せかいとわたし。
ここから見える景色はいつも変わらない。
春が来て夏が過ぎ、秋が訪れ冬が来る。
窓から見える一本の樹、それが見せる世界だけ。
とても小さい世界。
私だけがそこしかしらない。
小さい頃から病弱だった私は中学に上がると同時に倒れた。
病名は不明。ただ一つわかる事はこの病気は治らない事だけ。
その日から私の時間は止まってしまった。
病院のベットから動けない日々。もう一年になる。
担当の先生からは手術をしよう、治るかもしれない。と言われるが
何をどう手術するのか、一体私はどこが悪いのか、
それすらも分からないのに失敗したら終わりの手術に断り続ける日々。
なんで私だけ。
そんな言葉だけが繰り返される。
終わりの見えないこの小さなちいさなせかい。
私の視界は徐々に周りを写さなくなっていた。
いつもの様に小さな私の世界を眺めていると、少年が部屋に入ってきた。
私の病室は人間一人寝かせていられるには十分な大きさの部屋。
その少年はパジャマを着ていたので入院患者なのだと分かった。
「・・・・・・何か用」
病院関係者以外と喋るのはいつ以来だろう。ろくに見舞いにも来ない家族とも喋ったりはしないのに。
「んーん。ここに来てから退屈だったから探検してたの」
邪魔だった。
居なくなって欲しかった。
私の世界に入ってきて欲しくなかった。
私だけの世界に。
パジャマ姿の少年はそんな私の思いに気付くわけもなく
「楽しい?」
・・・・・・楽しい?こんな私の姿を見てそんな言葉を吐く?
楽しいわけないじゃないこんな所。
居たくて居るんじゃない。
なりたくてこんな病気になったんじゃない。
そう思うと何かが弾けた。
「・・・・・・あんたに、あんたみたいなガキに何が分かるのよっ!」
気がつくと私は声を怒鳴り上げていた。
少年は流石に驚いていた。急に怒鳴られればそうなるだろう。
「・・・・・・出て行って」
何も言わず少年は立ち去った。
また静かな私だけの世界が戻った。
なんだか少しだけ、いつもよりも小さく感じた。
朝、いつもの時間に看護婦に起こされた。そして朝食。
見るからにまずそうな物を少しつまみ口にする。
吐きたくなる。
病院食なんてそんなものだ。
栄養だけを考えたモノ。味なんてしない。
本当に栄養があるのかさえ分からない。まるで病院に飼われている、そんな生活。
いつもの様にソレを残し、ただ呆然と窓の外の木を見つめる。
コンコンとノック音がし、担当の医師が入ってきた。
50過ぎの医者だ。腕はどうなのかもしらない。私にはただのおっさんに見えて仕方が無い。
「どうですか、具合は」
良いはずがない。だから何も答えなかった。
「手術の件、承諾して頂けないでしょうか」
「・・・・・・嫌です」
「治るかもしれないんですよ」
うるさい。治らないかもしれないんでしょ。
もう私に構わないで。
私はずっと窓の外を見たまま。
「・・・・・・仕方ないですね、また来ます。その時までに考えておいてください」
では、と私の病室を出て行く。
私はまだ窓の外の樹を眺めている。
まったく変わる事のない景色。昨日の事が蘇える。
「楽しい?」
なんでそんな事聞くの、
なんでそんな分かりきった事を言うの、
楽しいわけないじゃない、
ただ辛いだけ。
どうして私だけ・・・・・・
「おっす」
チラリと声のした方を見ると、昨日の少年が立っていた。
「・・・・・・何しに来たのよ」
私はまた視線を窓の方へと戻した。
「べつにー。なんでこの部屋って一人なの?」
「いいでしょ、そんな事」
少年は私に近づき
「僕、田村夏那太って言うんだ。君は?」
「・・・・・・白石・・・・・・夏葵」
「なつきってどんな字で書くの?」
うるさいガキだなと思いながらも私は傍にあった鉛筆で漢字を書いた。
「あ、なつきも夏って字がつくんだ!僕もなんだ!」
「・・・・・・そう」
「なんかおもしろいね!」
ただ名前の漢字一文字が同じなだけで何がおもしろいのか。
子供の言う事だからと聞き流した。
「なつきはいつからここにいるの?」
しつこいと思いながらも私は答えていた。
「・・・・・・去年よ」
「そうなんだ。僕は三日前からなんだ」
だから何よ。嫌味を言いに来たの?そうよ、どうせ私は去年からこのベットの上よ。
あなたにどうにかできるの?こんな私を。治せるというの?
だからガキは嫌いなのよ。何も考えず言葉を発するから。
・・・・・・じゃあ私は何。こんな事しか思えず、言葉にできず。ただ窓の外を眺めているだけ。
なんでこの子と喋ってたの?
同情してもらえると思ったから
そんな事して何になるの?
何にもならない。知っている。そんなことは。
・・・・・・いつのまにか私の目から涙が流れていた。
「どうしたの?何で泣いてるの?」
いつからこんな人間になってしまったのだろう。
いつからこんな事しか思えない人になってしまったんだろう。
「どこか痛いの?先生呼ぼうか?」
私は首を横に振った。お願いだから呼ばないで。あんな人間。
こんな無垢な子に嫌な考えしかできない自分が悲しくて、情けなくて、悔しくて。
どこか痛いの
心が
何で泣いてるの
涙が止まらない
昨日、初対面にもかかわらず怒鳴りつけたのにまた寄ってきてくれた少年。
なんで来てくれたんだろうこんな私なのに。
「なんだか寂しそうだったから」
「・・・・・・えっ」
「なんでまた来たのって言いたそうな顔してたから」
私、今そんな顔をしていたんだ。そう思うとなんだか可笑しくなってきて笑ってしまっていた。
「なんで今度は笑ってるの?」
いつ振りだろう笑ったのは。
笑うってこんなに楽しいんだ。そう思えた。
笑顔を取り戻せたのはこの子のお陰。
私の小さな世界にも色がついていたんだ。初めて分かった。
「僕、明後日手術するんだ」
あの日からいつもかなたと一緒にいる。消灯時間までだけど。それはそれでシンデレラの様な気分になれて面白い。
「そうなんだ」
「なつきは手術したの?」
「私は・・・・・・してない」
「なんで?手術すると何でも治るってお母さん言ってたよ」
私のは治らない。仮に治るかも知れないけど、失敗したらもう終わり。
「・・・・・・かなた君は勇気あるね」
えへへ、と子供らしい笑顔を見せるかなた。本当に勇気がある。
それに比べて私は・・・・・・。
「なつきも手術すれば治るよ」
「私は・・・・・・ううん、そうだね」
かなたが言うとなんだか本当に治るような気がする。
それがなんだか不思議で面白くて自然と笑顔がこぼれていた。
「僕、なつきのその顔、好き」
子供の言うことなのに少しドキッとしてしまった。
「な、なによいきなり・・・・・・」
「なつき、顔赤いよ?風邪?」
本当に少しドキッとしただけだ。
「ううう、うるさい!」
「なんで怒るのさ」
「怒ってない!」
生まれて初めて人に好きと言われた。両親にすら言われた記憶などないのに。
こんな子供に言われても悪い気はしなかった。
すごくうれしかった。
コンコン、とドアのノック音がし、看護婦さんが入ってきた。
「こらかなた君、そろそろ部屋に戻りなさい」
「はーい。じゃあまた明日ね」
大きく手を振ってくれたかなたに小さく手を振り返した。
かなたが居なくなった後、すごくこの場所が寂しく感じた。
私はこの小さな世界にはもう居られないと思った。
日の光がカーテンを超えて差し出し目が覚めた。
いつもは看護婦に起こされ目覚めが悪いが今日は気分が良い。
朝食もいつもより見栄えが良く思えた。
しかし味は変わらなかった。
しばらくしてかなたが来た。
「おっす」
いつの間にか、おっすという挨拶が当たり前になってきた。寧ろおはようございます、という看護婦に違和感を覚え始めてきた。
そんな事を思いつつ、かなたにおはようと返した。
「なつきは歩ける?」
「んー、少しなら」
じゃあ来て、と急かすように声をかける。
傍にある松葉杖を手に取り久しぶりにトイレ以外でベットを出る。
流石に足が鈍っていて思うように歩けない。そんな私に合わせるようにかなたは歩いてくれた。
階段を一段一段ゆっくりと登り、この病院の屋上に辿り着いた。
ベットからあまり出たことのない私は小さな窓の外の世界しかしらなかったので
屋上の広々とした青空、大小様々な建物など全てが新鮮に見えた。
「ここ、僕が歩き回った中で一番素敵な場所」
「うん・・・・・・すごく広い」
「僕ね、明日手術なんだ」
うん・・・・・・と傾き、かなたは言葉を続ける。
「ほんとはすごく手術怖くて、お母さんは大丈夫って言ってたけど、不安で色々歩いて回ってたんだ」
よく考えたら当たり前の事だった。
私よりも年下の子供なんだから怖くないはずがなかった。
そんなこともわからなかったんだ、私はどこまで自分の事しか考えていなかったんだろう。
「でもね、あの時なつきに逢えてよかった。なつきと仲良くなれたからこの病気治してなつきとまた逢いたいって思えたの」
私は何をしてあげられたんだろう。
何かしてあげたのかな。
何もしてあげた覚えがない。
怒鳴りつけて嫌な奴って思って。
そんな私がかなたに何をしてあげられたんだろう。
「この手術が終わって退院して、なつきも元気になったら、僕のおよめさんになって」
「ぷっ・・・あはは、かなたはやっぱり子供だね」
思わず笑ってしまった。
「僕は本気だもん!」
あまりにも嬉しすぎて。
「うん・・・・・・約束。私も治ったら・・・・・・」
広々と広がる青い空の下。
気持ちの良い風が私たちを包んでいく。
その中で、生まれて初めて指切りをした。
かなたの手はとてもちいさくて、とても暖かかった。
朝、目が覚めた。時刻は7時30分。朝食が運ばれる。
しかし口にしたくない。かなたの手術が気になっていたからだ。
呆然と窓の外を眺めて祈る。どうかかなたの手術がうまくいきますように。
太陽が真上を下り始めた。いつもならもうかなたが来てくれているのに今日はこない。
わかっては居たけどなんだか寂しい。
心配しすぎて疲れたのか、急な眠気に襲われて瞼を閉じた。
目が覚めると辺りは暗くなっていた。寝すぎてしまったらしい。
時計を見ると23時をまわっていた。私は看護婦さんを呼んだ。
「あの、子供、私の部屋に来ませんでしたか?」
看護婦が困った顔をして
「子供?来てないはずですけど」
「・・・・・・そう、ですか」
手術後だから動けないのだろうか。明日になったら会える、そう思いまた眠りについた。
次の日になってもかなたは来なかった。
何かあったのだろうか、そう思っているとコンコン、と音がした。
かなただ、やっと来てくれた。嬉しくなって掛け布団を勢いよくどかした。
「あら、どうしたの?」
唖然とした顔でこちらを見るお母さんがいた。
「・・・・・・なんだ」
嬉しさのパラメーターが一気に下がった。
「なんだとは何よ、忙しい中来てあげてるのに」
あんまり来てくれないくせに。私は口に出しそうになったがその言葉を飲み込んだ。
「それよりあなた、手術まだ拒んでるの?」
「・・・・・・うん」
でも今はそれどころじゃない。
「まぁ気持ちはわかるけど・・・・・・昨日も大変だったらしいしねぇ」
「え?何が?」
「昨日、あんたより年下の子が手術したらしいんだけど、」
「なんでも手術が終わっても意識が戻らないらしいのよ」
突然目の前が真っ白になった。
・・・・・・かなただ。かなたの事だ。かなたがなんだって?
意識ガ戻ラナイ?
何それ。よく分からない。
何で。どうしてかなたが?
いつの間にかお母さんは居なくなっていた。私は屋上へと歩いていた。
扉を開けると雨が降っていた。かなたが見せてくれたあの景色は今は見えない。
涙が溢れた。
私は泣いた。
「なんで・・・・・・どうしてよ」
わたしはないた。
「手術したら・・・・・・治るんでしょ」
理不尽だというのはわかってる。
「私のこと・・・・・・迎えに来てくれるんじゃないの・・・・・・」
だから雨に祈った。
この理不尽な涙を流してくれるように。
「かなた・・・・・・かなた・・・お願い、誰かかなたを」
助けて。
私は泣いた。
自分のためじゃなく、誰かのために。
私はないた。
私はただ、自分が不幸だったことに甘えていただけなんだ。
自分が一番不幸だと思って自分を守っていたんだ。
私だけが特別なんだと甘えて閉じ篭って拒絶して閉ざして。
神様謝ります。
私はもう逃げません。
だからかなただけは。
お願いします、彼だけは助けて。
私は初めて神様に祈った。
次の日、私は手術の決心をした。
彼の意識はまだもどらない。だけどもう逃げない。私は信じる。
かなたが意識を取り戻すことを。
だから私は今自分にできることをやる。
私は手術のため海外の医療施設に行った。
あの日から3年の月日が過ぎた。
私の体はすっかり良くなり、松葉杖なしでも歩けるようになった。
日本の空港に着いた。久しぶりの日本。懐かしさが溢れた。
「おっす」
あの日から定番になっていた挨拶。
「・・・・・・おっす」
そこにかなたがいた。
あの時の子供らしさは全然ない。
「約束だ。俺のお嫁さんになってください」
「・・・・・・はい」
止まらなかった。押さえつけられなかった。
かなただ、かなたがそこにいる。
私の大好きな人、私の大切な人。
「かなたっ!」
その人の胸の中に飛び込んだ。
私の世界は小さかった。
窓から見える一本の樹だけ。
春が来て夏が過ぎ、秋が訪れ冬が来る。
当たり前に繰り返される季節の中、今までと違うのはかなたに出会って、
私の小さな世界を大きくしてくれたこと。
あの日かなたが私を救ってくれた。
私は今ある幸せを大切にして
新しい世界に向かう。
かなたと一緒に。