閑話 ダイクの後悔
オルパス村の、村長宅。
他の家と比べると広いが、決して豪華ではなく、家主の性格を現しているような素朴な内装をしていた。
その一室に、ダイクは寝かされていた。
世界樹での騒動のあと、ナナシらの尽力により、ダイクは一命を取り留めた。
だがその身体、特に右腕に負った火傷は酷く、右手から肘のあたりまで炭のようになってしまっている。
魔剣の性質によるものか、そんな状態でも動くことは動くし、痛覚なども残っている。だが、あくまでそれだけで、元のように動かす事は出来ないし、物を掴むことも無理だろう。
どんな治療をしても、二度と元には戻せない。 ダイクを診たオルパスの医者もそう言っていた。
それをダイクが知ったのは、つい先ほどだ。
ダイクは怪我と疲労によって、騒動からずっと眠ったままだった。二日経ってようやく、意識が戻ったのだ。
ダイクは薄いカーテンごしの窓から、外の景色に目をやっている。
別に、何かを見ているわけではない。何かを考えているわけでもない。
ぼうっとした頭で、ただ見ているだけだった。
ダイクの表情は、憑き物が落ちたかのように、激情がスコンと抜け落ちて静かだ。空っぽのような、と言っても良い。
まるで抜け殻のように、ただぼんやりとダイクは外を眺めていた。
そんな時、コンコン、とドアが控えめにノックされた。ダイクは音に反応してそちらを向く。それから程なくして、静かにドアが開いた。
顔を覗かせたのはオルパス村の村長夫人であるリアムだ。
「こんにちは、体の調子はどう?」
そう言うと、リアムは部屋の中へと入って来た。手には食事の載ったトレイを持っている。
ダイクは答えようと口を開くが、何と言ったら良いか浮かばない。そのまま固まっていると、
「ミルク粥なんだけど、食べられる?」
リアムはトレイを見せた。そこには温かそうなミルク粥が載っていた。
美味しそうだと、思った。同時に腹の虫が鳴いた。
言葉や思考よりも体はずっと正直で、ダイクは「う」と気まずそうに目を逸らす。リアムは「ふふ」と微笑んだ。
「起きられる?」
「…………うす」
今度はダイクは答え、体を起こす。その際に包帯に巻かれた腕が痛み、顔を顰めた。
リアムが手を貸そうとするが、それを断り、何とか起き上がった。
ふう、と息を吐くダイクにリアムは、
「うん、男の子ね」
などと言った。二十歳もとうに過ぎているダイクに、男の子も何もないものだが。
そんな風にダイクは思ったが、リアムは別にからかっているわけではないようで。
にこにこ笑いながら、ダイクの膝の上にトレイを置いた。
ふわり、とミルク粥の良い香りが、ダイクの鼻に届く。
「腕は大丈夫? もし痛むなら、私が……」
「い、いいっス。一人で食えま……食べられ、ます」
大慌てで首を振ると、ダイクは左手でスプーンを持った。
ダイクの利き腕とは逆なので違和感はあるが、掬って食べるくらいは出来る。
だが、そこでダイクの動きは止まった。
腹は確かに減っているし、ミルク粥も美味しそうだ。だが、これを食べて良い権利など、自分には無いと思ったのだ。
スプーンを持ったまま食べようとしないダイクに、リアムは首を傾げた。
「どうしたの?」
「…………何で、俺に良くしてくれるんスか?」
オルパス村を襲ったのは自分だし、火も放った。リアムたちを捕まえて、縄で縛った。
それで負けて、死にかけて――――みっともなく死にたくないと訴えて、助けられた。
そんな自分に何故優しくしてくれるのか、ダイクには分からなかったのだ。
リアムはダイクの疑問に不思議そうな顔になる。
「あら、別に良くしてはいないわよ? 普通の事をしているだけだし」
「普通じゃ……」
「それなら、私にとっては普通の事をしているだけね」
腕を組み、リアムは言った。
「主人……フランがね、そういう人なの。捕まえた人だって、病気や怪我で死なせてはいけないって。でも、別に優しいからってわけじゃないわよ? もしそうなった時に、アンデッド化したら困るからって理由だけど」
「…………お人好しって言うんスよ、そういうの。どんな理由があったって、そういうのは……損するばっかりだ」
ダイクは俯く。
どんな理由があっても、普通だと言いながら誰でも助けるなんて事は、普通はできない。少なくともダイクはそういう人間を僅かしか知らない。
そしてダイクもそんな事を、一度たりともした事はなかった。
「あの勇者だってそうだ。俺を助ける理由なんて、なかったのに」
どうして、とダイクは呟く。
その時ふわり、と頭を撫でられた。ぎょっとして上を向けば、そこにはリアムの手がある。
「な、にを」
「あなた、後悔しているのね」
リアムの言葉がダイクの胸を突いた。
ああ、それだ、とダイクは思った。そして上手く理解出来ずにいた、胸の内に広がる感情が何なのかをようやく理解出来た。
自分は後悔しているのだ、と。
「安心したわ」
「……え?」
「後悔しているのなら、まだまだ見どころがあるもの」
リアムは「うふふ」と笑って、腰に手を当てた。
言葉の意味が分からず、ダイクは首を傾げる。困惑するダイクに、リアムは話を続ける。
「ほら、俺は悪くないんだー! って反省しない人もいるでしょ? 現に捕まえた人たちの中にもいたの」
言うだろうな、とダイクは思った。
世界樹の一件は司祭の言葉で始まった。それに賛同したのがダイクたちだ。
唆されたと言う者もいるだろう。傭兵たちも金で雇われただけだ、と言い訳をするだろう。
自分も、とダイクは包帯に巻かれた腕を見る。魔剣を持ったままだったら、自分もそう言っていただろう、と。
魔剣が手から離れたあと一緒に、荒れていた心も凪いだ。だからだろうとダイクは思う。
「でもあなたは、後悔している。それなら、きっと、繰り返したりはしないでしょう」
「そんな保証はねぇッスよ。……まぁ、繰り返す機会もねぇでしょうけど」
「そうね」
ダイクの言葉にリアムは頷く。
「あなたたちのやった事は、確かに許されない事だわ。私の家族を傷つけて、村の人たちと村を傷つけた。それは法の下で裁かれる事になる。それがどういう結果になるかは、私には分からないわ」
だから、とリアムは続ける。
「ご飯をちゃんと食べて、元気になりなさい。あなたは、そうするべきだわ」
リアムはダイクの目を真っ直ぐに見て言う。
その眼差しが、曖昧に濁さない姿勢が、ダイクには自分に食ってかかって来たティエリと重なった。
そして自分の両親とも重なって見えた。
「…………うす」
声が震えた。
ダイクはそれだけ答えると、ミルク粥を掬って、食べる。
それはとても――――懐かしいくらいに、優しい味がした。