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時間は飛んで翌日の放課後。
さっそうと教室から消えていく柏木を見送ってから、俺も同じように教室を後にする。
リンの様子が気になったが、目が合ったら釘を差されかねないため、視線すら向けずに教室から離脱した。願わくば、そこからリンと遭遇しないで欲しい。
立田川は今日も欠席だった。
教師の反応も変わらない。
学校を出た俺は、昨日と同じく自宅とは別方向へと歩みを進める。決意したように、今日も立田川の家へと向かう。
田園風景を眺めつつ、舗装されていない山を登る。
道はわかっているため、あまり時間がかかったような感覚もなく、立田川の家の門までやってきた。
今日もインターホンを押してやろうと思ったが、どうせ門前払いだろうから止めておく。
門の横のスペースは今日も健在で、簡単に潜り込むことができそうだ。
……あ、着替えを持ってくるの忘れた。
土で汚れることをわかっていながらその対策を怠るとは不覚だった。
ちなみに、昨日は母親に汚れたワイシャツを見せたところ「小学生じゃないんだから」と叱られてしまった。
昨日の今日でまた汚したらどう怒られるかわかったもんじゃない。だからといって、着替えを取りに家に戻るわけにもいかまい。
まあ、しかたない。
「このまま突入するか!」
昨日と同じように門と山肌のスペースに身体をねじ込む。コツがだいたい分かってきたため、昨日よりもすんなりと向こう側へと侵入することが出来た。と思う。
完全に不法侵入である。
だが、それでも俺はあの竜に何度も会って、心を開かせたかった。
門の中の、整備された石畳のスロープを進んで広い草原に出る。
その後は道なりに進んで社に行くまでだ。
「さて、このへんかな」
社が見えてきた。その裏の建物に竜がいるはずだ。
立派な社の側で石畳の道を外れて、裏の建物を目指す。
壁のない建物に……おや?
紫色の竜が寝ているだろうと思ったら、そんなことはなかった。
今日はあのでかい図体が丸くなっておらず、起き上がっていた。
大きな翼は広がっていて、太い尻尾は機嫌がいいのかブンブンと振っている。
長い首は地面の方を見ており、その顔の先、何がいるのだろうと視線を向けてみる。
人間がいた。しかも女子。石畳に座り込んで竜に向かって笑いかけている。そして俺はその女子を知っている。
セーラー服で、長いポニーテール。とくればもう誰だなんて言うまでもなかろう。
社を通り過ぎれば竜の建物の周囲は遮るものが無く、隠れる場所なんて無い。静かに近づいても何をしてもすぐにバレる。
そのまま静かに踵を返せば何事もないはずだ。だが、昨日竜にあんな啖呵を切った手前、そのまま退散することもしたくなかった。それに、アイツがなんでここにいるのかそれも気になった。
だからこそ、俺は一瞬止めた足をそのまま進める。
この広い空間には俺と竜とアイツしかいないわけで、歩いていれば物音の一つくらい立ってしまう。
その気配で、紫色の竜とアイツが俺の存在に気が付き顔を向ける。
「え……嘘?」
この場にいた人間――リンは信じられないと言わんばかりに目を見開いて口をパクパク震えさせている。
竜は俺の存在に気が付いた途端、身体を丸め込んでしまった。
「よう」
俺は悪びれる素振りも見せず、手を上げて気さくな挨拶をする。
「……タマキ」
「はい?」
呼ばれた。
リンが顔をうつむかせて立ち上がる。俺は反射的に立ち止まって、身構えてしまった。これはヤバイと全身が訴える。
リンがスカートの裾を整えていたと思った次の瞬間にはフッと姿を消した。
どこに行った?
首を回して、その姿を探そうとしたその時だ、
「死ね」
「――ッ!?」
目前に眉間にしわを寄せたリンの顔が現れ、視界が大きく揺れた。それと同時に腹へ強い衝撃を受けた感覚が脳に伝わり、リンの蹴りが炸裂したことに気がつく。
「ガハァ!?」
肺から空気が全て吐き出される声が漏れて、ゆっくり視界が地面に近づく。
そして、ドサリと地面に全身が叩きつけられた。
「グッ……うッ……」
息が吸えない。
あまりの苦痛に目頭に涙が溜まる。
ザッと、リンが側にいる音が耳に届く。
呼吸もままならぬままに見上げると、腰に手を当て仁王立ちしているリンの姿が目に入る。
スカートの中が見えてしまっているが、幼馴染だからなぁ……。
「なんでアンタがここいるのよ?」
あ、怒ってる。殺される。
まだうまく息を吸えないのだが、なんとか肺に酸素を取り入れる。
「えー…………道に迷っ――」
「嘘つけ」
「あ、ハイ」
そりゃ誤魔化せませんよねー。
「どうすればここまで迷い込めるのよ」
「ですよねー」
呼吸が少しずつ整い、苦しさも少しずつ弱まってきた。
「で、なんでアンタがここにいるの? 次ふざけたら殺す」
殺すとか女子高校生が使う言葉じゃないだろ。
「……なんというか、立田川の様子が気になってここまで来たんだ」
おや、丸くなっている竜が一瞬だけピクリと反応したような。立田川に反応してるのか?
「で、リンはどうしてここにいるんだ?」
「うッ……」
俺が一方的に責められるのはシャクなので、カウンターだ!
思ったよりもリンも言葉に困ってるじゃないか。
呼吸が正常になったため、ゆっくりと立ち上がる。
身体についた葉っぱや土をはたく。
よく見れば、リンも土で汚れているようだった。特に胸のあたりが……といったら、また蹴りが飛んできそうだ。
「わ、私は、休んでる流子にプリントを持っていくついでに様子を……」
なんてことを言いながら声が少しずつ小さくなり、消えていく。視線も逸している。
「そうか……にしても、土で汚れてるみたいだが?」
「うッ……うるさいわね! 転んだだけよ」
「さいですか」
少なくとも、こんなところで油を売ってる場合ではないと思うんだが。
「なら、なんでその竜と一緒になってるんだ? というか、お前は竜の存在を知っていたのか?」
「えっと……」
「ここに来たら殺すなんて言ってたのは、コイツを見られたくなかったからか?」
俺は竜に指をさす。
リンはうねりながら、視線を彷徨わせる。指を組んではクルクル回したりしている。
「そ、そうよ。だって、竜だなんて伝説の生き物でしょ? 存在が知られたらどれだけ大きなことになるだろうか」
リンは俺に背を向けて、竜の元まで駆け寄る。そして、その紫色の肌を優しくなでている。
「……それに、この子、ほとんどの人に心を開かないから」
リンは竜の肌をジッと見つめながら目を細める。
大きな巨体だから、リンは空を見上げるかのように顔を上げる。
太陽の光がオレンジに色に変わり、竜とリンに注ぐ。リンの髪が、竜の鱗が、夕日の光でオレンジに染まる。
……綺麗だった。
ただただ美しかった。幼馴染であれど、竜と女子のツーショットがただただ綺麗だった。
「なら、もっと心を開いてくれるといいな。俺は思う」
「どうしてよ」
俺の言葉に不満そうに、リンは答える。
「コイツはもっと人々に知られるべきだ。身体は大きいかもしれない。でも、凶暴でもなんでもない」
「それはどう関係するのよ」
「コイツはたくさんの人と仲良くできる。そう言ってるんだ。そのために、いろんな人に心を開いてくれるようにして欲しい。だって、ここは竜の住む街――」
「――馬鹿じゃないの?」
俺の意見を断ち切って、リンが叫ぶ。
一段高いところにいるリンが、俺を見下ろして叫ぶ。
「俺は馬鹿じゃない! 竜の住む街に竜は実際にいる。この街の人だって、受け入れてくれるし、注目もされる」
「それを馬鹿って言っているの。竜の住む街なんて、それは飾りでしょ?」
リンは竜から離れて、俺の元までやってくるやいなや、胸ぐらをつかんできた。
「言ってしまえば鬼がいる街とか、座敷わらしがいる宿とか、そういうレベルでしょ? 本当はいないのはわかってるけど、そういうことにしているだけ。竜が本当にいるなんて知られたら、この子はどうなると思ってるの?」
「……じゃあ、リンはずっとこの竜をここに隠していたいのかよ!」
「そうよ! この子はここにいて静かにしていたほうが幸せなの」
もう、お互いに組み合って、力を入れあっている。男女、幼馴染、関係ない。お互いの意見のぶつけ合いだ。
今にも取っ組み合いが起きそうになっていた、その時。
「グオァァァァァァ!!」
「――ッ!?」
「な――!?」
地面が響いて揺れる。
竜が吠えている。
空に向かって、アルトのような、テノールのような美しくも力強い遠吠えが地面を揺らす。
お互いにバランスを崩して、離れる。
なんとか二人とも転びこそしなかったものの、何が起きたのか頭で理解がすぐにはできなかった。
地面を確かに踏みしめて、
「リン、大丈夫か?」
「……私は大丈夫よ、伊達に鍛えてないし」
シュッシュと蹴りで空を切っている。
リンは元気だ。
それよりも。
「……すごいな」
竜の圧倒的な存在感。
起き上がって、四つの足でしっかりと地面に立って、こちらを見下ろしている。
黙って、ジッと俺たちを見ている。
「やっぱり、お前はすごいな」
「グゥ……」
きっと、俺たちが熱くなっていたのを止めたかったのだ。
とても優しくもあった。
「……ごめん、タマキ。少し熱くなってた」
「俺も、強引すぎた」
俺は石畳のステップに腰を下ろす。
その様子を見て、竜は静かに再び丸くなった。
竜の様子を見てから、リンも俺の少し横に腰を下ろした。
竜はあんな態度だけど、話はちゃんと聞いていてくれてたんだな。
「で、タマキ」
「ん、何だ?」
膝を立てて、顔だけ俺の方に向けるリン。
「アンタ、あの子を表立たせたいって本気なの?」
「え? そりゃ、本気だろう。ここにずっといるんじゃ、もったいないって思うんだ」
「……そっか」
先ほどとは違い、随分とあっさりとした返答だ。
「じゃあ、もし、あの子が悪い竜になっちゃったとしたら、タマキはどうする?」
「そんな決まってるだろ。絶対に止める。悪いことは悪いと言って、正しいことを教えるだけか」
「そう……安心した」
満足気に、はにかんでいるリン。
座った姿勢から飛ぶように立ち上がり、両腕を広げて天を仰いでいる。
まるで風を受け止めるかのように、髪や制服が揺れている。
「何が安心したんだよ」
「……毎日ここに来てもいいわよ」
「は?」
なんでリンがその許可を出すんだ?
「さっきまで俺を殺す勢いだったのに、ころっと変わりやがって。なんで立田川の家なのに、お前が許可出すんだよ」
本当にい見がわからない。
「いいの。流子の親友なんだから」
「その理屈もわからん」
「……じゃあ、聞いてみればいいんじゃない?」
「誰にだよ」
リンはバッと石畳に駆け上がって、竜にタッチする。
そのタッチに反応するかのように、首だけ動かしてこちらを見る竜。
「タマキもここにいていいよね?」
そして、リンは竜にそう尋ねる。
「グゥ……」
その質問に竜は、首をそっと縦に振った……ような気がした。
「タマキ、いいってよ。良かったわね」
この竜は立田川の家の関係者なのか? 許可が降りたってことでいいのか?
まあ、少なくとも明日からも、リンやこの竜を気にすること無く、ここに来ることができるようになったようである。




