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MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第一部 女神降臨篇
6/21

6 大聖堂を探して

 翌日の昼、キースが言っていた通りに船はアルテイア大陸へと到着した。

 船から降り立った一行はバッシュに別れを告げ、港を後にすると街の広場の方へとやって来た。

「わー、おっきいね!」

 広場を見渡しながら、リクスは感嘆の声を上げた。

 ここはフェルメールという港町。漁港だったハイドレンジアとは比べ物にならない程、大きな街は人々が行き交っている。大陸の港町だけあるといった感じなのだろう。大陸の他の街との連絡船や定期船なども出ている為に、人が集まってくる場所なのだ。更に、貿易が盛んなので行商人の姿も多く見受けられる。

 そして、この街に活気があふれている理由がもう一つある。

「大聖堂の情報収集だが、ここなら手がかりがありそうだな」

「どうして?」

「ここには聖堂があるんだよ」

 この港町がこれ程までに大きく人々で賑わっているのは、聖堂があるからというのも理由の一つだ。

 聖堂は、女神ヴェルミナの加護を受けている地にのみ建っていると言われている為、その数はあまり多くない。巡礼者はその地まで赴くので、こうして聖堂のある街や村は栄えている。

 フィエスタは辺境にあるので栄えているとは言い難いが、隣のグラファイトは辺境の地としては大きな街だろう。

 だから先ずは聖堂に行こうと言うキースに賛同して歩き始めようとしたのだが、すぐにキースは足を止め、最後尾にいるミレニスを振り返った。

「で、お前はどうするんだ、ミレニス」

 真っ直ぐにミレニスを見るキース。そんなキースをミレニスも又、見据えるように見ていて、何だかその雰囲気は一触即発といえるようなものだった。

「お前の頼みは、船に一緒に乗せてくれというものだったよな? 今はもう港だ。船から降りたのに、お前は無言で俺らについて来てる」

「き、キース。そんな風に言わなくても……」

 仲裁に入ろうと二人の間に割って入ったリクスだったが、キースにギロリと睨まれてしまった。

「リクスは黙ってろ」

「……はい……」

 いつもよりもずっと怖いキースにリクスは素直に従うしかなく、一歩後ずさった。

 こうなったキースに逆らう事など誰ができるだろうか。

 そうしてリクスが黙った事で今一度ミレニスを見、口を開くキース。

「もう一度訊く。お前はどうしたいんだ」

 しっかりとミレニスを見てハッキリ言ったキースに、その言葉を受けてミレニスは一度目を閉じると息をつき、そして真っ直ぐキースを見返す。

「僕はある人物を捜して旅をしている。貴様らといる事で見つかるかもしれない。だから、僕も共に行かせてほしい。それに、貴様らだけだと道中が不安だからな」

 これはミレニスからの頼みととっていいだろう。共に行かせてほしいと言ったのだから。

 言葉を聞いてキースはニッと笑みを浮かべると、ミレニスの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でる。

「最後の一言は余計だけど、合格だ! 一緒に行こうぜ、ミレニス!」

 頭を撫でられた事で苛ついたのかキースの手を払いのけているミレニスだったけれど、怒りは見られなかった。昨日、甲板で見た光景からも仲良くなったのであろう事は判ったので、その影響かもしれないとリクスは思った。

 話が纏まったところで聖堂へと向かった一行だったのだが、聖堂の前に人が集まっているのが遠くからでも判った。

「何だろう、あの人だかり」

 こうして人だかりを見るのは二度目だ。ハイドレンジアの時のように、再び問題が起こっているのではという不安が過ぎったのだが、ここで不安がっていても仕方がないので聖堂に近づいてみる。

 忙しなく行き来する人々を前に立ち尽くしたが、リクスは聖堂の扉の前に立っている女性に思い切って話しかけてみた。

「すみません。あの、何かあったんですか? 皆さん忙しそうですけど」

 訊ねてみれば、女性はリクス達に幸せそうな笑みを向けた。

「ええ。明日はここで婚儀が執り行われるんですよ」

 婚儀と聞いてもピンとこないリクスとスフィアは首を傾げ、ミレニスは訝り、キースは納得の表情を浮かべる。

 すぐさま別の男性が扉の前にいた女性に話しかけに来たので、邪魔にならないようにと聖堂から少しだけ離れると、キースが溜め息をついた。

「厄介な時にぶつかったもんだな」

「え、どうして?」

「どうしてって、そりゃ、婚儀だからな」

 そのくらい判るだろと言おうとしたのだが、先程の女性の話を聞いた時の様子を見ていればそうではないのだと想像がついたので、先ずそこから説明しなければと、キースは話し始めた。

「婚儀っていうのはだな、要するに結婚の儀式だ。結婚をする前に、ヴェルミナ様に祈りを捧げて加護を受けるってものだな。婚儀をすると、ヴェルミナ様に祝福されて末永く幸せに暮らせると言われてるんだ」

「へぇ~。凄くいい話じゃない」

「ずっと幸せ、ステキ!」

「まあ、そうなんだけどな」

 そう言うキースの表情はあまり良いものとは言えず、ミレニスは顎に手を当てて何かを呟いていたのだが、聞き取る事はできなかった。

「でも、何でそれが厄介なの?」

 当然の質問かとも思うが、キースは困ったような表情のままリクスの質問に質問で返す。

「……リクス……俺らの目的は何だ?」

「え? スフィアの記憶を取り戻す為に、大聖堂に行くこと」

「その俺らが、フェルメールに来た理由は?」

「大聖堂の場所が判らないから、ここの聖堂で教えてもらう為、だよね」

「……そう、そうなんだよ……」

 何故だか落ち込んでしまったキースに、いよいよもって他の三人は理解できずに不思議そうにしている。

 一体何が起こっているのか、キース以外は状況を把握していないのだから、無理もないだろう。

「婚儀ってのはな、花嫁が聖堂にあるヴェルミナ様の像の前で三日三晩祈りを捧げ、花婿が聖堂の傍にある鐘の前で花嫁のことを三日三晩想い続けるってもんだ。三日目に鐘が鳴り響くと婚儀は成功とされてる。そしてその間、つまり明日から三日間、花嫁以外は何人たりとも聖堂に入れない決まりになってんだ」

 それはつまり、明日から三日間は何もできずにフェルメールで足止めを食うという事だ。フィエスタ襲撃犯を捜す事もリクス達の旅の目的であるので、それ程、時間をかけていられないというのに。

「でも明日からなら、今日訊けばいいんじゃないの?」

「明日の準備の為に司祭は聖堂に篭りきりになる上、大勢の人間が聖堂を出入りする。実質、今日だって聖堂には入れねえんだよ」

 今も見えている聖堂前の人達は、誰も彼もが慌しく動き回っていて、その人数は増えたり減ったりと絶え間なく変化している。そんな状況下で聖堂に押し入るわけにはいかず、けれども四日も何もせずに黙っている事もできない。

 このまま闇雲に大聖堂を探すというのも一つの手だが、広い大陸中を探すとなると効率がとても悪い上に、いつ辿り着くかも、辿り着けるかも判らないのだから、それこそ正に時間がない。

 聖堂前にいてもどうしようもないので聖堂から中央広場へ続く道の方へ、何の目的もなく歩いて行く。

「これからどうしようか」

「どうするっつったってなぁ。当てにしてた聖堂がダメとなると、他に選択肢はねえよな……」

「聖堂は諦めるべきではないか?」

「でも、聖堂に行かないと大聖堂の場所が判らないよ」

「今まで通り、道すがら訊いて行けばいいだろう」

「そうは言ってもなぁ」

 話し合っていても、堂々巡りしていて先に進まない。

 こういう話をしている時、スフィアは一切ついていけていないので話に参加する事はなく、何となく聞きながら共に歩いているだけだ。

 そうしていると、「あ」とスフィアが呟いた。

「どうしたの?」

 何かあったのかとスフィアを振り返ろうとした瞬間、リクスの背中に勢いよく何かがぶつかった。しかし衝撃から、ぶつかって来た布を羽織っている人物の方が倒れそうになり、咄嗟にその人の手を引いたリクスだったのだが、支えきれずにバランスを崩してその場に座り込んだ。

「リクス、危ない」

「スフィア……そういうのは、先に言ってくれるかな?」

 ルヴナントクリーヴァの時にも思ったのだが、スフィアの危険を報せる言葉は少々遅い。もう少し早く報せてくれれば未然に防げるかもしれないのだが、今のスフィアではそこまで頭は回らないのだろう。

「おい、大丈夫か?」

 キースが座り込んで俯いている、ぶつかって来た人物に声をかけるとその人は顔を上げ、頭から被っていた布が流れ落ちた事で全貌を見る事ができた。

 二十代前半くらいの、純白のドレスに身を包んだ藍色のセミロングの髪の女性。

 その姿に、キースは目を丸くする。

「その格好……あんた、明日の婚儀の花嫁じゃないのか?」

 婚儀の花嫁という言葉に皆が驚く中で、女性は静かに頷いた。

「……はい……」

「えっ!? でも、花嫁さんって婚儀の準備をしてるんじゃないの?」

「そのハズなんだがな。婚儀の前日から聖堂に入っていなきゃならないのに、どうしてこんなとこに……」

 目を伏せる女性。

 訳ありだろうという事はすぐさま察しがついたが、どうやら状況はあまり良くないらしい。

「彼が……いないんです」

「えっ?」

「街中捜しても、どこにもいなくて」

 今日は婚儀の前日であり準備の日だ。明日から三日間会えなくなってしまうので、その前にもう一度会おうという話になって家で待っていたのだが、いつまで経っても彼は彼女の家に現れなかった。すぐに司祭に呼ばれて聖堂に入った彼女だったが、おかしいと思いこっそり聖堂から抜け出すと、彼の家を訪ねてみたのだが姿はなく、それからというもの街中を捜し回っていたのだと言う。彼の行きそうな場所もいつも行かない場所も、建物の中も港も、この街全てを隈なく。

 それでも、彼を見つける事は出来なかった。

「こんな大事な日に外に出たとは思えないけど、もう捜す場所は他になくて……」

「何か心当たりでもあるのか?」

「彼、よく泉に出かけていたの」

 その泉は、フェルメールから少し離れた小さな森の中にあるのだと言う。何をしているのかまでは知らなかったが、頻繁に訪れていた場所なのだとか。

 婚儀の前日に遠出をするとも考えにくい為、そこが一番濃厚だろうか。

「私、行かないと!」

 走り出そうとした女性の腕を掴み、すぐさま引き留めるのはリクス。

「危ないよ。外は魔物がたくさんいるし、森の中なら凶暴な魔物が多いはずだから」

「でも、彼を捜さないと……!」

「では、僕らが代わりに花婿を捜しに行く」

 再び走り出そうとした女性を止めたのは、ミレニスだった。

 まさかミレニスの口からそんな言葉が出ると思わなかったリクスとキースは驚いているが、そんな二人を気にする事無くミレニスは続ける。

「花嫁は聖堂にいなければならないのだろう。騒ぎになる前に戻るべきだ」

「でも、見ず知らずの人にそんな……」

「大丈夫! 俺たちが絶対に花婿さんを連れて帰って来るから、花嫁さんは聖堂で待ってて」

 戸惑う彼女に、リクスは優しい笑みを向ける。

 不安な気持ちは、そう払拭されるものではない。婚儀前日に結婚相手が行方不明となると、心中穏やかでいられる筈がない。

 けれどもリクスの言葉は力強く、スフィアの柔らかな笑みを見ると焦りが消えていくようだった。それは表情からも読み取れて、彼女は少しばかり微笑んだ。

「ありがとう」

「俺はリクス。こっちがキースで、こっちがスフィアと、ミレニス」

「私の名前はサァラよ。彼を……ライノアをお願いします」

 深々と頭を下げるサァラに行ってきますと言い、フェルメールを後にした。

 教えてもらった森はフェルメールの東に位置する場所にあり、言っていた通りさほど距離はなく、すぐに目視する事が出来た。

「しかし、ミレニスからあんな言葉が出るとは意外だったな」

「うん。絶対反対されると思ってたよ」

 僕達にはそんな暇はないと言われるものだとばかり思っていたので、少々拍子抜けした。

 しかし、そんな呑気な会話をしているリクスとキースに、ミレニスは冷たい視線を送る。

「馬鹿が。彼女は明日の婚儀の花嫁だ。その彼女が困っているならばチャンスではないか。彼女に恩を売っておけば、聖堂に入れるかもしれないのだからな。四日間、ただ待つよりも効率的だろう」

「ミレニス、そこまで考えてたんだ……人助けの為だとばっかり思ってたよ」

「当然だ。キース、貴様までリクスのような能天気な事を思っていたのではないな」

「まさか。これでも俺は保護者だからな、考えた上で人助けを優先させたってだけのことだ。つまり、聖堂のことはついでだな」

 同じ事を思いついておきながら、目的を優先させたミレニスと人助けを優先させたキース。これは偏に考え方の違いなのだろう。

 けれどそれでも。

「どっちだっていいよ。サァラさんのことを助けられるんだったらね!」

 ねー、と笑い合っているリクスとスフィア。笑いながらリクスはスフィアの手を取って走り始めてしまい、そんなリクス達の後を追って駆けて行くキース。無邪気な明るさの見える後ろ姿を見据えながら、ミレニスは小さく呟いた。

「だから甘いと言うんだ……貴様らは」

 その声は誰に届く事無く風に消えると、ミレニスも後に続いて森の中へと入って行く。

 道なりに進んでいけば、目的の場所にはすぐに到着する事が出来た。木々がなくなり開けたそこは、フェクールの樹が植えられている泉よりも更に大きな泉のある場所だった。

 しかし泉以外には何もない場所で、閑散としている。

 こんな所に一体何の用があるのだろうかと訝っていると、泉の左の方に黒い人影がある事に気が付いた。

 黒衣に、リクスが再び反応する。フィエスタの村を焼いた黒衣の者達ではないのかと。

 そう思うと反射的に剣を引き抜き、駆け出していた。

「キミ達、何をやってるんだ!?」

 怒声とも呼べる声を発するリクスにビクついて振り返った黒い人影に、リクスはすぐに足を止める事となった。

 そこにいたのは、山を下りてすぐに出会った黒衣の二人組だ。

 あの時、彼らは山に向かって歩いていた筈なのに、どうして大陸にいるのかという疑問が浮かんだのだが、ふと視界に映った地面に横たわっている人に、思考が止まった。

 その体には無数の傷があり、服も体も地面も血で染まっている。

 見た瞬間、リクスの瞳孔が開いた。

「キミ達が、やったのか!!」

 眼と殺気とも呼べる空気に気圧されている二人組は、それでも必死に首を横に振って否定している。

「ち、違う! オレ様たちじゃねえって!」

 それでもリクスは手を緩める事をせず、気迫は更に増しているようだった。

「ホントだって! 俺らは何にもやってないんよ! 俺らが来た時には、もうこの人倒れてたん!」

 降参するように両手を上げたまま泣きそうになり、目に涙を溜めている紫髪の男。メッシュ髪の男も勘弁してくれとばかりに声を上げている。

 どう見ても哀れな彼らにキースは息と吐くと、リクスの肩に手を置いた。

「リクス、落ち着けって。多分こいつらの言ってることは本当だ」

「あんた……俺らんこと、信じてくれるん……?」

「だって、こんな状態のリクスに睨まれて嘘つけるほど、強い心なんか持ってねえだろ」

 ニッコリととても良い笑顔のキースに、冷や汗を浮かべている黒衣の二人組。

 あ、信じてくれたわけじゃないんすね……。

 当たり前だろ。

 表情だけでやり取りされた言葉は互いに通じていたらしく、黒衣の二人組はがっくりと肩を落としている。

 不意に、スフィアがリクスの真正面へと回り込み、剣を握っている手を自分の両手で包み込むとリクスを真っ直ぐに見上げた。

「リクス、怖い無い。平気」

 良く通る声にハッとして、リクスはスフィアを見下ろした。

 目と目が合った事で満足したらしいスフィアはニッコリと笑って手を放し、そのままリクスを見ている。

「ご、ごめん、俺、またやっちゃって……」

「今回のことは、紛らわしいこいつらも悪いしな。気にすんなよ」

 それは恐らくは黒衣の二人組が言う台詞なのだろうが、そんな事を口にする勇気など二人組にある筈もなく、何となく流されそうになっている事を拒みはしなかった。

「で、お前らは何でこんなとこにいるんだよ。海とは逆方向に向かってたじゃねえか」

「燃料が手に入ったから、別んとこ泊めてた最速の船で近道したんよ。んで、何か雷が落ちたからここまで来てみたってわけ」

「僕らは見ていないが」

「こんなに天気がいいのに雷って落ちるものなの?」

「そう! 雨降ってるわけでもないのに雷なんておかしいって思うだろ? オレ様たちも不思議に思って来てみたら、こいつが倒れてたんだ」

 話している内容に嘘偽りはないだろうが、聊か信じられるものでもない。リクス達はすぐ近くのフェルメールにいたというのに、その音も光も感じ取ってはいないのだから。

 そうしている間にも倒れている男性は衰弱していて、スフィアは胸元についているロザリオの中心に埋め込まれている紅い宝珠に触れると、ベルがその姿を現した。

 ベルを握ってすぐ傍に座り込み、目を閉じる。

「……プリモクーラ」

 リンッとベルが鳴りキラキラとした光が降り注いだ。水が染み渡るように、男性の体内へと入っていく。

 これで大丈夫だろうと思った時、降り注いでいた光が突然弾け飛んで霧散した。見てみれば男性の姿は何ら変わってはおらず、傷ついたままだ。

 驚きに目を丸くしているスフィア。

「……どうして、治ってないの……?」

 代弁するかのように呟くリクス。

 男性を凝視したままのスフィアの手が次第に震えていき、やがて力が抜けたかのようにベルはスフィアの手から落ちると、地面にぶつかる前に光の粒子になって消えてしまった。

 その様子を見ているキースの目はどこか正常ではないように映り、ふぅっとミレニスは息をついてから口を開く。

「一度フェルメールに戻ろう。恐らく、彼がライノアだ」

「あ、ああ、そうだな」

 落ち着いたミレニスの声に現実に引き戻されたキースは頷くと、黒衣の二人組を見やる。

「運ぶの手伝え」

「は? 何でオレ様がそんなこと――」

「文句、あんのか?」

 ボキボキと指を鳴らしているキースは何の遠慮もせずに脅していて、そんなキースに黒衣の二人組が逆らえる筈もなく、喜んで引き受けさせていただきますと涙ながらに言っていた。

 すぐさま戻ったフェルメールで、聖堂に真っ直ぐ向かってみたのだが、未だ聖堂は沢山の人々が忙しなく動いていた。明日の婚儀の為にと尽力している人達に怪我をしている花婿の姿を見せるわけにはいかず、建物の影に隠れながら聖堂の裏手に回り、サァラが聖堂から誰にも気付かれずに出て来た道がある筈だと探し始めた。

 しかし、その可能性に気が付いていたのはミレニス一人だけで、キースまでがリクスと同じようにそういえばという反応をしていた事が、ミレニスは気がかりだった。

 保護者としてしっかりしていなくては、と気負っているキースの事なのだからその辺りの事は踏まえていた筈なのだが。それはフェルメールを出る前の出来事からも判っている。今は、それほど余裕が無いという事なのだろうか。

 スフィアもずっと沈んだままで、リクスもつられるように表情を曇らせている。

 とにかく急がなくてはならない為にミレニスは聖堂の壁面を調べていき、そこに妙な亀裂が入っていることに気が付いた。そしてすぐ傍に刻まれている、聖堂のシンボルとなっている十字架の模様のついたタイルに触れると、扉が開いていき階段が出現した。

 人一人通るのがやっとという狭い階段を上って行くと扉があり、扉を開くとそこにはベッドが置いてあるだけの部屋が広がっていた。恐らく、婚儀前の花嫁が待っている場所なのだろう。

 しかし、そこにもサァラの姿はなかった。

 ライノアをベッドに寝かせて黒衣の二人組を聖堂から追い出すと、スフィアとミレニスを部屋に残し、リクスとキースは別の扉から続く階段を下りて行った。すると今度は、扉は無く開けた聖堂の礼拝堂へ辿り着いた。

 長椅子が並ぶ礼拝堂の女神ヴェルミナ像の前に、礼拝の恰好をしているサァラが居る事に気が付いたリクスは、思わず声を上げた。

「サァラさん!」

 突然の声にビクリと肩を震わせて振り返ったサァラは、それがリクス達だと判るとホッと安堵の笑みを浮かべ、立ち上がるとリクス達の方へと駆けて来た。

「リクスさん、キースさん! ライノアは、ライノアは見つかったんですか?!」

 嬉しそうなサァラ。しかし対照的に、リクスとキースの顔はとても険しいものとなる。

「それが……」

 二人から告げられる言葉にサァラの顔は段々と強張っていき、話し終える前にサァラはリクス達の後方にある、部屋へ続く階段を駆け上がって行ってしまい、二人もその後を追った。

「ライノア!」

 勢いよく開いたドアから中に入って来るなり、ベッドに横たわっているライノアを見て、サァラの目が大きく見開いた。硬く目を瞑っている、血だらけの彼。明日から婚儀で、婚儀が成功すれば晴れて夫婦となっていたというのに。

「どうして、どうしてこんな……ライノア!」

 純白のドレスに血がつく事など構わずにライノアの体を抱き締め、涙を流すサァラ。

 こんな再会を望んでいた訳ではなかった。

「……すみません……俺たちが行った時には、もうこの状態で……ホントに、すみません……」

「謝らないで下さい。貴方達のせいじゃないんですから……」

 頭を下げるリクスに、首を横に振ったサァラ。その目から止めどなく溢れ、流れ続ける涙。

 幸せだった筈の二人。声を押し殺して泣くサァラの嗚咽だけが部屋に響いていて、それが更に哀しみを増大させている。

 治せていたら、こんなに哀しむことは無かったのに。治せていたら――。

 スカートをぎゅっと掴むスフィア。

「ごめ、なさい……スフィア、せい……」

 震える声に、リクスはすぐさまスフィアを見る。

「スフィア、キミのせいじゃ――……」

「スフィア悪い! 治すない……スフィア、みんな、治すない! リリアさん治すなかった! スフィア、治すない!!」

 喚くように叫ぶように言い、スフィアは裏口の方へと走って出て行ってしまった。その目には涙が溜まっていて、横を通り過ぎていく時に零れ落ちたそれに、リクスはスフィアの名を呼ぶ事しか出来なかった。

 違うんだと、否定する事が出来なかった。

「スフィア……ずっと、リリアさんのこと」

「ああ、後悔してんだな。スフィアのせいじゃないんだって、何度言っても聞きやしねえ……知ってるか。あいつ、偶に寝ながら謝ってんだぜ? ごめん、キースって涙流しながらな。俺より、あいつの方が吹っ切れてねえんだ」

 自分を呪うかのように「くそっ」と吐き捨てるとキースも裏口から出て行ってしまい、不安そうにキースを見ていたリクスを見て溜め息をつくと、ミレニスはリクスの肩に手を置いた。

「僕らも行こう」

「あ……うん」

 こちらなど見ていないサァラに会釈をするとリクスとミレニスも部屋を後にし、キースの後を追った。

 すぐに追いついたキースと合流したものの、キースが来た時にはすでにスフィアの姿はなく、どこにいるのか見当もつかず、フェルメールの出口付近で途方に暮れようとしていた時だった。

 不意に顔の横を通り過ぎたものに、リクスの視線はそちらへと向く。

「……蝶……?」

 それは、透き通るようなキラキラと輝いている一頭の蝶。

「どうした、リクス」

「蝶がいるんだ」

「蝶?」

 言われて、リクスが指さす方を見てみると、確かに一頭の蝶がヒラヒラと舞うように飛んでいる。

「あの蝶、トイコスバレーにもいたよね」

 いたよね、と同意を求められるが、キースとミレニスに思い当たる節は無かった。

 何だか反応の薄い二人を見て、あの時はバラバラに行動していた上にすぐに蝶はいなくなっていた為、見ていたのはどうやらリクスだけだったらしいと知った。

 前に見た時には一瞬だった為にそれが何かを認識する事は出来なかったのだが、あの輝いていたものは確かに今、見えている蝶と同じ輝きをしていた。色も大きさも同じだ。

「もしかしたら」

 呟くように言い、リクスは蝶を追って街から出て行ってしまい、不思議に思いながらもリクスを一人にする訳にもいかず、キースとミレニスは顔を見合わせるとリクスの後を追って街を出た。 

 あの時、スフィアを捜している時にいた蝶。まだ開いていない壁の向こうへと消えて行った蝶。その先に居たスフィア。

 もしかしたら、今回もスフィアの所へ案内してくれるかもしれない。リクスはそう考えていた。

 街の外に出て蝶を追って行けば、先程来た森の中へと入って行き、道なりに進んでいる。そうして着いた先は、ライノアが倒れていた泉だった。リクス達が居るのとは丁度、反対側にあたる泉の辺にスフィアは、膝を抱えて顔を埋めて座っている。スフィアの周りには、キラキラと輝く蝶が飛んでいる。

 スフィアの姿が見えると蝶は光が弾けるように消えてしまったが、リクスの視線はスフィアにしか向いておらず、蝶が居なくなった事に気付く事無くスフィアの方へ向かって歩いて行く。

 すぐ傍まで近づいた所で、ミレニスは声をかけようとしているリクスの手を掴んで止めた。驚いたようにミレニスを見ると、ゆっくりと首を振られる。最初は判らなかったが、キースがスフィアに近づくのが視界の端で見えて、その意図を知ると立ち止まったままスフィアとキースを見やる。

「スフィア」

 静かに名を呼べば、スフィアはビクリと身を震わせて声の主であるキースを見上げる。

「キース……」

 目が合って、キースはスフィアの金色の瞳に涙が溜まっている事に、悔しげに眉を顰める。

「スフィア、お前のせいじゃない。悔やむ必要なんてないんだ」

「っ、違う! スフィア、治すないせい!」

 涙を流しながら、拒むように首を横に振るスフィア。

 どんなに言っても聞き入れようとしないスフィアに対して、キースは唇を噛むとスフィアのすぐ傍に片膝を立ててしゃがみ、スフィアの両肩を掴んで強引に自分の方を向かせる。

「よく聞け! スフィア!」

 怒号とも呼べるような大きな声にビクリとし、呆然とキースを見ているスフィア。

 しかしすぐに、ふわりと優しく抱きしめられた。

「ありがとな」

 何を言われているのか、スフィアには理解できなかった。

「リー姉のこと、必死に助けようとしれくれて。リー姉の為にこんなに涙を流してくれて。リー姉のこと沢山考えてくれて。そこまでしてくれて、ありがとな。スフィアがそこまでしてくれたこと、リー姉はきっと喜んでる。リー姉を、エレナを、村の奴らを笑顔にしてくれたのはスフィアだ。だから、ありがとな」

 温もりが伝わってくる。

 優しい声。

 暖かい気持ち。

 ありがとうという言葉。

 総てがスフィアの心に光を灯してくれている。キースの言っている事を全て理解する事は出来なかったけれど、それでも確かにスフィアの中に言葉は届いている。

 だからスフィアも、涙の代わりに笑みを零した。

「ありがと……」

 スフィアからのお礼の言葉にキースはスフィアを離すと、手を引いて立ち上がらせた。

 もう大丈夫だろうと、リクスとミレニスも近づいた。

「スフィア、平気。泣くしない。笑顔」

 言ってニッコリと笑うスフィア。その笑顔はとても晴れやかなもので、今日からはきっと優しい夢が見られるだろう。

 そうしてスフィアを見ていると、不意に泉の更に奥へと続く道が視界に入り、リクスはそちらを見る。

「さっきは気付かなかったけど、奥にまだ道があるんだね」

「そういえば、この辺りに祭壇があるという話を聞いた事がある」

「祭壇!?」

「ああ。風韻の祭壇だ」

 ミレニスの言葉に、リクスだけではなくキースも驚いた。

 祭壇は、この旅のもう一つの目的だ。聖堂で、大聖堂の事と共に祭壇の事も聞こうと思っていたので、手間が一つ省けたというもの。これは嬉しいハプニングだと言って良いだろう。

 祭壇に行こうと言うリクスに反対する者はおらず、そのまま森の奥へ向かう事となった。

 ミレニスには道中で祭壇とスフィアの記憶の事を話すと、それでスフィアのカタコトと物を知らない事に漸く納得がいったようだった。

 そうして歩いて行くと、開けた場所が見えてきた。そこにあるものに、リクス達はやはりと思い、ミレニスだけが少し驚いたように目を丸くしている。

 そこにあったのは、水煙の祭壇で見たのと同じ白塗りの神殿。その巨大さも、水煙の祭壇と同じくらいだった。しかし、違う部分もある。それは中に入るとすぐに視認する事が出来た。

 中に入るなり、唖然とする。

 人が二人並んで歩くのがやっとという細い道が奥へと続いているのだが、その両側は崖となっていて、下を覗いて見ても底が見えず、ただ闇が広がっているだけだった。一体何メートルあるのだろうか。もしかしたら、トイコスバレーと同じくらい深いかもしれない。ここから落ちれば一溜まりもないだろう。

「祭壇って、みんなこうなのかな……?」

「前の祭壇もだったのか?」

「うん。前は建物の中に森があって、川も流れてたよ」

 何故、建物の中に自然があるのかは全くもって理解に苦しむ。一体、祭壇とはどういう施設なのだろうか。

 そこまで考えて、リクスはふと言葉を口にした。

「そう言えば俺、祭壇が何かっていうこと知らないや。キースは知ってる?」

「いや、俺もこういうことは疎くてな」

「祭壇とは、世界に恩恵を与える神獣を祀っている神殿にある祠だ。つまり、ここは神獣を祀った神殿という事になる」

「ここに、神獣が……」

 世界を創造した女神が、世界を構築する為に必要な要素を神獣に与え、それぞれに神殿を用意したと言う。そこから神獣によって世界に要素が供給されている為に、人は生きていく事が出来る。

 その神獣が居る神殿が、ここだとミレニスは言うのだ。

 今まで神獣というものはお伽噺の中のものだと思っていたのだが、こうして神殿があり祭壇があるとなれば信憑性は高い。

 そんな事を思いながら歩いて行くと、崖下から風が吹き上げた。

「結構、風が強いね」

「ああ。周りに遮るものはないからな。ここで突風がきたら危険だ」

「風韻の祭壇、つまり風の神獣・風鳥-ファウライレ-の祀られた神殿ということになる。この風は、その影響なのだろうな」

 だから水煙の祭壇では、水の神獣・水龍-リヴァーテル-の影響で川が流れ滝も流れていたという事なのだろう。

「スフィア、ミレニス、お前ら気をつけ――」

 気をつけろと言い終わる前に突風が吹き荒れ、あまりの風力の強さにスフィアはバランスを崩して足を踏み外した。落ちると思ったが、すぐさまリクスがスフィアの腕を引いて抱き留めた為に、最悪の事態にはならなかった。

「ありがと」

「ううん。危ないから、手繋いで行こう」

「うん!」

 差し出したリクスの手をしっかりと握り、そのまま歩き始めたリクスとスフィア。そんな微笑ましい光景を見ながらキースとミレニスも後に続くのだが、ミレニスもリクスとキースに比べると体格的には劣っている為、吹き荒れる風によろめきながら歩いている。

 危なげなミレニスに、キースは横目で見てからフッと息をついた。

「俺らも手、繋ぐか?」

「馬鹿にしているのか。いらん」

「遠慮しなくていいんだぜ?」

 そう言って差し出される手に、ミレニスは眉間に皺を寄せ。

「いらんと言っているだろう!」

 声を上げ、差し出された手を弾いた。瞬間、再び吹いた突風に完全にバランスを崩した。これではスフィアの二の舞だと思ったミレニスの手が、振り払われたキースの手に掴まれ引き寄せられた。

 思いの外ミレニスの体は軽く、引き寄せた勢いのままキースの腕の中にすっぽりと収まる事となってしまった。

「あっぶねー。だから言っただろ」

「なっ、何をするのだ貴様!」

 不意打ちのようにキースに殴り掛かるミレニスだったが、キースはパッとミレニスの手を放して避けると、降参するように両手を上げる。

「待て待て。狭い道だったし、思った以上に勢いあったから仕方なかったんだよ。俺だってそっちの趣味はないから安心しろ」

 真剣な表情でミレニスの両肩に手を置き、言い切ったキース。しかしミレニスは額に青筋を浮かべて拳を震わせるなりキースに二度目の拳を揮い、クリーンヒットさせていた。

 道に倒れたキースなどお構いなしに、早足でリクス達の後を追っていくミレニス。

 何故怒られたのか判らず、痛む頬をさすりながら立ち上がり、ミレニスの背を眺めていたのだがキースもその後に続いて奥を目指した。

 奥に進むにつれて風は強くなっていき、それでも前に進んで行くと水煙の祭壇と同じように最奥は広場のようになっていた。そこで風が強くなっていった理由と、風が吹いている理由を知った。

「竜巻だ……この凄く大きい竜巻が、この中で風を起こしてたんだ」

 最奥の崖先にある竜巻は、直径十メートルといったところだろうか。高さに至っては、底が見えない為に何十メートルあるのかは予測すら出来なかった。

 その崖の淵に立っているスフィア。何をしているのだとミレニスが連れ戻そうとしたのを、リクスとキースが両側から肩を掴んで止める。

 スフィアの立っている地面に、円形の複雑な紋様が刻み込まれた陣が描き出されたかと思うと蒼く光り輝いた。直後、地鳴りのような音が響き渡り、竜巻の中から分厚い白い石で出来た板が伸びてきて崖の先端に結合し、板に水平に亀裂が入ると上部分が、板と同様の石で出来た石柱に押し上げられて垂直に上がっていく。竜巻は割れるように消えていき、道の両脇を吹き荒れている。

 石の板は三メートル程の高さに達すると重い音を立てて止まり、奥へと続く道が出来た事でスフィアの足元に現れた陣は消えた。

「これは、一体……」

「判んないけど、スフィアが近づくと祭壇への道が現れるんだ。多分、スフィアがキア・ソルーシュだから」

「キア・ソルーシュ……?」

「天上の守り手だって司祭様は言ってたけど、よくは判ってなくて」

 結局のところ、リクスもキースも本当のところは理解していない。けれどそれでも、スフィアが近づけば祭壇が現れ、祭壇に行けばスフィアの記憶が戻るのは事実であり、今はそれで良いと自分に言い聞かせている。

 石で出来た道を通って竜巻の奥にある祭壇へと向かう。数メートル歩いて行けば、台座と四本の支柱があり、中心には、中央部に翠の大きな宝石をあしらった、装飾の施された十字架が浮いている。

 台座の周りはそよ風のような柔らかい風が吹いていて、薄暗いこの場を十字架についている宝石が淡く光っている事で照らし出している。

 風の音が鳴り響いていて、まさに風韻の祭壇だ。

 水煙の祭壇と同じ造りながら、蒼から翠に、水から風へと変化しているというのが、それぞれの神獣を祀っているという証のように思えた。

 二段の階段を上がって台座に乗ると、仄かに翠色に光る十字架の中央部に埋め込まれた宝石に手を伸ばし、そっと触れた。すると淡い翠の光が宝石からすぅっと出てきたかと思うとスフィアの前で停滞し、スフィアは翠の光を両手で包み込んで目を閉じた。

 光はスフィアの体を包み込み、風が巻き起こる。

「迅き鳥が風と遊ぶ」

 紡がれた声と共に消えるように風は収まり、スフィアを包んでいた光が弾け霧散すればスフィアはスッと目を開けるなり辺りを見回した。

「ここ、どこ?」

「どこって……風韻の祭壇だよ?」

「ふういんのさいだん……?」

「うん……どうかしたの、スフィア」

 何かあったのだろうかと不安気に見ていると、スフィアはブンブンと首を横に振ってからニコッと笑った。

「何もない。スフィア、どうもしない」

 妙な違和感を覚えるものの、訊ねる事をスフィアは良しとしていないらしく、話題を変えようとリクスは記憶について訊ねてみた。また、思い出したのではないかと思って。

「スフィア、優しい人、一緒、遊んだ。髪、金、ふわふわ」

 金のふわふわとした髪の人物と遊んでいた記憶だという。その人は、優しかったという事だ。

「楽しい、思い出」

「そっか。良かったね、スフィア」

「うん」

「これも、キア・ソルーシュという者である故か」

「恐らくな」

 スフィアの記憶が戻ったという事でこの場にいる理由は無くなり、来た道を戻って行く。

 皆の後ろ姿を見ながらスフィアは何かを呟いていたが、それは吹き荒れる風にかき消され、誰にも届く事は無かった。

 

 その後、フェルメールへ戻って来たリクス達は裏口から聖堂の中へと入り、サァラの居る部屋を訪れた。中に入ると、未だサァラはライノアの寝ているベッドの横で泣いていた。

 けれどもドアが開いた事で振り返り、こちらを見る。泣き腫らした目で見られながらもスフィアは真っ直ぐに見返し、一歩、前に出た。

「スフィア、治す。ライノア助ける。傷、治す」

 相変わらず言葉はカタコトだけれど、その想いは真っ直ぐだ。今は、ライノアを治したい、助けたい。ただそれだけだ。

 だからサァラは頷き、ベッドから少し離れた。

 スフィアは胸元のロザリアについている石に触れてベルを出した。ベルを握る手に力が入るが、ポンと肩に置かれた手に振り向けば、リクスの笑顔があった。大丈夫、スフィアならできるよ。そう言ってくれているような気がして頷き、ベッドへと近づいた。

 静かに目を閉じると、ライノアの体を挟むように上下に蒼い水の紋章が現れる。

「リソルト・カルマート」

 上にある紋章から光の雨が降り注ぎ、ライノアの体全体に澄み渡っていく。数十秒経っても何も変わってはいない。それでも誰も動かずに見守っていて、数分の時間を要すると目に見えていた傷は全て消えていった。

 水の紋章が消え、ピクリと指が動いたかと思うとライノアがゆっくりとその目を開いた。

「……ここは……」

「ライノア!」

 腕で体を支えて起き上がったライノアに、すぐさま抱き着いたサァラ。突然の出来事に何が起こっているのかが理解できずに不思議そうにしていたライノアだったが、自分に抱き着くサァラを見、周りにいるリクス達を見、サァラが涙を流している事を知り、そっと微笑むと抱き返してサァラの頭を撫でる。

 サァラとライノアの姿を見たリクスはスフィアの隣に行き、スフィアの頭を撫でた。するとスフィアは振り向いてリクスを見上げてきたので、微笑むとスフィアもニッコリと笑い、ベルは光になってロザリオの中へと入っていった。

「あの、私は一体……」

 サァラが落ち着いた事を確認してから、ライノアはリクス達の方を見た。

「泉の辺に倒れてたんです」

「泉? ……そうか……私はあそこで雷に打たれて……貴方達が助けてくださったんですか?」

「そうよ。貴方を見つけて運んでくれて……この方が治してくれたの」

 そう言ってスフィアを見るサァラにつられるようにスフィアを見、ライノアは笑みを浮かべてからスフィアに頭を下げる。

「ありがとうございます」

「幸せなる。スフィア満足。お礼いらない」

 ニコッと笑うスフィアに、ライノアは再度頭を下げた。

 ほのぼのとした空気が流れる中で、ミレニスはその空気を壊すかのように口を開く。

「すまないが、司祭に取り次いではもらえないだろうか」

「司祭様にですか?」

「ああ。僕らは司祭に会う為にここまで来た」

 淡々としたミレニスの言葉。けれどもサァラは特に気にした様子もなく、笑顔のまま頷いた。

「もちろんです! 貴方達はライノアの命の恩人ですから。でも、ここには婚儀を行う者しか入れないことになっているので、一度外に出て――」

 待っていてもらえますか?と言おうとした時、不意に聖堂側の扉が開いた。

「サァラさん、どうかしましたか? 何か騒がしいようですけど……」

 中に入って来たのは、年配の司祭だった。フィエスタ近くの聖堂にいる司祭とはまた違った、優しい雰囲気の福与かな司祭。

 入ってすぐに見えたリクス達に驚いていた様子だったが、すぐに平静を取り戻す。

「サァラさん、これは一体どういう事ですか?」

 問いかける司祭の言葉は問い詰めるようなものではなく、とても穏やかで優しいものだった。その為か、サァラは正直に今までの経緯を包み隠さず話している。ここで話をするのはサァラが一番だと思い、リクス達は話し終えるまで一切口を挟む事はしなかった。

 話し終えると司祭は「そうですか」と一言呟くと、笑みを浮かべてリクス達に頭を下げる。

「ありがとうございました。私でよければ、力になりましょう」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 礼拝堂で話を聞いてくれると言う司祭にこちらからも礼を言い、リクス達四人と司祭は礼拝堂へと降りて行った。

 女神ヴェルミナの彫像の前まで来ると、司祭は立ち止まり振り返る。

「それで、ご用件と言うのは?」

「俺たち、大聖堂を探してるんです」

「大聖堂を? 一体、何故」

「それは、その、ちょっと事情があって……そこに行けば、何かが判るかもしれないんです」

 言葉を濁すリクス。

 スフィアがキア・ソルーシュであるという事を、他の司祭に話してもいいものかはリクス達には判断がつかない。そもそも、キア・ソルーシュがどういうものかを知らないのだから、説明する事も難しい。

 全てを話すには時間がかかり過ぎるという事もある。だからそれ以上の事を言えずにいると、司祭は微笑を浮かべた。

「判りました。事情は訊かないでおきましょう。何より、ライノアさんを助けて下さったあなた方です。ヴェルミナ様に背くような事はないでしょう」

 どうやら追及されないようで、ホッと安堵の息をつく。

「ラディウス大聖堂は、この大陸の反対側にあります。船は出ていないので大陸を渡るしか方法はなく、聖域へ入る為にも制約があるそうです。残念ながら、私が知っているのはこのくらいですが」

「司祭でも、大聖堂の場所が判らないのか」

「ええ。神官以上の高位の者でなければ、大聖堂へ行く事もままなりません」

 いくら司祭であっても、女神に近しい場所へ行ける人間は限られていると言う事だ。その情報を持つ事すら、許されない。

「けど、そんな大事なこと、本当に教えてもらっていいんですか?」

 司祭でも知らされない事を、一般人のリクス達に教えて良いとは思えない。

 だが、司祭はスフィアを見て微笑む。

「その方、スフィアさんと言いましたか。ヴェルミナ様にとてもよく似ています。きっとこれも、ヴェルミナ様のお導きなのでしょう」

 彼はやはり司祭なのだとリクスは思った。大聖堂にいる神官が最高権力を握っていて、そこから如何なる命令を下されようとも、女神ヴェルミナが何よりも重要なのだと。

 だからこそ、今一度リクスは頭を下げた。

「本当に、ありがとうございます」

 ただ我武者羅に前に進んでいた今までとは違う。目的地である大聖堂の位置が段々とハッキリしてきた。進むべき道が見えた事で、更に開けたような気がしている。

 目的地がハッキリした今、長居する理由はなく、又、明日から執り行われる婚儀の準備もある為に邪魔をしてはいけないからと出発する事になったので、裏口から出る為にサァラ達の部屋を訪れた。

「俺たち、もう行きます」

「本当にありがとうございました。明日からの婚儀を、無事に迎えられそうです」

「幸せ、願う。ずっと笑顔、願う」

 胸の前で手を組んで目を閉じて言い、スフィアはニコリと笑った。

 お礼を何度も何度も口にし、頭を下げるサァラ達を背に、一行は外へ続くドアの方へと向かう。

「お気をつけて」

 ライノアの言葉に笑みで返すと、そのまま聖堂を後にした。



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