第六十五話「……ずるいですよ」
村に向かおうとしたスケットンたちの前に、トビアスが手を広げて飛び出してきた。
トビアスは、怒りと困惑が入り混じった表情で、スケットンたちを睨んでいる。
ティエリがトビアスの名前を呼んで止めようとしたが、彼の耳にはその声は届いていないようだ。
憤るのも、スケットンたちの行動を止めようとするのも、トビアスの心情を考えれば何もおかしくはない。本当に、それだけの事をダイクはしたのだ。
だがそれでも助けようと決めたスケットンは、トビアスの気持ちを汲んで、止まってやるつもりはなかった。
スケットンは真っ直ぐにトビアスを見る。
「助けるさ。そこのぼっち勇者は頑固でね。やるっつったら、成功しようが失敗しようがやる。梃子でも動きゃしねーよ。で、こいつが動かなきゃ俺様も移動できねーからしょうがねぇ。それに、もともと世界樹を引っこ抜いてる奴をとっ捕まえるのが俺様たちの目的だ。助かるかどうかは分からねーが、証人は増えるにこした事はねぇからな」
「死んだらいい!」
同情ではないとスケットンが言うも、トビアスの怒りは収まらない。
そして射殺すような目をダイクに向ける。
「死んだらいい、そんな奴。死んで運よくアンデッドになったら、本人の願い通り、ある意味生きているじゃないですか。それで誰が困るっていうんです。そいつのそれは、自業自得に過ぎない!」
助ける必要などないと言うトビアスに、スケットンは空洞の目を細める。
スケットンは助ける理由は説明した。だがトビアスはそれには納得出来ないようだ。
ならば、これ以上の話は平行線である。
だからスケットンはトビアスに、
「なら、ナナシが助けてから、お前がこいつを殺せば良いさ」
と、静かにそう返した。
スケットンたちが今やろうとしているのは、ダイクを助けようとするナナシへの協力だ。
それに対して邪魔をするならば、それなりに対処はするつもりでいる。
だが、スケットンに限っては、ダイクがサウザンドスター教会の所業の証言をしたら、その後はどうでも良い。
だからその後でダイクをどうこうしたければやれば良いと、それならば誰も止めはしないと、スケットンは言う。
ナナシは何も言わなかった。ルーンベンスは何かを言いかけたが、言葉が出て来なかったらしく、口を噤んだ。
トビアスは何も言えなくなった。
一瞬の静かな間が訪れる。
トビアスの目は、スケットンの言葉に動揺し、大きく開かれ揺れている。
まさか自分が殺せば良いなどと、言われるとは思わなかったのだろう。
目を彷徨わせるトビアスに、スケットンは続ける。
「それだけの話なんだよ、トビアス」
「どうして」
やっとそれだけ搾り出せたというような声だ。
トビアスは理解出来ない、という顔で、首を横に振る。
「どうしてですか、あなたは、あなたたちは勇者じゃないですか!」
トビアスは叫んだ。動揺が、困惑が、声に責めるような色を持たせる。
その声に、ああ、お前もか、とスケットンは思った。
勇者じゃないか。
トビアスが言ったような言葉を、スケットンは生前に飽きるほど良く聞いた。表情を動かす事なく治療を続けるナナシも、きっとそうだったろう。
勇者だから戦えと人は言う。
勇者だからその手を汚せと人は言う。
そうする事が当然の事であるのだと、無意識の内に口にする。
何度も何度も聞いている内に、スケットンはそれが勇者に対する期待ではなく、ただの押しつけだと理解した。
自分たちは何もしようとせず、見たくないもの、やりたくない事を「何とかしろ」と人は勇者に押し付ける。
その押しつけがたまらなく嫌で、スケットンは行動の見返りに、相応の金銭を要求する事があった。そうすると三分の一くらいは自分でやるといなくなる。そうしていると、ありがとうと、心から感謝される事なんて、数えるほどだった。
清々もした。だがやはり虚しかった。
――――色々な意味で。
勇者とは何であるか。トビアスの言った言葉は、その答えを体現したかのようにスケットンには聞こえた。
「勇者とは」
その時、ぽつりとルーベンスが言葉を挟んだ。
トビアスの叫びによって一瞬出来た静かな間に、ルーベンスの声はその声量にしては大きく響く。
視線が集まる。それを一身に浴びたルーベンスは、
「勇者とは、そのような存在ではない」
と、力強く断言する。
それは一度、ルーベンスがスケットンに言った言葉だった。
以前のルーベンスであれば、トビアスと同じような言葉を何度も言っていただろう。
かつてはルーベンスも勇者とは清廉潔白で、慈悲深く、誰かが困っていれば二つ返事で助け、そして――――人が出来ない、やらない事をやってくれる存在だと思っていた。
しかし、スケットンとナナシと出会った事で、ルーベンスは勇者について自分の考えを、色々改めるようになった。
スケットンとナナシは確かに勇者だ。だが別に、二人は物語の中に出て来るような登場人物なんかではないのだ。
戦闘力が規格外だろうが、それに付随した考え方が規格外であろうが、スケットンとナナシは、スケットンとナナシなのである。
どうでも良い事でムキになり、他愛もない事で噴き出して、どうしようもない理不尽へ憤る。
そういう人たちなのだ。
その当たり前に、彼らと行動をしている中で、ルーベンスはようやく気が付いた。
彼らは確かに勇者だ。そして同時に、彼らは自分と同じなのだ。
「ちょっと強いだけでちょっと変わっているだけの、私たちと同じ人間だ」
ルーベンスがそう言うと、ナナシとスケットンは小さく笑った。
そうして照れ隠しなのか、ちょっと変わっている、なんて言われた事へのお返しなのか、
「スケットンさんはスケルトンですけどね」
「こいつはぼっちだけどな」
なんて軽口を叩いた。
ルーベンスは、
「君たちは揃って空気を読むといい!」
と少し怒っていたが。後で説教だ、とも言いそうな勢いである。
ルーベンスの言葉で、張りつめていた空気が少し緩む。
言葉を失ったトビアスの近くで、ティエリが決意をしたように、ぐっと拳を握った。
「話をつけてあげますわ! ついてきて!」
そう言うとティエリは走り出す。スケットンとルーベンスは躊躇いなくそれに続いた。
その後ろを、心配そうにトビアスを見るオルパス村の村長夫妻が、シェヘラザードに促されついていく。
シェヘラザードはトビアスの肩を、その白い手で軽く叩くと、同じように走って行った。
その場に残ったのはナナシとトビアスだ。
皆がそれぞれに動き出す中で、唯一、トビアスだけが動けずにいた。
下を向き、白い指先が食い込むほどに、力強く拳を握りしめている。
「あなたの言っている事は、別に、間違ってはいませんよ」
そんなトビアスに、ナナシは顔を向けずに声を掛けた。
ナナシの声は優しい。
トビアスは、顔を上げずに彼女に返す。
「……あなたは……どうして、その男を助けるのですか?」
「彼が生きたいと、助けてくれと望んだからですね。勇者というのは、助けを求められたら助けるものです。私はそう考えています」
スケットンの時よりも丁寧に、ナナシは答える。
「助けてと言われたら、誰でも助けるのですか」
「そうですね。単に自己満足でもありますけれど。でも、私にとっては、それしか生きる目的がないので」
その声がどこか寂しそうに聞こえたのは、聞き間違いだろうか。
トビアスはそんな事を考えながら、助けてと言った時のダイクの言葉を思い出していた。
助けてと、ダイクは言った。そしてナナシは助けると言った。
なら、どうしてとトビアスは思った。
ならどうして、自分が助けて欲しい時に、勇者はいなかったのだろうと。村が焼かれた時に、どうして、勇者は助けてくれなかったのだろうと。
そんな考えが、ふと、トビアスの頭の中に浮かんでしまった。
勇者とて、いつでもどこでも、呼べば現れる便利なものではない。そんな事はトビアスも分かっている。
だがそれでも、助けられるダイクを見て無性に、そう思ってしまった。
「……ずるいですよ」
トビアスは自分でもびっくりするくらいに、泣きそうな声が出た。
ずるい、なんて言葉を口にしたのは初めてだ。だがトビアスは自分の中にあるぐちゃぐちゃな感情に、ふさわしい言葉がそれしか思いつかなかったのだ。
ナナシは、そうですね、とトビアスの言葉に頷く。
「ええ、ずるいです。だから、助かったら、一発ぶっ飛ばしてやって構いませんよ。勇者推奨です」
「……殺せばいいと、スケットンさんが」
「その辺りはまぁ、お任せします」
「……ずるいですよ」
そんな言い方をされれば、出来ない事をトビアスは自覚している。
もともと勇者がそうすれば良いと思ってしまったくらいだ。相手の命を奪うなんて事は、トビアスには出来ない。出来ないと分かっている。
分かっている事を勇者二人に押し付けようとした事に今気が付いて、トビアスは自分を恥じた。
そしてナナシとの会話に、少し落ち着いたので、顔を上げる。それからナナシを見て、ダイクを見て、自分の手を見て、握った剣を見た。
「ずるいのは……僕もですね」
怒りと、恥ずかしさと、悲しさと、情けなさで、目の奥に競り上がって来た熱い熱を、トビアスは服の袖で乱暴に拭う。
それから、キッと目に力を込めて、周囲を警戒し始めた。
「……そいつを助ける手助けは、したくありません。けれど、でも、ナナシさんは守ります。そのくらいは、僕も出来ます。僕も――――やります」
「おや、守るなんて言って貰えたのは、何時ぶりでしたか」
ナナシは小さく笑うと、
「お願いします」
とトビアスに言い、気合を入れて、再びダイクの治療に集中し始めたのだった。