- 15 -
……我ながらこっ恥ずかしい願いを口にしてしまったと思う。
あまりに恥ずかしくなって、一歩後ろに下がろうとする、が。
「ぬおッ!?」
石の段差であることを忘れて、足が引っかかってバランスを崩す。
まともに受け身を取れずに、身体の背面、後頭部を叩きつける。
「痛ってぇ……」
格好つけようとした結果がこれだった。
「だ、大丈夫!?」
立田川はすぐに立ち上がって寄ってきてくれた。寄ってきてくれたのは嬉しいけど、俺は思い切り見上げることになる。
ぬぅ、俺には刺激が強い。
「だ、大丈夫だ!」
様々な照れを隠すかのように、痛む身体に鞭打って、跳ねるように立ち上がる。
その反動を利用してドスンと石の段に座るが、尻から衝撃が全身に伝わり、更に痛む結果となった。
これ以上、格好悪いところは見せられないと全力で我慢をするが、どうしても顔がゆがむのは仕方ない。
立田川は俺のことをチラチラ心配そうに見つめてくるが、先程座っていたところまで戻ってくれた。
「俺のことはともかく……俺の願いはどうかな?」
「え、と、ちゃんと星まで届いたのかな?」
「うーん、一回しか言ってないから、届かないかも知れないなぁ」
「夢、無いね」
「立田川が言うことか!?」
月明かりに照らされて、薄暗いけど真っ暗ではないこの空間。
確かにそこには立田川がいて、俺がいて、二人で楽しく会話をしている。
だが、そんな楽しい時間もずっと続くわけではない。
流石に夜中まで家を出ている訳にはいかないのだ。家族が心配する。
夜も更けてきてしまったし、帰らないといけない時間だ。
「よいしょっと」
俺は立ち上がって、立田川の正面に立つ。
「俺はそろそろ帰るよ」
「あ、うん……」
立田川は引き止めるでもなく、まとっている俺の上着をそっと脱ぎ始めた。
「っと、いいよ。寒かったら困るだろ? 今度会った時に返してもらえればいいよ」
それに俺の目のやり場に困る。
「でも……」
「いいから」
「うん……わかった」
意地でも、と言わんばかりに脱ごうとしてた立田川がようやく諦めてくれた。
やれやれ。
「最後にさ、一つ教えて欲しいことがあるんだけど」
「……なに?」
「なんで立田川はこの時期になると学校を休むんだ? 中学の時からずっとそうだったから、気になってたんだ」
「……」
ギュッと、立田川は自分の身体を抱いて、顔を埋める。
俺は急かすわけでもなく、立田川が顔を上げるまで待つ。
そして、
「……ごめん、まだ言えないかな」
「そっか、わかった」
それなら、言える時になるまで待てばいい。
気になるといえば気になるけど、無理して聞くことはできない。
「ねぇ、珠希くん。わたしからも、一つ、いい?」
「ん、何だ?」
「あのね……もしも、竜が悪い子で、珠希くんにひどいことをしようとしたらどうする?」
「そりゃ、決まってるだろう」
前にリンに答えたそれと全く変わることはない。
「悪いことは悪いと教える。アイツにはそんくらいの知能はあるはずで、アイツはいいやつだ。だから、俺の目の黒いうちは、ダメなことはダメと教えてやる。何度だってな」
「……優しいね、珠希くんは」
ニコニコしている立田川。
そんな答えで良かったんだろうか。
「優しいのかな、俺って」
「そうだよ、きっと。だから、わたしは珠希くんのそういうところ、好きだよ」
「好き……って、どの?」
と尋ね返すと、不思議そうな表情をする立田川。
「好きは、好きだけど」
「そ、そっか……」
正直、意図がつかめなかった。
でも、好意を向けてくれているということは理解できた。
純粋な好きなんだろう。
でも、なんか照れくさい。
「どうしたの? 珠希くん」
「いやいや、なんでもないさ」
動揺はどうしても隠せないし、嘘をつけるほど俺は器用ではない。
「あ、もう一個、聞いていい?」
「ああ、どうぞ」
急に立田川は真面目な顔をした。俺も、それにつられて向き直す。
それはまるで決意を固めたようで、聞きにくい事を口にするかのような口調で、
――竜が人間になったとしたらどう思う?
冗談みたいな質問だった。
でも、立田川の真面目な質問だ。俺も相応の返しをしないとならない。
「どんな姿でも関係ないだろ?」
「へ?」
面をくらったように、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「竜の姿だろうが、人の姿だろうが、アイツはアイツに変わりはしないだろ? まあ、急に姿が変わったらびっくりするかもしれないけど、その時だけだ。よっぽど、人の姿の方がコミュニケーション取りやすいかもな」
こんなところか。
姿がわかっても、心は変わらない。
俺はそう信じてる。
昔なじみの人間だってそうだ。急に髪を染めて外見が変わってしまったとしても、そいつのことをよく知っていれば、以前のそいつと何ら変わらないことにすぐ気がつくことができる。
外見が変わるから、最初はびっくりするだろうけど、最初だけだ。
徐々に慣れていく。慣れていけばいい。
「……うん、ありがとう」
ボソリとつぶやくようなお礼の声だった。
「お礼を言われるようなことだったか?」
「竜のことを認めてくれてると思ったから、かな」
照れくさそうに、小さな声だったけど、確かにそれは立田川の声で。
「もっと、竜の存在を認めてくれる人が増えるといいな。俺はそう思う」
「……」
「まあ、今度会った時に、答えを教えてくれよ。立田川のさ」
「……うん」
俺はもう一度だけ立田川の顔を見てから、クルッと背を向ける。
「今度こそ俺は帰るよ。今日、立田川に会えて良かったよ」
手を上げて、歩き出す。
これからこの建物を離れて、山を下るのだ。
「じゃあ、立田川。また、学校……で?」
数歩進んで、別れの挨拶をと思ったところで、後ろからドスッと突き飛ばされるような衝撃を感じた。
でも、そんな力は入っておらず、身体がよろめいたが転倒するほどではなかった。
その衝撃と同時に、腰の辺りにギュッと圧迫感があり、腹の辺りを見ると細くて白い腕がそこにはあった。
背中には柔らかい感触が俺を包み込むようだった。
正体は考えるまでもなかった。
「突然、どうしたんだよ、立田川」
抱きつかれているため、振り向く事はできないが、立田川の体温がしっかりと俺に伝わってくる。何しろ、俺の上着一枚しか着ていないのだから、なおさらだ。
顔も俺の背中にピッタリくっついているのか、息遣いも背中を通して伝わってくる。
「珠希くんは、わたしがどうなっても、どんな時でも、今日みたいに接してくれる?」
こもった声だが、周辺は静かなので、しっかりと俺の耳まで届いていた。
声は震えているし、今にも泣きそうな声で、俺はやれやれ心配症だな、と小さなため息が出た。
「……ったく、そんな俺が信用出来ないか?」
本当は立田川の顔を見たいが、今は無理そうだ。
ずっと彼女は身体を密着させて、離そうとしていない。無理に引き剥がそうとも思わないし、したくなかった。
「どんなに変わっても、立田川は立田川だろう? さっきも言ったけどさ、竜は竜、お前はお前だ。どんなことがあっても、俺は立田川に対して接し方が変わるなんて、そんなことはしないさ」
腰にかかっていた力が弱くなった。
「もし、急に変わったらびっくりしちゃうかもだけど、その時は許して欲しい。その後は、いつも通りに今日みたいに色々話したい。それでいいか?」
今度はスッと、背中が涼しくなった。
振り返ると、立田川は泣いていて、確かにそこに立っていた。
「……ありがとう」
何度俺は感謝されるんだ。
「待ってるから、珠希くんを」
「え?」
「あっ……あの竜がね」
立田川が目元を拭って、ニコッとしていた。
「じゃあ、立田川は?」
「わたしはまだ……もうしばらく学校に行けそうにないから」
「そっか、じゃあ風邪ひくなよ」
「うん」
胸に手を当てて、微笑んでいる立田川のその姿を、俺は脳裏に焼き付ける。
きっと立田川も人には言えない秘密があるのだろう。
誰にでもある秘密が。
俺は詮索をそれ以上せずに、今度こそ、立田川に別れを告げた。
そのうち、また何事もなく立田川は学校に登校してくる。
その時は、今度は、これからはちゃんと声をかけてやるんだ。
彼女のその笑ってる顔を、また見たいから。




