前であられもない陵辱を受けていることに対する、正義の怒りだった。
「神ィ!」
「ああん!?」
咆えれば、神は視線を俺に向けた。
そいつは炎のようにきらめく赤い髪をゆらめかせた男神だ。
身を包むのはこちらもきらめく赤い衣装で、見ていて目が痛いったらない。
均整のとれた鍛え上げられた肉体。野性味のある若い男の顔は、いかにも神という感じの過剰に美しい造形をしていた。
俺は背負っていたアイネグラッツ様を降ろして、腋に挟んでいた錫杖を抜く。
「それ以上マスターのヒゲをむしろうってんなら、俺が相手になる!」
「なんだァ、てめェ……?」
神、キレる。
酔っ払いはこのようにささいなことでわけもわからずキレるため厄介だ。
神は手のひらを空に向けてかざす。
すると、青空に巨大な虚が空いて、そこからなにかが降りてくる。
瞬間、頭の中に声が響き渡った。
——アテンション!
——剣神カペリが戦闘体制に移行しました!
——人類諸君への加護を発動します!
——加護名【瞬間蘇生】!
——人類諸君の蘇生にかかる時間を大幅に短縮します!
『普段からずっとかけててほしい』と大評判の神の加護だ。
実際、常にかけ続けることは可能なのかもしれないが、神様は俺たちで遊んでいる節があるので、そういう大サービスはなかなかしてくれない。
神はこのように人類をもてあそぶために人類種に様々な仕掛けをほどこしているが、基本的には秩序を好む。
なので暴れて人類の秩序を乱す神が出てくると、他の良識ある神々はこれをお祭り騒ぎにしてうやむやにしようとするのだ。
そして人類はたやすくその誘導に乗っかる。
すべては神のくださるスキルポイントのために!
俺たちの体に黄金のオーラがまとわりつく。
これでいくら死んでもその場で蘇生できるようになった。
一方で剣神カペリは抜刀を終えていた。
空からゆったりと降りてきた彼の剣は、身の丈の八倍はありそうなほど巨大で、炎のようにゆらめく刀身を持つ両刃の剣であった。
「ゴミどもがァッ! いいか、よく聞けェッ! 飲み過ぎかどうかは、俺様自身が判断できるんだ! それをよォォォッ! 横からさァァァァッ! 『飲み過ぎじゃありませんか?』とかよォォォ! うるせぇぇぇぇんだよぉぉぉぉぉ! 前後不覚になるほど飲みたい日もあるんだよォォォォォ! テメェら人類に神様の気持ちがわかるかぁ!? 結婚を考えてた彼女が三股かけてて、しかも俺様が三番目だったっていう気持ちがさぁぁぁ!」
フサフサどもの中には今の話を聞いて戦意をなえさせたものがいた。
人垣のそこここから「あ、それは、その……」「えっと、ご心痛お察しします……」「それは飲みたいッスね……」まずい、さざなみのように広がる同情のせいでフサフサどもの士気がぐんぐん落ちてきている。なんとかしないと酔っ払いに蹂躙されるだけになってしまう。
しょうがねぇ。
俺は一歩前へ出て、錫杖の先を三股の三番目、剣神カペリに突きつけた。
「それは、マスターのヒゲを引きちぎっていい理由にはなってねぇだろうが!」
「あぁん!?」
「あんたは失恋した! ひどい裏切りを受けた! それは事実かもしれねぇ。けどな、三股かけられてたのも、結婚を考えるようになった段階で相手の浮気に気付けなかったのも、マスターは関係ないだろうが!」
「うるせぇ! 俺様は傷心なんだぞ!? 恋愛が心につける傷の深さがテメェにわかんのかよこのハゲェッ!」
「黙れこの恋愛脳め! いいか、恋が理由なら行動のすべてが許されるとか思ってんじゃねぇよ! いや、たとえ失恋が免罪の理由になろうが! テメェはそれでもやっちゃいけないことをしたんだ!」
「ああん!?」
「ハゲに残ったアゴの毛の価値を、テメェはわかってねぇ! ハゲのマスターがヒゲまでそられたら、もう眉毛しか残らねぇだろうがッ!」
「……」
「マスターはなぁ……! ヒゲを大事にしてたんだよ! 俺にはわかる。マスターは、髪の毛がなくなったことを心の底では悔やんでいた……明るく、気にしてないように振る舞いつつ、気にしてたんだ! そのマスターが大事にしてたヒゲまで奪うなんて、人の……いや、神にだって許される所業じゃねぇ! ——悪徳、許すまじ。むしられたマスターのヒゲと同じ量だけテメェの髪の毛むしって愉快な髪型にしてやるぜ! 行くぞ野郎ども!」
俺は片手に錫杖、片手に罵罹患を持って突進した。
あとからフサフサどもが雄叫びをあげつつついてくる。よし、士気の高揚には成功した。
「この人類どもがァァァァ! 俺様に酒を持ってこねぇなら、アルコールの代わりにテメェらの血と臓物で失恋の傷心を埋めてやるぜ!」
神が巨大剣を奮う。
こうして人対神の戦いが始まった……




