第一話「死んでも喉が渇くのか」
死ぬというのは思ったよりも呆気ないものだ。
スケットンは光の一筋も見えない真っ暗な闇の中にいた。
自分は女に刺されて殺された。胸を触ればそこはくっきりと穴が空いている。
刺されたはずの体に痛みがない事はスケットンには有難かったが、死んだのかという虚脱感は拭えない。
やりたい事は色々あったし、もっと遊びたかった。
女の子を口説いて、デートして、イイコトをして、美味しいものを食べて過ごしたかった。
だがスケットンは死んだ。本当に呆気なく、ほんの一瞬で。
スケットンは自嘲気味に笑う。そして僅かに声を出して、咽た。
喉がカラカラに乾いていたからだ。無性に水が飲みたいとスケットンは思った。
「死んでも喉が渇くのか」
ぽつりと呟く。
ああ、情けない。最強だ何だともてはやされても、死んだらただの過去形だ。
誰も見ていないという安心感からか、スケットンは生まれて初めて泣きたくなった。
だが目からは雫の一つも落ちて来ない。
「ちくしょう、乾いて涙まで出ねぇ」
「そりゃあ出ませんよ、乾いてますから」
突然、女の子の声がした。
スケットンはぎょっと驚いていると、すう、と辺りが明るくなった。
火とは違う魔法の光だ。
空中に浮かんだ白い光の球体はスケットンと、声の主の二人を照らす。
そこにいたのはサラサラとした黒髪に、血のような赤い目をした少女だった。
歳は十代半ばくらいだろうか。儚げな印象の少女はスケットンに向かってにこりと微笑む。
「ひ、人?」
我ながら間抜けな声が出たものだとスケットンは思った。
少女はにこりと微笑むと、胸に手を当てて丁寧な動作で頭を下げる。
「初めまして、元勇者のスケットンさん。私は今代の勇者のナナシと言います」
「は? 元? 今?」
ナナシと名乗った少女はスケットンの言葉に頷く。
ここはあの世のはずなのにこいつは何を言っているんだ。
スケットンは不気味な物を見るように目の前の少女に言った。
「あの世で何言ってんだよ。お前も死んだんだから『元』勇者だろ」
「いえ、私は死んではおりませんよ」
「は? なら俺も生きてんの?」
「いえ、スケットンさんは死んでいます」
スケットンはいよいよ訳が分からなくなってきた。
混乱する頭を抱えながら、スケットンは体を起こす。
「だって話せるだろ? 動けるだろ? お前が死んでねぇってんなら、俺だってそうじゃねぇかよ」
「生きてはいませんよ。だって、ほら、ご自分の体を良く見て下さいな」
そう言ってナナシは懐から手鏡を取り出してスケットンに向けた。
スケットンは訝しんだ目でそれを覗きこむ。
そこに見事な骸骨が映っていた。
「うぎゃあ!?」
スケットンは思わず叫んで後ずさる。
ドン、と壁に背中が当たり、カラン、と妙に軽い音が響いた。
スケットンは嫌な予感を感じながら自分の腕を見る。骨だ。
自分の顔を触る。骨だ。
「な、な、な……」
スケットンはわなわなと両手を震わせる。
今の彼の姿は頭のてっぺんから足の先まで骨である。
いわゆるスケルトンという骨だけの姿のアンデッドモンスターそのものだ。
スケットンは別の意味で目の前が真っ暗になった。
何だこれは。一体何なのだ。
スケットンはぶるぶると震えた後、叫んだ。
「なんじゃこりゃああああああ!?」
スケットンの声は洞窟中に響き渡り、外にいたカラスがその声に驚いてバタバタと飛び立った。
さて、そうして叫んだスケットンだったが、立ち直りも早かった。
骨の体は確かに問題だが、何故だか自分は生きている。
体が骨だけなので死んだようなものだが、自分の意思がある内は生きている、という事にする。
そう思っていた方が精神衛生上良いからだ。
「まぁ骨になったもんは仕方ねぇよな。んで、お前は誰よ」
「先ほどもご挨拶しましたが、今代の勇者のナナシと言います。どうぞご贔屓に」
ナナシは特に気分を害したわけでもなく、もう一度名乗った。
そう言えばそんな事を言っていたなとスケットンは思う。
まぁ、それもスケットンにはどうでも良いことだ。もともと他人に興味の薄いスケットンである。一度くらいじゃ他人の名前は覚えられない。
「嘘みてぇな名前してんのな」
「はぁ、まぁ、実は私、記憶喪失なんで適当につけました」
「記憶喪失?」
「ええ、そうみたいで。ナナシのゴンベイさんからお名前を拝借しました」
「誰だよその嘘みてぇな名前の男は」
「何か絵本の主人公らしいですよ」
「せめて女の名前つけろよ」
深刻な事をケロッとした顔でナナシは言う。
らしいとか、みたいとか、フワッとした女だとスケットンは思った。
顔は可愛いが、性格はやけに大雑把。見た目はまぁまぁ好みだがどうにもこうにも残念だ、と心の中で評価する。
「で、その勇者サマがこんな所で何してんの」
「王様の命令でスケットンさんの装備を回収に来ました」
「回収」
「装備を漁りに来ました」
「何故言い直した」
スケットンは半眼になった。
王様の命令で勇者が死体漁りなど世も末である。
スケットンが勇者をやっていた頃はそんな命令をする王様などいなかったので、恐らくそれ以降の王様だろう。
「国の財政でも悪化したの?」
「いえ、比較的安泰ですよ。スケットンさんの家財を売り払ってから良い感じだそうです」
「おい待てさらっと聞き捨てならねぇ話が聞こえたぞ」
どうやらスケットンの死後、家、財産その他諸々は国に回収されたらしい。
やる事が早い上にえげつない。確かにスケットンには家族はいないし、親族とも縁を切られていたので、相続する人間はいなかった。
だがそれにしても、例え死んだとしても、勝手に自分のものを利用されるのは腹の立つ話である。
「やっぱり信用出来るもんじゃねぇな」
スケットンは不機嫌極まりない声で言う。
他者から利用された、という事実が気に食わないからだ。
スケットンは苛立ちをナナシにぶつけるように聞いた。
「で? 俺様の装備を回収してどうすんだよ。お前が装備するの? 無理だろ、そんなヒョロヒョロじゃ」
「スケットンさんの武器は剣ですよね。残念ながら私は剣は得意ではないので装備は出来ません」
「へぇ? じゃあ回収して国にでも持って帰るの? んで売るってわけか?」
「売りませんよ。回収です。スケットンさんはちょっとマイナスに考えぎみでは」
「そーですよーだって俺、今骨だし。生存がマイナスレベルだし。そりゃー思考もマイナスなるってもんですよ」
スケットンは「ケッ」と吐き捨てるように言う。完全に八つ当たりである。
だがナナシはスケットンの言葉に特に気分を害した様子もなく、頭を下げ、
「そうでしたか、それは失礼を」
と謝った。
スケットンはぎょっとした。まさか謝罪されるとは思わなかったからだ。
「何でお前が謝るの」
「私が回収者でしたので」
「お前の考えじゃねーだろ」
「まぁ」
「なら何で」
「悪い事したなと思ったので」
悪びれた風でもなくナナシは言った。そうあるべきだと疑わない様子で。
真っ直ぐに自分を見るナナシの目に罪悪感が覚えてきて、スケットンは目を逸らした。
何で。
何で自分がこんな風に思わないといけないんだ。
悪いのは別に俺じゃない。俺じゃないけど、こいつでもない。
そんな考えが頭の中をグルグルと回る。スケットンはしばらく唸った後、
「別にいい」
と、一言、素っ気なく言った。
自分が悪いとも思ったが、謝るのも癪だったのだ。
だがナナシはスケットンの言葉に、
「はい」
と笑う。スケットンは不覚にも「花が咲いたみたいだ」などと思ってしまい、頭を抱えた。