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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
5♦リュキアの小人

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23/23

5-5

 銃口が、ミアに照準を合わせて向けられる。それが意味することをぼんやりと考えた。


「ミアを撃たれたくなかったら爆破を止めるんだ」


 感情の読み取りにくいリーンハルトの声。それを意識して発しているように思えた。

 最初から、リーンハルトは味方とは言えないとユリアンが言ったのだ。

 それをミアは信じたくなかった。だから信じなかった。彼に撃たれるとしたら自業自得だろうか。

 すると、ユリアンは甲高い声を立てて笑った。その声にぞくりと肌が粟立つ。


「ほらね、ミア、言った通りだろう?」


 ミアの味方はクラインだけ。

 言った通りだというのなら、そうかも知れない。

 悲しいのかどうかもわからない。


 ミアはただじっとリーンハルトを見つめた。自分がどうしたいのか、それを考える。リーンハルトを信じた結果がこれだとしても、今、後悔をしているわけではない。

 ミアはリーンハルトに一歩近づいた。


「動かないでくれ」


 そう言ったリーンハルトが苦しげで、この時になってようやく、彼が背負っているものの大きさに気づけた気がした。


「いいよ、撃って」

「ミア!」


 苛立たしげにリーンハルトがかぶりを振る。けれど、ミアは挑発しているわけではない。本気でリーンハルトになら撃たれてもいいと思うだけだ。

 獰猛なキメラに切り裂かれ、恐ろしい思いをして死んで行ったエーディトたちのことを思えば、優しいリーンハルトに撃たれることがそれほど悪い死に方ではないような気がした。優しく、苦しまずに死なせてくれると思うから。

 どうせいつか死ぬのなら、それが今でもいいような気になった。

 これ以上、クラインに人を殺してまで護ってほしくはないだけなのかも知れない。


 一歩、また一歩。ミアはリーンハルトに歩み寄る。むしろ、リーンハルトの方がじりじりと壁際まで後退した。手を伸ばし、拳銃を握る手に自らの手を添え、ミアは銃口を自分の胸に押し当てた。引き金にかかったままのリーンハルトの指に触れると、リーンハルトは弾かれたようにミアの手を振り払った。

 ぼそり、とユリアンの声がする。


「できもしないくせに」

「――っ!」


 撃てないというのか。

 それなら、敵でありたいとは思わないというリーンハルトの言葉もまた嘘ではない。

 ミアが信じたことは誤りではない。それで十分だった。

 それならば、もう少し生きていようと思う。

 ミアはひとつ息をつくと、ユリアンに向けて口を開いた。


「あたしはあなたに護ってほしくない。だから、もう終わり。ねえ、あなたは本当は何を願ったの?」


 小さな体はコンピューターの陰になり、ミアたちからは見えなかった。けれど、彼が身じろぎしたのを感じた。それでもミアは続けた。


「みんな死ねばいいと思った? そんなに世の中が憎かった?」


 研究者の勝手で作り出された命。けれど、それはユリアンが望んだことではない。フラスコの中から見た世界は、壊してもいいと思えるほどに歪んで見えたのだろうか。

 すると、ユリアンは小さくつぶやいた。


「いや、憎いなんて思ったことはないよ」

「じゃあ、なんで……!」

「ミアを護るためだよ。……でもね、ミアにも僕の気持ちはきっと理解できないと思う」


 答えのようで、答えではない。

 すると、リーンハルトは拳銃をホルスターにしまった。そうして、そっとミアの両肩に手を添えた。それだけで、ささくれた心がほんの少しの落ち着きを取り戻した気がした。


「……すべてをるホムンクルス。だから君は『特別』を作った。それが君のルールなのか」


 リーンハルトのその一言が部屋の流れを変えた。ミアにはそれを感じ取ることができた。

 ユリアンは無言のままそれを受け止める。そうして、ほんの少しの間を置いて返した。その声には驚きの色が僅かながらに感じられる。


「そうか。君はもしかすると僕に近いのかも知れないね」

「僕はただの人間だ。すべてをることはない」

「それは羨ましい限りだ」


 その一言がユリアンの本音であったのだろうか。どこか穏やかですらある。

 きょうだいであるとするミアにもわからないユリアンの心。

 リーンハルトは何を感じ取ったのだろう。

 フ、と小さく息を吐くと、リーンハルトは突然ミアの手を取った。ミアが戸惑うのも構わず、リーンハルトはユリアンに向けて言うのだった。


「じゃあ、こうしよう。これから、僕は君に代わって島の外でミアを護る。君とは違う、僕のやり方でだ。だから、君のルールは終了だ」


 握られた手に力がこもる。リーンハルトの瞳は真剣だった。


「ミア、いいね?」


 その勢いに飲まれるようにしてミアはうなずいた。


「う、うん」


 リーンハルトはユリアンの方に向け、はっきりとした言葉で言った。


「これでセントラル・ビルディングを爆破する理由もなくなったはずだ」


 そうなのだろうか。そうしたものなのだろうか。

 ユリアンは声を立てて笑った。


「いいのかい? リーンハルト・グレーデン。ミアを護るということは、君の地位を捨てることになる」


 ミアがとっさにリーンハルトを見ると彼は苦笑した。


「さっきは否定したけれど、やっぱり僕にも君に近いものがあるのかも知れない。未練はないよ。……そう言えば伝わるかな?」

「そうか。それなら僕はもう何も言わない」


 シャ、と軽い音がしてコントロールルームの扉が開いた。


「裏手の倉庫に燃料タンクがある。持って行くといい」

「そうさせてもらう」


 リーンハルトはミアの手を引いた。ミアはその手をすり抜け、ユリアンのもとへ駆けつける。ユリアンは座ったまま、パネルの明かりに照らされ、ぼうっとミアを見上げた。そうして、にこりと微笑んだ。


「さよなら、ミア」


 フラスコの中の孤独なホムンクルス。それはフラスコの外でも変わらなかった。

 孤独なユリアン。

 けれど、彼は孤独な自分を憐れんだりはしていないのだろう。

 それでもミアは小さなきょうだいを抱き締めた。


「忘れないで、ユリアン」


 ぬくもりも鼓動も、人のそれとは変わりない。もっと早くにこうすることができていたらよかったのだ。

 そうしたら、少なくともミアはユリアンに何かを与えられていたかも知れない。


「忘れない」


 ユリアンはそう返してくれた。

 それは、初めてミアの願いを叶えてくれた言葉であった。指先が離れる最後の瞬間まで、ミアはユリアンの瞳を見つめていた。




 二人の足音が遠のいて行く。ユリアンは椅子の背もたれに身を預け、クスリと笑った。

 あの日――フラスコの中からミアの誕生を見守っていた。生まれるのは自分のきょうだいなのだと。

 父は、子がほしかったわけではない。研究のためのモルモットがほしかったのだ。それでも、産まれた子供の髪は父によく似ていた。


 その時、ユリアンの知識はすでに父を上回っていた。父はあまりに愚かだった。

 だから、父の研究を論破し、絶望を与えて自死するように仕向けた。

 そうして、フラスコの中からきょうだいを見守る。けれど、使用人だったきょうだいの母親が、きょうだいを連れて館を出て行った。セントラルにきょうだいは預けられ、研究に使われた。きょうだいの母親は口が利けず、文字も知らない。預けられたというよりも、子を奪われて母親は捨てられた。さまよううち、キメラの腹に収まった。


 あの頃、ユリアンはまだフラスコの中にいた。フラスコの中は居心地が悪くはなかった。けれど、できないことが多すぎる。ユリアンは仕方なくフラスコの外へ出た。

 すべてをるユリアンに、フラスコの外の世界はあまりに味気なかった。答えを知る謎解きに人が熱中できないように、世界はつまらないものであった。


 だからユリアンはつまらない世界にルールを作った。

 ユリアンはきょうだいを護る。

 それがただひとつの、ユリアンが自ら架した枷なのだ。

 人のように情で繋がるのではない。これはそうした遊び(・・)なのだ。


 夢の中に呼びかける。忘れるな、と。

 けれど、きょうだい――ミアがいる施設は人のキメラを作り出す場。記憶は常に消され、塗り替えられる。

 施術がひと段落した頃、偽りの情報を与えられたミアに夢という形で自分の存在の影をちらつかせた。

 ミアは他のキメラとは違う。血を分けた存在である。その遺伝子や潜在意識をきょうだいであるユリアンが操作するのはそう難しいことではなかった。


 ユリアンは陰ながらミアを見守った。父に成りすまし論文を書き、館にこもって研究をつづけている振りをした。現実でミアに再会できたのは、エンリヒ・バルツァーの就任後だ。ミアがエリアBの担当になる結果をコンピューターがはじき出すように細工した。


 手元に繋ぎ止めておくのではない。あくまで見守るのだ。時には少しのズレを生じ、ミアが思うように動かないこともある。けれどそれがユリアンには楽しかった。予測のつかない動きをしてくれた時ほど、胸の高鳴りを覚える。

 ミアがそれを与えてくれる。平坦なユリアンの世界を変えてくれる。


 思い通りに行かないこと。

 それがどんなにワクワクすることなのか、きっと誰にも理解できないのだろうと思う。


「忘れないよ、ミア――」


 ユリアンは心から笑った。




 リーンハルトの手がミアの手を痛いほどに握りしめる。その手を強く引いて彼は屋敷の廊下を駆け抜けた。まるで何かに追われるようにして。

 途中、ハッとリーンハルトが足を止めた。その先の廊下に折り重なる男女の亡骸がある。仰向けに倒れたエンリヒの体に、ディートリンデが被さっているのだ。首を突いたらしく、夥しい血の跡が壁まで飛び散り、一面を汚していた。


 妻があるのなら、この末期はエンリヒにとって無念だろう。けれど、ディートリンデは満たされた気持ちだったのだろうか。身勝手だと思う。けれど、それ以上に悲しい。

 思わず目を背けたミアを背に庇うようにしてリーンハルトはその先へと惨劇を越えて進んだ。けれど、ふとリーンハルトはエンリヒの亡骸に駆け寄ると、リモコンをポケットから抜き取る。ヘリコプターのリモコンだった。


 それから広間を抜け、開け放たれたままの玄関の扉を二人で潜った。

 外の空気は得も言われず味気なく思えた。不安に色をつけるなら、この鈍色の空と同じ色を塗るだろう。

 ぼんやりと空を見上げていると、急にリーンハルトはミアを抱き締めた。


「リーン?」


 あまりに唐突で、ミアは体に上手く力が入らなかった。それでも、リーンハルトはミアの体を締め上げるように強く抱き締める。互いの速い鼓動が畳みかけるように感じられた。背に回ったリーンハルトの手が、ミアの背中を撫でる。そうしていたかと思うと、リーンハルトは急にミアを解放した。


「ごめん」


 ひと言そう謝る。その瞳はとても悲しげで、言葉の意味も何もわからなかった。


「どうしたの?」


 本当に、この鈍色の空ほどに泣き出しそうなリーンハルト。彼の口から、ぽつりと言葉が漏れる。


「……傷はもう痛まない?」

「え?」

「背中の傷」


 キメラの爪に切り裂かれた傷のことを言うのだ。リーンハルトが手当てをしてくれた傷だ。あれほど大きな怪我をしたのは初めてだけれど、言われるまで忘れていた。それほどに痛まなくなっていると言うことだ。


「あ、うん。リーンの手当てがよかったんだと思う。もう痛くない」


 痛くないと答えたのに、リーンハルトはやはり泣き出しそうに見えた。無言のままミアの手を取り、ヘリコプターへと誘う。ミアを先に乗せ、燃料タンクを引きずるようにして倉庫から運んで来た。ミアも手伝うべきかと思ったけれど、どう手伝っていいのかもわからず大人しく待った。


 オイルの臭いを僅かに残し、リーンハルトが操縦席へと回った。エンリヒがいない今、リーンハルトが操縦するしかないのだろう。

 シートベルトを装着し、離陸準備が整った時、リーンハルトは操縦席からミアの方を振り向かずに言った。


「……ミア、僕はいつかきっと君よりも先に死んでしまうけれど、僕が死ぬその時までは君を護るから」

「リーン? どうしたの?」

「僕が死んだ後、どうしたらミアを護れるだろう。それはこれから全力で考えるけれど、今はここを早く離れないと」


 ガ、とレバーを力強く引いた音がして、プロペラの回る轟音が機内にも充満する。こうなると会話どころでもない。リーンハルトの不安は、ミアに和らげることのできないものなのだろうか。

 上空へと浮かんで行くのを体で感じる。生まれ育った島と、きょうだいとの別れ。この先に何が待つのか、不安がないはずはない。けれど、ミアよりもリーンハルトの方がそれを強く感じている。それがわかるから、ミアは不安を口にすることはやめようと決意した。


 碧い、海の上に浮かぶようにして存在する島。緑の中の檻。

 白銀のセントラル・ビルディングだけが島の中でひと際高く聳えている。魅入るようにしてその麗容を見つめていたミアは、その時、セントラル・ビルディングの下層で爆発が起こるのを目の当たりにした。それに続き、上層、中層、と次々に爆破されて行く。


「ユリアン!?」


 ミアは思わず両手で口を押えた。それでも震えは止まらない。

 ユリアンは思い留まったのではないのか。

 けれど、リーンハルトは振り返ることもなく、前だけを見据えて操縦を続けている。まるで動揺した様子もない。まるでこの結末を予期していたかのように落ち着いている。


「どうして……」


 ミアのつぶやきはプロペラの音に掻き消されてリーンハルトにさえ届かない。けれど、リーンハルトは独り、正面を見据えて唇を噛み締めていた。ミアには聞こえない声で、そっとささやく。


「彼がこの島のすべてを消し去る理由を僕は読み違えた。それでも、護ると言ったのは僕だから、これは僕のせいでもあるのか――」




「……ねえ、父さん。ホムンクルスはすべてをると言うけれど、本当はそうじゃなかった。僕には人の心がわからない。それを一番()りたかったよ。そうしたら、違う未来があったのかも知れない。この島にはもう何もない。つまらないから、もういいよ。ねえ、そっちへ行ってもいいかな、父さん?」



     【The end】 


 小人の正体、当たりましたか?( *´艸`)

 バレバレだったらすいません(汗)

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