9 神獣のいる世界
リクスの突発的な提案により、何故か神獣と誓契をする事になった一行は、一夜が明けて再び火砲の祭壇へ向かう事となった。リクスの唯一と言ってもいい悪い癖がまた出たのだろうなとキースは思う。
それはつまり、好奇心。
神獣を見たいのか、誓契するところを見たいのかは定かではないが、そのどちらかという事はハッキリとしている。それに加えて、ミレニスが困っていたという事もあるだろう。
前を歩いている子ども達を見ながらそんな事を考えていると、ふと隣を歩いているミレニスが目に入った。
「そういや、また一緒だな」
「……何だ、そのニヤけた顔は」
「いやー、ずいぶん短い別れだったなと思ってよ」
すぐに再会できるだろうなという思いはキースにもあった。これまでもそうだったのだから、きっと出会う運命なのだろうと。しかし、まさか別れたその日に再会するとまでは思っていなかった為に、これは予想外の出来事だった。
「でもま、また会えて良かったな」
そう言って爽やかな笑みを浮かべるキースに、ミレニスは眉間に皺を寄せる。何だか馬鹿にされているような気がする、と顔に書いてあるようだ。
しかしながら、キースにその意はないのだと雰囲気から感じ取ったからか、ミレニスは溜め息をつくだけでスタスタと歩みを速めてしまった。そんなミレニスに、キースはやれやれと息をつく。こういうところは相変わらずだと。
一方の子ども組は、のん気な会話を繰り広げている。
「ねぇディラルド。ディラルドは博士なんだよね?」
「ええ、一応」
「凄いね」
「はかせ、何?」
今まで聞いた事のない単語に、スフィアの何でが再発してしまい、リクスは説明しようと口を開く。
「スフィア、博士って言うのはね……とにかく凄い人なんだよ」
しかしながら、出てきた言葉にリクスは自分でも苦笑を浮かべる。
「リクスさん、それでは説明になっていないです。博士というのは、学問において一つの事を調べたり研究したりして、その成果を認められた人の事を言います」
リクスのフォローとしてディラルドがきちんと説明をしたのだが、スフィアは理解できないらしくキョトンと首を傾げていて、リクスもディラルドも顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
その後、とにかく凄くて偉くてなれる人は殆どいないという事だけを理解させた。それでは最初のリクスの説明だけで良かったのではないかとツッコまれそうなものだが、キースもミレニスもその話を聞いていなかった為、余計な労力を使っていた事に気付かずに博士についての話は終わった。
何故だか疲れている様子のリクスを、キースとミレニスが不思議そうに見ていたのだが、それを説明する元気もリクスにはなかった。
それから話と空気を変えようと、リクスは別の話題をディラルドに振る。
「ところで、神獣ってどういう感じなの?」
「お前、どういう感じはアバウトすぎるだろ」
「そうだよね。えっと、どんな姿をしてるの?」
困ったようなディラルドの表情を見てすかさずキースがフォローを入れれば、リクスが改めて説明し、そこで漸くリクスが何を訊きたかったのかという事を理解したディラルドは説明してくれた。
神獣というものは、女神が世界を創造した時に、世界が生きていく為に必要な要素を与える為に遣わした獣の事である。各地の神殿におり、世界が存続する為に必要な要素を必要な分だけ供給している。その要素こそが、マテリアである。
人間の中に流れているマテリアも、元は神獣から供給された要素で、世界から与えられたのだという。一般の人間はマテリアの存在を知らずに生きているのだが、戦闘においてその力を発揮する事が出来る。直接マテリアを扱う神技と、詠唱を用いる事によってより強力なマテリアを発動させる神術とに分かれている。
世界には八の神獣が存在しているとされており、その姿は皆、違っているのだと言う。
「火の神殿に居るのは、炎翼竜-クルガトワール-という神獣です。その名の通り、炎翼のドラゴンの姿をしていると言われていますね」
「えんよく?」
「炎の翼を持っているという事です。火の化身とも言われていて、その象徴となっているのが翼なんですよ」
炎の翼を持ったドラゴンと言われても、その姿はイマイチ想像がつかなかった。そもそも、リクスはドラゴンを見た事が一度もない。これまで遭遇した魔物の中にドラゴンの姿をしたものは居なかったし、それ以前は見る機会など皆無だったのだから。
けれどもキースから聞いて名だけは知っていた。会ってみたいと思っていた存在だっただけに、リクスは心が高揚するのを感じていた。
「そういや、ディラルドは誓契するのって初めてなんだよな」
「はい、じっせんは初めてです」
「大丈夫なのか?」
問われたディラルドはニコリと笑い。
「知識として頭には入っていますので大丈夫です」
頭には入っていると言いながらも大丈夫だと言い切ったディラルドに、何となく心配になった。博士の称号を得ているとは言え、ディラルドのドジっ子の部分も見てしまったのだから致し方ないだろう。
こうして、リクス達は三度目となる火砲の祭壇を訪れた。
中は昨日来た時と全く変わらない温度で、初めて入ったミレニスは思わず声を上げていた。
「何だ、この温度は」
「風韻の祭壇の時と同じだよ」
「神獣の影響か。凄まじいものだな」
噴き出た額の汗を袖で拭うと、すでに奥に向かって歩き始めているリクス達の後を追った。
暫く歩き、着いた最奥の広場にはマグマしかなく、出現していた筈の祭壇はその姿を再び消していて球体だけが浮いている。
「やはり、スフィアさんが居ないと祭壇はその姿を現さないのですね」
仮説はやはり正しいのだと確信を持てた事が嬉しいらしいディラルドは笑顔のまま、スフィアに祭壇への道を開いて下さいと頼んでいて、スフィアはキョトンとしたまま道の先端へと行くと、スフィアの足元に紅い陣が現れて祭壇までの道を形成していった。
球体が消え、通路が出来るとその道を通って奥にある祭壇に足を踏み入れたのだが、昨日とは違っている。
「あれ? 十字架がない……」
祭壇に飾られていた十字架が今はなく、代わりに更に奥へと続く道が出来ていた。その道は、この祭壇に続いているものと同じ造りで、奥の壁まで続いている。
「ここが最奥ではなかったのですね」
奥に道があるように見えなかったのは、恐らく宙に浮いていた球体のせいだろう。あの球体が、道の存在を隠していた。
兎にも角にも、奥に道が続いているのであればそこに行かない手はないと奥に向かって進んで行けば、壁の向こう側に広がっていたのは巨大な空間だった。
今まで洞窟内に居た事が嘘のような、遺跡のような内部。その造りに、神殿内部にいるのだと実感したような気がした。
足を踏み入れると両脇に五つずつ並んだ燭台に、こちら側から奥に向かって順に炎が灯っていく。
「ここが、神獣の居る間という訳ですね」
正面にある十字架と、その下にある台座を見てそう言ったディラルド。
十字架は、手前にあった祭壇で見たものと同じだったのだが、その大きさは三倍はあるだろうか。三メートルは優に超えていそうだ。
しかしながら、それ以外には何もない。不安になってディラルドを見てみるものの、ディラルドは大丈夫ですよと言ってニコリと笑うと、みんなよりも一歩前に出た。
腰についているホルダーから取り出した八つの宝石が嵌めこまれたチェーンのブレスレットを左手首につけ、胸の前で拳を握ると目を閉じる。
「我は主の代行者 我は願う 御身の姿を我が前に!」
目を開けると、十字架の中心についている宝玉とディラルドの手首についているブレスレットの紅い宝石が淡く紅く光を放ち、互いの光が中心に向かっていくと、紅い光がぶつかった地点に炎が灯った。
すると光は消え、炎は一気に燃え上がると形を形成していく。足が、手が、胴が、顔がハッキリとし、最後に全ての炎が背に収束すると巨大な炎の翼を形成した。
空気がビリビリと振動していると肌で感じる。
これが、神獣。
胸元には十字架についている宝玉と同じ石がついており、肩・膝・胸を護るように鎧を纏っていて、額にも鎧と同じ素材で出来た装飾品がつけられている。鋭く伸びた爪。尻尾の先も炎のようになっている、二足歩行の翼竜。紅い体皮を持ったその姿は、正に火の化身。
閉じられていたクルガトワールの目が、開かれた。
【余を目覚めさせたのは主らか 感じていたものは思い過ごしではないようだ して 余に何用だ】
重低音が直接、心に響くようだった。
問いの答えを持ち合わせていないリクス達は返答に困っていたのだが、ミレニスが口を開く。
「僕は神獣の力を欲している。力を貸してはくれないだろうか」
【フェアトラークの供ならば 資格は有する 余の試練を打ち破ってみせよ】
「試練? そのようなものがあるのか」
【余が司りしは闘志 余に力を示せ】
つまりは戦えと言う事だ。まさか戦闘になると思っていなかったリクス達は動揺するものの、ディラルドは臆する事なくクルガトワールを見据えている。
「試練、お受け致します」
ディラルドが同意した事で、リクス背中の、キースは腰の剣を引き抜き、ミレニスは胸元のマントの留め具についている石に触れて形成された薙刀を握り、皆を見て判断したらしいスフィアも胸元のロザリオに触れて形成されたベルを握り締めた。
そしてディラルドは腰から下がっていた、中央に紅い宝石の埋め込まれた楕円形の銀細工を手に取ると、銀細工の左右から棒が伸びた。それはワンドと呼ばれる武器で、棒の両端に花の蕾のような透明感のある石がついている。棒の部分を握り締める。
準備が整ったのを確認するや否や、早々にクルガトワールの真下に紅い炎の紋章が現れたのを見て、リクス・キース・ミレニスの前衛三人は地面を蹴って飛び出し、一気に間合いを詰めた。神術の発動阻止を最優先にと考えたのだろう。
最初にクルガトワールへと辿り着いたのはキース。居合い切りをするように剣を真横に振るうと、剣劇と剣そのものがクルガトワールに当たり、続いてクルガトワールの懐へ入ったミレニスが縦横斜めと縦横無尽に斬りつけ、最後に辿り着いたリクスは溜めて踏み込み強烈な突きを打ち込んだ。
猛攻に炎の紋章は消え去り、リクス達は一旦飛び退いて間合いを取るが、詠唱を途切れさせただけだった。攻撃の態勢を取るクルガトワール。
しかし、クルガトワールの真下に水色の氷の紋章が現れた。
「研ぎ澄まされし氷の至宝! 自由なる氷晶-アルディクリオリーテ-!」
紋章から氷山が現れクルガトワールを貫いた。
しかしながら、クルガトワールが攻撃を受けた様子は一切見られない。
【この程度か】
呟き、クルガトワールは腕を顔の前で交差させ、そして腕を振り下ろすと出現した無数の炎の塊が四方八方へ飛んでいく。
突然の攻撃に驚くもののそれぞれ炎の塊を避けながら、更に間合いを取った。
「もしかして、効いてない?」
「もしかしなくてもな」
「さすが神獣といったところか」
汗が頬を伝って落ちた。暑さのせいか、はたまた別の要因か。
とにかく攻撃を仕掛ける他ないと思ったリクスは、再びクルガトワールへと向かって駆けて行く。
剣で斬りつけようと間合いを詰めるが、振り上げられた腕が合図となったかのようにクルガトワールの傍に出現した炎が腕の動きに合わせて地面を奔り、リクス目掛けて一直線に向かって来ている。
まだ距離があり、飛び退いて避けたリクス。
その間にクルガトワールの左側へと回ったミレニスは薙刀で斬りつけるが、刃を左手で受け止められ、薙刀を掴まれて持ち上げられたミレニスは宙に浮く形になり、身動きが取れなくなってしまった。
右手の爪がミレニスに振り降ろされそうになったところへ、光のビームが右手に直撃し引き裂かれる事はなかった。一瞬、攻撃を放ったリクスに気が逸れたのを見逃さず、ミレニスは全身の力を込めて体を捻り、クルガトワールの左腕を蹴ると薙刀から指が放れた。
「ミレニス、離れる!」
声が聞こえて瞬時に飛び退くと、クルガトワールの下に現れた蒼い水の紋章から水柱が噴き上げる。
リクス・スフィア・ミレニスが戦っているのを見ながら、どうすればクルガトワールを倒せるのだろうかと十分な距離を取って思案しているキースだったが、ふと一人足りていない事に気が付いた。
振り返ってみれば、最後方でバトンのような形状のワンドを抱き締めておろおろとしているディラルドの姿が目に映る。
「ディラルド、お前の力も借りたい。全員でかからないとさすがにヤバそうだ」
「はい、僕もそうしたいのですが……どうしたらいいですか?」
「……は?」
苦笑しながら言われた言葉に、キースは思わず呆けたように間の抜けた声を上げてしまった。そしてすぐに眉を顰める。
「それは、どういう意味だ?」
何か作戦があれば教えて欲しいという事だろうか。やるべき事を自分はやるからと。しかし、そうであるなら今まで戦っていない事の理由には到底なりえない。
だからそのまま訊ねてみたのだが。
「先ほど言ったと思いますが、僕、実戦は初めてなのでどうしたらいいのか判らないんです」
「実戦って、そっちか!?」
確かにじっせんは初めてだと言っていた。それは契約する事に対して実践は初めてだと言っていたのだと思っていたのに、まさか実戦の方だったとは全くもって思わなかった。照れたように笑うディラルドを見ると、今が戦闘中だという事を忘れてしまいそうだ。
だが、すぐに前を見て口を一文字に結ぶ。
相変わらず苦戦しているらしく、リクスとミレニスは炎や直接攻撃を避けながら攻撃しており、スフィアは神術を使っているが当たらずに炎を飛ばされている。クルガトワールの詠唱を止めるのが精一杯というところだろうか。
この状況では戦力は多い方が良い。
「ディラルドは学者だよな。攻撃は可能か?」
「え、あ、はい。神術なら使えます」
「今、使える神術で、奴に確実に当たる術か、もしくは水の術はあるか?」
「ええと……はい、どちらもあります!」
「オッケー。先ずは確実に当たる術をぶっ放せ。その後、スフィアに合わせて水の術だ。タイミングはスフィアを見てれば判るはずだ……できるか」
問わず言いきると、ディラルドは「はい!」と元気よく答える。
戦う意志があるのならばそれで充分かと思うとキースは口元に笑みを浮かべ、地面を強く蹴った。
後方から、紋章が出現する時の音が微かに聞こえてきたのを確認してから、キースは強い衝撃波をクルガトワールへと撃ち込んだ。
「空を斬り裂く風の刃……荘厳なる突風-アスファディヴォート-!」
ディラルドの言葉に、クルガトワールを囲むように四つの翠の風の紋章が出現すると、そこから鎌鼬のように無数の剣戟が出てきてクルガトワールの体を斬りつけている。
体制を崩したところで、リクス、キース、ミレニスの三人で一気にたたみ掛ける。タイミングをずらして剣と薙刀で斬り裂いていて、爪や牙での反撃を受けそうになると一人が庇い、その隙にもう一人が攻撃を加えている。
この連携を打ち崩すのは、幾ら神獣と言えども至難の技だろう。
そう思っていると、クルガトワールの背の炎翼がより一層勢いを増して大きくなると、体を包み込むように炎がリクス達へと向かってきた。予想外の攻撃に一瞬飛び退くのが遅れ、体のあちこちを炎が掠めてバランスを崩し、三人は床に倒れ込んだ。
そして、クルガトワールの真下に紅い炎の紋章が現れる。
このままではマズイと思った時、リンッと澄んだ音が鳴り響いた。
「逆巻く激流-プレストガイゼル-!」
クルガトワールの紋章を覆い隠すように出現した蒼い水の紋章から水柱が吹き上がり。
「激震せし流動-アクエリアスシェイブ-!」
前に出しているディラルドの手の前でワンドが縦回転し、クルガトワールの下に蒼い水の紋章が出現すると、数本の水の刃がクルガトワールの体を斬り裂きながら天井に向かって昇っていった。
水が消え去った時、クルガトワールは床に体を横たえていた。
そのまま様子を窺っていると、むくりとその体を起こした。
リクスとミレニスはすでに疲弊しており、それはスフィアとて同じだった。戦闘は今回が初めてだと言うディラルドとキースの二人だけで勝てる程、生易しい相手ではない。
それでもどうにかしなければと剣を握り直したキースだったが、その手はすぐに止まる事となった。
【全ての闘士は示された フェアトラークよ グラナーテコアに誓いを立てよ】
「は、はい!」
クルガトワールに呼ばれたディラルドはトコトコとやって来ると、左手のひらを天井に向けて拳を握り、差し出すように手を伸ばす。グラナーテコアと言うらしい、ブレスレットの紅い石がキラリと一度、煌いた。
「我が名はディラルド・エスティーダ。フェアトラークの資格を与えられし者。我が願いは主の願い、主の願いは世界の願い。我らに力と加護を与え賜え。我が生涯は主の為に」
【承知した】
クルガトワールの体は燃え上がり、炎となるとブレスレットの紅い宝石の中へと入っていき、グラナーテコアの中に炎が灯った。そして十字架の紅い宝玉が、炎が揺れるように一度、大きく煌いた。
ディラルドは息を吐き、皆を振り返る。
「無事、誓契完了です」
「やったね、ディラルド!」
「はい! リクスさん達のおかげです!」
ありがとうございますと頭を下げるディラルドに、リクスはそんな事ないよと手をぶんぶん振っている。
もしリクス達と出会っていなければ彼は神獣と誓契する事もなかったのではないかと考えると、リクス達のおかげと言うのも素直に頷けるというものだ。
そうしていると、ミレニスがディラルドに声をかけた。
「ディラルド、貴様に頼みがある」
「はい」
「僕らと共に神獣の力を集めてほしい」
しかしながら、答えたのはディラルドではなくキースの方だった。
「僕……ら? それって俺らも含まれてんのか?」
「当然だろう。祭壇はスフィアにしか反応しない。スフィアが居なければ、ディラルドが居たところで神獣と誓契は出来ないからな。スフィア一人でも構わないが、貴様らが居ないとスフィアは来ないだろう。それに、先ほどので判ったが神獣との誓契では試練が行われる。三人では心許ない」
つまり要約すると、ミレニスはここに居るメンバーで神獣との契約を行いたいという事だ。
回りくどい言い方をし、仕方なく一緒に居るんだという事を強調して言っているが、結局のところはそういう事になる。それはキースもリクスも判ったらしく、キースは楽しそうにリクスは嬉しそうに笑っている。
ディラルドも嬉しそうに笑っていて。
「そうですね。僕もフェアトラークとして神獣と誓契したいですし、学者としてスフィアさんと祭壇の関係や祭壇を調べたいので、是非ご一緒させて頂きたいです」
ニコリと笑うディラルド。そしてスフィアも、理解してはいないようだが笑いながら頷いている。
承諾してもらえたという事に安堵したらしいミレニスは小さく息をついていたが、次のディラルドの言葉に眉を顰める事となった。
「ただ、僕は博士という称号を持っています。アリスハイトを離れるには許可を貰わなければなりません。正式なお返事は、許可が出た後でも良いでしょうか」
「許可というものはすぐに出るものなのか?」
「そうですね……少し時間がかかってしまうかもしれません。でも、必ず説得します。僕の力が必要という事でしたら協力は惜しみません」
力強い意思を感じる。それはディラルドが学者だからだろうか。自己の探究心や研究意欲からくるものなのだろうか。その真意をリクス達が知る事はなかったが、それだけではないのだろうという事は窺えた。
僕の力が必要でしたら協力は惜しみません。その言葉に全てが集約されているのではないかと、リクスは思った。人助けがしたい。誰かの役に立てるならば持っている力、全てを出すと。
「ただ、僕の為に皆さんを足止めするのは忍びないので、この先にあるウェッジウッドという村に向かってもらえますか?」
「何でウェッジウッドなんだ?」
「僕の恩師がそこに居るんです。神獣学の知識は僕以上ですし、ヴェルミナ様の信仰も深いようなのでいろいろな話を聞けると思います」
ディラルドの許可が出るまでアリスハイトでじっとしているよりも、沢山の話を聞いたり知識を得たりしていた方が有益だという事だろう。「僕は後から追いかけるので先にウェッジウッドに向かって下さい」と言うディラルド。
しかしながら、すぐに頷く事は出来なかった。
「ディラルドは大丈夫なの?」
リクスの問いに、「はい」と笑顔で答えるディラルド。
果たして、彼は大丈夫の真意を理解しているのだろうか。
街を離れると道中に魔物は居るのだが、聞いた限りではディラルドは戦闘というものをした事がない。それは誓契の際に自身が口にしていた。実戦は初めてだと。そしてキースに指示を出してもらい戦っていたのだ。
そんなディラルドが魔物の横行する外に一人で出られるとは思えない。しかも彼は神術を得意としている為、接近戦には滅法弱い。突然、襲い掛かられようものなら簡単に命を落としてしまう可能性が高いだろう。
だから一人で大丈夫なのかと問うたリクスだったが、今の返事を聞く限り、ディラルドは説得できるかどうかを問われていると思っている。
そんなやり取りを見ていたミレニスは、先が思いやられると息をついていた。
とりあえずいつまでも神殿にいた所で意味はないとアリスハイトへ戻る事となった。数十分でアリスハイトに到着し、アーチを潜り抜けると先頭を歩いていたディラルドが皆を振り返る。
「それでは行ってきます。遅くても明日には合流できると思うので」
何とかしてみせますと言うとディラルドは行ってしまい、リクス達は不安そうな顔でその後ろ姿を見ていて、ミレニスは一度目を閉じると口を開いた。
「心配するな。僕がついて行く」
「ミレニス……ありがとう!」
「勘違いするな。フェアトラークであるディラルドに死なれては困るだけだ。それにスフィアが居ないと神獣と誓契できないからな」
「うん、ありがとう」
それでもニコリと笑ってお礼を口にしたリクスに、ミレニスは顔を背けるとディラルドの後を追って歩いて行った。
そんなミレニスを見送って、三人は顔を見合わせて笑い合う。
ミレニスは、自分の為だと言い張らなければ行動しないのだとこれまで一緒にいる中で知っている。けれど、それが本心ではないのだろうということも理解していた。
だからリクス達は気にする素振りなど微塵も見せずに、街の南側へと向かって歩き始める。
ディラルドに薦められたウェッジウッドに向かう為に。
アリスハイトを出て暫く進むと、そう遠くない場所にその村はあった。
道中に見えた森には、遠目から見ても一際大きな樹があるのが見えていた。その樹を目指して進んで行けば、すぐに村が姿を現した。
巨大樹の周りは広場のようになっていて、巨大な姿の全様を見る事が出来た。大樹を見上げたリクスとスフィアは感嘆の声を漏らす。
「凄い、大きいね~!」
「ふわ~、空、見えるない!」
広い敷地にもかかわらず、空を覆い隠してしまうほどに伸びる枝葉。その枝には梯子がかけられていて、枝から枝へと木の板が敷かれて通路になっている部分もあり、木の幹には扉や窓や看板がある事から幹の中に居住スペースがあるのだとすぐに分かった。
「これは確かに壮観だな」
深緑の村と呼ばれるウェッジウッド。巨大樹の上で生活する村。ヴェルミナの信仰が深く、少しでも天に近い所で暮らしたいと木の上で暮らすようになったという話だ。だが、実際のところは魔物対策だろうとキースは思う。
見たところ、この街にメルクリウスは設置されていない。村としてのシンボルであるアーチがなく、四方八方を木々が囲んでいる。つまり、結界がないのだ。周辺域に生息する魔物はガルム系が多く、樹を登るような習性はない。だからこそ、樹の上で生活する事で魔物からの被害を受けないようにしている。
そんな事を考えている事など、前を歩く呑気な二人は気付いていないだろう。リクス達と共にディラルドの恩師に会う為に地面から伸びる梯子を探し、木の上へ登る事にする。
しかしそこで気付くのは、ディラルドの恩師が誰で、どこに居るのかという事だ。名は一応聞いたが、どこにいるのかは知らないのだから訊ねて回るのが得策だろうか。
枝から枝にかけられた数枚の板の上に立ってキースは考えているが、ふと視界に映った物珍しそうなリクス達を見てフッと笑みを浮かべる。無邪気に笑っている姿を見れば、年相応の少年と少女だ。他の人と何も変わらない、普通の……。
そう考えていると、さっさと先に進んでいたリクス達が振り返り、キースの名を呼んでいる。
そちらを見ると楽しそうな笑顔があって、キースは息をつくと歩き出した。
板を上り梯子を上り、途中の道具屋でディラルドの恩師という人物の事を訊いて辿り着いた場所は、最上部の木の幹の中に作られた家だった。木の板で出来た扉をノックする。
「すいません、ディラルドからこちらを訪ねるよう言われたんですけど……」
中に居ると思われる人物に向かって声をかければ、中から入りなさいと男性の声が聞こえてきた。
ドアを開けて中に入れば、奥の方にある机に本を置き椅子に座っている人物が見えた。白髪頭に眼鏡をかけている、ローブを身に纏った初老の優しそうな男性だ。部屋には本棚がところ狭しと並んでいて、ディラルドの恩師というのも頷けるような部屋だった。
「ディラルドに言われたとか……一体どういうご用件で?」
「あ、はい。その……祭壇のこととかヴェルミナ様のこととか大聖堂のことを聞きたくて、そうしたらディラルドがあなたを訪ねるといいって言ってたんです。俺、リクス・ユーリティって言います!」
緊張しているのかしどろもどろになっているリクスに苦笑しながら、キースは自己紹介と、スフィアの事を紹介して頭を下げた。
初老の男性は微笑ましそうに三人を見回す。
「そうか。私はハイネス。立ち話も何なので、こちらにどうぞ」
隣の部屋へ通されると、そこにあった対面しているソファに座るよう促されリクス達は腰掛ける琴似した。その向かい側にハイネスが座り、ハイネスは静かに声を発する。
「さて、何から話そうか……祭壇と言っていたね、祭壇とはそもそも何なのか知っているかね?」
「いいえ……俺たち、本当に何も知らなくって……」
「それでは、世界の始まりから話そう」
ハイネスから語られたのは、世界創造期の話だった。
遥か昔、世界には何もなかった。
このままでは世界は世界として機能しなくなり、命あるものが生きていく事はおろか、誕生する事すら出来なくなってしまう。見兼ねた女神は、命が生まれる為に必要な要素を与える事にした。それは世界を構成する為に必要なもの。そして世界が生きていく為に必要なもの。
それらの要素は形を得、神獣となった。
大地を作る、地の神獣――樹猫-アルフェーレス-。
海となり緑を育む、水の神獣――水龍-リヴァーテル-。
熱を生み出す、火の神獣――炎翼竜-クルガトワール-。
気温の調節やエネルギーに必要な、風の神獣――風鳥-ファウライレ-。
原動力となる、雷の神獣――雷狼-ルーヴァオン-。
水を冷却し世界に雨を降らせ均衡を図る、氷の神獣――氷晶兎-クルスタリス-。
世界に光をもたらす、光の神獣――光弧-ラディウス-。
世界を優しく見守る、闇の神獣――闇獅子-レヴナント-。
神獣の力で、何も無かった虚無の世界は見る見るうちに豊かになり、そして世界に命が芽吹いた。
女神は世界に「リルアーテル」という名を与えた。
植物が生まれ、動物が生まれ、そして人が生まれた。世界を構築するものが溢れる中で、エネルギーとなるマテリアを安定して供給する事が出来るように、女神は世界に神殿を建てた。これでリルアーテルは安泰だと思われたのだが、人々は生きていく方法を知らず、生きる事が出来なかった。
このままでは、せっかく生まれた命が消えてしまう。
女神は他の世界の者に知恵を借りる事を決めた。リルアーテルと隣り合わせで存在している世界「ベルティエラ」。
世界の垣根を越えてベルティエラから生きる術を学んだリルアーテルの人々は生を続ける事が出来、役目を終えたベルティエラの者達は自らの世界へと帰り、二つの世界は扉によって隔たれ、以降、その扉が開く事はなかった。
そこまで話し、ハイネスは一息ついてリクス達を見回す。
「これが私どもの世界、リルアーテルの世界創造期の話だ。神獣は神が遣わし、その神獣を祀っているのが神殿であり祭壇なのだよ」
リクスにとっては初めて聞く事ばかりだった。世界が創られた頃の事など、一度だって考えた事はなかったのだから。
世界が存在しているのは当たり前の事だと、ずっと思っていた。古の出来事なのだから、初めからあったと思うのもまた当然と言えるだろうか。
キースも知識として多少は知っていたが、ここまで詳しい話は初めてだ。ディラルドが提案してくれただけの事はあり、とても興味深い。
「あの、その頃の神様ってやっぱりヴェルミナ様だったんですか?」
「いや。別の神だったという話だ。そもそも世界創造期には、神を信仰するような事はなかったのだ。そう、ヴェルミナ様が現れたのは世界創造期よりもずっと後の事」
「それって、魔物封印の時か」
「そう、女神天昇期の話になる」
そこから、話は別の時代へと移り変わる。
女神天昇期。
それは嘗てリルアーテルで起こった、《黒き戦慄》の時の事象である。
人々が心に負を抱え膨大になると、負は体から離れて意思を持ち、体を持ち、魂を持った。それが魔物という存在。
魔物は人間の負から生まれる。即ち、負の感情の塊である。その感情は全て、生み出した人間へと向けられていた。だから魔物は人を襲い、新たな負を呼び、自身を満たそうとする。
そして、その数を膨大に増やした魔物達は群れを成し、一斉に人間達に襲い掛かって来たのである。世界中の国々の軍勢が協力し合い立ち向かったが、魔物の群れは圧倒的な力と圧倒的な数で攻め込んで来る為、差は歴然であり、このままでは人々は全て喰らい尽くされてしまうかと思われた。
そこで立ち上がったのが、当時は地上で暮らしていた、ヴェルミナ=イルミナーレである。
彼女は戦乱の最前線に立ち、胸の前で手を組みその目を閉じ、そして静かに旋律を紡いだ。音でもなく声でもなく唄でもない詠が響き渡ると、魔物達の下に光の紋章が陣で展開され、次々に地面の中へと吸い込まれるように消えていった。
全ての魔物が地中に消え、旋律がやむと天から翼を持った人々が数人、ヴェルミナの許へとやってきた。
目を開いたヴェルミナは、人々にこう伝えた。
《魔物は全て封印しました。しかし、負が世界中に溢れると再び同じことが繰り返されるかもしれません。負が正に還る為の《フェクール》をリルアーテルに植え、《メルクリウス》を授けます。悲劇が繰り返されないよう、わたくしは天上からリルアーテルを見守ります。人々が優しさを忘れずに心穏やかに生きれば、世界は平和であり続けるでしょう。どうかそのことを、決して忘れないでください》
そうしてヴェルミナは翼を持った人々――天使と共に天上へと昇り、リルアーテルをずっと見守ってくれている。
食い入るようにハイネスの話に聞き入っているリクス。
「その後、ヴェルミナ様の願いを忘れぬようにと教会が創られ、ヴェルミナ神教という名の聖職者達が生まれ、女神信仰が始まった。そして個々に存在していた国は分裂している場合ではないとし、纏まる事を決意し、初代リルアーテル王が誕生した。それから国を街へと変更し、現在のような世界が形成されたのだ」
何百年、何千年も昔の話だ。
知っているのと知らないのでは、世界の見え方がまるで違う。それは考え方にも影響するだろう。これまで、何も知らずに生きてきたリクスにとって、ハイネスの話は衝撃だった。
ここで得た知識が今後、どのような効果をもたらすのは定かではない。しかしそれでも、得たものはとても大きいような気がした。
「ところで、君達はディラルドとはどういった関係で?」
「あ、俺たちは……えっと、友達、です」
どう答えていいのか判らずに困ったように視線を宙に彷徨わせているリクスに呆れつつも、キースは補足してやった。
「仲間が神獣の力を必要としてて、神獣と誓契する為に祭壇を廻ろうと思ってるところです」
「なるほど。ディラルドは今、アリスハイト中央学会に許可を願い出ているところという訳か」
「はい」
すぐに状況を理解すると、ハイネスは顔の皺を深くして微笑んだ。
「あの子は、頭は良いがまだ幼い。迷惑をかける事もあるだろうが、どうか宜しく頼む」
「もちろんです!」
「ありがとう。明日になれば許可も下りて合流できるだろう。今日は私の家に泊まると良い。何もない所ではあるが、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます」
それからもハイネスといろいろと話をし、話を聞き、知識を蓄え、楽しい時間を過ごしているとあっという間に夜は更けていった。
翌日、ハイネスにお礼と別れを告げて村の出入口に向かってみれば、そこにはミレニスとディラルドの姿があり、リクス達の姿を見つけるとディラルドは嬉しそうに大きく手を振り、リクスとスフィアも嬉しそうに駆け出していた。
昨日の学生服とは違う服を着ているディラルド。
短い詰襟になっているアイスグリーンの半袖の上着はライラック色のラインで縁取られ、袖口と裾の両脇にスリットが入り、裾にもスリットが入って分かれている。細めの白いシャツは、深緑色の幅広い袖口となっており、白い膝丈のズボンに、脹脛までの短いブーツを履いている。
どうやら、アリスハイトを出るにあたって動きやすい服装に着替えたようだ。
「お待たせしてすみません」
「気にしないでよ。ハイネスさんからいろいろ話聞けたし、楽しかったんだ」
「そうですか、それは良かったです」
ニコッと暖かな笑みを浮かべるディラルド。
嬉しそうに楽しそうに話すリクスの言葉が偽りではないと理解しているから、自分の恩師と話が出来て良かったと言ってくれた事が嬉しいようだ。
そんな和やかな空気を壊すように、ミレニスは淡々と言葉を紡ぐ。
「それで、これからどうするつもりだ」
「これからって?」
唐突な話に、リクスはキョトンとして頭上に疑問符を浮かべる。
ミレニスの言葉の意味を理解していないらしいリクスに溜め息に似た息をつくと、ミレニスが再び言葉を紡ぐ。
「僕は一刻も早く神獣と誓契したいのだが、貴様らにはやる事があるのだろう? だから次はどこに行くかと訊いたんだ」
「それって……俺たちの目的を先に果たしていいってこと?」
遠回しに言ったにもかかわらず、一瞬驚いたような表情をしたリクスの目が輝き出した事と自分で言う事は恥ずかしくて出来なかったというのに率直に平然と言われ、ミレニスはまともにリクスを見る事が出来なくて視線を外した。
「僕は、別に……貴様らが前に祭壇に行ったと言っていたから、来た道を戻る事になるだろう。だったら先に進んでからでも遅くはないと思っただけだ」
「ふ~ん……」
「へぇ~」
「ふふっ」
「ほぉ~」
面白いものを見たようなキースの視線、何故か嬉しそうなリクスの視線、笑顔で暖かい視線を送るディラルド、よく判っていないが皆が嬉しそうなので自分も嬉しいスフィアの視線。
そんな四者四様の呟きに、ミレニスの顔の赤さが更に増していた。
「とにかくだ! 行き先は貴様らが決めろ! 僕はそれに従う」
照れ隠しで声を張り上げると完全にそっぽを向いてしまったミレニスを微笑ましそうに見てから、キースが先を促した。
「ってことなんだが、結局ハイネスさんも大聖堂の場所は知らなかったんだよな」
「そうでしたか……けれど、手掛かりが全くないという訳ではありません」
「本当!?」
「はい。ウェッジウッドよりも更に南に、聖都と呼ばれている街があります。聖都に行けば、何か判るのではないでしょうか」
確かに、聖都と呼ばれているという事はヴェルミナ神教に深く関わっていると考えて良さそうだ。そんな街であるならば、大聖堂を知っている可能性はぐっと高くなる。
「じゃあ、聖都に行ってみよう!」
リクスの言葉にそれぞれが頷き、ウェッジウッドを後にした。