死闘と影
矮小な人間とでも言いたげな、オオカミに僕はようやく一撃を入れた。
それは膠着してからおよそ一時間近く経過した後だ。
高速化する戦闘に、僕自身何をやっているか分からなくなっている。
「前方、木!」
ただそんなよく分からない状態でも、グラとニールの的確な指示はしっかり届いている。
奪った加速スキルをニールの能力で強化して、ようやく僕とヤツの速度は同じくらい。
「……ホワイトウルフ、反転して斬撃! アル様、跳んで!」
厄介なのが、風を纏うこの攻撃。
鋭利かつ、不可視なので神経を擦り減らすことこの上ない。
上手く木で斬撃から身を守ると、すぐさま打って出る。
ニールが前脚を掠めた。
「ガァアアッッ!」
怒る咆哮は森を抜ける。
地は揺れ、咆哮を受けた木はゆっくりと折れていく。
「せッ……らっ!」
入れ替わり立ち代わり、僕の剣はようやく肉薄していた。
今度は剣が鼻先を掠めた。
だが、狼もそのまま追撃を許すほど優しくはない。
長い尾をバネのように使い、距離を保たれる。
「アル様、まだ追いかけられるのですか? 加速のスキルも、跳躍のスキルもこの戦いで大きくランクアップしました。今なら逃げ切れるかもしれませんよ!」
「それじゃあダメだ。意味がない!」
僕が剣を振るっているのか、剣が僕を操っているのか、もはやそれすらも曖昧だ。
だけど、逃げたくない。
例えばそれが、今はまだ敵わない敵だとしても。
「う、あ」
爪の一閃が、僕の足を切り裂いた。
痛みに顔を歪めるが、無理矢理ポシェットのポーションでカバーする。
「なら、上よ! アルくん、アイツよりも上に陣取りなさい」
跳躍と加速で坂を登り、狼より高い位置に。
「……!」
幾度も繰り返される風の刃の斬りつけを、グラとニールで弾く。
剣は甲高く音を響かせ、狼の乱撃をねじ伏せていく。
弾かれた風の刃は、木々をへし折り僕の視界を塞いだ。
「頭の回る犬っころだこと! 上!」
まるで人と対峙しているような感覚に陥りそうになりながら、僕は必死に狼の気配を感じ取ろうとする。
策、なんて言ってた頃が最早懐かしい。
既に反射的に動いているのだから、全く笑えなかった。
「跳ぶしか」
跳んで僅か数秒、空に浮いた僕を狼が捉えた。
ギラリと光った眼光。
狙われていたのだと、ここで気付く。
「しま、っ」
空いた脇腹に、尾の一撃がモロに入った。
肺の空気が一瞬で押し出され、身体の力も同時に抜ける。
不恰好に吹き飛ばされながらも、剣を地面に叩きつけ速度を殺した。
「追撃来ます!」
「アルくん、急いで!」
足に力を入れて強引に身体を起こす。
全身は酸素を求めていたが、僕は無視して鞭を打つ。
予測した前脚での一撃に備えて、剣を構えるが、
「しめた、ブレたぞ」
狼からしても、僕からしても些細なズレだ。
僕が起き上がらないと思ったのか、思ったより跳びすぎたのか、何にせよ少し先に前脚を落とした。
思いがけず背後をとった。
「ここしかない!」
ヤツが振り向くより速く。
態勢を立て直すより速く。
金の剣を左の後ろ足に、銀の剣を右の後ろ足に。
「せえええええええ!!」
ありったけの力で叩きつける。
——ズブリ。
骨ごと切り裂く一撃が入った。
「ガ、ガォオオオオオオ!」
痛みから大きく吠える狼。
僕はそれを見逃さず、股ぐらをすり抜け、その柔らかい腹にトドメを入れた。
生温い血が、剣を伝って僕の頬に垂れる。
ふらふらと、狼は最後に身体を動かして、バタリと横たわったのだった。
「やりましたね、アル様! ……アル様!?」
「大金星ねアルくん。よくぞ、って、ちょっと! 大丈夫なの、アルくん!?」
ふらりと、視界が暗く狭くなっていく。
ああ、倒れるんだな。
そんな感想と供に、僕は剣を握りしめたまま、ゆっくりと地面に仰向けになるのだった。
「しま、私も繋がってるから、意識が」
「わたひも急に、……おねむ、なのです」
☆
「雑だが光るモノがあるね」
「ロキ様が欲しがる理由も分からなくはないじゃん」
「お前ら、ぼけっとしてないでさっさと助けないか! あのままだとモンスターのいい餌だ」
そんな生まれたての英雄を見て、呟く三人がいた。
一人は耳を尖らせた、美しきエルフの女性。
一人は槍を構えた、豪快そうな髭の生えた男性。
一人は短剣を携えた、まだ若き人間の女性。
三人は木から降りて、ゆっくりと倒れた少年に近づいていく。
「にしても、アル=トールくんか。随分と若いな」
「ちくしょー、上手く手柄取られたじゃん。これもアネンサが森林浴とかやってるからじゃん」
「わ、私のせいにするのか? それもこれも、私から勝手に離れて迷子になるお前らの、もう! 持つ気もないのか!」
ぶつくさと文句を言いながら、エルフの女性はひょいと少年を担ぎ上げる。
「……ともかく、だ。この子は予定通り今のうちに唾をつけておく。異論はないな」
「異議なしじゃん」
「槍、使わせないとな!」
そう言いながら、あっという間に三人は森を抜けるのだった。